中江藤樹について

(2010年1月〜6月)  
 
日本陽明学の祖といわれる中江藤樹は1608年(慶長13年)3月7日(太陽暦で4月21日)近江国小川村(現在は滋賀県高島市安曇川町上小川)に生まれた。徳川家康が江戸に幕府を開き、征夷大将軍に就いてから5年後のことである。幼少の頃は、中江与左衛門と呼ばれていた。父の名は吉次、母の名は市で両親は農業を営んでいたといわれている。しかし、祖父は武士であり、父も諱(いみな)と通称をもっていることからすると、父は根っからの農民ではなく、郷士のようなものであったのではなかろうか。藤樹が9歳の春、祖父は老体をひっさげて、藤樹を養子として引き取るために米子からはるばるやってきた。祖父中江徳左衛門吉長は、米子藩加藤家(加藤家は天正年間、秀吉のもと、高島城主だったことがある。)に仕える百石の武士で末席ながら士分格として、藩政にあずかる身であった。その頃、武士の家では男子の跡取りがいないまま当主が死亡すると、家は絶え、禄は取り上げられることになっていた。祖父は69歳という高齢だったので、後のことを考えたのであろう。また、前年には、大阪夏の陣が終わり、天下の統一はなり、平和な時代が到来したことも祖父の心を動かしたのであろうと思う。父は、最初、反対したが、祖父の強い決意とたっての願いについに折れざるを得なかったとのことである。こうして、藤樹は武士としての道を歩むことになる。その翌年、加藤家は伊予国大洲(現在は愛媛県大洲市)へ転封になり、藤樹も祖父と共に一端大洲に入り、その冬祖父が風早郡(現在の愛媛県北条市)の代官を命ぜられたので、その地に移った。祖父は藤樹に師をつけ、文字や文章を習わせた。そういう中、藤樹にとって、立志の機会がやってくる。それは、藤樹11歳のときの「大学」との出合いである。「天子より以て庶民に至るまで、壱に是れ皆身を脩むるを以て本と為す」この文章に出合い、深く感動した藤樹は、学ぶことによって、誰でも聖人になれるのだと思い、自分も学んで聖人になろうと固く自分の心に誓ったのである。そして、藤樹はこの決意を生涯もち続けたのである。藤樹は、15歳のときに元服して字(あざな)を惟命(これなが)とつけた。これも「大学」の「惟れ命は常に于(お)いてせず。」からとられている。そして、その年の秋に祖父の吉長がなくなり、後をついで、百石を賜り、出仕する身となる。そういう中、武士としての理想を模索する藤樹の関心をひきつけたのは、人倫の道を説く儒学であった。しかし、師となる人物を得ることのできない藤樹は、独学を始めるのである。その時、購入したのが「四書大全」(明の成祖永楽帝の命によって編纂された四書の注釈本)であった。この本には、朱子の注釈を主として、王陽明の注釈もとられていたので、朱子学にも陽明学にもふれることができたようである。日常業務をちゃんとおえてから、夜中に勉学に勤しんだということである。そして、20歳の頃、朱子学に傾倒していくことになり、聖学を自己の目標と決定したということである。この頃の藤樹は、朱子学に傾倒するが故に厳粛主義になり、現実との間の緊張感を更に厳しくし、自分自身を苦しめているところがあった。しかし、藤樹はこの緊張感と闘いながら、一歩も退かず、理想を求めて進んだのである。そんなときに聖学を求めるべき儒者が、私利私欲に奔っているとして、林羅山批判などもおこなっている。
藤樹25歳の春、孝養を尽くそうと、老いた母を大洲に迎えるため、郷里を訪ねた。しかし、母は多年住み慣れた土地を離れて、未知の土地へ行く気は全くないと語り、藤樹の申し出を断った。そして、ひとり大洲へ戻った藤樹は、儒学の最も基本的な道である「孝」を全うするためには、自分が母のもとへ帰るしかないと考え、職を辞し、士籍を離れるという決意をするのである。帰藩した藤樹は、藩家老佃小左衛門に事情を話して、暇を頂くべく相談するが、なかなか許可を得ることはできなかった。藩の事情も色々あったようであるが、結局許可は出ずじまいであった。また、郷里から帰る旅路でひどい喘息を患っていた藤樹は、そのことも理由としてあげ、引き止める上司の説得にも応じなかった。やがて、2年半の歳月が経ち、それでも許可を得ることができない藤樹の心の中には、脱藩しかないという決意が頭をもたげた。もちろん、私利私欲なく様々に悩んだ挙句の決断である。そして、27歳の10月、藩の許可なく、若等ひとりを連れて、大洲をたった。

   
そして、一端、京都の友人の家に止まり、謹慎して、藩命のくるのを待った。その頃の無断の脱藩は、追い討ちか切腹のどちらかであった。そして、追手も、藩命も来ないのを確かめてから、近江小川村の母のもとへ戻ったのである。将に命懸けの脱藩である。母の孝養を尽くそうとする至情とこのままでは自分の使命を達成することができないという、強い意志が藤樹にそういう行動をさせたのではないかと感じる。
禄を離れた藤樹の手もとに残っているのは大洲で精算し、脱藩のおり、連れ立った若等にお礼をもたせてやった、残りの銀百銭であった。その資金をもとに酒を買い、刀を売って、米を買って、農民にそれを売ったり、貸したりして、その収入や利息を生活の足しにした。武士の生活から一気に酒屋と金融業を始めたのである。その当時は、酒と金融は農民にとって、必要不可欠なものであり、それをもって農民を救済し、農民を教化する手立てとしても使えるとして、そういう仕事を始めたということもいえるのではなかろうか。また、元々、誰でも学んで努力すれば聖人になれるという、身分がどうであろうと、職業がなんであろうと関係ないという平等観を持っている藤樹にしてみれば、道義や道理に適っていれば、どんな職業をしても問題はないという考えから始めたということもいえる。
そのような生活をしている藤樹であったが、学問に取り組める環境を得たのであるから、学問は、尚一層深化し、進展していったことであろう。やがて、教えを受けようとするものが現れ、32歳の頃には、数多くの門人が学ぶようになった。その門人の多くは、武士か、郷士などであったように聞く。
帰郷してすぐの28歳の頃、藤樹は、朱子学の理解を理論的に深めるため、また、実践的に天理にそって行動するためのよりどころとして、易の研究に没頭することになる。そのためには、易占を実際にやることが必要だとして、師を見つけようと思い京にいくが、欲深かかったり、自分の考えに固執した考えの人しかいないので、あきらめて、独学で研究を進めることにする。そこで「周易啓蒙」をへて、「易経」に出合うことになる。そして、これを機に、藤樹の学問は「四書」から「五経」へと進んでいくのである。そして、このことが、藤樹の「持敬図説」での朱子学への批判と陽明学との出合いに繋がっていくのである。朱子学批判については、内容が深いのでここで説明することはしないが、聖人の教えを絶対として、それを絶対の行動の基準としている朱子学の見解では、それを貫くということは、ほとんど不可能であり、その行動を実現するためには、それに導いてくれる媒介が必要であると考えたのである。藤樹はそれを「畏天命」(天命を畏れ慎むこと)「尊徳性」(人が天理を受けて中にもつ明徳)であるとしているのである。そして、33歳のとき「性理会通」「孝経」などを経て、「王龍渓語録」に出合うのである。陽明学との本格的な出合いである。ちょうどその頃、今回勉強する中にもある「翁問答」を著すのである。また、34歳のとき、伊勢神宮への参詣も行っている。そして、その年の冬、熊沢蕃山が入門してくる。蕃山との師弟関係は、藤樹が没するまで続くのであるが、その後、岡山藩、池田光政公の腹心として、活躍する蕃山の礎は、この交流によって培われたものが大きいといってもいい。35歳のとき、「孝経啓蒙」に着手、心学を主唱するようになる。37歳のとき「陽明全書」を読み、学問がどんどん進む。そして40歳のとき、「鑑草」を刊行する。翌年8月、長く患っていた喘息がもとで亡くなる。
藤樹の生涯については、奥が深く、簡単に述べられるものではない。「近江聖人」といわれ、今猶、慕われている人物ではあるが、やはり、人間である。いや、その人間味こそが、慕われる要因でもあるのであろう。そして、それは、ただ平坦な日々を送って培われたものではなく、多くの困難を乗り越えたり、人一倍の努力をしたりして、培われたものであるということを忘れてはならない。そして、中江藤樹が到達した学問の境地は、おそらく、朱子学でもなく、陽明学でもなく「藤樹学」そのものであったように思う。今回は「中江藤樹のことば」(発行:登龍館、発売:明徳出版社)を参考に素読しながら、そういう中江藤樹の思想にふれてみようと考える。現代にも通じる多くの知恵を得ることができるように思う。
 1. 姑息の愛
   
 
親の子を慈愛するには、道芸をおしえて、子の才徳を成就するを本とす。当座の苦労をいたはりて、子のねがひのままに育てぬるを、姑息の愛と云、姑息の愛をば、舐犢(しとく)の愛とて牛の子をそだつるにたとへたり。
   
子供を育てるのに一番必要なことは、人の生きる道、世の中の道理を教えることを根本となすことであると述べているのである。そして、その子に合った才能を伸ばしてやれば、才徳兼備の人間になると述べているのである。子供を育てるのに一番良くないのは、親牛が子牛をペロペロ舐めて、子牛がしたいように育てることである。つまり、ここでいう、姑息の愛ということになる。姑息の愛で子供を育てると、我慢できない、わがままな人間になるということでもある。ということは、表面上は立派な成人に見えても、中身は、カラッポの幼児的で人間として未成熟な人格が形成されていき、社会に適応できない人間になってしまう危険性が大いにあるのである。また、それは将に心のゆがみになって現れ、様々な人間性の欠落した事件を起こすということにもつながる。精神的未成熟期を脱しきれない大人が最近は多くなっているように思える。今の国会の答弁を見ていても、精神的未成熟期を脱しきれないでいる政治家が如何に多いことか。

 2. 子孫に道を教える    
 
いゑをおこすも子孫なり、家をやぶるも子孫なり。子孫に道をおしへずして、子孫の繁昌をもとむるは、あしなくて行ことをねがふにひとし。
   
人の道、物事の道理を自分の子や孫に身を以て教えなければ、その家庭はやがて崩壊し、家系は途絶えると述べているのである。家を繁昌させるも破綻させるも結局は親が子供にどういう教育をしたかということにかかっているとも述べているのである。今の世の中は、家庭教育がよくできない環境にあるといわれる。私自身も仕事仕事で家庭を振り返ることをあまりしなかった部類であるが、本当に自分の子供を教育する時間がなかったかといえば、それは間違いのように思える。「忙中閑あり」であるので、やろうと思えばできるのである、やろうと思わないからやれないのであろう。思えば、子供たちが小さい頃はよく色々なところに出掛けた。そして、道々、子供と会話し、自分の考え方などを話していた記憶がある。それは、おそらく、その当時は田舎にいて、そういう環境がまわりにいっぱいあったという影響もあるように思う。それが、すべてということは言えないかもしれないが、こういう時代だからこそ、子供のためにゆったりした時間をとって、教育をするということではなく、子供と一緒に散歩したりする中で子供の話をよく聞き、それに対する自分の考えを話するような状況を月に2回や3回はつくるべきであるように思う。そういう意味では、子育ては田舎でするほうがよいように思う。

 3. 胎教は母徳の教化
   
 
子孫にをしゆるには、幼少のときを根本とす。むかしは胎教とて、胎内にあるあひだにも、母徳の教化あり。いま時の人は至理(しり)をしらざるゆへに、おさなきうちには、をしへはなきものなりと思えり。
   
胎教についての重要性については、よくいわれていることである。子供(赤ちゃん)が、母親の胎内にいるときは、その母親の心掛けや行いが大きな影響を及ぼすということである。子供は胎内にいるときから、様々なことを知覚しているのである。考えてみれば、生命というものは神秘的なものである。男と女が相交わって、陰陽の気が集まって、新しい生命が形成されるというのは、将に天地自然の道理である。天地自然の道理を得て、発生した生命に、それに連なる、人としての道理、物事の道理を言葉や行いで教え、導いていくということは、当然のことで、人格を形成していく過程では必要不可欠なものであると考える。そういうことからも幼少の頃からの教育(幼児教育)は重要である。

 4. 胎教の心がけ    
 
胎教の心もちは、慈悲正直を本とし、かりそめにも邪(よこしま)なる念を発(おこ)すべからず。
   
胎内に子供を宿している母親は慈悲深さと正直な心を以て、何事にも対応していくことが大切であるといっている。そして、ここにも書いてあるように、中江藤樹は、その工夫として、生活のすべてにおいて、よく正しく慎み、目にはむさくるしいものを見ずに、耳にはつまらない声を聴かずに、古典や偉人の物語を読むのがいいと述べている。つまり、情操を育てることがお腹の中の生命をよく育てることに繋がるということである。もちろん、生まれてからもそういう行いを続けるということも大切である。それは、幼少の頃は、心と身体が分離していないので、どんなことでも、すっと何の障害もなく、善いことも悪いことも受け入れることができるので、悪いことを受け入れないようにして、いいことだけを受け入れさせることが肝要であるからである。岡田武彦先生はその著書「ヒトは躾で人となる」(登龍館 発行)の中で「躾というものは子供に話をしても分からないから、少し大きくなってからでもよいと思っている人はいないでしょうか。それはとんでもない間違いです。躾をきちんと身につけられないのは、その子にとっても親にとっても大変不幸なことです。では、躾はどういう意味で、どうしたら身につくのでしょうか。その原理と本質を根本から見つめ直します。まず、親が見本を示す。全てがそこから始まります。」と述べておられる。親の行いが子供を善くも悪くも育てるということを真摯に受け止めることが重要である。

 5. 人の短所を語らず    
 
母たるもの、夫のみじかき所あしき事などを、その子に語りきかせてよろこぶもの、間(まま)に有。これは正しくその子に不孝をおしゆるなり。
   
「お父さんはこういうことがあるから駄目なのよ。」とか、「そんな風だから、お父さんは出世できないのよ。」とか、自分のことは棚に上げて、夫の短所を子供に直接言ったり、子供に聞こえるところで言ったりすれば、子供はそれをそのまま、素直に受け止めてしまい。父親を尊敬できなくなってしまい。最終的には、両親のいうことを聞かなくなってしまうということである。短所ばかりを言うという事もよくないことであるが、長所をばかりを言うということもよくないことであるとこの解説には述べてある。江戸時代初期の儒学者である貝原益軒はその著書「和俗童子訓」の中で「人に三愚あり。我をほめ、子をほめ、妻をほむる。皆これ愛におぼるる也。」と述べている。自分は偉いといって、自分を褒めそやす、自分の子は感心でよく働くとか、親孝行で勉強が良くできるとか、他人に自慢する。自分の妻は感心だといって他人に自慢する。これは、溺愛であり、それを聞いているまわりの人たちが、いやな気分になるということに気付かない、こういうことばかりやっていると、子供も親も精神的に成長しないで、まわりから孤立していくということである。もちろん、そのままなら、子供はわがままに育ってしまうということになる。「短所を改善し、長所を伸ばす。」というバランスのとれた教育が必要である。

 6. 明徳の君子をもとめ    
 
成人しての教には、明徳明らかなる君子をもとめ、師匠として儒道の心学ををしへ、ひたすらに、明徳を明らかにする工夫を励まし、才智芸能などは、その生得(うまれつき)の器用にしたがってをしへ成べし。
   
成人を教えるには、明徳が明らかな君子を求めて学び、師としては彼らに儒学の道の本質(心学)を教えて、ひたすら、明徳を明らかにするための工夫を奨励して、その人の持っている才能や芸能や技術は、その人の持っている能力に基いて指導することが必要である。と述べているのである。中江藤樹は、その人生において、様々な師を求めているが、結局、明徳明らかなる師と出会う機会がなく、独学で自分の思想哲学を完成させていくことになるのである。四書に始まって、朱子学に傾倒し、五経を学ぶことにより、心学を儒学の本質だと認識し、陽明学に傾倒し、自分の思想哲学を成就させていく。その過程の中で、藤樹の師は、常に書物である。それは、書物を読みながら、実生活の中で実践するということで積み上げられてきたものであるように思う。藤樹にとっての師は、書物であり、それを実践する自分自身であったのであろう。だから、次の章で述べてあるように、学びにくる弟子たちを同志と呼んで、対話する中から、皆で学んでいくという姿勢を奨励し、座右の戒めとしたのであるように思う。

