中庸について

(平成20年7月〜12月)

これまでの「順受の会」の講義の中で、頻繁に出てくる言葉が、この「中庸」である。「偏らず、易わらない」「過ぎたるは、猶お及ばざるが如し」「バランス感覚」「極端に動かず、ほどよく中ほどをとって動く」などの色々な表現がされているが、これは、すべて「中庸」を表している文言である。そして、その実現のためには、これも何回となく、これまで言葉として出てきている「誠」という人間の本性に元々備わっている天徳を発揮することであるとこの「中庸」の中では述べてある。
「中庸」は中国宋代に「大学」と同様に朱子により「四書」として、官学の主要な書物として規定された。元々は「礼記」の三十一篇として伝えられてきたものであった。また、これは孔子の孫、子思の作であるといわれている。これについても、様々な見解があり、現在では、子思の作に後年の儒者たちが論理を付け加えて完成させたものであるという考え方が主流になっているようである。また、この「中庸」は朱子に官学の主要な書物として、取り上げられる以前、漢代から広い読者層を持っていたようである。特に唐代の儒者、韓愈(かんゆ)の弟子の李?(りこう)は「中庸説」に加え「復性説」を著して、「易」と「中庸」の思想にもとずいて、人間の本性の哲学的基礎付けを行った。これが、朱子学の先駆として、その成立に強い影響を与えているものでもある。

 
「天の命ずるをこれを性と謂う」で始まる文章は、第二章から各論に入り、最後に「誠」としてまとめられていく。つまり、人間の本性に元々備わっている「誠」という天徳は、「天の命ずる性」と呼応して、人間に内在する道徳的本性の自覚を促し、善行を促していくという儒学の性善説の摂理を説くものである。また、第一章にある「中和」(中庸)の徹底は、人間社会の秩序を正し、引いては、自然界の運行にまでもそれは影響を与え、宇宙に生成する万物にも影響を与えるとも述べている。つまり、「中庸」「中和」という人間の道徳的活動は、世の中をいい方向に大きく変える原動力を持っているということである。そして、この「中庸」が「誠」と結びついてこそ、「中庸」という徳が誤りのない、真実なものになっていくと説いているのである。ここでは、「中庸」というのは、決して物事を「二つに分けて間を取る」ということではないということを自覚し、理解してもらいたい。そこには、「誠」という脈々とした天徳が流れているのである。
今回の勉強会では、世の中をいい方向に大きく変える力を持っている「中庸」とは、どういうことなのかを充分に理解し、皆さんが、それを世の中に(仕事に、プライベートに)大いに発揮されることを期待する。この「中庸」は、文面の多さからいっても、半年では、とても消化されそうもないし、東洋思想の勉強にとっては、とても重要な書物であるので、前半、後半2回に分けて、話を進めたいと考える。また、内容の概論や成り立ちや伝承については、この本(岩波文庫「大学・中庸」金谷 治訳注)に詳しく述べてあるので、一読していただきたいと存じる。

  (第一章)      
一.

天の命ずるをこれを性と謂(い)う。誠に率(したが)うをこれを道と謂う。道を脩(おさ)むるをこれを教と謂う。道なる者は、須臾(しゅゆ)も離るべからざるなり。離るべきは道に非ざるなり。是の故に君子はその賭(み)ざる所に戒慎(かいしん)し、その聞かざる所に恐懼(きょうく)す。隠れたるより見(あら)わるるは莫(な)く、微(かすか)かなるより顕(あら)わるるは莫し。故に君子はその独(どく)を慎しむなり。

天からの使命として、個々の人や万物に割り付けたもの、それが本性である。その本性に誠実に従っていくと生成されるもの、それが人としての道である。その人としての道を修め整える方法を説くのが聖人の教えである。道というものは、常に人のそばにあり、一時も離れられないものである。離れられるようなものは、真実の道とはいえない。そのようなわけで、君子は、はっきり見えるものはいうまでもないが、見えないものにもわが身を慎み戒め、はっきり聞こえるものはいうまでもないが、聞こえないものにも常に緊張して対応するものである。隠し事ほどかえって表に出やすいものであり、微かな過ちほどかえって露見しやすいものである。だから、君子はいつも隠し事をせず、公明正大にあるために、どんな状況にあっても自分自身を慎み、修めるのである。

天から与えられた本性に従って、誠実に物事を進めていくことが重要であり、それを道という。その道に沿って、人生を歩いていけば、大きく誤ることはない。そうするためには、人が見ていようが、見ていまいが、常に慎み深く行動することが大切であるといっているのである。
最近また食品の産地や消費期限の偽装問題が連日のように報道されている。岐阜の肉の卸売業者は、銘柄牛の名前を使い、他の安価な商品を販売したり、返品された肉を混ぜて、自店で販売したり、その後も次から次へと疑惑が現れてきている。また、大阪の魚類専門の商社は、中国産うなぎを国産の有名銘柄の名前を使い販売し、しかもそれが巧妙にその産地と同名の同県の別の場所で製造しているように偽装し、更に、大手の荷受業者に賄賂を渡して、このことを口止めしようとしていたようである。どうも、わからなければ何をしてもいいという風潮が、食品業界にはまだまだ根底に残っているようである。「隠れたるより見わるるは莫く、微かなるより顕わるるは莫し。」である。これくらいのことなら他の人間もしているのだからとか、これくらいのことなら許されるだろうとか、自分の私欲から、自分で判断して、人の道としてしてはならないことをしてしまうから、露見するのである。

 
そして、時間が立つにつれて、他の重大な過失も表面に出てきて、結局、企業に大きな損失を与えたり、社会から抹殺されることになるのである。もちろん、このことに限らず、大から小まで日本の企業は、多かれ少なかれ、このようなことをしてきたところは多いし、まだ、悠長に構えているところも多い。これまでの慣習ややり方が、本当に人の道にはずれたことをしていないのかということを改めて見直してみる必要があるのではなかろうか。そうして、問題点が指摘され、それが、その企業にとって、たとえ、見直し、改革することで大きな痛みを得ることになっても、それは、実行するべきであると考える。それが事業継続のために一番の近道だからである。また、そのためには、ここでいう「慎独」ということを常に忘れてはならないと思う。

二.

喜怒哀楽の未(いま)だ発せざる、これを中と謂う。発して皆な節に中(あた)る、これを和と謂う。中なる者は天下の本体(たいほん)なり。和なる者は天下の達道(たつどう)なり。中和を致(いた)して、天地位(くらい)し、万物育す。

喜怒哀楽などの感情がまだ表に発動していない状態、(偏りもなく、過不及な中正な状態)、これを中という。感情は発動したが、それが皆、然るべき節度にピタリとかなっている状態(感情の乱れが無く、調和を得ている状態)、これを和という。このような中なるものこそ、世の中に存在する万事、万物の偉大な根本である。また、このような和なるものこそ、世の中のあらゆる事象に通用する道である。この中と和を徹底して、実行すれば、天地自然の理も正しく運行し、この世の中にある、あらゆるものが、健全な生育を遂げることになるのである。

中(過不及なく偏りのない中正な状態)と和(雑多なものを包摂する調和均整の状態)が、しっかり実行されれば、天地万物が善循環して、自然、いい世の中が形成されていくといっているのである。前回の大塩中斎のときも説明をしたが、世の中を良くするも悪くするも、人間の意念が、大切であり、中と和を徹底して実行するという意念があれば、必ず、世の中は良くなるということでもある。
この第一章は、「天命の性」が「人間の本性」であり、その本性、(人が元来持っている道徳性)に順ずることが道であり、その道の実践は、内面的な中和の働き(中庸の実践、誠の実現)によって完成するというように、この「中庸」の総論を述べたものである。
 (第二章)       
一.

仲尼(ちゅうじ)曰(い)わく、「君子は中庸し、小人は中庸に反す。君子の中庸は、君子にして時に中すればなり。小人の中庸に反するは、小人にして忌憚(きたん)するなければなり」と。子曰わく、「中庸は其(そ)れ至れるかな。民能(よ)くする鮮(すくな)きこと久し」と。子曰わく、「道の行われざるや、我れこれを知れり。知者はこれに過ぎ、愚者は及ばざるなり。我れこれを知れり。賢者はこれに過ぎ、不肖者(ふしょうしゃ)は及ばざるなり。人は飲食せざるもの莫きも、能く味を知るもの鮮きなり」と。子曰わく、「道は其れ行われざるかな」と。

孔子は言われた「君子は中庸の徳に順じ、小人は中庸というものの価値がわからないので、中庸に叛くものである。君子が中庸の徳に順ずるのは、常に君子としてふるまい、どんな時でもその場に応じて中正でおれるからである。小人が中庸に叛くのは、小人らしいつまらない行動をして、慎みもなく、何でもあたりかまわずやってのけるからである。」孔子が言われた「中庸は最高の徳である。だが、民衆の中にうまく行えるものが少なくなって、もう久しいことだ。」また、孔子は言われた「本当は簡潔であるはずの人としての道をなかなか人々が行えないのは、私にはわかっている。それは、聡明な人は、知恵にまかせて、出来すぎたことをし、愚かな人は、理解が足りなくて、そこまで実行が及ばないからである。また、私にはわかっている。それは、優れた人は、才能にまかせて出すぎたことをし、劣った人は、そこまで才能が及ばないからである。人は誰でも飲食をしないものはいないが、本当に味のわかるものは少ないものである。人としての道というものは、飲食と一緒で常に離れることのできないものである。」孔子は嘆いて言われた「それであるのに、なんと、人としての道が世の中で実行されていないことか。」と。

この章から、しばらくは、孔子の会話を中心に「中庸」の見解が進められていく。この会話からわかるように、中庸というのは「過ぎたるは、猶お及ばざるが如し」という意味でもある。
ミーイズム(自己中心主義)という言葉が言われるようになってから久しい。国でいえば、特に、近年のアメリカはこういう傾向が非常に強いように思える。自国が世界を支えているという自負が、自国がやることはすべて正しいと考え、他国に政治や経済で介入をすることにより、自国に利益をもたらすというやり方である。これは、ここで、孔子の言う、知者や賢者の政策である。要するにいき過ぎているのである。一方、近年は、環境問題や食糧問題など、この地球自体が危険にさらされている時代であり、自国に利益をもたらすというよりは、地球規模で真剣にこの問題に取り組まなければならない時である。ミーイズムというよりは、人類が共存するための資源の適正な配分や食料の適正な配分を先進国がリーダーシップをとって真摯に進めなければならない共生を考えることが必要な時代である。そして、及ばない国との調和を図っていくのである。そうでなければ、この地球上に存在する、人類や他の生物の生存が大きな危機に見舞われるのである。公正さと調和ということが重要な時代なのである。要するに「中庸」という哲学が必要な世の中なのである。7月7日から洞爺湖サミットが開催されるが、元々、中庸の精神を大切にしてきた、我々日本国が、他の同精神を持っている国々と連携して、リーダーシップをとって、地球規模の環境問題や食糧問題を真摯に協議して、自国の利益ではなく、地球の利益のために解決策を定義して、実行できる枠組みを策定してもらいたいものだと思う。

二.

子曰わく、「舜(しゅん)は其れ大知なるか。舜は問うことを好み、而して邇言(じげん)を察することを好み、悪を隠して善を揚げ、その両端を執(と)りて、その中を民に用う。それ斯(ここ)を以て舜と為(な)すか」と。子曰わく、「人は皆な予(われ)は知ありと曰うも、駆(か)りて諸(こ)れを罟?陥?(こかかんせい)の中(うち)に納(い)れて、これを避(さ)くるを知ること莫きなり。人は皆な予は知ありと曰うも、中庸を択(えら)びて、期月も守ること能(あた)わざるなり」と。

孔子は言われた「舜は何といっても大知者だな。舜は知者であったが、好んで人にものをたずね、さらに身近な俗言にも気を配ることを好み、その悪いところはおさえて、良きところは揚げ広めて、ものごとの両極端をしっかりとらえて、その中ほどを民衆のために用いた。このような大知者としてのすばらしさを以て、舜(道徳の充満した人)と呼ばれたのであろうね。」また、孔子は言われた「人は皆、自分を知者だと言っているけれども、鳥や獣が、追い立てられて、仕掛けの網や檻や落とし穴の中に落とし込まれるように、人もまた多くが、時代の流れや誘惑にせきたてられて、そういうことになるということを避けるということを知らないものである。人は皆、自分は知者だといっているけれども、中庸の徳を選択して、実行しようとしても、それを守り続けることはただの一月もできないものである。どうして、それを知者だといえようか。」と。

本当の中庸の徳を持っている者は、時代の流れがどうであろうが、それに流されること無く、どんな状況にあっても、常に中庸の徳を実践できるということを言っているのである。また、中庸というのは、両端の真ん中の一点をさすものではなくて、舜が、広く世論を聞いて、適切にその中ほどを登用し、実践したように、包容性と融通性を兼ね備えた、幅のある見解であるということも述べている。ここで言う「両端を執りて」というのは、物事の全体像を把握してという意味であり、中庸を実践するためには、そういう、物事を客観視できる、世の中を方眼できる人格を涵養することが必要ということにもなる。
  三.

子曰わく、「回の人と為(な)りや、中庸を択び、一善を得(う)れば、則ち拳拳服膺(けんけんふくよう)して、これを失わず」と。子曰わく「天下国家も均(ひと)しくすべきなり。爵禄(しゃくろく)も辞すべきなり。白刃(はくじん)も踏むべきなり。中庸は能(よ)くすべからざるなり」と。

孔子が言われた「回(顔回)の人となりはね、一度、中庸にかなった善いことを得られると、これを誠実に、慎重に身に付けて、それを失うことがないのだ。」と。また、孔子が言われた「天下国家を公平にうまく治めるのは大変なことであるが、それでさえ、公平にうまく治めることはできる。高い爵位や高い俸禄を断るということは、為し難いことではあるが、それでさえ、辞退することはできる。白刃を切り抜けて、敵陣を踏み破るのは困難なことであるが、それでさえ、踏み破ることはできる。しかし、中庸を選んで、それを守り続けるのは、なかなか実行できないものである。」と。

天下国家を公平に治めるよりも、高い爵位や俸禄を辞退するよりも、白刃を切り抜けて、敵陣を踏み破るよりも、中庸を実践し続けるということは難しいことであると言っているのである。逆に言えば、中庸を実践し続けることができれば、天下国家を公平に治めることも、高い爵位や俸禄を辞退することも、白刃をぬって、敵陣を踏み破ることも当たり前のようにできるということでもある。つまり、中庸は人間に万能の力を与えるということになろうか。ここに出てくる「回」というのは、孔子の第一の門弟と言われる顔回(顔淵)のことである。若くして亡くなったが、孔子は、顔回のことを自分よりも優れた人格の持ち主であると考えていたようである。また、そういう表現を各所でしている。人間というものは、得てして、自分の弟子とか部下とか目下の者を自分のことは棚にあげて、卑下して見る傾向が強いが、そういうことを率直に表現し、是は是として認めることができるということが、孔子の偉大さであるようにも思える。また、そういうことからしても、孔子自身も中庸を常に実践していたということになろう。

四.

子路(しろ)、強を問う。子曰わく、「南方の強か、北方の強か、抑(ある)いは而(なんじ)の強か。寛柔(かんじゅう)以(もっ)て教え、無道にも報いざるは、南方の強なり。君子これに居る。金革(きんかく)を衽(しきもの)とし、死して厭(いと)わざるは、北方の強なり。而の強者これに居る。故に君子は和して流れず、強なるかな矯(きょう)たり。中立して倚(かたよ)らず、強なるかな矯たり。国に道あるときは塞(まもり)を変ぜず、強なるかな矯たり。国に道なきときも死に至るまで変ぜず、強なるかな矯たり」と。子曰わく、「隠れたるを索(もと)め怪しきを行うは、後世に述ぶること有らんも、吾れはこれを為さず。君子は道に遵(したが)いて行なう。半塗(はんと)にして廃するも、吾れ已(や)むこと能(あた)わず。君子は中庸に依(よ)る。世を遯(のが)れて知られざるも悔いざるは、唯だ聖者のみこれを能(よ)くす」と。

子路が強ということについて質問した。孔子は言われた「それは南方の強さのことかね、それとも北方の強さのことかね。あるいは、君が考える強さのことかね。寛容で柔軟な態度で人々を教導し、無道な者にも節度を以て導き、仕返しをしたりはしないというのが南方の強さである。君子の行動はそれによっている。武具を敷物にして、常に戦陣におり、戦死することも厭わないというのが北方の強さである。子路よ、そなたの言う強き者というのはそれによっているのであろう。しかし、本当の強さというものはそういうものではない。君子は人と和やかに調和しながらも、節度を曲げて流されることはない。本当の強さというものは、こういうことだ。中正を重んじて、少しも偏らない。本当の強さとはこういうことだ。国に道理道徳が良く敢行されているときも、心を緩めることなく、平静に節度をかえることがない。本当の強さということはこういうことだ。国に道理道徳が敢行されなく、乱れ、困窮していても、死ぬまで、平静で節度を変えることがない。本当の強さとはこういうことだ。」と。続けて孔子は言われた「はっきりしないことを無理やり探り出したり、奇怪な行動をとったりすると、人の耳目を集めるので、後の世で語り継がれることもあるであろうが、わたしはそういうことはしない。君子は道理道徳に従って、行動するものである。だから、たとえ力が及ばず、途中で挫折することがあるとしても、わたしは、道理道徳に従うことを投げ出したりはしない。君子は中庸の道によって、行動するのである。世の中から隠遁して、誰にも知られずに朽ちても悔いることがないというのは、特別な聖者にだけできることである。これは、私の望むところではない。」と。

子路の問いに、本当の強さということについて、孔子が説明しているのである。孔子は、本当の強さというものは、勇猛果敢に命を投げ打って、戦うということではなく、自分にどんなに困難があろうとも人々を教導して、道理道徳を守らせ、いい世の中を作るためにわき目もふらず邁進することであると言っているのである。つまり、南方の強こそが本当の強さであると言っているのである。子路は、孔子の門人の中でも武勇に優れ、政務にもすぐれた人物で、純朴な性格であったようである。しかし、その才能ゆえに、武に奔る傾向が強かったようである。この章では、そういう、どちらかというと北方の強に傾倒しがちな、子路の性格を見抜いて、孔子が説いたという設定になっているのである。また、その後に、「隠れたるを索め怪しきを行うは、後世に述ぶることあらん」というところは、突飛で、奇異な行動をして、人の耳目を集めて、時代の寵児になった、7月に公判をひかえた元若手経営者を彷彿させるところがある。孔子は君子の道とは、そういうことではないと言っているのである。また、だからといって、世の中の現実から逃れて、隠遁して、世の中を達観したような生き方をするのも君子の道ではないとも言っているのである。つまり、中庸を旨とする君子の道とは、極端に振れず、民衆と共に、この現実の世の中を住みやすくするために、道理や道徳に従って構築していくことであると言っているのである。

 第三章      
一、

君子の道は費(ひ)にして隠なり。夫婦の愚も、以て与(あずか)り知るべきも、その至れるに及んでは、聖人と雖(いえど)も、亦(ま)た知らざる所あり。夫婦の不肖も、以て能く行うべきも、その至れるに及んでは、聖人と雖も、亦た能くせざる所あり。天地の大なるも、人猶(な)お憾(うら)む所あり。故に君子大を語れば、天下能く載(の)すること莫し。小を語れば、天下能く破ること莫し。詩に云う「鳶(とび)飛んで天に戻り、魚淵(ふち)に躍(おど)る」と。その上下に察(いた)るを言うなり。君子の道は端を夫婦に造(はじ)め、その至れるに及んでは、天地にも察るなり。

君子の道というものは、わかりやすく、明快である一方、奥が深くてわかりずらいものである。市井にある普通の男女でさえもそれを理解するということは出来るが、その究極ともなれば、聖人でさえ理解できないところがあるものである。市井にある普通の男女でさえそれを実行することはできるが、その究極ともなれば、聖人でさえ実行できないところがあるものである。君子の道の実現が十全でないので、この広大な天地に対しても、人々はなお不満に思うことがあるものである。だから、君子は道について、広大であることを語るときには、世界中にあるどんなものでも、それを載せられないくらいの極大を語る。また、道について、その微小について語るときには、世界中の誰もが、それを細分化できないほどの極微を語る。詩経では、「鳶は飛んで天まで高く舞い上がり、魚は、深淵にもぐって躍動する」とうたわれている。これは、道の働きが、上下どこまでも行き渡っているということを述べたものでもある。君子の道は、身近な市井にある普通の人々にその端を発するが、その究極ともなれば、天地の果てまで、行き渡っているものである。

