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伝習録 巻上
(平成22年7月〜11月) |
王陽明は、名を守仁、字を伯安という。陽明は号である。中国浙江省の余姚に、1472年(成化8年)に生まれて、1528年(嘉靖7年)に57歳で没している。5歳までものを言わなかったといわれている。13歳のとき母を失っている。継母とはうまくいかなかったようである。17歳のときに諸氏と結婚するが、幸福な結婚生活とはいえず、子供も授からなかった。そういう、あまり恵まれない家庭生活の中で、祖母の岑氏、祖父の王天叙、父の王華には慈愛を受け、それが、王陽明の人間としての平衡感覚を培ったようである。また、健康面にも恵まれず、青年時代に喀血して、生涯に亘って病身に苦しむことになる。しかし、その病身を引きずりながら、持ち前の意志の強さで、艱難を乗り越えて自分の思想哲学を完成させていくことになる。
また、王陽明は18歳の時に、婁諒(朱子学の泰斗、呉康斎の愛弟子)に師事し、朱子学を学ぶことになる。21歳のときに、竹の理を朱子学の格物窮理の工夫に即して実践して、失敗し、大きな挫折を体験する。このことで自分は聖人になる力量を持っていないと自信をなくして、しばらく精神的に彷徨する年代を過ごすことになる。このときに仏教や道教も学んでいる。科挙に合格して、官職につき、朱子学を再度勉強し始めたのは30歳を過ぎたころからである。しかし、竹の理の追求の失敗から、朱子学に対する疑念から抜け出すことはできなくて、朱子学には誤りがあるのではないかと思い、思想哲学の新世界を切り開こうとするのである。
そのころ、朱子学の実践論はあまりにも過酷だとして、「自然」を尊重した陳白沙の弟子である湛甘泉と出会い、交流を深め、自身の思想哲学の新世界を更に深耕させていくことになる。そういう中、35歳のとき、宦官の劉瑾の専横を武宗に上訴するが、逆に怒りにあって、貴州の龍場に配流されるという事件がおこる。その地の困難な生活の中で、なお一層勉学に励み、ついに新たな格物論を悔悟するにいたるのである。ここに思想家王陽明が誕生することになる。「聖人になる道は、もともと我々の本性が完全であることによるものであって、理を外在する物に求めたのは誤りであった。」と大悟して、心即理説、知行合一説として、開陳されることになるのである。心即理、知行合一については、「伝習録」を学ぶ中で説明していこうと思う。
朱子学が圧倒的に優勢であるその当時の思想界にあっては、厳しい批判にさらされたり、周りから詰問にあったことも多かったが、それを乗り越えて、同調者も増えていった。そして、40歳代半ば、南京に在任した折に「朱子晩年定論」「古本大学」を刊行して、朱子学に対して決別を宣言した。そして、このころ、「伝習録」上巻が刊行される。陽明学の誕生である。また、48歳のとき、時の皇帝、武宗の乱脈ぶりを機として、江西省の南昌で寧王宸濠の乱が起こり、それを平定するために王陽明が出陣し、わずか7日間で鎮圧するという出来事があったが、その間も講学はやめなかったといわれる。中国にはめずらしい、将に文武両道の士である。また、暗愚な皇帝や中央政府の無策のために戦後処理におわれるが、それにも万策を尽くして事を終えるのである。そして、50歳のときに新建伯に封ぜられる。
そういう政務で多忙な中で致良知説を発見することになる(49歳)。孟子のいう「慮らずして、良く知るところのもの」、つまり、良知を物事を実践する際の主体としたのである。そして、致良知説を中核として、心即理説、知行合一説が再編されて、陽明学の思想体系がつくられるのである。51歳のとき、父の王華が死去したので、故郷に帰り喪に服した。それから56歳で思恩、田州の乱平定のために出征するまでの休職期間は王陽明の生涯の中でもっとも平穏な、有意義な生活の期間となる。官僚としても、思想家としても声望が高まり、もちろん、それに応じて、誹謗中傷も激しくなるが、門人や知己との講学、遊山に明け暮れる日々をおくった。このときの師弟問答を編集したものが「伝習録」下巻である。また、このころ「抜本塞源論」「稽山書院尊経閣記」「親民堂記」などの大同社会の実現を描いた論文を発表した。「抜本塞源論」については、何年か前にこの順受の会で勉強した。この論文集を中心に編集されているのが「伝習録」中巻である。そして、このときに、自分の学問を継いでくれる後継者成りうる弟子たちがぞくぞくと入門してくるのである。王心斎、王龍渓、銭徳洪、欧陽南野、鄒東廓などがそれである。
王陽明は、56歳の9月、思恩、田州の反乱を平定するために出征する。そして、これも平定を無事すませるのであるが、過酷な任務であったがために、病気が重くなり、中央政府の許しがないままに、病気療養のために、故郷へと帰途につくことになるのである。そして、その途中、王陽明、57歳の10月、青龍舗で、門人、周積にみとられて、逝去するのである。このときの最後の言葉が「此の心光明 亦復何をか謂わん」(私の心は光輝いている。何も謂うことはない。)である。
王陽明が自分の生涯を通して、特に龍場の大悟からの後半20年に亘り、事上磨錬の日々の中で、確立させたこの思想体系は、その後、陽明学と呼ばれ、東アジアに、特に日本に大きな影響を与えたことは、これまでの順受の会の勉強会で学んだとおり、周知の事実である。その陽明学の真髄を勉強するために、その教本ともいえる「伝習録」を今回は学んでいこうと思う。教本は「伝習録」(明治書院新書漢文大系・近藤康信著、鍋島亜朱華編)とするが、他にも「伝習録」については、多くの教本があるので、色々と参考にされるのも良いと考える。この教本は「伝習録」のすべてを網羅しているものではないが、それでも相当な量である。6ヶ月間で終えるということは当然難しいので、進捗次第では、来年後半、再来年後半と3年くらいかけて勉強していきたいとも考えている。
王陽明が一貫して述べているのは、人間は本質的に本来完全である(良知を誰もが持っている・皆が聖人になる要素を持っている)。だから、根源から悪の世界からは救われている。だから、この「良知」を発揮することによって、自己実現、自己救済ができ、それを他に及ぼすことができるのであるということである。
そして、「良知」は、人間だけでなく、この地上に存在する生きとし生けるものは、すべて、持っているとも述べているのである。だから、万物、万人がそのもてる良知を発揮させれば、理想的な大同社会が実現できるということにもなる。今回のG20を取り上げるまでもなく、世界には、まだまだ、様々な対立軸が多くある。しかし、それを乗り越えなければ、本来の人類の進化、進展はないように思える。この王陽明の唱える良知心学には、その対立軸を乗り越えるためのヒントが多く隠されているように思えてならない。身の回りの小さな対立軸から世界的な大きな対立軸まで、解決できるすべをこの「伝習録」から学んでみるということもいいのではなかろうか。
伝習録 巻上
(徐日仁所録)
徐愛(日仁)は、王陽明が唱えている「知行合一」の説をまだよく理解していなかった。そこで同志である宗賢や惟賢と議論をしてみたが、それでも結論を得ることができなかったので、王陽明に直接聞くことにしたのである。陽明が「試みに挙げ看よ」というので、徐愛は「如今、人侭(まま)父には当(まさ)に孝なるべく、兄には当に弟なるべきを知る者にして、卻(かえ)って孝なる能(あた)わず、弟なる能わざる有り。便(すなわち)ち是れ知と行と分明是れ両件なり。」(世の中をみると、父には孝、兄には弟であるべきと知っているものでも、実際には孝行もできず、孝弟もできないという例が多々あります。これを見ると知と行は、明らかにふたつであることがわかりますが)と質問した。それに対して陽明は「此れ已に私欲に隔断さる。」と述べて、私欲に隔断されているのは、本来の知行の姿ではない、もし知って行わないなら、それはまだよく知らないからであると答えている。そして大学の中にある「誠意」の章を引き合いに出して説明をしている。
「意を誠にするということは、自分を欺かないことであり、たとえば美しい色を好み、いやな臭いを悪(にく)むようなものだ」(所謂その意を誠にすとは、自ら欺く母(な)きなり。悪臭を悪むが如く、好色を好むが如くする、此れを自ら謙(こころよく)すと謂う。)美しい色を見るということは知に属し、美しい色を好むことは行に属する。しかし、よく考えてみると、美しい色を見たときには、自然にその瞬間に好んでいるのであって、見た後から心を動かして好んでいるわけではない。いやな臭いを悪むのも同じで、いやな臭いをかいだ瞬間に自然に悪んでいるのであって、かいだ後に別に心を動かして悪むわけではない。鼻詰りの人であれば、臭いをかげないので悪みはしない。これはいやな臭いを知らないからである。だから、本当に孝行や孝弟のことを知っているというのは、その人が孝を行い、弟を行っていてこそ知っているのであって、孝や弟の話を知っているだけで、孝や弟を知っているということにはならないのであると陽明は述べている。また、痛さを知るのは自分が痛い経験をしたからであり、寒さを知るというのは、自分が凍えた経験をしたからであり、ひもじさを知るということは、自分が飢えた経験があるからであるので、知と行をどうして分けることができようかとも述べている。ようするに分けられないのが知行の本来の姿であり、その間には私意などの入る隙間はないと述べているのである。そして、それは聖人が人を教えるための要点であり、物事を私意なく実践するための修行でもあると述べているのである。
確かに、現代は、この情報化社会の中で、様々な情報が入ってくるので、その情報をあたかも、すでに知り、理解したものであると考え違いをすることが多いのではなかろうか。王陽明が言うように、話を知っている(情報を知っている)というのは、本当にそのことを知っているということではないということは、将にその通りであるように思う。本当に知っているということは、その中に体験や経験があることであり、それがなければ、他を理解させることもできないし、他に影響を与えることもできない。もし、体験や経験なしで、知っているというなら、それは詐欺である。この情報化社会は、我々に大きな利便性を与えてくれているが、ここのところを取り違えると大きく物事を間違えることになりそうである。また、情報は、行動を伴わないので、その間に私意や悪意が入りやすくなるということもいえる。そういうものに感化されると、自分の情意が麻痺してしまい。とんでもない行動を起こすということにもなりかねない。何年か前の秋葉原の歩行者天国での事件も、最近の広島のマツダ工場内での事件もその代表的な例であるように思う。私意や悪意を入れさせることなく、行動するためには、この知行合一の修行をすることが重要であると考える。
また、この知行合一の修行をしたならば、知から行へ寸分も私意が入り込む余地がないので、裏表のない、本音と建前のない、どんな物事にも対応できる人間としての本来の自然な行動ができてくるということがいえるのではなかろうか。
続けて陽明は謂う「知は是れ心の本体にして、心は自然に知ることを会す。」(知は心の本体であるから、心は自然に知覚することができる。)例えば、父を見れば自然と孝をする気を起こし、兄を見れば自然と悌をする気を起こし、幼児が井戸に落ちようとするのを見れば、救おうと自然に惻隠の情を覚えるようなものである。そして、この自然の知のはたらきこそが良知である。それは人が生まれながらに持っているものであって、決して外に求めるものではないと。また、この良知に私意の妨げがないなら、それは、そのまま聖人ということが言える。しかし、普通の人は、私意の妨げがないというわけにはいかないから、それを知行合一の修行によって、私意を去らしめ、天地自然の道理に戻す必要があるのである。そして、これを知を致す(良知を致す)といい、また、知を致せば、当然、意が誠になると述べているのである。
陽明は、この生まれながらにして持っている良知を発揮させることができれば、誰でも聖人になることができ、それは、当然、外に求めて得られるものではなく、内在しているものであると述べている。だから、人間誰でも聖人になる要素を生まれながらにして自分自身で持っているということになる。