 7. 同志の交わり    
 
同志の交際は、恭敬を以て主と為すべし。和睦を以てこれを行ひ、一毫も自ら便利を択ぶべからず。狠(もと)って勝たんことを求むる毋(なか)れ。
   
前述のように、藤樹は弟子たちのことを同志と呼んでいる(吉田松陰も松下村塾の自分の弟子たちのことを共に学ぶということから同志と呼んでいる。孔子も論語の中で「吾れ斯の人の徒と与(とも)にするに非ずして誰と与にかせん」と述べて、人間同志でお互いに学びあうことの大切さを述べている。そういえば、岡田先生も孔子のこの言葉から、ご自分の書斎を「斯人舎」と命名されていたときがあった。)。この文章は、この解説に述べられているように、藤樹書院(学舎)が建てられたときに書院訓(舎訓)として書かれた三ヶ条の中の第一条にあるものである。同志の交際については、まず、恭しく、尊敬の念をもって接することを主旨とする。次に互いに和して、なか睦まじく行動し、少しでも自分勝手なことをしてはならない。そして、ひねくれて、同志を負かそうなどと考えてはならない。としているのである。このことは、聖学、君子の学を学ぶに際しての心構えとして、述べられているのである。また、このことは、現在、我々が色々なことを学ぶときの姿勢としても必要なものであるように思う。

 8. 道の明らかなる師    
 
あいがたきは、道の明らかなる師にて御座候(ござそうろう)。
   
本当にそういう師に出会いたいものである。私にも人生の中で学校の恩師は別として、師と呼べる方が3人いる。ひとりは仕事の考え方を教えていただいた師。ひとりは生きることの大切さを教えていただいた師。そして、もうひとりは、この順受の会を開催するきっかけを作っていただいた岡田武彦先生である。岡田先生との出会いは、先生の東京での講演会を企画したときから始まる。私が事業に挫折して、一番大変なときに「真説陽明学入門」の著者である林田明大氏に九州に日本を代表する儒学者(陽明学者)で岡田先生という方がおり、ご高齢であるので、これからなかなか話を聞くことができないから、講演会を企図してみてはどうかといわれたのが発端であった。さっそく、岡田先生に手紙を書いて、講演会の依頼をすることにした。そうすると、何日か経って、岡田先生から了解の返事をいただいた。もちろん、周りの人たちの協力もあったのであろうが、講演会は決定された。まず、岡田先生と会わなければならないので、福岡まで伺うことにした。このときにも、周りの人からの様々な協力を得ながら、何とか岡田先生に会うことができた。福岡に着き、西鉄の大橋という駅から徒歩で先生のお宅まで歩いていって、門口のところまで来たときに、その質素な住まいに儒学者としてのこれまでの生き方があらわれているような思いがした。初めて、お会いしたにも拘わらず、じっくりと懇切丁寧にお話を頂いて、その人格にふれ、本物だなと感じたのを覚えている。講演会は、実行委員会を組織し、発起人を募り、120人を集めて無事終了した。それから、何回かの東京での講演会の開催などを経て、京都で行われた「国際陽明学京都会議」にも実践者として参加させていただいた。また、私が鹿児島に勤務しているときは、福岡に用件のあるときに2回に1回はお会いして、大橋の駅の近くの居酒屋で酒を酌み交わし、その交流の中で色々学ばせていただいた。晩年の岡田先生に何回も接し、こういう思想を自分流に世の中の人に伝えてみたいと思ってはじめたのが、「順受の会」である。「道の明らかなる師」との出会いがあったからこそ、使命感が湧き起こり、15年も続いているのであるように思う。

 9. 真の学問    
 
それ学問は、心のけがれをきよめ、身のおこなひをよくするを本実とす。文字なき大むかしには、もとよりよむべき書物もなければ、只聖人の言行を手本としてがくもんせしなり。
   
学問は自分の心から私利私欲を取り除き、至誠真実に行動をすることを目的としている。文字などなかった昔は、当然読むべき書物もなかったので、聖人の言行を手本として、学問をしたのである。と述べている。つまり、真の学問は「修身」身を修めることを目的としているということである。学問の目的は大学にあるように「修身」のためには、まず、「正心」心を正すこと、そのためには「誠意」意いを誠実にすること、そして、そのためには「致知」道義的判断をすること(道義心を発揮させること)、更にそのためには「格物」物事の道理を理解すること(善を為し、悪を去ること)であると述べているのである。決して、いい学校を出て、いい会社に入るための勉強をして、安住な暮らしを求めることではないとも述べているのである。
また、元々、永遠にいい会社というものは存在するものではない。それは、現在の企業の浮沈をみれば、一目瞭然である。今問題の日本航空も少し前までは「親方日の丸」で絶対つぶれない会社だといわれてきたわけであるが、現実、多くの負債を抱えて、国民の血税を使わなければ、救済できない会社になっているのである。企業再生支援機構の調査結果からすれば、約8700億円を越す債務超過であるらしい。この19日に会社更生法(プレパッケージ型・事前調整型)の適用を受け、法的整理が開始された。その内容は支援機構がまず3000億円の出資、金融機関に向けて3500億円の債権放棄要請、社債などを含んでのカット額は合わせて7300億円、支援機構と政策投資銀行で約6000億円の融資、3年で15,660人の人員削減、国内外31路線の廃止、資本金の100%減資(上場廃止)となっている。また、3年間で再生を完了させ、2012年度に営業利益で約1000億円を確保、新スポンサーへの株式の売却、譲渡を計画している。このような経営状態になるには、これまでも破綻の懸念が色々なところに出ていたと思う。それに気付かずに、いや、気付こうとせずに来た結果にほかならないのである。もちろん、このようなことは、日本航空に限ったことではないのであるが、こういう状況を作り出している要件のひとつとして、戦後教育の負荷が大きくのしかかっているように思えてならない。いい会社に入ることがその目的であるような教育制度は、人間としての生き方の教育ができていないので、ただ、その会社に入ることを結果としてしまい、折角、有能な人材もその安住の中で、するどい感性を剥ぎ取られ、通り一遍の人にしてしまうのである。また、その中での地位を得るため、豊かな生活を得るために、齷齪して、権謀術策を弄するようになるのである。だから、色々な周りの変化に気付かないのである。そういう意味では、もう一度、学問の本質を求め、学問の本当の目的は何かということを明確に打ち出す必要があるのではなかろうか。
学問は「修身」を目的とするのであり、ひいては、身が修まれば、結果、「斉家」家がととのえられ、「治国」国が治まり、「平天下」世界が平和になるということになる。だから、学問は「平天下」世界平和のためにするものであるということがいえるのではなかろうか。企業であれば、個人の私利私欲を去り、安定的に事業を発展させるための礎を築き上げるための学問や教育が必要ということになるのではなかろうか。

 10.にせの学問    
 
にせの学問は、博学のほまれを専らとし、まされる人をねたみ、おのれが名をたかくせんとのみ、高満の心をまなことし、孝行にも忠節にも心がけず、只ひたすら記誦詞章の芸ばかりをつとむる故に、おほくするほど心だて行儀あしくなれり。
   
前述の真の学問に対して、偽の学問について述べたものである。博学であることを誇り、自分より勝る人がいるとねたみ批判し、自分の名声の高まることだけを喜び、高慢な心で物事に対し、親孝行もせず、忠義や節義を重んじることもなく、只ひたすらに文章の暗記や解釈にのみ傾注するのは、にせの学問であると述べているのである。だから、そういう学問を多くすればするほど、心立てや行儀がわるくなり、学ぶ人にいい影響は与えず、逆に功利の心を与えてしまうということになるのである。
さて、ここで気付かされるのは、そういう意味では、前述もしたが、戦後教育はにせの学問であったのではないだろうかとのことである。要するに、いつも申し上げるように人間の生き方を教えるベースになる教育がないのである。それでも、私が小学校や中学校に通っていた頃には「道徳」という時間があったが、何回かの教育改定の中でいつしかそれもなくなってしまった。また、高校の頃の「倫理社会」の時間には、受験勉強が大切だとして、他の勉強をしているものが多かったのを覚えている。要するに、人間にとって大切な教育を退屈な、受験に役立たないものとして、軽視してきたのである。また、教える教員も人間の生き方を教えるほどの経験も知識もない、要するに人間力がないので、手っ取り早く結果を出せる受験教育の方へ傾注していったということがいえるのではなかろうか。もちろん、受験勉強を批判するつもりはないが、偏りが激しすぎたのではないかと考える。受験勉強も教え、人間としての生き方も教えるというバランスが大切なのである。その結果、そこそこ立派な社会的地位についても精神的に大人になりきれない人が多くなったのではなかろうかと感じる(成熟した社会には、成熟した人間が必要である)。だから、現在の教育や教育制度は、その表面を変えるだけではなく、その根本から変えていく必要があるように思える。

 11.温飽を求める儒者    
 
俗儒は人の書を読むといふと雖も、然れどもその書を求むる所以のものは、書の書たる所以に在らずして、却って以て温飽を求むるの術と為す。
   
一般の儒者は、書は読んではいるが、その書を読みながら求めているものは、その根本である人の道の実践ではなく、自分が経済的に安定したいがための手段にしている。というような意味である。四書や五経の本当に言わんとしている人の道、天の道のことはないがしろにして、教示、実践せずに、ただ、自分の知識や名声だけを意識して、その解釈の立派さなどのために一所懸命になっている状況であるということである。要するに、根本のところは教えずに、枝葉末節のことだけに頭を使っているということでもある。こういう、師から教えられても本当に人にとって大切なものを得ることはない。どうも、近年そういう師のもとで学んできた人が多いのか、枝葉末節の論議が盛んに行われているように思える。例えば、国会、予算委員会での論戦をみても、所謂「政治と金」の問題が、その3分の1以上を占めているように思える。今、大切なことは、国民生活に直結する国家予算についての論戦である。もちろん、「政治と金」の問題について、ないがしろにしろということではないが、これはこれで別途追求すればいいことであるように思える。また、今更、政治献金の問題を追求しても、一部を除いて、これまでの政治家には、何がしかの非が必ずあるわけであるから、将に「目くそ、鼻くそを笑う」である。とにかく、お行儀の悪い政治家が多いのには、愕然とする。これなどは、これまでの教育で、枝葉末節のことを主体に教えられてきたツケなのかもしれない。

 12.学問は良知に致るため    
 
学は良知に致るより外はなく候。その良知にしたがひ難きは、私欲にくらまさるる故にて候。
   
学問をして、求めるものは自分の良知(自分の中にある内なる神、仏性・藤樹は明徳でもあるとしている)を発揮させることであり、その良知を発揮できないのは、自分が、私利私欲に眩まされているからであると述べている。学問を教える立場にある先生は生徒たちが自分たちの良知を輝かせるように指導しなければならないし、生徒たちは、自分たちの良知を輝かせるようにしてくれる先生に学ばなければならないということである。藤樹と蕃山の師弟関係は、将にそういうものであったように思う。そうすれば、良知が外に向けて大きく輝きをはなち、その輝きに救われる人が増え、世の中が、平和になるということである。前述もしたが、学問は世界平和(平天下)のためにしているのである。また、良知という、生まれながらにして人間が持っている仏性であり、明徳であり、内なる神を一層磨いていくことにより、人間としての根幹を太く、長く、大きくしていくことができるようになり、物事に動じない人間性を確立させることができるということでもある。しかし、世の中には、色々な誘惑が多く、また、自分の仕事や雑事に追われて、なかなか、そういう境地になれないというのが、大概の人の意見であるように思う。そういう人たちが、良知を実践するために必要なことは、1日に1回あるいは2回、20分から30分、何も考えない時間をつくることである。一番いいのは、座禅や瞑想、静座である。また、岩崎さんが全国普及をやっておられる正心調息法なども同等である。そういう静の時間を作って、自分の内にある善の潜在力(良知でもある)を養うのである。岡田先生は「兀坐培根」(兀坐して、人間としての根幹を培う)として、兀坐を薦めている。兀坐とは、静座の極地であり、「天地万物の根源は皆我にあり」として、気持ちを臍下丹田に集中させて、丹田呼吸(腹式呼吸)をしながら、じっとすわることである。そういうことを実践することによって、自分の内面を養うことができれば、今まで見えていなかったことが見えてきたり、精神が安定したりして、自分の現実の生活や仕事にも大いに役立つことになるように思う。

 13.講釈の要領    
 
初学の者には、文義をば大略に講じ、主意と日用心法の引合いとをいかにも耳ちかく、こまやかなるがよく候はんと存じ奉り候。
   
自分の弟子である熊沢蕃山に初学の弟子たちに教えるためのコツを書面で送ったものの一編である。初めて学問をするものに対しては、まず、その文の意味、意義を大まかに講義し、その中にある主意を日常の生活や状況と照らし合わせて、わかりやすく、こまめに実践的に教示されるのが良いと考えると、述べているのである。わたしも、たまには説明しすぎて、わからなくしていることや大きくそのこととははずれて、話をしていることがあるかもしれないが、藤樹先生がのべているように講話させていただくのが良いと思っている。
ここで、熊沢蕃山について、少しふれてみようと思う。蕃山は元和5年、京都に浪人の子として生まれる。16歳になった蕃山は、備前岡山藩の池田光政公に仕え、児小姓役として重く用いられ、武士として、己を全うするべく、身体の鍛錬、武技の練磨に精進する。20歳の時に島原の乱が起こり、池田光政が出陣の命を受けたので、日頃の鍛錬の成果を発揮しようと、従軍しようと思って願い出たが、まだ、元服をしていなかったことを理由に従軍する許可が下りることなく、乱は終わった。このことがきっかけとなって、これからは武辺一辺倒では武士としての使命をはたすことはできないことに気付き、文武を兼ね備えることを求めて学問への志を立てることになる。そして、藩に願い出て、辞任した蕃山は、祖母の故郷である近江国桐原に帰り、学問の道へ入るために、師をさがすことになる。23歳の時、京都に出た蕃山は師を求めるが、良き師になかなかめぐり合えず鬱々としていた。そんな時、藤樹の噂を聞き、門人になるべく藤樹を訪ねるのである。ここでいう藤樹の噂とは、「加賀の飛脚」の話として、有名である。
「加賀から京都へ大金二百両を預かった飛脚が、途中、近江国高島で馬を使った。そして、宿へ着いてから、その大金を紛失したことに気付き、このことが発覚したら、自分はもとより、親兄弟まで罪が及ぶと悲観にくれていた。そんなときに、その使った馬の馬方が訪ねてきて、馬の鞍の整理をしていたところ二百両もの大金が出てきたので、驚いて、その飛脚のものだろうと届けにきたというのである。飛脚はお礼として15両渡そうとしたが、あなたのものなのにそんな礼はいらないとその馬方はいう。でもせめて、と値段を落としていくが、それでも受け取らない。でも気がすまないとその飛脚が言うと、じゃ、ここまで駆け付けた手間賃として二百文だけもらいますということになった。そして、馬方は、その二百文で酒を買い、その宿の人たちと一緒に飲んでよい機嫌になって帰ろうとしたので、飛脚は感心して、いったい、あなたはどういう方かとたずねると、自分はとるに足らない一介の人間です。ただ、近くの小川村というところに藤樹先生という人がおられて、毎晩講話をされているので、時々行っている。そして、その先生は、常に無理非道をしてはならない、人の道とはそういうものであると話しておられる。だから、こうして、お届けしたのであると言った。」という話である。
この話を伝え聞いた蕃山は、この人こそ我が師と藤樹を訪ねるのである。しかし、藤樹は、最初の内は蕃山に会おうともしない。そこで、蕃山は門前に二昼夜座り、入門を請うた。その熱意に動かされたことと母からのすすめもあり、藤樹は面会するのであるが、蕃山はその時は、教えを受けることはできなかった。それでも屈せず蕃山は、その冬、再び藤樹の家を訪れ、入門を強く請い、ようやく受け入れられるのである。受け入れられてから7ヶ月、必死で藤樹の学を学びとった蕃山は、桐原に帰り、貧困の中で自分の学問を深めていくのである。そういう中、27歳の時に池田光政に招かれて、再び、備前岡山藩に出仕することになり、その後藩の重鎮として、岡山藩の発展に尽くすのである。その類まれなる経世家としての名前は全国に高まり、様々な才を発揮することになるのであるが、晩年は、幕命により幽閉され、その生涯を元禄3年(1691年)に閉じることになる。後年、荻生徂徠は「この百年来の大儒者は、人才では熊沢、学問では仁斎である。自分などは取るに足らない。」と述べている。