君子が踏み行うべき道は、この現実の社会を超えた、広大なものであり、眼に見える天地を越えた宇宙観のようなもので見ないと理解できない。また、それと同時に、現実の社会では見えない、深淵なものでもあるので、極微なものを追求する微粒子の世界観を持たないと理解できない。だから、この世の中に存在するすべての人や物に大きな影響を及ぼすのであると言っているようである。つまり、身近なものには身近に対応し、遠大なものには遠大に対応する、ミクロの世界からマクロな世界まで「君子の道」は行き渡っていると言っているのである。そして、それは、この世の中に存在するすべてのものにリンクしているのであるとも言っているのである。
7月に行われた、洞爺湖サミットでは、地球環境についての議論がなされたわけであるが、先進国と新興国とのCO2削減についての意見が合わず結局、玉虫色の宣言しかなされなかったようである。先進国は、成熟の段階にあるということもあり、悪くなる地球環境に対して、人類の生存という危機感を訴え、それを助長するCO2の削減を強く押し出すのであるが、新興国は、成長の段階にあるので、ここまでの地球環境の悪化を助長してきたのは、先進国に責任があるのであって、自分たちは、まだ、発展途上であるので、先進国がそれを強要するのは筋違いであると応酬する。それぞれが自国の利益のために主張をするのであるから、なかなか結論がでないのも当たり前であるが、この問題は自国の利益を乗り越えて議論しなければならないことであるように思う。つまり、前述のように、この世の中に存在するすべてのものは、すべて、リンクしているという価値観から議論をはじめないと結論をえることはできないということである。
地球環境の悪化による被害は、先進国、新興国、後進国を問わず、見えるものだけでも全世界に広がっているわけである。そして、それは、自然体系にも、人類が生存するために必要な食料や資源にも大きな影響を与えている。ここでまた、13億という人口をかかえる中国や11億という人口をかかえるインドが、先進国と同じような発展を今までの慣習に則ってやるとするならば、それは、地球環境に対して、多大な悪影響を与えることは目にみえている。そして、それは、中国やインドだけの問題ではないのである。それは、全世界にリンクしていくのである。また、先進国でもアメリカなどは、地球環境問題に対しては消極的であるようであるが、このことについては、自国の覇権だけを考えて行動してはいけないように思う。今、世界のリーダーたちが唱えるべきものは、将にここで言うところの「君子の道」である。君子の道とは、つまり、「中庸」の実践である。先進国は、地球環境の悪化を助長してきた自らを省みて、CO2の削減を実行し、環境に悪影響を与えない技術の開発とその普及を推進し、新興国は、これまでの先進国の発展の過程を省みて、地球環境に悪影響を与えない発展の仕方を考察し、そういう技術やノウハウを自国で開発したり、先進国から導入して推進し、後進国は、自国の持てる潜在力を再度見直して、先進国や新興国から、主体性を持って、それに応ずることのできる技術援助や人的援助を受けて、自立できる国家作りを推進する。こういう、バランスのとれた世界観が必要であるように思える。要するに「中庸」の世界観である。自国の利益も追求しながら、他国との利益も共有できる社会システムの構築こそが、これから来るであろう人類の生存という危機の対応策として必要不可欠なものであるように思われる。

二、
子曰く、「道は人に遠からず。人の道を為して人に遠きは、以て道と為すべからず。詩に云う「柯(か)を伐(き)り柯を伐る、その則(のり)遠からず」と。柯を執(と)りて柯を伐る、睨(げい)してこれを視るも、猶お以て遠しと為す。故に君子は人を以て人を治め、改むるのみ。

孔子は言われた、「道というものは、人から遠く離れたものではない。人が道を実践して、それが人から遠く離れたものであるならば、それは道に値しない。詩経には「柯(木の名前)を切って、柯を切ろう。その手本は遠く離れたものではない」とうたわれている。柯でできた斧の柄を持って、柯を切って、それで斧の柄を作るのだから、手本はそれを横目で見比べればよいだけであるわけであるので、すぐそばにあるのであるが、それでさえ、離れているといえる。人の道はそれよりもずっと身近にあるのである。そこで君子は身近な人の道によって人を治め、責めたりはせず、改めるところが改まれば、それで良しとするのである。

微小なものから、極大なものまで、余すところ無く、「君子の道」は行渡っているのであるから、身近なところにも当然、「君子の道」は存在する。それは、我々、人間に影のように寄り添っている存在であるので、身近なことから、それを実行することが重要であり、そのことがそのまま、他にリンクして、世の中に大きな影響を及ぼすことになる。というような意味になろうか。「君子の道」というのは、そんなに高邁でも、尊大でもなく、日常生活の中ですぐ実行できる善行こそが、その根本である。とも述べているようである。先日、山手線で、私の隣に座っていた若者が、前にいたお年寄りに席を譲った。一見、その若者は、アンチャン風で、そういうことをしそうには見えないのであるが、テレながら、席を譲っていた。そして、隣に座った、お年寄りは、そのとなりに座っていた知り合いの人に「風体は悪いけど、今の若い人は、本当は、やさしい人が多いよねえ。」と話をしていた。

 
その時は、このように、弱い人に対する思いやりは、どんな人でも、本当は自然身に付いているものだと思った。また、別の日、西武線の電車の中で、ネクタイをした会社帰りの若者が、携帯電話に眼をやりながら、電車は混んでいるのであるが、二人は座れそうなスペースに一人でドンと腰をおろしていた。前に立っていたお年寄りが、席をつめてもらい座ろうとしたら、いやな顔をして、席をつめようとしない、それでもその小さなスペースにお年寄りが腰をおろすと、尚更、いやな顔をして、そのお年寄りを睨んでいた。同じくらいの年代の若者ではあるが、この違いはどこからくるのであろうか。この若者には、弱いものに対する思いやりというものは無いのであろうか。
私はたまらず「席をもう少し、つめて差し上げたら」というとその若者は、しぶしぶ、席をつめ始めた。あとは、降車する駅まで、その若者は、ただ携帯電話の画面を見ているだけであった。この若者の中には、「何で席をつめなければならないのか」ということと「席をつめたほうがいいのではないか」ということの葛藤があり、最初は「何で席をつめなければならないのか」が勝っていたのだが、第三者に人間として当たり前の行為を言われることにより、「席はつめたほうがいいかなあ」に変化していったように思われる。おそらく、人間は皆、根本に弱いものに対する思いやりは持っているのであるが、それを忘れさせるような現実の社会の中で、そういうことに気付くことなく生活をしているのであろう。だから、そういうことを気付かせるということは、快適な社会を作るためにも必要なことであるように思う。昔は、近所に、そういうことを気付かせてくれる、「人の道」「君子の道」を説いてくれる小言をいうおじさんが一人や二人いたものである。そう考えると、今将にそういう小言をいうおじさんやおばさんが必要な時代なのではなかろうか。

三.

忠恕(ちゅうじょ)は道を違(さ)ること遠からず。諸(こ)れを己れに施して願わざれば、亦た人に施すこと勿(な)かれ。君子の道は四あり。丘(きゅう)、未(いま)だ一をも能くせず。子に求むる所、以て父に事(つか)うること、未だ能くせざるなり。臣に求むる所、以て君に事うること、未だ能くせざるなり。弟に求むる所、以て兄に事うること、未だ能くせざるなり。朋友に求むる所、先ずこれを施すこと、未だ能くせざるなり。庸徳(ようとく)をこれ行ない、庸言これ謹しみ、足らざる所あれば、敢(あ)えて勉(つと)めずんばあらず、余りあれば敢えて尽くさず。言は行を顧(かえり)み、行は言を顧みる。君子胡(な)んぞ慥慥爾(ぞうぞうじ)たらざらん」と。

まごころと人に対する思いやり、つまり忠恕は、身近にある人の道を以て人を治めることであるので、「君子の道」の実践そのものと離れていない。だから、自分に起こった、自分にとって望ましくないものは、やはり他人にもそんなことをしてはならないものである。君子の道には四つあるが、この私(孔子自身)には、その一つさえうまく行えていない。一番目は、自分の子供にこうあってほしいと望むことを自分で実行して、それを以て父親に仕えるということが、まだ、よくできていない。二番目に、自分の家臣にこうあってほしいと望むことを自分で実行して、それを以て君主に仕えるということが、まだ、よくできていない。三番目に自分の弟にこうあってほしいと望むことを自分で実行して、それを以て兄に仕えるということが、まだ、よくできていない。四番目に、自分の友人にこうあってほしいと望むことを自分で率先して実行するということも、まだ、よくできていない。当たり前で恒常的な日常の徳を実行し、当たり前で恒常的な日常の言葉を慎重にして、足りない所があれば、それに行き着こうと努力し、過ぎた所があれば、抑えて自重する。ものを言うときは、言葉が実際の行動に過ぎてはいないか、事を行うときは、実際の行動が言葉に及ばないのではないかと注意して、言行一致に努める。君子は、常に緊張して、言行一致に努めないではおれないのである。」と。

忠恕、人に対するまごころと思いやり、これが一番身近にある「人の道」であり、「君子の道」であり、中庸の実践をするために必要なものであると言っているのである。前回の大塩中斎風にいうとそれは「天の道」でもあるということにもなる。そして、その「君子の道」には、四つあると言っている。そしてそれは、すべてが、自分が他からされて、望ましくないと判断することは他人にしてはならない、望ましいと判断することを基調にして、自分で実際、行動してみて、それを他に及ぼすことが大切であるということを根本においてあるのである(繰り返しになるが、これは、将に忠恕ということである)。子供にこうあってほしいと思いながら、自分で姿勢を正したり、子供を教導したりしていない。部下にこうあって欲しいと思いながら、自分は何も行動を起こさない。自分の弟にこうあってほしいと思いながら、膝を付き合わせて、話し合いをしたことがない。友達にこうあってほしいと思う割には、自分は友達に対して勝手な振る舞いだけをしている。将に、ここで言う言行不一致の人間が多いのが、実社会である。孔子もまた、そういうことを充分に行えていないと言っているのであるが、確かに、たった四つであるのであるが、当たり前の事(人の道の実践)ほど、なかなか実行できないものである。そういう意味では、当たり前の事を実践するために、自問自答し、葛藤しながら生きているのが人間の実態なのであろう。
当たり前の事がわからない、できないということでは、私には、こんな経験がある。ある有名どころの金融関係の会社でそこそこの立場にある友人がいた。久し振りに、彼から、電話があり、仕事の関係でお願いしたいことがあるので、ひとり人を紹介したいので、会える時間をつくってくれないかと言われ、調整して、日時を設定した。そして、先方も都合がいいというので、その日時で会うことになった。その当日、待ち合わせの場所に着き、その友人を待ったが、時間を過ぎても来ないので、携帯に電話をしたが、何回かけても留守電になっている。既に約束の時間から30分以上経過した頃にその友人から電話がかかってきた。前の約束に時間がかかっているので、そちらに行けないというのである。私が、それでは、改めて会うことにしようというと、紹介する人間はそちらに向かっているので、会ってくれないかという。でも、顔も見たことも無い、初めて会う人をどう探すのかというと私の携帯の番号は言ってあるので、着いたら、電話することになっているという。何故、彼も遅れているのかと聞くと、車で地方から来ていて渋滞に巻き込まれているという。何時くらいに着くのかと聞くと、直接電話をしてくれといい携帯の番号を教えてくれた。その紹介される予定の人に直接連絡をしたら、あと、1時間半くらいかかるという。もう、そのとき既に待ち合わせの時間から1時間以上が経過していた。紹介される予定の人に、今回は、やめにして、改めて会うようにしたい旨を伝え、電話を切った。そして、その友人にその旨を伝えると、何で会ってくれないのかと聞く。別に用は無かったが、別用があるのでということで電話を切った。その後、その友人には一切連絡をとっていない。何日も前から、日時については、わかっているのであるから、約束の時間に遅れるなら、前もってなぜ連絡ができないのか。初めての人を紹介するのに、同席できないのであれば、連絡を取り合って、別の日にすればいいのではないか。日時がわかっているのに何故、時間の読みが難しい車などでくるのか。などと色々あるが、その友人の一番配慮が欠けているところは、待たされている私のことを何も考えていないということである。ここでいう忠恕の欠如である。

 
 第四章        

君子はその位に素(そ)して行ない、その外を願わず。富貴に素しては富貴に行ない。貧賤に素しては貧賤に行ない。夷狄(いてき)に素しては夷狄に行ない。患難(かんなん)に素しては患難に行なう。君子は入るとして自得(じとく)せざることなし。上位に在りては下(しも)を陵(しの)がず、下位に在りては上を援(ひ)かず、己を正しくして人に求めざれば、即ち怨みなし。上(かみ)は天を怨みず、下(しも)は人を尤(とが)めず。故に君子は易に居りて以て命を俟(ま)ち、小人は険を行ないて以て幸を徼(もと)む。子曰わく、「射(しゃ)は君子に似たること有り。諸れを正鵠(せいこく)に失すれば、反(かえ)って諸れをその身に求む」と。

君子は自分の位や置かれた状況に適合した行動をとり、それからはみだすようなことは願わない。富貴にあるときには、富貴に適合した行動をし、貧賤にあるときには、貧賤に適合した行動をとる。未開の地にあるときには、その未開の地の状況に適合した行動をとり、困難にあるときには、その困難な状況に適合した行動をとる。君子はどんな状況に置かれても、それに適合した形で自分の道を守り続けていくのである。高い位にあるときには、下位の人を押さえつけたりせず、低い位にあるときには、上位の人にとりいったりせず、自分自身を常に正しくして、他人に何かを求めることをしなければ、心に怨みを持つことなどない。つまり、上位にあっては、天を怨むこともなく、下位にあっては、他人を咎めることもないのである。だから、君子は周りの状況に適合できるので、無理のない、安心できる境地に常にいて運命の成り行きを待つことができるが、小人は周りの状況に適合できないので、無理な冒険を犯して、幸福を求めるのである。孔子も言われている「弓の道は君子のありかたと似たところがある。それは、的をはずして失敗すると、自分自身で反省して、その原因を他に求めず、自分自身に求めるというところである。」と。
君子は、どんな状況にあろうともその状況に応じて中正を守るということである。中正を守るということは、つまり中庸の実践であるが、それを出来るのが君子の条件ということについては、これまでも何回となく出てきている。「易経」にも中正という言葉が出てくる。それは内卦、外卦のそれぞれの真ん中の爻が定位置にあることであり、もっとも尊ばれることであるとして、大切にされている。中正を守ることができれば、人に危害を与えることもなく、何事も他人の責任にすることはない。ここにも書いてあるが「君子はこれを己に求め、小人はこれを人に求む」である。君子は何事も自分の問題として考え、自分自身で解決しようとするが、小人は何事も他人の責任にして、自分で解決しようとはしないということである。はたから見ていて、物事を他人の責任にする人間ほど、みっともないものはない。
 
ある会社の社長が、会社の再建の為に、外部のコンサルタントを頼んだ。最初は、その派遣されたコンサルタントの能力に、感心して、様々な課題を依頼した。そのコンサルタントは、そつなくそれをこなしたが、いま一つ業績が回復しない。その原因はその社長に帰することが多いのであるが、その社長は、自分自身でそのことに気付こうとしない。やがて、その原因が、その社長にあることをそのコンサルタントが諫言すると、そうではない、業績が回復しないのは、そのコンサルタントの責任だとして、そのコンサルタントを解雇して、次のコンサルタントに依頼する。しかし、次のコンサルタントも同様のことで、その社長と折り合いが合わなくなり、解雇される。同じようなことを繰り返して、今は、5人目のコンサルタントである。その間に、業績は、更に落ち、大変な状況になっている。その社長の周りにいた仕事のできる社員は、その状況を見て、会社を辞めていく。そうすると、やめていく社員の悪口をいいはじめ、責任まで追及はじめる。そうしているうちに、業績が回復するどころか、会社が破綻するというところまで、追い詰められている。それでもその社長は自分を顧みようとせず、相変わらず、業績の悪さを他人の責任にしている。嘘のような話であるが、現実にこういうことは、よくあることである。ここにも書いてあるが、他人に求めすぎると、不満が不満を呼び、恨みが増し、逆に自分自身を追い詰めていくことになるのである。
孔子はここで自分自身で物事を解決しようとしている君子の姿が、弓の道に似ているといっているが、私は、病気特に癌に直面した患者にも似ているように思う。癌は、誰のせいでもなく、自分の生活環境や生活習慣の中で、出てきた病気であるので、自分で克服していかねばならない病気であるからである。私の知り合いに最近、末期の癌だと診断された人がいた。病院に入院する前に連絡があり、病状を聞いた私は、亡くなった私の母と同じ症状だったので、大変だなと思った。本人は、これも自分の運命としてとらえて、闘病生活に入る旨を話していた。入院してからは、病気そのものを治すということよりも、生きていることの喜びを毎日毎日感じる生活をしていたようである。それは、時々送られてくるメールから伝わってきた。私は、「日に新たに、日々新たに、又日に新たなれ」という言葉をその人に送ったが、将にそのような、入院生活をしていたようである。手術のできないところに病巣があるので、もっぱら、抗がん剤治療を行ったようである。やがて、治療も最終局面に入り、再度検査をしたところ、癌細胞が小さくなっているというのである。そして、先日、退院した旨の電話を頂いた。もちろん、今後、どういう流れになるかはわからないところはあるが、将に末期癌からの生還である。その電話の声は以前よりも若々しく、元気であった。何事も自分自身のこととして、とらえずに、他人の責任にする前述の社長に比べれば、この人は、将にここで言うところの君子ということが言えよう。そして、そういう人には、いい結果が得られるのである。

 
 第五章      

君子の道は譬(たと)えば遠きに行くに、必ず邇(ちか)きよりするが如く、譬えば高きに登るに、必ず卑(ひく)きよりするが如し。詩に曰く、「妻子好合(こうごう)すること瑟琴(しっきん)を鼓(こ)するが如し。兄弟既(すで)に翕(あ)い、和楽して且(か)つ耽(たの)しむ。爾(なんじ)が室家に宜しく、爾が妻帑(さいど)を楽しましむ。」と。子曰く、「父母は其れ順ならんか」と。

君子の道は、例えば、遠くの場所にいくにも必ず近くから始めるようなものであり、例えば高い所に上るにも必ず低い所から始めるようなもので、まずは、身近なところから始まるのである。詩経には、「妻や子達が仲良く睦み合っている様は、あたかも琴と大琴を合奏するようなものである。兄弟もすっかり睦み合って、和らぎを感じながら、楽しんでいる。爾の家庭を宜しく整え、爾の妻子を楽しませている」とうたわれている。孔子は言われた「父も母も其れを見て、楽しんでおられるだろうね」と。君子の道はそんな家族の和合、ひいては親への孝行から始まるのである。

君子の道の実践は、まず、家族の和合から始まるということを述べている。いくら身分が高くても、高邁な精神を持っていても、大金持ちでも、家族の和合がなければ、君子とはいえないと言っているのである。「大学」でいうところの「斉家」である。この「斉家」は、前に「大学」で勉強したように「治国」「平天下」に繋がっていくのである。家庭がととのい、家族が和合しなければ、国を治め、世の中を平和にすることは出来ないのである。だから、君子は家族の和合を大切にするのである。
ここに私が関係した二つの会社がある。一つは、会社の低迷と共に、そこの社長が外に女をつくり、会社の事業をほおり出して、自分の奥さんにそれを押し付けて、自分は、その女性と同棲して、たまに会社に顔を出すと事業の業績の悪さをその奥さんの責任にして、暴力を振るい、金をせびるというような人物が名目とはいえ社長をしている会社である。

 
そういう家庭には、当然、他県に就職している息子夫婦も近寄らず、もちろん、後を継ぐなどということは、考えてもいない。もう一つは、社長であった働き者の夫に先立たれ、会社を継続するために、親子、兄弟一体となって、昼夜問わず、その事業に精を出している女性が社長をしている会社である。最初の会社は、益々業績が悪くなり、昨年対比で20%以上売り上げが落ちてきており、償却前の営業利益ベースでも赤字が出ている。要するに、キャッシュが回っていない状況にある。後の会社は、前社長が少し残していた資金を流用して、部屋を改装して、顧客の好みによって、部屋を選択できる予約システムをつくり、顧客のニーズに答えて、業績を上げている。当然、キャッシュフローは、そこそこある。どちらとも、債権をサービサーなどに持っていかれている、再生、再建中の会社であるのであるがこの違いである。最初の会社は、結局は、事業の継続は断念せざるを負えず、他のちゃんとした経営が出来る同業者に売却をする選択しかできない。当然、最終的には、経営者は、保証債務の整理のために自己破産をして、更に、その会社を追い出されるということになる。後の会社は、キャッシュフローもそこそこあるので、サービサーや金融機関などの債権者と話をして、債務の整理の協力の依頼をし、応分の債務のカットをしてもらい、事業を継続させるということは可能である。この女性社長は、債務の保証人になっているので、整理のために自己破産をしなければならないが、長女は、債務の保証はしていないので、社長になることが出来る。そういうことで、従前通り、家族でこの事業を継続していくことはできるのである。極端な例ではあるが、家族が和合しているのと、離散しているのとでは、結果、このように違ってくるのである。他の様々な例を見ても、親子仲、兄弟仲が悪い会社(オーナー企業が多いが)は、多かれ、少なかれ、最初の会社のような傾向になりがちである。経営も家族を大切にするというところから、始めなければならないのではなかろうか。
 
 第六章      

一.