良知とは、これまでも何回か述べてきたように、「内なる神」であり、「仏性」である。これを外に求めようとしても、確かに得られるものではない。これが得られれば、当然、人間は幸福になれる。人間は一般に、物や金、地位と外に幸福を求めるが、それで本当の幸福をつかめるということはない。本当の幸福を得ようと思うならば、心を満足させることが一番である。そして、その心の満足感が外にいい影響を及ぼすのである。将に儒学の根本「修己治人」である。また、心を満足させるためには、生まれながらにして持てる自分自身の良知を発揮させることが必要になる。だから、本当に世界の平和を願うのであれば、外物である金融や核兵器に頼るのではなく、元来、全人類が持てる「良知」を遺憾なく発揮させるということから始めるべきであると感じる。
陸原静所録
陸澄(原静)が主一(心を専一にして、他念に乱されないこと)について質問した。「書を読むが如きは、則ち一心書を読む上に在り、客に接すれば則ち一心客に接する上に在れば、以て主一と為す可きや。」(例えば、書物を読むときには、心が全く書物の上にあり、客に接するときは、心が客に接する上にあって、ほかの事を考えないようであれば主一と申せましょうか。)それに王陽明は答えて「君のその説からすれば、色を好むときは、心が全く色を好む上にあって、ほかの事を顧みなかったり、財貨を好むときは、心が全く財貨の上にあって、他を顧ないということが主一ということになりそうであるが、そんなことが許されることであろうか。」と述べ、「君の言ってることは、外物を追っていくことであって、主一ではない。主一とは、ただ一個の天理を主として、他のことを思わないことである。」と述べている。
つまり、主一とは、外の物を追い求めるものではなく、天理を主として、天理に専一になることであると述べているのである。天理とは、天地自然の道理、ということは人間の道理でもある。その主宰者は王陽明の言う「良知」である。だから、天理に専一になるということは、良知(内なる天理)に専一になるということでもある。つまり、良知を致すということが、天理に専一になるということに繋がるのである。
また、物事に集中するのはいいが、そこに私意を挟んではならないということでもある。何事も誠意を以て対応するということである。私意が働けば、物事に集中すればするほど、他を顧みなくなる。そうすると、それは、独善的なものになり、他に大きな弊害を及ぼすようになる。少し前のオウム真理教の事件などは、麻原彰晃という人間を主として、それに専一になったがために、私意が働き、あのような、テロとも思われるような事件を引き起こしたのである。そして、周りの多くの人に弊害を及ぼしたのである。逆に天理を主とし、天理に専一になっていれば、誠意がはたらき、周りの多くの人を幸福にするのである。だから、我々も外に存在する形あるものを崇拝するよりも、自分自身の中にある良知(内なる天理)を発揮させることに専一になるべきであるように思う。そうすれば、どんな弊害にも耐えられる「強い心」が自ずから醸成されていくようにも思う。
次に立志について問われた陽明は「只だ念念天理を存することを要(もと)むるは、即ち是れ立志なり。」(ただ、如何なるときにも、心に天理を存養するのが、志を立てることである。)と述べている。常に天理を心の中に持ち続けていくことが志を立てるということである。つまり、天理を常に存養することが立志ということであれば、それは聖人になるためであるので、立志とは「聖人になろうとすること。」であると述べているのである。そして、次に「よくこの要点を忘れないで、続けていけば、自然に心の中に固まってくるものがある。それは道家のいう、所謂、聖胎を結ぶに当たるものである。」と述べている。「聖胎を結ぶ」とは、解説にも述べてあるように、心の中に聖人たるべき因子が萌芽することである。天理を常に心に存養していけば、聖人になる因子が自然に心の中に宿るということである。そして、更に「この天理を常に存養することができれば、人は次第に向上して、美から大、大から聖、聖から神へと進んでいけるのである。また、それは、この天理を常に存養する一念から、存養拡充していくことに他ならない。」と述べているのである。「美大聖神」については、解説に述べてあるように、孟子尽心下篇からとっているものである。内容は次のようなものである。「浩生不害(こうせいふがい)問いて曰く、楽正子(がくせいし)は何人ぞや。孟子曰く、善人なり、信人なり。何をか善と謂い、何をか信と謂う。曰く、欲すべき之を善と謂い、諸れを己に有する之を信と謂い、充実せる之を美と謂い、充実して光輝ある之を大と謂い、大にして之を化する之を聖と謂い、聖にして知るべからざる之を神と謂う。楽正子は二つの中、四つの下なり。」(斉の人、浩生不害がたずねた。「先生、楽正子はどんな人物でございますか。」孟子は答えた。「彼は善人であり、信人である。」また、不害がたずねた。「何を善といい、何を信というのでしょうか。」孟子は答えた。「人として誰しもがかくありたいと思うのを善といい、この善が本当に自分のものになっているのを信という。また、この善が申し分なく充実しているのを美といい、美が内に充実して、外にまで光輝を放つのを大(偉大)といい、大(偉大)で自然に天下の人を感化するようになると、これを聖といい、聖であって、その霊妙な作用を人智では測り知ることができないようになると、神という。つまり、人物には、この善、信、美、大、聖、神という六つの段階があって、楽正子は始めの善と信の二つの中には入るが、まだ、美大聖神の四つの域には達していない人物である。」)
つまり、王陽明は天理を常に心に存養することができれば、普通の人が簡単に達することができない、「美大聖神」の領域にも達することができると述べているのである。「存天理」ということは「存良知」ということでもある。そして、陽明は「存天理」を行うためには「去人欲」が必要であると説いている。「去人欲、存天理」つまり、私利私欲を去って、天理を心の中に存養するということである。私利私欲があれば、天理を心の中に存養することなどはできないということである。また、私利私欲から天理を存養することを求めても、それは無駄なことであるということでもある。ましてや私利私欲で聖人になろうなどと考えても、聖人になることはできない。
次に修行に当たっては、心が乱れて落ち着かないと思ったら静坐をし、本を読むのを物憂く思ったら、尚更、本を読み続けるように努めるべきである。と日用心法について述べている。また、友達と交わるときは、謙譲の徳を持って接するべきであると述べている。このようなことは日常心掛けるべきことであるように思う。次に18Pに移る。
陸澄がまた問うた。「静時は亦意思の好きを覚ゆれども、才(わずか)に事に遇えば便ち同じからず。如何と。」(静かにしているときは、精神が安定して好いように思いますが、少しでも外部のでき事に会いますと、同じようには参りません。どうしてでしょうか。)それに対して陽明は答えた。「それは、ただ、徒に静かに心を養う事だけを知って、私欲に打ち克つ修行を行わないからである。そのような状態で事に臨んだならば、心が外の力によって、圧倒されてしまうことになる。人間は徒に事のないのを求めるべきではなく、すべからく事の上において自己を練磨すべきである。そうすれば、心は自然に定まって、平穏無事なときにも安定するし、繁忙多端なときにも安定するにちがいない。」と。本当の心の安定を臨むならは、日常の実際の出来事にあっても平静でいられるように修行をすべきであると述べているのである。要するに、王陽明のいうところの「事上磨錬」である。山奥の静かなところでするのは、本当の修行とはいわない。本当の修行は、今、目の前にある課題を克服していくことである。そういう修行ができれば、平安なときでも、困難なときでも心を安定させることができるということである。
確かに、心を安定させるために、坐禅を組むとか、静坐をするということは必要なことではある。しかし、現実は、常に、何も問題はないということはなく、常に難問にさらされている。静かなところで静坐をし、坐禅を組むということは、その一時のことであって、人間、大部分は現実の時間にさらされている。その大部分の時間の中で、その中にあって、常に心を安定させることができる修行を行うことが、様々な問題に適宜対応するためにも、人間にとっては、必要不可欠なことである。つまり、常在戦場の中での常在坐禅であり、常在静坐であり、常在臥坐である。何か問題が起こると、大体の人間がそれから逃げようとするが、それでは、問題はいつまで経っても解決しない。むしろ、その図中に飛び込むことが、その問題を解決するための一番の手段である場合が多い。というか、それがすべてであるように思える。そういうことの繰り返しの中で、どんな時でも心を安定させることができる人格が作られていくのではなかろうか。
次を飛ばして20Pへ。
「虚霊不昧、衆理具わって万事出(い)ず。心外に理無く、心外に事無し。」(心は、その姿は虚であって何もないが、霊妙なはたらきを蔵していて、明るく、万事万物の理がすべてそこに具備されて、あらゆる事為が出てくる源なのである。であるからして、心の外に理があるはずはなく、心の外に事があるはずもない。)「心外に理無く、心外に事無し。」つまり、心が世の中にある万事万物の主宰であるという考え方である。
王陽明は貴州の龍場に配流され、その地での困難な生活の中にあっても、学問に励み、新しい格物論を大悟することになる(龍場の大悟)。「人間の本性は、天から賦与されたものであり、それは天理そのものである。だから、本性はもともと完全なものである。だから、元々、我々人間の中にある理を外に求めても何も解決しない。我々人間は皆、本性を具備しているのであるならば、その主宰である心が天理を実現しているといっても過言ではない。つまり、我々自身、我々自身の心が天理を発現し、創造しているのである。だから、理は、すべて心の中にあるのである。」という境地に王陽明は至るのである。「心外に理無く、心外に事無し」つまり「心即理」である。
例えば、一軒の家を建てるとしたとすれば、先ず、その家を建てる人や建築家の意向にあった設計図(理)が必要である。そして、実作業に移ると、現場監督や大工さんが仕事をすることになる(事)。そして、最終的に建物が完成するということになる(物)。その過程には、理、事、物がすべて存在するが、それは、すべて、それに関連する人々が、もっと言えばその人々の心が発現、創造することによって出来上がるものである。決して、理や事や物が先にあって、できあがるものではない。世の中にあるすべての論理や事物は、心が発現、創造することによって作られているといっても過言ではない。
学問の方法を論じ合ったときに、王陽明は「人に学を為すを教うるは、一偏に執す可からず。」(人に学問をする方法を教えるときは、相手によって方法を変えるべきであり、一偏に固執してはならない。)とまず述べている。そして、初学の者に教える方法について、次に述べている。まず「初学の間は心意が定まらず不安定であり、これを取り締まることができないし、その考えることは人欲一方であるので、暫くの間は静坐をして、考えを落ち着かせるようにして、当分これを続けて、その心意が幾分か安定するのを待つべきである。」
