「啓発録」について

(平成19年1月〜6月)  
 
橋本左内(景岳)は、幕末、十三代将軍家定の相続問題のときに当時の越前藩主 松平春嶽の秘書官として、越前藩を代表してその任に当たった人物として知られている。しかし、実はそれだけではなく、その人物像は、学識、胆識ともに優れ、当代一といわれ、次世代を構築する先見性も持ち、それはそのまま、西郷南洲をはじめとする多くの幕末のリーダーたちに多大な影響を与えたのである。「安政の大獄」で二十六歳という若さで吉田松陰らと共に処刑されるが、それに臨む態度は、吉田松陰の「留魂録」にもあったように、泰然自若として、最後の最後まで自分の学問や思想についての姿勢を貫いたのである。詳しい人物像については、この本の最後に平泉洸教授の講演録があるのでそれを読んでいただければと思う。
「啓発録」は、橋本左内が十四歳のときに著したものであるようであるが、世代を越えて学ばねばならないことが記されており、現在のこの荒涼とした人間関係の中で、自分自身を見つめ直し、よりよい人間関係を構築するための指導書として、常に身近に携えて置くべき書物であるように思う。

   
 啓発録叙  
 
左内が吉田東篁の門下にあったときに同門であった友人、矢嶋皐が佐内に託されて、書いた序文である。吉田東篁は山崎闇斎の流れを汲む「崎門派」の朱子学者(儒学者)で幕末に多くの人材を育てた人物である。もちろん、そういう、門下であったので優秀な人材がそろっていたのであろう。そうであるから尚更、若いとき誰もがやったように世の中のことを純粋に憂えて、人にも増して激論を交わしていたに違いない。この人たちには及びもしないが、私もよく夜を徹して、今の世の中のこと、将来のことなどを議論したものである。今の世の中の若者には、そういう人が少なくなったと聞くが。そういう中にあっても、佐内は、自分の知識をひけらかすことなく、人が議論するのをじっと冷静に聞いていたというのであるから、そのときから已に大人の様相を示していたのであろう。しかし、元服をしたとは言え、まだ、若年の学友には、そんな左内の態度が奇異に見えたのであろう。この頃から、佐内は、他事に惑わされずに主体性をもって事に臨む態度は持っていたのであろう。普通、こういう態度をとれば、仲間はずれにされてしまうものであるが、そうならなかったのは、他の学友も「左内は何か持っている。」と感じていたのかもしれない。しかし、現代の多くの人は、こういう人物を受け入れる感受性もなく、また、そういう教育もされていないので、ただ、仲間はずれにしたり、いじめたりするので、本当に世の中を変えられる人物を創出できないでいるのかもしれない。我々大人が、よくよく反省する必要があろう。

左内は、家が元々、藩医であったので、大阪に出て、緒方洪庵の「適塾」に学び、西洋医学や蘭学を学び、一方では時間があれば京都に出て、梅田雲浜や横井小楠などと会って、学識を広めていたのであるが、父親が病のため、家業を手伝うために越前に帰ることになった。その際に矢嶋が会ったときのことを書いているのである。益々、学問の成果が上がっており、前にも増して、沈着冷静で、学識にしても深く、更に胆識も付き、人間として前にも増して大きな進歩を遂げている左内を見て、驚嘆し、自分の進歩のなさに恥じ入っているのである。また、周りの学友たちも理想と現実のハザマの中で、へんに現実に同調して、その中に埋没して、あの頃の理想はどこに行き、何のために学んだかということさえも忘れているものが多くいる現状を見るにつけ、左内の偉大さを感じるのであった。よく人は「理想ばかり追っていても何もできない。」というが、「理想を持っていなければ、何もできない。」ということもできるのである。「理想」と「現実」というものは、相反するものであるように思えるが、実は人間常に一緒に持っているものでもある。いつも申し上げるように陰も陽も、善も悪も、清も濁も一緒に持っているのである。東洋思想的に考えると、相反するものは、すべてが一つに帰するのである(所謂、一元論)。だから、人間の中では「理想」と「現実」は共存しているのである。それが「理想」を失くしてしまえば、「現実」だけが残り、人間としてのバランスを失い、精神的にも肉体的にも成長がストップしてしまうのである。そして、人生に停滞感を覚え、ひどくなると神経衰弱になり、死を考えるようになる人も出てくるのである。だから、どんなときにも、年齢に関係なく「理想」を持つことは重要なのである。「理想」も「現実」を体験、体得することにより実現可能になり、「現実」も「理想」を持たなければ、乗り越えていけないものでもある。左内はおそらく「理想」と「現実」を人より大きく、バランスよく持っていた人物であるように思う。

越前に滞在すること3年にして、藩からの命令で学識を深めるために、江戸へ遊学することになり、そのとき、矢嶋が面会したときのことを書いている。このころは、左内は、勉学に励む傍ら、主君、松平春嶽の秘書官として、国事に奔走し、幕府や各藩の要人と交流を深めていた時期である。だから、尚更、実務にも精通し、その思想、哲学は説得力や迫力のあるものになっていたのであろうと考えられる。その中には、佐久間象山、安井息軒、藤田東湖も西郷南洲もいたわけである。左内が南洲にあったのは、二十二歳のときであったといわれる。そのとき南洲は二十九歳であるので、七つ年上ということになる。南洲は年下でしかも小柄で、一見華奢に見える左内を最初のうちは、軽視していたようであるが、意見交換や交流を増す中で、その学識、胆識の素晴らしさと将来の日本のことを描ける先見性とに圧倒され、心服し、無二の親友となって、一緒に国事に奔走するようになったのである。このように、左内は、越前藩だけでなく、他藩の要人からも重要視される人物になっていたのである。ここにも書いてあるように左内の学問に対する姿勢は「海水の湧きて春潮の進むが如く」限りなく深く進攻していたのである。そして、二十三歳のときに越前の藩校である明道館の幹事として、抜擢されるのである。そして、藩校の教育の範囲を時代に合わせて拡張し、方針の改正をするなど、藩校改革に一年を費やすことになる。そして、二十四歳のとき国家の急務におされて、越前藩主の絶対の信頼を得て、本格的に越前藩の代表秘書官として、本格的に国事に専念するために、また、江戸へ向かうことになる。

   
藩校の幹事として、時間を費やしている時に、左内が少年時代、吉田東篁の門にあるときに書いていた「啓発録」に対する序文を矢嶋に依頼するのである。矢嶋自身も左内に前後して、藩校の幹事や助教をやっているので、藩校の改革の中で、左内が自分をよく理解してくれる矢嶋に依頼したものであろう。ここにも書いてあるようにその全文は忠孝節義の精神にうずまっていて、文章の中に奮い立つような気迫が込められていたというのである。しかも、書いたときの年齢を指折り数えてみると十代の元服の頃のものということに矢嶋はその思慮の深さに改めて左内の偉大さを感じるのである。そして、自分たちは、論に論を重ねるような他愛もない議論をしているときに、左内が、じっと黙って、人生観や人間観をここまで深く探求していたことに対して驚嘆を越え、畏敬の念さえ覚えているのである。最近は、この論に論を重ねるような場面によく出くわす。そしてそれは、自分の体験や知識の引き出しの中からの引用が多く、本質を引き出そうとする気持ちが伝わってこないことが多いように思える。人は人や事象を評価するときに、比較対照があまりないときには、自分を照準に比較する場合が多い。それはそれで一面は捉えているのであるが、多くの面で間違えている場合が多い。そして、そう評価されたものは、よければそれに満足し、悪ければ不満に思い、そこでそれは終わり、改善に努力しない。この連続が、世の中の様々な事象を違った方向へ導いていく源泉になっているのではないかと最近強く思うようになった。要は何を規矩として、評価していくかというところが重要であるように思う。自分の小さな世界観や人生観の中で、もっといえば自分の偏見で評価し、行動すれば、たとえがいいか悪いかはわからないが、現在のアメリカのブッシュ大統領のように、被害に被害を重ねるような状況を作り出すことになりかねない。それでは、何を規矩とすべきかというと、これまでの人間世界の中で積み上げられてきた、人間の生きる糧としての人間学。つまり、今、我々が、勉強しているような、数千年を通して形成されてきた天地自然の理と人間との関係を網羅した、しっかりした思想や哲学であるように思われる。おそらく、左内は、幼い頃からその根本を理解する能力を持っていたのではないかと思われる。最近、私が人間の規矩として「易学」が重要なものであるというのを思うようになったのはこういうことにも起因する。

学問の根本、人間の生き方の根本を良く理解している左内の「啓発録」を読んで、その後の左内の学問がこれほどまでに進んだのかということが、良く理解できるようになったと矢嶋は述べている。それは、国を思い、藩を思うが故に燃え上がる気概を激論を交わすことにより、一度に発散させてしまったことで自分の意見に責任もなく、何の改善もなく過ごしてしまったことに対する自分たちの反省であり、そういう中にあっても、自分の気概をじっと内に押し込めて、時代の変化を冷静に見つめながら、それを表に出し、世の中のために役に立つ時期を見極めていた左内の立派な学問の姿勢に対してである。そういう姿勢があったればこそ、その後の維新に大きな影響を残せたのであると考えることができる。何でもそうであるが、ためることなく、放出ばかりしていては、イザというときに何の役にも立たなくなるものである。また、ぐっと抑えてためたものが、放出されるときの勢いは膨大であり、天下を覆すようなことにもなるのである。そういう姿勢で、藩校改革を左内は推し進めていくのである。そして、それは、矢嶋の述べているような左内の気概の放出により、一年という短い期間で無し遂げられていくのである。考えて見れば、幕末、こういう気概をもって、実行された事業は、短期間で成就している。それは、爆発力の大きさに起因するように思える。今まで、この勉強会で学んできた人物についてもそういうことができる。山田方谷は大変な藩政改革を7年で成し遂げているし、吉田松陰が、その後、幕末から維新にかけて活躍する人物たちを松下村塾で教導するのも2年である。西郷南洲が仕掛ける維新や明治初期の改革は、それぞれ、2,3年というところである。これは、また、時代の要請とそれを成し遂げる人物の人間力に帰するところにある。現代は、じっと我慢し、機を見て、実行することのできる人間が少ないように思えてならない。こういう変革の時代には、そういう、人間力のある人物を育成することが急務であるように思われる。この章の最後に、左内の人物像を客観視できる、この矢嶋も一角の人物であったように思う。