子曰く、「舜は其れ大孝なるかな。徳は聖人たり、尊は天子たり、富は四海の内を有(たも)ち、宗廟(そうびょう)これを饗(う)け、子孫これを保つ」と。故に大徳は必ずその位を得、必ずその禄を得、必ずその名を得、必ずその寿を得。故に天の物を生ずるは、必ずその材(さい)に因(よ)りて篤(あつ)くす。故に栽(た)つ者はこれを培(つちか)い、傾く者はこれを覆(くつが)えす。詩に曰く、「嘉楽(からく)の君子、憲憲(けんけん)たる令徳あり、民に宜しく人に宜しく、禄を天に受く。保佑(ほゆう)してこれに命じ、天よりこれを申(かさ)ぬ」と。故に大徳の者は、必ず命を受く。

孔子が言われた、「舜は無道の父にも、養母にも孝行をつくした偉大な孝行ものである。(それが認められて尭に天下を任された。)徳ということからすれば、聖人であり、身分の高さということからすれば、天子であり、富の豊かさということからすれば、天下を領有している。また、舜は霊廟の祖先の祭りを快く承って、子孫はそれをよく継承し続けていった。」と。だから、舜の例を見るように、偉大な徳を有するものは、必ずそれにふさわしい地位が得られ、必ずそれにふさわしい俸禄が得られ、必ずそれにふさわしい名声が得られ、必ずそれにふさわしい長寿が得られるものである。つまり、天が万物を生み育てるやりかたは、必ずその物の素材、素質に従って、それを発展させていくというやり方で行うのである。だから、例えば、苗についていえば、しっかり根付いているものは、更に養って育成を手助けするが、しおれて、傾いているものは引き抜いてしまうのである。詩経には「世の中を楽しくし、自分も楽しむ君子は、光輝く徳があり、それを以て、民衆に慕われ、民衆と安らぎ、天から地位や俸禄や名声や長寿などの贈り物を受けられる。そして、天はその君子を守り援助して、天子となる天命を降ろして、手厚くその恩寵を重ねていく。」とうたわれている。だから、偉大な徳を持っている人は、必ず天命を受けて天子となるのである。

舜の父は、舜の徳望が気に入らなくて、養母も一緒になって、舜が命を落とすのではないかと思われるぐらいの迫害を続けていたと伝えられている。また、弟の象も両親の手先となって、舜を色々な困難に陥れたと伝えられている。それでも舜は、親に対する孝行ということを一番大切にして、両親には逆らわなかったと伝えられている。また、弟に対しても、その大徳を以て、快く受け入れていたと伝えられている。その様子を見て、尭が、この人物しか天下を任すことのできる者はいないと思って、自分の娘を舜に娶らせ、摂政として登用するのである。そして、尭の摂政として、28年間政務をとった後、尭の没後、3年を経て、天子となるのであるが、このときも尭の子、丹朱を天子にしようとするのであるが、丹朱に人望がないので仕方なく自分が天子の位に就くということになるのである。つまり、舜のように、大孝であり、大徳の人物には、天が自然に命を下して、必然的に天子にするということである。
さて、先般、福田首相が突然の辞任をした。ある人に言わせると、計画的であるといっているが、そういうことは、どうでもいいことである。この次の勉強会の時には、時期総裁が決定しているであろうが、それにもあまり興味がわかない。いずれ、短命に終わることになるであろうからである。また、マニフェストが大切とか、政策論争が大切とか、色々な政治家や評論家が叫んでいるが、それも何の役にも立っていない現実をどう受け止めているのであろうか。そんなことは、瑣末なことであり、根幹ではない。まだ、そんなことを言っているようでは、わが国の政治は、今後も混迷を続けるばかりであろう。福田首相が辞任の弁で記者の質問に対して、言っていたように、彼が本当に物事を客観的に見ることができていれば、こんな「戦わずして、敗れる」ような醜態をさらすことにはならなかったように思える(自分はそう思っていないようであるが)。本当に客観的に見ることができるのであれば、党利党欲は別にして、解散総選挙を行うべきだったように思える。同じ政治空白をつくるのであれば、その方が余程国民の理解をえることができ、国民のためにもなり、歴史にも残ったように思える。つまり、この混乱の解決を民意であり、天意に裁定してもらうのである。そういう意味では、福田首相の言葉は「客観的に見ることができる」のではなくて、「傍観的に見ることができる」と言い換えたほうが、合っているように思える。傍観的に見ることができるから、自分では、この難局は乗り切れないと平然として他人事のように、いえるのである。首相という任にありながら、国の行く末を自分のこととして、捉えていないのである。このような人物を総理大臣として、擁立させざるを得ないという背景には、政治家間の私利私欲が渦巻いているとしかいいようがない。そういう狭い了見の中で今後、政治が行われていくとするならば、わが国の将来は、益々、見えないものになり、混乱していくに違いない。そして、この章に「根付かない苗は、引き抜かれる」と述べられているように、次から次へと頭が入れ替わっていくということになるのであろう。だから、今こそ、舜のような大徳を具えた政治家が必要になるのである。わが国の情勢を本当に客観的に見て、また、国際的な情勢を客観的に見て、問題点の抽出をして、それを解決するための政策をできる所から着手し、先後を見極めて、予算配分をし、民意を受けながら、政策を臨機応変に変化させることのできる政治家、首相が必要なのである。それを実行するに際しては、1年や2年では、到底出来ないことであるので、我々国民もその大徳を信じ、その恩恵を受けながら協力をして、長期に亘って、その人物に政治を任せるということが必要になろう。舜でも28年間、摂政として政務を司って、ようやく、安定した国家を構築できたというのであるから、押して知るべし、である。特に、これからの政治は、政党ではなく、人物主体に動かしていかなければならないもののように思う。「大徳の者は、必ず命を受く」といわれるような人物が今の政治家の中にいるかどうかはわからないが、そういう人物が選出されることを期待するものである。

二.

子曰く、「憂いなき者は、其れ唯(た)だ文王なるかな。王季(おうき)を以て父と為し、武王を以て子と為し、父これを作り、子これを述ぶ」と。武王は、大王、王季、文王の緒を?(つ)ぎ、壱(ひと)たび戎衣(じゅうい)して天下を有(たも)ち、身は天下の顕名(けんめい)を失わず。尊は天子たり、富は四海の内を有ち、宗廟これを饗(う)け、子孫これを保つ。武王は末に命を受く。周公は文、武の徳を成し、大王、王季を追王(ついおう)し、上、先公を祀(まつ)るに天子の礼を以てす。斯(こ)の礼や、諸侯、大夫及び士、庶人に達す。父は大夫たり、子は士たらば、葬(ほうむ)るに大夫を以てし、祭るに士を以てす。父は士たり、子は大夫たらば、葬るに士を以てし、祭るに大夫を以てす。期の喪は大夫に達し、三年の喪は天子に達す。父母の喪は、貴賤となく一なり。

孔子は言われた、「何の憂いもなかったのは、まあ、文王だけかな。王季を父として持ち、武王を子として持った。父親が周という国体をつくり、文王に伝えて、それを彼の子が受継いでいったのである。」と。武王は、大王、王季、文王と続いてきた志を引き継ぎ、いったん、軍装を整えて、出陣すると、忽ちのうちに主家にあたる殷(紂王)を滅ぼして、天下を掌握したが、そうしながらも、武王自身は、天下に、その名声を失うということはなかった。身分の高さは天子であり、富の豊かさは天下を領有し、霊廟の祖先のお祭りは欠かさず実行し、子孫はまた、これを受け継いで、維持し続けた。武王は晩年になってから天命を受けて天子となったので、礼制の整備をする時間がなかった。そこで、周公は父親である文王と兄である武王とが行ったと徳業を完成させ、曽祖父である大王と祖父である王季に王号を追贈し、さらにさかのぼって、始祖とされる后稷に至るまでの先祖たちを天子の礼に従って、お祭りをした。周公のこうした礼制は、諸侯、大夫、士、庶民に至るまで、すべての階層に達し広まった。父が大夫であって、子が士の場合には、父の葬儀には、大夫の礼を用いるが、その後の祭儀には士の礼を用いる。それとは逆に父が士であって、子が大夫である場合には、父の葬儀には士の礼を用いるが、その後の祭儀には大夫の礼を用いる。葬儀は、死者の身分に順じておこない、その後の祭儀は、残った者の身分に順じて行うということである。期の喪、1年の喪は、大夫以下の階層の者の間では行われるが、天子や諸侯では行わない。しかし、父母のための三年の喪は、天子に至るまで誰でもが行う。つまり、父母のための喪は、身分の高下に拘らず、等しく行われるのである。

周の始祖は文王といわれるが、実際、殷の紂王を倒し、天下を平定したのはその子武王である。また、国体の基盤を作ったのは、武王の弟、周公旦である。このように、周という国家の基盤は、親子二代に亘って形成されたのである。また、このことは、舜の片腕であった后稷に始まる先祖たちの遺徳のお陰で成就できたものであるということをこの三人がよくわかっていたからこそ、そこに天命が降ったということにもなろう。そういう中で、先祖や父母を大切にし、それを祭るという礼制が生まれてきたということがいえよう。それが、庶民に至るまで、全階層に浸透して、孔子が手本とした礼法である「周礼」というものが形成されていったように思う。

 
また、葬儀は、死者の身分によって行われ、その後の祭儀は、残った者の身分に応じて行われるということは、継続されやすく、非常にバランスのとれた制度であるようにも思う。それは、残った者が、無理をしないからである。まさしく「中庸」である。また、父母の喪については、天子から庶民に至るまで、平等に行われるというようなことからも、「孝」ということは、万人にとって、一番大切なものであるという考え方がうかがえる。
さて、現代社会を顧みてみれば、私も含めてであるが、先祖や父母に対して、そこまで、礼をつくしているであろうか。ちゃんとしておられる人もあろうが、多くがそういうことに対して、非常に希薄な対応しかしていないのではなかろうか。自分がここにこうして現存できているのは、先祖や父母の遺徳のお陰なのであるが、自分ひとりで大きくなったように錯覚している人が多くなったようにも思える。こういう慢心が、今の世の中に大きなひずみをつくっているのではなかろうか。自分がここにあるのは「先祖のお陰」「父母のお陰」「周りの人のお陰」と常日頃、思っていれば、人の身体に害を及ぼすような食糧を自分の利益のために、平気で食用として販売するであろうか。また、そのことへの反省の弁もなく、身体の健康への影響はほとんどないので、このように騒ぐ必要はないなどと、監督官庁の最高責任者が平気で言えるであろうか(結局、辞任ということになったが)。また、少し前のことにはなるが、「お陰横丁」という商業施設をつくって、賞味期限を改ざんしたお菓子を当たり前のように売っていた経営者がいたが、本当に「お陰」と思っているのであろうか、神をも畏れぬ、慢心者としかいいようがない。「慢心横丁」と読んだほうがいいかもしれない。まだ、まだ、今の世の中にはこういうことが数え切れないほどある。私自身も年老いた父を故郷に残して、こうして東京にいるのであるから、人に説教をできる立場ではないが、これからの国家の基盤造成のためには、先祖や父母に礼を尽くすという、周の周公旦が創めた礼制のように、国として、人間としての原点から、物事を始める必要があるように思える。今あるこの国のリーダーたちは、本当にこの国を良くしたいと思うならば、言論を戦わせたり、自分をよく見せたり、自分の主張をするよりは、自分の先祖や父母に対して、本当に礼を尽くしているであろうかと自問自答してみて、それができていなければ、すぐにそれから始めることが重要であるように思う。そういう基本的なことができていなければ、天がそういう人に世の中のリーダーとしての命を降すことはないからである。もし、天命なしで、世の中のリーダーたる資格のないものが、その地位にあって、施政するならば、それに従う民衆にとって、これ以上の不幸はないように思う。いいきっかけであるので、私たちも今日から、先祖や父母へ礼を尽くすことを始めようではないか。


三.

子曰わく、「武王・周公は、其れ達孝(たっこう)なるかな。夫(そ)れ孝とは、善く人の志を継ぎ、善く人の事を述ぶる者なり」と。春秋にはその祖廟(そびょう)を脩(おさ)め、その宗器(そうき)を陳(つら)ね、その裳衣(しょうい)を設け、その時食を薦(すす)む。宗廟の礼は、昭穆(しょうぼく)を序する所以(ゆえん)なり。爵(しゃく)を序するは、貴賤を弁する所以なり。事を序するは、賢を弁ずる所以なり。旅酬(りょしゅう)に下の上の為(た)めにするは、賤に逮(およ)ぼす所以なり。燕毛(えんもう)は歯(よわい)を序する所以なり。その位を践(ふ)み、その礼を行ない、その楽を奏し、その尊ぶ所を敬し、その親しむ所を愛し、死に事(つか)うること生に事うるが如くし、亡に事うること存に事うるが如くするは、孝の至りなり。郊社(こうしゃ)の礼は、上帝に事うる所以なり。宗廟の礼は、その先(せん)を祀る所以なり。郊社の礼・?嘗(ていしょう)の義に明らかなれば、国を治むること其れ諸れを掌(たなごころ)に示(み)るが如きか。

孔子は言われた、「武王や周公は、世界中の誰もが認める孝行ものだね。そもそも孝行というものは、祖先や父の志や願望を心善く受け継いで、祖先や父の事業を立派に展開していくことである。武王も周公も其れを善くわきまえ実行している。」と。春と秋には、祖先の霊廟を整備して、伝承されている祭器を並べて、祖先の衣服を広げる場所を設け、それを飾り、季節の食べ物を択んで供える。宗家の霊廟の祭礼で、昭と穆の順序(父の世代が昭なら子の世代は穆、その子世代は昭というような順序になる)をはっきりさせるのは、世代の別と宗族の構成の秩序を明確にするためにあり、参列者の爵位によって席順を決めるのは、身分の高い、低いを明確に区別するためであり、祭事の事務を分けて、整理して、それをそれぞれの人に受け持たせるのは、有能な人材をはっきり区別するためであり、祭礼のおわりの旅酬の礼で、下位の者から、順番に上位の者へと酒をすすめるのは、身分の低い者にも祭事に参加させるためであり、祭礼のあとの宴会で、毛髪の色で席順を決めるのは、年齢の序列、つまり長幼の序をはっきりさせるためである。先祖のおられた場所におり、先祖が行った礼を踏襲して行い、先祖から受け継いだ音楽を奏でて、先祖が尊ばれた人たちを尊敬し、先祖が親しんだ人たちを親愛して、今は亡き死者に仕えること、まるで生きてそこにいる人に仕えるようにすることこそが、至高の孝行である。最高の祭礼である「郊社の礼」は、万人、万物の祖としての上帝にお仕えするために行うものである。「宗廟の礼」は、先祖を祭るために行うものである。この郊社の礼と春と秋との宗廟の礼である?嘗の礼との意義が充分に理解できたなら、国を治めることなどは、自分の掌の上で、物事を進めるように、簡単なものであろう。

祭礼の中にも、様々な知恵が織り込まれていることがわかる。まず、世代に対する配慮がなされている。そして、その人の社会的地位についての配慮がなされている。また、その人に応じた役割が明確にされており、全員参加の祭事を行えるように配慮がなされている。さらに、年長の人を重んじる、所謂、長幼の序ということも配慮されている。総じていうと、非常にバランスのとれた祭礼がなされているということがいえよう。それは、そのまま、社会生活に必要な事象が、その祭礼の中にすべて包含されているということもいえよう。だから、こういう祭礼を充分に理解することができるならば「国を治むること其れ諸れを掌に示るが如きか。」と述べているのである。
また、孝行の極地については「その位を践み、その礼を行い、その楽を奏し、その尊ぶところを敬し、その親しむところを愛し、死に事うること生に事うるが如くし、亡に事うること存に事うるが如くする」と文中に述べているように、先祖代々の土地に住み、先祖代々のしきたりを守り、先祖から伝わる技能や技術を踏襲し、先祖が敬ってきたものを大切にし、先祖が親しんできたものを大切にする。そして、自分に命を授けてくれた先祖に感謝して、先祖に対して生きている人間と同様に対応していくことであると言っているのである。現在ではなかなか出来ないことではあるが、それが人間の本来の生き方なのかもしれない。
ボーダレスという世界経済の中で、グローバル企業の代表とも言える証券会社(リーマンブラザーズ)がつい今週初頭(2008年9月16日)連邦破産法第11条(チャプターイレブン)、日本で言う民事再生法を申し立てた。それに続いて、同じ、アメリカ第3位の証券会社(メリルリンチ)がアメリカ第2位の銀行、バンカメ(バンクオブアメリカ)に吸収された。また、世界最大手の保険会社グループ、AIGにアメリカ政府から9兆円という援助がなされ、事実上、アメリカ政府の支配下に入った。この1,2週間のあっという間のできごとである。もちろん、これで終わりではない。グローバルとかボーダレスという社会は、聞こえはいいが、このようにあっという間に崩壊し、国を越えて、多大な人や企業に迷惑をかける傾向を強く持っている。更にこのことは、バブル崩壊後の日本の姿に酷似している。日経新聞に書いてあったが、まるで「デジャブ」である。こういうことを何回も繰り返すことを見て感じるのは、地に足が着かずに市場経済というフローの中で、ただ、流されている人間の姿である。それは、儲かるものには、どんなものにも飛びつき、
儲からないものは、いいものでも見向きもしないという、自己中心的な人間を増殖させる。そして、そういうことが主流な社会は、決して人間を人間らしい方向へ導くことはない。だから、紛争やテロなどで、世の中が荒れてくる。これから、本当に世の中をよくしようとするならば、脱グローバル、脱ボーダレスということを真剣に考えねばならないのではなかろうか。つまり、ベクトル逆方向に向けてみて、もう一度、自分の生まれ育った国に、地域に戻って、原点に立って、すべてのものを見直してみるということである。そうすれば、新たな世界観が見えてくるように思われる。ここで述べているように、先祖のいる土地に立ち、先祖から伝わる色々なものを学び、先祖に感謝する生活、人間らしい生活をしてみることであるように思う。わが国でも、地域の活性化、地方の活性化などという課題が出てから、久しいが、なかなか、具体的な解決策は出てこない。霞が関や永田町で考えているから、尚更である。これも前述のように、それを先導する人たちが、先祖の地に立ち返って、地に足をつけて、そこに生活するということから始めなければ、机上の空論に終わり、解決策は、いつまで経っても導き出せないように思う。
 
 第七章       

哀公(あいこう)、政を問う。子曰わく、「文・武の政は、布(し)きて方策に在り。その人存すれば、則ちその政挙(あ)がり、その人亡ければ、則ちその政息(や)む。人道は政を敏(勉・つと)め、地道は樹を敏む。夫れ政なる者は蒲盧(ほろ)なり」と。故に政を為すは人に在り。人を取るには身を以てし、身を修むるには道を以てし、道を修むるには仁を以てす。仁とは人なり、親を親しむを大と為す。義とは宜(ぎ)なり、賢を尊ぶを大と為す。親を親しむの殺(差・さい)、賢を尊ぶの等(とう)は、礼の生ずる所なり。故に君子は以て身を修めざるべからず。身を修めんと思わば、以て親に事えざるべからず。親に事えんと思わば、以て人を知らざるべからず。人を知らんと思わば、以て天を知らざるべからず。

魯の哀公が政治について問われた。孔子は言われた。「周の文王や武王の親政については文献に詳しく述べられていますが、それを読めばいいというものではなく、それを活かすことのできる人物がいてこそ、その政治は立派におこなわれるのであって、それを活かすことのできる人物がいなければ、その政治もおこなわれることなく、終わってしまうということになるのです。人のおこなうべき道は、善政に勉めることであり、それは、大地が樹木を生育するのに勉めることと同じであります。そもそも政治というものは、土蜂が桑虫の子を育てるように、他人の子も我が子として育てるようなものなのであります。」と。
だから、善政をなすには、立派な人物が必要になる。立派な人物を採用するためには君主自身が立派である必要があり、そのためには、君主自身が、その身を修めるには正しい道によるべきであり、正しい道を修めるためには、仁の徳によるべきである。では、仁とは何かというと、それは人であり、人と人とが親しみ合うことである。肉親を親愛することが非常に大切なことである。そして、仁の中に流れる義とは、宜つまり適宜ということであって、物事に応じて最適なあり方を得させることである。肉親の情とは別に賢人を賢人として尊ぶことも非常に大切なことである。肉親を親愛するにも親縁か疎遠かの差別があり、賢人を尊ぶにも、才能によって区別があるが、それを節度つけるということで、礼が生ずることになるのである。従って、政務取り扱う君子は、わが身を正しく修めなければならない。わが身を正しく修めようと思えば、親によくお仕えして、親愛しなければならない。また、親によくお仕えしようと思えば、人をよく理解して、賢人を賢人として尊重しなければならない。そして、人をよく理解しようと思えば、天という存在をよく理解しなければならない。
確かに、政治でも、企業でも、これまでそこで培われた技能や理念を適宜、時代や環境に応じて、よい方向に進めていける人物があってこそ発展していくものである。政治でも、企業でも、人物ありきということは、過去でも、現在でも、その発展のために普遍の要素である。孔子の門弟は3000人いるといわれているが、それだけの人材を輩出させながらも、なかなか春秋戦国時代という戦乱の世の中を終わらせ、仁政が敷かれた、民衆の住みやすい世の中へ転換させるということはできなかった。
 