 14.千里をかよう誠    
 
思い出は学びし本の心より千里を通ふ誠忘るな
   
ここにも述べられているように、門人の森村叔が藤樹の教えを受け、大洲に帰るときに途中で台風に遭遇した。それを知った藤樹がすぐに食糧とそれに添えて歌三首を送ったときの一首である。学びたいと思い立って、大洲から、わざわざ近江の遠方まで来た、その時の誠の心を忘れてはならない。学んだ中身も大切であるが、それ以上に学ぼうと思い立って、遠方からやってきた、その行動こそが実学である、と述べているのである。実学の人藤樹らしい見解であると思う。将に知行合一である。
人間、人生の中で、これをやりたい、あれをやりたいと色々と模索するが、やらなければ、何もしなかったことと一緒である。様々な、やれないことに対する条件付けや理由を説明するならば、それは、ただの徒労に終わる。そんな、本当の無駄をするよりは、まず、行動してみることが大切であるというようなことである。何事もそうであるが、一歩前に踏み出さなければ、いつまでたっても、何事も成就することはできないのである。もちろん、何事でも成就させるためには、その中での創意工夫は必要である。もっといえば、物事を成就させるために行動すれば、様々な創意工夫をすることにより、様々な体験や経験を積むことができ、それが、自分の身に付いてくることになる。例え、その事が、その時、成就できなくても、多くの経験や体験をもとに次のチャレンジができ、その事を成就させるための確率が高くなっていき、何回かのチャレンジの中で、やがては、その事を成就できるようになるものであるように思う。そして、何よりも大切なことは、そういう状況の中で、人間力を強化できるということである。
西郷南洲の詩「偶感」の中にあるように「丈夫は玉砕するも甎全(せんぜん)を愧(は)ず」(立派な大人は、目的をもって、玉となって、砕けるような後悔しない人生をおくるべきであり、屋根の瓦のようにじっと動かず何もしないというような人生は恥ずべきである)ということでもある。

 15.石に立つ矢のためし    
 
志つよく引立てはげむべし石に立つ矢のためし聞くにも。
   
前章でも述べたように、人間、物事をなそうとして行動するときに大切なことは、志を立てる(立志)ということである。この志を立てることができれば、前述のように、玉となって砕けるような後悔しない人生をおくることができるのである。そして、不可能と思われることも可能になるのである。不遇な人が、志を立てて、物事を成就させ、一流になるという話は、多く存在するし、現在でも、実際、そういう人はいる。将に石をも貫く矢のたとえである。意志が石を貫くということでもある。ここにも述べてあるが、藤樹の門人、大野了佐についてもいえることである。
大野了佐は大洲藩時代の同僚、大野庄助の次男である。大野庄助は、その次男の了佐の生まれつきの愚鈍低能さに到底武士にはなれないと思って、他に何か身に職を付けさせたいと思っていた。それを知った了佐は、武士になれないのなら、医者になりたいと思い、藤樹を頼って、医者の勉強をしようと考えた。藤樹は、了佐のことは、よく知っていたが、その医者になりたいという思い、志に感じて、協力することにした。しかし、生まれつき愚鈍低能な了佐を教えるのは至難の業であった。医学書を与えて、勉強するも、何百回読んでも覚えず、すぐ忘れるというようなことの繰り返しであった。しかし、藤樹は了佐の熱心さにうたれて、朝から晩まで指導した。そういう藤樹の指導に了佐は信服し、大洲を離れて、近江にいってからも、藤樹を訪ねて勉強に励んだ。そういう了佐に藤樹は「捷径医筌」という、医学の入門書、手引書のようなものを著し(何と6巻に及ぶ大書である)、それを教科書に使って、内容を覚えさせたり、理解させたりしながら指導を進めていった。そういう、努力のお陰で、大野了佐は大洲へ戻って、医者になることができた。また、家族も持つことができ、多くの経験を積むことにより、その地方では、名医と呼ばれるまでになった。藤樹は了佐について、「了佐は愚鈍であったけれども、医学を自分の身に付けようとする熱意、志は並大抵のものではなかった。だから、教えることができたし、医者になることができたのである。」と言っている。将に「石に立つ矢のためし」である。こういう話を聞くと、いつも自分の至らなさを反省する。

 16.明徳すなわち孔子の心    
 
蓋し明徳は、上帝の人にある者にして、純粋至善なる者なり。尭・舜・孔子の心は、その本然なり。人みな固よりこれ有り。
   
人間は皆、尭や舜や孔子が持っている天から与えられた明徳(輝かしい徳)を持っているものである。と述べているのである。すべての人間に明徳は備わっているということである。王陽明のいう、すべての人間は良知という「内なる神」をもっているということである。また、人間は誰でも聖人になる要素を持っているものであるということでもある。
いつも申し上げるように、天地自然の道理の中で暮らしている人間は、その道理に沿って生きていくことが当然のことであるので、天地自然の道理は、人間の道理でもある。そういう人間の道理をひとつも踏み外すことなく生きていくことができれば、それは、紛れもなく聖人であろう。しかし、社会生活の中で様々条件付けられて、生活している我々は、人間関係とか、体面とか、プライドとかに煩わされて生きている。だから、なかなか、天地自然の道理、人間の道理というものを自覚して生きることができないのが、現実である。聖人の要素は持っているが、なかなか聖人になれないのが、普通の人間である。しかし、人間の道理は社会規範として、社会生活に必要欠くべからざるものであるので、これに戻るということを社会の正常な進化、進展のためにも常に忘れてはならない。そのための、ひとつの手段として、聖王や孔子の心を知るために、「順受の会」で勉強しているような「古典」を読むということは、常に続けていく必要があるように思う。何かあるごとに「明徳」を思う、「良知」を思うということを忘れなければ、いい人生をおくれるようにも思う。

 17.くらべるものなき明徳    
 
明徳は方寸に具はるといえども、大虚廖郭(たいきょりょうかく)其(その)本体なれば、天地万物を包括す。其大(おおきさ)他なく、其尊(たっとさ)対(ならび)なし。
   
大塩中斎の時、勉強したように「方寸」というのは人の「心臓」あるいは「心」、「大虚」というのは、「天」「宇宙」である。明徳は、宇宙の心であり、聖人の心であり、人の心であり、万物の心であるということである。藤樹の言う「万物一原」論、程明道、王陽明の言う「万物一体」論である。そして、その明徳の大きさや尊さは、宇宙に広がっているので、他に比べるものがないと述べているのである。
宇宙に広がっているということは、この周りの大気の中にも明徳は存在するということでもある。明徳は、近くの本当に掴み易いところに存在しているので、自分の心の中にある明徳と呼応させることができれば、明徳を周りにも発揮させることができるということでもある。また、周りにある明徳を自分の中に取り込んで、自分の明徳をより以上に発揮させることができるということでもある。そして、それは自分も周りも幸せにすることができるし、進化、進展させることができる。
今の国会の予算委員会の与野党の答弁をみていると、明徳の一かけらもみあたらない。先日の与謝野元財務相などの答弁をみていると、他人の兄弟、家族のことにまで立ち入って、それを多くの人の面前で披露し、罵倒するのであるから、政界でも良識人として知られている人のすることかと思う。こういう言葉からは、何も生まれないし、周りの誰も幸せにしない、ただ、自分の満足だけに終わってしまうだけである。明徳ある人間であれば、正々堂々と人間としての道理を話して、周りの理解を促し、あとは周りの人の判断に委ねるであろう。それにしても「政治とカネ」の話はもういい加減にして欲しい。国民は本当にそんなことを望んでいるのであろうか。

 18.本心とは明徳仏性    
 
人間は明徳仏性をもって根本として生まれたる物なれば、誰も此性なきものはなし。この性は、人の根本なるによって、又本心とも名ずけたり。
   
人間の本心は明徳であり、仏性である。明徳、仏性はつまり「良知」でもある。その本心のままに行動することができれば、天地自然の道理とも呼応することができ、悔いのない一生を過ごすことができる。しかし、その本心が、自分の私利私欲や外的な要因に支配されてしまえば、天地自然の道理と離反してしまうので、多くの悔いを残す一生をおくることになるということになろうか。人間の多くが後者の生き方をしているように思える。また、後者のような生き方をしていたことを反省し、前者のような生き方に切り替える、その繰り返しで結局はゼロもしくはマイナスで一生を終える人間が大部分であるようにも思える。事の大小、年齢の長短に関わらず、死して後も後世の人たちにいい影響を与えている人たちは、おそらく、プラスで一生を終えた人であるように思う。これまで、学んだ山田方谷、吉田松陰、西郷南洲、橋本左内、大塩中斎、佐藤一斎、そして、中江藤樹などは、その代表例であるように思う。また、自分たちの身近では、厳しかったが色々なことを教えてくれた祖父や祖母、愛情をいっぱい注いでくれた父や母、いつも喧嘩ばかりしていたが、いざとなったら協力してくれた兄弟、苦しいときに手を差し伸べてくれた友人や先輩、だめな自分を奮い立たせてくれた恩師、死して猶心に残っているこういう人たちもプラスで一生を終えたように思える。人間は、一面からみると、死ぬために生きているということが言えるであろう。どうせなら、悔いを残すことなく、後世にいい影響を残す一生を過ごすことができる方がいいのではあるまいか。そのためにも、ここに述べてある人間の本心である明徳、仏性、良知を発揮させて、毎日毎日を過ごすということが、大切であるように考える。

 19.心のなかの霊宝    
 
金銀珠玉は身外の宝にして、その用通ぜざる所在り。是を以て、その宝たる賎し。道徳仁義は心裏の霊宝にして、その用通ぜざる所無し。故にその宝たるや貴し。
   
金銀珠玉は、自分の資産として持ちたいものであるが、もともと、自分の身に付いているものではないので、自分で制御できるものではない。それがあるが故に身内や仲間の関係を悪くする要因にもなる。道徳仁義は、人間の本心であるので、それは、どのようなことにも通じ、身内や仲間の関係を健全なものにすることができる。だから、心の宝である道徳仁義は尊いのである。
金銀珠玉を求めて、行動する所に争いが起こるのは世の常である。この大は戦争になり、その小は、身内の争いごとになる。そして、その勝者は、財を得ることはできるが、敵を多く作ることになり、また、その財もいつかは、次の勝者へ奪われることになる。このように外にある財、宝は、常に収奪の的になるのである。だから、一定のところに安住することはないのである。(金銀珠玉を持つということに永遠はないのである。)だから、金銀珠玉を持つものは、周りの誠実な者さえも信用しなくなり、その収奪を恐れるが故に孤立し、逆にその人に都合のいいことを言って近ずいて来る者を重要視するようになる。そして、都合のいいことを言って近ずいて来る者には、必ず何かの陰謀、謀略があり、その者を切れないでいると、その金銀珠玉は、その者に乗っ取られることになる。そういう繰り返しが人間の歴史であるように思える。要するに金銀珠玉を持つために、私利私欲に埋もれる者には、必ず、天の鉄槌が降されるということでもある。
それに比べて、心の霊宝である道徳仁義の念を持つということはどうであろうか。道徳仁義はイコール明徳、仏性、良知である。これは人間の本心であるから、人類がこの世に存在する限り、一定のところに安住し、永遠に継続されていくものである。そして、それを持っていれば、金銀珠玉を持っていたとしても、私利私欲がないので、それを世の中にうまく還流させ、それを世界の平和や人類の発展のために役立たせることができるのである。このように心の霊宝は、身外のものにまで通じるのである。つまり、世の中にあるすべてのものに貫通するのである。更に、それは、天地自然の道理と同化するので人間の進化進展を無理なく推し進めていくことにもなる。このように、心の霊宝を持つことの方が、金銀珠玉を持つよりも尊いことであるということを再認識して、生活をするということが現代に生きる我々にとってはとても大切なことであるように思える。

 20.有徳の人    
 
明徳明らかなる時は、宿悪の天刑さへ免れぬれば、まして雷山を摧(くだ)けども、有徳の人をばそこなふこと能(あた)はざること、言ずしてさとるべし。
   
明徳がはっきりと外に表れていれば、宿命的に最悪な天からの刑罰であっても免れることができる。まして、雷が山を打ち砕くようなことがあっても、言わずもがな、明徳明らかな人をそこなうような(命をとるような)刑を天が与えるようなことはない。
ここには呉二の話が述べられている。現世(今この時)に明徳を発揮しているものは、前世がどうであろうが、天から罰を受けることはないということである。今を明徳を発揮して一所懸命生きる人に対して天罰が加わることはないということでもある。しかし、そういう生き方に批判的な人から、孔子がそうであったように、人害や人罰を受けることはあるので注意しなけばならない。
孟子の尽心篇の中に次のような文章がある。「孟子曰く、命にあらざることなきも、その正を順受すべし。是の故に命を知る者は、巌牆(がんしょう)の下に立たず。其の道を尽くして死する者は、正命なり。桎梏(つみうけ)て死する者は正命にあらざるなり。」(孟子がいわれた。「人間、生命の長短については、すべて、天命でないものはない。だから、正しい天命を素直に受ける心構えが必要である。だから天命を心得た人は、危ない岩石や崩れかかった石塀の下などの不慮の禍を招くおそれがあるようなところには立たないものである。人間としての正道を行うために力を尽くして死ぬのは正しい天命なのである(人事を尽くして天命を俟つ)。人間としての正道をないがしろにして、罪を犯して、刑を受けて、刑死するのは正しい天命ではないのである。」)
何回か話はさせていただいているが、これは、「順受の会」の命名に関わる文章である。ここで述べられている「命を知る者」というのは、明徳が明らかな人、有徳の人ということである。明徳が明らかな人は、天命を素直に受ける心構えができているので、正しい天命を全うすることができるので、天罰を受けることはないということである。吉田松陰が言うように、有徳な人物は、短かろうが長かろうか、それぞれの人生の春夏秋冬を全うできるということでもある。我々もこの「順受の会」の名に恥じることのないように、天命を知り、人間としての正道を行うために力を尽くして行きたいものであると思う。

 21.口耳の飾り    
 
経伝はこれ吾人明徳の注解、明徳はこれ経伝の正経なり。この故に、経を窮むるの法、身心を収斂して至徳の大本を立つるを以て主と為す。
   
経伝、つまり四書五経などは、人間にそなわっている明徳についての注解をしてある書である。であるので、この経伝を窮めようと考えるならば、机上の学問に止まらず、日常生活の中に活用して、己の徳を磨く(事上磨錬)ことが根本である。と述べている。つまり、経伝を口耳の飾りにしてはならないということである。
物事を良く知っている人は、その物事を良く実践しているかといえば、そうではない場合が多いのではあるまいか。学問をするということは、机上で知識を得るということに重きがおかれているのが、現代の風潮である。知識として、理解できたことで物事を理解したように思うのは、この情報化社会の中で生きる人間の特性であるようにも思う。要するに、バーチャルな世界の中で得たものは、実践の中で起こる、痛みや悲しみや喜びを体感することができないので、心底、自分の身に付かないのである。だから、現在は、色々な人間性を無視した、人の痛みを感じないような事件が多く起こるのではあるまいか。物事の理解、物事の道理の理解というものは、実践を伴わなければ、本当に理解したことにはならないということである。将に王陽明のいう「知行合一」に他ならない。
私の周りにも、「私は、あの大先生の弟子だ。」という人は多くいるが、ほとんどの人が、弟子であったことを口耳の飾りにしているように思える。また、そういう人は、権威主義の人が多く、不遜で本当に人格の高揚に勉めているのであろうかと疑いたくなる人が多いというのも特徴である。本当に人間としての道理を実践し、人格の高揚に勉めている人は、黙々と自分自身の修行に日々を費やしているので、威張ったり、権威をひけらかしたりはしないものである。

