【近思録について】


(平成25年7月~11月)

「近思録」は中国、南宋の時代の1176年の夏、朱子と呂祖謙が福建の建陽にあった朱子の寒泉精舎で、北宋の儒学者、周濂渓、張横渠、程明道、程伊川四子の著作の中から、日常の実践道徳から、高遠な天地自然の道理にいたるまでの、諸説を抜き出して、622条、14巻にまとめた宋代儒学の入門書である。この書で前述の四子の学の概要がほぼ理解できるようになっている。
 「近思録」の原序(はじめに)には、「近思録」を著作する経緯や意図について、下記のように述べられている。

淳煕(じゅんき)乙未の夏、東莱の呂伯恭東陽より来たり、予が寒泉精舎を過ぎる。留止すること旬日、相与に周子、程子、張子の書を読み、その広大閎博、津涯(しんがい)なきが若くなるを歎じ、夫の初学者の入る所を知らざるを懼る。因りて共に其の大体に関し日用に切なるものを掇取し、以て此の編を為(つく)る。総て六百二十二条、十四巻に分かつ。蓋し凡そ学者端を求め力を用い、己を処し人を治むる所以の要と、夫の異端を弁じ聖賢を観るの大略とは、皆な粗ぼその梗概を見(しめ)す。以為(おもう)に窮郷の晩進、学に志有りて、明師良友の以て之を先後するなきものは、誠に此れを得て心に玩(したし)めば、亦た以て其の門を得て入るに足らん。此の如く然る後に諸(これ)を四君子の全書に求め、沈潜反復、優柔厭飫(ゆうじゅうえんよく)、以てその博きを致し、諸を約に反さば、則ち宗廟の美、百官の富も、その以て尽く之を得る有るに庶(ちか)からん。若し煩労を憚り、簡便に安んじ、以て足ることを此れに取りて可なりと為すは、則ち今日此の書を簒集する所以の意に非ず。五月五日新安の朱熹謹んで識す。

(大意)
淳煕二年の夏、東莱の呂伯恭が東陽から来て予の寒泉精舎を通りかかり、十日ばかり滞在した。その間共に周張二程の著書を読んだが、なにしろ広大閎博、あたかも大川を徒渉するとき岸辺が見つからないようなもので、ただ浩歎するばかりである。これでは、初学者はどこから手を付けてよいか分かるまいと思い、四子の書の大体に関し日々の修学行事に切実なものを掇ってこの編を作った。すべて六百二十二条を十四巻に収めた。思うに、およそ学者が端を求め力を用い、己を修め人を治める所以と、異端を辨知し、聖賢を観察する所以の大略とは、皆ほぼその梗概を示しておいた。辺地におる後進で学に志を有しながら、明師良友の指導を得られないものは、この書を得て心に玩味すれば、入門書として役立つであろう。然る後に、直後、四子の全書について道を求め、これに沈潜し詳慎に推求し、ゆったりした気持ちで学び、心ゆくまで味わい、その閎博を尽くして要約してみれば、高遠かつ豊富な四子の学の精華がことごとく得られるであろう。もし、進んで、四子の全書を読む労をいとい、簡便に安んじて、この書を読むだけで満足することは、この書を編纂した意図ではないのである。五月五日新安の朱熹謹んでしるす。




また、朱子の学問(朱子学)は、儒教も道教も仏教も内包して、この四子の説を媒介として成立したものであり、後年、新儒学といわれるようになったのである。こうして、この中国の思想史が未だかつて経験したこともない、完結性をもった思想体系が作り出されたのである。そして、それは、わが国にも大きな影響を与えたのである。特に徳川幕府が朱子学を官学としたため、時代を越えて長年にわたって、現在の我々日本人の生き方にも大きな影響を与えているのである。
 そういう経緯からすると「近思録」は朱子学の入門書であるということが言えよう。というか、朱子の解釈が中心となっているので、尚更、その傾向が強いようにも思える。この中国、宋代の思想体系について、「中国の科学と文明」の著者、ジョセフ・ニーダム博士は、

現代の西欧の自然観は、ガリレオやニュートンの時代の自然観では不十分であり、むしろ、中国の宋時代の性理学者の自然観に接しており、また、宋時代の自然観はニュートンなどの世界観を通り越して、一気に現代の量子論の世界にせまっている。

と述べているが、理論的にはそれほどの影響力をもった思想体系なのである。
 さて、今回はタチバナ教養文庫「近思録・上」湯浅幸孫著を教本として、朱子学の起点になった著書を学んでいこうと思う。また、四子と包括して呼ぶが、それぞれ個性のある人物であり、学者であるので、その人の個性にふれながら、宋代の儒学、朱子学を理解するように努めていきたいと思う。また、人生の指針となるものを多く学び取っていきたいとも思う。

     
(為学大要篇)
一. 濂渓先生曰く、聖は天を希(ねが)い、賢は聖を希い、士は賢を希う。伊尹・顔淵は大賢なり。伊尹は其の君尭舜たらず、一夫の其の所を得ざるを恥ずること、市に撻(う)たるるが若し、顔淵は怒りを遷さず、過ちを弐たびせず、三月仁に違わず。伊尹の志す所を志し、顔子の学ぶ所を学ぶ。過ぐれば則ち聖、及ばば則ち賢、及ばざるも則ち亦た令名を失わず。


周濂渓の「通書」志学篇。聖人は公平至大な天の徳と一致せんことを望み、賢人は聖人とならんことを望み、士は賢人にならんことを望む。伊尹はその君を佐(たす)けて尭舜の行ったような仁政を行わせることができず、一人の民でもその境遇に安んじないものがあれば、自分の責任として恥じた。顔淵は人にやつあたりせず、過ちは二度と繰り返さない。また、長年人に違う行動はしなかった。もし我々が伊尹の志したところを志し、顔淵の学んだところを学ぶならば、もし、彼等以上に進み得れば聖人となれるし、彼等と同程度まで向上できれば賢人となれるし、彼等に及ばなくてもよい評判は失わない。というような意味である。
 伊尹や顔淵のように、世俗的な立身出世に捉われず、心を静かにして、誠を失わない、つまり、ここに述べてあるように主静立誠の実践者を目指すのが、その当時の(現在もであるが)儒者の目標であった。周濂渓自身もそういう主静立誠の人であり、何事にもとらわれることなく、弟子たちに接していたようである。こういう、主静立誠の実践者になるためには、物事を包含して観る「大極観」のようなものが必要になるように思う。周濂渓の書の中で、一番有名なのは、「大極図説」である。この「大極図説」の中に、この世の中、地球の成り立ちについて説いてあるところがあるが、そのような、見識があったればこそ、主静立誠の実践者になれたのではなかろうか。この近思録の最初のところに「大極図説」について、述べてあるので、それを見てみよう。



濂渓先生曰く、無極にして太極あり、太極動いて陽生じ、動くこと極まって静かに、静かにして陰を生ず。静かなること極まって復た動く。一(あるい)は動き、一は静かにして、互いにその根と為り、陰に分かれ陽に分かれて両儀立つ。陽変じ陰合して水火木金土を生じ、五気順布して、四時行(めぐ)る。五行は一陰陽なり、陰陽は一太極なり、太極はもと無極なり。五行の生ずるや、各おの其の性を一にす。無極の真とニ五の精、妙合して凝る。乾道は男と成り、坤道は女となる。ニ気交感して万物を化生し、万物は生生して変化窮まること無し。

これが、周濂渓が表した「太極図」の説明である。無極は太極であり、その太極が動いて陽を生じ、静かにして陰を生じ、両儀が成立する。そして、陰陽が変じ、合して水火木金土の五行が生じる。その五行の五気が循環して四季が生じる。だから、五行は陰陽であり、太極でもあり、無極でもあるとしているのである。そして、天地万物のもとである太極の静と動の運動によって分かれた陰陽二気が感応して五行の気を生じ、陰陽二気と五行の五気の精が結合して、男女を生じさせ、このニ気の交感によって万物が化生すると述べているのである。このように、天地万物は生じ、天地自然の道理は永続性を保ちながら、千変万化しながら運行していくものであるので、立身出世のために齷齪とする必要はない。何のためにそんなに急ぐのか。ただ、自分の志を遂げるために、そして、聖人の域に達せるように日々努力を積み重ねていくだけである。というようなことを周濂渓は考え、それを実践していったように思う。

     

四.横渠先生、明道先生に問いて曰く、性を定めんとして未だ動かざること能わず、猶お外物に累(わずら)わさるは如何と。
明道先生曰く、所謂定とは、動も亦た定まり、静も亦た定まり、将迎なく、内外無し。苟(も)し外物を以て外と為し、己を牽いて之に従わば、是れ己の性を以て内外有りと為すなり。且つ性を以て物に外に随うと為さば、則ち其の外に在るの時に当って何者か内に有りと為さん。是れ外誘を絶つ意にありて性の内外無きを知らざるなり。既に内外を以て二本と為さば、則ち烏(なん)ぞ遽(つい)に定を語るべけんや。夫れ天地の常なるは、其の心万物に普くして無心なるを以てなり。聖人の常なるは、其の情万事に順って無情なるを以てなり。故に君子の学は拡然として大公、物来たりて順応するに若くは莫し。易に曰く、「貞しければ吉にして悔亡ぶ。憧憧として往来すれば朋爾の思いに従う」と。苟し外誘を除くに規規たらば、将に東に滅して西に生ずるを見んとし、惟だ日の足らざるのみに非ず。顧(おも)うに其の端窮まりなく、得て除く可からざるなり。
人の情各おの蔽う所あり、故に道に適(ゆ)くこと能わず、大率(おおむね)患は自ら私して智を用うるに在り。自ら私すれば則ち有為を以て応迹を為す能わず、智を用うれば則ち明覚を以て自然と為す能わず。今、外物を悪むの心を以て、無物の地を照らさんことを求むるは、是れ鑑に反して照らさんことを索むるなり。易に曰く、「其の背に艮(とど)まりて其の身を獲ず。其の庭に行きて其の人を見ず」と。孟子亦た曰く、「智に悪む所の者は其の鑿するが為なり」と。其の外を非として内を是とする与(よ)りは、内外を而忘するに若かず。而忘すれば則ち澄然として事無し。事無ければ則ち定まり、定まれば則ち明らかに、明らかならば則ち尚お何ぞ物に応ずることを累とせんや。聖人の喜びは、物の当に喜ぶべきを以てし、聖人の怒りは、物の当に怒るべきを以てす、是れ聖人の喜怒、心に繋がらずして物に繋がるなり。是れ則ち聖人豈に物に応ぜざらんや。烏ぞ外に従う者を以て非と為し、更に内に在る者を求むるを是と為すを得んや。今、自私用智の喜怒を以て、聖人の喜怒の正に視(くら)ぶれば如何と為すや。夫れ人の情、発し易く制し難きは、惟だ怒りを甚だしと為す。第(た)だ能く怒る時に於いて、遽(にわか)に其の怒りを忘れ、理の是非を観れば、亦た外誘の悪むに足らざるを見る可く、道に於いても亦た思い半ばに過ぎん。