と述べている。まず、為すべきは心意を安定させるために静坐をさせることであると述べているのである。また、学問をする前の静坐については、初学の者に限らず、幾多の先人がそうしたように、実行すべきものであるようにも思う。そして、静坐の仕方について次に述べている。「只懸空に静守して、槁木死灰の如くなるは、亦用無し。須く他(かれ)をして省察克治せしむべし。」(ただ、漫然と空に静坐して、心を枯れた木や消えた灰の如くさせるのでは役に立たない。必ず彼に自己の心中を省察させ、私欲を克服することをさせなければならない。)と。ただ、漫然と静坐をさせるのではなく、自己を省みて、反省点を察し、その反省点(私欲)を乗り越えるように指導しなければならないといっているのである。そして、省察克治の仕方については「如何なる時も間断があってはならならない。それには、その反省点を盗賊を追い払うように、徹底的に除去して、祓い清める心構えが必要である。また、何もないときは、自分の心中に潜む、色を好み、財貨を好み、名誉を好むなどの私欲を逐一追求して、探し出して、その病根を抜き去り、永久に二度と起こらないように為すべきであり、それでやっと全快することになるのである。」と。どのような場合でも、省察克治は継続して行い、徹底して、私利私欲を除去させるべきであるということである。そして、更に「常に猫の鼠を捕うるが如く、眼を一にして看、耳を一にして聴き、纔(わずか)に一念の萌動(ほうどう)する有れば、即ち与(ため)に克ち去(ゆ)き、斬釘截鉄(ざんていせつてつ)、姑(しばら)くも他の方便を容与す可からず。窩蔵(かぞう)す可からず。他の出路を放つ可からず。方(まさ)にこれ真実に功を用うるなり。」(それは、常に猫が鼠を捕らえるように、眼をひとつにして見、耳をひとつにして聞き、私欲の一念が萌(きざ)し出したら、即時に克服し去って、断然たる態度を持って進み、暫くも彼の弄する策を許してはならない。また、かくれさせてはならず、逃げ出るのを棄てておいてもならないのである。まさに、これこそが、本当に功を用いたということである。)と述べている。私欲の一念が少しでも出ようとするならば、それを即時に除去するという習慣付けをしなければならないということである。それは、そのまま、王陽明の言う「致良知」でもある。そして、そうしてこそ、心中の私欲はすっかり清掃され、私欲のない境地にまで至るので、自然に天理に合致することになるということになる。
そして、この章の最後に「初学は必ず須く省察克治を思うべし。即ち是れ誠を思うなり。只だ一箇の天理を思いて、天理の純全たるに到れば、便(すなわ)ち是れ何をか思い、何をか慮らんなり、と。」(初学の間は、無念無想になれないので、人欲を省察して、それを克治することを考えねばならない。これが「誠を思う」ことである。また、ただ一つの天理を思って、人欲を克治して、天理が純粋完全に発現したならば、それこそが、何も思慮することのない無念無想の境地なのである。)と述べている。静坐をし、省察克治することが初学の者が学問を行うのに必要な方法であるということである。ここにも述べてあるが、王陽明のいう静坐とは、ただ、漫然とするものではなく、積極的な行動を起こすためにするものであるということがいえる。いつも申し上げるように、一日一回は、静の時間を持つことが必要であるということは、ここでいう「省察克治」の時間を持つということである。方法は色々あろうが、こういう時間を持つことで、次のステップを踏み出していくことができるように思う。
28Pに移る。唐?(とうく)が立志について質問した。「志を立つるは、是れ常に箇の善念を存し、善を為し悪を去るを要(もと)むるや否や。」(学問に志を立てるというのは、善念を常に保持し、善を行い悪を去ることでしょうか。)と。それに対して陽明はまず、「善念存する時は、即ち是れ天理なり。此の念即ち善ならば、更に何の善をか思わん。此の念悪に非ずんば、更に何の悪をか去らん。」(善が心に保持されているならば、それは天理に外ならない。この念が善なら、天理が保持されている状態であるので、その上更に善を思う必要はなく、この念が悪でなかったなら、その上去るべき悪はないのである。)と答えている。志を立てるのに先ず必要なことは、まず、心に善念を保持することであり、それはつまり、心に天理を存することであると述べているのである。そして、次に「此の念は樹の根芽の如し。志を立つるは、此の善念を長立するのみ。心の欲する所に従いて、矩を踰(こ)えず、とは、只是れ志の塾処に到れるなり。」(この人の念は樹の根や芽のような、根本になるものであって、志を立てるのは、この善念を生長確立させることである。孔子が70歳になって、「自分の欲するままに行動しても、人間としての規範をこえることはなかった。」という境地は、ただ、この志(ここでいう樹)が成熟の時期に到ったことに他ならない。)と述べている。善念が人間の根本であるので、それを天地自然の道理にしたがって、生長させ、確立させていくのが、志を立てるということであるといっているのである。そうすると、孔子のような「従心」の境地に達することができるということである。
「不惑」の歳を越して10年以上になるのに、まだ、惑い、迷う、「知命」の歳を越しているのに、自分の使命がまだわからない、自覚できない。「耳順」の歳を迎えようとしているのに、なかなか悟れないようでは、ちゃんと善念が生長しているとはいえず、志が立っているとはいえないということである。深く反省させられる。皆さんはどうであろうか。これからでも遅くはないから、志が立っていない人は、人生を有意義に過ごすために、改めて、志を立ててみようではないか。
次に移る。道の精粗について質問された。それに対して、王陽明は「道に精粗無く、人の見る所に精粗有るなり。」(道に精微深遠な道とか、粗大で分かり易い道の別があるのではなく、人の見方に精と粗があるのである。)と述べている。そして、例えば、この部屋のようなものであるとして、「人の初めて進み来るときは、只だ一箇の大規模の此くの如きを見るのみなれど、処(お)ること久しければ、便ち柱壁の類、一一看て明白なり。再び久しければ、柱上に些かの文藻有るが如きも、細細に都(すべ)て看出だし来る。然れども只だ是れ一間の房なり。」(人が初めてその部屋に入ってきたときは、大体の様子がこのようだとわかるだけであるが、暫くその中にいると柱や壁なども、一つ、一つがはっきり見えてくる。また、尚、暫く居れば、柱の上にいくらか彫り模様があることなど、細々としたものもすべて見えてくる。しかし、これは、始めの部屋であることに変わりはないのである。)と述べている。天地自然の道理、人としての道理を実行していけば、精も粗もすべて、見えてきて、すべてひとつであることがわかる。ということである。
確かに、これまでも何回か、話をしたことがあると思うが、人の見方というのは、様々である。Aさんという人物がいるとしよう。会社の上司のBさんは、Aさんという人物を仕事のできる人だと評価しているが、友人のCさんは、Aさんを友達付き合いの悪い人だと評価している。また、Aさんの奥さんであるDさんは、Aさんを家では何もしないダメな人だと思っている。このように、Aさんという一人の人間であるのであるが、様々な立場や状況の中で、様々な見方をされている。すべての人があの人は100点満点だという人は皆無に近いであろう。しかし、もう一歩踏み入って、Aさんという人を意識して見るようにすると、いいところも、悪いところも良く見えてくるようになる。そして、いいところも悪いところもひっくるめてAさんなのだということが分かるようになる。また、そうして見るのが、一番正当なAさんの人物の見方なのであろう。このように、人物を見るには、「この人はどういう人なのであろう」と意識してみることが必要であるということである。意識して見なければ、Aさんはそういう人だという断片的な間違った見方でとらえてしまう。Aさんにとっても、他の人にとっても残念であり、不幸なことである。一元的に見るということが大切である。
この意識して見る、意識するということは、非常に大切であるように思う。今まで見えなかったものが見えてきて、より物事がはっきり見えてくるということである。例えば、こういう情報を取ろうと意識すればするほど、自然にそういう情報が目に入り、周りに集まってくるということである。何も意識しなければ、何も入ってこない。社会の成長、繁栄も、企業の成長、繁栄も、この人が意識するということに大きく関わっているように思える。だから、成長させよう、繁栄させようと皆が意識を高められる世の中にすることが、政治家や経営者の使命であるようにも思う。
人としての道も、その道を極めようと、ちゃんと意識して見、行動すれば、明らかになり、それが一つであることが、わかるということでもある。
次に32Pへ。「言語に序無きは、亦以て心の存せざるを見るに足る。」(人がものを言うときに、言葉に順序立てが無く、筋が通っていないことで、その人の心がよく存養されていないことがわかる。)話を聞いても、よく何をいっているかわからない話をする人がいる。また、自分も心ここにあらずという状態で、うまく自分の心意を伝えることができないときがある。それは、自分の言葉として、自分自身の心の中で、よく咀嚼されないままに外に発するからである。つまり、自分の体認や体験が無いがために、言葉として発しても真実味がないものになるからである(知行合一の実践が必要)。こういう話をされるときは、気を付けなければならない。特によく何を言っているかわからない話をする人は要注意である。話としては、面白く、美しく、自分の交友関係の広さや華やかな経歴を語り、自分と付き合うと大きなメリットがあることを語るが、結局、何が言いたいのかわからない人の話は、そこに悪意が存在すれば、それは詐欺に近いからである。「巧言令色鮮(すくな)し仁。」(巧みな言葉や美しく外を着飾ることには、仁愛は少ないものである。)である。また、昨日聞いたばかりの言葉を自分の言葉として、今日話す人なども心が存養されているとはいえない。
今年は何回も申し上げているが、皇極経世書で見ると「水地比」である。信頼できる仲間を集めておくという年である。そのためには「言語に序ある。本音で話ができる。」人を極力選んで付き合うべきであるように思う。
(薛尚謙所録)
35Pへ。「朋友書を観て、多く晦庵を摘議する者有り。」(同学の者の中には、朱子の書物を読んで、その欠点を探しては非難する者が多かった。)それに対して、陽明は答えている。「是れ異を求むるに心有りて、即ち是ならず。」(これは、説の相違を故意に探し求める下心があってのことなので、よろしくない。)と述べて、「自分の説と朱子の説には、確かに時に同じでないところも確かにある。だから、弟子が初めて我が門に入って、学問に始めて着手する際には、僅かな相違が千里の差にもなることがあるので、区別ははっきりさせなければならない。しかし、私の心と朱子の心とは、少しの相違も無いのだ。」と述べている。朱子の説と王陽明の説は、起点は「儒学」であるので、聖学を求めるという心の起点は一緒であるが、その論点の捉え方に相違があるということである。もちろん、論点の捉え方に少しの相違があれば、結果大きな差になることは否めないが、「修己知人」を求める心は一緒であるということでもある。そういうことで、弟子たちに先入観を以て、学問をしてはならないと述べているのである。確かに、何事もそうであるが、先入観を以て、事に臨めば、事を見誤ったり、過つことが多いように思える。最近、多く見られるようになった「冤罪」などについても同じことが言えるのではなかろうか。そのときの状況やその人物の風貌、その人物の周辺の人たちの噂、その人物の過去の経歴などの外に現れる事実だけを積み上げて、追い詰めて、罪人に仕立て上げてしまうのである。そうなると、何を言っても、悪人、罪人というレッテルを貼られてしまうことになる。そうすると、やはり、あいつが悪い、あいつが犯人だということになり、真実の究明ができなくなる。一端、悪人だ、罪人だということになると、事実もそれに即したような、事実だけを積み上げていくことになり、あたかもそれが真実であるかのようになるのである。このように偏見視された結果、先入観を持たれて捜査をされた結果、「冤罪」ということが起こるのである。こういうことは、身の回りで起こりうることでもあるので、充分注意しなければならない。事実は見えるが、真実はなかなか見えないのである。いつも申し上げるように「鏡を見て、鏡に映っている自分の姿は事実であるが、その鏡を見ている自分が真実である。」ということである。つまり「自ら欺く無きなり。」という姿勢が、真実を見究める起点であるということがいえようか。
そして、最後に「其の余の文義の、解し得て明当の処の若きは、如何ぞ一字を動かさん、と。」(朱子が文章の意義を明解に説いたところなどは、一点の非の打ちどころもなく、一字も取り換えられないほど立派なものである。だから、朱子を軽々しく批判してはならないと。)と、述べているのである。