それは、そこに常に短史観的な、自分や自分の郎党だけの利益を第一に考える覇道主義が横行していたからである。そして、それは、倒すものは、倒されるという天地自然の摂理を許容することができないために、すべての人間関係において、自分や自分の郎党の保身を強くするので、国を統治するのに、最も大切な、人に対する親愛や信頼というものを失わせることになっていったのである。だから、一人の人物がいくら素晴らしくても、大勢の小人がまわりにいるという状況であるので、そちらの方向へ押し流されていく傾向が強かったのである。孔子の時代はそうだったのであるが、現在もあまり変わっていないように思える。
例えば、今の我が国の政治の世界は、このことを垣間見るように覇権主義、覇道主義に明け暮れている。国民にとっては、自民党が勝とうが、民主党が勝とうが、どちらでもいいということが大半の意見であるように思う。要するに、本当に国民の目線を以て、善政を行い、いい方向へわが国を先導することができるかどうかということに国民の意思はある。マニフェストもいい、政策論争もいい、そんなことでは、国民は満足しないのである。そんなことで、国民が満足すると思う政治家がいるとするならば、国民との間に大きなズレが生じているとしかいいようがない。最近、マスコミでも言うようになったが、私は以前からいっているように、2世、3世議員などという、伝統芸能の継承でもあるまいし、ただ、その家系に生まれたから政治家になった、政治家で食っていくという人たちでは、益々、国民との意思の乖離が生じてくるのである。また、2世や3世でなければ、経済的にも選挙に出馬することもできないというような選挙制度にも問題がある。政治家というのは、昔も今も特権階級ではないのである。政治家の使命は、自分自身の背中で範を示すことである。そうすることによって、自分自身の行動がそのまま国民の信頼に繋がるのである。政治は、選挙に勝つとか、負けるとかに焦点をおいては、ならないのである。そんな政治は信頼できない。国民の信認を受ければ勝ち、受けなければ負けるのである。それまでの行動の結果、単純に、ただそれだけ、である。これだけ機能しない国会を続けるのであれば、勝とうが、負けようが、今すぐ解散して、国民に信を問うべきである。世界経済が大変なときとか、補正予算成立が先とか言っているが、何も決定、決断できない政治家に何ができるのであろうか。今すぐ解散、総選挙する方が、今抱えている多くの問題の解決が早いように思う。ここに述べられているように、政治家は土蜂のように、他人の子も、自分の子のように思い、育てるという心がなければ、やれない仕事だと考える。今度の選挙では、そういう人を選出しようではないか。
「人を知らんと思わば、以て天を知らざるべからず」人のこと、民衆のことをよく理解したいと思えば、天地自然の理をよく理解できなければならないと最後に述べている。その前に「仁は人なり」とも述べてある。つまり、人に対する親愛の情を適宜に節度を以て実行できる人は、天地自然の理にも呼応することができ、善循環を促すこともできるので、世の中を先導することに足る人物であるということが述べられているように思う。なかなか、こういう人物はいないが、なるべく、そういう人物にこの混乱した世の中を先導していってもらいたいものだと思う。

 
 第八章       

天下の達道は五、これを行なう所以の者は三。曰わく、君臣なり、父子なり、夫婦なり、昆弟(こんてい)なり、朋友の交なり。五者は天下の達道なり。知・仁・勇の三者は、天下の達徳なり。これを行なう所以の者は、一なり。或(あるい)は生まれながらにしてこれを知り、或は学んでこれを知り、或は苦しんでこれを知る。そのこれを知るに及んでは、一なり。或は安んじてこれを行ない、或は利としてこれを行ない、或は勉強してこれを行なう。その功を成すに及んでは、一なり。子曰わく、「学を好むは知に近し。力(つと)めて行なうは仁に近し。恥を知るは勇に近し」と。斯の三者を知れば、則ち身を脩むる所以を知る。身を脩むる所以を知れば、則ち人を治むる所以を知る。人を治むる所以を知れば、則ち天下国家を治むる所以を知る。

世の中にいつでも、どこでも通用する道として五つの要件があり、それを実行、実践する手段として三つの要件がある。君主と臣下の間の道、両親と子との間の道、夫を妻との間の道、兄と弟との間の道、そして、親友との交際の道、この五つが世の中にいつでも、どこでも通用する道である。また、知と仁と勇のこの三つが世の中にどのような場合でも通用する徳であって、前の五つの道を実行、実践するための手段である。だから、この五道と三徳は一貫して行われるものである。この五道と三徳については、生まれついて、それをわきまえている人もいれば、学んでわきまえる人もあり、苦しんでようやくわきまえる人もある。しかし、これをわきまえた段階では、どういう過程でわきまえようが、一緒である。また、自然に楽にそれを実行する人もいれば、善いことであるとの認識をして行う人もおり、一所懸命努力して行なう人もある。しかし、これも実行して成果があがった段階では、どういう過程で成果をあげようが、一緒である。孔子は言われた「学問を好むのは、知の徳を育てることとなり、実践に勉めるのは、仁の徳を育てることになり、恥を知るのは、勇の徳を育てることになる」と。この知・仁・勇の三つの徳を身に付けることができるなら、自分の身を修める方法もわかるであろう。自分の身の修め方がわかれば、人を治めるという方法もわかるであろう。また、人の治め方がわかれば、天下国家を治める方法もわかるであろう。
ここで言う五つの道というのは、父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信という五倫と同じと考えてよいように思う。王陽明が「抜本塞源論」で述べているように、人間本来の心(万物一体の心)を育てるために必要な根幹として、この五倫を取り上げている。五倫を注釈すると、家庭での親子の慈しみ、親しみであり、社会での上司と部下、社長と従業員との信義や忠義であり、夫婦間の分別であり、年配者を敬うことであり、親友との強い信頼関係である。王陽明は、これさえ、実行できれば、社会生活は充分に平穏に満喫できるとしているのである。そして、この五倫という基本があって、あとは、その人に具わった技術や能力を発揮していくことで世の中は進展、進化していくものともしているのである。そして、この章では、その五倫を実践していくために必要なのは「知仁勇」という三徳であると述べているのである。
 
ここにも書いてあるように、人間の人格形成に必要な、知的、情的、意思的なものを知・仁・勇としているのである。この三徳が身についている者は君子であり、「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」というような、どんなことが起きようとも、どんな場合にも対応できる人格が形成されるということになるのである。そして、この人格の形成は、人によって違うが、それが達成されれば、どんな過程を経て達成されようが、同じであるとしているのである。ここでは、その過程について、生知安行型、学知利行型、困知勉行型として述べられている。生知安行型は、生まれながらによくこれを理解しており、安んじて行なうことができる者、つまり、聖人型、学知利行型は、学んでこれを理解して、善いこととして行うことができる者、つまり、賢人型、困知勉行型は、苦しんでようやく理解して、努力して行なうことができる者、つまり、凡人型であるとしているが、前述のように、どんな過程を経ても、こういう人格形成ができるということが一番の目的になるのである。もっと言えば、人間誰でも、こういう素晴らしい人格を身に付けることができるといっているのである。王陽明のいうところの良知(生まれながらにして持っている道義心・良心・内なる神)はすべての人が具えているということにも繋がる。
そして、この五倫、三徳を理解して、身に付けることができれば、自分自身を修めることもできるし、自分自身を修めることができれば、人を治めることができるし、人を治めることができれば、天下国家を治めることができると言っているのである。儒学の根本である「修己治人」を言っているのである。
最近、ノーベル賞を物理学と化学部門で4名の日本人の学者が受賞されたが、この方々の研究とその成果については、この「修己治人」ということを彷彿させるところがある。それは、研究については、一つのものを追い求める求道者のようであり、その成果については、世の中の科学や技術の発展、ひいては、世の中の進展、進化に多大な影響を及ぼしているからである。つまり、自分の中への集中は、外への大きな効果を表すことになるということである。一見、ベクトルは反対に向いているようであるが、実は、最終的には、素晴らしい姿となって結実するということである。現在の我々の生き方は、外面のよさだけを追求するために、なかなか、自分の中に人間として、必要なものを蓄えるということをしないようになってきている。自分の都合によって、論理の組み立てを行なって、それを正当化しようとする。それは、その場の、自分に近い対人関係には、一瞬影響を及ぼすが、世の中に大きな影響を及ぼすということはない。それどころか、自分の利益を追求するが為に、他に多大な悪い影響を及ぼすことになる。今回の世界的な経済の減退も、社会の構成人員としては一握りの金融に関連する人たちが、自分の利益のために、外に向けて、自分たちの論理の中で、商品化したものが、端緒にあったわけである。この世界経済の減退についての解決策は、もちろん、色々な手段は講じられているが、これまでのことを深く反省して、人間社会の中にある経済というものをどう変化させていくかということを根本から考え直すという、深い、哲学的な思考が必要なように思う。それでなければ、今後も同じようなことを何回となく繰り返すことになるであろう。

 
 第九章      

一.
凡(およ)そ天下を為(おさ)むるに、九経(きゅうけい)あり。曰わく、身を修むるなり、賢を尊ぶなり、親を親しむなり、大臣を敬するなり、群臣を体(たい)するなり、庶民を子(慈・いつく)しむなり、百工を来(ねぎら)うなり、遠人を柔ぐるなり、諸侯を懐(なつ)くるなり。身を修むれば、則ち道立つ。賢を尊べば、則ち惑わず。親を親しめば、則ち諸父、昆弟怨みず。大臣を敬すれば、則ち眩(まよ)わず。群臣を体すれば、則ち士の報礼重し。庶民を子しめば、則ち百姓(ひゃくせい)勧(つと)む。百工を来えば、則ち財用足る。遠人を柔ぐれば、則ち四方これに帰す。諸侯を懐くれば、則ち天下これを畏(おそ)る。

天下を総じて良く治めてゆくには九つの原則(九経)がある。それは、君主が自分自身の身を修めること、賢人を賢人として尊重すること、肉親を親愛すること、大臣を尊敬すること、群臣と一体となって事を進めること、庶民を慈しむこと、もろもろの職人、工人をねぎらうこと、遠く異国の人々をやわらげること、諸侯たちをなつけることのこの九つである。君主が身を修めれば、万人もそれに従い、行なうべき正しい道が確立される。賢人を尊重すれば、物事の道理を理解でき、間違えることがない。肉親を親愛すると、まわりのおじや兄弟たちも不満をもつことがない。大臣を尊敬すると、事を起こすにあたって、迷うことがなくなる。群臣と一体となって、物事を推進すると、よく仕事をしてくれて、いい成果を得られる。庶民を慈しむと、万民が君主のためによく働く。もろもろの職人や工人を温かくねぎらうと、財物や日用雑貨が多く作られて、世の中が満ち足りる。遠い異国の人々をやわらげると、四方の国々が帰順、帰服する。諸侯たちをなつけると、世界中がその威光になびく。九経の実行には、このような効果がある。

前章の五達道、三達徳に続けて、君主の国の良好な統治の仕方として、九経がこの章では、説かれている。前章で三達徳を理解できるものは、身を修めることができると述べているので、ここでの君主は五達道、三達徳を理解し、それを有している君主ということが、前提になる。そういう君主の治世のノウハウがこの九経であるということである。これは、当然、国政にも企業経営にも繋がることでもある。まず、賢人を賢人として、尊重しているであろうかということである。賢人というのは、いい大学をでているとか、家柄がいいとか、金銭的に裕福であるとかで決めるものではなく、前章の五達道や三達徳を身につけているとか、仁義礼智信の五常をよく実行しているとか、そういう、人間としての根本的な道理をちゃんと持っている人間のことである。特にこの根本的な人間育成の教育がなされてこなかった戦後については、なかなか、このような賢人を探し、登用することは難しい。表面、聡明で賢人であるかのように見える人物は多いが、本当に中身のある人物を探すということは難しいことである。しかし、この人選を間違えると、国家も企業も将来的に大きな痛手を負うことになる。今こそ、国家運営や企業経営について、愚人や小人を推挙尊重していはしないか、改めて問うてみる必要があるのではなかろうか。次にある肉親を信愛することについては、これまでも何回も述べている通りである。これが、国や企業を治めるための基本でもある。「大臣を敬するなり」については、世の中の要職にある人で、身を修めている人を尊敬することと表現できようか。そうすれば、物心共に救われるようになるということである。「群臣を体するなり」については、部下と大義を以て、自ら先頭に立って、一体となって行動すれば、何事についても大きな成果が得られるということになろうか。「庶民を子しむなり」については、国民や従業員に慈愛の心をもって、自分の子供を育てるように接すれば(前章で述べている土蜂が桑虫の子を守り、育てるように)、皆が国家や企業のためによく働くということである。そして「百工を来うなり」については、特別な技術や能力を持った職人や職工、研究者を温かく支援すれば、世の中や企業に幸をもたらし、世の中や企業を豊かにしてくれる多くのものを作り出してくれるということになる。また、「遠人を柔ぐるなり」については、遠く異国から来た人たちに、住みやすい環境や仕事を与え、心地よい生活が出来るようにすれば、それが、それぞれの国に伝播し、規範となる国や企業として尊重され、その国や企業のやり方が浸透するということであろうか。そうすれば、自然、その国や企業に倣い従うところが多くなるということである。最後に「諸侯を懐くるなり」については、諸国の首脳たちや諸国の企業のトップたちをその国の首脳や企業のトップが徳を以て接し、共同歩調をとらせることができるならば、世界の国々や世界の企業が一つの目的を持って一丸となって行動できるようになるということになろうか。こうしてみると、現在、世の中で問題視されている多くのことの解決策が、この九経に述べられているように思う。その起点はこれまでも何回となく述べてきているが、身を修める「修身」ということである。「大学」で学んだように、「修身」こそが世界協調、世界平和に繋がっていくことになる。

 
二.
斉明盛服(さいめいせいふく)して、礼に非(あら)ざれば動かざるは、身を修むる所以なり。讒(ざん)を去り色を遠ざけ、貨を賤(いや)しみて徳を貴ぶは、賢を勧(すす)むる所以なり。その位を尊(たっと)くしその禄を重くし、その好悪を同じくするは、親を勧むる所以なり。官盛んにして任使(にんし)せしむるは、大臣を勧むる所以なり。忠信にして禄を重くするは、士を勧むる所以なり。時に使いて薄く斂(おさ)むるは、百姓を勧むる所以なり。日に省み月に試みて、既稟(きりん)事に称(かな)うは、百工を勧むる所以なり。往(ゆ)くを送り来たるを迎え、善を嘉(よみ)して不能を矜(あわれ)むは、遠人を柔ぐる所以なり。絶世を継ぎ廃国を挙げ、乱れたるを治め危うきを持(じ)し、朝聘(ちょうへい)は時を以てせしめ、往くを厚くして来たるを薄くするは、諸侯を懐くる所以なり。凡そ天下国家を為むるに、九経あり。これを行なう所以の者は一なり。

九経を全うするにはどうすればよいか、述べてみよう。事にあたって身を清め、ちゃんとした立派な礼服を身につけて、何事も礼にかなうように行動する。それが、わが身を修めることになる。讒言を退けて、女色を遠ざけて、貨財に固執せず、人の徳を尊重してゆく。それが賢人を励ますことになる。位を高くして、俸禄を多くして、好悪を共有できれば、それが、肉親を励ますことになる。官職がそれぞれの職場を盛んにして、どんな職場にも大臣が自由に官職を任命し、働かせることが出来るようにすれば、それが大臣を励ますことになる。真心と信頼感を以て接し、それに応えられる士人に俸禄を重くしていくと、それが士人たちを励ますことになる。公務の使役は、農閑期などの時間の余裕のある時とし、国の運用経費を削減する努力をし、納税を少なくする、それが万民を励ますことになる。日ごと月ごとに細かく工作の行程を点検し、仕事ぶりに応じた報酬を与えるようにすれば、それがもろもろの職人や工人たちを励ますことになる。故国に帰っていくときには丁重に送り、自国に戻ってきたときは丁重に迎え入れる。立派な行いをした者は褒め称え、能力の足りない者には、思いやってやさしく接する。それが、遠い異国の人の心をやわらげることになる。世継の途絶えた国には、跡継ぎを立ててやり、滅びた国は、再生し、自立できるようにしてやり、乱れた国は治まるようにしてやり、傾いた国は再建し、立ち行くようにしてやる。諸侯が自分で出向く朝の礼と、重臣を派遣する聘の礼とを混乱のないように、一定の時期を決めて行なわせ、こちらからの贈り物や宴会などの施しは手厚くし、むこうからの貢物などは軽くさせるというようにすると、それが、諸侯たちを懐かせ、従わせることとなる。天下を総じて良く治めてゆくには、このように九経、九つの原則というものがある。しかし、これを行なうための根本はといえば、ただひとつである。

この章には、九経を実行するための具体的な対策が述べられている。そして、最後にこれを実行するための根本は「ただひとつ」であると述べているのである。「ただひとつ」とは何か、他説も色々あるが、朱子はそれを「誠」としている。「誠」については、この「中庸」の後半で色々と述べられているので、その時にまた、解説はしようと思う。それはそれとして、最近この「誠」ということの重要さを日増しに感じるようになった。「誠」とは物事に対する誠実さである。これが、発揮されなければ、いい人間関係は、維持できなくなり、お互いのコミュニケーション不足が生じ、お互いを批判しあうようになり、最後には争わざる得なくなるからである。特に、仕事においては、誠実に結論をみるまで、その仕事をやり続けることが重要であると思う。たとえその仕事が成功しようが、失敗しようが、この「誠」、物事に対する誠実さが介在すれば、人間関係も維持され、次のステップを踏むこともできる。いつも申し上げているが「至誠は神の如し」、つまり、この世の中の運行を円滑にする潤滑油は「誠」であるといっても過言ではあるまい。だから、この「誠」、物事に対する誠実さが発揮されている仕事や事業は、天の運行にも順じているので、最終的には、成功するということになるのではなかろうか。そういう意味では、欲得だけが先行し、横行する、この「誠」とは、かけはなれた金融の世界観が瓦解するのは当然のことといえるのかもしれない。
「皇極経世書」によると、この10年間の世の中の指針である「火水未済」の後半にはいり、その兆候が12月7日から現れてくるということを先日お会いした川嶋氏が話をしていた。12月6日までにこれまでのことを整理して、次に訪れる変革と20ヶ月の戦いに備える必要があるようである。
 
 第十章      

一.
凡そ事は予(あらかじ)めすれば則ち立ち、予めせざれば則ち廃す。言前に定まれば則ち?(つまず)かず、事前に定まれば則ち困(くるし)まず、行い前に定まれば則ち疚(病・や)まず、道前に定まれば則ち窮せず。

すべての物事は、事前によく考え、充分に準備をしてから始めると成功するが、事前によく考えもせず、準備も不十分で始めると失敗するものである。意見をいうにも、前もって、その意図がしっかり固まっているならば、途中でつまずくことはない。事業を起こすにも前もって、事業の内容が確定しているならば、途中で苦しむようなことはない。行動を起こすときも、前もって計画が定まっているならば、途中でくよくよ迷うことはない。人としての道も事前に理解し、自分の中に定まっていれば、人生にいきずまるようなことはない。

「予めする」ということの大切さを説いているのである。何事も「急いては事を仕損じる」ということである。もちろん、世の中には、急ぎ仕上げないとならない用件も多々あるものである。しかし、だからといって、何も考えず、何の準備もせずに行なうと、そこの急場は乗り越えることができるが、すぐまた、次に急ぎやらないといけないことがでてくるものである。そして、そういう繰り返しをやっていくうちに自ら疲弊して、取り返しがつかない状態に陥るということになる。つまり、何事でも始めるには、充分に考え、充分に準備することから、始めなければならないということである。そして、急なものに、いつでも対応できるようになるためには、事前に数多くの体験を積むということと、その体験を本に、いつでも、常に何事にも対応できる準備をしておくということが必要であるということでもある。
今回の世界的な金融危機についても、数年前から、結局は誰かがババを引くであろうということは言われていた。しかし、それが自分だとは誰も思っていなかったのであろう。特に、新興のデベロッパーやファンドについては、一見、好調にみえる経済を背景として、資金繰りを円滑にするために、次から次へと需要を度外視した新しいプロジェクトを立ち上げていき、金融機関からの有利子負債を増やし、その結果、債務過多に陥り、融資を打ち切られ、プロジェクトが立ち行かなくなり、黒字倒産という状況が続いているのが現状である。誰かがババを引くというのはわかっているのであるから、どこかで一息ついて、充分に考え、充分に次の準備をすることを行なっていれば、こういうことには、なっていなかったように思える。もちろん、このことは、そのまま、金融機関自体にも大きな打撃を与えることにもなっている。因果応報である。ひとまず、不良債権の処理が終わったと思ったら、また、多くの不良債権の山が出来たということにもなる。そういう社会背景は、更なる消費の低減にも繋がっている。充分な準備もせず、急いで作り上げた、砂上の楼閣が崩れるのは、自明の理なのであるが、いつまで、人間はこのようなことを繰り返すのであろうか。佐藤一斎は「性急過ぎるは失敗する、忍耐強いは成功する」と述べているが、これからは、何事についても、益々、忍耐強さが必要な時代になる。
 
二.
下位に在りて上に獲(え)ざれば、民は得て治むべからず。上に獲らるるに道あり、朋友に信ぜられざれば、上に獲られず。朋友に信ぜらるるに道あり、親に順ならざれば、朋友に信ぜられず。親に順なるに道あり、諸(こ)れを反りみて誠ならざれば、親に順ならず。身を誠にするに道あり、善に明らかならざれば、身に誠ならず。}

官吏の世界でいうと、下級の位にいて上級者の信任が得られないようであれば、とても人民を治めることはできない。だから、人民を治めるためには、事前の準備として、上級者の信任を得る必要があり、そのための方法がある。それは親友から信用されるということであり、親友から信用されないようでは、とても上級者の信任は得ることができない。親友から信用されるには、事前の準備として、そのための方法がある。それは、親に満足されるということであり、親に満足されないようでは、とても親友から信用されない。親に満足されるためには、事前の準備として、そのための方法がある。それは、わが身を省みて誠実であるということである。わが身を省みて誠実でないところがあるようなら、とても親に満足されない。また、わが身を誠実にするためには、事前の準備として、そのための方法がある。それは、善悪を明白にして、正しい善を認識することである。正しい善をはっきりと認識することができなければ、わが身を誠実にすることはできない。