(大意)
張横渠先生が問うた。心を定めようとするが、外物に牽かれて、動かされてしまう。どうしたら心を定めることができようか。
程明道先生が答えて言った。所謂、定心(心を定める)とは、外物の誘いを断つことではない。定心は、心の動く時にも定があり、心の静かなる時にも定がある。外物の去らんとするのを送ることもせず、来たらんとするのを迎えることもしない。外物が来れば心はこれに応じ、去れば追うこともない。わが心と、外物とを区別しない。もし外物をもって外とし、己の心がこれに牽引されて従うとするならば、己の心が内外二つに分かれることになる。かつ、心が外物に引かれ従っていくものとすれば、その外物に心が動かされている時には、何が心の内に存在しよう。これは外物に心が動かされまいとして、心にはもと内外の区別のないことを知らないのである。内外を二つに分けてしまうなら、ついに心の定を考えることはできない。天地の心は常に万有に普遍的の具有され、人は天地の心を稟受して己の心としている。しかも天地は何者に対しても何の私心もいだかない。

聖人の情は常に万事に順応して、その間何に対しても好悪の私情がない。であるから、君子の学ぶべきこともこれと同じで、心は広々として一点の私意をはさまず、物我の隔てなく、外物のくるときにはこれに順応するがよい。「周易」咸卦九四の爻辞に、「(九四は三陽の中央にあり、上卦に位置するから、心の位に当たり、咸の主である。)心の働き、即ち思うことが貞しければ吉であって悔もなくなる。けれども憧憧として心定まらず、私心を用いて物に感応するようでは、広く人を感じさせることができず、限られた友達だけがその人の思いに従うだけである。」という。もし外物の誘いを除き去るのに努力しても、一方で除去して、他方で誘引され、空しい努力を続けて日も足らず、外物の誘引もきわまりなく、ついに除去することはできない。
人の情はそれぞれ蔽われるところがあるから、正しい道に適くことができない。だいたいその欠点は二つあり、自私つまり我に執われることと己の智を用いることである。我に執らわれるときは、ただ外物に動かされまいとして無為に陥り、有為のままで外物に順応してゆくことができず、智をことさらに用いるときは、作為ばかりが先走って、心の明らかな判断を自然の作用として安んずることができない。もし外物に心が動かされることを嫌い、外物の無い処を探し求めるならば、あたかも鏡を裏返しにして物を写そうとするようなもので、空しい努力にすぎない。「周易」艮卦の卦辞に「その背に艮まりてその身を獲ず、その庭に行きてその人を見ず」とある。これは、心が止まるべきところに止まっていれば、欲に動かされず、外物に心が誘惑されることがないことをいったのである。



孟子も「我々が智を厭悪するのは、智を用いてあれこれと穿鑿するからである」といっている。外物をわが心を乱すものとして非とし、わが心を是とするよりは、ただ、理に循って内外ともに両つながら忘れるがよい。両つながら忘れるならば、心は澄み静まって何の煩わされるようなこともない。事なければ心定まり、心定まれば知覚は明らかになり、知覚が明らかであれば、自然と理に循って外物の来るに順応するから、何の煩累もない。聖人は喜ぶべきものを喜び、怒るべきものを怒る。理に循って物に応ずるのであるから、聖人の喜怒は内なる心から出るのでなく、外なる物に応ずるのである。どうして外物に応ずることを非とし、内に在る心を是とすることがあろう。自私・用智の喜怒と聖人の喜怒とを比較すれば、非常に違うことがわかろう。いったい人の情の中で、発し易く制御しにくいのは怒りである。ただ怒りの情が起こった時、ただちにその怒りを忘れ、怒るべきが理か、怒らないのが理か、この点をよく見極めるとよい。かようにすれば、外物に情が動かされることを嫌悪することもなく、道とは何であるか、大方は理解できよう。



張横渠の心を定めようと思うのであるが、どうしても外因、外物にとらわれてしまって、心を定めることができない、どうすればよいであろうかという問いに、程明道が答えたという設定である。実際には、手紙のやり取りがあったようである。
人間、なかなか心を定性に保つということはできないものである。どうしても、周囲の事象に振り回されることが多い。今、ちょうど、事務所でこの講義をどういうふうにしようかと考えているところであるが、近くで他の仕事の話を大声でしている人がいるので、その声にとらわれてしまって、なかなか考えが進まない。確かに、その人たちの話は、自分には関係なく、取り入れる必要が無いというように、心を二つに自分自身で分けているから、気になってしまいとらわれてしまうのであろう。そして、それは、自分の仕事をしたいのに邪魔だなあという怒りに近い感情を起こさせ、自ら、その行為をやめさせるためにはどうしようと知略めぐらせることになる。そうなれば、益々、そのことが邪魔に思えてしかたなくなり、益々、気にとめることになる。これでは、心の安定などということは、いつまで経ってもできそうもなくなる。これをその話も、自分の考察していることも関連性がないことはなく一緒だと思えば、あるいは、そういう話を聞きながら、その時は、自分の考察などはやめて、その話に聞き入るとかすれば、逆に今自分の考察していることにいいキッカケを与えるようになるのではなかろうか。まさに今、私がこの講義の内容を考えていて、こういう内容が考察できたということはこのことであるように考える。
つまり、周りに起こる事象をすべて天地の心をもって受け入れることによって、外物を去らしめるのではなく、それに沿って行動することが心を定性に保つためには必要であるということである。どんな物事も相対するものではなく、相補い合うものであるととらえれば、雑言も金言になるように思う。これこそ易の陰陽の「相輔性」であるように思う。人間(人間に限らず万物も)の根本は陰陽の二気であり、その陰陽の二気が相補いあって、物事は成立するということである。このように天地自然の道理に則って行動することができれば、外事、外物にとらわれることなく生きていくことができるということでもある。これまでも何回も述べてきているが、このことを佐藤一斎は次のように述べている。

怯心を懐く者は衄け、勇気を頼む者は敗る。
必ずや勇怯を一静に泯し、勝負を一同に忘れ、
之を動かすに天を以てして、廓然大公に、
之を静むるに地を以てして、物来たって順應せん。
是くの如き者は勝たん。


こういうようにできれば、勝利を得ることもできる。
また、ここで程明道が述べているように

其の外を非とし内を是とする与りは、内外を而忘するに若かず。
而忘すれば則ち澄然として事無し。
事無ければ則ち定まり、定まれば則ち明らかに、
明らかなれば則ち尚お何ぞ物に応ずることを累とせんや。


外物を非、わが心を是とせず、ただ天地自然の道理に従って、内外(外物と心)を忘れることにより、心が澄み静まって、何の煩わされることもなくなるので、心が定まってくる。そうすれば知覚が明らかになるので、自然、外物に順応することができるので、何の煩累もなくなるということになる。而忘が大切であるということである。

     

五.伊川先生、朱長文に答うるの書に曰く、聖賢の言は、已むを得ざればなり。蓋しこの言あれば、則ちこの理明らかに、この言無ければ、則ち天下の理闕(か)くる有り。彼の耒耜陶冶(らいしとうや)の器、一も制せざれば、則ち生人の道足らざる有るが如し。聖賢の言は、已まんと欲すと雖も得んや。然れども其の天下の理を包涵し尽くすは、亦た甚だ約なり。後の人、始めて巻を執れば、文章を以て先と為し、平生の為(つく)る所、動(やや)もすれば聖人より多し。然れども之れ有るも補う所無く、之れ無きも闕くる所靡(な)し。乃ち無用の贅言なり。止(た)だ贅なるのみならず、既に其の要を得ざれば、則ち真を離れ正を失い、反って道に害あること必せり。来書にいわゆる後人をして善を忘れざるを見せ使めんと欲するは、此れ乃ち世人の私心なり。夫子世を没して名の称せられざるを疾(にく)むは、身を没して善の称す可き無きを疾むというのみ、名なきを疾むと謂うに非ず。名は以て中人を厲ますべく、君子の存する所は、汲汲たる所に非ず。



(大意)
程伊川先生が朱長文に返書して述べた。聖賢の言葉が後世に伝わっているが、彼らはやむを得ず述作したのである。これがなければ、天下の道理が明らかにならず、欠けて伝わらぬ道理も出てくるからである。かの耒耜陶冶の器具は、もし一つでも作らなければ、人民の生存にこと欠くように、聖賢の述作はなくてはならぬものである。しかし、聖賢の言は天下の道理をあますところなく含んでいながら、甚だ簡にして要を得ている。後世の人は、始めて書物を手にとり学ぶときは、先ず、文章に気を取られ、平生著作するものは、聖人よりも量が多い。しかもその述作は、あっても役に立たず、無くてもさしつかえない。無用の贅言である。ただ贅言であるばかりでなく、要を得ないから、真を離れ正を失い、かえって道に害がある。貴下の手紙に文章を述作するのは、それによって後世に名声を伝えたいからだ、といわれるが、それは世の俗人の私心というものである。孔子は「君子は生涯を終わるまでに、名声が世に揚がらないことを疾む」(論語・衛霊公篇)といったが、それは世に称せられるほどの善行のないことを嫌悪したので、名声の揚がらぬことをいったのではない。名の揚がるということで励まされるのは君子より以下の中人である。君子が心に留めて努力するのは、名声を求めることでなく善を行うことである。


論語の衛霊公篇には次のようにある。

子曰く、君子は世を没(お)えて名の称せられざることを疾む。

孔子が言われた。「君子は生涯を終わってから、自分の名前のとなえられないことを悩みとする。」

君子は、生涯、皆に認められるような善行を行ってこなかったことを後悔するというような意味になろうか。だから、今の名声得るために気を配るのではなく、いつかは真価を認められるように常日頃から自分を磨くことが大切であるということである。もっといえば、真価というものは、その人が亡くなってから出てくるものであるということになろうか。これまで、この順受の会で学んだ偉人たちの真価も、もちろん、生きている時も何らかの影響を世の中に与えたであろうが、本当の真価は(世の中に大きな影響を本当に与えることは)、亡くなってから出てくるものの方が多いように感じる。
 しかし、凡人は、自分の名声や自分のやったことの成果を世の中に認めさせるために汲汲とするものである。自分の名声や成果を世の中に認めさせるためには、その正当性を証明するために、様々な言葉を弄することになる。そして、それは、殆んどが自分に利益を誘導するための私心からきているものでもあるように思う。また、言葉というものは、弄すれば、弄するほど、一のものが百となり、十のものが千となるというように、真実から遠ざかっていくように思える。語れば、語るほど嘘になるということである。真実というものは、実は言葉で表すのに、そんなに言葉を弄して説明するようなものではなく、簡易で明瞭なものであるように思う。簡易で明瞭なものであるから、聖賢や偉人の言葉は身に沁みるのである。
また、話は上手だが、結局何を言いたかったのだろうというような話を聞く機会が最近は増えてきたように思う。どこかの大学の教授が言っていたことであるが、「経済学者というのは、自説を唱える時は、なるほどと思えるような話をするので、日本の経済はそのように展開していくのだろうと納得するのであるが、状況が一変したときに、唱えた自説に反省するわけでもなく、こういう状況になったから、こういう経済状態になったのであるとまた自説を展開する。そうすると、それにもまた納得してしまう。なんとも言葉の魔術師である。」と。こういうことが多くなったのではあるまいか。もちろん、経済学者全体を指していったものではないので、ある特定の方を言ったものであるので、日々研鑽を積まれている多くの経済学者の方々には、お許しを願いたい。
さて、自分を省みても、こうして、皆さんに毎月お話をさせていただいているわけであるので、程伊川が言うように「無用の贅言」はなるべく言わないように努めたいと思う。