南宋の時代の朱子の論敵として、陸象山がいる。陸象山は「心即理」説を陽明に先立って唱えていた儒学者である。陸象山も朱子との論点の捉え方には、相違があったが、お互いにその存在に敬意を払っていたようである。また、弟子もお互いに交流していたようでもある。相違があるから対立するのではなくて、相違があるが故に、お互いの説をよく理解して、その上に立って、自分の見解を正すという、こういう論議の積み重ねがなければ、思想も人間も進化、進展していかないように思う。
次に。蔡希淵が質問した。「聖人は学んで至る可し、と。然れども伯夷、伊尹の孔子に於ける、才力終に同じからず。其の同じく之を聖と謂うは安くに在りや、と。」(聖人は学ぶことによって到達できるものといわれております。しかし、聖人にも種類があって、伯夷や伊尹を孔子に較べてみますと、その才能や力量はどう考えてみても同じではありません。然るに、同じく聖人という理由はどこにあるのでしょうか。)と。それに対して陽明は「聖人が聖人たる理由は、その心が天理に純一で、人欲の混入が無いからであって、それはあたかも純金の純金である理由が、色合いが完全で、銅や鉛の混入がないということと同じである。人は天理に純一な境地に達すれば、正しく聖人である。金が混入物の無い完全な色合いであれば純金である。」とまず、述べている。天理に純一で、人欲の混入が無いのが聖人であるが、それは、何の混入物も無い純金に例えられる。つまり、質の良さ、完全さが聖人としての条件の第一であるということである。続けて「然れども聖人の才力に亦大小の同じからざる有るは、猶お金の分両に軽重有るがごとし。尭舜は猶お万鎰(いつ)のごとく、文王、孔子は猶お九千鎰のごとく、禹、湯、武王は猶お七八千鎰のごとく、伯夷、伊尹は猶お四五千鎰がごとし。才力は同じからざるも、天理に純(もっぱ)らなるは則ち同じければ、皆之を聖人と謂う可し。猶お分両同じからずと雖も、足色則ち同じければ、皆之を精金と謂う可きがごとし。」(しかし、同じ聖人であっても、才能力量に大小のあるのは、金の目方に軽重の差があるのと同じである。例えば、尭や舜は一万鎰、文王や孔子は九千鎰、禹王や湯王や武王は七千か八千鎰、伯夷や伊尹は四千か五千鎰に当たるようなものである。才能や力量は同じではないが、天理に純一である点は同じであるから、皆聖人といえるのである。それは、目方は同じではないけれども、完全な色合いが同じであれば、皆純金と呼べるようなものである。)と述べている。聖人にもそれぞれ才能、力量には差はあるので、重さは違うが、その本質(天理に純一で、人欲が無いということ)は一緒であるということである。だから、聖人たる由縁は、純金の理由が目方にあるのではなくて、完全な色合いにあるように、才能や力量にあるのではなくて、天理に純一であることにあるのであると次に述べているのである。そして、「故に凡人と雖も肯(あえ)て学を為し、此の心をして天理に純ならしめば、則ち亦聖人と為る可し。猶お一両の金の、之を万鎰に比すれば、分両懸絶すと雖も、其の足色の処に到っては、以て愧ずること無かる可きがごとし。故に、人は皆以て尭舜と為る可し、と曰うは此を以てなり、と。」と述べている。つまり、凡人である我々でも、進んで学問をして、天理に純一になることができれば、聖人に成れるのであり、才能や力量の差は格段に違うけれども、同じ色合いであることからすれば、尭や舜と変わらないのであるということである。孟子のいう「人は皆以て尭舜と為る可し。」とは将にこのことである。
孟子は、伯夷については「非常に潔癖で、目に淫らなものは見ないし、耳に淫らな音楽は聴かない。君主たる君主でなければ仕えないし、臣の臣たる者でなければ使わない。横暴な政治をする朝廷や横暴な人たちがはびこるところには、到底我慢してはいられなかった。これほどまでに潔白であったので、後世になって、彼の遺風を聞くものは、どんな貪欲な男でも皆感化されて廉潔な人となり、どんな意気地なしでも皆発奮して決然と志をたてるようになった。」と概要述べている。だから「聖の清なる者」なのである。また、伊尹については「どんな君主であっても仕えたし、どんな部下であっても使った。そして、どんな横暴な政治をする朝廷であっても、その中にあって、尭や舜の政治を全うしようとした。彼は、天は、先に物事を知った者が、後れている者を教え、先に道を覚った者が後れている者を覚らせるようにしているのであると考えた。だから、この尭、舜の道を以て、人民を覚醒していこうとして、世の中を先導していったのである。彼は天下という重任を一人で背負って立ったのである。」と概要述べている。だから、「聖の任なる者」なのである。タイプは全く違うが、その目指すところは一緒なのである。「聖の清なる者」や「聖の任なる者」を今の時代に求めるのは無理なのであろうか。
次に移る。続けて王陽明は説く。「学者の聖人を学ぶは、是れ人欲を去って天理を存するに過ぎざるのみ。」(学問をする者が、聖人となることを学ぶということは、人欲を去って天理を存養すること以外には無い。)続けて「そして、それは金をよく練って、その色合いが完全であるか求めることに他ならない。金の色合いに混ざりものが少なければ、精錬の工程がはぶけて、効果があげやすい。しかし、色合いや品質が劣れば、それだけ精錬は難しくなる。人間の気質にも清らかで純粋なものと、濁って混ざり気のあるものとがあり、普通以上の人もあれば、普通以下の人もある。」と述べている。つまり、「人欲を去って、天理を存する」ということは、金をその色合いが完全なものに近いかどうかを見ながら精錬するようなものである。と述べているのである。また、当然、金に混ざり物が多ければ、時間がかかるし、混ざり物が少なければ時間は短縮できる。それと同じで人間の気質にも混ざり気の多い人とほぼ純粋に近い人とがいるので聖人の道を学ぶのに時間のかかる人とすっと入っていける人があると述べているのである。現在は混ざり物、混ざり気の多い人が多いのではあるまいか。続ける。「其の道に於ける、生知安行、学知利行有り。其の下なる者は、必ず須く人一たびすれば己百たびし、人十たびすれば己千たびすべく、其の功を成すに及んでは則ち一なり。」天地自然の道理を理解し、実践するに際しても、生まれながらに知って、それを平易に行うことができる人と学んで知り、それに即して行動できる人とがある。また、それ以下の人になると、人が一度やることを自分は百度やり、人が十度やることを自分は千度やるというように努力する必要があるが、それが完成するということでは、時間はかかるかも知れないが皆一緒である、と述べている。「去人欲、存天理」の実践の努力さえすれば、誰でも聖人になれるということである。続ける。「後世聖と作(な)るの本は、是れ天理に純(もっぱら)なるを知らず、卻って専ら知識才能上に去(ゆ)いて聖人を求む。以為(おも)えらく、聖人は知らざる所無く、能くせざる所無し。我れ須く是れ聖人の許多の知識才能を将(もっ)て、逐一理会して始めて得ん、と。故に天理上に去いて工夫を着するを務めず、徒に精を弊(つか)らし力を竭(つく)して、冊子上より鑽研し、名物上より孝策し、形迹上より比擬す。知識愈々(いよいよ)広く、人欲愈々滋く、才力愈々多くして、天理愈々蔽(おお)わる。」しかし、後世になると、聖人になる根本は天理に純一になるということが忘れ去られて、逆にただ知識や才能の上での聖人を求めるようになってしまった。つまり聖人は何事も知らないことは無く、できないことはないのだから、自分も必ず聖人の多くの知識や才能を尽く会得しなければ聖人になれないと考えた。そのために、天理に純一なることの修行に務めないで、徒に精根を疲れさせ、体力を消耗して、書物の上から研究したり、物の名称やその器用について考察したり、古人の足跡を真似たりなどする。そうであるので、知識は益々広くなるが、それと共に、欲望も益々多くなり、才能力量は益々多くなるが、天理は益々蔽われてくることになる。と述べている。つまり、後世の学者は、聖人になるための根本である天理に純一になる「去人欲、存天理」の実践をしないで、聖人の外に現れる知識の多さや行動の完璧さだけに気をとられて、それを真似しようと、知識を得ることを本旨として、外にある、物や現象について学問をすることをその主流となしてしまった。そうすると、益々、聖人になるための根本である天理に純一になるという修行をおろそかにしたり、あるいは忘れてしまうということになる。ということである。学問の根本を忘れて、学問をしても知識をふやすだけで、自分のためにも、世の中のためにもあまり役に立たないということである。そして、「正に人の万鎰の精金有るを見て、?錬(たんれん)して成色の彼の精純に愧ずる無からんことを求むるを務めずして、乃ち妄(みだ)りに分両を希(こいねが)い、彼の万鎰に同じからんことを務め、錫鉛銅鉄を雑然として投じ、分両愈々増して成色愈々下り、既に其の梢末には復た金有る無きが如し、と。」(これは正に、人が万鎰の純金を持っているのを見て、自らよく精錬して金の色合いがその純粋さに恥じないようにすることに努力をしないで、やたらに目方が多いことを望んで、その万鎰と同じ分量にしようとして、錫、鉛、銅、鉄などをごたごたと炉の中に投げ込んで、その結果、目方は近い分量に増加したが、色合いは益々低下して、やがて、最後はもとの金の成分さえも無くなってしまうようなものである。)と述べている。外に見える華やかさや形式だけを整えようとしても、中身のないものになってしまうということである。中身がない、つまり、しっかりした支えがないので、益々、外を整え、飾ろうとするのであるが、それは大黒柱のない家のようなものであるので、いつかはその重さに耐え切れずに壊れるということである。例えば、人望もあり、人格も立派で、事業に成功している人がいるとすれば、その人の本質を見ないで、成功した手段や手法だけを学んで、同じように成功しようとするようなものである。それは、一端、その手段手法を真似て成功する人がいるかもしれないが、そう時間をおかない内に瓦解するということであるようにも思える。また、それをわかっていて、短期間で事業を成功させ、早期に高値で次の人に売り飛ばすというような人もいる。現在、そういう事例には事欠かない。しかし、それは、結果、何の世の中の発展にも貢献しないし、不良債権の山を築くだけになる。
そして、この言葉を聞いた徐愛が「先生の此の喩は、以て世儒の支離の惑を破るに足り、大いに後学に功有り。」と述べている。つまり、王陽明のこの喩は、世の中の儒者の本質から離れた迷論を打破するのに足りるものであり、後の学問にも大きな効果があると言っているのである。そして、この章の最後に陽明は「吾輩の功を用うるは、只だ日に減らすを求めて日に増すを求めず。一分の人欲を減らせば、便ち是れ一分の天理を復するなり。何等の軽快脱洒ぞや。何等の簡易ぞや、と。」(わたしが力を入れるのは、ただ、毎日減らしていくことであって、増やしていくことではない。それは一部の私利私欲を減らすことができれば、一部の天理をその分量だけ回復できるからである。この修行法は何と軽快であり、洒脱であることか。何と簡易なことか。)と述べている。私利私欲を少しずつ減らしていけば、その分だけ、天理が増えてくるということである。分量は、それぞれの人によって違うが、それぞれの分量の中で、減らした分だけ増えてくるということである。善行を増やしていけば、悪行は減っていき、やがては、自分の器量の分だけ善行でいっぱいになるということでもある。太陽にかかっている雲を取り除けば、太陽そのものになる、太陽そのものは元々そこに存在するものであるので、その容量は元々変わらないということにもなろうか。