人民を治めるためにはわが身を誠実にしなければならないということである。先日、たまたま、週刊現代を見ていたら、中田横浜市長の暴露記事が掲載されていた。実際、そういうことがあったのかどうかということはわからないが、「火のないところに煙は立たない」ものであるから、何かはあったのであろうと思う。公用車は、私的に流用し放題、飲酒運転は、し放題、横浜市の公的施設(横浜アリーナや横浜スタジアム)の私的利用し放題、それをまた付き合っていた女性から暴露されているというのであるから、どうしようもない。この記事からみると、「公私混同」「職権濫用」「違法行為」と、人民を治めるための誠実さはひとかけらもない人物ということになる。これが真実であり、そういう人物が首長であるというのであれば、その自治体は、進化も進展もないということになる。今、側近にいる、私の友人である信時氏も憂慮しているのではないかと思う。
第十章の最後に来て、「誠」という言葉が出てきた。今回は、この章で一端「中庸」は、終わることにするが、来年の後半は、この続きを勉強することにしたい。第十一章からは、この「誠」ということについて、色々と述べてある。今年の年頭の私の言葉は「至誠」であった。世の中が欺瞞に満ちれば満ちるほど、「誠実さ」「至誠」ということは、重要になると考えたからそうしたのであるが、来年は、もっと大変な世の中になりそうであるので、引き続きこの言葉は大切にしていきたいと考える。もっと言えば、この「誠実さ」「至誠の念」さえあれば、どんなことも乗り越えられるような気がする。平成20年はあと数日で終わるが、来る平成21年は、大きな変革の年である。「変ずれば、通ず」我々自身も変わらなければならない。

 
 第十一章(平成21年7月〜11月)      

一.
誠なる者は、天の道なり。これを誠にする者は、人の道なり。誠なる者は勉めずして中(あ)たり、思わずして得、従容(しょうよう)として道に中たる。聖人なり。これを誠にする者は、善を択(えら)びて固くこれを執(と)る者なり。

誠とは天の働きであり、窮極の道である。この誠を現実の地上の世界に実現しようと努めるのが、人のなすべき道である。誠が身に付いた人は、努力をすることなく自ずから物事に的中し、思慮をめぐらすことなく、自ずから物事を達成させ、自由にのびのびとしていて、それでぴたりと道にかなっている。これこそ聖人といえる。誠を実現しようと努力する人は、本当の善を択んで、そのうえで、それをしっかりと守ってゆく人である。

人間にとって一番大切な要素は「誠」であると述べているのである。そして、この「誠」こそが、中庸を実現させるための大きな要素でもあるのである。「至誠は神の如し」何回もこの順受之会で、この言葉は出てくるが、この「誠」の極まりは、神に通ずる、いや、神そのものでもあるのである。だから、誠なる者は、聖人なのである。そして、我々凡人は、人の道である「誠」を様々な物事に応じて、常に誠実に対応していくことを積み重ねていくことで、聖人の境地に到達することができる、つまり、凡人であっても、中庸を自分の身に付けることができると述べているのである。
人間関係の中で一番大切なことは誠実さである。最近、自分の利害関係だけを考えて、この誠実さというものを忘れている人が多くなったように思う。例えば、こんなことである。事業を継続させなければ、その物件の価値が失われる状態にあるのに、事業を継続することに主眼を置かず、その物件を売却したら、自分がいくら儲かるということしか考えない経営者がいたとしよう。事業の業績がだんだん落ちてくるので、売却の価格も当然下がっていくのであるが、自分の利益を考えると下げるわけにいかないので、売却先に、実数は覆い隠して、売却額だけを提示し、表面、業績は悪くないように見せかける。しかし、買う側も、ちゃんとデューデリジェンス(資産、財務の調査)を行うので、物件の価値は想定できる。そうすると、その経営者の目論んでいる価格とは大きな差が出て、結果、契約不成立となる。そういうことを何回も繰り返しているうちに、業績はみるみる下降し、事業を継続することも難しくなる。そして、結局、破綻することになる。この経営者が、最初から、誠実に事業の継続に取り組んでいたとすれば、おそらく、事業そのものの継続は出来たかもしれない。あるいは、その真摯な努力に魅せられて、いい値段をつける買い手が出てきたかもしれない。ここで考えられるのは、個人の欲(私利私欲)を優先させると「誠」、物事に対する誠実さは、失われてしまうということである。誠実さが失われてしまうと、周りの援助する者もいなくなり、結局は破滅に追いやられてしまうということである。王陽明は、「去人欲、存天理」(人欲{私利私欲}を去り、天理を存する)を実践することが、「誠」を実践することに繋がるといっているが、将にその通りであると思う。 
今の政界を見ても、国民不在で、政治家としての自分の身の安全を守るために、つまり、私利私欲のために解散の時期を逸しているような状況をみれば(無駄な抵抗をしても変わるときは変わるのであるから)、如何に政治家に誠実な人が少ないかがよくみてとれるようである。大人から子供まで、そのような誠実さのひとかけらもない政界をみているのであるから、社会に悪い意味での影響を与えているに違いない。だから、誠実さという人間にとって最も大切なものを身に付けていない人が多くなってきているのではあるまいか。最近の金融の破綻もそういう人が多くなった結果、当然、起こるべくして起きたものであるということもいえよう。世の中を変革するのに今一番必要なことは、この「誠」物事に対する誠実さの実行ではあるまいか。

二.
博(ひろ)くこれを学び、審(つまび)らかにこれを問い、慎しみてこれを思い、明らかにこれを弁じ、篤(あつ)くこれを行う。学ばざることあれば、これを学びて能(よく)くせざれば措(お)かざるなり。問わざることあれば、これを問いて知らざれば措かざるなり。思わざることあれば、これを思いて得ざれば措かざるなり。弁ぜざることあれば、これを弁じて明らかならざれば措かざるなり。行わざることあれば、これを行いて篤からざれば措かざるなり。人一たびしてこれを能くすれば、己れはこれを百たびす。人十たびしてこれを能くすれば、己れはこれを千たびす。果たして此の道を能くすれば、愚(ぐ)なりと雖(いえど)も必ず明らかに、柔なりと雖も必ず強からん。
何事に対しても広く学んで知識をひろめ、詳しく綿密に質問して、慎重にわが身について考えて、明確な分析と判断をして、丁寧で行き届いた実行をする。それこそが「誠」を実現しようと努力する人のすることである。まだ、学んでいないことがあれば、それを学んで充分と思えるまで、決してそれをやめない。
 
まだ、質問していないことがあれば、それを問いただして、充分に理解できるまで、決してそれをやめない。まだ、よく考えていないことがあれば、それを思索して、充分に納得できるまで、決してそれをやめない。まだ、よく分析していないことがあれば、それを分析して、明確に理解できるまで、決してそれをやめない。まだ、よく実行できてないことがあれば、それを実行して、充分に行き届くまで、決してそれをやめない。他の人が一の力でそれをできるとしたら、自分はそれに百倍の力をそそぎ、他の人がそれを十の力でできるとしたら、自分はそれに千の力をそそぐ。そして、こういうことが実行できれば、たとえ愚かな人でも賢明になることができ、たとえ軟弱な人でも必ずしっかりした強者になることができるであろう。

「博学」「審問」「慎思」「明弁」「篤行」この五つを実行することで、誠実さは自然身についてくるということである。自分の誠実さについて、採点をしてみるのもいいかもしれない。自分自身で5段階評価で採点をしてみて、自分の近くにいる、自分を客観的に評価してくれそうな友人や知人や親戚に採点をしてもらうというような形でやってみれば、自分の誠実度がわかるように思う。@何事も広く学んで知識を広めているかどうか。A何事もわからないところを詳しく綿密に質問しているかどうか。B自分の身の置き方、振る舞いについて、慎重に考えているかどうか。C何事も明確に分析して判断しているかどうか。D何事にも丁寧で配慮ある行動をしているかどうか。ということが、評価項目になるように思う。少しここで採点をしてみていただければと思う。・・・・・・・・・・・・・・・。結果を見て、改善しなければならないところがあれば、改善していくことにより、誠実さがより身に付くことになるであろうと考える。そして、その根本にある行動は、ここに書かれているように、@まだ学んでいないことがあれば、それを学んで充分になるまで決してやめない。Aまだ質問していないことがあれば、それを問い正してよく理解できるまで決してやめない。Bまだよく考えていないことがあれば、それを思索して納得するまで決してやめない。Cまだ分析していないことがあれば、それを分析して明確になるまで決してやめない。Dまだ実行していないことがあれば、それを実行して充分に行き届くまで決してやめない。ということである。つまり、「決してやめない」ネバーギブアップの精神が必要であるということである。
そして、このことは、事業を継続させる意味でも非常に重要なことである。事業に浮沈はつきものである。業績のいいときもあり、悪いときもある。悪くなって、大変だからといってやめてしまえば、それで、終わりである。事業を継続させたいと考えたとき、事業を続けるためにはどうすればよいか。前述の5項目に倣って言えば、@事業に対する自分の知識が足らないのか、A自分の事業に対する信念や理解力が足りないのか、B自分自身に何か問題があるのか、C明確な判断ができるまでの物事の分析や理解ができているか、D物事に対する丁寧さや配慮が欠けているのではないかということを自分自身で省察してみるということが重要になる。そこに必ず、事業を継続できない阻害要因があるように思う。そして、それを改善することで、事業継続への解決策が出てくるように思う。そして、それを決してあきらめずに実行するのである。もちろん、事業を継続できなくなる要因としては、資金的な問題が大きく係ってくる。しかし、資金的な部分が枯渇してきているということは、それまでの事業に対する取り組みがどこかで間違えていたということである。つまり根本的な要因は、資金ではなく、事業に対する取り組み姿勢である。そこを解決しなければ、事業を継続することは出来ないのである。しかし、確かに、借金や仕入れ債務などに対する追求は、事業が低迷すればするほど日増しに強くなる。金融のシステムは、性悪説に準じているので、どこまでも追い詰める。そうするとそのことだけに捉われて、追い詰められた経営者は行き場所をなくして、自殺をしたり、失踪をしたりすることが多いのも事実である。そこで大切なのは、自分の事業に対する誠実さを示すことである。そして、それを債権者に伝えて、債権の支払いや切捨てについて、債権者に協力を得ることである。つまり、事業に行き詰まったことを世の中や他人のせいにせず、自分のこととして捉え、再建に向けて、素直に誠実に行動することである。それができれば、おそらく、その事業継続に60%くらいの可能性が出てくる。そして、その確率を上げるためには、人の十倍、二十倍努力することである。このように「誠」、人としての誠実さがあれば、事業の継続も再生もできるように思う。「誠」は、すべてを復元させ、活性化させる源でもある。そして、バランスある平穏な世の中(中庸ある世の中)を形成する基盤でもある。
そして、この章の最後に述べてあるように、「人一たびしてこれを能くすれば、己れはこれを百たびす。人十たびしてこれを能くすれば、己れはこれを千たびす。果たして此の道を能くすれば、愚なりと雖も明らかに、柔なりと雖も必ず強からん。」「誠」を身につけることに努力を続ければ、どんな人であろうと賢者になれるし、強者になれるということでもある。

 
 第十二章      

誠なる自(よ)り明らかなる、これを性と謂(い)う。明らかなる自り誠なるこれを教えと謂う。誠なれば則ち明らかなり、明らかなれば則ち誠なり。唯だ天下の至誠のみ、能くその性を尽くすと為す。能くその性を尽くせば、則ち能く人の性を尽くす。能く人の性を尽くせば、則ち能く物の性を尽くす。能く物の性を尽くせば、則ち以て天地の化育を賛(たす)くべし。以て天下の化育を賛くべくんば、則ち以て天地と参なるべし。その次は曲を致す。曲に能く誠あり。誠なれば則(すなわ)ち形(あら)われ、形わるれば則ち著るしく、著しければ則ち明らかに、明らかなれば則ち動かし、動かせば則ち変じ、変ずれば則ち化す。唯(た)だ天下の至誠のみ、能く化すると為す。

天の道である誠が身に完全に備わっていて、そこから、現実の立場で本当の善を明確に見抜いていくのを、本性のままであるという。反対に現実的な立場で本当の善を明確に認識して、それを積み上げていって、そこから完全な誠に行き着くのを、道を修める教えであるという。前者は、生知安行型(生まれながらにして、安んじて物事を天理に沿って自然に行える)の人、つまり、聖人であり、後者は、学知利行型(学んですぐ天理を理解できて、行動できる)の人や困知勉行型(努力を積み重ねてようやく天理を理解して、努力して行動する)の人、つまり、賢人や凡人のことであるが、誠であれば自ずから善の認識が得られるように、本当の善を明確に認識していけば、また、誠も完全に身に備わるものであるので、行き着くところは皆一緒である。ただ、この世の中で最も完全な誠を備えた人(聖人)だけが、その天から与えられた本性を充分に発揮することができるものである。自分の本性を充分に発揮することができると、他人にもそれを推し及ぼして、その本性を充分に発揮させることができ、他人の本性をも充分に発揮させることができる。また、物についても、それぞれに、その本性を充分に働かせることができる。そして、物の本性までも充分に働かせることができるならば、それは天地自然の造化育成を助けることになり、天地自然の造化育成を助けられるということになれば、この人(聖人)こそ、天地と三つ並んで対等に立つことになるのである。さて、その次の人物(賢人や凡人)では、聖人のように本性をそのまま自然に発揮することができないので、現実の細々とした物事に個別に対応して、それぞれに皆、誠が備わるように努める。そして、誠が本当に備わると、それは外に形になってあらわれ、具体的に形になってあらわれるとはっきりし、はっきりすると輝き亘り、輝き亘ると他の物を感動させ、感動させるとその旧態を改めさせ、改めさせると、それらをすっかり変化させてしまう。ただ、完全な誠が身についた人だけが、聖人や賢人、凡人の区別なく、そのように大きな変化を及ぼすことができるものである。
 
最も完全な「誠」を備えた聖人だけが、天から与えられた本性を充分に発揮することができるし、他人にも影響を及ぼして、本性を発揮させることができる。更に物の本性までにも影響を及ぼすことができると述べており、賢人や凡人も勉学、努力することにより、聖人の域に達することができるので、同じように影響を及ぼすことができると述べているのである。つまり、完全な「誠」が身に付いた人は、聖人、賢人、凡人に拘らず、大きな変化を及ぼすことができると述べているのである。
私は、本年の言葉として「窮すれば変ず。変ずれば通ず。」ということを年頭に書いたのであるが、将に今はそういう状況にあるように思える。そして、今、この「変ずる」ためには、「誠」が身に付いた人が世の中を先導していかなくてはならない時がまさしく来ているのであろうと感じる。近年も様々な変化があったのであるが、どうも、「誠」が身に付いた人というよりも「欲」が身に付いた人が変化の先導をしていたように思える。自分や自社、自国が世の中を先導することにより、他に対して優位性をもたせて、私利私欲を満足させる。そして、大いなる報酬や権益を得るということが、当然のこととして行われてきたのである。また、金融の世界では、収益を上げ、投資家を満足させる商品なら何でもいいという風潮が蔓延し、サブプライムローンのような金融商品を当たり前のように流通させ、更に投資家保全のために、投資した企業が債務不履行になった場合でも、その保証を受けられるというCDS(クレジット デフォルト スワップ)なる保険が出現し、当たり前のように販売されたのである。アメリカの著名な投資家であるジョージ・ソロスは、CDSについて「他人に保険をかけ、その人物の命を奪う権利を持つようなものである。」と、述べているが、将にその通りであると考える。人としての誠実さや道義など全く通じないことが、当たり前のように行われていたのである。その結果が、この金融不況であり、世界的経済不況を引き起こしたのである。また、ここまでなるまでに、様々な変化、変革しなければならない兆しはあったのであるが、それ以上に「欲」ある者が、また、新たな手法を編み出し、変化といいながら、世の中を先導していった結果でもある。そういう時代だからこそ、益々、「誠」を身に付けた人が世の中の指導者になる必要があるのである。
さて、ここに来て、与党である自民党内では様々な混乱はあったが(私に言わせれば、反執行部、反麻生的な行動をとった人たちは、自分たちがあたかも正義であるかのように振舞っているが、私利私欲のための何の覚悟もない、もっともみっともない行動をしたと考える。)、衆議院もようやく首相の決断により、7月21日解散、8月30日選挙ということになった。今回の選挙は、政局や政争に惑わされずに、まず、立候補者の人格をじっくり観察し、その人物の誠実さという観点から、清き一票を投じるということを旨にすべきあると考える。この本当に変化、変革しなければならないときに、人選をあやまれば、いつまで経っても、この混乱から抜け出すことができなくなる。それは、私たちの子孫にも禍根を残すことになる。今回こそは、「誠」を身に付けた人に日本の運営を任そうではないか。

 
 第十三章      

至誠(しせい)の道は以(もっ)て前知すべし。国家将に興らんとすれば、必ず禎祥(ていしょう)あり。国家将に亡びんとすれば、必ず妖?(ようげつ)あり。蓍亀(しき)に見(あらわ)れ、四体に動く。禍福将に至らんとすれば、善も必ず先にこれを知り、不善も必ず先にこれを知る。故(ゆえ)に至誠は神の如し。子曰く、「鬼神の徳たる、其れ盛んなるかな。これを視れども見えず、これを聴けども聞こえず、物を体(たい)して遺(のこ)すべからず。天下の人をして、斉明盛服(さいめいせいふく)して、以て祭祀を承(う)けしむ。洋洋乎(ようようこ)として、その上に在るが如く、その左右に在るが如し」と。詩に曰く、「神の格(きた)るは、度(はか)るべからず、矧(いわ)んや射(厭・いと)うべけんや」と。夫れ微(び)の顕(けん)なる、誠の?(おお)うべからざるは、此(か)くの如きかな。

最も完全に誠を備えた人(聖人)の立場からみると、物事の動向をまえもって知ることができる。国家が興隆しようとしているときは、きっと、めでたい前兆があり、国家が滅亡しようとしているときは、必ず不吉なきざしがあり、それは、卜筮(ぼくぜい)の際にあらわれたり、その時代の重要な人物の挙動にもあらわれたりする。そういうことで、禍いや幸福がやってくる前に、幸福のもとになる善いことも、禍いのもとになる悪いことも、必ず前もって見抜くのである。だから、完全に誠を備えた境地にたてば、そのはたらきは、まるで神のようである。孔子は言われた、「神霊の徳のはたらきというものは、いかにも盛んである。形を視ようとしても見えないし、声を聴こうとしても聞こえないが、それでいて、万物とすべてもれなく一体となってはたらいている。天下の人々に、ものいみ潔斎させ、礼服をつけさせ祭祀を受け継がせ、その祭場のあたりに満遍なく満ち溢れて、人々の頭上にあるかのようであり、また、人々の左右にあるかのようである」と。詩経には「神霊が降臨することは、予測できない。ましてや、それを嫌がってなおざりにするということができようか」とうたわれている。微細なことほどかえって表に顕れる。誠があれば、何事も隠すことはできないというのは、この神霊のはたらきのようなものである。

「誠」を完全に身に付けている人は、物事の動向を前もって予知できる能力を持っているということである。私利私欲が働かないために、世の中を自分の損得を考えずに客観視でき、判断ができるので、様々な世の中の兆しや動向の中で善いことも悪いことも見抜くことができるということである。だから、「至誠は神の如し」なのである。
 
今、日本には様々な新興宗教ができているが、どうも、その創宗の原点から大きく離れて、組織を維持するために金儲けを主体とする団体が多くなってきているように思える。それぞれの創始者は、おそらく民衆を救うために自分の力を利用してもらおうと(もちろん、金儲けだけを主体として、作られた団体も少なくはないが)、それこそ私利私欲を度外視して、「誠」の心で始めたという宗教団体も多いのであろうが、その組織の継続のために、資金が必要になり、金儲けを拡大させていったということがそういう状況を生んできたのではなかろうかと思う。そうなると創宗の意図からはかけ離れて、私利私欲を主体に考えるようになるので、益々、ただの何の民衆の救済もできず、何の神秘性ももてない団体になっていくことになり、別の意味で圧力団体化していっているように思える。更に「至誠」の念をもった創始者がいなくなると益々、宗教団体としての意味が薄れてくるように思う。彼らは天意をどのようにして、宗門の人たちに伝えているのであろうか、単行本にしてとか、雑誌にしてとか色々手段は尽くせるであろうが、それさえ、金儲けのひとつと思えてならない。
現代は、この混沌とした世の中で、益々、自分の頭上にある神仏に助けを求めたくなる人たちが多くなっているように思える。私は、毎年元旦に、そして、月初に「東京大神宮」にお参りに行っているのであるが、年々、参詣客が増えてきているということを実感している。だから、おそらく、自分の不満や不安の解消を求めて、新興宗教の門を叩いたり、勧誘に乗ったりする人も多くなっているというのが現状であるように思う。それを否定するわけではない。もちろん、それで救われる人もいるであろうし、そこに身を寄せて安心する人もいるであろう。しかし、その前に自分自身の身を省みて、自分の「内なる神」を自覚するということが必要であるように思う。この「内なる神」とは、つまり「誠」のことである。もちろん、いつも申し上げるように「良知」のことでもあり、「仏性」のことでもある。この「内なる神」である「誠」を実践するということが、実は、自分の不満や不安の解消に大きな効果をもたらすものであると思える。それでは、「誠」の実践とは何かというと、山田方谷のいう「嘘をつかない」「約束を守る」ということ実践するということになろうか。だから、何か不満や不安に襲われたときは、新興宗教の門を叩くのではなく、「内なる神」である「誠」の実践、つまり「嘘をつかない」「約束を守る」ということを実践してみるというところからはじめるのが善いように思う。また、例え神社やお寺に出かけても、「内なる神」を持たないものは、そこにいる神仏との出会いをもてないように思える。だから、どのように祈願しても「内なる神」をもたない者は、願いがかなわないのではなかろうか。7月末に今回の衆議院選に望んでの各党のマニフェストが出揃ったようであるが、「嘘をつかない」「約束を守る」ということを各党とも実践してもらいたいものである。