     
 
七.君子は敬を主として以て其の内を直くし、義を守りて以て其の外を正しくす。敬立ちて内直く、義形(あらわ)れて外方(ただ)し。義外に形るるも、外にあるに非ず。敬義既に立って、其の徳盛んなり、大を期せずして大なり。徳は孤ならざるなり。用うる所として周からざるなく、施す所として利しからざるなし。孰(た)れか疑うことを為さんや。



 ここにも述べてあるが、敬とは主一、無適(適く無し)、つまり、他のものに心が奪われずに、主体性をもって行動ができることを言うのである。心が自分の意志のままに動きながらも理にはずれることがないという状態をいう(つまり、孔子のいう、己の欲する所に従いて、矩を踰えずという状態)。敬があれば、当然義が表層にあらわれるということである。そして、その義による行動が結果、道徳的行為を実践させることになるのである。敬が主体で義がその作用ということになろうか。敬と義は別々のものではなく一体であるということでもある。
   
君子は敬を主一として、その内面を直くして、心を正す、そうすれば、必然的に義が外に表れるので、それを守ることで外面も正しくする。敬を立てれば、内面は心が正され、主体性が確立される。そうなると、義が外面に表れて、正しい行動をするようになる。義が外面に表れるのは、それが外にあるからではない。敬と義は表裏一体であるので、敬が立てば、必然的に義が外に表れるのである。そうすれば、徳が盛んになり、大いなる期待をしなくても、必然的に大いなることができるようになる。徳は孤立したものでも、狭小のものでもないので、これを用いることにより他にもいい影響を及ぼし、これを施すことにより、悪いことを一掃する。このことは誰も疑うことのない事実である。というような大意になろうか。
主体性が確立されれば、様々な局面で様々な対応をできるようになる。安定している時も、危機に直面している時も、その機の応じて、一番の対応策を考え、実践することができる。教育というものは、この主体性を確立させることができるように教導していくことが、何よりも重要な使命であるように思う。儒学は総体的に主体性を確立させるための学問としては、ほかの学問よりも優れているように思う。だから、現代の学びの中に儒学を投入することは、必要不可欠なものであるように思うのである。


     

 十三。習は重習なり。時に復た思繹し、中に浹洽(しょうこう)すれば、則ち説ぶなり。善を以て人に及ぼせば、而ち信従する者衆(おお)し。故に楽しむ可し。人に及ぼすことを楽しむと雖も、是とせ見(られ)ずして悶ゆることなし。乃ち所謂君子なり。

(大意)
習うとは、重ねて習うことである。しかるべき機会をみて繰り返し学習し、心の中に充分会得できると、自ずから悦ばしくなる。また、学習によって得た善いことを他人にも伝え及ぼしてゆくと、信じて従うものも多く、楽しむことができる。他人に及ぼすことを楽しむが、他人が自分を認めてくれなくても、思いわずらうことはない。これでこそ所謂君子なのだ。

 「論語」学而篇に

子曰く、学びて時にこれを習う、亦た説ばしからずや。朋あり、遠方より来る、亦た楽しからずや。人知らずして慍みず、亦た君子ならずや。

孔子が言われた。「学んで適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね。そのたびに理解が深まって向上していくのだから。誰か友だちが遠い所からもたずねてくる、同じ道について語り合えるから、いかにも楽しいことだね。人が分かってくれなくても気にかけない、いかにも君子だね。凡人にはできないことだから。」


   
とある。これについての程伊川の注釈である。ここでいう朋とは、学問を向上させるためにお互いに切磋琢磨している同志というような意味である。学問は孔子や程伊川が言うように理解できるまで、何回も重習して、自分の身に付けなければ、何の意味もないものでもある。ただ、知識として学ぶのではなく、それを実践して、周りに善い影響を与えるの  が学問の本旨であると述べているのである。こういう学習をすることによって、良友も増えていくことになる。そして、良友が増えれば、益々、学問に拍車がかかるということになる。善循環である。そして、それは、周りの多くの人を巻き込んで、暮らしやすく、安定した世の中を構築すること繋がるのである。こういうことを学問の目的とするならば、志が立っているので、他人が自分のことを認めてくれないからといって、思い煩うようなことはなくなるのである。いつも申し上げるように、いい大学に入り、いい会社に入り、いい地位を得るといういような目的で学問をしてはならないということである。真に孔子や程伊川がいうような学問をするならば、そういうことはあとから付いてくるものであるということである。
     

 十六。明道先生曰く、辞を修めて其の誠を立つること、子細に理会せざる可からず。言(いうこころ)は能く言辞を修省するは、便ち是れ誠を立つることを要む。若し只だ是れ言辞を修飾するを心と為さば、只だ是れ偽りを為すなり。若し其の言辞を修むること、正に己の誠意を立つるが為にせば、乃ち是れ自家敬以て内を直くし義以て外を方(ただ)しくすることを体当するの実事なり。道の浩浩たる、何れの処にか手を下さん。惟だ誠を立つれば、纔に居る可きの処あり。居る可きの処あれば、則ち以て業を修む可し。終日乾乾たるは、大小大の事。却(まさ)に只だ是れ忠信、徳に進む所以を、実に手を下すの処となし、辞を修め其の誠を立つるを、実に業を修むるの処と為す。

(大意)
明道先生が言われた。「易の文言伝にいう・辞を修め其の誠を立つ・という語は、くわしく理解せねばならぬ。その意味は、言辞を整えて偽りがないかを反省する。このように言語を慎むのは、内心の誠を定立せんがためである、ということだ。もし、言辞を飾ることを心とするなら、これは偽りである。これに反し、己の誠意を定立せんがために言辞を整えるのであれば、これこそ・敬以て内を直くし、義以て外を方しくす(坤卦文言伝)・という教えを自分でよく調べて実行したことになる。道は広大無辺、どこに力をいれたらよいか。ただ内心の誠を定立すれば、はじめてよりどころがつかめたわけである。よりどころがつかめれば、その業は成就することができる。乾卦九三の爻辞に・君子終日乾乾・とあるが、終日自ら努力してやまずということはこの事である。孔子はこれについて・君子は日々道徳を進め修業せねばならぬ。忠信は、内面的な進徳の手段である(乾卦文言伝)・と説いている。この内面的な忠信こそ、まことに努力すべきところであるし、修辞立誠こそまことに修業すべきところである。」

自分の誠意を定立するために、言辞を整え、修めることが大切であり、ただ、言辞を飾ることによって、人を説得したり、教導したりするのは間違いであるということである。言辞を修めるためには、自分の内心から誠意を定立させることが必要なのである。言辞が修められていないで、それを人に伝えると、間違った方向へ人を導くことになる。最近、○○コンサルタントという商売の人たちが多いようであるが、こういう人たちは、尚更、言辞に注意しなければならない、言辞に誠意を定立させなければならないように思う。


   
例えば、商品を売らんがために、短所を隠し、いいことだけを吹聴して、説得して販売したとする。その時はいいかもしれないが、やがて、その商品の欠陥が明らかになり、それにより、大きな事故が起きたり、大きな害を及ぼしたりすると多くの人に迷惑を及ぼし、多くの人から恨みをかうことになり、遂には、社会問題にまで発展し、挙句は、その企業の破綻にまで繋がることになる。このことはまた、世の中に多く見聞されることでもある。いつも申し上げるように、言葉を発したり、文章を書いたりすることには、充分に慎重であるべきである。常に誠意をもって対応するということが重要なのである。言葉の巧みさや文章のうまさよりも重要なことは、その中に誠意が存在するか否かということである。まさに「巧言令色鮮し仁」である。
先日、映画「最後のエンペラー」を見た。その中で昭和天皇がマッカサー元帥と初めて会見ときに、一人の通訳だけを残して二人で会談をする冒頭でマッカサー元帥の前に直立不動し「この戦争の責任は総ての国民にはなく、総て私の責任です。だから、私を処断してください、私はどんな罰にも服します。」というようなことを述べるシーンがあったが、(実際は「日本国天皇はこの私であります。戦争に関する一切の責任はこの私にあります。私の命におきまして総てが行われました限り、日本にはただ一人の戦犯もおりません。絞首刑はもちろんのこと、如何なる極刑に処されても、いつでも応ずるだけの覚悟はあります。」そして、続けて、「しかしながら、約8000万人の国民が住むに家なく、着るに衣なく、食べるに食なき姿において、まさに深憂に耐えんものがあります。温かき閣下のご配慮をもちまして、国民たちの衣食住の点のみにご高配賜りますように。」と述べられたようである。)これこそが真意であり、誠意から出た言葉であるように思う。この言葉には何の偽りもないように思う。私は不覚にもこのシーンに涙してしまったが・・・・。天皇の役をした役者さんが、適役というか、なかなかの好演だったので尚更であったのであろうが。また、この言葉は内面的な忠信の心がなければ、発することはできないものでもあろう。言辞が氾濫する現代、我々は、もう少し忠信の心を以て、様々な言葉や情報を発信すべきではなかろうか。
     
 
二十五。明道先生曰く、舜、畎畝(けんぽ)の中より発(おこ)る自り、百里奚、市に挙げらるるに至るまで、若し熟せんことを要むれば、也た須く這の裏従(よ)り過ぐべし。

(大意)
舜は農夫の中から起こって、立身して帝となり、百里奚は秦の穆公に知られて市井の中から挙げ用いられた。彼らが艱難困苦の中より興り、その地位に登った次第を熟知しようとすれば、それはやはり、彼らと同じ境遇を経過してこないとわかるものではない。

 人間皆、艱難困苦にあるときは、絶望して死のうと思ったり、そのことから逃避しようとしたり、順調にいっている他人をうらやんだりするものである。しかし、そのように考え、その渦中に飲み込まれてしまっては、自分を成長させることはできないということである。思えば、偉人と呼ばれている人たちは、ほとんどといっていいくらい、艱難困苦を克服している。艱難困苦が自分に与えられた、自分を成長させるための天命であるということを自然に身に付けているのである。色々な苦悩はあろうが、それは、天命であり、これからの自分を強く成長させる礎になるということを自覚できるのである。この差が人間としての格の差、つまり、人格の差になるのである。舜にしても、百里奚にしても艱難困苦の中にあっても、世の中のため、人のためと思って、辛抱強く自分の意志を貫いたのである。