 22.忠信の実践こそ    
 
忠信は自満の心根をたちすてて、誠の道を求め、明徳をあきらかにする工夫なり。
   
真心をもって人に接することと、信実をもって人に答えることは、自分の高慢な心根を切り捨てて、人間としての誠の道を求めるために、明徳を明らかにする方法である。と述べている。
常に真心と信実をもって人に対応することができれば、それは、自分自身の明徳を明らかにするためのひとつの重要な方法であると言っているのである。私も常に真心と信実をもって人に対応していこうと思っているのであるが、なかなかできるものではない。また、人によっては、そういう接し方を「何か、変な思惑があるのではないか。」と勘繰る向きもある。世の中、現在のように不条理なことが多くなればなるほど、色々なことに疑心暗鬼になる傾向が強いということもあるので、そう勘繰る傾向が強いのであろう。また、「大姦は忠に似たり、大詐は信に似たり」(例えば、東条英機首相のように、他の人以上に天皇に対して忠であり、職務上も信であった人が、結果、姦になるということもある。また、自分の上司に忠であり、信であった者が、上司がその地位を去ったと同時に、その上司の批判をして、その上司を蹴落とすというようなことは、実社会の中でもよくあることである。)という言葉があるが、そう疑ってもみたくなるのでもあろう。
また、自分の仕事の中でも、こちらは、物事を成就させるために、忠であり、信である行動をしているのであるが、先方や先方に関わりのある人たちからみると、何か別のことを画策しているのではないかと思われることは多いものである。もちろん、物事を成就させるために、様々な手を打つことは否めないが、それは、ひとつの手段であり、その物事を成就させるための全体ではないのである。元々、敵対したり、不信に思っている人たちからみると、ひとつの手段が全体にみえるのであろう。こういうことは世の中には多く、誤解を解くのに苦労することはよくあることでもある。こういうことを解決するために必要なことは、結局は忠であり、信であることを続けていくことでしかないのである。このように忠であり、信であるということは、大変であり、困難なことであるが、確かにこれをやり続けていくことができれば、明徳が磨かれ、明らかになっていくということは、理解できるように思える。

 23.徳に進むには    
 
明徳を明かにせんと思う気なきものと、明かにする道筋をしらざる人と、此(この)二品は誠に徳に進む事、あたわざる人にて候(そうろう)。

   
自分の内にある明徳を発揮しようと端から思わない人と、明徳を発揮させる方法を知らない人、この両人は、誠実に明徳を発揮させることができない人であるので、結局は不徳に陥ってしまうことになる。
明徳を発揮させるのに必要なことは、ここにも述べてあるが、自らを省みることである。自分に何か問題はないかと常に省察することである。外に問題の原因を求めないことである。王陽明のいうところの「省察克治」である。自分に問題があれば、それを明徳を以て解決、解消していくことである。また、孟子のいう「自ら反して縮(なお)くんば、千万人と雖も吾往(ゆ)かん」、自分から反省して正しければ、相手が何千万人いようと進んでいくという強い意志がなければ、明徳を発揮することはできないということでもある。逆に今の政治家は多くが「自ら反して縮からずんば、褐寛博(かつかんはく)と雖も、吾惴(おそ)れざらんや」(自分から反省して正しいと思えないときは、粗末な着物を着ている卑しい男に対してさえも、びくびく恐れるものである)であるからして、明徳を発揮できないので、なかなか世の中を良い方向へ導いていくことができないのではなかろうか。
また、最近の人たちは、自分に不都合なことや自分に悪いことが起こると、政治や社会、他人のせいにする人が多いように思う。もちろん、そういうことを全面的に否定するものではないが、それを変えよう、解決しようと思っても対象が外にあるので、抜本的な手が尽くせないのが現実である。世の中で起こること、自分の身の回りで起こることは、どんな些細なことでも、自分も関わっているのである。だから、まず、自らを省み、良い方へ自らを変えていくことが必要なのである。自らが変わらなければ、世の中も、身の回りも良い方へ向かってはいかないのである。ただ、ぼんやりと時勢を待っているようでは、いつまで経っても良くはならないのである。「苟(まこと)に日に新たに、日日に新たに、又日に新たなれ」の精神で明徳を発揮していくことこそが、世の中を良い方向へ導いていくのである。岡田先生は、「身学説」の中で「萬化身から生ず」(自分の身の回りに起きる様々な事象は自らが起こしているものである)と述べられている。そして、その解決策として、前にも述べたが「宜しく兀坐して以て、其の身命の根を培う」(兀坐することで、自ら、その身命の根本「明徳、良知、仏性」を培う)ことが重要であると述べられている。自らを省みて、明徳を発揮させる手段として、兀坐は、大変、有効であるように思う。

24.天下の兵乱もまた     
 
人間の万苦は、明徳のくらきよりおこり、天下の兵乱も又、明徳のくらきよりおこれり。
   
人間の諸々の苦労や困難も、世の中の動乱も、すべてが、明徳が発揮されていないことに起因しているものであると述べているのである。
慢心や私利私欲が明徳を曇らせる、暗くさせる原因であるのであるが、それを気付くことなく、自分のやりたい放題のことをやってしまうと、その時は、自分が天下をとったような気分になるものではあるが、最後には、自分に苦労や困難が降りかかってくることになるのである。また、為政者が、自分の私利私欲に任せて、やりたい放題のことをやっていると、やがては、それが、国の混乱や戦乱に繋がっていくことになる。これは、まさしく天地自然の道理であり、人間の道理である。私利私欲を去り、天地自然の道理を存する生き方を実行すれば、明徳が発揮されるということになるのである。
今回のトヨタ自動車の欠陥についての問題も慢心や私利私欲に起因した面が多いのではなかろうかと感じる。もちろん、様々な外的な要因、特にアメリカ側の政治的な意思が働いたのではないかなどのこともいわれてはいるが、そういうことがあるにしろ、問題はトヨタ内部にあったように思う。世界に冠たるトヨタというブランドの安全性や性能に過信したところが、トヨタ内部にあったのではなかろうか。また、GMを抜いて世界一の自動車メーカーになるチャンスを逸しまいと生産力をあげた一企業としての欲が、カンバン方式といわれる世界の企業の手本になった生産活動に無理を生じさせてしまったということがあるようにも思われる(これは豊田章男社長も言っているが)。今回のことでの損失は、様々な訴訟も行われているようで、30億ドルに達するのではなかろうかともいわれている。更に、他の日本の自動車メーカーにも悪い影響を与えることにもなるやもしれない。また、世界の自動車業界全体の今後の品質管理の問題にも大きな影響を与えることにもなるかもしれない。トヨタは、リコールに対応するということは当然として、自社の内部体制の問題点を抽出し、見直し、改善を徹底させる必要があろうし、何よりもこれまでの慢心や私心を取り除き、元来、トヨタ自動車の内部にある明徳を発揮させる必要があるように思われる。企業経営にとっても明徳を発揮させることは重要である。

 25.意を誠にするほかなし    
 
明徳をくらます病症、多端なりといへども、畢竟その病根は意なり。故に明徳を明かにする工夫、意を誠にするの外なし。
   
明徳をくらます病いの原因は、色々あるけれども、突き詰めると、それは意(勝手気ままな心)である。だから、明徳を明らかにするための方法は、意を誠実にするということ以外にないのであると、述べている。
大学にある「誠意」(意を誠実にする)こそが明徳を明らかにするために一番大切なことであるということである。しかし、今の世の中は、この意を誠実にするということ、所謂、「誠意」の意味さえわからない人が多いように思える。
私の仕事関係で、こういうことがあった。あるM&Aの案件で、スポンサーがいるので、その会社で進めていきたいと、ある関係者から話があったので、それで進めることにした。直接、そのスポンサーに会ったりして、話を進めるのだが、肝心なところで、話が詰まらない。その関係者以外に何人か関係している人がいて、話を進めているようである。その関係者と会うときには、すぐにでも買収したいといっているというのであるが、直接、当事者(スポンサー)に会ってみると、まだなにも決めていないという。時間がどんどんたっていくので、そのスポンサーを調査してみることにした。そうしたら、どうもそのスポンサーには、企業を買収するような資金はないということがわかった。それでも、その関係者は、いや、資金は間違いなく持っているという。しかし、話が前になかなか進まないので、打ち切ろうということになった。あとで、話を聞いてみると、その関係者に関係している人たちが、スポンサーになる企業に確実な見込みもないのに、買収資金は自分たちが用意するからと言っていたらしいのである。その関係者は、そういう話から、買収できるものと思い込んで、動いていたのであろう。いや、金のために、そうできると自分を信じ込ませて動いていたように思われる。こういう、嘘か誠かわからない話に巻き込まれると、すぐ、3,4ヶ月は経ってしまう。こういうのを本当の時間の無駄というのであろう。
その関係者が、私欲に走らずに、自分の意念(自分中心の心)を誠実にしていれば、次への展開もあったであろうが、それで話は終わり、二度とその関係者とは、仕事はできないということになった。その後、その関係者を紹介した他の人から、「あの人の話は、肝心なところで駄目になる。信用がおけない。」といわれた。他でも同じようなことをやっているのである。こういう意を誠実にできない人がいるので、充分に気を付けなければならない。意を誠実にできないというのは、詐欺師の始まりかもしれない。

 26.心のなかの如来    
 
あしたゆふべをはかり難き浮世にて御座候へば、心の中の如来を拝したまはん事、何より以て切なる御事に御座候。

   
先のことを図り難い世の中でありますので、自分の心の中にある如来様を常に拝されんことが、何よりも大切なことであると存じますと、中川貞良の母君に書簡を以て、述べているのである。
「心の中の如来」というのは、ここでも述べてあるが明徳であり、仏性であり、良知である。また、心の中にある如来を拝すということは、自分で生きる、現世で生きることの大切さを述べているのである。もっといえば、自分の心の中の如来を拝し、発揮させることができれば、自分のこれからの生き方の指針も示してくれるので、生き生きとした人生を過ごすことができるので後生のことなど考える必要もないし、その生きた結果が後生の良し、悪しに繋がるのであるということである。伝習録・下巻の中に良知について、次のように王陽明が述べているところがある。
「先生曰く、這(こ)の些子(さし)、看得て透徹せば、随他(たとい)千言万語するも、前に到れば便ち明らかなり。合し得る的(もの)、便ち是なり。合し得ざる的、便ち非なり。仏家の心印を説くが如く相似たり。真に是れ箇(こ)の試金石・指南針なりと。」(先生がいわれた「良知が本来完全であることさえすっかり理解できたならば、何をどうまくし立てられようと、良知を致せば(発揮させれば)、その物事が、正しいのか、正しくないのか、真なのか、偽りなのかがはっきりとわかる。良知に合致したものが正しいものだし、合致しないものは正しくないものだ。仏教徒が言う“自分の心が仏の心と合致する“ということと同様のことである。これこそが、試金石であり、指南針である。」と)つまり、良知を致す、明徳を明らかにするということで、仏の心とも合致することができるということである。また、今、様々起きている問題を憂いて、将来や後生を憂うるよりも、自分の持っている明徳、良知を発揮させて、現世に貢献することのほうが大切であるということでもある。

 27.わがこころの月    
 
いかで我こころの月をあらはしてやみにまどへる人をてらさむ。
   
和歌である。自分の持てる心の内にある明徳を発揮させることにより、色々と迷い、惑える人たちを救っていきたいというような藤樹の心境であろうか。
藤樹の思想の原点は、人間が誰でも持っている明徳仏性、良知を発揮させることができれば、世の中にある様々な問題を克服することができるということに帰するように思われる。四書に始まり、朱子学に傾倒し、五経に触れ、易学を勉強し、陽明学と出会い完成させていった自分の思想哲学は、終局、このことに尽きるのである。藤樹は晩年はこのことを世の中の人々に伝えることに力を尽くしている。様々な学問を通じて、行き着いた結果は、非常にシンプルな(簡素な)ことであったのである。そういうことについて王陽明は「伝習録」下巻の中で次のように述べている。
「先生、陸元静に語りて曰く、元静は少年なるに、亦た五経を解せんと要するも、志も亦た博を好めり。但だ聖人の人を教うるや、只だ人の簡易ならざるを怕(おそ)るるのみ。他(かれ)の説きし的(もの)は皆な是れ簡易の規なり。今人の博を好むの心以てこれを観れば、却って聖人の人に教えるは差(たが)えるに似たりと。」(先生は陸元静に告げていわれた「元静は年若いのに五経を理解しようとしているが、その動機は博学になりたいからであろう。けれども、聖人が人に物事を教えようとするときは、教えたことが難しく、煩瑣で、簡単に実行できないのではないかと心配された。だから、聖人が人に説いた教えは、すべてが簡易で実行されやすいものなのである。それを今時の人は、博学になりたいという動機でみるものであるから、聖人の教えたことがまるで間違ってでもいるように思われるのである。」と)聖人の教えは元々簡易で実行しやすいものである。それをわざわざ複雑に考えて、論議に論議を重ねるようなことをするから本質がわからなくなると述べているのである。藤樹の思想哲学の行き着いたところも、簡易で実行しやすいことであったのである。

 28.万民みな天地の子    
 
孝は惟天地万物の父母、惟人は万物の霊、万民皆天地の子にして、我も人も、人間の形あるほどの物、咸(ことごと)く兄弟なり。

   
孝という徳は、天地万物を生成する父母である。その孝の徳を得ている人間は「万物の霊」である。つまり、すべての人間は天地の子なのである。だから、自分も人も、人間として形あるものはすべてが兄弟であると述べている。
藤樹は、儒学を学んでいく過程で儒教の経典「詩経」及び「書経」に述べられている「皇は大なり、上帝は天なり」というところから、宇宙の主宰者であり、天地万物の父母であるとして「皇上帝」を至上最高の神としている。そして、その皇上帝は心と身体を分かち与えて万物を生み出したとしている。だから、人間は皆、この皇上帝の子孫であるので、人間は皆、同胞であり、兄弟であるとしているのである。そして、この皇上帝を古代中国の天地の根本、万物の根源である「太乙」(たいいつ・宇宙の本体でもあるとしている)と同等のものであるとして、太乙神信仰へと発展させていくのである。そして、藤樹は、親に孝を尽くすように、報いを求めずに、人間の父母である太乙神に礼を尽くすのは当然のことであり、孝心があれば、古今の事例からしても必ず良い報いがあるということは明らかであるとしているのである。つまり、藤樹は孝という徳は、天地万物の最高神である太乙神と同化するものであると考えたのであろう。だから、おそらく、ここで述べている孝は、天地万物の根源であるともしているのであるように思える。更に、この解説にも書いてあるように、同じ根源から生成された人間同士でことさら、いがみ合ったり、尊んだり、みくびったりするような道理はなにもない、人間は本来平等なのであると藤樹は、言いたいのであるように思える。

 29.人間に差別なし    
 
天子・諸侯・卿大夫(けいたいふ)・士・庶人、五等の位、尊卑大小、差別ありといへども、その身に於ては毫髪(ごうはつ)も差別なし。

   
天子、諸侯、卿大夫、士、庶人(日本においては、将軍、藩主、家老、家臣、農工商など)の五つの身分制度があり、その身分に応じて尊卑があり、差別があるが、皆同様に明徳を持っているという、人間としての本質からみれば、髪の毛一本ほどの違いもないものであると述べている。
藤樹は初学の頃より、大学にある「天子より以て庶民に至るまで、壱に是れ皆身を脩むるを以て本と為す」ということから、学べば誰でも聖人になれるのだという理解をしており、更に、誰にも聖人になれる要素があり、それは、明徳であり、良知であるということに、学問を深化させていく中で確信を得ているので、人間の本質から観れば、身分の差異などというのは取るに足らないものであると認識していたのであると考える。身分制度の厳しかった江戸時代にあって、初期とはいえ、こういう平等観を以て、外へも発信している人物は、この頃、藤樹以外にはいなかったのではなかろうか。こういう、学問に取り組む姿勢が、身分の垣根を越えて、藤樹の思想を浸透させ、「近江聖人」と呼ばれるようになったのであろうと考える。
王陽明も「抜本塞源論」(伝習録・中巻)の中で、「夫(そ)れ、聖人の心は、天地萬物を以て一體(いったい)と爲す。其の、天下の人の視ること、外内遠近と無く、凡そ血気あるものは、皆其の昆弟赤子の親のごとく、安全して之を教養し、以て其の萬物一體の念を遂げんと欲せざるは莫し。天下の人の心も、其の始めは、亦聖人に異なること有るに非ざるなり。」と述べている。聖人の心は、万物に対して、偏り無く、親が子供や赤ちゃんに接するように、安心安全に暮らせるように教え養い導くものである。また、一般の人々もその聖人の心と異なることはないと述べているのである。これを「万物一体の仁」という。また、この「万物一体の仁」を実践するための節目として五教(五倫)、つまり、「父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信」をあげているのである。そして、古代では、これをなんなく実践できる人を聖人といい、学んで実践できる人を賢人といい、頭は良くてもこれを実践できない人は不肖としたのであると述べている。更に古代では、この徳目を実行することを学問の基礎として、しっかりと身に付けさせ、そういう中から、それぞれの人々の才能を発揮させるために、その人々の才能にあった教育をして、その才能を開花させたと述べている。藤樹もおそらくこういう学問を目指していたのではあるまいかと考える。今の教育には、いつも申し上げているが、この徳目を実行する、人間にとっての基礎として一番大切な教育がないのである。