 
 第十四章       

一.
誠なる者は自ら成るなり。而して道は自ら道(導・みちび)くなり。誠なる者は物の終始なり。誠ならざれば物なし。是の故に君子はこれを誠にするを貴(たっと)しと為す。誠なる者は自ら己れを成すのみに非ざるなり、物を成す所以(ゆえん)なり。己れを成すは仁なり。物を成すは知なり。性の徳なり。外内を合するの道なり。故に時にこれを措きて宜しきなり。故に至誠は息(や)むことなし。息まざれば則ち久しく、久しければ則ち徴(しるし)あり。徴あれば則ち悠遠なり、悠遠なれば則ち博厚なり、博厚なれば則ち高明なり。博厚は物を載(の)する所以なり、高明は物を覆(おお)う所以なり、悠久は物を成す所以なり。博厚は地に配し、高明は天に配し、悠久は彊(?・かぎり)りなし。此くの如き者は、見(しめ)さずして、章(あら)われ、動かずして変じ、為す無くして成る。

誠が身に付いている人は、自分の本性も発揮できる人であるから自分で自分を完成していくのである。そして、そのふみ行う道は本性の通りに行う道であるので、その道自体が誠の実現に導いてくれるものでもある。誠が身に付いている人は物事の始めと終わりをしっかり定めるので物事を成り立たせる。だから、誠の実践がなければ、物事は成り立たないことになるのである。このような理由から君子は誠を実践、実現するのを貴重なことと考えているのである。誠が身に付いている人は、自分で自分を完成するということにとどまらない。それはまた、自分以外すべての物事を完成させることにもなってくる。自分を完成するという内面的なはたらきは仁の徳に相当し、物事を完成させるという外面的なはたらきは、知の徳に相当する。そうしてみると、誠は仁・知と同様に本性に根ざした徳である。そして、外と内とを一つに合わせる道である。それだからこそ、どのような時もこの誠をはたらかせて、いつもうまくいくのである。だから、完全な誠のはたらきは止まることがないのである。止まることがなければ、長く続き、長く続けばその効果があらわれるのである。効果があらわれるとなると、その誠のはたらきは、悠遠に、はるか遠くまでゆきわたり、はるか遠くまでゆきわたると、それは博厚に、ひろく、厚く行われ、ひろく、厚く行われると、それは、高明に、高々と光明にあふれて行われる。博厚、つまり、ひろく、厚いということは、万物をその上にのせる大地のはたらきである。高明、つまり、高々として光明にあふれていることは、万物を下に配する天空のはたらきである。はるかで遠いこと、悠遠、悠久であることは、万物を成り立たせる天地のはたらきである。そうしてみると、完全な誠(つまり至誠)のはたらきが博厚であるということは、大地のはたらきと一致するものであり、高明であるということは、天空のはたらきと一致することであり、悠遠、悠久であるということは、天地と同様に無限無窮であるということである。完全な誠のはたらきがとまらないというはたらきは、それをことさらに見せびらかしているわけではないのに、はっきりとあらわれ、それをことさらに動かしているわけではないのに、自ずから変化し、ことさらに作為をするのではないのに、すべてが自然に成し遂げられるのである。

誠を本当に身に付けている人は、自分を完成させることができるし、自分を完成させることができるので、世の中の様々な物事も完成させることができるということである。「大学」にある自分の内に「修身」ができれば、外にも多大な影響を与え、そして、それが物事の完成につながるということと一致するように思う。つまり、「修身」身が修まれば、誠が本当に身に付いたということにもなる。修身は誠と同義語なのである。また、誠が本当に実践、実行されれば、内外共に一つに合わされ、世の中の進化進展のために宇宙エネルギーともいえる大きなパワーを発揮することができるので、様々な物事をうまく推進していくことができるということにもなる。だから、この誠の実践、実行を継続していくことができれば、その効果は、悠久に、博厚に、高明になり、それは、天地自然の道理と呼応するので、作為を用いなくても自然に変化し、自然に世の中のあらゆるものが完成されていくということになるとこの章では述べているのである。
ここにある人物がいる。彼は、それまで人の上に立ち、ある事業をオーナーから任されていた。その事業については、自分がトップであるという自負から、更に、周りの環境もいいことから、業績は、そこそこ順調に推移していたので、自分の思うがままに運営していた。しかし、あるとき、そのオーナーが経営していた大きな事業の一端が崩れ、彼の事業にも大きな負の影響を与えるようになった。普通の事業責任者であれば、業績回復のために従業員と一丸となって仕事に打ち込むのであるが、彼は、全く逆の行動をとった。このような業績を作ってしまったのは、オーナーの責任だと、弱っているオーナーに反発を強めていったのである。業績回復のための手を打つでもなく、ただ、そのまま事業を続けた。当然、業績はがた落ちになり、そのオーナーの関係者が、援助に入ろうとしたときは、すでに事業の継続ができない状態であった。それでも彼は、オーナーの関係者を含めて、従業員に無視するようにと指示を出した。何を考えてそういう行動をとったのかは、疑問である。おそらく自分が、自分の手でその事業を継続させようとでも考えていたのであろうが、それにしても業績が低迷すれば、自分でもその事業の継続が困難になると考えはしなかったのであろうか。いずれにしろ、自分の欲から自分本位で物事を進め完結させようとした意図はありありと見える。このような行動は結果何も生み出さないばかりか、その事業の破綻に繋がる。つまり、そこには「誠」という実践が何もされていないからである。自己顕示欲や征服欲が先にたって、物事を進めようとしても、物事を成り立たせることはできないのである。たとえ、一端、成功しても、すぐに破綻することになる。彼は、その後、新経営者により、その役職を解任されたが、その後、その事業が一段と業績が落ちてきた様子を見て、「俺がはずれたからだ」と言っているとのことである。自分自身で起した業績の低迷をまた、他人の責任にする、この自己責任のなさには、あきれるばかりである。誠の実践をして、業績回復の為にあきらめずに、必死になって行動すると、自ずから、それを支える人が現れ、それを支える人が現れれば、形は変わるかもしれないが、物事は善い方へ大抵完結していくものである。誠を味方にし、天地自然の道理を味方にすれば、万物が味方になり、物事が成就するということでもあろう。
 
二.
天地の道は壱言(いちごん)にして尽くすべきなり。その物たる弐(じ)ならざれば、則ちその物を生ずること測られず。天地の道は、博(ひろ)きなり、厚きなり、高きなり、明らかなり、悠(はる)かなり、久しきなり。今夫れ天は、斯(こ)の昭昭の多きなり。その窮まりなきに及びては、日月星辰(にちげつせいしん)繋(かか)り、万物も覆わる。今夫れ地は、一撮土(いちさつど)の多きなり。その広厚なるに及びては、華嶽(かがく)を載せて重しとせず、河海を振(おさ)めて洩(も)らさず、万物も載る。今夫れ山は、一巻(拳)石(いちけんせき)の多きなり。その広大なるに及びては、草木これに生じ、禽獣(きんじゅう)これに居り、宝蔵興る。今夫れ水は、一勺(いっしゃく)の多きなり。その測られざるに及びては??鮫竜魚鼈(げんだこうりょうぎょべつ)生じ、貨財殖す。詩に曰く、「惟(こ)れ天の命、於(ああ)穆(ぼく)として已(や)まず」と。蓋(けだ)し天の天たる所以を曰(い)うなり。「於乎(ああ)、不(おお)いに顕(あきら)かなり、文王の徳の純なる」と。蓋し文王の文たる所以を曰うなり。純も亦た已まず。

天地自然のあり様は、ただの一言で言い尽くすことができる。そのあり様は、多元的に見えるけれども純粋単一な誠そのものである。だからこそ、測り知れないくらい多くのものを次から次へと生み出しているのである。天地自然のあり様は、博厚、広々として、上下に厚く、高明、高々として、光明に満ち溢れており、悠久、無限であり、永久に持続する。そもそもあの大空は、目の前にあるきらきらした輝きが集まったものである。だが、それが無限に多く集まって大空になると、太陽も月も星もその中に繋がれて、下界にある万物もその中に包含され、育てられているのである。そもそもこの大地は、ひとつまみの土が集まったものである。だが、それが広く厚く集まって大地になると、崋山や嶽山のような大きな山を軽々とその上に載せて、黄河や東海のような大きな水をすっぽりとその中に収容して、下界にある万物はすべてそこに載せられているのである。そもそもあの山は、一握りの小さな石ころが集まったものである。だが、それが広く大きく集まって山となると、そこには、草木がはえ、鳥獣がすむようになり、金銀などの貴重な鉱物が埋蔵されるのである。そもそもあの海や川は、ひとすくいの少量の水が集まったものである。だが、それが測り知れないほど多く集まって海や川になると、そこにスッポンや鰐や鮫、竜や魚や亀が生み出されて、真珠や珊瑚のような貴重な財物もたくさん増えることになるのである。詩経には、「天の命は深淵であり、止むことをしらない」とうたわれているが、思うにこのことは、天の天たる真髄を説明したものである。また「ああ立派に光り輝くことよ、文王の徳の純一なることは」ともうたわれているが、思うにこのことは、文王の文王たる真髄を説明したものである。その純一の徳も天地自然のはたらきと同じで、完全な誠のはたらきとして永遠に止まるときがないのである。

天地自然の道理は、多様に見えるけれども、「誠」(至誠)ということ一つに換言されると述べているのである。また、誠の実践が本当にできれば、世の中のあらゆることに対応できるようになり、様々な問題や課題を解決し、様々な物事を成り立たせることができるとも述べているのである。そして、誠の実践は、今、目の前にあるものから着手することが大切であり、それが、やがて、あの大空や大海、大地のように広がり、人間が生きるために必要な物事を自然に生み出してくれ、世の中を天地自然の道理に則した方向へ包括する力を生み出してくれるということにもなると述べているのである。つまり、「誠」には、世の中を順調に運用していくはたらきがあるということである。だから、前章でも述べているように、「誠」は博厚であり、高明であり、悠遠(悠久)なのである。
さて、近代国家を設立した明治維新で、これまでとは一変する様々な改革が行われ、しかもそれを天地自然の道理に則り、当たり前のように実行していった中心人物といえば、西郷南洲であろう。廃藩置県を始め、明治4年から6年までの西郷内閣時代には、散髪・廃刀令、穢多非人の呼称廃止令、宗門・人別帳の廃止、人身売買の禁止令、四民への土地売買の許可、学制の開始、地租改正、国立銀行条例など、近代化政策の大枠のものが、決断、実行されている。明治維新の意義は、特権と疎外の悪条件から人間を解放し、それぞれの能力を自由平等に表現、発揮できる世の中を構築しようというところにあったので、そのほとんどの改革が西郷内閣で実行されたといっても過言ではあるまい。これを実行できたのは、やはり、西郷南洲の「誠」の実践に起因するところが大きいのではないかと考える。西郷南洲の「誠」については、勝海舟の「氷川清話」に次のような文章がある。「西郷に及ぶことのできないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。おれの一言を信じて、たった一人で江戸城に乗り込む。俺だって事を処して、多少の権謀を用いないことはないが、ただこの西郷の至誠は、俺をして相欺くに忍びざらしめた。この時に際して小籌浅略を事とするのは、かえってこの人のために腸を見透かされるばかりだと思って、俺も至誠をもってこれに応じたから、江戸城受け渡しもあの通り立談の間に済んだのさ。」勝海舟は、江戸城明け渡しのときの会談で、その西郷の至誠の念にふれ、自分も何の権謀術策を使うことなく至誠の念で答えた。だからこそ、江戸城の明け渡しは、スムーズに進んだ。と言っているのである。「誠」を以て、「誠」に答える。こういうことが、実行できたからこそ、一滴の血を流すこともなく、この一大変革である江戸城無血開城ができたのである。また、このことの決断に及んでは、西郷南洲には、将来を見据える別の判断もあったのである。それについては、江戸攻めに対して、当時の木梨参謀に告げた言葉が次のように伝えられている。「何卒市内を焼き払わぬようにしてもらわねばならぬ。第一人民の苦は申すまでもないけれども、つらつら思えば、この江戸というものは、前途我が帝都にしなくてはなるまいと思う。これはかつて大久保一蔵(利通)もそのことを私に相談したことがあった。是非民家は焼かぬようにしてくれ。」日本国を治めるための首都にしたいので、そこに住まう人たちを巻き込んではならないし、この維新を早く実行させるためにも、この江戸の町を破壊してはならないと命令したのである。「誠」を以ての判断はこのように、将来も見通せるのである。そのように考えると、西南戦争で露と消える西郷南洲ではあるが、それさえもこれから来る時代を考えると、本当に武士の時代を終わらさねばならない、そのためには、自分の身を以て終止符を打つという将来を見据えた考えがあったのではないかとも思われるのである。西郷南洲はその生涯をみると、将に「誠」の道の行者であったということが言えるように思う。だから、あの明治維新という大変革は、無駄に血を流すことなく、成就できたように思われる。

 
 第十五章      

大なるかな聖人の道。洋洋乎(ようようこ)として万物を発育し、峻(たか)くして天に極(至・いた)る。優優として大なるかな。礼儀三百、威儀(いぎ)三千、その人を待ちて而して後に行なわる。故に曰わく、「苟(いやし)くも至徳ならざれば、至道は凝(成・な)らず」と。故に君子は徳性を尊びて問学に道(よ)り、広大を致して精微を尽くし、高明を極めて中庸に道り、故(ふる)きを温めて新しきを知り、敦厚(とんこう)にして以て礼を崇(たっと)ぶ。是の故に上に居りて驕(おご)らず、下と為りて倍(背・そむ)かず、国に道あれば、その言以て興すに足り、国に道なければ、その黙(もく)以て容(い)れらるるに足る。詩に曰わく、「既(すで)に明にして且(か)つ哲、以てその身を保つ」と。其れ此れをこれ謂うか。

偉大なことである、聖人の道は。ひろびろと満ちあふれ万物を発育させ、高々として、天の極みにまでも及んでいる。また、豊かに満ち足りて偉大なことでもある。この世の中の礼の大綱は三百、その作法についての細目は三千整備されているが、この聖人がいてこそはじめて道は実現されるのである。そういうことから「もし最高の徳を備えた人物、つまり、聖人がいなければ、最高の道は完成しない」といわれるのである。そこで聖人たるを目指す君子は、自分の生まれながらの徳性を発揮するとともに、勉学にも努力し、広大なものの見方を極めるとともに、精微な物事に対しても充分に明確にし、高々と光明に満ちたところを極めるともに、日常生活で中庸を守り、以前学んだところを復習するとともに、これからの新しい知識を求める、また、重厚な誠実さを養いながら、礼のきまりもも尊重していくのである。このようなわけで、聖人たるを目指す君子は、高い位に就いても驕り高ぶらず、低い位にいても上に背くことがない。国に道がちゃんと行われているときには、立派な発言をして、高い位につき、国に道がちゃんと行われていないときには、沈黙して、ひそかに暮らし禍を免れる。詩経に「道に明らかであり、思慮深い、それでわが身を保全する」とうたわれているのは、そもそも、このことをいったものであろう。

聖人を目指そうとする君子は、@徳性を尊びて問学に道る。(自分の徳性を発揮するとともに、勉学にも努力する)A広大を致して精微を尽くす。(広大なものの見方を極めるとともに、精微な事も充分に明らかにする)B高明を極めて中庸に道る。(高々と光明に満ち溢れたところを極めるとともに、日常生活では中庸を守る)C故きを温めて新しきを知る。(これまで学んだものを復習するとともに、新しい知識を得る)D敦厚にして以て礼を崇ぶ。(厚い誠実さを養いながら、礼のきまりも尊重する)ということを実行していくということである。その結果として、高い位に就いても驕らず、低い位にあっても卑屈に思わず、上に背くことはないという人格がそなわることになるのである。つまり、聖人とは、この世の中にある、高から低、大から小まで、マクロからミクロまで、すべての物事を包括した境地に立てる人のことをいっているのである。そして、こういう人物(聖人)は、天地自然の道理と同化できるので、物事を表面だけではなく、裏面まで含めて包括してみることができるのである。物事を一元的に見ることができるということでもある。そして、今の時代は、この物事を表裏ともに一元的にみる力を持っている人が、世の中をリードしていくことが重要であるように思える。
 
人間誰しも表面、表相に影響されやすい。1年前にリーマンショックという、金融界を大きく揺るがす大事件があった。その根本の原因は、複数のリスクの高い、しかし、利回りが特段にいい金融商品を組み合わせた一見すれば、買えば大儲けすると思われる証券化商品の売買であった。表面だけをみれば、当然、買い得である。小金を持っている人から、大金を持っている人まで、こぞって、その商品に飛びついた。その裏面にあるリスクの大きさを忘れて。その結果が多額の政府の資金の注入による金融機関の救済へと繋がり、世界的な規模での経済の悪化となり、歴史に残る失業者の増大となった。そして、まだ、根本の解決がされないまま現在に至っている。そういう状況の中で息を吹き返した一部の金融機関は、1年も経たず、舌の根も乾かないうちに、また、同じような商品の販売を始めている。このことは、経済は、果てしなく成長するということを前提として組み立てられているのであるが、そうではないということを自認、体験したにもかかわらず、なんの反省もなくやっているのである。こういう、自分の利益だけを優先し、表面、表相だけを見る力しかない会社や人間が増大すれば、世の中は破綻し、そういうことに関係ない人たちにまで、大きな打撃を与えることになるのは自明の理である。だからこそ、この世の中を破綻に追いやらないためには、これからの世の中をリードしていく政治家や企業人は、表面にあらわれる事象だけで物事を判断するのではなく、その裏面にある事象も含めて、物事を判断する力、つまり、表裏を一体としてみる力が必要になるのである。
政権交代になり、民主党政権が出発した。そういう中で、マニフェストなるものが脚光を浴びている。その政党が実現したい(或はする)政策を文章化したものであるが、その実行についてが話題にのぼっているからである。これらの文言は、すべてが表面にあらわれた事象であるとするならば、本当に裏面にある事象まで精査してつくられたものであるかということが問われる。おそらく、表相の民意を反映して作られたものだとは思うが、裏面にある問題点や事象まで精査して作られたものでないことは、それに関わる政治家などの言動を観察しているとわかる。もちろん、目標として、その実現のために努力するということは重要であるが、国民との約束を守るためには、もっと、表裏を一体視してみないと実現は難しいと思うし、実行しても挫折するように思える。これからの世の中は、この一元論的な見方が重要であり、そうしないと物事の本質は見えてこないように思える。今、世の中の科学を先導しているのは、量子論である。そしてその理論のもとに今まで不可能と思われていた科学技術をどんどん進化、進展させている。この量子論の考え方の根本は、自然に現れる様々な事象は、表にあらわれる現象だけを観察してもその本質をとらえることはできない、自然と同化してこそ表裏がわかり、その全体像を見ることができるので、その本質をとらえることができるという一元論的発想なのである。このように科学の世界は、先んじて、物事を表裏一体で見ることで、世の中を進化、進展させているのである。そういうことからしても、この人間社会を進化、進展させるためには、そのリーダーたるや表裏を一体として見る、一元論的視観が必要であるのはいうまでもないことである。つまり、この章でいう聖人的視観が必要であるということである。
そして、この量子論的考察は、王陽明の言う、「大学」にある「格物」の考え方、「物を格(ただ)す」(物事に沿って、物事の本質をとらえる)と同一線上にあると考える。また、前にも述べたが、量子論の先駆者でもあるボーアが「相補性」(対立するものが相互に補い合いながら、同化することで物は成り立っている)を説明するのに、易の陰陽図を使ったといわれていることからしても、これからの世の中を円滑にするためには、易学や陽明学のような、東洋思想的一元論が必要不可欠な時代でもあるように考える。

 
 第十六章      

一.
子曰く、「愚にして自ら用うることを好み、賤にして自ら専(もっぱ)らにすることを好み、今の世に生まれて古(いにしえ)の道に反(かえ)る。此くの如き者は?(わざわ)いその身に及ぶ者なり」と。天子に非ざれば礼を議せず、度を制せず、文を考えず。今は天下、車は軌(き)を同じくし、書は文を同じくし、行ないは倫を同じくす。その位ありと雖も、苟(いやし)くもその徳なければ、敢(あ)えて礼楽を作らず。その徳ありと雖も、苟くもその位なければ、亦た敢えて礼楽を作らず。子曰く、「吾れ夏の礼を説く、杞(き)は徴(しるし)とするに足らざるなり。吾れ殷の礼を学ぶ、宋の存するあり。吾れ周の礼を学ぶ、今これを用う。吾れは周に従わん」と。天下に王として三重あれば、其れ過ち寡(すく)なからんか。上(かみ)なる者は、善しと雖も徴なく、徴なければ信ならず、信ならざれば民従わず。下(しも)なる者は、善しと雖も尊(たっと)からず、尊からざれば信ならず、信ならざれば民従わず。