   
また、これは程明道が述べているように、その人と同じような体験、体認をしなくてはわからないものでもある。最近、この体験する、体認するということが、おろそかにされているように思える。結果を見て判断するということが多くなっているように思えるのである。そして、結果さえ良ければ、それを正しいものとして受け止め、そのプロセスを知ろうとか、探ろうとかしないのである。何か物事を進めようとするとき、もちろん、それを成功させようとして出発するのであるが、結果成功しても、失敗してもそれが自分の蓄積になり、今後の新たな展開に役に立つようになるということ自覚して、物事を進められるかが一番重要なことであるということである。勝ち負けとか成功不成功にこだわらないことが必要であるように思う。勝負は時代とか、環境とか、自己の習熟度とか、組む相手とかによって変遷していくものでもある。今回負けたから、次回負けるとも、勝つともいえないのである。勝つために自己を練磨しながら、あきらめなければ、いつしか必ず勝つときがくるように思う。そして、そのプロセスとしての体験や体認は、必ず、自分の身に付き、それを以て、自分で成し得なかったことも、後世を教導し、後世に伝えることができるのである。むしろ、その方が、世のため、人のためになる大事業を成就させることになるようにも思える。また、当然のことではあるが、そのプロセスの中に流れているのは、誠意や良知に他ならないということも忘れてはならない。

     
 
四十三。明道先生曰く、学は只だ鞭辟近裏、己に著くを要するのみ。故に切に問うて近く思えば、則ち仁其の中に在りと。言忠信、行篤敬なれば、蛮貊(ばんぱく)の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならずば、州里と雖も行われんや。立てば則ち其の前に参なるを見るなり。輿に在れば則ち其の衡に倚るを見るなり。夫れ然る後に行われんと。只だ是れ学なり。質美なるものは明め得尽くし、査滓便ち渾化し、却って天地と体を同じうせん。その次は惟だ荘敬持養し、其の至るに及んでは則ち一なり。


(大意)
 およそ学問とは、ただ、自ら励ましてわが心に反省し、自己に切実なことをおろそかにしてはならぬ。「自己に切実な疑問を持ち、身近なところから考えてゆく。その心にはすでに仁が在る」と子夏はいう。「言葉に忠信があり、行為が篤敬であれば、野蛮な国に行っても、自分の志が行われよう。そうでないなら、州里でも行われまい。忠信と篤敬とが、立っている時でもわが身の前にあるように思い、車に乗れば車の前の横木に、それが寄りかかっているように思う。このようにいつも忠信と篤敬を忘れなければ、己の志が行われるようになろう」と孔子もいっている。これは学のことをいったのである。資質の清美なるものは、よくこの理を知り尽くし、わずかに残っている不純なかすも、尽く変化して尽きて、天地の至徳と一体となる。これに次ぐ資質のものは、心の敬と態度の荘とを養ってゆけば、おのずと同一到達点に行き着くであろう。

 この文章では子張の言葉となっているが最初の言葉は、「論語」子張第十九で子夏が述べた言葉である。原文は次の通りである。

子夏曰く、博く学びて篤く志し、切に問いて近く思う、仁其の中に在り。
(子夏が言った、「広く学んで、志を固くし、迫った質問をして身近に考えるならば、仁の徳は自ずから育つものである。」)

 
 
自己に切実なものとしてとらえ、考え、行動し、自らを励まし、反省することが本当の学問をするということであると述べているのである。ただ、知識の習得だけをすることが学問ではなく、それを実践して、また、新たなものを積み重ねていくというのが、本当の学問であると述べているのである。また、次にある孔子の言葉は「論語」衛霊公第十五に下記のようにある。
 
子張、行われんことを問う。子曰く、言忠信、行篤敬なれば、蛮貊の邦と雖も行われん。言忠信ならず、行篤敬ならざれば、州里と雖も行われんや。立ちては則ち其の前に参するを見、輿に在りては則ち其の衡に倚るを見る。夫れ然る後に行われん。子張、諸れを紳に書す。

(子張が思い通りに行われるにはと、おたずねした。孔子は言った「言葉に真心があり、行いがねんごろであれば、野蛮な外国でさえ行われる。言葉に真心がなく、行いがねんごろでないなら、国内の村や町の中でさえ行われまい。立っている時には、真心やねんごろが前にやってくるように見え、車に乗っている時には、そのことが、車の前の横木によりかかっているように見える。まあ、そのようになって、はじめて行われるのである。」子張は、その言葉を忘れないように広帯のはしに書き付けた。)

 孔子は忠信と篤敬が実践されれば、世の中は思い通りに、天理の如くに運営されていくと述べているのである。忠信と篤敬とが実践されれば、それが当たり前のように自分の身の回りに存在するので、それが当たり前のように実践できるということでもある。また、学問もそのように実践されなければならいということでもある。ここまで善循環が浸透すれば、明道がいうように、わずかに残っている不純なカスも、尽く変化していき、天地の至徳と一体になるということにもなる。
 なかなか、世の中を思い通りに生きるということは難しいことであるとは思うが、真心とねんごろさを以て人に接する、物事に対応するように行動するということを旨にすれば、また、それが当たり前になるまで実践すれば、今まで以上の思い通りの人生がおくれるような気はする。今日から、実践してみようではないか。


     
 
四十九。伊川先生曰く、古の学者は、優柔厭飫、先後の次序あり。今の学者は、却って只だ一場の話説となして、高きを務むるのみ。常に杜元凱の語を愛す。江海の浸し、膏沢の潤すが若く、渙然として冰釈し、怡然として理順い、然して後に得たりと為すを。今の学者は、往往游・夏を以て小にして学ぶに足らずと為す。然れども游・夏の一言一事、却って総て是れ実なり。後の学者は高きを好み、人の心を千里の外に游ばしむるが如し。然れども自身却って只だ此に在り。


 古の学者はゆったりした心持で学び、心ゆくまで業に励んだ。しかも修学の方法に順序があり、次第に高いところへと進んでいった。ところが今の学者は、学問を浅薄な一場のかたりものとしてしまって、ただ高きを装っているに過ぎぬ。自分は杜元凱の「江海が漸漸にひたして深く広がり、膏沢がゆるやかにひたして豊かなうるおいを与えるように、長年の疑問が渙然(ぱっ)と解け、心に楽しく理解でき、かくてはじめて会得できたことになる。」という言葉を愛読している。今の学者は往往子游・子夏ですら、小にして学ぶに足らずと考えている。しかし、子游・子夏の一言一事は、すべて根拠のある真実のことである。後の学者は、高遠なことを好み、人の心を千里の遠くに遊ばせるように、高遠なことを吹きまくるが、自分自身は、口ばかりで、却って低い所に止まっている。

 これは、程伊川の学問に対する考え方である。また、学問を学ぶには、このような姿勢が大切であるように思う。学問は、川から海へと徐々に広く、深く広がるように、雨がゆるやかに地面をひたして、豊かなうるおいを与えるように、深く長く学び続け、その中で、ハッと気付き、それを体認、体得することで、ひとつの完成を見るということであろう。そして、それを積み重ねていくことで、学識も人格も形成されていくということになる。ところが、今の学者は学問の先後、順序を知らないがために、学問を一塊のものとしてとらえて、その高いところにたって、覚ったような風をしていると述べているのである。


 
つまり、知識の先端の良いところだけをとり、それを自分流に解釈して、時代の知識人を装っているということである(だから、孔子の子弟である子游や子夏のことを軽視してみるのである)。現代もこのようなことが多いのではなかろうか。こういう考え方、学問の仕方からは真実を得ることはできないように思う。また、いい人格も形成することはできない。儒学に於ける学問の目的は、いつも申し上げるように「修己治人」であるので、学問はこれを目的として実行していくべきであると伊川は言っているのである。

 西郷南洲は、遠島の刑に計三回処されているが、この時に、その後の明治維新へ向けて活躍するための学識や胆識がつくられたように思う。特に最後の沖永良部島への幽囚は、彼のそれからの人生を大きく開眼させる起点になったのではなかろうか。困難に遭遇しながらも、一時も学ぶことを忘れずに学問に励んだのである。そういう彼の姿勢に島の役人たちは、できるだけの協力をしたのであろう。そして、「自分は天に従って生きる。この島で朽ちようが、新たな使命がくだり、帰藩できようが、それは天命であり、生きるも死ぬもまた天命である。」と悟るのである。そして、天を敬わなければならない、また、天を敬うように、天と直結する人を愛さなければならないという天人合一思想を発展させて「敬天愛人」を唱えるようになるのである。そういう意味では、艱難困苦の状況の中でこそ真の学問が身につくのではなかろうか。王陽明も竜場に流されて、艱難辛苦している中で「知行合一」を開眼するのである。このような学問に対する姿勢が無ければ、世の中に役立つ学識をつけることはできない、通り一遍の知識の集約では、そこで学ぶ人を間違った方向へ導くことになり兼ねないように思う。「高きを好み、人の心を千里の外に游はしむるが
如し。然れども自身却って只此に在り。」である。このことは、我々も充分に注意しなければならないように思う。
     
 
五十二。仁の道は、之を要するに、只だ一の公字と道(い)う消(べ)し。公は只だ是れ仁の理、公を将(もっ)て便ち仁と喚做(よびな)す可からず。公にして人を以て体とす。故に仁と為る。只だ公なれば則ち物と我とを兼ね照らすが為に、故に仁なり。能く恕する所以、能く愛する所以なり。恕は則ち仁の施、愛は則ち仁の用なり。


(大意)
 仁の道は、要するに、公という一字につきる。がしかし、公は仁の理であって、公がすなわち仁ではない。人が公であって、わが身に仁を体し、仁を骨子とすれば、仁となるのである。公であれば、物と我を同じように照らすことができて、自他の差別にとらわれないので仁である。仁であれば、恕、人を思いやることができるので、人を愛することもできる。恕は仁から流れで、愛は仁の作用である。

 仁についての解釈である。仁とは、公であり、恕であり、愛であるのであるが、それらをすべて含んでいるのであり、公や恕や愛だけをとらえて、仁ということはできないと述べているのである。仁とはつまり聖人の心であるので、世の中を善循環させるための様々な事象を包含しているということになろうか。ということは、仁は天地自然の道理と呼応しているもの、いや、そのものであるということも言えよう。この仁を以て、政治をおこなえば、つまり、仁政を行えば、必然的に世の中は、いい方向へ進展、進化していくということになる。孟子離婁章句上には次のように述べられている。

孔子曰く、道は二つ、仁と不仁とのみと。その民を暴(そこな)うこと甚だしければ、則ち身弑せられ国亡び、甚だしからざるも、則ち身危く国削らる。之を名ずけて幽・厲と曰う。孝子慈孫と雖も、百世改むること能わざるなり。詩に殷の鍳(いましめ)は遠からず、夏后の世に在りと云えるは、此れをこれ謂うなり。