 30.君子と小人の違い    
 
君子・小人の分、専ら心上にあり、意必固我なければ即君子なり。意必固我あれば即小人なり。

   
君子であるか、小人であるかの分れは、専ら、その人の心の中にあるものである。意(勝手気ままな心)、必(強引な行動)、固(固執、執着、頑固さ)、我(我を張ること)がなければ、それは君子と言える。意必固我があれば、それは小人である。

この言葉は、ここにも述べられているように「意必固我」は「論語・巻第五・子罕第九」にある「子四を絶つ。意母(な)く、必母く、固母く、我母し。」(先生は四つのことを絶たれた。勝手気ままな心を持たず、無理押しをせず、執着をせず、我を張らない。)からの引用である。この言葉については、今までもこの勉強会の中で何回も出てきている。勝手気ままな心を持つことがなければ、当然、無理押しをすることもないであろうし、物事に執着することもないであろうし、我を張るようなこともない。つまり、意を誠にすれば、必も固も我もなくなるということでもある。この本の25のところで「意を誠にする」ことについて藤樹は述べているが、意とは私意であり、私利私欲であるとしている。そして、これを誠にしなければ、明徳を発揮することができないとも述べている。
今の政治を見れば、政局というのは、まさしくこの私意がはたらく場であるように思う。自分の党派のために、あるいは、自分のために、様々な手練手管を使って、私意を通そうとする。そういうことで本来の政治というものができるのであろうか。それでは、自分たちの私意が通れば、世の中のために得になるということよりも、自分たちにとって得になるという私利私欲がはたらいているので、ここでいう君子の政治を実行することができないということになる。そして、君子の政治ができないままに、また、政局にはしり、本来の政治というものができなくなるという悪循環を繰り返すことになるのではなかろうか。このままだと、政権がどう変わろうと、政治については三流国という汚名はなかなか晴らすことができないのではあるまいか。だから、汚名を晴らすためにも、日本の政治家には、政局に捉われずに、「意母く、必母く、固母く、我母し。」という心構えをもって、明徳を発揮させて、世の中のためになる政策を実行していってもらいたいものであると考える。

 31.安楽こそ心の本体    
 
元来吾人の心の本体は、安楽なるものなり。其証拠は、孩提(がいてい)より五、六歳までの心を以て見るべし。世俗も幼童の苦悩なきを見ては、仏なりといへり。
   
元より人間の心の本体は、安楽なるもの(明徳、良知)である。その証拠はといえば、乳飲み子のころより、5,6歳くらいまでの幼い子供の心を見てみるが良い。世の中の人たちも幼い子供たちの苦悩のない純粋な心をみれば、まるで仏様みたいであるといっている。

例えば、赤ちゃんの顔を見ると、その天使のような笑い顔や寝顔に何かほっとするような気持ちになる。それは、赤ちゃんそのものが心の本体を現わしているからであり、赤ちゃんそのものが明徳であり、良知であるからであろう。また、大人でも、その人に会うとほっとするという人はいるが、そういう人は、おそらく、明徳や良知が発揮されている人であるように思う。
これまでにも何回か話したことはあると思うが、ドイツの童話作家ミュハエル・エンデの作品の中に「モモ」という物語がある。古いコロシアムの中に「モモ」という小さな子供が暮らしている。大人たちは、仕事に疲れ、社会の喧騒に疲れして、一時の安楽を求めて、このコロシアムにやってきては、「モモ」と会話をすることによって、ほっとして、リフレッシュして帰っていく。そういう、大人たちをほっとさせ、リフレッシュさせる力を「モモ」は持っているのである。しかし、「モモ」は何を言うわけでもなく、ただ、大人の話をじっと聞いてあげるだけである。「モモ」という存在そのものが、大人たちにとっては、自分をなごませてくれるのである。つまり、「モモ」は人間の心の本体であり、「内なる神」なのであろう。更にいえば、「モモ」自体が明徳であり、良知なのである。
そういえば、人間もベラベラ自分の主張をする人よりも、話をよく聞いてくれる人のところへ集まるように思える。人の話を聞くということほど忍耐力のいることはない。しかし、話を聞いてくれる人がいれば、思っていることを吐き出すことにより、安心感を得ることができるのである。人間にとって、必要なことは「話す力」以上に「聞く力」であるように思える。

 32.飲食の過不及    
 
人の元気、飲食の過ぐると及ばざるとに因(よ)って、或は滞積し、或は耗散(こうさん)し、百病これより作(な)す。徳もまた、これに因って?賊(しょうぞく)す。

   
人間の元気(健全な身体)は、飲食が過ぎたり、足らなかったりすることによって、滞積したり、耗散したりして、気を衰弱させ、気を散らさせ、あらゆる病気を作る原因となる。また、そうなると、人間に備わっている徳さへも歪めてしまうことになる。

「健全な身体に、健全な精神は宿る」ということである。このことは、この解説のところで述べてあるが、「論語」の郷党篇にある文章の解説である。
「食(いい)は精(しらげ)を厭わず、膾(なます)は細きを厭わず。食の饐(い)して?(あい)せると魚の餒(あさ)れて肉の敗れたるは食らわず。色の悪しきは食らわず。臭の悪しきは食らわず。?(にる)を失えるは食らわず。時ならざるは食らわず。割(きりめ)正しからざれば食らわず。其の醤を得ざれば食らわず。肉は多しと雖ども食(し)の気に勝たしめず。唯だ酒は量なく、乱に及ばず。沽(か)う酒と市(か)う脯(ほじし)は食らわず。薑(はじかみ)を撤(す)てずして食らう、多くは食らわず。公に祭れば肉を宿(よべ)にせず。祭りの肉は三日を出ださず。三日を出ずればこれを食らわず。食らうには語らず、寝(い)ぬるには言わず。疏食(そし)と菜羹(さいこう)と瓜と雖ども、祭れば必らず斉如たり。」(飯はいくら白くても宜しく、膾はいくら細かくても宜しい。飯がすえて、味変わりし、魚がくさり、肉がくされば食べない。色が悪くなったものも食べず、臭いの悪くなったものも食べず、煮かたのよくないものも食べず、季節はずれのものも食べず、切り方の正しくないものも食べず、適当なつけ汁がなければ食べない。肉は多くても主食の飯より越えないようにし、酒については決まった量はないが、乱れるところまではいかない。買った酒や売り物の干肉は食べず、生姜{ハジカミ}は捨てずに食べるが多くは食べない。主君の祭りを助けたときは、頂き物の肉は宵越しにはせず、我が家の祭りの肉は三日を越えないようにして、三日を越えたらそれを食べない。食べるときはおしゃべりをせず、寝るときもしゃべらない。粗末な飯や野菜の汁や瓜のようなものでも初取りのお祭り{食物や料理を考えついた古人に感謝の意を捧げること}をするときは、敬虔な態度で行うものである。)と郷党篇には述べられている。要するに、新鮮で時節に適ったものをバランスよく食べなければならないと述べているのである。そうして、健康な身体ができれば、それに準じて、内にある徳もゆがむことなく、まっすぐに、健全になるということである。食というものは、人間にとって、非常に大切なものであるということを改めて考えさせられる。

 33.凡夫の願いとは    
 
凡夫、一生願い求むること、高位・高官・利禄より甚しきはなし。

   
凡人が一生願い求めるものは、高位に就くことであり、高官になることであり、それによって得られる、高給や財産を手に入れることが最たるものである。

現代の若者たちの意識はずいぶんと変わってきているようであるが、いつの世も社会的に高い地位につきたい、お金持ちになりたいというのは凡人の願いであろう。そして、それを得るために、一目散に駆け上がっていくと、必ず周りと歪を起こすものである。また、その地位や財産を得るために謀略を尽くすことにもなり、周りにいる多くの人を傷つけてしまうものでもある。そうして、得たものが果たしてどれほどの価値があるものか、高位や財産は得ても人間としての価値は最低であるように思える。もちろん、人間の道理に基ずきながら生きて得た、高位や財産ならば、それは必然であり、人間としての価値を高め、世の中の人々にも多くの恩恵を与えることになるであろう。渋沢栄一は「論語と算盤」の巻頭のところで「その富をなす根源は何かといえば、仁義道徳。正しい道理の富でなければ、その富は永続することができぬ。ここにおいて論語と算盤というかけ離れたものを一致せしめることが、今日の緊要の務めと自分は考えているのである。」と述べている。正しい道理の富でなければ、その富は永続することができないということは、人間の道理に反して、周りに迷惑をかけたり、傍若無人に振舞って得た富は、そう時間がたたないうちに消えてしまうということでもある。渋沢栄一はその理念を以て、多くの現代にも残っている企業を興したのである。

 34.満心は切磋の益なし    
 
満心あるときは、聖人に親炙(しんしゃ)すといふも、心上切磋の益は毛頭なくして、日に満心・勝心の病を益して、陰を素(もと)め怪を行ふ罪人に落在す。

   
満心におおわれていると、聖人に親しく接していても、本心から切磋琢磨しようというところに至らず、益々、満心、勝心して、世の中を欺いて、はっきりしないことを無理やり探り出したり、奇怪なことを行ったりして、虚名を張り、結局は罪人に陥るものである。

人間、自分の思い通りにことが進むと、それが当たり前のように思い込み、満心を増していくようになる。そうなると、人のいうことを聞かなくなり、自分勝手な振る舞いをするようになる。そして、自分に都合のいいことをいう人間を近くに集めて、諫言をするものを遠ざけてしまう。そうすると、世の中の実情や道理が見えなくなり、当然のことながら、様々な物事への対応が遅れて、気付いたときには、そこまで破滅がやってきている。その現実を覆い隠すために、様々な謀略に手を尽くすが、結局は破滅し、そのことが原因で罪人となってしまう。こういうことは、最近でもよくあることである。また、我々も充分に注意しなければならないことでもある。この解説の中にも述べてあるが、その満心を避けるための心構えとして、「中庸」の中に孔子の言葉がある。
弟子の子路の強さについての質問に対する答えとして、本当の強さというものは@もの柔らかく人々と和合しながら、節度を曲げて人に流されることはない、A中正の立場に立って、少しも偏らない、B国中に道徳が行われて、その身が栄達したときでも平生の節操を変えることがない、C国中に道徳が行われていないときでも死ぬまでその心構えを改めないと述べた上で「隠れたるを索(もと)め怪しきを行うは、後世に述ぶること有らんも、吾れはこれを為さず。君子は道に遵いて行う。半途にして廃するも、吾れ已むこと能(あた)わず。君子は中庸に依る。世を遯(のがれ)て知られざるも悔いざるは、唯だ聖者のみこれを能(よ)くす」と。(わかりにくい、はっきりしないことを無理やり探り出したり、風変わりな奇怪なことを行ったりすると、人の注目を集めて、後世にそれを誉めて受け継ぐものも出るであろう。だが、私はそういうことはしない。君子は道を基準として行動するものだ。たとえ、途中で挫折することがあるとしても、わたしには、道を守るのをやめることはできない。君子は中庸に寄り添ってゆくのである。世間に背を向けて隠遁し、誰にも知られずに終わっても悔いることがないというのは、これは唯、特別の聖者だけにできることだ。これも私の望むところではない。)と述べている。中庸を実践していくことこそが、満心を避ける要点であるということである。

 35.自反慎独の聖薬    
 
自反慎独は、通じて万病を治すの聖薬にして、換骨頤神(かんこついしん)の良能有り。

   
自分の中に原因があると省みて改めることや人が見ていようがいまいが、自分の行いを慎むことは、万病を治すことのできる聖薬であるので、病の根本を治す効能がある。

ここの解説にも述べてあるが、自反慎独には、人間の本性に直接作用して、万病を治す良知に致るという効能があるということである。自反や慎独はイコール「致良知」であるということでもある。
人間の身体の病というものは、確かに、人間の心に起因するものが多いように思える。私もしばらく「通風」で大変な目にあっていたが、その原因を究明すれば、もちろん、高蛋白質、高カロリーの食べ物の過剰摂取ということになるのであるが、それは、自分の好きな美味しいものを食べ、酒をたっぷり飲みたいという、私欲から発しているものである(こういう食生活は身心共にバランス崩すもとである)。自反慎独が常時できていれば、昨日はこういうものを食べたので、今日は、こういうものを食べたほうがいいとか、昨日は飲みすぎたので、今日は飲むのはやめようとか、ひかえようとかとかの制御がきいて、おそらく、「通風」などにはなっていないはずである。
また、ストレスがたまりやすい環境の中で仕事をしていると、食事をとる時間がまちまちになったり、あるいは、食事をとる時間を逸したり、逆に過食気味になったり、偏ったりということになりがちである。つまり、時間に制せられているので、自反や慎独の時間さえもなくしてしまうのである。そして、それは、人間の心に浸透し、心のバランスを崩してしまうことになり、ひいては病気に繋がっていく。このように、心の病が身体の病に繋がるということは推して知るべしである。これからの高齢者社会ということを考えれば、健康で働き続けられる高齢者を援助するためにも、「予防医学」としての「心の療法」も必要であるように思える。その要点はここでいう自反慎独ということになろうか。

 36.心に生死(しょうじ)なし    
 
肉身には生死ありといへども、心には生死なきによって、今生の心すなはち後生の心なり。

   
肉体には生死があって、必ず亡びるときがくる。しかし、心には生死がないのでそれは永遠である。だから、今生の心は後生の心に繋がっているのである。

心は永遠であるので、今の心根を良くするということが大切で、それが来世へも繋がるのであるということである。心は永遠であるということについては、これまで、この「順受の会」で学んできた偉人たちの心が、精神が未だに我々に大きな影響を与えており、後世の人たちにも影響を与え続けていくであろうということを考えれば、将にその通りであるように思う。
吉田松陰は「留魂録」の巻頭で「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留置かまし大和魂」という和歌を書いている。安政の大獄で捕らえられた松陰は、死というものに直面した自分の心の動きを臆面もなく、この「留魂録」の中で述べている。それは、後に残された弟子たちにも切実なものとして伝わったであろう。松陰の心がそのまま、弟子たちに伝わり、それが、新しい日本という国家を構築する上で大きな影響を与えたことは疑いもないことであり、それは現在でも、多くの人に影響を与え続けているのでもある。また、肉体の死に関して松陰は「今日死を決するの安心は四時の循環に於て得る所あり。」として、長かろうが短かろうがその人には、その人なりの寿命があり、それぞれが人生の春夏秋冬を経て尽きるものであるとしている。そして、更に「若し同志の士其の微衷を憐み継紹(けいしょう)の人あらば、乃(すなわ)ち後来の種子未だ絶えず、自ら禾稼(かか)の有年に恥ざるなり。同志其れ是れを考思せよ。」と述べて、同志の中に自分の真心を受け継いでやってくれるならば、種子が絶えずに、穀物が年々実っていくようにしてもらいたいとしている。将に肉体は亡んでも、心は生きているのであるから、この心を受け継いで発展させて欲しいと言っているのである。確かにそういう松陰の大和魂は現在にも留め置かれている。
もちろん、中江藤樹の心もこうして学んでいる多くの人間がいるのであるから、継続して伝えられているのである。また、何千年も前にできた経書も聖人の心として伝えられているのであるから、確かに、肉体は亡んでも、心は永続しており、永遠である。