次は46Pに。王陽明は弟子たちに言った。「学を為すには、須く箇の頭脳を得て、工夫方(まさ)に着落有り。縦(たと)い未だ間無き能わざるも、舟の舵有るが如く、一提せば便ち醒めん。然らずんば、学に従事すと雖も、只だ箇の義襲いて取るを做(な)し、只だ是れ行いて著(あき)らかならず学びて察(つまび)らかならすにして、大本達道に非ざるなり。」(学問をするには、まず、その頭脳といえる根本のところを会得することができるならば、学問の工夫は自ずから理解でき、落ち着くことになる。たとえ、間断がないわけにはいかぬにしても、舟に舵があるようなものであるので、進路を定めれば、明確に進むことができる。もしそうでなければ、学問に従事していても、一つや二つの義を行って、無理に効果があがるように取り成したり、実行しても事が明らかにならず、学問しても意味がわからないことになる、それは学問の根本的な正しいやり方ではないのである。)学問の根本がわからないで、学問をしても、舵のない舟と一緒でどこに行くかわからなくなるということである。学問の目的は「修身」、「修己治人」であり、聖人を目指すことである。そして、学問の根本(大本達道)は中和である。この大本達道である「中和」については、ここの背景に述べているように、「中庸」の第一章に述べられていることである。「中庸」の時も勉強したが、再度、確認しよう。
「喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。発して皆な節に中る、これを和と謂う。中なる者は天下の大本なり。和なる者は天下の達道なり。中和を致して、天地位し、万物育す。」(喜怒哀楽などの感情が動き出す前の平静な状態、それを中という。それは、偏りも過不及もなく中正である。感情は動き出したが、それらが皆然るべき節度にぴたりとかなっている状態、それを和という。それは、感情の乱れが無く、正常な調和を得ている。こうした中こそは天下の万事万物の偉大な根本であり、こうした和こそは天下中いつ、どこでも通用する道である。中和を実行して、窮めれば、天地自然のあり方も正しい状態に落ち着き、万事万物が健全な生育をとげるのである。)再度、申し上げれば、学問の根本は中和であり、中和を実行して、窮めることができれば、身も修まり、聖人にもなれるということでもある。
続けよう。そして、更に王陽明は弟子たちに言った。「見る時は横説竪説(おうぜいじゅぜい)するも皆是なり。若し此の処に於て通ずるも、彼の処に通ぜずんば、只だ是れ未だ見ざるなり。」(学問の根本のところがわかれば、どんな説明の仕方をしても、皆よく通じるものである。もし、この点は通じるが、他の点は通じないようでは、まだ、根本がわかっていないのである。)学問の根本のところがわかれば、舵の付いた舟と同じで、方向や進路を明確に定めることができる。そして、周りの状況に振り回されること無く、無理なく進んでいくことができるということである。
政治を行うにしても、会社を経営するにしても必要なことはこの「中和」ということではあるまいか。偏らず、過不及のない施策をつくり、実行するに際しては、周りとの正常な調和を図る。政治家や経営者にこの「中和」の心があれば、また、自ずから、バランスのとれた計画が策定され、バランスよく人材が配置され、関係者同志、調和を取りながら計画が実行されていくということになろう。それは、引いては、国民や従業員にいい影響を与え、いい成果をもたらすということにもなるように思える。
もちろん、こういう事を計画、実行するためには、大器量の人物が必要である。それにしても、最近の政治家は、小物揃いである。政治の中枢にいる閣僚や党役員からして、小物揃いだから、まともな政策の立案もできないのではなかろうか。自分や自分の仲間の考えを何の実証検分もなしに正当化するような計画の立て方では、すぐに破綻するのは目に見えている。また、自分の考えを主とし、周りの状況を把握できないで、発言している大臣などをみていると、その配慮の無さに、本当に日本を代表しているという自覚があるのかとも思える状況も多い。もっと大局を見て、政局などに関わらず、これからの日本のために一身を投げ打つ覚悟の政治家はいないのであろうか。本当に残念でならない。今の政治家はもう一度「帝王学」を学びなおしたほうがいいのではあるまいか。何よりもそれが先になされるべきであるように思える。
次に移る。欧陽崇一が質問した。「尋常意思多く、忙し。事有れば固より忙しく、事無きも亦忙しきは何ぞや、と」(私は平常時でも気が忙しくて落ち着きません。何か事があれば勿論忙しいですが、事が無くても忙しいのです。これは何ででしょうか。)それに王陽明は答えて「天地の気機は、元一息の停る無し。然れども箇の主宰有り。故に先だたず後れず、急ならず緩ならず。千変万化すと雖も、而も主宰常に定まる。人此れを得て生ず。」(天地の気の運行は一息の停止も無く、常に動いているものである。しかし、それは、徒に無秩序に動いているのではなく、これを支配する主宰者があるので、早すぎたり、遅れすぎたりせず、急だったり、緩やかだったりすることがない。これは、現象は千変万化しても主宰者が一定して変わることが無いためである。人は皆、これを得て生まれてきているのである。)と述べている。主宰者とは心のことである。心に偏りや過不及が無ければ、どんなことにも正常に調和することができるので、事あるときも事無きときも、常に安定しているということになる。そして、続けて「若し、主宰定まる時は天地と一般にして息まず。酬酢万変すと雖も、常に是れ従容自在なり。所謂天君泰然として、百体令に従うなり。若し主宰無くんば、便ち只だ是れ這(こ)の気奔放して、如何ぞ忙しからざらん、と。」(もし自分自身の主宰者が安定していれば、身体は天の気の運行と同じく休む時がなく、外部との対応で無限の変化があっても、心は変わらずにおれるのである。所謂、「天君である心が泰然としていれば、身体のあらゆる部分がその命令によく従う」ということができるのである。もし、自分自身の主宰者である心が無ければ、身体中の気が思いのままに活動して、どうして忙しくしないでおれよう。)と述べている。人間、気が忙しくなると、心が安定しないものである。また、気忙しい人は、心が安定していない人ということが言える。気忙しいということは、気を発散させてばかりいるということでもある。気を集めることなく、気を発散させてばかりいると、疲れ果てて病気にもなりやすい。だから、人間は、気を集める、つまり、心を安定させるという時間を常に持つ必要があるのである。心は皆持っているのであるから、心を正常に保つためにも気の集中と分散をバランスよく行う必要がある。私は最近毎朝、瞑想の後に気功をするようにしている。地の気と天の気、所謂、宇宙エネルギーを身体の中に多く取り入れるのである。これを行うと身体中の細胞が活性化されてくるように思える。心を安定させる方法として「気功」を生活の中に取り入れるということは、効果があるように思える。
次に移る。薛尚謙は後悔することが多かった。それを見ていて、王陽明が言った。「悔悟は是れ病を去るの薬なり。然れども之を改むるを以て貴しと為す。若し中に留滞せば、則ち又薬に因って病を発せん、と。」(後悔するということは、人間にとって、確かに病弊を去るための良薬には違いない。しかし、大切なのは、それによって、悪い点を改めることである。もし、後悔の念をいつまでも身体の中に留滞させるならば、薬の副作用のように別の病気を引き起こす懸念がある。)と。後悔するということは、次に同じような過ちを起こさないためにはいいことであるが、その念いをずっともち続けていれば、次へのステップが踏めず、物事が停滞してしまうものであるということである。ここにも述べてあるが、後悔ということではなく、反省して、次へと課題を乗り越えていくことが大切であるということである。所謂「省察克治」である。
私もそうであるが、皆さんも人生の中で多くの後悔をしているはずである。後悔したことが一度もないという人がいれば、それは、人間としての感受性が弱い人か、あるいは、聖人であろう。しかし、その後悔の念を長く持ち続けていれば、それが逆作用を起こして、恨みに変わったり、自分を肯定することによって、人を卑下したりして、他人を傷つけたりするものである。また、それがトラウマになって、自分を責めて、自虐的になったり、自殺を考えたりするということにもなりかねない。後悔が過ぎると心の病になるのである。将に「後悔先に立たず。」である。だから、後悔を反省に変えて、同じ過ちを繰り返さないようにしていくことで、自分の体験の中に、心の中に取り入れていくことが大切である。そうすれば、それは、より強い人格を作り上げていくことにもなるのである。後悔を薬とするためには、そういう陽転発想が大切である。
53Pに移る。薛尚謙が質問した。「先儒は心の静を以て体と為し、心の動を用となす。如何と。」(先儒(程伊川)の説に、心の静の状態を本体として、心の動の状態を作用とするとありますが、この説は如何でしょうか。)と。それに答えて、王陽明は「心は動静を以て体用と為す可からず。動静は時なり。体に即(つ)いて言えば用は体に在り。用に即いて言えば体は用に在り。是を体用一源と謂う。若し静以て其の体を見る可く、動以て其の用を見る可しと説けば、卻って妨げず。」(心は動静ということで体用を決定することはできない。動静は時間上の問題であって、本質的なことではないからである。体用もまた判然とした区別のあるものではなく、体についていえば、用は体にあり、用についていえば、体は用にある。これを体用一源という。もし静の状態において心の本体をみることができ、動の状態において心の作用をみることができると説くなら、差し支えはなかろう。)と述べている。心の動静を心の作用と本体と決め付けることはできない。心の本体の中にも作用があり、心の作用の中にも本体があるように、心の本体の中にも動があり、心の作用の中にも静があるものである。つまり、体用一源、動静もまた一源であるということである。例えば、動静一源ということからすれば、格闘技で相手に攻撃を加えているときは、心は平静であり、逆に攻撃をかけていない表面平静なときは、心が、次にどう攻めようかと色々と策略を立てて動いているようなものである。将に「静中動あり。動中静あり。」である。確かに人間の心中には、陰も陽も、正も邪も、善も悪も、常に相反するものが共存しているものである。どっちか一方しかないということはない。そして、それが相助け合い、補い合うことによって物事は前進するものである。要するに一源になることによって、色々な物事が成就されていくことになる。これが天地自然の道理でもある。
また、背景にも述べられている明代末の儒学者、劉念台は、体用一源、動静一源となるためには良知が必要であるとして次のように述べている。「先生は絶学を詞章訓詁の後に承け、一たびこれを心に反求してその性の覚るところを得て良知と曰い、因りて人に示すに端(もっぱ)ら力を用うることを求むるの要を以てし、良知を致すと曰う。良知を知となすも、知、聞見に囿(かぎ)られざるを見、良知を致す行いとなすも、行い、方隅に滞らざるを見る。即ち知即ち行、即ち心即ち物、即ち動即ち静、即ち体即ち用、即ち工夫即ち本体、即ち下即ち上、これなければ一ならず、以て学ぶものの支離眩ボウ、華を務めて根を絶つの病を救う。」(王陽明先生は孟子没後、訓詁詞章の学によって絶えた聖学を継承し、それを我が心中に反求することによって、人が生まれつきに備えている知覚に道があることを知って、これを良知とし、それより人が専ら力を用いて工夫せねばならぬところを示してこれを致良知といった。良知は知であるが、聞見に限定されるものではなく、致良知は行いであるが一事に滞るものではない。知も行も、心も物も、動も静も、体も用も、工夫も本体も、下も上も、良知がなければ、これらは一とならないとして、世の学者の支離に陥り、明知を失い、外華を務めて根本を失う弊を救った。)体用一源、動静一源を知覚し、体認するためには、良知を知覚し、良知を実行することが必要であるということである。