 稚心を去る  
 

「何によらず、稚ということを離れぬ間は、物の成り揚ること事なきなり。」稚は、幼稚であり、稚拙であるということである。そういう、状況では、何事も成し得ることはできないといっているのである。更に、主体性なく、常に親や他人の影に隠れて、それに頼って生きるという姿も浮かび上がる。現在、ニートといわれている人間が多くいるという社会現象は、将に稚の姿そのものが現象として現れたものであるように思う。江戸時代以前は、元服という、今でいう成人式のようなことが、武士の世界では行われていたのであるが、それは、14,5歳のことであった。そして、それが終ると社会的には、大人として扱いを受けるようになるわけである。(現在の日本での成人式には、暴走を含め、様々なところで問題が起っているように成人式を迎えても成人になれない、つまり、稚心を去れていない、人間が多いようである。)もちろん、大人としての扱いを受けるまでに、成人としての生き方を学んで、あるいは、周りの手本となるものを見て、十分に準備をしてきているので、そういう風に大人としての扱いを受けても当然として受け止めることができたのであろう。そういう意味では、精神年齢は、現代人より数段上であったということが言える。おそらく、ニートというような現象は、皆無といっていいくらいの世の中であったように思える。今、ニート対策なるものが、さかんに叫ばれ、また、色々な方法で実行されようとしているが、その対策については、この江戸時代の学習制度をもう一度学びなおさなければならないのではなかろうかと思える。また、今のニート対策も必要であるが、これから、そういう現象をなるべく減少させるような対策を打つための環境の整備もいち早く行うべきであるように考える。
また、稚拙ということを考えると、現在、国会でも話題になっている久間防衛省大臣や柳沢厚生労働省大臣の発言などは、それの最たるものだと考える。周りの環境や影響を考えず、世間話のように失言を繰り返すことなどは、将に稚拙そのままだと思う。いい年をした社会的地位も高い人たちが、このような状況では、世の中が良くなろうはずもない。更に、それを問題にし、辞任要求をし、国会審議に出ない、野党の議員たちもちょっとした弾みで発した言動の揚げ足をとり、それをさも大事件のように言いまわし、自分たちの一番大切な義務を遂行しないことをそういうことに擦り付けるなどは、まるで子供の喧嘩であり、一種のいじめでもある。どうして、自分たちが、いじめの源を作っているということに気付かないのであろうか。それに比べて、今回、宮崎県知事に当選した東国原氏(そのまんま東氏)の言動を見るに付け、あまりぶれがなく、大人の対応をしていることに気付くのは、私ばかりであろうか。バラエテイ番組の対応でも、報道番組の対応でも言わせることは、言わせておいて、いうことはちゃんというという、言葉を選びながらのバランスのとれた対応ができているように思える。芸人という、ある種の徒弟制度の中で培ってきた礼というようなものを垣間見ることができる。それにプラスして、宮崎県のために役に立ちたいと一念発起して、政治家を目指して、早稲田大学の政治経済学部に入り、真剣に勉強に励むなどは、主体性あるものにしかできないことのようにも思える。過去には、色々なことがあったであろうが、そういう真摯な人物には、天も協力をするのであろう。あとは、この真摯な気持ちを絶やさずに県政にあたってもらいたいものである。そう考えると、稚拙さ、幼稚さを去るということの要点は礼(礼儀礼節、人の道の規範)を良く知り、実行するということであるように思える。

江戸時代は260年続いた世界の歴史の中でも本当に珍しい、太平の世の中であった。もちろん、その体制を維持するために、様々な政策が打たれたのであるが、その前の、戦乱の世の中の緊張感からすれば、随分、気楽に生活できる世の中であったことには、間違いあるまい。そして、様々な政策が打たれても年月からくる悪弊がどうしても溜まり、幕藩体制の形骸化や膠着化が始まってくる。左内がこの啓発録を著したころは、ちょうど、そういう状況のときであったように思える。左内は幼心にもそういうことを感じていたのでもあろう。ここに書いてあるように、確かに、平安時代末期から全国統一がされる戦国時代末期までは、日本は、常にどこかで戦乱があるという時代であったと思う。そういう中では,戦力の増強をはかるためにも12,3歳から戦力として戦場に駆り出されていったということは、現実でもあったであろう。現代でいえば、中学1、2年生のころに、もう戦士として戦場で戦っていたということがいえる。そのためには、確かに武士の子はいち早く稚心を去り、親離れしなくてはならない。もちろん、戦士として、戦場で死ぬこともあるということは覚悟の上である。左内は、これから来る日本の変革をおぼろげに想像していたのかもしれない。だから、そんな、何にもならない議論に時間を費やすよりも武士として主体性を確立し、いつ何時、どんなことがあっても対応することができる体制を作るための実践的な学問を集中してやるべきであると考えていたのではなかろうか。藩校の中で、周りの人たちの加護の中で、そういう議論を百篇交わすよりも、外に出て、見聞を広め、藩や幕府のためになることを一つでも二つでも実践していくことこそが、自分の使命でもあると感じていたのであろう。将に宋代の儒学者、陸象山のいう「千虚は一実に博せず」である。そして、その後の左内の学問への探求は、そちらの方へ傾倒していったことを垣間見ることができる。

   
話は変わるが、昨年、知覧の特攻基地の跡地に行ったことがあったが、その記念館の中に特攻で出陣していった若者たちの手紙が多く置いてあった。もちろん、親兄弟、恋人や友人に対する情は深くあったであろうが、その書いてある中身は、自立した大人の文面であった。ここを訪れたある総理大臣は「悲しみを深くした」といっていたが、私は時代の波に翻弄されながらも、いい悪いは別として、自分たちの使命のために命を賭ける、自立した大人としての彼らに感銘を受けた。彼らは「親兄弟、恋人、友人のためにいい世の中を残したい。だから、自分たちの死を無駄にしないでほしい。」そういうことを訴えかけているようであった。果たして、あとに続いた我々は、如何ほど彼らの自立した言葉を汲み、世の中を良くするために努力してきたのであろうか。彼らほど自立できているのであろうか。緊張感をもって物事に対応しているのであろうか。その状況だけを見て「涙した」「悲しんだ」とばかり言っているから、今の日本は前述のように稚拙な指導者しか生み出せないのかもしれない。今、我々が、いい世の中へ変革をできる指導者を生み出すためには、戦後、涙や悲しみを乗り越えて、ゼロの地点から真摯に高度成長を成し遂げるために努力した、あの頃の原点の精神に戻る必要があるのかもしれない。そういう、自立自尊の精神がなければ、この激変の中で、いい世の中を構築するために臨機応変に対応することができないように思える。明治の企業家たちに大きな影響を与えたアダム・スミスの「国富論」の中にも自立自尊の精神の高揚が説かれている。それは、そのまま、左内の言う「稚心を去る」ということであろう。
また、左内がいうように「この心、毛ほどにても残り是れ有る時は、何事も上達致さず、とても天下の大豪傑と成る事は叶はぬ物にて候。」稚心を去れない者や自立自尊の精神を持てない者は、天下の指導者にはなれないということである。これから、我々は、本当の指導者を選出しようとするときは、「稚心が毛ほどもない人物」であるかどうかを確かめて、推挙することが必要ではなかろうか。「稚心除かぬ時は士気は振るわぬものにて、いつまでも腰抜け士になり居り候ものにて候。」左内は、結論として、一人前の武士となるためには、まず、幼稚さ、稚拙さを捨てなければならないといっているのである。そうでなければ、いつまで経っても、自立できずに、世の中のために自分を尽くすことができないといっているのである。それでは、稚心を去り、自立自尊の精神を持って生きるためには、どうすればよいのであろうか。日本における陽明学の祖といわれる中江藤樹は「天を師とし、神明を友とすれば、外人に頼る心なし。」といっている。天地自然の理に則り、その進む方向を明らかにしてくれる先人の名言や行動を身に付け、実行すれば、他に頼らない自立自尊の精神を持つことができる。といっているのである。つまり、理論や理屈の積み重ねでは、稚拙さを捨てることはできないといっているのである。最近の討論番組のほとんどといっていいくらいが、稚拙さを画面いっぱいに振りまいているように思うのは、私ばかりではないと思う。また、いつも申し上げるように、理論は、時代時代でその時代に存在した人間が必要に応じて、作り上げていったものであって、普遍のものではないということである。だから、いつしか、他の理論によって覆されたり、時代の流れの中で消滅したりするのである。そういう、理論に頼って生きていると、その背景が失われたとき、自分の生きる道を見失い、元の稚拙な自分に戻るしかなくなってしまうようになる。その理論によって、自立できたと思っていたのであるが、実は、それは、幻想であったということに気付くと、それを受け入れることができなくなり、理論に理論を積み重ねるということになるのであろう。そうすると、いつまで経っても自立できない自分が存在するということになる。「マルクス経済学」を聖典として、絶賛していた、私と同時代やその上の人たちのあのころ左翼運動をしていた人たちの現在を見るにつけ、その変わり身の速さやそれと同時に世の中に対する迷いを感じる。
それに引き換え、天地自然の理は、この地球上に住む我々に普遍の叡智を授け、時には、過ぎることに対する変化を与えてくれる。本来、そういうことに対応できる人間でなければ、この地球上で生きていくことはできないのである。だから、小さい頃から、生きていくための知恵を先人の教えから学んでいくのである。そして、自立できる年頃になれば、その学んだものを基礎として巣立っていくのである。そうすると、大きく間違うこともなく、大きく騙されることもなく、あるいは、間違えても、騙されてもすぐに修復できるようになるのである。そして、長かろうと短かろうと、自分の人生を賭けて、この天地自然の理の恩恵を受けている人間として、その進化進展のために生きていくのである。
現在のような、貨幣経済の中では、金銭的に自立することに重きを置いているようであるが、本当の自立というのは、自分で生活をすることができるようになる、ということを含めて、精神的に自立することである。例えば、自然の中で生活をしている農業や漁業に従事している人たちが、自立するために、観天望気などを用いて、天気の変化や収穫量の過多を予測できるようになるようなものであろう。ここで、左内のいう「稚心を去れ」というのは、精神的な自立を言っているのであろう。
 気を振ふ  
 