 37.まことの楽しみ    
 
人間は義理をもて命の根とし、福(さいわ)ひの種とし、一生の楽みとするものなれば、まずしくいやしきことは恥るところにあらず、くるしぶところにあらず。

   
人間は義理を以て、命の根本とし、幸福の種とし、一生の楽しみとするものであるので、貧しかったり、賎しかったりすることを恥じることはない。また、苦しむことでもない。

ここにも述べてあるが、藤樹は、遠く離れた母親に孝行を尽くすという義理のために、安定した武士の生活を捨てて、どうなるかわからない浪人生活を選んだのである。藤樹にとっては、安定した生活よりも母親への孝行の方が重要であり、そういう義理を果たさなければ、聖人への道を進むことができないと思い、決断をしたのである。
私自身のことを振り返れば、20代後半のころ、母が癌を再発し、余命6ヶ月を宣告されたときに、それまでの東京での仕事を一切やめ、母の看病のために、鹿児島に帰郷したことがあった。それは、藤樹のように崇高なものではないが、また、母が大変になってからの決断でもあったが、藤樹の思いとおそらく近かったのではなかろうかと思う。母のこれまでの自分に対する恩義に対して、それまで何もすることができなかった自分の義理を果たさんがために、帰郷し、亡くなるまで看病した。最期の一瞬まで一緒であったことで、悔いは残らなかったのを覚えている。今は、逆に父に後添えはいるとはいえ、年老いた父と遠く離れて生活しているので、立派なことをいえた義理ではないが、その時は、少し、親に対して義理を果たせたように思った。
貧賤であろうが、苦しかろうが、義理を果たすということが人間として天命であるということは、こういう変革の時代にあって、様々なことを決断する場合に必要になってくるように思う。義理を果たすために、努力を積み重ねていれば、たとえ、そのことが成就しなくても、その姿勢に対する世間の評価は高いものになるように思われる。鳩山首相もオウム返しのように義理がみえない発言ばかりしないで、国民への義理を果たすためにどうすれば良いかということに視点を置いて、努力を積み重ね、真剣にそのことを実行していく姿勢を示すことが大切であるように思う。

 38.神明も変えられず    
 
それ人の死期は、生をうくる初にさだまりて、天地神明もみだりに変じ給ふ事あたはず。まして人力をや。

   
人の死ぬ時期というものは、この世に生まれたときに定まっているので、神明でさえも容易に変えることはできない。まして、人の力をもって、変えることは容易にできるものではない。

藤樹は持病を持っていたわけであるが、その持病との闘病生活の中で、ひしひしと、そう感じたのであろう。しかし、ここでも述べられているが、呉二の話のような篤孝をすれば、宿命も変えられる(20・有徳の人)というようなことも述べているのであるから、藤樹自身必ずしも運命論者的なことはない。この文面から、私なりに解釈すれば、運命はなかなか変えられないものであるが、神明と人間の徳行が一致したときには、変えられることがあるといっているようにも思える。
何回かこれまでお話をさせていただいているが、中国の明の時代の儒学者(陽明学者)の袁了凡の著作による「陰隲録」(いんしつろく)には、運命は変えられるということが述べられている。ある人が、禅の修業に行ったときに、悟りを開いているようなその人にそこの禅僧が「あなたのその悟りの境地は何か」と聞いた。その人は「実は幼い頃、高名な運命学者に、あなたはこの年にはこうなり、こういう生涯を送って、この歳に死ぬということを言われて、生活をしてきたが、果たしてその通りになり、こうして生きているので、先のことがほとんど読めるので、後悔や先憂がないのです。」と答えた。それを聞いたその禅僧が「何だそういうことであったのか、だから悟っているのか、でもそれは本当の悟りではない、自分の人生は自分で切り開いていくときに得るものが本当の悟りだ。」というのでその人は「では運命は変えられるのか。」と聞くと、「もちろん、変えられる。」といって、徳行や善行を示して、「これを実行し、徳行や善行がここまで達すれば運命は変わる。」といった。その人は自分が本来成りたかったもの、生きたかった生涯に進路を定め、徳行善行を実行していき、目標に達したときに確かに人生は変わっていたという、概略そういう話である。このことを「立命」命を立てるという。この内容については、本が出版されているのでご覧になられるといいと思う。要するに、徳行や善行を積み重ねていけば、運命は変えられるということと、運命は自分自身で切り開いていくものであるということである。

 39.父母の恩徳    
 
父母のおんとくはてんよりもたかく、海よりもふかし。あまりに広大無類の恩なるゆへに、ほんしんのくらき凡夫は、むくゐんことをわすれ、かへつて恩ありとも、おんなし共、おもはざるとみえたり。

   
父母の恩徳は天よりも高く、海よりも深い。あまりにも広大で無類、無辺であるので、不徳の人は、そのはかり知れない恩徳がわからず、それに報いることも忘れ、恩があるとも恩がないとも考えず、自分ひとりで生きてきたように思っている。

現代の人間にとって、一番足りないのは何かと考えると「感謝の気持ち」であるように思える。今、ここにこうして、自分という存在があるのは、また、こうして生かされているのは、天地自然の理から受ける多くのもの(例えば、空気がなければ生きられない、太陽がなければ生きられない、食べ物がなければ生きられない等)と、父母の無償の愛であり、兄弟の慈しみであり、恩師や友人の励ましである。これを当たり前のように受けているので、特別なものとして感謝しないのである。沢尻エリカではないが「別に・・・・」である。そうすると、自分というものを他から切り離してしまい、孤立してしまう。(私もそうであるが、人間色々な状況の中で孤立したり、孤独になったりすると、あいつは何を考えているのか、自分はこれだけ親身にやっているのに何故わからないのかとか、このままで本当に大丈夫なのだろうかとか、余計なことを考えすぎて、益々、マイナス思考に陥ってしまうことが多いのではなかろうか。)人間は元来、ひとりでは生きていけないのであるから、孤独に耐えられなくなれば、孤立して引きこもったり、自分で自分の命を絶とうとしたり、自分に都合よく付き合ってくれる人に対して信頼をおくようになる。これが、現代病の始まりであるように思われる。それは、そのまま、家庭内暴力を起こしたり、周りを巻き込んでの殺傷事件を起こしたり、自殺を促進させたり、親子兄弟関係にひびが入ったり、騙されてよくない道へ進んだりという結果を生むことになる。これはすべてが周りから施されている恩恵や恩徳に対して「感謝の気持ち」を持たないことから起こることである。自分自身の生涯を省みて、様々な自分が受けた恩恵や恩徳に対して「感謝の気持ち」を持つことができれば、孤立からは開放されることになり、周りとの円滑な人間関係が進むようになるように思われる。それに伴って生きる喜びを得ることにもなる。そのためには「お蔭様で」とか「有難うございます」という言葉を表に出して伝えることであるように思う。特に父母に対する感謝の気持ちは忘れてはならないものである。父の日や母の日に「お蔭様でこれまでになれました。」とか、「ここまで、見守ってくれてありがとうございます。」とか、声に出してみるのもいいのではあるまいか。

 40.あるがままの世の中    
 
衣食もてあそびものは、多きも実はその子に益なし、すくなきも実はその子に損なし。あるにまかする世中なり。

   
衣食や遊興が多くて裕福な家でも、そこの子が得するとはかぎらない。また、裕福でない家だから、そこの子が損をするとはかぎらない。要は、天地自然の道理に即して生きているかどうかである。

その人に天地自然の道理(人間の道理)に即して生きることのできる福徳があれば、親の財産があろうがなかろうが繁栄することは間違いないということである。
しかし、現実は親に財産があれば、多くは、その子は、福徳を醸成することに努めずにあるいは、福徳の何たるかも知らないままに、大抵の場合、親の財産を食いつぶしてしまうということになるように思う。だから、財産があれば、あるほど親はその子に福徳を積むための修行をさせるべきであるように思う。また、そういうことをちゃんとやっている家庭や企業は、それを継いだ子が、それまで以上に繁栄させているように思う。そして、その子からまた次の子へと(あるいは途中他人が介在しても)それを繋ぐことができれば、その家庭や企業はそれが継続されている限り繁栄することになるのではなかろうか。一番大切なことは、天地自然の道理つまり人間の道理を習得させるための勉強をさせ、修行をさせるということである。それは、そのまま、この「順受の会」で学んでいるようなことを勉強させ、実生活の中で実践させるということである。そういうことから考えると2代目、3代目が多い政界でなかなか国を繁栄に導く政治が行えないのは、こういう勉強や実践を怠ってきた結果ではないかと感じるのである。最近は、世襲に関係のない政治家も増えてきたので、遅きに期するかもしれないが、尚更、こういう勉強をして、それを実践するための教育機関が必要なように思える。もちろん、実業界についても同様であり、それを実行するためには、江戸時代にどんなところにも多くの寺子屋があったように、多くの寺子屋をいたるところに作る必要があるのではあるまいか。皆さんも近くの子供たちを集めて、寺子屋を作ってみるということは如何であろうか。

 41.咎はわが心に    
 
外物にひかるれども、咎は我心にありて、外物に咎は御座無く候。

   
何か問題が起こると、その咎の原因を外に求めようとするが、その咎の原因は自分の心の中にあるのであって、決して、咎は外にあるものではないのである。

物事がうまく進まない原因を他人や世の中のせいにすることはよくあることである。でも、それを他のせいにしているだけでは、根本的な問題の解決にはならないのも現実である。つまり、物事の問題の解決を図るのは、結果、自分自身しかいないということである。自分が主体的に動かなければ、何事も前進していかないということでもある。
普段の仕事の中でもなかなかうまくいかないことは多い。自分はこれだけ努力しているのにどうして、うまく事が運ばないのだろうと思うことは日常茶飯事であるといっても過言ではない。そういうときには、よく外的要因を分析して、こういう状況だから、うまくいかないのであるなどと勝手に自分で結論付けて、自分の正当性を主張する面々も多い。しかし、そういうことをしても、何の根本的な解決にもならないのである。そうなったときは、まず、その仕事について努力してきた自分の行動を省みることである。自分のこれまでの行動の中に何かその仕事を進めるのに障害はないかを思い返してみることである。その仕事の量や質に自分が答えられるものであるか。その仕事を完遂させるための準備は充分にされているか。仕事を完遂させるためのリーダーシップは発揮されているか。仕事を完遂させるためのチームに適切な人材配置をしているか。明確な目標を持って仕事を推進しているか。何よりも自分がその仕事に対して、真剣に取り組んでいるか。など、もう一度改めて確認してみることである。このように自分を主体として、その原因を究明していくと必ず、その問題点は抽出されてくるように思う。外的な要因に問題点を追求しても、外のことであるから、自分のことのように解決することができない。むしろ、周りに振り回されて、益々、問題を大きくしてしまうことになりかねない。鳩山首相も我が心に咎があると思って、自反慎独して、政治を主導していくことが大切である。

 42.柳はみどり    
 
好悪(よしあし)の色に心をとどめねば柳はみどり花は紅。

   
和歌である。自分の好き嫌いの感情に心を止めることがなければ、柳はみどり、花は紅というように、周りにあるすべての物が、本来の自然の姿として見えてくる。

ここの解説にも述べてあるが、人間、私意に陥ると周りのものが見えなくなるということである。だから、意(私意)を誠実にするということが必要になるのである。大学の中には「誠意」について次のように述べてある。「所謂その意を誠にすとは、自ら欺く母(な)きなり。悪臭を悪(にく)むが如く、好色を好むが如くする、此れ自ら謙(こころよく)すと謂う。故に君子は必ずその独を慎しむなり。」(自分の意念を誠実にするというのは、自分で自分をごまかさないことである。例えば誰もが臭いにおいを嫌うように悪いことはすなおに悪いとして追放して、美しい色を愛するように善いことはすなおに善いこととして追求するのである。そのようにすることが、自分自身の心を満ち足りたものとすることになる。そこで君子は必ず自分自身の意念を慎んで修めるのである。)と。また、意を誠実にできなければ、心も正しくすることができない。そのことを大学の中の「正心」の中で「心焉(ここ)に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず、此れを、身を修むるはその心を正すに在り、という。」(心が正常にしっかりと落ち着いていないと、何かを視てもはっきりと見えず、何かを聴いてもはっきりとは聞こえず、何かを食べてもその味がわからない。これでは身の修めようがないわけである。わが身をよく修めるには、まず自分の心を正すことだ。というのはこのことである。)と述べているのである。つまり、私意が誠実でなければ、心が正しくならないので、私意に捉われることになり、周りのものがはっきりと見えなくなるということである。また、悪いものは悪い、善いものは善いというように、自分をごまかさないで何事にも対応することで、自分の心を満ち足りたものにすることができるので、世の中をはっきりと公正にみることができるようになるということでもある。心が何の翳りもなく、曇りもなく満ち足りている状態にするためには、これまでも何回となく藤樹が述べているが、「明徳を明らかにする」ことであり、「良知に致る」ことである。

 43.福善禍淫の法則    
 
天道は善に福(さいわい)し悪に禍すること、猶水のうるをへるに順ひ、火のかはけるにつくがごとし。

   
純粋至善の天道は、善行には幸いを与え、悪行には禍を与える。これは、水が多くなるにしたがい、火が消されていくようなことである。

天道が善行には幸いを施し、悪行には禍を施すのは、天地自然の道理であるということである。善行とか、悪行とか区別するが、何が善行で、何が悪行なのかわからないことが多く存在するのが現在であるように思う。例えば、Aという国とBという国が、戦争状態に陥ったとしよう。Aという国は、自国の正当性を主張して、自国の行動を善と考えている。Bという国も自国の行動が善であると考えている。しかし、A国から見るとB国は悪であり、B国から見るとA国は悪である。このように、それぞれの国の立場から見ると、善悪が全く反対なのである。これが、戦争や闘争の特徴であり、そのまま進むと泥沼状態になり、なかなか終結がはかれないということになる。このように、表から見ると、どちらが善で、どちらが悪なのかは、はっきりわからない。それでは、どうすればどうすればいいのか。本当の善悪を判断するためには、これまでも何回も述べているように、その国に、その国の指導者に私意はなかったかということを見ることが必要であるということである。例えば、Aという国が、Bという国の資源欲しさに攻撃を始めたのであれば、それは悪行である。その逆もまた同様である。どちらが意を誠実に行動していたかが善悪をわける要点である。意が誠実であるということは、物事の道理がちゃんと理解できており、道義的判断がちゃんとなされているということであるから、当然、天地自然の道理に則しているということである。そうであれば、勝敗に拘わらず、結果、私意がなかった国の方を天道は味方をするということになるのである。例えば、日本における鎌倉時代の元寇のように、敵国(元)に侵略するという私意が強かったので、日本側に神風が吹いて勝利を得たというようなことである。こういうことを世間では奇跡であるとか、偶然であるとかいうが、こういうことは、振り返ってみると、世の中にも、自分の周りにも多く存在するものでもある。だから、私は、これは、天地自然の道理がなした業であるように思うのである。
曾子が言うように「十目の視る所、十手の指さす所、其れ厳なるかな」(大勢の目に見つめられている。大勢の手に指差されている。誰もいないと思ってはならぬ。畏れ慎むべきことである。)である。天道は人間の目を通して、常に細部に亘って、善悪を視ているということが言えるのではなかろうか。

 44.すべては天に通じる    
 
元来、孝は天の主徳なれば、一念善を行へば、其善天に通じ、一念悪を行へば、其悪天に通ず。大通一貫の道理なり。

   
元来、孝の徳は、天の主要な徳(愛敬の徳)であるので、この一念をもって善を行うと、その善は天に通じる。また、悪を行えば、それも天に通じる。その行動がそのまま、さっと天に通じる、大通一貫の道理である。それは、そのまま、善には幸いを与え、悪には禍を及ぼすということである。