(孔子が言われた。「人の道はただ二つ、仁と不仁だけである。君がその民を暴政で苦しめることが甚だしいと、その身は殺され、国は滅びるという破目になる。それほど暴政が甚だしくない場合でも、自分の身は危険になり、国は次第に侵略されてしまうことは必定である。かかる君主は死後には、幽王や厲王のように「くらい・幽」とか「むごい・厲」とかいう悪い諡(おくりな)をつけられる。ひとたび諡が決まってしまうと、いかに祖先思いの子孫がでて、この汚名を改めようと思っても、永久に変更することはできないのである。詩経にも・殷の紂王のいましめは遠い昔ではなく、極めて近い夏の暴君桀王にある・と歌っているのは、つまりこのことを言ったものである。」)

ここでは、不仁な政治を行った場合の事について述べてあるが、不仁な政治が行われるなら、亡国へと繋がっていくということになる。そして、それはなかなか解決するに至らないということでもある。エジプトでは、未だに国論を二分する闘争が続いており、多くの犠牲者を出しているが、不仁な政治の行き着くところはこのようになるのではなかろうか。そのためにも、誰か仁者が現れてくるのを期するということになろうか。また、同じく孟子離婁章句上に次のように述べられている。


   
孟子曰く、三代の天下を得るは仁を以てし、その天下を失えるは不仁を以てせり。国の廃興存亡する所以の者も亦然り。天子不仁なれば、四海を保(やす)んぜず。諸侯不仁なれば、社稷を保んぜず。卿大夫不仁なれば、宗廟を保んぜず。士庶人不仁なれば、四体を保んぜず。今死亡を悪みて不仁を楽しむは、是れ由(なお)酔うことを悪みて而も自ら酒を強うるがごときなり。


(孟子が言われた。「夏・殷・周三代の王朝が天下を手に入れたのは、その開祖禹王・湯王・文王・武王がよく仁政を行ったからであり、それが天下を失ったのは、その末代の桀王・紂王・幽王・厲王がいずれも不仁の政治を行ったからである。ひとり天下ばかりではなく、諸侯の国々の興廃・存亡する原因もまた同じである。故にもし天子が不仁であったら、天下を安らかにすることができず、諸侯が不仁であったら、社稷すなわち国家を安らかにすることができず、卿・大夫が不仁であったら、祖先代々の霊廟すなわちその家を安らかにすることができず、士や庶民が不仁であったら、自分ひとりの身体さえ安全にすることはできなくなる。ところが今の人々は、天子から庶民に至るまで、死んだり、亡んだりするのを忌み嫌いながら、しかも不仁なことばかり楽しんで行っているのは、ちょうど酔うことを嫌いながら、無理をして酒を飲むようなもので、矛盾も甚だしい。」

このように仁という概念を中心においた、天地自然の道理とイコールの政治、つまり、物事の道理、人間の道理を基調とした政治が行われれば、天下は平穏になり、国は何事も無くよくおさまるのであるが、そう簡単にいかないのは、やはり、人間の私利私欲に発する物事が世の中に多いからであるように思える。そうであれば、この私利私欲を除去していくことが仁に近ずくということになるのであるように思う。その私利私欲を除去するためには、孟子の言うように惻隠の情を発揮させ、伊川がここで述べているように、公や恕や愛を具体的な行動として起こしていくということが必要になってくるわけである。つまり、世の中のあらゆる人々が仁に向けて、性急にではなく、徐々に、継続的に具体的な行動を起こしていけば、やがては、平穏で、暮らしやすい世の中が構築されるということになるのである。いい世の中を構築するためには、我々自身が私利私欲を取り去っていく努力をすることが一番の近道であるということである。誰かが何かをしてくれるではなくて、自分の問題として、何事もとらえていく姿勢が大切である。仁については、特に「論語」の中に色々と述べられているので、是非、「論語」を一冊買われることをお進めする。
     
 
五十五。之を知れば必ず之を好む。之を好めば必ず之を求む。之を求むれば必ず之を得。古人此箇(この)学は是れ終身の事。果たして能く顚沛造次にも必ず是に於いてせば、豈に道理を得ざることあらんや。

(大意)
致知について知れば、必ずこれを好むようになる。これを好むようになれば、真の知、深い知とは何かを究明したくなる。そして、これを究明していけば、これを充分に理解できるようになる。昔の賢者はこれを終身究め続けた。果たして、常にこのことを身近なものとして力行していけば、道理を得ないということがあろうはずがない。必ず得ることができる。

 ここにも述べてあるが、程伊川は知には深浅があり、体験的な真の知と深い知を重んじ、真に知り、深く知れば、必然的に行為するに至るという見解を持っている。(ここでいう知とは天地自然の道理を知るということであり、勉強をして知識を得るということではない。)つまり、知ることに始まり、それを実行するに至り、終結すると解釈するのである。所謂、「先知後行」という考えである。これに対して王陽明は、知と行は表裏一体のものであり、知は行うことの努力によって、より明覚精察になり、行は知ることの努力によって、より真切篤実になるとしているのである。


   
つまり、「知行合一」である。いずれにしろ両者とも求めるものは天地自然の道理であり、いつも申し上げるように、それは、人間の道理でもあり、物事の道理でもある。
 私たちもこの「順受の会」で儒学を中心とした東洋思想を学んでいるのであるから、天地自然の道理を理解するための努力を常日頃から実行したいものである。そして、本当にそれが自然に身についてくれば、本当に安心立命な境地になれて、回りも自分も無理せずに生活ができるようになるはずである。その第一歩として、いつも申し上げるように、私利私欲を、私心を一つずつ取り除いていくということを実行していくことが必要であると考える。また、善行を行うために「一日一善」を実行していくというようなこともいいのではなかろうか。「一日一善」をしても「一日十悪」をすれば何にもならないので、その当たりには注意を払いながら実行しなければならないが。
     
 
六十。問う、必ず事(つと)むる有りとは、当に敬を用うべきや否や。曰く、敬は是れ涵養の一事なり。必ず事むる有りとは、須く集義を用うべし、只だ敬を用うるを知り、集義を知らざれば、却って是れ都て事むる無きなり。又た問う、義は是れ理に中ること莫きや否や。曰く、理に中るは事に在り、義は心にあり。


(大意)
ある人が問うた、「孟子に・必ず事むる有り・必ず心に忘れぬよう努力すると言うのは、敬を忘れるなということであろうか。」伊川先生は答えて言う、「敬は人が自己の理性を保ち養ってゆくための手立てである。孟子が・必ず事むる有り・というのは、・義を集む・ということである。ただ、敬を忘れぬが、集義を怠るなら、何の努力もしていないのと同じだ。」また、ある人が問うた、「義とは理に中るということであろうか。」伊川先生は答えて言う、「いや違う。物にはみな理がある。理に中るとは、事物に固有する理にかなうということである。これに対し、義はわが心で取り決めて、事の宜しきを得ることである。」


   
ここにも述べられているが、集義とは、義を常日頃から心の中に積み重ねていくということであり、朱子がいうようにそれは善を積み上げていくのと同じようなものである。敬とは、人間の本性(善である)を保存して絶え間なく養っていくことである。と、伊川は述べているのである。そして、この敬義は本体と作用の関係があるので、敬を忘れても、義を怠ってもいけないと述べているのである。伊川は人間の性には、二通りあり、「本然の性」(善である理としての性)と「気質の性」(それぞれの人が持っている善も不善も内在する性)があるとしているのである。だから、本然の性をより強固なものにするために、善である人間の性を敬によって、絶え間なく養って保存していく必要があり、また、善不善がある気質の性から不善を取り除くために義を(善を)常に心の中に積み重ねていく必要があると述べているのである。これに対して、王陽明は、人間の本性に本然、気質などの区別は無く、本来善なのであるから、その人間の本性を発揮させることによって(良知を発揮させることによって)、理を究められるとしているのである。
     
 
七十九。横渠先生曰く、義を精しくし神に入るは、事吾が内に予めして、吾が外を利するを求むるなり。用を利し身を安んずるは、素より吾が外を利して、吾が内を養うことを致すなり。神を窮め化を知るは、乃ち養うこと盛んにして自ら至り、思勉の能く強ゆるに非ず。故に徳を崇くすることより外は、君子未だ知るを致すこと或らず。


(大意)
横渠先生が言った、「義理を精密に研究してその極致に至るとは、事の未だ起こらぬ先に予め機を見て行動し、わが行うことに利あらんことを求めることである。社会に役立つことによってわが身の安泰をはかるとは、平素わが外に発する行為によって、わが内なる徳を養うことである。陰陽二気の変化する微妙な理法を知るということは、盛徳を養うことによって自然と得られるのであって、思慮に勉め強いて得ることはできない。故に徳を崇くすることより以上のことは、君子の知り得ないことである。

 ここにも述べてあるが、これは繋辞下伝にある、以下の文章の解説である。

義を精しくし神にいるは、もって用を致すなり。用を致し安んずるは、もって徳を崇くするなり。これを過ぐる以往は、いまだこれを知ることあらず。神を窮め化を知るは、徳の盛なり。

(義理を精密に研究して、その真髄に徹するものを心がけるのは、他日これを社会に役立てようがためであり、反対にまた、社会に役立つということを利用して、わが身の安泰をはかるのは、これによって益々わが身の徳を高めんがためである。しかし、それ以上の境地については、もはやはっきりと知ることが難しい。天地神妙(陰陽二気)の作用を窮め変化の理法を知るということは、まさしく道徳の極致というほかはないのである。)

 
社会に役立つ自己を確立させるためには、徳を高めるということ以外にはなにもない。そして、それ以上の境地、つまり、天地神妙の作用を窮め変化の理法を知るためにはその徳を一段と高め、道徳の極致に致る必要があると述べているのである。義理を精密に研究し窮め、徳を自己の中に積み重ね、それを発揮させ、社会に役立てることを継続していくことが、人間としての使命であるとも述べているのである。この繋辞伝下伝の前文にあるようにそれは天地自然の道理と共通するものであるということでもある。前文を「易経」の復習も兼ねて記す。

易に曰く、憧憧として往来すれば、朋爾の思いに従うと。子曰く、天下何をか思い何をか慮らん。天下帰を同じくして塗(みち)を殊にし、致を一にして慮を百にす。天下何をか思い何をか慮らん。日往けば月来たり、月往けば日来たり、日月相推して明生ず。寒往けば暑来たり、暑往けば寒来たり、寒暑相推して歳成る。往くとは屈するなり、来るとは信(の)ぶるなり。屈信相感じて利生ず。尺蠖(せきかく)の屈するは、もって信びんことを求むるなり。竜蛇の蟄るるは、もって身を存するなり。

(易咸九四の爻辞には「憧憧として往来すれば、朋、爾の思いに従う」とある。これについて孔子は次のように言う。天下に何の思いわずらうことがあろうか。天下の物事は皆帰するところは同じで、そこに達する道筋が異なるだけであり、結果は一つのことなのに、考えめぐらしかたがまちまちなだけなのだから、天下に何の思いわずらうことがあろうか。天地自然の無心のはたらきを見ても、太陽が没すれば月が昇り、月がかくれれば太陽が昇り、日月が互いに推移することによって自然に明るさが生ずるのであるし、寒さが去れば暑さが来、暑さがされば寒さが来、寒暑が互いに推移することによって自然に一年が形成される。ところでこの往くことと来ることとは、屈することと伸びることと同じである。往来屈伸が互いに連関しあい感応しあうことによってこそ、そこに大きな効果が生ずるのである。だから例えば尺取虫が身を屈するのは、やがて身を伸ばさんがためであり、竜や蛇が冬篭りをするのは、それによってより長く身を保とうがためである。)