左内は、ここで「気」を負けじ魂と恥辱を知る心としている。そして、その気をずっともち続けるために常に緊張感を持ち、油断してはならないといっている。その気の事をまた「士気」と表現している。ここで左内のいう気は、侍としての気象のことである。東洋思想でいう「気」は、世の中に充満している、一つでは事を成さないがそれが集まると大きな力を発揮したり、現象を産み出したりする元であるとしている。そして、この地上にいる生物は、皆、その「気」が結実した姿であるとしている。だから、世の中に気でないものはないのである。要するに、これは、例えば、我々の体を構成する「原子」のようなものと考えられようか。今、ミクロの世界観の中で、利用される物理学の論理は「量子論」であるが、また、現在も、またこれからも科学や技術などの分野で様々なものに利用されている理論でもある。量子論では原子の中に原子核があり、その周りを電子が回っているとなっている。そして、その電子は、粒(固体)でもあるし、波でもあるとしている。つまり、二つの異なる要素を同一に持っているということである。これは、将に陰陽二つのものを同一に持っている、この地上の生物のことをいっているようでもある。量子論を最初に唱えたデンマークの物理学者、ボーアは量子論が示す物質観、自然観の特徴を相補性(相反するものが補い合う)という言葉で説明し、それを表すシンボルとして、大極図を用いたようである。実は、何千年も前に体系付けられた易の論理が、現代の最先端の科学や技術に大きく役立っているのである。そうなると、我々が勉強している陽明学や朱子学は、物理学そのものだというようにも思える。特に「格物」の論理などを考えると、陽明学は,量子論の世界観と多くの点で類似しているように思える。
話が大きくそれたが、左内も、侍として自覚のある多くの気を集めて結実させた大元気のことを「士気」としているのであろう。そして、それを継続させるためには、緊張感ある毎日を過ごさなければならないとしているのである。次には、前述の通り、左内は、この気は人間ばかりでなく、他の動物たちも持っているのであるともいっている。そして、この気を結実させる能力は誰にも増して、武士がもっていなければならないとしているのである。そして、武士として大切なことは、この士気をもって、様々なことに対応していくことであって、腕前がいいとか身分が高いなどということは、関係ないことであるともいっている。現在の政治家も事業家も、スポーツ選手も、もっと、この士気を持って事に対応すべきではなかろうか。
この頃になると、江戸時代も二百年を越え、太平な世の中が続いたことによる弊害が多くのところで見聞されるようになり、特に武士においては、武門にありながらもその本来の生き方を忘れるものも多くなり、手の付けられないような状態になっているが、これで本当に良いのであろうかと左内は憂いているのである。時代の節目に、本来、世の中のリーダーシップを取っていかなければならない武士がこの様では、いい方向に時代を向けていくこともできないと感じていたのであろう。現代に置き換えてみたらどうであろうか。最近は特にオーナー一族の経営の会社が、危機に見舞われることが多くなっているようであるが、これもある意味では、物事に対する緊張感のなさや馴れ合いによる油断から多くの問題点を先送りにしてきたことに原因があるように思える。直近では、不二家、ちょっと前には三洋電機などである。また、政治の世界も世襲制のような様相を示しており、こちらの方も緊張感が薄れてきているように思える。「武道を忘却致し、位を望み、女色を好み、利に走り、勢いにつく事のみにふけり候処より」つまり、本来やらねばならない業務をないがしろにして、出世だけを望んで、遊興におぼれ、自分だけの利益追求に勤しみ、自分の主体性もなく、その場、その場で勢いのあるほうにだけつく。どうであろうか、現在、公職にあっても、世の中のリーダーを気取っていても、そのような人が如何に多くいることか。幕末の日本も似たような様相を呈していたのである。また、左内は、外見だけは、大小両刀を腰に差して、武士としての権威をひけらかしてはいるが、内実は、武士として持たねばならない、廉恥や勇猛な心をなくしてしまっていて、腰抜けになってしまっている者が、この大変な時期に本当のリーダーシップを発揮することができようかといっているのである。これから、統一地方選挙、参議院選挙と続くことになるが、我々、選挙をするものは、立候補者の外見より、内実がどうなのかということを判断材料として、もっていなければならないのではあるまいか。特に地方は、財政の面で多くの負担がかかってくるわけであるので、その是正をできるような人材を選出する必要があろう。経費削減や産業の振興は当然として、債務の軽減のための法制の改革(地方財政の法的処置の法令化)なども考えていかないと、地方の財政は、行き着くところまでいって、ゴーストタウンが増えていくのではないかということが思えてならない。

そういう実情の武士の世界ではあるが、いまだ尚、町人や百姓が、お侍様といって敬意を表しているのは、主君のご威光あればこそであり、自分が敬意を表せられているわけではないのであると、左内は言っている。こういう勘違いをしている人は現在の世の中にも多い。もちろん、自分の持っている看板には、自信をもって、業務を遂行していくことは重要なことではあるが、その看板をもって、上から下を見るような行為に出る人はよく見かける。そして、それを続けて行くうちにそれが通常化してしまい、相手のことなど良く考えずに行動してしまう。そして、その勘違いが後々、大きな間違いを起こすようになる。そこで、反省してやり直すことができる人はまだいいが、それは、自分には関係ないことにして、反省しない人はどうにもならない。しかし、そういう、責任感のない人間が、特に立派な看板を持っているところに多いように思えてならない。現在、NHKで土曜日放送中の「ハゲタカ」(原作とはちょっと違うが)という番組があるが、ある大手銀行で働いている芝野という人物が、自分の生き方とはうらはらにそういう風になってしまう自分に嫌気がさし、退職するというくだりがある。小説の世界ではあるが、こういう人物が増えていくことが、その業界や世の中を変えていく原動力になるのではなかろうかと考える。
「安政の大獄」で幕府に捕らえられた左内はその漢詩の中にも

苦冤洗いがたく 恨み禁じがたし  
俯すれば則ち悲痛 仰げば則ち吟ず  
昨夜城中 霜始めて殞つ  
誰か知る松柏 後凋の心

とあるように、自分の主君の無罪を晴らすことができなかった自分の力のなさを悔いると同時に、霜が降りても枯れずに、そのままの状態の松柏に例えて、他の者たちは、幕府の威光におののいて、意見を変えるが、自分は自分の意見を変えることはないといっている。まさに、この「啓発録」の中に記されているような生き方を左内はしていたのである。こういう生き方をしていると、自分がいくら偉くなっても、人を見下したり、自分の意見を変えて大勢についていったり、ましてや看板をひけらかして仕事をしたりするようなことはないのである。そういうことからすると、最近は武士になかなかお目にかかれない、世の中であるということがいえよう。武士というものは、何か一大事があり、君主や天皇からの命令が下れば、武器を持って、勇猛果敢に生死を度外視して戦うものであり、富や出世の誘惑があっても、いかなる困難に直面しても、信念や節義を変えない、勇猛、剛強の気象を持つものであると左内はいっているのである。
「さもすればもし腰の両刀を奪い取り候へば、その心立て、その分別、尽く町人百姓の上には出で申すまじ。」武士としての象徴である刀を取り上げてしまえば、町人や百姓にも劣り、世の中のために義を尽くすなどというのは、このままではできるわけがないと左内は言っているのである。ここで、左内が言いたいことは、例えば、今年から、大量定年の時代になるわけであるが、その人たちが、自分の象徴であった会社、組織という看板を取り払われたときに、初めて、自分の社会的存在に気付くわけであり、気付いてみたら、社会的にそれまでは、強そうに生きていたのであるが、女房、子供に比べ、自分が如何に社会に適用できない人間になっているかを感じるようなことと似ているように思われる。

   
会社や組織の中での当たり前のことが、すべて、社会的に通用するものであるかというと決してそうではないということを認識して生きてきた人たちとそうでない人たちと比べれば、これからの社会に対する貢献度には雲泥の差が出てくるように思える。だから、これから、リタイアする人たちは、これまでの自分の生き方を真摯に反省し、これまでとは違うということを前提にこれからの長い生涯、社会に貢献できることを真剣に考え、自分の力を発揮できる領域を用意する必要があるように思う。そのためには、自分自身の中身を磨く必要があろう。左内が言いたいのも、武士としての精神を磨くことを忘れた者が、武士といえるのであろうか。外面はどのようにでも取り繕うことはできるが魂のない外面のよさなどは、世の中のために何の役にも立たないということであるように思う。我々も、常日頃から、自分の中身を磨く、勉強や訓練をしていかなければならないのではなかろうか。そういう状況であるので、もし、いま、天下に大事が起っても、それに向けて、真剣に対処できるものは、武士の中にはいないのではなかろうか。そういう意味では、むしろ、日常生活の中で、生きるために真剣に色々なものに対処して生きている百姓、町人のほうが、余程役に立つであろうと左内は言っている。よく考えてみると、維新の大業を成し遂げた人物たちは、いずれも、下級武士か郷士あるいは町民、農民の出身者が多い。そういう意味では確かに、それまでの時代に決別すべく、それまでの支配階層とは違う層が世の中を変えていったわけであるので、ある意味、ここで左内の言っている危機感は正しかったのではなかろうか。

このように覚悟のない武士が蔓延し、士道が廃れてから、幾年も経つが、それでもまだ、自覚しないでいる者の多いのには、腹立たしく思う。平静安楽に禄を食みながら暮らしていけるのは、主君の善政が行われているからであり、また、百姓、町人が一所懸命に働いているからではないか。そういう、恩恵を他から受けながら、いざというときに、何もできないのであれば、生きていく価値もないのではないか。そこのところをよく考え、学問や修行に励まねば、武士としての使命を果たすことはできない。左内は、こういうことを言いたいのであろう。幕末には、武士としての使命感がかなり希薄になっていたのであろう。特に親藩や譜代の大名家の統治下にある藩は、親方日の丸の加護の中で、緊張感なく日常を過ごしていたように思われる。それが、外様連合軍による維新へと向かっていったのであろう。左内が後にとなえる親藩、譜代、外様を問わない諸藩連合構想は、こういう思いがベースになって、できていったものであるように思われる。
自分自身もそうであるが、現在、自分自身の社会的使命を持って、生きている人が何人いるであろうか。自分の仕事に誇りと信念を持って取り組んでいる人が何人いるであろうか。あるいは、そういうことを理解し、よい方向に導いて行こうとする社会的指導者が、何人いるであろうか。現在の政界、経済界を見るにつけ、使命感に燃えて、本当に世のため、人のために行動を起こしている人は、数少なく思う。そこには、必ず、利益というものが絡んでくるからであろう。もちろん、生活をするためにも、自分の思いを果たすためにもお金は必要なものである。それは否定できないし、この市場経済の世の中では、必要なものであることには間違いない。しかし、それが過ぎてはいけないし、それに飲み込まれてはいけないように思う。もともと、経済が活況するということは、お金が回っているということである。お金が途中で滞ったり、故意にストップさせたりすると経済は停滞し、失速していくものである。バブル期のようにお金がたくさんあるから、どんどん使いなさいという時代が終ると、急に緊縮財政に変化させる。つまり、お金を回らなくさせてしまう。昨日まで、どんどん使ってくださいよといっていた銀行が、一転して貸し渋りをはじめる。最近、私の仕事上であったことであるが、ある大手都銀が、ちょっと前に、金融庁から勧告をされ、処罰されたことを隠すために、ある企業に覚書を書かせて、そのことをうやむやにしていた。その上、その企業が金策で困ったときに定期の解約もしてくれないらしく、その企業から、支払いをどうしたらよいものかと相談があった。すぐに金融庁の相談窓口に連絡をとって、事実をのべて、対処するように指導した。それによって、逆にその都銀からお詫びの連絡がはいり、定期の解約も弁済についての対応もしてくれることになったらしい。知らないところには、なんでもしてしまうという体質は銀行には、根強く残っているので、注意が必要である。こういう循環を何の反省もなく、やってきた結果、大きな借金を残し、1000兆円になって、その借金を何の責任も取らずに後世へと残す。このような世の中が本当にいい世の中だといえるのであろうか。皆、社会的使命感などというのは微塵も感じられない。また、こういう流れの中では、多くの犠牲者が生まれる。世の中をよくするためには、いい経済の循環をどう作るかといことを真剣に考えねばならない時期に来ているように思われる。それは、おそらく、大学にいう「利を以て利とせず、義をもって利とす。」という思想ではないかと思われる。
話は、飛んでしまったが、世の中を良くしていくには、ここで、左内が述べているように自分は世の中に対して、何ができるのかという、個々人の使命感を明確にしていくことが重要であるように思える。そうでないと、お金がすべてだと考える人間を多く生み出していくようになり、ますます、格差が進み、荒涼たる世の中になるであろう。