藤樹は「孝」の徳を重要視しているということは、これまでにも何回か述べたとおりである。ここの解説にも述べられているが、孝の徳は愛敬の徳でもある。子を愛し、親を敬うという徳である。孝、孝行というのは、子供の一方的な親への敬愛を意味するものではなく、親の子への慈愛に対する、子の親に対する尊敬ということである。つまり、日常の相互の親しみがあって始めて成り立つものである。だから五教(五倫)に「父子の親」とあるのである。
親に慈愛の念がなければ、子は親に尊敬の念をもって答えることはできないのである。その逆もまた同様である。最近は、この親に慈愛の念が無いが故の事件が多く起きている。そういう意味では、現在は、この「孝」ということについて親も子もちゃんと理解しなければならない世の中であるように思う。また、このことをよく理解していた舜がそうであったように、親に子に対する慈愛の念がないのであれば、親を徹底的に尊敬、尊重することで、親に慈愛の念が起きてくるということもある。しかし、これは限られた人にしかできないことである。だから、孝ということを理解するための第一歩は、親子がこれまで以上に時間を割いて、コミュニケーションをとることであるように思う。実は、このことは、社会生活にも直結することである。
要するに「大学」で言うところの「斉家」家がととのわなければ、「治国」国は治まらないのである。私もそうであるので人のことは言えないが、一緒に暮らしていても自分の子が何を考えているのかわからない、どういう友達がいるのかわからない、将来どうしたいのかわからないという家庭が多いのではなかろうか。遠くに離れて暮らしていれば尚更である。これでは、家をととのえるどころではない。自分の家庭でもこうであるから、会社や国という単位になれば、尚更であるように思う。要するに、近年、情報機器は発達しても、コミュニケートする力というものが落ちてきているように思えるのである。むしろ、情報機器の発達がコミュニケート力を落としているようにも思える。やはり、人間同士の生身のふれあいがなければ、本来の相互理解はできないし、相互理解が弱ければ、人間の進展、進化は弱くなっていくように思える。要するに、人間力や組織力ひいては国力が弱まってくるということでもある。総体的な力(パワー)やエネルギーが弱まってくると、暴動が起きたり、戦争が起きたり、破壊が起きたりしてくるものであるので、そうさせないためにも、もっと世界中の人類が相互に生身のコミュニケーションをとるということが必要な時であると思える。その手始めとして、すぐ実行できる事として、この「孝」を実践するということが非常に大切であるように思える。小さくとも「孝」は天に通じているのであるから。

 45.耕耘のごとし    
 
善を為すは、耕耘(こううん)のごとし。当下の穀を得ざると雖も、必ず秋実を得る。悪を作(な)すは、鴆酒(ちんしゅ)を飲むがごとし。即席の燕楽を得ると雖も、必ず死期来る。

   
善を行うのは、ちょうど農耕をするようなものである。すぐに穀物を得ることはできないが、その時期になると必ず穀物が実って食することができる。悪を行うのは、ちょうど毒入りの酒を飲むようなものである。飲んだときは楽しくなるが、毒が体中にまわって、必ず死に至る。

確かに善いことをしたからといって、それがすぐに自分に益を与えるものではない。むしろ、そういう積み重ねがあって、年月を経て、それが結実して、いい結果が得られるものであるように思う。逆に謀略を尽くして悪いことをすれば、その時には益を得ることができるが、結果的には長く続かず破滅するということになる。こういうことは、自明の理であるのであるが、それを忘れて、周りの環境や人為的にせかされて、つい悪事をやってしまうということがあるのもまた人の常である。
善行を積み重ねていって、いい結果、いい成果を得るということでは、例えば、スポーツ選手にもいえることであるように思う。私と同じスポーツ(武道)をやっていて、ボクシングのWBA.WBCの二冠を達成した人物がいる。彼は、持ち前の素質と努力の積み重ねで、自分の力を結実させてチャンピオンになった。だから、いい結果を残すには、毎日毎日の努力の積み重ねが必要であるということは、よくわかっていたはずである。しかし、目的を達成した彼は、次に求めるものがないままに、鴆酒を飲んでしまい、刹那的に周りにいる暴力団関係者とともに悪事を犯してしまうのである。そうなると、当然のこととして、社会的に制裁を受けるということになる。今、どうしているのかはわからないが、改めて、新たな目標に向かって、努力を積み重ねていくことを実行しなければ、社会的制裁からは、なかなか抜けられないように思う。
善行をなし続けるということは、かなりの忍耐力がいることである。たまには、鴆酒を飲みたいと思うこともあろうが、それを乗り越えて善行をなしていくということが、人間としての大きな価値を生み出し、それが、社会に大きな影響を与えるということを旨に、善行を積み重ねていくということを怠ってはならないように思う。将に善行の実践は、人間修行である。

 46.つねに善を思う    
 
善をおもひ、善をおこなへば善の名あり、尭・舜・孔・顔など是なり。悪をおもひ、悪をおこなへば悪の名あり、桀・紂・盗跖などこれなり。

   
善を思い、善を実行すれば、その名は善名として後世に残る。尭帝・舜帝・孔子・顔子などが、これに連なる。悪を思い、悪を実行すれば、その名は悪名として後世に残る。桀王・紂王・盗跖などは、これに当たる。

古代の尭帝や舜帝、孔子やその弟子顔回などは、常に善を思い、善を実行してきたので、後世に人間としての生き方のお手本として、その名を残したが、夏朝末の桀王や殷朝末の紂王や古代の大泥棒盗跖などは、悪行の限りを尽くしたので、後世に人間の生き方に反する者として、悪名を残したということである。人間、悪名を残すような生涯を送ってはならないと述べているのである。
善悪とは何かについて、伝習録(上)の中に次のような記載がある。王陽明の弟子薛尚謙との会話である。
「曰く、然らば則ち善悪全く物に在らざるや、と。曰く、只だ汝の心に在り。理に循えば便ち是れ善にして、気に動けば便ち是れ悪なり、と。曰く、畢竟物に善悪無きや、と。曰く、心に在りて此くの如くんば、物に在りても亦然り。世儒は惟だ此を知らず。心を舎(す)て物を逐(お)い、格物の学を将(も)て錯(あやま)り看て、終日外に馳せ求め、只だ箇の義襲いて取るを得(な)して、終身行いて著(あきら)かならず、習いて、察(つまびら)かならざるなり、と。」(尚謙がいう「それでは善いとか悪いとかは物自体には全く無いのでしょうか。」先生が答えて言う「ただ、君の心にあるだけである。理に従ってやることは善であり、気に動いた行為は悪である。」尚謙が言う「結局、物事には善悪はないのですね。」先生が言う「心において理に従うことが善で、気に動くことが悪であれば、物においても同じことである。世間の儒者はこのことがわからないから、心を捨てて、物を追いかけて、格物の学問を見誤って、一日中、外を駆け巡り、一時的な善行で、無理な結果を得ようとする。このため、生涯かかって行っても、何も明らかにならず、学問しても何も分からない、ことになるのである。」)と述べている。つまり、善は天理に従うことであり、悪はその時の気分で行動することであるとのべているのである。その時の気分で行動するということは私意であるので、私意から悪は発し、善は天理に従うので誠意から発するということである。天理に従うには、常に善を思う必要がある。

 47.善の心を存すること    
 
善悪のむくひは、谷にこゑをあぐるがごとくなれば、善を思ひ善をおこなふには、かならず善のむくひあり、悪を思ひ悪をおこなへば、かならず悪のむくひ有。

   
善悪のむくいというものは、あたかもやまびこのようである。常に善を思い、善を実行すれば、必ず善のむくいがあり、悪を思い、悪を実行すれば、必ず、悪のむくいがある。

将にこの通りであるように思う。前章でも述べたように、善を行うということは、天理に従うことであり、誠意を以て何事にも対応することである。結果を急ぎすぎずに、それを継続し、実行していけば、必ず、最終的にはいい結果を得られることになる。いい結果を得ようと急ぎすぎて、それを捨て、様々な権謀術策を使えば、その時は一時、いいかもしれないが、終局的には、いい結果を得られないものである。
今、日本航空が再建の途中にあるが、経費の削減について、様々な要望が銀行団から出ているようである。しかし、企業を再生させるために必要なことは、そういった経費の削減などの財務上の外科的手法も大切であるが、それ以上に、その企業を健全な体質にするために、その企業の潜在力を発揮させるための治癒的手法が大切であるように思う。ただ、外科的手法を頼るだけでは、結果、無理な削減をして、折角、潜在的に持っている善いものまでも削減してしまい、企業の体質そのものまでも弱体化させてしまい、結局は、立ち直れなかったということになりかねないからである。要するにバランス感覚が必要であるということである。もちろん、バランス感覚を欠いたのでこういう状況になったのであろうから、尚更のこと、元々、潜在的に持っている善い力を発揮させて、日本航空という企業自体が、主体性を持って、いいバランスが保てるような企業体質に戻していく必要があるように思える。
企業には、必ず、潜在的に持っている善い力があるはずである。その善い力を見つけ出し、発想の固着を是正し、マンネリ化を排除し、挑戦的意欲を高揚させることができれば、天地自然の道理として、善い結果を得られるように思う。

 48.神明はすべてを照覧    
 
たくみをもて、人間をだまさんと思へる人も、神明の照覧は、かくすべきてだてなき事を、わきまへいましむべし。

   
巧妙な手口で、他人を騙そうとする人も、すべての行いは神明がご照覧されているので、隠すべき手立てなど無いということをわきまえて、自分を戒めなければならない。

人間の行いについては、どんな些細なことも神明が総てを見ているということである。そして、常に明徳を明らかにしようとしている人間に対しては、神明はそれに呼応して、幸福を与えるが、他人を騙すとか、他人を傷つけるとか悪事を行う人間には、明徳にかなわないので、神明はそれに呼応できず、厳しく罰するということになるのである。神明は身近にあって、常に人間の動向をみているのである。神明はあるときは天の目であり、あるときは人の目である。曽子が言うように「十目の視る所、十手の指さす所、其れ厳なるかな」である。皆さんも、私自身もそうであるが、これまでの人生の中で、わかるまいと思って、小さな悪事をして、それがばれたときに「悪いことはできないものだな。神様には、お見通しなのだな。」と思ったことが何回かあるのではなかろうか。1回もないという人がいたならば、それは、生知安行の人、つまり、聖人に他ならないように思う。現代風にいえば、常に監視カメラに見られているということである。だから、常に自分を戒めなければならないのである。

 49.孝行と不孝のむくい    
 
世間家ごとにある常のむくひは、孝行なる子はかならず孝行なる子をまうけ、不孝なるものはかならず不孝の子をうみ、孝行なるよめはかならず孝行なるよめをむかへ、不孝なるよめはかならず不孝なるよめをめとれり。

   
世間の家庭によくある因果関係は、親孝行をしてきた人は必ず、親孝行をしてくれる子供をもうけ、親不孝をしてきた人には、必ず、親不孝な子供が生まれるということである。また、親孝行をしてきた嫁は、必ず、自分の息子に親孝行な嫁を迎え、親不孝をしてきた嫁は、必ず、その息子に親不孝な嫁を娶るものであるということである。

藤樹の述べているこのことについて「そんなことはない」といえる人が果たして何人いるであろうか。私自身を振り返ってもそうであるが、親孝行らしいことをそんなにしてこなかったから、離れて暮らしている息子も、親孝行らしいことはそんなにしてくれないでいる。これから、どうなるかはわからないが、今はそうである。やはり、どこかで親の姿を見て、そう育ってしまっているのかもしれない。皆さんのお宅はどうであろうか。親孝行でいい嫁がきてくれているというお宅があれば、それは、おそらく、奥さんが親孝行であったからではなかろうか。こういう因果関係というものは、すべてがそうであるということは言えないが、意外と多くあるものであるように思う。
先日、この順受の会に来ていただいている完山さんの娘さんに新橋であったが、ちょっと会っただけであったのであるが、ちゃんと、お父さん、お母さんを大切にしているように思えた。完山さんも、ご自身のご両親(今はお母様しかいらっしゃらないようであるが)を大切にしていらっしゃることは、色々お付き合いしている話の中で、垣間見ることができる。また、先日、「地球交響曲・第7番」の試写会にご招待を受けて、会場に行った際に岩崎さんの娘さんとも会ったが、お父さんの手伝いをしている姿などを見ると、こちらも、その仲のいい親子関係まで、垣間見ることができるように思えた。逆に私の知り合いの中に、過去に父親が愛人をつくり、子供の親権の問題でもめたことがあった人が、現在、自分も愛人を作り、子供の親権の問題でもめているというケースがある。
そういう因果関係を考えると、やはり、我々は、先祖の遺徳で暮らしているのであるということを改めて実感させられる。だから、父母に対して孝行をすること、先祖に対する尊敬の念を持つことは、人間生活の中で非常に大切なことであると思う。

 50.人の知られざる善行    
 
そうじて善をなすには、ひそかに人のしらざるやうにとりなすを第一とす。少にても、人にしられんと思ふは満心なり。

   
善を為すということについて総論すれば、人にわからないように、知られないように行うことを第一とするべきである。少しでも、人に知ってもらいたいと思えば、それは、満心である。

解説にものべてあるが、「陰徳を積む」ということが大切であるということである。自分がした善行について、「私はこういう善行をしている。」と、表に口に出して言うようなことは、たいした善行ではないということでもある。また、口に出した途端にその善行が薄っぺらなものになるということは、日常の出来事の中で、よく感じることである。いくら善人顔をして、自分の善行を訴えても、腹の中に私意が存在すれば、それは、本当に善を為しているとは言えないということもいえる。本当の善行はここに藤樹が述べているように、人に知られないように、わからないようにするということであろう。もっと言えば、別に善行をしているとの認識も無く善行をしているということが理想の善行ということになる。将に「良知を致す」を実践するということである。前述もしたが馬方、又左衛門の話などもその代表例ということが言えよう。
私の経験の中にも有難い善行を受けたことがある。鹿児島に単身赴任でいたときに、鹿児島の繁華街で飲んでタクシーで宿舎に帰り、代金を支払おうとして、内ポケットに手を入れると財布がないのである。おそらく、飲食店で支払いを済ませて、タクシーに乗るまでの間のどこかで落としたに違いなかった。翌日、おそらく、もう見つからないと思いつつ、銀行やカード会社などに電話をして、利用停止の措置をしたり、再度、現場の探索などをしたりして、紛失届けを出すために、近くの交番に寄った。そして、事情を説明した。そうすると、交番のお巡りさんから、これではないですかと出された財布が、紛れも無く自分の財布であった。現金もカードも入っている財布が、落し物として預けられるということは、稀なことである。中身を確認して、その届けてくれた人の電話番号を聞いて、連絡を取ることにした。出たのは、声からすると若い女性のようであった。感謝の意を述べて、お礼にいくらか支払おうと思って、話をすると、当たり前のことをしたのだから、お礼はいらないという、それではこちらの気がすまないので、お礼状でも出したいといって、住所を教えてもらった。そして、そのお礼状に謝礼金も同封して送ったということがあった。財布を落とした人が困っているであろうと思って、そのまま、当然のこととして、交番に届けるという行為を自然にできる、こういうことが、本当の善行ということが言えるのではなかろうか。当たり前のことを当たり前にする、こういうことが現在はあまりにも無さ過ぎるように思える。

 51.天子は世界の父母    
 
天子は四海の父母たり。其明徳を明らかにし、天下の民を愛すること、子を恤(あわ)れむがごとくするゆへに、民皆天子一人を頼んで、其田疇(でんちゅう)を治むる。

   
天子(天下を治める人)はこの世の中を修める父母のような存在である。そして、天子はその明徳を発揮させ、天下の人々を愛すること、子供を憐れみ、慈しむようにするので、天下の人々は皆、治世は天子におまかせして、安心して、自分の生業に従事するのである。