次に移る。弟子の欒(らん)子仁が質問した。「学んで時に之を習う、亦説ばしからずや。先儒は学を以て先覚の為す所に効(なら)うと為す。如何、と。」(論語の中の「学んで、事有る度に復習して習熟することは、大変悦ばしいことではないか。」とある「学」の字を先儒朱子は効うと解釈し、先覚者の行ったことをまねることだとしておりますが、この説については如何でしょうか。)それに答えて陽明は「学は是れ人欲を去って天理を存するを学ぶ。人欲を去って天理に存するに従事すれば、則ち自ら諸(これ)を先覚に正し、諸を古訓に考し、自ら許多の問弁、思索、存省、克治の工夫を下す。然れども此の心人欲を去って、吾が心の天理を存せんと欲するに過ぎざるのみ。」(学ぶというのは、人欲を去って、天理を存養することを学ぶに外ならない。人欲を去って、天理を存養することに従事するならば、自然に先覚者のしたことに当てて正したり、古い教えに照らして考えたりすることが必要になり、また、自然に多くの、審問明弁、慎思考策、存養省察や克治などの修行をすることにならざるを得ない。しかしそれは、結局、この心の人欲を去って、天理を存養するということに過ぎない。)と述べている。学ぶということは、私利私欲を去り、天地自然の道理(つまり人間の道理)を自分の身に付けることが本旨である。それが実行できれば、自然先覚者の事例に当てて行動したり、古訓に照らし合わせて考察したりせざる得なくなるものであり、そのために様々な修行もせざる得なくなるものであるということである。そして、続けて、「若し先覚の為す所に効うと曰わば、則ち只学中の一件の事を説いて、亦専ら諸を外に求むるに似たり。」(もし、これを学ぶということは、先覚者の行ったことを真似することだというなら、それは学問の中の一事を説くことになり、また、学問は外に向かって求めることのみであるというようになり、外を繕うだけになってしまう。)と述べている。先覚者の真似をしようとしても、学問の本旨が実行されなければ、学問は中身のない、外を飾るだけのものになってしまうと言っているのである。また、続けて陽明は「時に習うとは、坐するには尸(し)の如くするも、専ら坐を習うに非ず、坐する時此の心を習うなり。立つには斎するが如くするも、専ら立つを習うに非ず、立つの時此の心を習うなり。説(えつ)は是れ理義の我が心を説ばすの説なり。人心は本自ら理義を説ぶ。目の本色を説び、耳の本声を説ぶが如し。惟だ人欲の蔽う所累(わずら)わす所と為って、始めて説ばざる有り。今人欲日に去れば、則ち理義日に洽浹(こうしょう)す。安(いずく)んぞ説ばざるを得ん、と。」(また、朱子の注には「時に習う」を「坐るには、尸(かたしろ)の如く厳然とする」とか「立つには斎(ものいみ)の時の如く静かにする」ことだと、礼記を引用して説明しているが、坐るに尸の如くするというのは、ただ、坐る形を練習することではなくて、坐るときに、この心の天理を存養することを練習することであり、ただ、立つ形を練習することではなくて、立っている時に、この心の天理を存養することを練習するという意味である。「説ぶ」は孟子にある「理義が我が心を悦ばせる」の「説」と同じである。人の心は本来自然に理義を悦ぶもので、目が本来美しい色を悦び、耳が本来良い声を悦ぶようなものである。ただ、人欲に蔽われたり、妨げられたりすると、始めて、悦ばないことが起こるだけである。今もし人欲が日に退散すれば、理義は日に日に心に充満してくるので、どうして悦ばないでおられよう。以上が回答である。)と述べている。人欲(私利私欲)を去ることができれば、世の中にある「理」や「義」がはっきりとわかるようになり、天地自然の道理を自然に身に付けることができるようになり、悦びに満ちた生活をおくれるようになるということである。現在は、多くが人欲に蔽われた生活をしているので、世の中を悦びのある環境へ導くための理や義がはっきりと打ち出せないため、混沌とした状態が続いているように思える。日本の個人資産の5割以上を持っているといわれている高齢者の人たちが、自分たちの老後をエンジョイするだけではなくて、持てる資産の一部でも、今、そして、こらからの時代を担う人材のために放出するということを考えなければならない時代であるように思えてならない。そういう、世代間の協力、同盟がなされなければ、日本の国力は益々低下していくように思える。
58Pに移る。王陽明は言った。「樹を種(う)うる者は必ず其の根に培い、徳を種うる者は必ず其の心を養う。樹の長ずるを欲せば、必ず始生の時に於て、其の繁枝を刪(けず)れ。徳の盛んなるを欲せば、必ず始学の時に於て、夫(か)の外好を去れ。如(も)し外に詩文を好まば、則ち精神日に漸(ようや)く漏泄して、詩文上に在りて去(ゆ)かん。凡百の外好皆然り。」(樹を根付させ、育てようとする人は、必ず、その根をよく培養することに力をいれるが、自分の徳を根付させ、育てようとする人は、必ず、その心を培養することに力を入れなければならない。樹の生長を願うならば、必ず、生長する始めに、余分に繁茂している枝を伐り除くべきであり、自分の徳が盛大になることを希求するならば、必ず、勉学の始めに、外部に対する様々な興味を去らなければならない。例えば、人がもし、外に向かって詩文を始めるとすると、その精神は日に日に身体から洩れ、減って、詩文の方へ移ってしまうのである。これはあらゆる外への興味についても同様である。)と。樹を植え、育てるときに必要なことは、その樹をよく根付かせることである。そのためには、余分な枝葉末節は、刈り除かなくてはならない。そうすると、根がよくはり、幹がしっかり強く丈夫に育ち、どんな風雪にもびくともしない樹になる。それと同じで、学問をして、徳を根付かせ、育てようとするならば、それを阻害するような、外的な要因をすべて排除して、集中力を高めることが必要であるといっているのである。そうすれば、どのような難関も乗り越えることのできる精神が培われるということである。
続けて陽明は「我の此に学を論ずるは、是れ夢中に有を生ずるの工夫なり。諸公須要(かなら)ず信じ及んで、只だ是れ志を立てよ。学者一念善を為さんことを之れ志さば、樹を之れ種うるが如くせよ。但だ助くること勿く、忘るること勿く、只管(ひたすら)培植し将(も)て去かば、自然に日夜滋長し、生気日に完(まった)く、枝葉日に茂らん。樹の初生の時、便ち繁枝抽(めぶか)ば、亦須(かなら)ず刊落して、然る後に根幹能く大なり。初学の時も亦然り。故に志を立つるは専一を貴ぶ。」(私がここで学問を論じるのは、無から有を生じるような修行の方法である。諸君は必ずそういう方法があると信じて、そこまで至ろうとしなければならない。それには、まず、学問をする志を立てることが大切である。学問をする人は一念、善をなそうとする志を立てたならば、樹を育てるのと同じように、手助けもせず、忘れもせず、ただ一念培養していけば、自然に日夜育ち成長して、元気も日増しに充実し、枝葉も日に日に茂ってくる。樹の大きくなり始めたころに、たくさんの枝葉が茂ってきたら、必ず切り落とさなければならない。それによって、根も幹も大きくなれるのである。学問のし始めも同じことで、心を乱す余分の興味はこれを除去しなければならない。故に志を立てるには、物事に専一になることが大切である。)と述べている。学問をしようとする人は、先ず、志を立てなければならないということである。志が立てば一念、それに集中して向かうことができるので、周りにある余分な事象にとらわれることなく、勉学に励むことができる。そして、余分なものが増えてきたならば、その余分なもの、枝葉末節を切り落とすように、その都度、除去していかなければならない。そうすれば、微動だにしない人格が確立されるということである。現在の教育はこの心を育てる、根幹を育てるということがほとんどなされていない。根幹を育てるということをしないので、余分な枝葉末節ばかりが繁茂して、その重さに耐え切れなくなり、少しの圧力でもすぐ「ぼきっ」と折れてしまうような精神性しか育てられないということになっているように思える。これは、人間力や国力の衰退にも繋がり、わが国の将来にとって、本当に危険なことである。
67Pに移る。弟子の黄惟乾(きいけん)が「知は如何にして是れ心の本体なるや」(知を致すの知は心の本体だと、先生は言われますが、どうしてなのでしょうか。)と質問した。陽明はそれに答えて、まず「知は是れ理の霊なる処なり。その主宰の処に就いて説けば、便ち之を心と謂い、其の稟賦(ひんぷ)の処に就いて説けば、便ち之を性と謂う。」(知は天理の霊妙なはたらきの事である。その天理を主宰する点から説けば、これを心と言い、天理を天より授かった点から言えば、これを性(本性)というのである。)と述べている。知は王陽明にすれば、良知のことである。これまでも何回も述べてきているが、良知は「仏性」であり、「内なる神」であるので、つまり「天理」なのである。その天理を主宰する機能が心であり、そして、それは、その根源にある本性も含むことになる。だから、知は心の本体ということになる。朱子は、心と性を分けて説いているが、王陽明は心も性も一体と説いているのである。そして、続けて「孩提(がいてい)の童も其の親を愛するを知らざるは無く、其の兄を敬するを知らざるは無し。只だ是れ這箇(こ)の霊能を、私欲に遮隔されず、充拓し尽くせば、便ち完完に是れ他(かれ)の本体にして、便ち天地と徳を合す。」(孟子尽心上に「幼い子供もその親を愛することを知らないものはなく、その兄を尊敬することを知らないものはない」とあるように、知ることは、つまり理(天理)のはたらきであって、この霊能が私欲にさえぎられず、充実開拓され尽くされるならば、完全にその本体を発揮することになるので、天地と徳を合わせることができるのである。)と述べている。人は物心ついた頃から、自分の親を愛する、自分の兄を尊敬するということは、誰から教えられるわけでもなく身に付いているものであるので、これはつまり天理のはたらきであり、これが私利私欲に遮られることなく、成長していけば、常に心の本体である良知を発揮させることができるようになるということである。
ここにも述べてあるが、「孩提の童・・・」については孟子尽心上に次のように述べてある。「孟子曰く、人の学ばずして能くする所の者は、其の良能なり。慮らずして知る所の者は、其の良知なり。孩提の童も其の親を愛するを知らざる者はなく、其の長ずるに及びて、其の兄を敬することを知らざる也(もの)はなし。親を親しむは仁なり。長を敬するは義なり。他なし。之を天下に達(おしおよぼ)すのみ。」(孟子が言われた。「およそ人間にはとくに学ばなくても自然によくできるという能力(良能)があり、あれこれ考えなくても自然にわかるという知恵(良知)がある(いずれも生まれながらに備わっている)。であるからして、幼い子供でも、自分の親を親しみ愛することを知らないものはなく、やや大きくなると、自分の兄を尊敬することを知らないものはない(これが良知良能である)。ところで、この親を親しみ愛するのは仁の心であり、目上の人を尊び敬うのは義の行いである。だから、仁義を行いたいと思ったら、外でもなく、ただ、この親を親しみ、目上を敬う心を広く天下の人々に推し及ぼすだけのことである。」)と。生まれながらに備わっている良知良能(つまり天理)を発揮させることで仁義を世の中に推し進めていけば、平穏な世の中を構築することができると述べているのである。
そして、陽明は最後に「聖人より以下は蔽わるること無き能わず。故に須く物を格(ただ)して以て其の知を致すべし、と。」(しかし、聖人以下の大部分の人は、私利私欲に蔽われざるを得ないから、物事の道理を正して、良知を発揮させることが必要である。)と述べている。一般の人は、私利私欲に蔽われざるをえないので、物事の道理を理解し、善を為し、悪を去り、道義心を発揮させる努力を積み重ねていかねばならないということである。