この義をもって、武士としての使命感を達成させる決意を持続させるためには、ただ、気を振るうだけでは、そのときだけで霧散霧消してしまうので、志を立てる必要があると左内はいっているのである。人間誰しもであるが、何かを始めるときは、気が高ぶっているので、何でもやりこなせるように思うものである。しかし、やっていく段階で色々な困難なことが起ると、最初の意気は消沈してしまい、断念せざるを得なくなることが多い。そうならないためには、志を立てる、つまり、明確な目的や目標を持つことが大切になるのである。例えは、今、大河ドラマで「風林火山」をやっているので、武田信玄のことでいうと、「領民を戦乱から守り、平穏な暮らしをさせたい」ということが、目的になるのであろう。そして、そのためには、この戦乱の世の中、外敵から領民を守るために、軍事力を強化しよう、領民を飢えさせないために、田畑を開墾しよう、また、継続的に糧食を確保するために治山治水工事を行おうと、目標を決めるわけである。このことが、そのまま、「人は石垣、人は城」という言葉を生み出したのであろう。武田信玄という人は、戦国時代には珍しく、大衆に目を向けていた人であったようである。このように、志が立っている人が治めている国は、あの戦乱の世の中にあっても強固で平穏である。今の日本は、志が立っているといえるであろうか。何をやるにも他国の特にアメリカの動向を気にしながら、対処していく。だから、周りに流されて、こういう国にしたいという主体性ある目的が不明瞭である、「美しい国日本」などという言葉は不明瞭極まりなく、何の目的志向も感じない。自国は、自国で守るという精神も欠けている。大局を見ずに、変なことに我を張る。食料は、他国にゆだねているだけで、真剣に自給のことは考えない。環境大国日本として、他国へ一矢も報いることができない。左内ならずとも、気を振るえ、志を立てよと言いたい心境である。もちろん、このような状況になったのは、政治家だけの問題ではなく、我々の問題でもあるのである。皇極経世書によると、今年は大衆の時代であるようである。だから、我々が、もっと、社会の表に出て、社会的使命感を発揮するときであるように思える。おそらく、今年は、選挙や購買を中心として、大衆が世の中を変える役割を果たす契機なるように思えてならない。

 志を立つ  
 
「志とは心のゆく所にして、我心の向かひ候處をいふ。」志というのは、自分の意念が向かっている方向に突き進んで行くことをいうと左内はいっているのである。そして、それは、武士として生まれた以上は、忠孝の意念を持ち、それを以て、世のため人のためになることを何らかの形で果たすということであり、また、その意念を果たすためには、自分の身体を大切にして、武芸や学問の道に励み、聖賢君子の道を学び、歴史上の英雄豪傑に習うということが必要である。そして、それは結果として、主君のためによく働くことになり、天下国家のためになる大業を成し遂げ、世の中を良くしていくということに繋がる。更に家名を揚げる事にも繋がる。そう思うのが武士としての常道であるので、何のなすところもなく、いたずらに一生を終るなどということはできないと考える。これが、志を持つことの起点であるとも左内はいっているのである。ここで、左内が述べている「酔生夢死の者にはなるまじ」という言葉があるが、これは昨年勉強した「南洲遺訓」の中に出てきた「偶感」という漢詩の中にある「丈夫は玉砕するも、甎全を恥ず」(武士として生まれたからには、天下国家のために身を投げ打つものであって、瓦のように、ただ漫然と何もしないで生きていくのは恥じである)という言葉に通ずるものがある。左内が言っていることを現在の我々に言い換えると、自分自身が生まれた場所、働いている場所、住んでいる場所や置かれた社会的立場で、世のため、人のためになることは、何かということを考えて、自分の心に偽りなく行動できることを明確に定める。そして、そのために仕事や学問を通じて自分を磨き上げる。その結果として、何らかの形で世の中のために役立つことができ、自分に関わった人々に喜んでもらえると思うことが、志を持つということになるのではなかろうか。つまり、自分の持てる力で、世のため、人のためにできることを継続的に実行していくということになろうか。志というと何か他からとってこなければならないような感じがするのであるが、日常の中にあるものであり、これが失われると世の中に混乱が起るということでもあろう。志というのは、つまり、自分のためだけに持つものではなく、自分の仕事や学問を通じて、世のため、人のためになることを実行するということである。
そういう意味では、現在は、志少なき社会であるということが、できるのではなかろうか。志少なき社会というのは、後世に多くの禍根を残す社会でもある。環境や教育、政治や経済、多くが次世代に負担をかける状況にある。先日、「ダーウインの悪夢」という映画を見たが、先進国の功利主義が、如何に後進国の人々に飢餓を与えるかということが鮮明に描き出されていた。何の志もない人間がある日、外来種の肉食の魚をバケツひとつ湖に投げ込む。それが、何年かするうちに、それまでいた在来の魚を駆逐してしまう。そして、その湖は、その魚種だけになってしまう。しかし、その魚は、大きく身が多いので食用としては、大きな価値があり、それを求めて、色々な先進国がやってくる。そして、その湖の周辺には、加工場が多く建設され、そこで取れた魚はすべてそこに集められる。毎日、カーゴの飛行機が飛びそれを先進国へと持ち運ぶ。そこに住む、工場にも働けない、漁業にも従事できない人は、そこで取れる魚を食べることもできない、農業をしていた人々も農業をやめて、その仕事に携わろうとする。結局、そこに住む人たちは、工場から出る魚の残骸をもらって食べるしかない。そういう貧困な生活の中で、生活の爲、金銭を得るために、女性は売春をおこなう。当然のことながらエイズが蔓延る。子供たちは、貧困のあまり教育をうけることもできない。先進国から来る飛行機は、行きの荷物として、近隣の戦争状態にある国に武器を運ぶ。先進国はこういう後進国の犠牲の上に立って成り立っているということを本当に認識しなければならないのではないだろうか。それと、こういうことを続けていくと、それは、先進国に住む人にも大きな弊害を及ぼすということでもある。志なき社会が如何に多くの犠牲者を生み出すかということをよく表している映画であったように思う。
「志を立つるとは、此心の向かふ所を急度相定め、一度右の如く思詰候へば、彌切に其向きを立て、常常其心持を失わぬ様に持ちこたへ候事にて候」志を立てるということは、自分の意念の向かう所をしっかりと定めて、一度その向かう所を定めたならば、集中して、その向かうところに邁進し、常時、その意念を失わないようにもっていかねばならないものであると左内は言っている。自分の意念を明確にし、どんなことがあってもその意念に対してぶれることがなく、その意念を達成していくというような意味になろうか。前述のように志というのは社会的使命感ということができるであろう。色々な仕事があるが、社会的に役に立たない仕事というのはないように思える。それは、いつもいうように、物事というものはそこに存在価値があるから成り立つのであり、これはいいとか、あれは悪いとかいうものはないと思うからである。要は、ここでも述べているようにその人の意念にあるように思われる。つまり、それに携わる人の意念によってよくも悪くも社会的価値があるもなくもなるということがいえるのではなかろうか。次に左内が述べているように志を立てるきっかけは「本などを読んで大いに感動して得るとか、友人や先生からの教えの中ではっとして得るとか、自分自身で大変苦しいことに出会って得るとか、何かに熱中して頑張っているときに得るとか」そういう中でできていくものであろう。これは、すべて、自分の意念が発動したときに出てくるものであるように思える。だから、大学にあるように「誠意」、常に自分の意念は誠実にしておかなくてはならないのである。そして、その「誠意」を実行するためには「致知」自分の良心を発揮させることであり、そのためには「格物」物事の道理を理解するために万物の生成の根源を理解することである。つまり、東洋思想でいえば、人間を含めて、この世に生成する物はすべて、常に陰と陽、善と悪、積極と消極という不可分の物を持っており、そういうものの中にこの世の中が、地球が形成されているということの認識ができなければならないということである。そして、その理解の上に善を為し、悪を去るということである。また、そういうことを認識できれば、良心の発揮の仕方もわかるし、意念を誠実にすることもできるということである。少し深くなり過ぎたが、志を立てるということの根源にはこういう深いことがあるということを理解していただければと思う。特に最近、川嶋氏に会ってから、尚更のことであるが、万物の生成の根源を理解するには、「易」がかなり有効な手段であるように思える。
話を元に戻そう。志は「平生安楽無事に致し居り、心のたるみ居候時に立事はなし。」と左内がいうように、のんべんだらりと生活をしているものには、立てることはできないのである。更に志の立たないものは虫けら同様であり、いつまで経っても人間として人格向上できないものであると言い切っている。また、志が立てば、草の芽によい肥料を与えるようなものでどんどん人格向上していくともいっている。いい機会であるので、自分の大きくても小さくてもいい、社会的使命感について、もう一度、考え直してみる必要があるのではないだろうか。

「古より俊傑の士と申し候人とて、目四つ口二つこれ有るにてはなし。皆その志大なると、逞しきとにより、遂には天下に大名を揚げ候なり。」昔から今日に至るまで、偉人といわれる幾多の人も、常人とは違い、目が四つあったり、口が二つついていたりというような、特別な器官や機能を持っていたわけではなく、その人たちの志の大きさや逞しさが人並み外れて大きいので、最後には、世の中に名前が知られるようになっていくのであると左内は言っている。つまり、あとにも出てくるが、偉人といわれる人は、その生成過程で、外的な要因よりもその人自身の内的要因に起する重要な要素を多く持っていると言っているのである。所謂、常日頃の心構え(心のスタンス)が天下に名を馳せるための重要な要素になるということである。多くの人が何事も成しえずに生涯を終えるのは、志が脆弱であり、常日頃の心構えに問題があるからであるということが言えよう。大きくも小さくも志を持った、心構えのしっかりした人間であれば、それぞれの目的を達成することができるということである。今の私の事務所の隣に甘海老をベースに使ったラーメン屋さんがある。場所としては、この辺りでは、そうよくもないし、入居しているビルもたいしたことのないビルである。しかし、一歩店に入るとカウンターはいつも清潔にしてあるし、せまい厨房をうまく使っている。夫婦なのか、ご主人と女の人の二人でやっている。客席もカウンターとボックスで10席程度である。しかし、ラーメンを作るときのご主人の懸命さは、その丁寧さと相俟って、強く伝わってくる。自分が修行して、開発したラーメンを多くの人に味わって、幸せな気持ちにほしいという気持ちが伝わってくる。小さいけど志のある店に思える。志なき人間が、闊歩している時代に、こんな店があることは、まだまだ、日本人も捨てたものではないと思える。当然、応援もしたくなるものである。志が立っている人や店を見れば、自然応援する人が集まってきて、それが大きな力となり、世の中に大きな影響を与えるようになっていくのではなかろうか。
   