孔子はいわれた「徳のない愚か者でありながら、自分の思うように行動をしたがったり、低い身分でありながら、勝手に独断専行したり、今の時勢にありながら、古代のやり方に無理にかえろうとする、そういう者には、其の身に災難がふりかかるものである」と。そういうことで、天子の位にいるのでなければ、礼の善し悪しなどを論議せず、法度を制定することもせず、文字を考えることもしない。今日では新しい秩序が制定され、車の轍(わだち)の幅が統一され、文章の文字も統一され、人々の行動の規範も統一されている。たとえ、天子の位に就いたとしても、それに適合した聖人の徳が備わっているのでなければ、儀礼や雅楽をさらに新しく制定することはしない。また、たとえ、聖人の徳が備わっていたとしても、それに適合した天子の位に就いているのでなければ、やはり、儀礼や雅楽を新しく制定することとはしない。聖人の天子であってこそ、初めて、礼楽を新しく制定できるのである。孔子はいわれた「私は夏の礼について話はするが、その後裔である杞の国に伝わるものには、その礼について実際に明らかに証明できるものはない。私は殷の礼も学んでいるが、その後裔である宋の国には少しではあるが礼についての伝承は残っている。また、私は周の礼も学んでいるが、これは現在広く行われているので明瞭である。だから、私は周の礼に従うとしよう」と。孔子は天子ではなかったので、礼制の改定はできなかったので、現在行われている礼に従ったのである。天下に君臨する王者として、徳と位と時という三つの重要なことを備えれいれば、過ちをおかすことはほとんどなくなるであろう。古い時代の礼(例えば夏や殷の礼)はたとえ徳が備わった立派な礼であっても、今の時代にふさわしいという実証がない。実証がなければ信用がなく、信用がなければ民衆は従おうとはしない。また、反対に今の時代にふさわしい新しい礼は、たとえ、徳が備わった立派な礼であっても、位に尊厳がなければ信用されず、信用されなければ民衆は従おうとしない。天子に徳と位と時が備わってこそ、礼の制定はでき、民衆は、それに従うのである。

世の中の大事をなすのに、その実行に当たる人に徳望はあるのに、地位がなく、地位はあるのに徳望がなく、それを為すためのいい時代背景や環境がなければ、何事も成就することはできないということである。徳と位と時というこの三つの要素が合致したときに初めて世の中の大事を成就させることができるということである。前々章でも述べたが、明治維新の改革があれほどスムーズに進んだのは、それを推進したリーダーである西郷南洲の徳望とその南洲に政策決定できる地位があったことと変革を求める時代背景があったからであるということがいえよう。
わが国は、本年8月に政権交代が行われた。戦後約60年続いた(途中一時政権交代はあったが、それは多くの政党の連立によるものであり、短期間に終わった)自由民主党政権が、大きく敗退したのである。それを先導したのは、変わろうとする、変わらなければ世の中がよくならないとする民意が働いたことが大きな要因であるように思う。そして、内閣総理大臣として鳩山由紀夫氏が指名された。今後の日本の舵取りは、鳩山氏に一任されるわけである。鳩山氏は、政策決定できる地位に就き、また、変革しようとする時代背景はあるのであるから、あとは自身の徳望を以て、わが国のトップとしてのリーダーシップを発揮してもらいたいものであると考える。私は、42,3歳の頃、まだ、当時新党さきがけの代表幹事であった鳩山由紀夫氏と面談し、色々と話を伺ったことがある。その当時、鳩山由紀夫氏の精神的支援者であった水谷清達師のご紹介で鳩山氏の個人事務所で私まで入れて4人で会ったことを覚えている。当時から水谷師は、鳩山総理大臣の構想を持っており、それが、実現したわけであるが、その実現を見ることなしに、本年4月に他界された。ご冥福をお祈り申し上げるとともに、その先見性に敬意を表するものである。私自身も自分が困窮しているときに大変お世話になった。話をもとに戻そう。鳩山氏には、その時、礼儀正しく我々を迎えいれていただき、我々の話もよく傾聴していただき、普通の言葉使いで対応していただいた。帰るときには、エレベーターのところまで見送りをしていただいた。その時、ふと、これまでにない政治家であり、これからは、こういう人が政治の中枢になってやってもらいたいなあと感じた(その前1年くらいの間に、旧来型の政治家2人に会っているから尚更そう感じたのでもあろうが)。また、会話の中でその当時から「友愛」について熱心に話をされていた。その後も私は何かにつけ、手紙を出させていただいた。秘書の方から聞いた話によるとちゃんと手紙は読んでいただいているとのことであった。また、あるとき、岡田武彦先生の東京での最初の講演会を実施するときに、発起人になっていただこうと思って、事務所に電話したことがあったが、事務所に誰もいなかったのか、本人が電話にでられたことがあった。その時も、発起人については断られたが、何か他で協力することはないかといわれたことを覚えている。あれから年月は経っているが、そういう人格からみても、徳望は充分もっておられると思われる。是非、その徳望を以て、政策を実施し、わが国をいい方向へ導いていただくことを期待する。
この徳と位と時という三つの要素が合致し、発揮されたときに何事も成就するという考えは、企業経営にも通ずるものがあるように思う。昭和50年代に誰も手をつけようとしなかった佐世保重工の再建を果たした来島ドックグループの総帥坪内寿夫氏についてもそういうことがいえるように思う。再建に入る3年前から、佐世保重工の業績は思わしくなく、経営の刷新も含めて、株券を新しい株主に売却することになる。その時に、大洋漁業の当時の中部社長に言われて、その持ち株を買って株主になったのが坪内寿夫氏である。
その時は、再建で定評のある坪内氏が佐世保重工の会長職になり、経営の刷新に望むということを前提として話は進み、坪内氏は、株を16%から25%へと買い増していくのであるが、直前で筆頭株主である日本鋼管に反対され、そのことは一端中断することになるのである。その後も佐世保重工は改善のないままに業績をどんどん低減させていって、倒産の危機においやられる。

 
更生法適用か、自主再生かという流れの中で、更生法を適用すれば、株主や金融機関などの関係各位の損失が大きく、失業者の増大、関連会社の連鎖倒産などの地域経済の問題も大きいので、自主再生はできないものかとして、また、坪内寿夫氏に白羽の矢が立つのである。坪内氏は、ここまで業績を落とした企業が本当に再生できるかの疑問もあり、特に3年前に梯子をはずされた経緯もあり、再生への乗り出しは拒否していた。しかし、坪内氏以外に適任はいないということで、その説得役として、当時の日本商工会議所会頭であり、佐世保重工の株主、新日本製鉄の名誉会長でもある永野重雄氏が当たることになるのである。永野氏は、このときに株主や金融機関からの協力体制をとりつけ、総理、運輸大臣、大蔵大臣、通産大臣、それの配下である各担当官僚などの行政からの協力体制もとりつけ、幾度となく坪内氏と会い、再建、再生のための環境つくりを行うのである。こうして、時代が要請している坪内氏が晴れて、佐世保重工の社長となり、再建を一任され、佐世保重工の再建に力を注ぐことになるのである。多くの紆余曲折はあったが、坪内氏は自分のもてる徳望をもって、それを乗り越えて、佐世保重工の再建を果たすのである。将にこの章にある「天下に王として三重あれば其れ過ち寡からんか」ということがピタリとくるような再建である。

二.
故に君子の道は、諸(こ)れを身に本(もt)ずけ、諸れを庶民に徴し、諸れを三王に考えて繆(謬・あやま))らず、諸れを天地に建て悖(もと)らず、諸れを鬼神に質して疑いなく、百世を以て聖人を俟(ま)ちて惑わず。諸れを鬼神に質して疑いなきは、天を知るなり。百世以て聖人を俟ちて惑わざるは、人を知るなり。是の故に君子は、動きて世々(よよ)天下の道となり、行ないて世々天下の法と為り、言いて世々天下の則と為る。これに遠ざかれば則ち望むあり、これに近ずけは則ち厭(いと)わず。詩に曰わく「彼(かしこ)に在りて悪(にく)まるることなく、此(ここ)に在りて射(いと)わるることなし。庶幾(ねがわ)くは夙夜(しゅくや)、以て永く誉れを終えん」と。君子未だ此くの如くならずして、而も蚤(と)く天下に誉れある者はあらざるなり。

そこで、聖人の道に準じようとする君子の道としては、この徳・位・時の三重について、まず吾れとわが身にその基本を置き、それを庶民に示し、検証確認し、夏・殷・周三代の聖王のことを考え合わせて間違いがなく、天地自然の道理とつき合わせて背くことがなく、卜占によって神霊の意向をたずねても疑問がなく、百代ののちの聖人にはかったとしても疑惑がないようにすべきである。神霊の意向をたずねてみて疑問がないというのは、天地自然の道理をわきまえていることになり、百代ののちの聖人にはかっても疑惑がないというのは人間社会の道理をわきまえていることになるのである。こういうことであるので、君子のふるまいはすべていつの時代でも世界中の正道となり、君子の行為はすべていつの時代でも世界中の法度となり、君子の言葉はすべていつの時代でも世界中の規範となるのである。遠くに離れていても慕われ、崇められる。近くにいてもいつまでもあきられることがない。詩経にも「あちら(遠方)にいても憎まれることがなく、こちら(近く)にいても嫌がられることがない。願わくは、朝から夜まで、よく勉めて、永く誉れが続くように」とうたわれている。君子として、ここに述べたような君子の道を守らないでいて、にわか作りで、世界中に誉れがあったというものには、これまであったためしがない。

聖人の道は君子の道であり、それを実行に移そうとするならば、前述のように徳と位と時ということを自分の身に付け、様々な事象につき合わせて確認し、天地自然の道理に従い、それに連なる人間としての道理をわきまえた行動をしなければならないということである。それができると、そういう道をわきまえた君子の所作は、世の中の正道になり、その行いは世の中の法律や法則になり、その言葉は世の中の規範になるということである。つまり、徳と位と時を自分の身に付けただけでは、物事は進まないということでもある。それを現状に合わせて確認をしながら、物事は進めていかねば、物事は成就しないということである。政権交代がされて、様々な政策が実行されるようになった。今、注目されているのは、前政権が成立させた補正予算の見直しである。その中でも特に目玉になるのが、子供手当ての捻出である。現政権がマニフェストに大きく打ち出したものであるので、その実行のために努力をしているのはよくわかるのであるが、3兆円の捻出ありきで進めていることについては、いささか異論がある。無理をして捻出したものは、結果、別の負担となって還ってくるのは世の中の道理である。それより、捻出された金額の中で、徐々に浸透させていくということに力点を置くべきではないかと考えるからである。最初は少額からでもいいからスタートさせ、それを実行していく中で世の中がどう変化していくかを観察しながら枠を広げていくというやり方のほうが長く継続されることにもなるだろうし、受ける側にしてもその恩恵を受けやすいし、受け取れない人々にとってもそれが社会にどう貢献するかを見ることができ、貢献度合いが高ければ、自分にも換言されることがわかるようになり、世の中の人全員に納得されやすくなるからである。天地自然の道理に従った政策の進め方というのはそのようなことであるように思う。マニフェストが絶対であるというやり方では、必ず無理や問題が生じることになると考える。マニフェストは国民との約束だという考え方がその主流を成しているのであろうが、時代は動き、変化していくのであるから、できなければ、その非を公然と打ち明け、解決策を検証し、それをまた実行していくというやり方でなければ、その政策は定着しないし、定着しなければ政権が変わるたびに政策の変更が行われ、政策の変更が行われれば、それはそのまま国民の負担に直結することになる。表裏一体の一元論的観点からいえば、マニフェストというのは、国民と一体となり実行していく目標ということに換言されるように考える。世の中に絶対というものはないのであるから、マニフェストを絶対視すれば、逆に多数の国民から批判をあびるのは自明の理であろう。また、新政権の政策は、このことだけに限るわけではなく、他にも多くの予算の捻出が必要な政策があるのであるから、予算の捻出を点でとらえるのではなく、面でとらえる必要があるのではないかとも思う。面でとらえていくと補正予算だけでなく、全体の国家予算そのものの中に大いなる削減要素が見出せ、ひょっとすると、現政権の想像を上回るような原資を捻出することができるかもしれない。点でとらえていくと、予算が枯渇し、また、予想を上回る国債の発行という国民や将来世代への負担を強いることを実施せざるなくなるように思われる(国債の増発は税金の収入源もあり、已む終えないところまできているのが現状である)。「彼に在りて悪まるることなく、此に在りても射わるることなし。」(遠方にいても憎まれることがなく、近くにいても嫌がられることがない。)という政策を実行するためにも、本来の天地自然の道理に則した君子の道を守り、にわか作りの政策を固持することはやめて、現状にも対応でき、将来に向けても貢献できることをコツコツ積み上げていく努力をしていくことが必要であるように思う。

 
 第十七章      

仲尼(ちゅうじ)は尭・舜を祖述(そじゅつ)し、文・武を憲章す。上は天時に律(のっと)り、下は水土に襲(因・よ)る。辟(譬・たと)えば天地の持載せざることなく、覆?(ふうとう)せざることなきが如し。辟へば四時の錯(たが)いに行(めぐ)るが如く、日月の代々(かわるがわ)る明らかなるが如し。万物並び育して相い害(そこな)わず、道並び行なわれて相い悖(もと)らず。小徳は川流し、大徳は敦化(とんか)す。此れ天地の大たる所以なり。

君子の道を学んでついに聖人と賞せられるようになった孔子(仲尼)は、聖天子の尭と舜の道を根源として受け継いで、文王と武王の道を模範として顕彰した。上は天の季節の循環にのっとり、下は地上の山川風土のありかたに従われた。孔子(仲尼)の徳は、たとえば、大地がすべてのものを載せ支え、天がすべてのものを覆いつくしているようであり、たとえばまた、四季が春夏秋冬と互いに順序良くめぐるようであり、太陽と月が昼と夜とでかわるがわる輝き照らすようである。この地上では様々な物がいっせいに生育しているが、それでいて互いに邪魔をするようなことがなく、様々な道がいっせいに行われているが、それでいて互いに食い違うようなことがないのである。小さな徳は川の流れのようにたえまなく尽きることなく隅々まで浸透し、大きな徳は広く厚くすべてにゆきとどき、造化のはたらきを果たしている。これこそが天地自然の道理が偉大とされる所以であって、孔子(仲尼)の徳は、そこに重なっているのである。

孔子の生き方はそのまま天地自然の道理に適っていたということである。そして、それはそのまま聖人を意味する。あの春秋戦国時代という群雄割拠して、混乱の多い時代にそういう生き方を貫けたということは、将に「泥水の中に咲く蓮の花」のようである。その教えは、その時代においては、なかなか日の目をみるには至らなかったが、その弟子たちにより連綿として伝えられ、後世に長きに亘り、多く人に影響を与え続けているのである。特に東アジアにおいては、その人倫の規範となっているのである。こういう悠久の思想を立ち上げられたのは、将に聖人ならではのことだと思う。そういうことから考えるとむしろ大変で混乱している世の中の方が、時代を超越した思想や哲学が生まれやすいということがいえるのではなかろうか。安住の中からは、何も生まれて来ないということでもあろう。それはそのまま事業についても言えることであるように思う。
最近、日本航空の再建、再生について、色々な報道がされるようになった。先日、国土交通省の専属の再生プロジェクトチームの調査結果によると、日本航空は、2500億円の債務超過であるということが発表された。更に3000億円規模のDES、もしくは債権放棄を金融機関を中心とした債権者に依頼しなければならないということもいわれている。更に、再生のためには、1000億円単位の追加融資も必要とのことである。また、人員の削減も1万人規模で実行しなければならないとのことである。これについては、組合側が大反対をしているようであるが、その彼らの退職後のための年金基金も大きく破綻しているようである。
 
これこそ、将に「親方日の丸」という安住の中にあって、会社内部で、事業継続、発展のための根本的な努力をほとんどしてこなかった結果であるように思う。最近では、また、政府が援助するということが取沙汰されている(政府の公的支援については、10月22日の新聞紙上で発表されたが、資本増強で3000億円、債権の放棄と株式化で2500億円、更につなぎ融資で2000億円、シンジケートローンで1500億円、計9000億円という金額が提示されている。最終的には、それに加えて、年金債務の削減で3300億円の積み立て不足を1000億円に、9000人のリストラ、45~50路線の廃止ということである。資産査定では2700億円の債務超過ということで、10月29日、企業再生支援機構による企業再生ということが決定されたようである。この方が法的整理より国民負担が少ないということであるが?)が、それでは、国有化へ逆戻りである。日本航空の一番の破綻の原因は、そこに勤めるトップから従業員までの意識の問題が大きく関わっているように思える。つまり「窮しても変われない」という、そこに勤める人たちの時代の流れや天地自然の道理にのれない、あるいは、のろうとしない傲慢さがあったからではなかろうか。傲慢さは、私利私欲を増幅させ、モラルを低下させる。また、傲慢さは、マンネリ化や挑戦的意欲を減退させたり、発想を固着させたりと、多くの業績の阻害要因のアカを知らぬ間に会社内部に溜め込んでしまう。そして、それに気付かず、それが当たり前のように思い、アカ掃除をすることもなしに、それを何とも思わず仕事をしていくと、いつの間にか通り抜けることのできない大きな壁になり、前に進むことができなくなる状態になっていくのである。こういう企業を再生するためには、もちろん財務的な支援も必要であるが、新しい価値観という清掃用具を持って、会社内部のアカを綺麗に掃除し、従業員の意識改革をしなければ、二次破綻ということになりかねない。事業再生というと、財務的な支援のみに目がいってしまうが、その成功の是非は従業員の意識を前向きにどう変化させていくか(この意識の向上こそが前述の新しい価値観といえる。また、これは実は、もともと、従業員が潜在的に持っているものでもあるので、そういう潜在力を発揮しやすいような環境を整えるということでもある。)ということにかかっているように思える。もちろん、意識を低下させるような社員には、9000人といわず出て行ってもらうしかない。それを行いながら、従業員の意識の変革をしていかなくてはならないのである。それには、最低でも3年や4年の期間がかかるので、事業を長く維持、継続するための哲学や思想がトップには必要になる。また、トップには、そういう哲学や思想を持てる人材が必要である。そして、その哲学や思想の中核になるのが、モラルの向上ということになるように思われる。また、天地自然の道理に則した、時流をうまく捉えた臨機応変な経営を行うことが大切である。そういう意味では、儒学的思想というものが重要視されなければならないように考える。孔子の思想は天地自然の道理に適っており、どのような時流の変化にも臨機応変に対応できるからこそ、そして、そこには、人倫道徳の核たるものがあるからこそ悠久なのである。日本航空に限らず、業績低迷に陥る企業の問題点は、どの企業も前述したようなところにあると考える。

 
 第十八章      

一.
唯だ天下の至聖(しせい)のみ、能く聡明叡智(そうめいえいち)にして、以て臨むことあるに足り、寛裕温柔(かんゆうおんじゅう)にして以て容るることあるに足り、発強剛毅(はっきょうごうき)にして以て執(と)ることあるに足り、斉荘中正(さいそうちゅうせい)にして以て敬することあるに足り、文理密察(ぶんりみっさつ)にして以て別(わか)つことあるに足ると為す。溥博淵泉(ふはくえんせん)にして、而して時にこれを出す。溥博は天の如く、淵泉は淵の如し。見(あら)れて民敬せざること莫(な)く、言いて民信ぜざること莫く、行いて民説(悦・よろこ)ばざること莫し。是を以て声名は中国に洋溢(よういつ)し、施きて蛮貊(ばんぱく)に及ぶ。舟車の至る所、人力の通ずる所、天の覆う所、地の載する所、日月の照らす所、霜露(そうろ)の隊(墜・お)つる所、凡(およ)そ血気ある者は、尊親せざること莫し。故に天に配すと曰う。

ただこの世の中で最高の聖人だけが、すぐれた聡明さと深い叡智をりっぱに発揮させ、それで民衆をうまく治めていくことができる。また、寛容で裕か、温かく柔らかく接して、それで民衆を包容していくことができる。また、積極的な強さで、真直ぐにくじけずに勇敢に決断することで、それでその信念をしっかりと守っていくことができる。また、慎み深く荘重で、偏らない中正の立場に立って、それで民衆の尊敬を集めることができる。また、美しい文彩と条理が身にそなわり、細密にゆきとどいた明敏さで、それで物事を区別していくことができる。そして、それは、広くゆきわたり、静かな奥深さが備わっているので、適切な時(世の中が必要とした時)にあらわれでるのである。広いゆきわたりは大空のように果てしないものであり、静かな奥深さは淵のように底知れないものである。現われでたとなると、民衆は誰もがすべて尊敬し、言われたとなると民衆は誰もがすべて信用し、行われたとなると民衆は誰もがすべて満足するのである。こうしたわけで、その名声は中央の文化圏にみちあふれ、さらに広がって四方の未開の地域の民にまでもひびきわたる。舟や車のゆきつくところ、人の足で通れるところ、大空の覆うところ、大地の載せるところ、太陽や月の照らすところ、霜や露の落ちるところすべてにわたって、およそ生きとし生きるものでこれを尊び親しまない者はない。だから、最高の聖人は天にもならぶといわれるのである。