そして、人間も同じように、ということで冒頭の文に繋がることになる。人間にとって義理を精密に研究し窮め、徳を自己の中に積み重ね、継続的にそれを社会のために発揮させ、道徳の最高の境地を求めるのは、何かによって故意になされるのではなく、自然の行いであるということになる。だから、単に勉強をして知識を得るような手段では得ることができない。自分の中に元来存在する「良知良能」、「内なる神」を体認して、それを外に社会に発揮させることによってのみできるものであるということがいえようか。そして、その概念を知るために「四書・五経」を学習することが必要になるのである。


     
 
八十。形にして後に気質の性あり。善く之に反れば、則ち天地の性存す。故に気質の性は、君子性とせざるものあり。

(大意)
人の形体が出来上がってのち「気質の性」を具えるようになる。これは現実の具体的な人間性にほかならないが、未だ人としての形体ができあがらない以前にも、すでに「天地の性」(本体の性・本然の性)を具有しているものである。だから、人は「気質の性」も「天地の性」も両方を具有しているのである。ゆえに君子は「気質の性」を自分の性とせず、「天地の性」に復帰する努力をせねばならない。

 孟子尽心篇下には次のようにある。

孟子曰く、尭舜は者(これ)を性のままにし、湯武は之に反る。五覇は之を仮る。動容周旋礼に中るは、盛徳の至りなり。死を哭して哀しむは、生者の為にあらざるなり。徳を経(おこ)ないて、回(よこしま)ならざるは、禄を干(もと)むるが以(ため)にあらざるなり。言語必ず信なるは、行いを正すが以にあらざるなり。君子は法を行いて以て命を俟つのみ。

(孟子が言われた。「尭舜はべつに修養もせず天性(天地の性)のままに行動しても、自ずから仁義の道にかなった人々である。殷の湯王や周の武王は、修養してからのち、仁義の本性(天性・天地の性)に立ち返った人々である。いずれにせよ聖人の域に達した人々であるが、その立居振舞がいちいち礼節にかなっているのは、人間として誠に盛徳の極致といわねばならない。


   
すなわち、これら聖人が、死者を弔い声をあげて泣き悲しむのは、生きている遺族の人たちに聞かせるためではない。常に徳を行って少しも邪がないのは、それによって禄にありつかんがためではない。口から出る言葉が必ず信実なのは、わざと行いを正しくして世の人から認められんがためではない。これらはその徳が自然に行為にあらわれでたものである。およそ君子たる者は、ひたすらに正しい理法にかなった行為をして、あとはすべて天命に任せて待つばかりである。世の吉凶禍福などには、こだわらないものである。」)

もともと持っている「天地の性」をそのまま、あるがままに発揮できた尭や舜も、修養をして「天地の性」を発揮できるようになった湯王や武王もどちらも聖人といえる。彼らは、何かを見返りとして得ようとして、道理にかなった行動をしているのではなく。行動自体がそのまま天地自然の道理に呼応しているということである。自然に行っていることが、すべて道理に適っているとすれば、まさに聖人そのものである。だから、聖人を目指す君子は湯王や武王のように「天地の性」に帰着させるための修養をしなければならないと述べているのである。また、君子の学問は「天地の性」を得るために行うものであるということでもある。「気質の性」「天地の性」という性の二元論は張横渠が創始者である。ここのところをもう少し勉強してみようと思うので八十一・八十二と続けよう。
     
 
八十一。徳、気に勝たざれば、性命は気に於(あ)り。徳其の気に勝てば、性命は徳にあり。理を窮め性を尽くせば、則ち性は天徳、命は天理。気の変ず可からざるものは、独り死生修夭而己。
   
(大意)
人の具有している本性(天地の性・天徳)が、「気質の性」に負けると、性命(天徳であり天理・天地の性)は「気質の性」に支配される。本性が「気質の性」に勝つと、性命は徳に支配される。道理を窮め尽して、これにかえる時は、自分の性命は天徳・天理と合一する。「気質の性」は学問によって変えることができるが、ただ、死生と寿夭とは天の定めであってどうすることもできない。


     
 
八十二。天に非ざる莫し。陽明勝てば、則ち徳性用いられ、陰濁勝てば、則ち物欲行なわる。悪をを領して好を全うするは、其れ必ず学に由るか。

(大意)
人の気質は皆天より与えられたものであるが、清明な陽気を多く受けたものは、徳性が作用し、これに反し、暗濁な陰気を多く受けたものは、物欲が活動する。人を領導して善行を保全するためには、必ず学問の力によらねばならない。

 張横渠は「天地の性」と「気質の性」の二つの性を人間は具有しているといい、また、「気質の性」にも清明な陽気を受けたものと暗濁な陰気を受けたものがあると述べているのである。


   
そして、「天地の性」に帰着させるためには、清明な陽気を多く受けるために学問に努める必要があるとしているのである。つまり、「気質の性」は全くの悪ではなく、それには、善も悪も存在するということであり、その中の善を学問により習得することにより、「天地の性」と合一させるといっているように思える。善も悪もある不安定な「気質の性」に支配される世の中には、安心も安定も無いので、善そのものである「天地の性」が支配する世の中を構築することで、安心で安定した世の中を形成していくべきであり、それが人間の本来の使命であるというようなことであろうか。
     
 
八十四。仲尼の四を絶てるは、始学自り盛徳に至るまで、両端を竭くせるの教えなり。意は思うこと有るなり。必は待つこと有るなり。固は化せざるなり。我は方(わか)つこと有るなり。四者一つ有らば、則ち天地と相似ずと為す。


(大意)
孔子の「四を絶て」、意、必、固、我を絶てという教えは、初学者から盛徳者に至るまでをひっくるめての教訓である。意は自分勝手な心を持つことだから思慮深くあらねばならない。必は無理押しをすることだから待つことを要する。固は執着することだから変化することができない。我は我を張ることだから、物事を分かつことになる。であるから、意・必・固・我の四者がひとつでもあれば、「天地の性」とは相剋することになる。

 つまり、意・必・固・我の四者がひとつでもあれば、天地自然の道理に反するので当然「天地の性」を得るのに邪魔になるものであるということである。
 論語・子罕篇に以下のようにある。

子、 四を絶つ。意なく、必なく、固なく、我なし。

(孔子は四つのことを絶たれた。勝手な心を持たず、無理押しをせず、執着をせず、我を張らない)

 何事もそうであるが、物事を推し進めるのに、自分勝手に行動したり、無理押しをしたり、執着をしたり、我を張ったりすると、物事が停滞したり、膠着したりすることになる。しかし、これは世の中には多く存在することである。自分自身で思い悩み結果を導き出せ、終着させることのできるものであればいいのであるが、殆んどの場合が周りにいる人を巻き込んでしまう。そして、こういうことから、争いが生じることになる。これが大きくなると闘争、戦争ということになる。つまり、自分の私心が強いのでこういう行動をとることになるのである。そういう意味では、闘争や戦争の火種は常にくすぶっているということが言える。現在、平和に思われるわが国日本にも、領有権をめぐる問題がくすぶっていることは周知の通りである。
   
中国との尖閣列島問題、韓国との竹島問題、ロシアとの北方領土問題など、争いに繋がる火種は常に存在するのである。そして、それはそれぞれの国の意・必・固・我、それぞれの国の私心からでた問題に他ならない。こういう問題の解決策としては、戦争で勝敗を決めるか、平和理に中和外交政策をとり決定するかしかないのである。戦争をすれば大きな損失をそれに関わった国々が被るのは自明の理であり、それらの国の発展を大きく阻害することにもなる。それであれば、やはり中和外交政策をとることが必要になろう。中和外交政策というのは実は天地自然の道理に即したものであるので、これを実行し、成就させれば、物事は平和理に治まるということになる。中和については、これまでも何回も説明をしているが、「中庸」の中にその説明がある。

喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中と謂う。発して皆節に中るこれを和と謂う。中なる者は天下の大本なり。和なる者は天下の達道なり。中和を致して、天地位し、万物育す。

(喜怒哀楽などの感情が動き出す前の平静な状態、それを中という。それは偏りもなく、過不及もなく中正だからである。感情は動き出したが、それらが皆然るべき節度にぴたりと適っている状態、それを和という。感情の乱れがなく、正常な調和を得ているからである。こうした中こそは世界中の万事万物の偉大な根本であり、こうした和こそは世界中いつでもどこでも通用する道である。中と和とを実行して押し窮めれば、人間世界だけでなく、天地宇宙のありかたも正しい状態に落ち着き、あらゆるものが健全な生育をとげることになるのである。)

 まず、お互いの国の感情の乱れをおさえ、意・必・固・我を去り、平静な話し合いを行い、お互いに私心なく、人間としての道理、道徳、道義を中心におき話し合い、それに適うように問題点を抽出し、整理し、解決を図るということになろうか。戦争をして、莫大な損失と無駄な時間をかけて解決を図るよりは、ずっと損失も少なく、効率もよいということが言えよう(迂直の計・迂遠に見えて、実は早い解決ができるということ)。そして、これはいうまでも無く天地自然の道理に適っているやり方である。もちろん、これを実行するためには、あふれ出る誠意と強い胆力が必要である。あくまでも人間としての道理、道徳、道義を中心におき相手を説き話し合える、ある意味命がけの強い胆力が必要であるということである。また、人間としての道理、道徳、道義は世界中の人々に通ずる概念でもある。
 天から見れば、その国の領土であるという証の線など存在しないのであるから。


     
 