「志立ちたる者は、恰も江戸立ちを定めたる人の如し。」左内は、志を立てた人を江戸へ旅立つことに比喩して表現している。江戸の位置が聖賢豪傑の地位だとすれば、それに向かって今日はここ、明日はここと計画性を持って進んでいくことが大切であるといっているのである。また、それと同じように、聖賢豪傑になるためには、聖賢豪傑になれない要素を一つ一つ取り去っていくことが必要であるともいっている。この表現は如何にも朱子学的ではあるが、ここで左内がいっていることは、聖賢豪傑になるための修行とその目的を達成するための手段も併進させていかなければならないということであろう。修行だけでも駄目だし、手段だけでも駄目であるということであろう。計画性をもって修行していくことが重要であるというようなことである。そうすると、足の弱い人でも江戸に到達できるように、才能が足りない者でも、学識に劣る者でも聖賢豪傑になることはできるであろうと結んである。

「扨右様志を立て候には、物の筋多くなることを嫌ひ候。」志を立てるときに重要なことは、あれもこれもと、色々な多くの事を望まないことであると左内は言っているのである。自分のやっている事業再生の仕事の中でもよく出くわすことであるが、大体の経営者が、事業が大変になっているにも拘らず、あれも残したい、これも残したいということが多い。気持ちはわからないでもないが、それをいい始めると大抵の場合が目的を達成することができない。再生を成功させるために重要なことは、コア事業とノンコア事業の選択分離とコア事業への集中である。これができれば、再生できる可能性が大きくなる。日本でも数々の企業再生が行われてきたが、成功事例のほとんどがこれがちゃんとできたかどうかにかかっていると言っても過言ではない。つまり、集中力を高めるということである。集中力を高めるためには、周りのいらないものを捨てなくてはならないのである。志を立てるということはこれと同じ事でその達成のためには集中力を高めなければならないということである。だから、次に「一道に取極め置き」と言っているのである。そして、そうでないと、戸締りのない家の留守番をするのと同じように何が入ってくるかわからず、自分ひとりでは処置ができなくなると言っているのである。もちろん、人手をかけてやれば、できなくないであろうが、志というのは、自分自身の心で決めるのであるから、他人の手を借りようもないということでもある。志を立てるということは、他人の力を借りることができないのであるから、多くのものに目を奪われないように、一つに決めて、自分で守りやすいようにしていかなくてはならないとも言っているのである。ここに「兎角少年の中は」と書いてあるが、最近は、色々な情報が多いということもあって、大人になっても色々と目移りがするものである。そして、あれにしようか、これにしようかと迷っているうちに本当に大切なものを失ってしまう傾向が強いように思える。例えば、今の安部内閣を見るにつけ、言葉を知らない大臣が多くいたり、何のために作っているのか多くの協議会や委員会があったりして、それぞれが勝手に蠢いているような状況では、本当の国民のためになる政策の実行ができるのか、不安の内に何の具体的な対策も打てないままで終ってしまうのではないかとついつい危惧してしまう。もう一度、自分の器量に応じた政策を立て直して、もう少しわかりやすい目標、目的を明示すべきではないかと考える。左内がいうようにあれもこれもでは、何もできなくなってしまうのではなかろうか。前述もしたように、ひとつの志が立てば、周りの人たちが、それに時間を惜しまず、それぞれの立場で協力をしてくれるようになり、それが大きなエネルギーに変わって、それに付随する多くのことまで、すべてを解決してくれるようになるものである。人間、多くのことができるように思うが、結局は、一生の内にひとつのことを完成できれば、いい方であるように思う。

「篤と我が心に計り、吾が向ふ所、為す所を定め、その上にて師に就き友に謀り、吾が及ばず足らぬ処を補ひ、その極め置きたる処に心定めて」志を立てるときは、篤と自分自身の心に偽りなく、自分自身の生きるべき道を確認して、自分自身の目的、目標を明確にして、その上でいい師に就いたり、友人に相談したりしながら、自分の志を遂げるために足らないところを補ってもらって、その決めた事を再度、自分自身の心に刻み込んで行動することが重要であると左内は言っているのである。何回も申し上げるように、志というのは、自分が主体性を持って立てるものであり、他から、ああしろ、こうしろと与えられるものではないということである。そして、「必ず多端に流れて、多岐亡羊の失のなからんこと、願はしく候。」と言っているのである。志を立てるときの注意点として、自分が、成長する過程で、あまりにも知識や知恵が増えすぎて、何でもできるように思い、何でもやってやろうと思い、心に決めた事を見失わないようにしなければならないということである。人間誰しも心変わりをしたり、心を移しやすいものである。とりわけ、それの激しい人は、知識や知恵を多く持っている人が多いように思う。世間で一般的にいう頭がよいといわれる人に多い。こういう人は、その事業や組織が成長しているときには、目覚しい活躍をするが、途中で破綻したり、下降曲面に入ったときには、自分の社会的責任などというのは放り出して、人の責任にしたり、逃げたりする人が多いものである。本当に頭のいい人は、自分の目標、目的達成のために、常に自分自身を省みながら、地味な努力を積み重ねていくものである。例えば、日本の企業で言えば、トヨタなどというのは、為替や原材料の価格変動の中で、企業維持、進展のために、絶え間ぬローコスト・オペレーションの積み重ねをしているのである。その結果が、あそこまでの収益を出しているのである。そういう努力を積み重ねている人や企業は、強い体質が自然醸成され、結果的に社会に大いに役立っているということが言えよう。
次に「凡て心の迷ふは、心の幾筋にも分れ候処より起り候事にて」とある。心が迷う、志が立たないということは、心の中にやりたいと思うことが沢山あるからであるということである。もっと言えば、志を一つの支柱として、それに関わってくる色々な事象についてはやっていかなければならないわけであるが、人間、2本も3本も支柱を作ることはできないということでもある。また、志というのは、色々、自分がやりたいと思っていることの支柱でもあるということもできる。だから、心が迷い、乱れているうちは、志が立っていないということである。そして、当然の帰結として、聖賢豪傑などになれるわけがないということになる。このあたりを基本に志を立てるということについて、自分自身で、もう一度整理しておく必要もあろう。

「何分志を立つる近道は、経書又は歴史の中にて、吾が心に大いに感徹致し候処を書抜き」志を立てるための一番の近道は、経書などを読んで聖賢の教えを学んだり、歴史上の人物の本を読んだりしていく中で、自分自身で深く感銘した言葉や行動などについての記述を書き出していくところから始めるのがよいと左内は言っているのである。今、教育改革が盛んにいわれており、「徳育」の時間を制定しようということなどが審議で進められているようであるが、「徳育」で一番いいのは、左内が述べているように、聖賢の教えや歴史上の偉人の話を教えるということではないかと思える。現在は、手近にスポーツ選手や芸能人、企業家などの所謂、勝ち組といわれている人たちの人生などを成功者=金持ちというような表現で報道したり、記述したりしているジャーナリズムが多く。それこそが人間の成功者としての基本だというような、薄っぺらな見解をしているものが多い。また、非常にわかりやすいので、人受けするという一面もあるので、どうも、人生の目標、目的構築のために難解と思える古典や歴史を学ぶということはやりたがらない傾向が強いように思える。そして、それらは他から投げかけられる情報でしかないので、自分自身で何かを構築していくということに繋がらないように思う。つまり、結果重視でプロセスを理解しない、評価できない人間を増勢していくように思えてならない。もっと言えば、プロセスはノウハウ本で解消できると思っている。人間の心理というのは、何千年にも亘り、如何に文明が発展してもほとんど変わらないものであり、本当に成功者になるためには、自分自身の意念こそが大切であり、自分自身で切り開いていくものであるという、そこの理解ができなければなれないということもできよう。そうでなければ、成功者として、本当に社会に貢献できないからである。本当に社会に貢献できる人材を養成するためには、古典や歴史を大いに学ぶべきであろう。話を戻そう。
そして、志を立てるには、書き抜いたものを身近にある壁などに張り付けたり、いつも使っている扇子などに書き写しておくとかして、いつでもそれを見ることができるような状態にして、それを見ながら、自らを省みて足らないところを補足したりしながら、自分が少しずつ成長していく過程を楽しむということが大切であると言っている。私の事務所の神棚としているところには、岡田先生から頂いた「千虚不博一実」(千虚は一実に博せず・宋代の儒学者、陸象山の言葉)という書があるが、いつも目に付くので自然、その言葉に恥じないように行動しようとしている。いつも目に付くところにそのような言葉が書かれていれば、確かに大いに動議付けになるものである。続けよう。そして、こうして志が立ったならば、それを遂行していくためには、勉強や訓練を怠らず、益々、精進していく必要がある。そうでなければ、志を遂行していくための意思が強く逞しくならず、途中で挫折したり、以前持っていた、聡明さや道義心が逆に失われていくことにもなりかねない、注意すべきであると左内は言っているのである。志が立ったならば、それをやり遂げるために、日々の努力を忘れてはならないということである。

 学に勉む  
 
「学とはならふと申す事にて、総てよき人すぐれたる人の善き行ひ善き事業を迹付して習ひ参るをいふ。」学問とは、習うという意味であって、その本来の意味は、善人や偉人のよい行いやそれにより成し遂げられた事業などを手本として、習得、実行していくことをいうのであると左内は冒頭言っている。つまり、学ぶということは、それを実行するということと切ってもきれない関係であるといっているのである。この頃、左内が陽明学を勉強していたとは思えないが、将に王陽明のいう「知行合一」の理念そのものであるように思える。朱子学はどちらかというと「先知後行」という言葉で表されるように、まず、十分に知識をつけて、それから行動、実践するというような考え方であるが(朱子も晩年は、少し考え方が変化するが)、ここでいう左内の表現は、先人に習いながら、実践を積み重ねていくという意味合いが強いので、どちらかというと前述のように陽明学的である。あるいは、吉田東篁が、陽明学も少し教えていたのかもしれない。昌平坂学問所の学頭、佐藤一斎も官学である朱子学はもちろんのこと、陽明学も十分に勉強していたようであるので、私自身情報不足ではあるが、吉田東篁も当然、両方とも勉強はしていたのではと考えられる。本文に戻ろう。そして、次に、学ぶということは、先人の手本を訓練、実行することであるので、先人の行った忠義孝行に習って、すぐにそれを実践し、先人のそのような行為に負けず、劣らない努力を積み重ねることが、学問の第一義であると言っているのである。
「然るを後世に至り字義を誤り、詩文や読書を学と心得候は笑かしき事どもなり。」学とは習得し、実践するということであるのに、時代が経つにつれて、その本来の意味を誤解してしまい、詩文を作ったり、本を読んだりすることだけが学問だと思っている傾向が強いが、それは、おかしなことであると、左内は言っているのである。前述の王陽明は、前に勉強をしたが、「抜本塞源論」の中で、「是に於いてか訓詁の學有り、之を傳えて以て名と為し、記誦の學有り、之を言いて以て博と為し、詞章の學有り、之に侈りて以て麗と為す。」(先人の偉業や物語をただ話し聞かせるだけで名誉とし、本に書いてあることをそのまま諳んじて、博学であるとし、詩や文章の巧みさに思い上がって美麗であるとする。)ということを述べて、その時代の学問の仕方について間違いを指摘している。つまり、実行、実践できない本質のない学問は世の中のためには何もならず、むしろ、世の中を混乱に陥れることになるであろうといっているのである。左内がここで述べている「詩文や読書を学と心得候は笑しき事どもなり。」に通じるところがある。確かに近年我々は、この情報化社会の中で習うということをしなくなっているように思う。情報がいつでも、どこでも簡単に取れるから、何か勘違いして、表層の情報や知識だけで、そのことを十分に理解したように思っている傾向が強いからである。もっと言えば、インターネットからとった情報や知識を自分の言葉のようにいう人が多くなっているように思える。これでは、王陽明がいうように、世の中を混乱させ、間違った方向へ導いていくことを助長させることにもなりかねないように思える。こういう時代だからこそ、そのことを習得し、実行するということが重要であろう。
そして、左内は「詩文や読書は右学文の具と申すものにて、」詩文の作成や読書は、学問をするための道具(TOOL)であると言っているのである。更にそれは、例えば、刀の?や鞘、2階に行く梯子や階段のようなものであって、刀そのものではなく、2階という場所でもない。なくてはならないものではあるが、実際に使えるものや場所を補完しているものであるとも言っているのである。つまり、中身のない、実践のない学問というものは、成り立たないと言っているのである。