73Pに移る。蕭恵(しょうけい)という人が質問した。「己私克ち難し、奈何せん、と。」(自己に克ちたいと思いますが、容易に克てません。どうしたらよいのでしょうか。)それに答えて陽明は「汝の己私を将(も)ち来たれ、汝の替(ため)に克たん、と。」(貴方の自己なるものを持ってきなさい。貴方に替わって私が打ち克ってみせよう。)と述べた。蕭恵が何も言えないので、続けて陽明が言う。「人須(かなら)ず己の為にする心有りて、方(まさ)に能く己に克つ。能く己に克ちて方に能く己を成す、と。」(人は必ず自己のためにする心があって、始めて自己に克つことができるのである。また、自己に克つことができてこそ、初めて自己を完成させることができるのである。)それに答えて蕭恵が「恵亦頗(すこぶ)る己の為にするの心有り。知らず何に縁(よ)って己に克つ能わざるや、と。」(私にも相当の自己のためにする心はあるのですが、それであるのに、どうして、自己に克つことができないのでしょうか。)と述べた。それに対して陽明は「且(しばら)く説け、汝の己の為にするの心有りとは是れ如何なるかを、と」(では試しに貴方が自己のためにする心があるというのは、どんなことかを話して見なさい。)と質問した。蕭恵はしばらく考えてから「恵亦一心に好人と做(な)らんことを要(もと)む。便ち自ら謂(おも)えらく、頗る己の為にするの心ありと。今之を思いて看来るに、亦只だ是れ箇の躯殻の己の為にするも、曽(かつ)て箇の真己の為にせず、と。」(私も一心によい人間になりたいと思っていました。だから、自分では相当自己のためにする心があると考えたのですが、今思ってみますと、それは、身体的な自己のためにしたのであって、真の自己のためにしたのではありませんでした。)と答えた。それに対して陽明は「真己は何ぞ曽て躯殻を離れん。恐らく汝那(か)の躯殻の己にすら也(また)曽て為にせじ。且(しばら)く道(い)え、即ち汝の所謂躯殻の己とは、豈に是れ耳目口鼻四肢ならずや、と。」(真の自己はどうして身体を離れることがあろうか。たぶん、貴方はその身体的自己のためにすら何もしなかったに違いない。貴方が言う身体的自己とは、たぶん、耳目口鼻四肢のことではないか、試しに言って見たまえ。)と述べた。王陽明の問答は、このようにして核心に迫っていくので説得力がある。蕭恵はそれに答えて「正に是れなり。此の目は便ち色を要(もと)め、耳は便ち声を要め、口は便ち味を要め、四肢は便ち逸楽を要むるが為の所以に克つ能わず、と。」(確かにそのとおりです。この目は美しい色を求め、耳は美しい声を求め、口は美味を求め、四肢は安楽を求めるために克つことができないのです。)と述べた。そして、陽明は、蕭恵の質問に対して最後に結論付けるのである。「美色は人の目をして盲(めしい)ならしめ、美声は人の耳をして聾(みみしい)ならしめ、美味は人の口を爽(たが)わしめ、馳騁田猟(ちていでんりょう)は人をして狂を発せしむ。這(こ)れ都(すべ)て是れ汝の耳目口鼻四肢を害う的(もの)なり。豈に是れ汝の耳目口鼻四肢の為にするを得んや。若し耳目口鼻四肢の為にする時は、便ち須く耳は如何にして聴き、目は如何にして視、口は如何にして言い、四肢は如何にして動くかを思量すべし。必須(かなら)ず礼に非ざれば視聴言動する勿くして、方に才(わずか)に箇の耳目口鼻四肢を成す。這箇(こ)れ才に是れ耳目口鼻四肢の為にするなり。汝今終日外に向かって馳求し、名の為にし利の為にす。這れ都て是れ躯殻外面の物事の為にす。汝若し耳目口鼻四肢の為にし、礼に非ざれば視聴言動する勿きを要むる時は、豈に是れ汝の耳目口鼻四肢、自ら能く視聴言動する勿からんや。須く汝の心に由るべし。這の視聴言動は、皆是れ汝の心なり。汝の心の視、竅(きょう)を目に発し、汝の心の聴、竅を耳に発し、汝の心の言、竅を口に発し、汝の心の動、竅を四肢に発するなり。若し汝の心無くんば、便ち耳目口鼻無からん。」(老子の中に「美しい色は人の目を盲目にし、美しい音色は人の耳を聞こえなくし、美味は人の口を麻痺させ、車馬を馳せたり、狩をすることは人を発狂させる」とあるように、こればすべて貴方の耳目口鼻四肢に害をなすものであって、それをさせることは決して貴方の耳目口鼻四肢のためにすることにはならない。もし本当に耳目口鼻四肢のためにしようと思うなら、耳は如何に聴き、目は如何に見、口は如何に言い、四肢は如何に動くがよいかを思量すべきである。それは、必ず礼でなければ視聴言動しないことであって、そうしてこそ始めて耳目口鼻四肢が完成するのである。また、そうなってこそ、ようやく、耳目口鼻四肢の為にしたことになるのである。しかるに貴方は今終日外に向かって、馳せ廻り、名のため、利益のためにのみしようとしているが、これは、すべて身体以外の物事の為にやっていることで、決して貴方の言うように、身体的自己の為にしているのではない。貴方がもし本当に耳目口鼻四肢の為にしようと思い、礼でなければ視聴言動しないようにしたい思っても、今の貴方の状態ではどうして、耳目口鼻四肢のために、視聴言動することができようか。それはすべてが貴方の心に由来するからである。だから、この視聴言動は皆、貴方の心がするのである。今は、貴方の心の視るはたらきが目に窓を開き、貴方の心の聴くはたらきが耳に窓を開き、貴方の言うはたらきが口に窓を開き、貴方の心の活動が窓を四肢に開いたに過ぎない。もし、貴方の心が無いならば、耳目口鼻はないのである。)身体的自己の為に、耳目口鼻四肢のためになることを本当にやろうとするならば、その視聴言動は心に照らし合わせてみて、礼に合致していることが必要であり、外面を装う、名のため、利益のために視聴言動するということではないということである。また、心が無ければ、耳目口鼻四肢は無いにも等しいと断言しているのである。
ここにも述べてあるが、「礼に非ざれば視聴言動する勿く」については、論語顔淵第十二に次のように述べてある。「顔淵、仁を問う。子曰わく、己れを克(せ)めて礼に復(かえ)るを仁と為す。一日己れを克めて礼に復れば、天下に帰す。仁を為すこと己れに由る。而して人に由らんや。顔淵の曰わく、請う、其の目を問わん。子曰わく、礼に非ざれば視ること勿かれ、礼に非ざれば聴くこと勿かれ、礼に非ざれば言うこと勿かれ、礼に非ざれば動くこと勿かれ。顔淵の曰わく、回、不敏なりと雖ども、請う、斯の語を事とせん。」(顔淵が仁のことを孔子におたずねした。孔子は言われた、「内にわが身を慎んで外は礼の規範に立ち戻るのが仁ということだ。一日でも身を慎んで礼に立ち戻れば、世界中が仁になつくようになる。仁を行うのは自分しだいで、どうして人だのみができようか。」顔淵が「どうかその要点をお聞かせください。」と言ったので、孔子は言われた、「礼にはずれたことは見ず、礼にはずれたことは聞かず、礼にはずれたことは言わず、礼にはずれたことはしないことだ。」顔淵は言った、「私はおろかではございますが、このお言葉を実行させていただきましょう。」)つまり、己を慎み、修めて、礼に立ち戻る、所謂「克己復礼」する心があれば、視聴言動が礼にはずれることがなくなるので、結果、自分の耳目口鼻四肢が完成する。そうなると、如何なるときにも自己に克つことができるということである。
次に移る。王陽明は続けて言う。「所謂汝の心は、亦専ら是れ那(か)の一塊の血肉にあらず。若し是れ那の一塊の血肉ならば、如今(いま)已に死せる人は、那の一団の血肉還(な)お在り、何に縁ってか視聴言動する能わざらん。所謂汝の心は卻って是れ那の能く視聴言動する的(もの)にして、這箇(これ)は便ち是れ性なり、便ち是れ天理なり。這箇の性有って、才(わずか)に能く這の性の生理を生ず。便ち之を仁と謂う。」(貴方が心と言っているものは、単にかの一塊の肉体のことではあるまい。もし心が一塊の肉体のことであるなら、死んだ人間には、まだ一塊の肉体があるのに、なぜ、視聴言動できないのであろうか。そう見れば、貴方の心とは、かの視聴言動することのできるもののことに違いない。これは、性のことであり、天理のことである。この性があって、はじめて、性の生命現象を生じることができる。これを仁と名付ける。)と。一塊の肉体があっても死んだ人は、視聴言動することはできない。一塊の肉体を視聴言動させるためには、心が必要である。そして、この心は人間としての本性であり、天理でもある。それはそのまま「仁」ということが言えると述べているのである。つまり、肉体を動かすのは心であるということである。そして、続けて、「這の性の生理、発して目に在れば便ち視るを会、発して耳に在れば便ち聴くを会、発して口に在れば便ち言うを会、発して四肢に在れば便ち動くを会るなり。都て只だ是れ那の天理の発生なり。其の一身を主宰するを以ての故に之を心という。」(この性の生命現象が、発動して目にあれば見ることができ、発動して耳にあれば聴くことができ、発動して口にあれば言うことができ、発動して四肢にあれば動くことができるのである。すべてはかの天理の発動に外ならない。それが一身を統率するという意味で心という。)と述べている。性や天理を発動させ、肉体を統率する主宰者は心であるということである。続けて、陽明は言う。「這の心の本体は、原(もと)只だ是れ箇の天理なり。原礼に非ざる無し。這箇便ち是れ汝の真己なり。這箇の真己は是れ躯殻の主宰なり。若し真己無くんば便ち躯殻無し。真に是れ之有れば則ち生じ、之無ければ即ち死す。」(この心の本体は元来天理であるから、その為すところは元来礼に合致しないはずはない。だから、この心こそ貴方の真の自己なのである。真の自己は肉体の統率者である。だから真の自己がなければ肉体は無い。真にこれがあれば生き、これが無ければ死ぬのである。)と。心の本体は天理であるから、当然、礼に合致しないことは無い。だから、心があれば、肉体は礼に合致して視聴言動するのである。この心こそ真の自己であり、それがなければ生きていくことができないと述べているのである。つまり、心=性=天理=真の自己であるということである。更に続けて陽明は言う。「汝若し真に那箇(か)の躯殻の己の為にせば、必須ず這箇の真己を用いて、便ち須く常常這箇の真己の本体を保守して、覩(み)ざるに戒慎し、聞かざるに恐懼し、惟だ他(かれ)を虧損(きそん)すること一些なるを恐るべし。一毫の非礼の萌動するあらば、便ち刀もて割かるるが如く、針もて刺さるるが如く、忍耐し過ごさず、必須ず刀を去り、針を抜くべし。這れ才に是れ己の為にするの心有りて、方(まさ)に能く己に克つなり。」(貴方がもし本当にかの身体的自己のためにしようとするのなら、この真の自己を働かせて、常にこの真の自己の本体を保持し、人が見たり、聞いたりしてない場合でも戒慎恐懼して、その本体を少しでも傷つけないように注意する。もしほんの少しでも非礼の視聴言動の兆しが見えたならば、刀で切られ、針で刺されたように痛切に感じて、我慢せず、必ず刀を除き去り、針を抜き捨てるようにしなければならない。こうしてこそ、やっと自己のためにする心があるのであり、よく自己に克つことができるのである。)と。真の自己を働かせ、真の自己を常に存養し、人が見ていようが見ていまいが、人が聞いていようがいまいが、戒慎し、恐懼して真の自己を少しも傷つけることのないようにし、災いが起こったら、すぐ処置するというふうに、細心の注意を払っていけば、自己に克つことができると述べているのである。そして、最後に「汝今正に是れ賊を認めて子と作(な)す。何に縁ってか卻って己の為にするの心有れども、己に克つ能わずと説くや、と。」(貴方は今、ちょうど貴方の身に害をなす賊を自分の子と考えているようなことをしているのである。これでは、自己のためにするといいながら、自己を害っているようなものである。そのようなことで、どうして自己のためにする心はあるが、自己に克てないなどと言っておれようか。)と述べている。自分の名利のためにすることを自分のためにするということは間違いであり、もし、それを続けていくならば、自分に多くの害を与える賊を自分の中に養っているようなものであり、何の役にも立たないどころか、自分を虧損していくことになる。本当に自己のためにするということは、自分の心の本体に立ち返り、礼を実践し、私利私欲を去り、天理を存養するための修養、修行をすることであるということになろうか。将に「修身」である。そうすれば、己に克つことができるようになるということでもある。
王陽明は、「山中の賊を破るは易く、心中の賊を破るは難し。」と言っているが、強敵は、外よりも内にいるということである。だから、「克己」ができれば、どんな外敵にも克つことができるということにもなろう。克己のためには、強い心が必要である。このことを真摯に受け止めて、日本の政府や政治家にも、今ある外交問題、内政問題に関して、強い心を以て対応してもらいたいものであるように思う。