八十九。横渠先生訂頑を作りて曰く、乾を父と称し、坤を母と称す。予(わ)が玆の藐焉(びょうえん)たる、乃ち混然として中に処れり。故(も)と天地の塞は、吾が其の体にして、天地の帥は吾が其の性なり。民は吾が同胞、物は吾が与(ともがら)なり。大君は、吾が父母の宗子、其の大臣は、宗子の家相なり。高年を尊ぶは、其の長を長とする所以にして、孤弱を慈しむは、其の幼を幼とする所以なり。聖は其の合徳にして、賢は其の秀でたるものなり。凡そ天下の疲癃残疾(ひりゅうざんしつ)、惸獨鰥寡(けいどくかんか)は皆吾が兄弟の顚連して告ぐる無きものなり。「于時(ここ)に之を保つ」は、子の翼(つつし)めるなり。「楽しんで且つ憂えざる」は、孝に純(もっぱ)らなるものなり。違うを悖徳(はいとく)と曰い、仁を害するを賊と曰う。悪を済(な)すものは不才にして、其の形を践むは、惟れ肖(に)たるなり。化を知れば、則ち善く其の事を述べ、神を窮むれば、則ち善く其の志を継ぐ。屋漏に愧じざるを忝(はずか)しむる無しと為し、心を存し性を養うを懈るに匪ずと為す。旨酒を悪むは、崇伯が子の養を顧みるなり、英才を育(やしな)うは、頴封人の類を錫うなり。労を弛めずして豫(ほころび)を底(いた)すは、舜が其の功なり、逃るる所無くして烹らるるを待つは、申生が其の恭なり。其の受けたるを体して全きを帰すものは、参か。従うに勇にして令に順なるものは、伯奇なり。富貴福沢は将に吾が生を厚くせんとし、貧賤憂戚は、庸(もっ)て女(なんじ)を成に玉にす。存すれば、吾れ順って事え、没すれば、吾れ寧し。
又た砭愚(へんぐ)を作りて曰く、戯言は思より出で、戯動は謀より作(おこ)る。声に発し、四支に見われ、己れの心に非ずと謂うは、明らかならざるなり。人の己れを疑うこと無きを欲するも、能わざるなり。過言は心に非ず、過動は誠に非ず、声に失い、其の四体を繆迷し、己れの当然なりと謂うは、自ら誣うるなり。他人の己れに従わんことを欲するは、人を誣うるなり。或は心に出ずるものを謂(もっ)て、咎めを帰して己れの戯れと為し、思に失するものは、自ら誣いて己れが誠と為すは、其の汝に出ずるものを戒め、咎めを其の汝に出でざるものに帰するを知らず。傲を長じ且つ非を遂ぐ、不知孰か焉(これ)より甚だしからんや。 


(大意)
横渠先生が「訂頑」を著して言った。天を父とし、地を母として人は皆生まれる。わが微小なる身は、この中に混然として存在している。元来、気は天地の間に塞がり、我々の形体はその気が集まって形成される。天地に充満している気を帥いるところの気の本性(天地の性)は我々の天性にほかならない。すなわち、民も物も天地の気を父母として生まれてきたのであるから、すべての人は吾が同胞であり、すべての物は吾が朋友である。君主は吾が父母の長男であり、大臣はその家令である。天下の高齢者を尊ぶことは、天地という同じ父母から生まれた年長者を尊ぶことであり、天下の孤弱者を慈しむことは、わが同胞の幼い者を慈しむことである。聖人は、自分の父母である天地と徳の等しい人である。賢人は、才徳の常人に勝る人で、兄弟の中で秀でた者である。背骨の曲がった人や身体障害者、兄弟や子供がない人や妻や夫に死に別れた人は、皆吾が兄弟が狼狽困苦して、告げ訴えるところのない人である。天を畏敬して吾が身を保ち守るのは、子が親に対して慎み敬うことであるし、天命を楽しんで、如何なる境遇にも堪えて憂いとしないのは、父母である天地に孝を尽くすことである。父母の命に従わないものを悖徳といい、仁を害するものを賊という。悪を成すものは不才子であり、人としての道徳性が形貌に充実しているような人は、すぐれた人で父祖の名を揚げよう。変化を知ればよく天の事業を成就することができ、神を窮めればよく天の意志を継承できる。人の見ていないところでも恥ずべき行為をしない人は、父母を辱めない孝子である。その本心を保持して、その本性を培養する人は、怠らず孝行を尽くす人である。人の本性を乱す、うまい酒を飲まないのは崇伯の子(禹)の本性を保護するために行ったことである。だから、禹もうまい酒を飲まず孝子となった。英才を教育する人が、天に対して頴考叔のように純孝であれば、同類を感化して皆天の孝子となるだろう。頑父に全力を尽くして使え、さすがの頑父も喜ぶようになり、天下の人々を感化したのは、舜の孝道の功用である。人もし天地の間に逃れるところがなく、死すべき時には、かの申生のように父子の義は天地の間に逃れる所はないとして、天命に恭順であるべきである。生まれたときに父母から受けた身体を毀損せず大切にし、死ぬ時には完全なままで父母に返したのは曽参であり、父母に従うことに勇んで、命令に従ったのは伯奇である。富貴福沢は、天が吾が生活を豊かにしてくれたのである。また、人は、貧賤憂戚に在って鍛錬されることにより、完成されていく。吾が身の生きている限り、天地に対して、父母に対して使えて、その志に違わず、死すべき時がくれば、心安らかに世を去る。
 又た「砭愚」を著して曰く。「戯言は思慮から出るし、戯動は謀慮より起こる。前者は声に発(あら)われ、後者は手足の動作に見われる。それを自分の心から出たのではないというのは愚である。他人にそう信じて欲しいと望んでもできないことである。ところが、過言は心から出たものではなく、過動は誠から出たものではない。過って声に出して過言となり、手足の動作を過って過動となる。それを自分の当然のこととして、過ちを認めないのは、自ら誣いるものである。また、自分が当然とすることに他人を従わせようとするのは、他人を誣いるものである。或は、心から出た戯言戯動を、ただの戯れとして責任を感ぜず、或は、心から出たことでないふとした過失を、自ら誣いて心の誠から出たようにつくろうのは、自分の心から出た戯言戯動は反省して戒め、心から出たことでないふとした過失は、過失として咎め改めることを知らないからである。かかる輩は、傲慢を増長し非行を重ねていく。これほど無智の輩はあるまい。」

張横渠は、この「訂頑」「砭愚」を自分の学堂の右(西)と左(東)に貼り付け、座右の銘とした。これを「西銘」「東銘」と呼ぶ。また、張横渠は気一元論を提唱し、一切の有形のものは気が集まることによって形成されるとした。そして、老化、衰退して有形のものが潰えると、気はもとの太虚に戻るとし、気そのものは不生不滅であると説いている。だから、天地を父母として生まれる、この世に存在する万物は皆兄弟であり、同胞であり、朋友であるとしたのである。このことから万物一体論が生まれることになるのである。気というのは、所謂、原子というものに置き換えられるように思う。世の中に存在する総ての有形の物は原子から作られているからである。横渠は、目には見えないが、気(原子)はまわりに常に存在しており、ある行動を起こすことにより、それが結実して有形のものになると言っているように思う。そして、天と地、地球と宇宙、大宇宙を祖として、この世に存在するのだから、この世に存在するあらゆる有形のものは、小宇宙であるということにもなる。もっと言えば、人間の身体は、大宇宙を顕現させているものでもあるということになる。このあたりの考えが、東洋医学の根本にあるように思える。「易」から、この天地自然の道理を根幹として、人間の四肢、臓器などにあてはめて、「黄帝内経」という医学書が出されている。
 このように、天地を父母として、世の中に存在するものは、すべて同胞であり、朋友であるのであるから、高齢者を尊ぶことや幼い者を慈しむことは、当然の人間としての道理であるし、天命に従うのもまた道理であるとしているのである。だから、いかなる境遇にあってもそれを天命だとして、耐えて憂えないことが大切であるということである。如何なる艱難辛苦の状況にあっても、あるいは陥っても、天命に準じている限りにおいては、必ず解決策が出てくるということでもある。また、艱難辛苦はその人を鍛えて、強く、大きくするものでもある。
次に「悖徳」という言葉が出てくる。これはこの本にも述べられているように、「孝経」にある「其の親を愛せずして他人を愛する者、之を悖徳と謂う。」からきている言葉であるが、自分の親を愛せないことを述べたものである。自分の親を愛せない者が、父母としての天地を愛することができようか。ましてや、他人の親や他人を愛することができるはずがない。だから、そういう人間は天命に準じることができないと述べているのである。そして、こういう人格の人間は、仁を害し(賊)、悪を成す者(不才子)であるとしているのである。逆に天命に準じることができるものは、人間としての道理を当たり前のように身に付けているので、その優れた人格を世の中に発揮することができるということである。また、そういう人格の人間であれば、世の中の変化を知り、神を窮めることができるので、天の意志を継承することができるので、当然、天から指令される事業を成就することができるということである。天職を得、その優れた人格を発揮させ、それを世の中に役立たせることができるということになろうか。


 
 