「学と申すは、忠孝の筋と文武の業とより外にはこれ無く、」武士としての学問は、主君、国家に対する忠義と両親への孝行の道理を学び養うことと文武両道の修行を行うこと以外には何も無いと左内は言っているのである。そこに集中し、深耕させ、実践していくうちに色々なものがよく見えてくるようになるともいっているように思える。現在、日本人の青少年の学力が他先進国に比べて落ちているといわれているが、それは、高学歴を得るためにそこだけを目標にして、知識中心の学習しかしていないというところに原因があるように思える。所謂、学問ということを受験のための道具と考えているところから、学力の低下に繋がっているのではないだろうか。本当の学問というものは、左内が言うように人間性の陶冶をするものであり、国家観を作るものであろう。受験で終わりではなく、そのプロセスを経て、人のために何ができるか、世の中のために何かできることはないかと真摯に思考できる人間の育成をするために行われるものだとも思う。左内は、学問の根本にある精神は次に述べてあるように「君に忠義を竭し親に孝を尽すの真心を以て、文武の事骨折り勉強致し、」主君に対する忠義と親に対する孝行を真心を持って果たし、その真心を持って、真摯に文武に精進する事であると言っているのである。

そして、そういう学問の仕方は、平治にあっては、主君の側近としての役割を与えられたならば、主君の政治に誤りがあれば、それに進言し、改善を施し、善政を推進させ、主君の徳の向上を図ることを増進させ、また、役人としての役割を与えられたならば、それぞれの任務をうまく調整して、取り仕切り、エコヒイキをせず、賄賂など一切受け取らず、公平廉直に行動し、役所中の者が、その威厳に恐れ、その徳を慕うようになるようにしていくことを平静心がけられることに繋がることになる。また、不幸にして乱世となったら、それぞれが自分の任務を果たし、外敵を討伐し、戦乱に勝利し、平定せねばならないが、そのためには、太刀や槍の技量を駆使して敵の首を取り功名を挙げたり、組討などで、相手を制して手柄を立てたり、また、参謀本部にあっては、敵に勝つための策略に進言し、敵を壊滅させる策略を実行させ、あるいは、食料や武器調達の奉行になった場合は、味方の兵を飢えさせないように食料の調達を図り、兵力が衰えないように兵器の調達や志気の高揚を図るということ実践しなければならないので、常日頃から工夫、訓練しておかねばならないということに繋がることにもなる。と左内は言っているのである。平治にあっても有事にあっても常に臨機応変に対応できるようにするために必要なのはそういう学問に対する姿勢であると言っているのである。我々の大部分は学問といえば、どうしても机上での知識偏重の学習や勉強をイメージしがちであるが、実は、学問の本質というものは、実生活の中で、訓練、実践していくことなのである。前述したような学力の低下は、訓練、実践を経て培ったものが本当の学問であり、学識であるというところを理解し、それに沿った教育プログラムを策定し、実行していくことで大分解消されるのではないかと思える。そして、学問というものは、忠孝の精神と文武の奨励を基本として、人から与えられるものではなく、自分自身で主体性を持って、作り上げていくものであるということの認識も必要のように思う。先日、日本経済新聞の「経済教室」に脳科学者の論評を読んだ中に「人間は社会的動物であると言われるが、その根本的な部分で社会は人間の脳により作られている。」という言葉があったが、将にその通りであると思う。だから、住みやすい、いい世の中にするためには、左内の言う「公平廉直」な精神と実践が必要なのである。それは、人間は社会生活をする上で情動が働く傾向が強く、公平、不公平、快、不快ということに非常に敏感に反応することが多いからである。だから、世の中のリーダーシップをとっていく人には「公平廉直」であって欲しいと思うのである。
「これ等の事を致し候には、胸を古今に包み、腹に形勢機略を諳じ蔵め居らずしては、叶はぬ事ども多く候へば、」前述のように臨機応変な対応をし、武士としての勤めを果たすためには、昔から今日までの様々な知恵や知識を学び内包して、自分の中にいつでも時々の事態に応じた機略がとれるように、そのすべてをいつでも引き出せるように記憶しておかなければならない。と左内は言っているのである。様々な事に迷わずに廓然大公として対応するためには武士としての本分に関わるすべてのことを学び、様々な事態に対応するために、多くの引き出しを持っていなければならないといっているのである。ここでいう腹というのは丹田のことであり、胆力のことである。

   
イザというときに、冷静に逃げずに物事に対応するためには、学識もさることながら胆力の養成ということも必要なことであり、それをつけるためには、前述にもあるように、学んだことの訓練や実践、所謂、行動を起こし、体験を積み上げることによってのみできてくるものであるとの解釈もできよう。胆力がつけば、相手のこともよく読めるようになるものである。所謂、「腹が読めるようになる。」ということである。このことは、現代の社会生活の中でも非常に重要なことである。営業をするにしても、物事を推進していくにしても相手の考えが見えると見えないでは、成果に大きな差が出てくるものである。順調に進んでいた仕事上での交渉事が最後になって、成立に至らなくなりそうになって、結果の出ない前にその仕事をあきらめてしまうということはよくあることであるが、もちろん、相手にもよるが、胆力を持った人であれば、その原因を突き止め、次に備えるか、その人の本音を解明して、再度、交渉にあたるなどして、結果を待つまで仕事をあきらめないものである。そして、そういう態度で接していると、意外といい結果を得られるものである。そして、このようなことを積み重ねることによって、人をよく理解できるようになり、人がよく見えてくるようになるものである。だから、左内は次に「学問を専務として勉め行ふべきは、読書して吾が知識を明らかに致し、吾が心胆を練り候事肝要に候。」古典を中心とした書物を読んで自分の明徳を推し広め、自分の胆力の涵養をすることが重要であるといっているのである。
しかし、年少の頃は「兎角打続き業に就き居り候事を厭い、」一つのことに集中、継続して修行することを嫌がる。そして、読書に熱中していたかと思うと止めたり、学問に集中していたかと思うと武芸の練習に転向するというように、つまみ食いをしては、飽きてしまう。こういう態度が学問をする上では甚だしくよくないことである。と左内は言っているのである。最近は子供だけでなく、いい年をした大人でもこういう傾向の強い人が多いように思える。それは、情報が多く、選択肢が多い世の中で、その中に流されてしまって、自分の中に力をためる時間が無い、あるいは、そういうことをしないということに起因しているように思う。更に、IT技術やシステム思考の進展によって、バーチャルリアリテイであるとかマニュアル社会の進展が体感や体験というものを阻害し、希薄にし、ある法則に従っていけば、物事は成就するという、他者依存型の社会を形成することにより、人間としての主体的な生き方を否定する傾向が強い世の中であるからということもいえるのではなかろうか。何か、自分の意思とは違う、また、天の意思とも違う、他のところから、コントロールされているような世の中であるように思うのは、私だけではないと思う。そういう、世の中であるから、尚更、自分をしっかり持って、そのような現実の世の中をしっかり見据えて、次世代のためにそこから逸脱して、今までも再三述べてきたような、本当にいい世の中を構築するために行動を起こさなければならないと思う。そのためにも、左内がいうように「吾が知識を明かに致し、吾が心胆を練る」学問のやり方を実行しなければならない。そうでなければ、1000兆円という莫大な借金と自立できない社会をそのまま子孫につがせることになるのは、間違いない。