聖人は、聡明叡智(聡明さと深い叡智)であり、寛裕温柔(寛容であり、ふところが深く、温かく柔らかい)であり、発強剛毅(強い信念を以て行動し、剛毅である)であり、斉荘中正(慎みをわきまえ、偏らない中正の立場をとる)であり、文理密察(道理に深く通じ、細かいところまで行き届いている)であり、それを世の中に広く、深く行き渡らせることができる。そして、世の中の動向に応じて、機を見て、それを発揮することができると述べているのである。また、そういう人物がいれば、民衆はすべて、誰もがその人物を尊敬し、信用し、其の人物の施策に満足し、世の中が幸福に満ち溢れるとも述べているのである。このような聖人が世の中に居り、国家や世界を統治してくれれば、様々な難題は起こることはないのであるが、なかなか理想どおりにいかないというのが世の中である。
先日、私がある人に「あなたのいう聖人君子などというのは、今の世の中の政界にも財界にもいないではないか。」といわれたことがあった。私は「確かにどの立場にあっても様々な身の回りに起こる雑惑や自分の利欲にとらわれることはしかたがない。だから、表面をみれば、そう見えるであろうし、そういうところがあるとしても否定できない。特に最近のジャーナリズムは、きちんとした哲学がないので、大部分が、この世の中の表面に見えるところだけしか伝えようとしないので、尚更、大衆は、そこしか見なくなる。だから、人を見た目でしか判断しないという風潮が強くなるのである。それでは表層の世界観を増勢させるだけである。物事は表裏すべてを見て、初めて、理解できるものである。例えば、公人としての自分、個人としての自分が表裏であるとするならば、個人として自分が、聖人君子に近い人はいるように思われる。もっと言えば、私も、あなたも含めて人間は皆、良心というものを持っているのであるから、聖人君子の素養は、もともと持っているように思う。だから、政界にも財界にも聖人君子はいるのである。要は、それをいざという時に自分の立場で発揮できるかどうかということである。また、そういう時に聖人君子の道を発揮できるように常日頃、訓練しているかどうかということである。表面ではわからないが、そういう努力をしている人がいれば、その人は聖人君子といえるのではなかろうか。」と答えた。王陽明もすべての人間が良知という聖人の要素を産まれながらにして持っているといっている。ただ、それを個人の雑惑や利欲のために、なかなか発揮することができないでいる人が多いので表面にあらわれてこない。その解決策としては、良知を致す(致良知・自分の中にある聖人的要素を外に向けて発揮する)ことを継続することが必要であり、それを実行することによって、自然と聖人的要素が外にも現れてくるといっているのである。更に、生まれながらにしてそれを実行できる人も(生知安行型)、学んですくにそれを実行できる人も(学知利行型)、一所懸命努力してやっとそれを実行できる人(困知勉行型)もいるが、それを実行できた人は、すべてが聖人になれるとも言っているのである。要するに、自分の私利私欲ではなく、世のため、人のためになることに真剣に取り組み、真摯に実行していくことを継続していくことができるなら、誰でも聖人になれるということである。そういえば、聖天子といわれる舜にしても、禹にしても世のため、人のためになることを身を賭して実行している。世の中を本当に良くし、調和のとれた世界にするためには、そういう人を多く輩出することが必要であり、そういう人を多く輩出できる教育や社会システムを構築することが必要であるように思われる。

二、
唯だ天下の至誠のみ、能く天下の大経(たいけい)を経綸(けいりん)し、天下の大本を立て、天地の化育を知ると為す。夫れ焉(いず)くんぞ倚(かたよ)る所あらん。??(じゅんじゅん)として其れ仁なり、淵淵(えんえん)として其れ淵なり、浩浩(こうこう)として其れ天なり。苟くも固(まこと)に聡明聖知にして天徳に達する者ならざれば、其れ孰(た)か能くこれを知らん。

ただ、この世の中で最も完全な誠を備えた人、聖人だけが、天下の偉大な常道である、君臣、父子、夫婦、兄弟、朋友の道を整え治め、天下の偉大な根本である中を打ち立て、それを実行、継続していくことによって、天地自然の造化育成の働きを助けることができるのである。

 
そもそも、その立場(中正の立場)にあって、どうして偏るなどということがあるであろうか。ねんごろな誠実さで仁そのものであり、静かな奥深さで淵そのものであり、広々としていて天そのものである。本当にすぐれた聡明さと秀でた知恵とを備えて、完全な天徳に到達した人でなければ、いったい誰がその境地を知ることができようか。聖人であってこそ、その境地を知ることができるものである。

誠こそが最高の徳であり、その誠を尽くせる人が世の中の頂点に立ったときに初めて、天地自然の道理に沿った、無理なく平穏に暮らすことのできる世の中が形成されるといっているのである。
明末の儒学者(陽明学者)劉念台は、誠について「誠は無為にして、便ちこれ心髄微に入る処なり。」(誠は自然のままで、人為の加わらないもので、それは心体の精微な処である。)と述べている。また、「良知は即ちこれより竅(きょう)を発するものなり。故にこれを天下の大本を立つと謂う。」(良知はその発用であるから、この心体の精微のところに力を用いると「天下の大本が立つ」といったのである。)と述べている。つまり、心体の精微なところである誠を外に発揮させるためには、良知を用いることが必要であり、その結果として、平和に、平穏に暮らすことのできる国家作りのための根本を立てることができると言っているのである。誠という最高の徳を尽くすためには、良知を用いる必要があるということである。良知とは、いつも申し上げているように、自分の中にある誰から教えられるでもなく元来持っている(生まれながらにして持っている)道義心、良心のことである。それを用いることが、誠を実践することになると劉念台は言っているのである。
最近はよく色々なところで「誠意がない」という言葉を耳にする。また、「誠意を示せ」という言葉もよく聞く。そして、その多くは、お金とか品物とかの形のある実利を代償として求めているときによく使われる言葉でもある。確かにそういう一面があることは、否めないであろうが(特に金銭的トラブルでは)、誠意というものをそこだけに限定してしまうと大きな間違いが起こるように思う。前述のように良知を働かせることによって、初めて誠意が外に現れるのであって、道義心や良心を以て、相手に答えるのであるから、それに値段を付けることなどはできないように思う。その人が道義心に則ってできること以て、相手に答えるということが本来の誠意ということが言えるのではなかろうか。だから、誠意には、値段は付けられず、値段を付けてしまえば、その時点で誠意ではなくなるのである。値段を付けるのであれば、「誠意がない」「誠意を示せ」などというよりは、法的見解で解決を図るほうが、明確で、早く答えが出るように思う。
予算委員会で連日のように、鳩山首相の献金問題での質問が出ている。要するにこのことについて、首相はどのように誠意を示すのかということが論点である。11月6日の答弁で、自民党の舛添要一氏からの質問に「最もクリーンでなければならないのに問題を起こし本当に申し訳ない。逃げるつもりはないが、東京地検に情報をすべて提供しているのでご理解いただきたい。」と述べている。また、同氏に説明責任や道義的責任について問われると「法的責任は司法にゆだねたい。道義的責任はあろうかと思う。どう責任を果たすか、自分自身考えている。しかし、政権交代に向けて、大きな支援をしてもらったのも事実だ。その任を果たすのも責任の一つだ。」と述べている。金銭的責任は法的機関に委ねる。道義的責任は自分でとる。そして、今やらねばならないのは、今自分にやれることを精一杯やって、国民の信任に答えることであると言っているのである。道義心に則ってできることを以て、相手に答えるということが誠意であるとするならば、私は誠意ある回答であると思うが、どうであろうか。しかし、政治というものは、お金がかかるものだと、つくずくこの問題で感じた。党の領袖ともなれば尚更そうなのであろうが、政治献金の自粛が問題視されると、自分の財産をこういう形で出さなければならないのかと、そっちの方に気がかかる。更に国民の多くは献金問題などよりも、多くの直面する課題の解決をしっかりして欲しいと思っているのではなかろうか。(直近の調査によると、国民の80%が説明責任を果たすべきだといっているが、どうもマスコミやジャーナリズムが先導しているように思える。)また、そういう国民の期待にこたえるのが、政治家としての使命であり、国民に対する誠意なのではあるまいか。また、「誠」、誠実さや誠意を自分たちの都合のいいように解釈し利用すれば、本来の「誠」という意味が薄れてきて、間違った解釈が横行して行き、世の中を間違った方向に導いていくことにもなりかねない危険性もあるので注意すべきである。
あるとき、私がある人に「世の中で一番大切なことは、仕事においても、社会生活においても誠実さだね。」といったら、「誠実さだけでは、仕事はできませんし、社会生活もできませんよ。」といわれた。私が「君は誠実さの意味を理解しているのかね。」と聞くと、「まじめに実直に行動するということですよね。」という。私が「君は、まじめに実直に仕事はしていないのかね。」と聞くと、「自分のやる仕事については、まじめに実直にやっていると思います。」という。私が「それじゃ、なぜ、まじめに実直にやるだけでは、仕事も社会生活もできないと思うのかね。」と聞くと「まじめに実直に仕事や社会生活をしているからといって、出世するとか、世の中に認められるとは思えませんので。今の世の中をみると、そうじゃない人のほうが、金持ちになったり、出世したりしているようですから。」という。私はそれに対して「まじめに実直に努力している人が、結果、出世したり、世の中に認められたりするのが本来の姿なのだよ。そして、それは、本物になり、世の中のためにもなるのだよ。そうでない人が、権謀術策を使って、出世したり、名をなしたりしても、それは、一時だけの栄華に終わるものだよ。また、世の中のためになるというよりは、世の中を混乱させたりするものだよ。だから、誠実に何事にも対応するということが大切なのだよ。君が出世したり、世の中に認められたいと思うなら、まず、何事に対しても誠実さを以て対応するということが、一番の近道だと思うけどね。」と言った。そうすると「そういう考え方もあるんですね。」と、その人は言って、話は終わった。今の世の中は、彼のように考えている人が多いのかもしれない。まじめに実直に働くということが、出世したり、名をなしたりということに繋がらないと思っているのである。また、我々が自ら、そういう社会環境を作ってしまっているのではなかろうか。しかし、この章に述べてあるように、誠が実践されなければ、世の中は、良くならないのである。だから、本当の誠実さが認められる世の中を構築することが必要である。そして、それが将来世代を豊かにすることにもなる。そして、それを目標に行動を始めることが、今の我々の使命であるように思う。
 
 第十九章      

一.
詩に曰く、「錦を衣(き)て絅(けい)を尚(まと)う」と。その文の著わるるを悪むなり。故に君子の道は、闇然(あんぜん)として而も日々に章(あきら)かに、小人の道は、的然(てきぜん)として而も日々に亡ぶ。君子の道は、淡(あわ)くして厭われず、簡にして文あり、温にして理あり。遠きの近きことを知り、風の自(よ)ることを知り、微の顕なることを知れば、与(以・もっ)て徳に入るべし。詩に云う、「潜(ひそ)みて伏するも、亦た孔(はなは)だこれ昭(あきら)かなり」と。故に君子は内に省みて疚(やま)しからず、志(こころ)に悪むことなし。君子の及ぶべからざる所の者は、其れ唯だ人の見ざる所か。詩に云う、「爾(なんじ)の室に在るを相(み)るに、尚(ねが)わくは屋漏(おくろう)に愧(は)じざれ」と。故に君子は動かずして而も敬せられ、言(ものい)わずして而も信ぜらる。

詩経に「錦の着物を着てその上から薄物をかける」とあるのは、錦の文様がきらびやかに外に出るのを嫌ったものであり、錦は薄物をすかしてこそ美しいものでもある。そこで君子の道はというと、人目を引かないで、それでいて日に日にその真価があらわれてくるものである。しかし、小人の道ははっきりとして人目を引きながら、それでいて日に日に消えうせてしまうものである。また、君子の道は、淡白でありながら、いつまでも人を引きつけ、簡素でありながら文彩があり、温厚でありながら、条理はちゃんと通っている。遠いところのことも近いところから起こることをわきまえ、風俗にも世の中を知るための根本の原因があることをわきまえ、微かなことほどかえって明らかになると知っており、何事も身近で地味なことから始めれば、進んで徳の世界へ入ることができることを知っているのである。詩経には、「深く潜って隠れていても、やはり、はっきりとあらわれる」とうたわれている。だから、君子は、外を飾ることなく、常に自分自身を省みて、やましいところをもたず、心に恥じることもないのである。凡人が君子の本質を及びもつかないのは、その本質は他でもない、その君子自身の深い内心の境地にあるからであろう。詩経には、「あなたが居間にいるのを見るに、願わくは部屋の隅にある神の御座所に対して恥じないようにしてほしい」とうたわれている。だから、そうしたことのできる君子は内心の徳が充実しているので、行動を起こさなくても人から尊敬され、言葉を発しなくても人から信用されるのである。

君子の道は、錦の着物をきらびやかに、外にひけらかすのではなく、それに一枚の薄物をかけて、そのきらびやかさを内に秘めて、外に出さず、装うようなものであると述べている。つまり、君子の道は、外をきらびやかに装うのではなく、内心をきらびやかにすることを旨とし、そして、そのきらびやかさは、時間とともに外に現れて、徐々に根強く世の中に浸透していき、世の中に多くのいい影響を与えるといっているのである。そういう意味では、現代の人間のほとんどが、はっきりと今、目に見える表相の物事にだけ捉われて、その本質をわからずに流されていくというような小人の道を歩いているように思われる。先日、天皇陛下の「即位20周年にあたって」のお言葉の中には、そういう君子の道に通じた外に何もひけらかさない、内心にある輝かしい陰徳(誠の徳)を感じる。20年間の長きにわたり、自分を支え続けてくれた国民に謝意を表した後に「この20年、様々なことがありました。とりわけ平成7年の阪神・淡路大震災を始めとし、地震やそれに伴う津波、噴火、豪雨など、自然災害が幾度にもわたり我が国を襲い、多くの人命が失われたことをわすれることはできません。改めて犠牲者を追悼し、被災した人々の苦労を思い、復興のために尽力してきた地域の人々、それを全国各地より支援した人々の労をねぎらいたく思います。」と述べられた。そして、続けて「即位以来、国内各地を訪問することに努め、15年ですべての都道府県を訪れることができました。国と国民の姿を知り、国民と気持ちを分かち合うことを、大切なことであると考えてきました。それぞれの地域で、高齢化を始めとして様々な課題に対応を迫られていることが察せられましたが、訪れた地域はいずれもそれぞれに美しく、容易でない状況の中でも人々が助け合い、自分たちの住む地域を少しでも向上させようと努力している姿を頼もしく見てきました。これからも皇后と共に、各地に住む人々の生活に心を寄せていくつもりです。」と述べられた。そのあと、戦後64年迎えて、あの大戦の記憶が薄れていくことに危惧され、そのような大きな犠牲の上に、今の日本は築かれたことを忘れてはならない、このことは、将来世代にも正しく伝えていかなくてはならないと述べられた。また、国外でのベルリンの壁崩壊、ソビエト連邦の解体などを通じて、世界がより透明で平和になると思っていたが、各地域での紛争は益々大きくなり、多くの人命が失われていくのは残念でならない、世界の人たちが、平和と繁栄を享受するためには、すべての国が協力して努力を積み重ねることが大切であるとも述べられた。そして、最後に「今日、我が国は様々な課題に直面しています。このような中で、人々が互いに絆を大切にし、叡智を結集し、相携えて努力することにより、忍耐強く困難を克服していけるよう切に願っています。平成2年の即位の礼の日は、穏やかな天候に恵まれ、式後、赤坂御所に戻る頃、午後の日差しが、国会議事堂を美しく茜色に染めていた光景を思い出します。あの日沿道で受けた国民の祝福は、この長い年月、常に私共の支えでした。即位20年にあたり、これまで多くの人々から寄せられた様々な善意を顧み、改めて自分の在り方と努めに思いを致します。」と述べられ、最後に国の繁栄と国民の幸せを祈念された。いつも国の繁栄と国民の幸せと世界平和とを考えておられることが察せられる。この天皇陛下のお言葉には何の解説もいらない。すっと心の中に入ってくるお言葉である。私も前職のときに、ご来鹿された天皇皇后両陛下をホテルからお見送りするときに現場にいたが、ただ、ニコニコされて手を振られるだけであるのに、その徳は、そのお姿ににじみ出ているように思えた。いるだけで周りの人を和ませる本当の徳を持ち合わせている人物が世界にどれだけいるであろうか。将に「君子は動かずして而も敬せられ、言わずして而も信ぜらる。」である。





二.
詩に曰わく、「奏仮(そうか)するに言なく、時(是・こ)れ争いあること靡(な)し」と。是の故に君子は賞せずして民勧(すす)み、怒らずして民は?鉞(ふえつ)よりも威(おそ)る。詩に曰わく、「不(丕・おお)いに顕らかなり惟れ徳、百辟其れこれに刑(のっと)る」と。是の故に君子は篤恭(とくきょう)にして天下平らかなり。詩に曰わく、「予(わ)れ明徳を懐(おも)う、声と色とを大にせず」と。子曰わく、「声色の以て民を化するに於けるは、末(すえ)なり」と。詩に曰わく、「徳の輕?(かろ)きこと毛の如し」と。毛は猶お倫(比・たぐい)あり。「上天(じょうてん)の載(事・こと)は、声も無く臭も無し。」至れるかな。

詩経には、「祈りを捧げて神を迎えるのに言葉なく、ただおだやかで争うものはない」とうたわれている。そうしたわけで、君子はただ内心の誠をささげ、尽くすばかりで、ことさらに賞を与えたりはしないが、それでいて民衆は仕事に励み、また、ことさらに怒って威厳をみせたりはしないが、それでいて民衆は死刑の宣告を受けるよりも恐れて服従する。詩経にはまた、「明らかに光輝く徳よ。あまたの諸侯たちは国を治めるに際し、皆この徳を規範としている」とうたわれている。そうしたわけで、君子はひたすら徳を守ってわが身を慎み誠実にして、それで天下も平安に治まるのである。詩経には、天帝から文王へのお告げとして「われはなんじの輝かしい徳を心にとめている。なんじはよく徳につとめ、声を張り上げたり顔色を厳しくしたりして外の威厳につとめるようなことはしない」とうたわれている。孔子の言葉でも、「口に出したり、容貌にあらわしたりして外の威厳につとめることをするのは、民衆教化の上では、末端のことであり、根本的なことではない。」とある。詩経にはまた、「徳の軽くて広く行われることは、毛の飛ぶようである。」といわれている。毛のようだといわれると、まだその徳と比べるものがあることになる。詩経の別の言葉によると「上天のしわざには、声もなければ臭いもない。つまり、比べるものがなにも無い。」これこそが最高の徳であり、天命としての誠の徳である。

天命としての「誠」という徳は、他に比べるものがない、この世の中で最高の徳であり、口に出したり、態度に表したり、外へ威厳をみせるものではなく、自然ににじみ出てくるものである。そして、そういう徳を備えている君子は、そこにいるだけで、民衆を惹きつけ、民衆は、その君子に従って、仕事に励み、命令に服するのである。と、述べているのである。
「中庸」は、最後の結びとして、世の中の最高の徳は「誠」であるとしているのである。そして、この最高の徳を有する君子が世の中を統治すれば、世の中は平穏、平和になり、活性化し、進展、進化するとしているのである。そういう意味では、こういう徳を有する君子が世の中を統治していないから、世界各地での紛争はなかなか治まらず、逆に益々泥沼化しているのであろう。もちろん、ここに述べてある君子のような人物はなかなかいるものではないが、少なくとも、世界の指導者たちは、世界の平和や進展、進化のために、ここに述べてある最高の徳である「誠」の実践を国益や国境を越えて実施すべきであるように思う。
金融の世界から始まった、グローバル・スタンダードという言葉が登場してから久しいが、本当の意味でのグローバル・スタンダードというのはなかなか確立するのは難しい。それは、国家間の格差や民族性、宗教観がそれぞれに違うからである。特に、市場経済の中では、経済的に富んでいる国がいいとされ、また、そういった国が世界を先導するがために益々世の中は偏った方向へ進んでいくのである。現在のグローバル・スタンダードは、先進国スタンダードであり、決して本当の意味でのグローバル・スタンダードには、為り得ていないのが現実である。G7からG8、G20と一見経済が豊かになった国が多くなったかに思えるが、そこには、様々な軋轢や争いごとが後を絶たないのも現実である。例えば、中国のチベット問題のように、経済では、解決できない問題が世界には多くある。そして、そういう問題の背景に在るのは前述もしたが民族性や宗教性、つまり、人間の精神的な面である。また、全世界の国々が一律に経済的に豊かになるとは思えない。おそらく、時代が変遷して、新興国が台頭しても、経済的な国家間の格差は是正されないように思う。だから、経済を中心においてのグローバル・スタンダードは確立できないでいるのであると考える。つまり、経済で世の中を先導しても、いつまで経っても、世界標準や基準を旨とした、全世界の人が富を分かち合える平和な共存共栄できる世界は実現できないのである。それでは、全世界の人が富を分かち合える平和な共存共栄できる世界を構築するためにはどうすれば良いか。それは、各国が主体性を以て、世界に、世の中に誇れ、貢献できる役割は何なのかを認識し、それに基ずいて行動を起こすことである。そして、各国がその主たる役割を以て、他国との相互理解のもとに国家間のバランスを保っていくことである。要するに自他共にその役割を認め合いながら、絶妙なバランスをとっていく「中庸」こそが、本当の意味でのグローバル・スタンダード(世界標準、基準を経済ではなく精神的価値観で決定すること)を確立させるために、大切なことであると考える。
現在の世界の潮流を見てみると、様々な問題解決のために必要なことは、力で物事を制するよりも、相互理解をして融和していくことであるように思う。力で物事を解決しようとすると、イラクやアフガニスタンのように益々混乱に陥ってしまうのは自明の理である。そういう意味では、融和型の指導者が、先進国でも現れてきているのは、時代の要請でもあるのであろう。こういう時こそ、機を逸せずに、「中庸」の世界の実現に向けて、全世界の指導者たちが、「誠」を実践すべきであるように思う。