次に「屋漏に愧じず」という言葉がでてくるが、人が見ていようがいまいが、どんな場所であろうが、道理に反することはしないという意味である。そして、そういう人は当然父母を辱めることのない孝子ということになる。また、そのような心持を存養できる人は、怠らずに孝行を尽くし続けることのできる人であるということでもある。つまり、屋漏に恥じない行動をできる人は、父母である天地と呼応して、世の中に孝道を浸透させていくことになるのである。また、孝道は天道でもあるということである。 そして、次ぎに「旨酒を悪む」とある。旨酒とはうまい酒のことである。確かにうまい酒は人の本性を乱すものである。うまいが故についつい度を越してしまう。そうすると当然のことながら飲み過ぎてしまい、前後不覚になったり、凶暴になったり、体調をこわしたりして、周りに多くの迷惑をかけることにもなる。先日、私も美味しい酒を飲んで、美味しいものだから、どんどん飲んで、前後不覚になって、駅のエスカレータのところで顛倒して、頭を打って、出血して救急車で病院に運ばれ、7ハリくらい縫ったという事故に合ったが、これなどは自分の本性が乱れて、家族に心配をかけ、周りの多くの人に迷惑をかけたという一例であろう。酒はほどほどにしなくてはと深く反省をしている。このように酒は、人の本性を乱すから禹は、孝道を実行するために酒を一切絶ったのである。次にでてくるのが、封土の番人である頴考叔という人の天地を敬うような母親に対する孝行が、その邦の諸侯である荘公を刺激して、その親不孝を改心させ、親孝行に変じさせたという逸話である。この頴考叔のようなやり方をもって、時代を背負う人材を教育、育成していくことができれば、天地に愧じない、周りの人々も感化させることのでき、孝子でもある人材が多く輩出されることにもなり、そうすれば、当然、国が治まり、世の中が平和になるということにもなる。このように、世の中を安心安全にするためには、親孝行、孝道というものはその礎となるように思う。
 次には舜の親孝行について述べてある。その弟を愛するがために舜を殺そうとした父瞽瞍(こそう)に対してそれでも天地敬うように親孝行を尽くして、とうとう瞽瞍を最終的には親孝行な息子であると喜ばせた舜は、天子として、天下の人々を感化したが、その原点は、この舜の瞽瞍に対する孝道であるとしているのである。また、次には、晉の献公がその寵愛する驪姫(りき)の讒言を信じて吾が息子の太子である申生を殺そうとした時に、弟の重耳は国外に逃亡するように進めたのであるが、申生は父子の義は天地の間に逃れる処はないとして自殺したという逸話が述べられている。父母を天地としておれば、そこに顕在する父子の義からすれば、天地の間にどこにも逃れる処はないので、逃れても父子の義を達成することはできないので、死を選んだということである。これほど、孝道というものは厳しいものでもある。今の我々から考えると何か他に方法はなかったのかと思えるが、天道と繋がる孝道ということからすれば、それが当然な処置だとするのである。これが天命であるとして自殺したのである。これもまた、一つの孝子の形だとするのである。次には曾子のことが述べられている。曾子は、孔子の言葉を守り、父母から賜った身体を少しも毀損させずに、死ぬ時まで保ってそれを父母にお返ししたというのである。これも不可能に近いことのように思われるが、天地の交わりの中で生を受けたものが、その生まれたままの姿を何の毀損することもなく天地にお返しするということは、最高善であるということはわかるように思える。「親からもらった身体は大切にしなければならい」ということである。また、次に後妻の讒言から、それを信じた父親に追放された伯奇という人は、それに従ったというのである。これも前述の申生の話に通ずるところがあるように思う。
 そして、富貴福沢は決して自分がつくりだしたものではなく、天がそうさせたのであり、貧賤憂戚はその人を鍛錬して、完成させるために天が与えるものである。だから、わが身が生きている限り、天地、父母に仕えて、天地の志に違わず生き、死すべき時が到来すれば、心安らかにこの世を去るというのが、天道であり、孝道であるとしているのである。将に「順受の会」の思想に繋がるものでもある。「命に在らざる無し。その正を順受すべし。」である。
 ここに張横渠の思想原点ともいうべきものが述べられているように思う。人も物もこの世に存在するものは、すべて天地を父母として生まれてきたものであり、そういうことからすれば、世の中の人は総てが皆兄弟であるとしているのである。また、天地、つまり大宇宙から気が集まって生成されている人の身体も本性も宇宙そのものであるので、人自体が宇宙(小宇宙)であるとしているのである。だから、天地自然の道理を以て、人間の道理とするのは当然のことであり、それを具体的に実行していくためには、天地=父母であるので、天地に使えるように父母に使え、兄弟に親しむように世の中の人々に親しみを以て対応していくことであるとしているのである。こうして、孝道が成り立つことになる。そして、この孝道を押し広めて、社会道徳、人間道徳とすることによって、世の中は安定するとしているのである。将に「大学」でいうところの「斉家」「治国」「平天下」である。また、張横渠は気を不生不滅のものだとしている。つまり、気は太虚(宇宙)の中に常に存在し、充満しており、気が集まって形体が生まれ、気が散じて形体が散じて潰え、太虚の気に戻るとしているのである。気が集まるのが生であり、気が散じ潰えるのが死ということになろうか。ここにも述べてあるが「正蒙」の大和篇に「聚まるも亦た吾が体、散ずるも亦た吾が体、死の亡ぶるにあらざるを知るものは、与に性を言(かた)るべし。」とある。気が集まって実体となり、気が散じて実体が潰えるだけであり、気はそのまま現存し続けるということになる。人の死生というのは、天地自然の道理としての気の集散であるのであるから、それにこだわる必要は無い、生も得るということではなく、死も失うということではない、ただ、太虚に帰するだけであるとしているのである。横渠の思想には、禅的なものもあるように思われる。このように考えると、生も受け入れ、死も受け入れるというように、生死を超越することができるように思える。「生も天命、死もまた天命」である。
 続いて「砭愚」について述べられている。張横渠は戯言、戯動、過言、過動を愚として戒めているのである。戯言を発し、戯動を起こすのは、自分の内から、心から出たものであるから、素直に反省し、今後そのようなことの無いようにしなければならず、過言、過動については、それぞれ行動に移してから表れることであるが、これもまた、すぐに自分の過ちを認め、改めなければならないと述べているのである。人を小馬鹿にしたような、言動や人に対して言い過ぎたり、やり過ぎたりすることは、相手や周りの人を傷つけたり、不愉快な気持ちにさせたりするものである。そういうことを理解せず、それを反省し、改めないのであれば、将に愚かな言動、愚かな人といわざるを得ない。そして、それに気付かず、反省も改善もしないのであれば、それを当然のこととして、益々、増長して、傲慢になっていく。最近、こういう人が多くなったように思える。この愚かな言動を自分のこととして受け入れられない人たちである。常に自分の責任ではなく他人や世間に責任を転嫁する人たちである。いじめられてもいない自分の子供をいじめられたとし、教員を土下座させる親であり、買った商品についてクレームをつけ、交通費を含む返金を強要し、更に従業員に土下座を強要した主婦であり、別れ話をされて、その恨みを殺人という手段をもって実行する輩であり、明らかに故意であるメニューの偽装(偽表示)を従業員の知識不足であるとか、誤認識であるとかいうことで弁明するホテルチェーンの社長である。他にもこういう事象、事件は多くあるが、これらは皆、戯言、戯動、過言、過動を自分のこととしてとらえず、これまで、改めも反省もしてこなかった結果であるように思える。自分の思い込みを省察もせず、客観視もせず、つまり、何も考えずに表の事象に流される軽薄さからこういうことになるように思われる。次の章に述べられているが、張横渠は厚重の人、つまり、おもおもしい威儀があり、篤実な人ならば、戯言を発したり、戯動なすことはなく、過言や過動をなしたときにも、反省して、改善すると言っている。また、厚重な人になるためには、どう処すればいいかということについて、「論語」学而篇に次のように述べてある。

 子曰く、君子、重からざれば則ち威あらず。学べば則ち固ならず。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ。過てば則ち改むるに憚ること勿れ。

(孔子が言われた。「君子はおもおもしくなければ威厳が無い。学問をすれば頑固でなくなる。まごころの徳である忠と信とを第一にして、自分より劣ったものを友だちにするな。過ちがあれば、ぐずぐずせずに改めよ。」)

威厳があり、常に学問をして頭をやわらかくし、まごころと信頼を第一義とし、賢者を友とし、過ちがあればすぐに改善する人が厚重な人ということになる。厚重な人とは所謂、君子ということになろうか。
 我々も愚かな人にならないため、愚かな言動を起こさないために厚重な人になるようにこの孔子の言葉に則って努力する必要があろう。


     
 
九十六。載、学者をして先ず礼を学ば使むる所以は、只だ礼を学べば、則ち便ち世俗の一副当の習熟纏繞(しゅうじゅくてんじょう)を除き去り了るが為なり。之を延蔓の物に譬うるに、纏繞を解けば即ち上り去る。苟くも能く一副当の世習を除き去り了れば、便ち自然に脱灑せん。又た礼を学べば、則ち以て守り得て定まる可し。

(大意)
張横渠自身がまず学者に礼を学ばせる理由は、礼を学べば、世俗のことで彼らが習熟し、その身にまとわりついているものをすべて除去するためである。例えば樹木にまとわりつく葛のようなもので、まとわりついた葛から脱すると、樹木は上へと伸びる。もし世習をすっかり除去すると、心は自ずと世俗に抱束されない。そこでさらに礼を学ぶと主体性を持てるようになる。

 横渠は、人間としての主体性を確立させるためには、礼を学び、それを実行していくことが必要であり、それを継続させていくことが必要であるとしているのである。そして、礼を実行実践し、継続させていくことは、樹木にまとわりついている葛を除去するようなもので、世習(世の中にあるどちらかといえば悪習慣)を除去することにも繋がると述べているのである。世習を除去できれば、自然、他事に捉われなくなるので、自分の思考を確立することができるということになる。この捉われない心を確立するためにも礼の実行実践は欠かせないということになる。
 もう十年近く前になるが、私が、自分の母校の中学校の「立志式」(昔の元服の歳、現在で言えば中学2年生になった時に、私の郷里ではこういう式典が行われる)で講話をしてくれと依頼を受けた時に聞いた話である。


   
2,3年前に校内が荒れて、どうしようもない状態で所謂、校内暴力やいじめなどが日常に行われていたときに、これを是正しようと、先生や生徒の両親が立ち上がって対応策を考えて、担当日を決めて、毎日、担当の両親や先生が出校時に校門に立って、生徒一人一人に「おはようございます」の挨拶をしようということになった。そして、それを数ヶ月続けていたら、校内暴力やいじめなどが自然に消えていったというのである。確かに今の教育は自由である、自由であるということは、ある意味自分の個性を伸ばすなどということではいいことであるが、自由であるが故に、けじめをつけるということに欠けるように思える。自由の意味の履き違えが校内暴力やいじめに繋がるのである。こういう時代だからこそ礼儀礼節は必要なものであるように思う。最初は、親や先生の挨拶に戸惑った生徒も毎日校門に立って挨拶をしてくれる親や先生に対して、当たり前のことをやってこなかったことに気付き挨拶を返し始める。そうするとそれが当然のこととなり、心がおだやかになる。心が穏やかになると行動も穏やかになるということになろうか。このように礼儀礼節は、人間の心を穏やかにし、物事にけじめを付けることを教示してくれるのである。心が穏やかになると物事に捉われることが少なくなり、これまでのことを反省し、その反省点に立って自分の思考を確立することができるようになる。つまり、主体性を確立することができるようになるのである。礼(礼儀礼節)は、自我に目覚めた時期の人間に自己を確立させるために大きな役割を果たしてくれるのではなかろうか。特に、初学の者にとっては必要欠くべからざるものであるように思う。
     
 
百十一。学者大いに宜しく志小に気軽かるべからず、志小なれば則ち足り易く、足り易ければ則ち由りて進むなし。気軽ければ則ち未だ知らざるを以て已に知ると為し、未だ学ばざるを已に学べりと為す。


(大意)
学を修めんとするものは、志が小で、気象軽薄であってはならない。志が小であれば、小成に満足し進歩向上がない。気象が軽薄であれば尊大になり、知らぬことも知ったかぶりし、学ばぬことも学んだように吹きまくり、得るところがない。

志は大きく、気象は厚重であらねばならない。と、横渠は述べているのである。常に自己研鑽している人は、自分の力を世の中のために活かそうとするものであり、自分に力を蓄えることでどっしりとして、動かない基調を以て、あらゆる物事に臨機応変に対応できる心のスタンスを構築していくものである。だから、どんなことでも誤りがあれば、それを自分のこととしてとらえて解決しようとするのである。他の人や事象のせいにしないのである。志が大きく、気象が厚重な人とは、こういう人のことをいうのであろう。順受の会でも勉強したが、西郷南洲遺訓の中に次のような言葉がある。


   
人を相手にせず。天を相手にせよ。天を相手にして、己を盡くして、人を咎めず、吾が誠の足らざるを尋ぬべし。

西郷南洲は志が大きく、気象が重厚な人間の代表であるように思う。また、勝海舟は「氷川情話」の中で西郷南洲のことを次のように述べている。

西郷におよぶことのできないのは、その大胆識と大誠意とにあるのだ。おれの一言を信じて、たった一人で、江戸城に乗り込む。おれだってことに処して、多少の権謀を用いないこともないが、ただこの西郷の至誠は、おれをしてあい欺くことができなかった。このときに際して、小籌浅略を事とするのは、かえってこの人のためにはらわたを見透かされるばかりだと思って、おれも至誠を以てこれに応じたから、江戸城受け渡しも、あのとおり立談の間にすんだのさ。

世の中を変革させる時には、小ざかしい知恵や権謀術策よりも大胆識と大誠意が必要であるということである。そのためにも志は大きく、気象は厚重でなければならない。