「勉と申すは、力を推し究め打続き推し遂げ候処の気味これ有る字にて、何分久しきを積み思ひを詰め申さず候はでは、万事功は見え申さず候。」勉、つとめる、はげむと言う字の意味は、自分の力の限りを出し尽くし、更に目的達成するまではどこまでもその力を出し続けるということである。何事でも、長い間、努力を積み重ね、強い意志力を以って実行していかなければ、目的を達成することはできない。と左内は言っているのである。まず、ここまで、自分の強い意志を以って、成就したい目的を持っているかどうかということが大前提になる。所謂、前章の「志を立つ」という事に繋がるわけである。「志を立つ」というのは、自分の立場や職業を通じて、社会に貢献できる事象を実現するということである。つまり、自分の「人生の目的」のことを言うわけである。例えば、政治家になるとか、社長になるとか、学者になるとかは、目標であって、目的ではないということである。近年は、この目標と目的の違いを認識している人が少ないのではないかと思えてならない。例えば、政治家になったなら、選挙で当選して、それで終わりではなく。政治家という職業を通して、自分の利害を超越して、如何に国民のためになる国家を創っていくかということに専念しなければならないものである。また、それが、政治家としての目的であり、志である。しかし、現実は、次の選挙のために、自分の利害や名声にだけ固執して、それに振り回されている人たちが多いように思える。所謂、目標を目的化している社会、志なき社会にしているのは、そういう、時代のリーダーたるべき人の「ふるまい」にあるように思えてならない。左内が言うように目的に向かって、強い意志力を以って、長期に亘って努力を積み重ねている姿を見せることができないのであれば、どんな立派な立場にあってもリーダーたる資格はないということであり、これからの時代は、目的達成のために、強い意志力を以って、努力を継続できる人たちが世の中を教導していかなければならないということでもある。話をもとに戻そう。
「まして学問は物の理を説き、筋を明らかにする義に候へば、右の如く軽忽粗?の致し方にて、真の道義は見え申さず、なかなか有用実着の学問にはなり申さぬなり。」まして、学問というものは、物事の道理を解明して、その道程を明確にすることが、目的であるが、前にも述べたような軽々しい、粗雑なやり方では、本当の意味での学問の道理、道程を明確にすることはできないので、当然、世の中に有用であり、自分に身につく学問にはならないものである。と左内は言っているのである。先程、述べたように、強い意志力を以って、努力を継続することができないのであれば、学問は、自分の身にもつかないし、世の中のためにもならないということである。ここに学問について「物の理を説き、筋を明らかにする義」という言葉があるが、これについては、本年の後半にやることになっている「大学」にその要点は、ほとんど書いてあるといってもいいと思う。詳しくはそのときに話はするが、内容にちょっとふれると、「大学」では、学問の目的は「明明徳」「親民」「止至善」であるとしている。つまり、自分の持てる明徳を明らかにすることであり、人民とコミュニケーションを持ち、親しく接することであり、それを以て、究極の善の境地に止まることであるといっているのである。そして、学問の目的達成のための物事の道理の解明の道程として「修身」、自分自身を修練し、「正心」、心を正しくし、「誠意」、意念を誠実にして、「致知」、道義的判断をし、「格物」、物事の道理を解明する、といっているのである。更に物事の道理の解明ができれば、「斉家」、家が整い、「治国」、国が治まり、「平天下」、世の中が平和になると言っているのである。肝心の「物事の道理の解明」については、天地自然の理の中で、生存する人間という生命体としての価値観を究明するということに繋がるが、それをより具体的に解明しているのが何回も述べているように「易経」である。だから、東洋思想の究極は「易経」の理解が必要になるということである。このことを話すと長くなるので、もとに戻そう。
しかし、世の中には愚俗が多いので、学問をして如何にも自分は聡明だと人にひけらかすために驕り、昂ぶる心が起こり、浮調子になったり、学問を名声を上げたり、金儲けをするということに利用する気持ちが起こったり、自分の才能や聡明さを人に自慢したりする病が、時々頭をもたげてくるものである。と左内は次に述べている。そういう風になると学問の本来の目的である、物事の道理の解明や努力の継続ができなくなるといっているのである。そして、その解決として、自分を慎むということは言うまでもないことであるが、効果が大きいのは、自分の信ずる良友からその都度、自分の態度を正したり、戒めたりしてもらうことが重要であると言っているのである。だから、友を選ぶということは非常に大切になってくる。そうして、益友を選び、「吾が仁を輔け、吾が徳を足し候工夫」を行うことが学問の目的達成のためには必要欠くべからざるものであると、この項は締めくくっている。
 交友を択ぶ  
 
「交友は吾が連れ、朋友の事にて、択ぶとはすぐり出す意なり。」交友は、自分の周りにいる交際のある友人のことで、択ぶとは、吾が仁を輔け、吾が徳を足してくれる益友をその中から選び出すことであると、左内はいっている。また、もちろん、交友を択ぶことは大切ではあるが、同門同郷の人や同年輩の人などと、そういうことに拘わらず交際をすることも大切であるとも言っている。要は、その中から、益友を択ぶということを根本にもっていれば、どんな人と交友をもってもいいといっているのである。さて、吾が仁を輔け、吾が徳を足してくれるような益友を、自分自身が、何人もっているかと問われると返事に窮するのは否めない。私たちの交友関係は幅広いが、おそらく、江戸時代に生きていた人たちよりも幅広いと思えるが、現在は、どうも、左内の言うような益友を択ぶというよりは、自分に経済的メリットを持ってくる益友を択ぶという傾向が強いように思えてならない。もちろん、益友の条件の中の小さなひとつのポイントではあるかも知れないが、それを全体像として受け止める人が多いように思える。もっと、言えば、経済的メリットは、益友と交わった結果であり、それが、目的ではないということである。結果を求める交友は、それが終わってしまえば、すべてが終わってしまう傾向が強い。先日、久しぶりに、ある他大学OBの先輩にいわれて、もう十数年、ご無沙汰している、日本拳法連盟の懇親会に出席した。私のよく知っている、連盟設立時に力を注がれた先輩たちが多数見えていた。連盟はおろか、自分の大学のOB会にも十数年、顔を出していなかったので、何をいわれるかと思いながら出席したが、諸先輩方にそれぞれ寛容に対応していただいた。思えば、現役時代、卒業後の指導員、監督、大会の実行委員の時代、多くの先輩や同輩、後輩方に無償の奉仕をしていただいていたことに今更ながらに気付かされ、改めて感謝の意を覚えるのであった。もちろん、そういう中にも、それぞれに色々な葛藤や懸案があるのであろうが、そういうものは、吹き飛ばしてくれるような若々しさと明るさと勢いがその会にはあった。日本拳法という武道、スポーツの中で、一緒の汗を流してきた仲間という意識が、経済的メリットを超えたところで結びついているいい例であろう。自分にはこういう益友が少なからずいたんだなと改めて気付かされた。話を元に戻そう。
左内は続けて言う。「そういう、多くの交友の中には、損友、益友がいるので、ちゃんと択んで付き合うということが大切である。損友には、その人にその人のよくない面を指摘して、自分の持てる力で改めさせ、いい方向に導いてやらねばならない。益友には、自分のほうから積極的に交際を申し出て、常に兄弟のように接することが大切である。」当然、交友関係の中には益友も損友もいるので、それには、それぞれ対応の仕方があると言っているのである。益友に交わりながら、多くのことを得て、それを損友を教導することに用いるというようなことにも繋がる。私は、多くの人と長く付き合うタイプであるが、十数年、数十年の付き合いという人が多い。それは、やはり、利害関係を伴わないからというのが、最大の理由であるように思う。後半勉強予定の「大学」の中に「国は利を以て利とせず、義を以て利とす。」という言葉があるが、大義(世の中をいい方向に進化、進展させる目的)があり、それを実行させる中で利益は、自然生み出されるものであるということである。更に左内は、「益友は、世の中にそんなに多くはいるものではなく、また、そういう人と巡り合うというのは、大変得難いことであるので、一人でもそういう人がいるならば、何をおいても大切にすることである。」と言っている。

「統て友に交るには、飲食歓娯の上似て付合ひ、遊山、釣魚にて狎合ひ候は宜しからず、学問の講究、武事の練習、侍たる志の研究、心合の吟味より交りを納れ申すべき事に候。」
友人と交流するときは、全般的に飲食や歓楽での付き合いや行楽や魚釣りなどの馴れ合いでの付き合いはよくない。学問の研究や武芸の鍛錬、武士としての志の研究、武士としての心構えの研究などの中での交流を深めるべきであると左内は言っているのである。最近、特に思うのであるが、歓楽街に行ったり、飲み屋に行ったりするのは、人とのコミュニケーションを図るためにというよりは、自分の満足感を果たすためにいっているのではないかということである。先日もあるところに出張にいったとき、夜、接待しますということで先方の言われるがままに歓楽街に繰り出した。その接待する人がよく知っている店に行って、これがうまいから、あれが新鮮だからと色々と出してくれるのであるが、もちろん、うまいものも多くあるのであるが、何か、相手の口に合おうが合うまいが、自分の嗜好を押し付けて、満足しているように思えてならないのである。(自分自身も反面教師で反省せねばならないところは多くあるが。)更に、二次会に於いては、自分のなじみの店に行き、自分の好きな酒を飲み、好きな歌を歌って、盛り上がるのであるから、結局、真に交流を深めるようなことは何もなく、ただ、酔っ払って帰るだけである。また、酒を飲んでいるときは、勢いよく、どんなことでもできるようにいっているが、翌日になると、「そんなこと言っていましたですかね。」で終わることはしばしばある。飲み屋での商談、飲み仲間ほど、あてにならず、頼りにならないものはない。それに引き換え、ちゃんとした目的を持って、自分自身を向上させるために、やっている事や場所で出会う人たちには、学ぶことが多くあるものである。今の日本に必要なのは、こういった自分自身を向上させるための場所を多く作るということなのではないだろうか。そういう中での終わった後の酒の交わりは、欠かせないものであろうと思うが、酒の交わりだけに終始するのは、体を悪くすることに終わるのではなかろうか。普段のストレスを解消させるために、自分自身を向上させることに時間を費やすということは、ストレスを解消させるだけでなく、ストレスを総体的に減らすという相乗効果を生むようにも思える。
左内は続けて言う。「飲食や行楽での狎れ合いで付き合う友人は、普段、そういう中で付き合うときは、腕をとったり、肩を組んだりしながら、親友、親友と互いに呼び合うが、平穏無事な生活をしているときも、自分の徳を高めてくれることにも役立たないし、有事にさいしても、自分の危難を助けてくれる者でもない。」ここで左内が述べているように、確かに普段、自分の徳を高めてくれるような人は、緊急の場にあっても助けてくれるものでもある。もっと言えば、徳をお互いに高められるような付き合いが必要である。最近、介護サービスをやっている「コムスン」の話題が多く新聞紙上に取り上げられているが、損得の得を高めてばかりいると、どうしても、虚構が多くなるということの代表的な例であるように思える。人徳や美徳を高めることを追求していれば、あのようなことにはならなかったのではなかろうかと思う。本来の介護サービスというのは、人徳や美徳が伴わなければ、成立しない事業であるように思う。それをビジネスにするということは、色々な覚悟が必要で、本来、そんなに儲かるものではないように思える。折口会長の救われる道は、このことを深く反省し、自分たちにそういうビジネスはできないことを自覚し、ちゃんとやってくれる第三者に早急に損は覚悟で事業を売却するということである。(注・これを執筆しているときは、まだ、そういう考えではなかった。)これからの政界でも、実業界でも、損得の得ではなくて、人徳の徳を高めることが必要であるように思う。
更に左内は言う。「飲食や行楽の狎れ合いだけで付き合う友達(損友)とは、会う機会を減らし、遊興への誘惑に負けない強い意志力を持って付き合うことが必要であり、心安くしすぎて、自分の道義心を汚すことのないようにする必要がある。逆にその強い意志力を持って、その友人を何とかして正道に導き、武道や学問にその意志を向けさせることも友人としての道でもある。」自分の徳で相手を感化させるくらいに徳を高める必要があるとも言っているようである。
「さて益友と申すは、兎角気遣ひな物にて、折々面白からざる事これ有り候。それを篤と了簡致すべし。益友のわが身に補ひあるは、全くその気遣ひなる処にて候。」さて、益友というのは、気安い損友とは違って、兎角、気遣いなもので、時々、自分にとって面白くないこともある。しかし、そのことを篤と考えねばならない。益友が自分の足らないところを補ってくれるのは、その気遣いなところにあるからである。と、左内は言っているのである。人間、自分に都合の悪いこととか、自分の不利になることとか、自分の短所をつかれると、そういうことを言ってくる者を遠ざけようとするのが一般である。しかし、実はそういうところに重要な課題があるものであり、それに気付こうとするものも少ない。また、気遣いなくそういうことを言ってくれる人も少ない。また、そういうことを気遣いなく言ってくれるということは、お互いの信頼関係がなければならない。つまり、益友というのは、「朋友の信」をもって、自分に足らないことを指摘してくれて、その解決のために助勢してくれる友人のことを言うのであろう。こういう友人を持ちたいものである。最近、問題になっている経営者は、この益友を持っていないような気がする。だから、損得の得を人徳の徳に消化しきれないのではなかろうか。