次に移る。一人の学者で目を悪くしたものがいて、大変に心配をしている様子であった。その様子を見て王陽明は言った。「爾乃ち目を尊んで心を賤しむ」、と。(貴方は目の方を大事にして、心の方を粗末にするようだね。)と。何か自分の身に良くないことがあったり、災いが起こったりすると、そのことにとらわれてしまって、心ここに非ずという状態になるのはよくあることであるように思う。そういう状態になっても、廓然大公としていられる自分を養っていくことが大切であると陽明は述べているのである。その為には、前述のように心を強くするために、己に克つための修行をすることが必要であるということである。政治家も「尖閣列島の問題」や「政治と金の問題」にとらわれたり、振り回されたりしないで、本来やらなければならない国を繁栄、維持させるための政策を立案し、実行していくことに集中すべきであるということである。何か起こるとすぐ、それに振り回される政治家には、政治を任せられないし、政治家になる度量も資格も無いということである。どうも今の日本の政治家は、外での出来事に翻弄され過ぎであるように思える。外面を整えることだけを考えていては、根本的なことが何も実行されないように思う。自分の中から自然に涌き出てくる憤りを誠実に実行していくということが、根本的なことを実行するためには必要である。世の中を良い方向へ変革させようとするならば、この自然に涌き出てくる憤りが大切である。この誠実な憤りを集めて、大きな力にして世の中に発揮させることで、明治維新がそうであったように、大変革は完遂させることができるように思う。
次に移る。蕭恵が死生の道(生死の本質)を尋ねた。王陽明は「昼夜を知れば即ち死生を知らん、と。」(人間の生死は昼と夜の関係であるので、昼と夜のことがわかれば、生死の本質はわかる。)と答えた。続けて蕭恵が、昼と夜の本質は何であるかと尋ねた。それに答えて陽明は「昼を知れば即ち夜を知らん、と」(昼のことがわかれば夜のことはわかる。)と述べた。それに対して蕭恵は「昼も亦知らざる所有りや、と。」(昼でもわからないことがあるのでしょうか。)と尋ねた。陽明はそれに答えて述べた。「貴方は昼のことはわかっているのか。ぼんやりして朝起き、ごそごそして飯を食べて、何も分からないまま行動し、訳も分からないまま習って、一日中、無意識に暮らしているのは、ただ、昼の夢を見ているのであって、昼を知っていることではない。」と。昼を知っていると思っているのであろうが、ただ、何の意識もなしに一日中過ごしているのであれば、それは、昼に夢を見ているようなものであって、昼を知っていることではないと述べているのである。それでは、昼を知るということはどういうことかというということについて、続けて陽明は「惟だ息を養う有り、瞬も存する有って、此の心惺惺明明として、天理と一息の間断無くして、才に是れ能く昼を知るなり。這れ便ち是れ天徳なり。便ち是れ昼夜の道に通じて知るなり。更に甚麼(なん)の死生か有らん、と。」(張横渠の言うように、一呼吸の間にも心を養い、一瞬きする間にも心を存養することに努めて、この心が常に明らかとなり、天理と少しも間断のない状態にあってこそ、やっと昼を知ったといえるのである。この状態が人間の天徳といえるものである。この状態になってこそ、昼夜の全体が分かったといえるのである。そうすれば、生死のことを知るのも何のわけもないことである。)と述べている。一時の間断もないように心の存養をすることで、初めて、天理を存養することができるのであるから、その努力を惜しまずに続けていくことで、昼夜を知るということができるのであるということである。つまり、天理(天地自然の道理)を知るということが昼夜を知るということである。そうすれば自ずから生死を知るということにも繋がるということである。
吉田松陰は、前に「留魂録」の時に勉強したが死生観について次のように述べている。「今日死を決するの安心は四時の順環に於て得る所あり。蓋し彼の禾稼(かか)を見るに、春種し、夏苗し、秋刈り、冬蔵す。秋冬に至れば人皆其の歳功の成るを悦び、酒を造り醴を為(つく)り、村野歓声あり。未だ曽て西成に臨んで歳功の終わるを悲しむものを聞かず。」(今、私が死を目前にして、平安な心境でいるのは、春夏秋冬の四季の循環ということを考えたからである。つまり、農事をみると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。秋、冬になると農民たちはその労働による収穫を喜び、酒を造り、甘酒を造って、村々に歓声が満ち溢れるのだ。この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるということを聞いたことがない。)そして、続けて「吾れ三十、一事成ることなくして死して禾稼の未だ秀でず実らざるに似たれば惜しむべきに似たり。然れども義卿の身を以て云えば、是れ亦秀実の時なり、何ぞ必ずしも哀しまん。何となれば人寿は定りなし、禾稼の必ず四時を経る如きに非ず。」(私は30歳で一生を終わろうとしている。未だ一つも成し遂げることがなく、このまま死ぬのは、これまでの働きによって育てた穀物が花を咲かせず、実をつけなかったことに似ているから惜しむべきかもしれない。だが、私自身について考えれば、やはり花咲き実りを迎えたときなのである。なぜなら、人の寿命には定まりがない。農事が必ず四季をめぐって営まれるようなものではないのだ。しかしながら、人間にもそれにふさわしい春夏秋冬があるといえるであろう。)と述べている。吉田松陰もその人生の最後の局面において、四季の循環、つまり、天地自然の道理(天理)を知ることが、死を知ることであると言っているのである。だから、死は悲しむべきことではないともいっているのである。また、死を知るということは、そのプロセスである生を知るということにも繋がるとも言っているように思える。死を知るということは生を知ること、夜を知ることは昼を知ること、それは天理を存養することで明確になってくるということである。
83Pに移る。蔡希淵が尋ねた。「文公の大学の新本は 格致を先にして誠意を後にす。工夫は首章の次第と相合するに似たり。若し先生の旧本に従うの説の如くんば、誠意は反って格致の前にあり。此に於いて尚お未だ釈然たらず、と。」(朱子が補定した大学の新本は、格物致知の章を先にして、誠意の章を後にしております。これは大学の首章の順序と一致するように思われます。もし旧本のままに従う先生のお説のようですと、誠意の章が反対に格物致知の前にあることになり、首章の順序と合いません。この点からして、先生の説に自分自身未だに釈然としないのですが。と)それに答えて王陽明はまず「大学の工夫は、即ち是れ明徳を明らかにす。明徳を明らかにするは只だ是れ箇の誠意なり。誠意の工夫は、只だ是れ格物致知なり。若し誠意を以て主と為し、去(ゆ)いて格物致知の工夫を用うれば、即ち工夫に始めて下落有り。即ち善を為し悪を去るは、是れ誠意の事に非ざるなし。新本の如く先ず去いて事物の理を窮格せば、即ち茫茫蕩蕩として、都て着落の処無し。」(大学に説く修行の根本は、自己の明徳を明らかにすることで、明徳を明らかにすることは意を誠にすること、意を誠にすることは、格物致知に外ならない。だから、もし意を誠にすることを主目的として、それから出発して格物致知の修行を行うならば、修行に始めてしめくくりができるのである。即ち善を為し悪を去ることなど、意を誠にすることでないものはないからである。もし新本のように、まず初めから進んで物事の道理を窮め格すというなら、只だ茫漠として全く捉えどころがなく、しめくくりのないことに違いない。)と述べている。王陽明は、大学に述べてあるように修行の根本は明徳を明らかにすることである。それは、そのまま意を誠にすることである。もちろん、格物致知ということでもある。誠意を主とすれば、格物致知はその中に含まれるのである(だから、あえて、旧本には、格物致知の説明はされていないのである)。そして、それが旧本の考え方である。物事の道理を窮め、そして格すことから始めるといってもどうすればよいのかわからず、只、茫漠とした工夫をやるしかない。茫漠とした工夫からは何も生まれないし、何事も進まない。だから、わかりやすく、具体的に実行できる意を誠にする「私意を誠実にする。」ということから始めるのである。と言っているのである。続い王陽明は「須ず箇の敬の字を用い添えて、方に才に牽址?(けんしゃ)して身心上に向かい来る。然れども終に是れ根源没(な)し。若し須ず箇の敬の字を用い添えべくんば、何に縁って孔門倒(かえ)って一箇の最緊要の字をば落とし、直ちに千余年の後を待ち、人の来たって補出せんことを要むるや。正に謂(おも)えらく、誠意を以て主と為せば、即ち箇の敬の字を添うるを須(もち)いずと。所以に箇の誠意を提出し来たり説く。正に是れ学問の大頭脳の処なり。此に於いて察せずんば、直に所謂毫釐の差も、千里の繆(あやまり)なるのみならんや。」(そこで、やむなく敬の一字を付け加えなくてはならなくなり、それによって、やっと引き止めて、わが身心の方へ向かわせることができたに過ぎない。しかし、敬の字が出てくる根拠がないのである。もし、どうしてもこの敬の一字を添え用いなければならばいなら、何が故に孔門の先賢が最も重要な一字をおとしておいて、そのまま千余年経った後に、これを補足する人の出てくることを期待したのであろうか。私は、大学は確かに誠意を主とする書であって、敬の一字を添える必要はないと考えたので、誠意を取り出して説いたものである。ここが学問の一番肝腎なところである。この点をはっきりさせないと、単にほんの少しの差が大きな間違いを引き起こすことになりかねないのである。)と述べている。朱子は格物致知の説を主とするために、その実践の手法として「敬」の字を用いざる得なくて、用いているが、ここで敬の字が出てくる根拠はないのである。根拠があるならば、過去の聖賢たちが、すでにそれに気付き、説き、用いているはずである。だから、私は旧本のように誠意を主とするのが正解であり、それが正統な孔門の学であると考えていると陽明は言っているのである。続けて陽明は言う。「大抵中庸の工夫は只だ是れ身を誠にするなり。身を誠にするの極は、即ち是れ至誠なり。大学の工夫は、只だ是れ意を誠にするなり。意を誠にするの極は、便ち是れ至善なり。工夫は総て是れ一般なり。今這裏(ここ)に箇の敬の字を補い、那裏(かしこ)に箇の誠の字を補うと説かば、未だ蛇を画(えが)いて足を添うるを免れず、と。」(大体、中庸に説く修行も身を誠にすることが根本であって、身を誠にすることの究極は至誠である。また、大学に説く修行も意を誠にすることが中心であり、意を誠にすることの究極は至善であるから、修行はどちらも同じことである。それであるのに、ここでは敬の字を補うとか、あそこには誠の字を付け加えるとかして、外からのものを持ってきて説をなすのは、蛇を画いて足を添えるのと同様な無駄なことである。)と。中庸の修行の根本は身を誠にすることであり、大学の修行の根本は意を誠にすることであるのでその修行の目的は至誠であり、至善であるので同じである。つまり「誠」の追求と実践ということである。それにわざわざ「敬」という言葉を付け加える必要などない。だから、「敬」を外から持ってきて付け加えるのは蛇足であると述べているのである。これまでも述べているとおり、王陽明の「大学」理解は旧本のごとく「誠意」ということを主体としているのである。確かに格物致知、特に格物を説明するには、膨大な検証が必要になり、追求すればするほど広がっていくように思える。それは物理学の進展とともに、広がってきている現代の科学をみてもわかるように新たな多くの物事が検証され、実践されているようなところから考えても、無限に近いものに思える。そういう理論的検証や実践は後人にゆだねるとして、元々、曖昧な天地自然の道理を一括して説明するならば、王陽明の言う「誠」ということに帰結していくように思う。もっといえば「誠」は天地自然の道理の運行の源であるように思う。だから、この世の中の様々なこと(難事や急事)は、この「誠」を以てすれば、ほとんどのものが解決されていくように思う。
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