   
「「士、争友有れば、無道と雖ども令名を失わず」と申すこと経にこれ有り候。争友とは即ち益友なり。」人間(武士)は争友があれば、無道の人物であってもその令名を失うことはないと、孝教に述べられているが、この争友こそがこれまでに述べている益友なのである。と、左内は言っている。争友とは、自分の悪いところを遠慮なく指摘してくれる友人という意味である。だから、こういう友人を持っていると、自分の悪いところや過ちを指摘してくれるので、自分では気付かない誤解していることや不足していることがわかるので、それを補うことが可能になるのであると続けている。ただ、誤解しないでいただきたいのは、最近はこの傾向が強いが、その人の批判をしたり、過ちを大っぴらにしたりすることではないということである。ライブドアの件にしても、村上ファンドの件にしても、批判や過失の言い合いで如何に益友や争友がいなかったかということを露呈しているように思える。
「もし右の益友の異見を嫌ひ候時は、天子諸侯にして、諫臣を御疎みなされ候同様にて、遂には刑戮にも罹り、不測の禍をも招く事あるべきなり。」もし、益友からのそのような忠告をされることを嫌うときは、君主(天子諸侯)の地位にあるものが、ご正道にたいして、諫言してくれる忠臣を疎んで遠ざけるのと同様で、最後には、刑罰に処せられたり、殺戮にあったり、不測の禍を被るという結果になりかねないであろう。と左内は言っているのである。私もこれまで多くの経営者や政治家に会ってきたが、ここまで、自分の力でやってきた、人とは違うからこうなれたんだという意識が強く、なかなか、他人の諫言は受けない傾向が強いように思う。また、諫言する人間が疎ましくなり、遠ざけるという傾向も強いように思える。こういう行動を続けていくと、自分に都合の良い者だけを集め、擦り寄るものだけの意見を聞き、結局は自滅するということになりかねない。これは、これまでの歴史を見てもその通りであるのであるが、人間というものは、本当に、歴史に学ばない、学習能力がない人が多いなと感じる次第である。そういうことにならないように益友を見出し、付き合っていく必要があろう。

「さて益友の見立て方は、その人剛正毅直なるか、温良篤実なるか、豪壮英果なるか、逡邁明亮なるか、闊達大度なるかの五つに出でず。」益友を見定めるには、その人物が、意志が強く、正直であるか。温良、温和で誠実さに篤いか。勇壮で決断力に優れているか。明晰な頭脳持ち主で才智に長けているか。闊達で度量が広いか。というこの五項目を目安にすればよいと左内は言っているのである。吾が仁を輔け、吾が徳を足してくれる益友の条件はこの五項目であるといっているのである。さて、自分の身の回りにそのような人が何人いるであろうか。残念ながら、すべてを兼ね備えているという人物は、なかなか見当たらないように思える。しかし、このそれぞれの特徴を持った人間が集まり、うまく融合することができ、組織や企業を作ったら、永続性のある力強い体制が作れるように思える。そういう意味では、企業や組織を作り、それを発展させようとするなら、資金の手当てや事業計画を立てる前に、まず、こういう人物を登用するということが必要なように思える。しかし、ここにも書いてあるようにこういう人物は、その信念から物事に簡単に迎合せず、扱いずらく、信念を持たない一般の人からは嫌がられているものであるので、そういう人を見分け、登用するのは、登用する側も、それなりの対応をできる徳ある人物でなければ、大変難しいことでもあるようにも思える。
「孫子の兵法」の中に将たる人間の条件に「知・信・仁・勇・厳」という五つの言葉が出てくるがこの左内の言う五項目は、それにも繋がるようにも思える。才智に長け、信頼が篤く、思いやりがあり、勇壮、勇敢で、厳格である。というような意味になるが、孫子は将たるものは、このすべてをバランスよく持っていなければならないと言っているのである。将たるものも兵卒の仁を輔け、徳を足してくれる度量がなければ、必ず兵を滅ぼすと言っているかのようである。それはそのまま、国民の仁を輔け、徳を足すことのできるリーダーが国民を教導しなければ、国は滅びるということにもなるのではなかろうか。もうすぐ参院選であるが、このあたりを考慮して、人物本位で投票したいものである。
「彼の損友は、佞柔善媚・阿諛逢迎を旨として、浮躁辨慧・軽忽粗慢の生質ある者なり。」それでは損友はといえば、他人に媚び、諂い。常に他人に気に入られるように迎合することを旨として、いつも浮き足立って、本質のない知恵をひけらかし、軽々しく、いい加減な性質を持っているものである。と左内は言っているのである。そして、こういう人物とは、そのあとにも書いてあるように、すぐにも心安くなれるので、勘違いして、世間の一般の人たちは、その人の人柄や才智を誉めるようになるのである。人間は、確かに安きに付きたくなるものである。しかし、それでは、本質は何も解決しない(吾が仁を輔けてもくれないし、吾が徳を足してもくれないものである。)ということである。確かに、本質を究明したり、理解したりすることは、時間がかかり、忍耐が必要である。そういうプロセスを飛ばして、表層の情報だけで、真相・本質まで解決したように思うのは、大きな間違いである。このことが、最初は良いが、最後には、人間関係を悪くし、悪い結果を及ぼす原因になるのである。いつも申し上げるようにこのところ引き続き起こっている道義なき様々な事件は、本質を捉えようとするプロセスなしに、表層を追求することのみに(例えば、表層を追求するということは、見栄えを良くするために、真相はお構いなしに、表層を膨らますようなもので、風船を膨らます行為に似ているように思える。膨らましすぎた風船は、自然に破裂してしまうか、針一本であえなく破裂してしまうものである。)終始しているところに原因があるように思う。
そういうことであるので、聖賢豪傑を目指すものは、益友、損友を択ぶのに、これまで述べてきたようなことを参考に本質を見る厳しい目を持って対応していかなければならない。と、左内は最後に言っている。

「以上五目、少年学に入るの門戸とこころえ、書き聯ね申し候者なり。」この章は、啓発録を書いてしばらく経って付け加えたものである。左内は自分の性格のことを「性格疎直にして柔慢なる」と卑下している。そして、そのことがあって、学問上でたいした進歩も得られないのではないかと思って、毎夜、寝床について、そのことを悔しく、残念に思って、涙を流していたのだという。こういう意念があればこそ、それを打ち破って、何とか、聖賢豪傑の道を進もうとする気概も生まれてきたのであろうと思う。また、この年頃に、ここまで真摯にこのように思えるということにすごさを感じる。そして、そういう中、自分の身を立て、父母の名を立て、主君の役に立つ功績を上げ、祖先の名誉を世の中に輝かしたいと思いをめぐらしていたときに、悟るところがあり、それを忘れないように記したのが、この五目であったというのである。だから、この五目は、決して、他人に示すために書き記したものではなく、自分の志を成し遂げるための指針として記したものであると左内は言っている。世の中のために本当に尽くそうとする人は、ここまで、自分に厳しいものである。今の世の中は、一見、世の中のためにつくすようなことを言っているが、実は、自分の欲を満たそうとしている人が多く存在するが、こういう人の大部分が、自分に甘く、人に厳しい人が多い。物事を人に押し付けるのがうまく、常に自分が正当であるということに躍起になっている人たちである。こういう人たちが世の中をリードしている時代には、本質は何も変わらないように思える。「美しい国日本」という抽象的なスローガンよりも今我々が真摯に考えなければならないのは「道義大国日本」なのではないだろうか。人々が信頼し合え、海外から信頼される国創りこそ必要なのではないかと思う次第である。
この章で最後に左内は、藩医の家に生まれたことで、自分の志とは、違うことで学問や技術を磨かなければならないことに対しての悔しさを表していると同時に、そうはいっても自分の志すことを理解してくれる人が必ず現れてくれるであろうという期待もしている。医学も大変重要なことであり、自分の仕事として、やらねばならないことであるが、自分の真の目的は、もっと、世の中のために貢献できる聖賢豪傑になることであり、このことを達成していきたい。そういっているようである。果たして、左内は、松平春嶽に見出されて、志半ばで倒れはしたが、世の中の変革の時期あって、世の中のために大きな役割を担ったのである。





最後に左内が「啓発録」を記してから、十年経って、たまたま古い書類箱からこれを見つけての所感が述べてある。内容は幼稚であるが、何とかして志を遂げようとする気概の激しさは、現在の自分に及ぶものではないと言っている。また、この時期の気概は、今の自分のどこにあるのであろうか、そのことを思うと我ながら恥ずかしくなると言っている。自分の書いたものに自分が学ぶということであろうか。私なんかはいつものことである。書くという作業は、どうしても、物事を美化して表現してしまうという傾向があるように思う。それだけ、自分の意念が強いからであろう。しかし、意念が強ければ強いほど、自分の本当の意念からは遠ざかっていくようにも思う。「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」である。しかし、そんな自分の書いたものでも、時間をおいて、書くという表現者から、読むという読者の立場に代わるとその中に自分のその時の意念を巡らしながら、頭の中で、自分なりの世界が創造でき、その時の自分の意念と一致するものを引き出しやすくするので、改めて、自分なりに感動したり、批判したりすることになるのであろう。つまり、書物は、読む人の環境や経験によって、変化していくものなのであろう。だから、左内は、その文面を幼稚であると批判しながら、気概の激しさに感動しているのである。そして、この時、左内は改めて、この当時の意念と気概を思い起こし、これから行う事業の一つの指針として、再度、位置付けたのであるように思う。それは、それからの左内の行動を辿ってみると、最後の最期まで、この「啓発録」の誠を貫いているところを垣間見ることができるからである。そのような理由もあり、自分のもっとも信頼する後輩の溝口辰五郎や弟の橋本琢磨に清書し直して与えたのであろう。

この本(啓発録・橋本景岳・伴五十嗣郎 訳・講談社学術文庫)には、ほかにも左内の書簡が色々掲載されているので、より橋本左内を知るためには、是非、読んでいただきたいものであると思う。橋本左内は、新しい日本を築くためにその全身全霊を捧げていった人物である。最期は理不尽にも斬首、獄死という運命に見舞われるが、その天命を甘んじて受け、将来の日本国の革新と発展を跡に続く者に託したものと思われる。その意念は、西郷南洲に受け継がれ、維新の大業を成し遂げる大きな原動力になったのである。このように歴史というものは、一つの事象だけではなく、大きな時代の流れの多くの事象の中で、それぞれの役割をもった偉人が出て、変革していくものである。偉人なき現代、我々凡人が世の中を変革するためには、「誠を持って行動する。」ということが大切であるように思えてならない。