天子とは、天から全権を委任されて、世の中を治める人物である。国でいえば、大統領や首相、首席、会社でいえば、社長、代表取締役、CEOなどがこれに当たるといえよう。その人物は、その国、組織、企業の父母ということがいえよう。その人物が、父母のように慈愛に満ち、安定感があり、安心感がある人物であれば、そこに在籍する人々は、安心して、自分の仕事に従事することができる。しかし、その人物が、不敬であり、不徳であり、安心感が無く、安定感がなければ、そこに在籍する人々は常に不安を抱えることになる。どちらが、その国や組織や企業の進展、進化に寄与するかは、いうまでもないことであるが、なかなか、父母のような慈愛を持って治める指導者は見当たらないのもまた現実である。また、慈愛を以て、物事を推進しようと思っても周りの関係者の思惑や利害関係によって、それを覆されるということもままあることである。
今回の普天間基地の移設問題にしても、最初から、父母のような慈愛を以て、それに関連する人々と接することを従前から行っていれば、また、違った解決策があったかもしれない。また、鳩山首相を支える人々の思惑や連立政権の利害関係が多く外に発信されたがために、まとまりのつかない姿を世間にさらけ出したことも不安に火をつけるようなものであったように思う。
山田方谷がいうように、世の中を治めるためには、先ず、「事の外に立つ」という姿勢が大切であるように思える。その問題の外に立って、それを客観的に捉えて、様々な方向から見て、その問題の解決策を探るというやり方である。要するに、安易に「県外に移設する」とか「国外に移設する」とかいわないということである。たとえ言ってしまったとしてもその言葉に捉われずに、物事を客観的に見直すということが必要である。日本という国全体を見れば、海兵隊の抑止力を落とさないままに、多くの国民の理解を得ることのできる解決策は見出せるものであるように思う。それにしても、偏頗なジャーナリズムの報道のしかたにも大きな問題があるように思う。それが、この問題を大きくした一番の要因でもあろう。私に言わせれば、世界に日本の恥をさらしているような報道である。日本人としての、国際人としての自覚も誇りも無い。これでは、我が国に如何に慈愛に満ちた指導者が現れても尽く非難されてしまいそうである。

 52.政治の根本は愛敬の徳    
 
天下国家の主君たるもの、平治を欲せずと云ことなし。然りといへども、愛敬の徳の天下国家を治むる大根本なることを弁(わきま)へず。是を以殺罰のことを以て、天下国家を治めんとす。

   
天下国家を治める主君であれば、世の中を平和に治めたいと願わないことはない。しかし、現実は、愛敬の徳が天下国家を治める大根本であるということをわきまえずに、武力や刑罰によって天下国家を治めようとする。

愛敬とは、君主が慈愛を以て、国を治めるので、民衆は尊敬の念を以て君主に従うというような意味である。この愛敬の徳を以て、本当に世の中を治めることができたならば、争いごとや訴訟などは起こらないということがいえよう。本当は、誰もが、平穏無事で、安心して暮らせる国作りをしたいと願うものでもある。しかし、現実は、どの国も武力や刑罰を行使して世の中を治めている傾向が強い。だから、いつの時代も紛争や戦争は絶えないのである。
藤樹は愛敬の徳を以て生きる君子の姿を次のように述べている。「良知が曇りなく輝いており、私意がない。もちろん酒色財気の惑いもないので、天下の政治を任されてもそれを私しない。国を得ても私物化しないから何の憂いも無い。家をもっても一家融和して心配することが無い。妻子や使用人があれば、彼らと仲良く楽しく暮らす。財産があってもそれにおぼれず、見ること聞くことが皆楽しみでないものはなくなる。上は天子から下は庶民に至るまで楽しみはかわらない。むさくるしい家で乏しい食事のその日暮らしの貧乏生活をしていても、その楽しみはくらべものがない。農民の耕作は厳しい労働であるが、農民の心にはそんな苦痛はない。禹王が治水工事を行ったが、これもまた大変つらい労働であったが、楽しいものであった。」藤樹はこういう世の中を理想の世の中としたのである。そして、これは、藤樹が到達した思想の極地でもあるように思う。
さて、我が国は882兆円の借金を抱えている。我々は、今のこの経済状態は、この借金をベースに成り立っているということを自覚するする必要があるように思える。これからまた借金を積み重ねていこうとするのであろうか。このままでいくと、借金はこの数年(5年くらい)の内に1000兆円に到達することは間違いなさそうである。第二、第三のギリシャにならないという保証は何も無い。1400兆円の金融資産があるともいわれているが、世界に冠たる借金大国にはかわりがない。今、この問題を抜本的に解決せずに将来のことを本当に語れるのであろうか。政治は、目先の政局のことばかりを考えずに、このことを真剣に考え、今から様々な手を打っていく必要があるのではなかろうか。そのためには、藤樹がいうように、愛敬の徳を以て世の中を治め、仕事を楽しみ、貧乏を楽しむという国家観が今必要なように思える。我が国の成長の原点に返るというところから始める、ということが大切である。

 53.謙の一字    
 
国をおさめ、天下を平かにする要領、謙の一字にきはまれり。謙徳はたとへば海なり、万民はたとへば水也。

   
国を治め、天下を平和にする要領は、ただ、謙の一字に窮まる。謙徳は例えば海であり、万民は、例えば、そこにある水である。

国を治め、平和を万民にもたらすために必要なことは、その国の指導者が「謙」の徳を以て、家臣や万民に対することであると述べているのである。「謙」とは、慈悲深く、憐れみの心を持って人に接し、人の意見をよく聞くことである。
人間は、人の上に立つ身分になったりすると、人の意見をあまり聞かず、自分のやりたいように物事を動かしていこうとするものである。もちろん、指導者としては、ある程度の筋道を立てる必要はあるが、それは、天理に則して立てるということが必要であるように思う。決して、自分の私意によって立ててはならない。だから、この自分の私意を誠実にするためにも人の意見を聞くということは、大切なことである。また、人の上に立って物事を進行させていく上にも、人の意見を聞くということは大切なことである。節目節目において、人の意見(賢者の意見、民衆の意見)に傾聴しながら、体制を整えていくという姿勢が重要である。これを怠るとその指導者は短命に終わる。つまり、天意は民意なのである。鳩山政権が短命に終わったのも、私意の強すぎる閣僚が多かったということに起因しているように思う。突然舞い降りた要職に舞い上がって、自分のやりたいようにやって、閣内としての行動が必ずしも一致しなかったということにその根本原因はあるように思う。もちろん、民衆の意見には耳を傾けようとしたが、直近の家臣である閣僚たちの意見を掌握できなかった鳩山首相にも大きな責任があることは否めない。
皇極経世書からすると今年の1年卦は「水地比」である。賢者と親しんで、いい仲間を増やして、一緒に物事に対処していこうという意味合いがある。これから、始まる菅政権、菅首相には、この1年卦の動向と「謙」の徳を以て、政権運営をしていってもらいたいものである。短命に終わらないことを望む。

 54.心のくらき主君    
 
心のくらきしゅくんは、何ほどよきさぶらひをあつめをきても、それをばもちひず、只君の心にひとしく、くらきくせものばかりを、さしつかひたまふものなり。

   
心が暗愚の主君は、どんなに徳の高い家臣を配下においても、それを任用しないで、自分と同じように、暗愚なものばかりを集めて、それを重用するものである。

国であっても、企業であっても、そこの最高責任者が暗愚であれば、自分に都合のよい人間だけを集めて、物事を進めようとするということである。それは、短期間にはいいように見えるが、長い目で見ると悪い方向へ向かっていくということである。暗愚の者が集まれば、皆、私意が強いので、調子の善い時には、一緒になって進むのであるが、悪くなれば、すぐ逃げたり、裏切ったりして、バラバラになるということである。
人事、人選ということは、非常に重要なことである。それが、その国や企業の行く末を決めることになるからである。私の関連した企業の中にも、人事や人選により、大きく業績を落とした企業があった。オーナーが他の仕事が忙しいために、ひとつの重要な事業を他の人に任せることにしたのである。そして、それを任せられた人間は、どうも、ここでいうところの暗愚の部類であったように思う。自分の事業を別に持っていたその人物は、自分の事業にその任せられた事業を利用して、利益誘導をしていたのである。なんと貸金業をやっていたその人物は、運転資金として貸し出したお金に月利5%(年利60%)の金利を上乗せしていたのである。また、その任せられた当時には、別にそんな運転資金も必要でなかったように思うが、その頃から貸し出しを始めているのである。大変になってからも続けており、何よりも他の支払より先にその資金の返済を優先していた。事業を継続させるために一番大切なことは、収入と支出のバランスをとるということであるが、そういうことを一切やっていないのである。そういう人物が人選する幹部は言わずもがなである。そういうことで当然業績が落ち、従業員の志気も低下して、結局はそのオーナーは、その事業を手放すことになるのである。
やはり、世の中を先導していく人たちには、私意があってはならない。また、そういう私意のない人を人選しなくてはならない。7月には参議院議員選挙が予定されているが、我々も暗愚でなく、私意がない人物に、周りのしがらみに捉われず、清き一票を投じるように心掛けなければならない。

 55.すべては主君の心に    
 
君の心あきらかなれば、ぎんみただしく、法度道あるゆへに、末ながくかはらず。君の心くらければ、万事ぶぎんみなるによって、その法度さいさいあらためかけるものなり。

   
主君の心に明徳が発揮されていれば、万事を吟味することが正しく行われ、法度に道理が通っているので、末永く、変わらずそれが施行されていく。主君の心が暗愚であれば、万事吟味することが正しく行われないので、その法度は度々改められるものである。

主君に明徳が発揮されていれば、それは、そのまま天理が発揮されているのと同じであるので、総ての物事を正しく判断することができる。だから、そのような状況にある法律や法則を変える必要はないということである。また、逆に主君が暗愚であれば、常に私意に左右されて物事を判断するので、判断基準が定まらず、いつも揺れて、ころころと変わり、法度を制定しても常に変更されるということである。
中国の北宋の時代に逼迫した経済状態に財政改革を行おうとした王安石という人物がいる。彼は、実に有能で勇敢であると思われていたが、私意が強すぎて、旧法を省みず、民意に傾聴せず法の改革を行ったので、彼の改革は、結局は失敗に終わることになるのである。表面からみると決して彼は世間的には暗愚ではないのであるが(その頃の官僚の登竜門である科挙の試験でもトップで受かるくらいの人物である)、宰相となって、改革の指揮をとっている彼を見ると私意が強く、民情に薄く暗愚としかいいようがない。この人物が宰相となって、改革を行う際に、その当時の統治者である神宗に対して、呂誨という人物が王安石に改革の指揮をとらせるべきでないと訴えている。彼は、その人物評について、その後宰相になることになる司馬光に対して、次のように述べている。「安石は、時名有りて上の意の向う所なりと雖も、然も好みて偏見を執り、物情に通ぜず、軽々しく信じて回(めぐ)らし難く、人の己に佞(ねい)するを喜ぶ。その言を聴けば則ち美なり。用を施せば則ち疎(そ)なり。若し侍従に在らば、猶おあるいは容(い)るべし。諸を宰輔に置かば、則ち天下必ずその弊を受けん。」偏見が強く、人情や民情に通ぜず、周りに寄ってくるものを信じて、そういう自分を持ち上げる輩を重用する。その言論を聴けば、素晴らしく思えるが、物事の実行は疎かになる。侍従であれば、まだ使えるが、宰相の地位に置けば、国中がその弊害を受けると。また、神宗への弾劾文の中で「大姦は忠に似たり。大詐は信に似たり。安石外に朴野を示し、巧詐を中蔵し、驕蹇(きょうけん)にし上を慢す。」と述べている。また、司馬光は、呂誨のこの言葉に後日、「心誠にこれに服す」と述べている。呂誨の先見の明を称賛しているのである。このように、立派な肩書きや経歴、学歴を持っていても、それがそのまま明徳が明らかな君子とは言えないということである。むしろ、暗愚の場合が多い、或は上に立てば暗愚になりやすい人が多いということでもあろう。また、改革を推進していくには、やはり、明明徳な君子がそれにあたらなくてはならないということでもある。

 56.正しい士道    
 
心いさぎよく義理にかなひぬれば、二君につかへざるも、また主君をかえてつかふるも、皆正しき士道也。

   
心が清廉潔白であり、義理にかなっていれば、二君に仕えないということも、主君を変えて仕えるということも、どちらとも正しい士道である。

人間としての道理に適っていれば、一人の主君にずっと仕えるのも、主君を変えて仕えるのも武士としての正しい生き方であると述べているのである。一番大切なのは、自分自身の生き方であるということである。
ここにも述べられているが、藤樹が脱藩を実行するに至っては、それなりの経緯があった。それは、最初の解説のところで少し述べたが、人間としての道理を全うするための孝を行うためには、母親のところに帰る必要があると考えたからであった。そして、藩家老佃小左衛門にそのことを申し出るが、なかなか許可を得ることができなかった。そこには、藤樹の優れた才能をおしみ、このまま藩に残しておきたいという願望と他藩に仕えて今以上の禄高を得ようとしているのではないかという疑惑があったからである。また、大洲藩は、その時期、藩の分封をすることが決定されていて、藤樹はその分封される藩に移籍されるということにもなっていたことも重なった。分封される藩には、誰も行きたがらなかったという事情もあったからである。その時、藤樹は自分の気持ちを詩に表している。
「羇旅(きりょ)春に逢うて遠く哀しむに耐えたり。緡蛮(みんばん)たる黄鳥この梅に止まる。樹静かならんと欲して風止まず。来者追うべし帰りなんいざ。」(故郷を離れて旅先で春を迎えたが、遠く母のいる故郷を思うと悲しみに耐えれない。美しい声でなく鶯は、梅ノ木に止まり、居るべき所に居る。樹が静まろうとしても風はやもうとしない。未来は自分の覚悟次第で決まる。孝養を尽くすために母のいるところに帰ろう。)母への孝養のために、どんなことがあっても母のいる故郷へ帰ろうとする覚悟が見て取れる詩である。そして、許可を得るために、周りの人たちにも色々協力してもらい、手を尽くしてもらうがなかなか結論をもらえず、2年半が経ち、結果、脱藩を決意するのである。
藤樹にとって一番大切なことは、孝であり、人間としての道を全うすることであったのである。それを基準としての主従関係であると考えていたのであるように思われる。

 57.名利におぼれる士    
 
心学をよくきわめたる士は、義理をかたくまもりて邪欲なければ、世間の作法にあやかる事なし。心学のみがきなき士は、よこしまなる名利にふけるもの也。

   
心学をよく窮めた侍は、義理を固く守って、邪欲がないので、世の中の様々な物事に順応して、過ち無く進んでいくことができる。心学をおさめない侍は、よこしまな名利にばかりふけるものである。

心を正しくするということが、本来の学問の主旨であり、それを行おうとしない侍は、ただよこしまな名利にばかりふけり、自分の損得しか考えないものである。それでは、世の中を治める立場である侍とはいえないと藤樹は述べているのである。
藤樹は、当初、朱子学を尊信していたが、やがて、その格法主義に疑問を感じ、心学へ転換をはじめる。それは、聖人をみると、その行動は、自由自在にみえて、何ら滞ることが無くて、天地自然の道理に適っており、そこには中庸精微の心が働いているという結論に至ったからである。藤樹が33歳のとき、心学を宣言するが、そのことに期待をこめて、門人の谷川寅が詩を詠んでいる。
「邪説喧?(けんかい)未だ新たならず。世人却って五倫の真を厭う。挺然独立心学を発す。天下の儒風此より春ならんとす。」(邪説が勝ち誇って横行して、未だに新たになっていない。そのため世の中の人は人間関係の真実のありかた(五倫)を誤って、嫌っている。そういう世にあって、わが藤樹先生は、世間に抜きん出て、ただひとり心学を唱え始められた。天下の儒風もこれからは、改まっていくであろう。)
こうして、藤樹は、様々な困難を経て、自分の心学を確立させていくことになるのである。そして、藤樹の心学の確立に大きな影響を与えたのが王陽明の教えであった。「陽明全書」との出会い(37歳頃)によって、ひらけた自分の心学について、その感激を門人池田与兵宛の手紙で「私は深く朱子学を信じ、長年の間工夫をしてきたが、入徳の功もおぼつかない有様で、学問に疑いを生じ、意欲を失いがちであった。丁度そのような時、天の恵みであろうか「陽明全書」が手にいり、熟読したところが、私が疑っていた丁度そのことについて色々と論じられていたので奮い立ち、少しは入徳の手がかりが得られてように思われた。これこそ人生最大の幸福であり、この喜びは言葉に言い表すことはできない。」と、述べている。

 58.庶民は国のたから    
 
農・工・商はくにの宝なれば、一しほあわれみはごくみて、其利を利として、その楽しみをたのしむやうに政をなすは、君の仁礼をおこなふ大がいなり。

   
農・工・商の人たちは、国の宝であるので、一層、憐れみ、育んで、その得る利益を適切に利益として還元し、その楽しむところを楽しむように政治を行うのが、君主が仁や礼をもとに政治を行うために必要な大概のものである。

農工商に従事する庶民があってこそ、国が成り立っているので、その人々が暮らしやすいような政治を行うのが君主としての使命であるということである。特権階級の人たちだけが、富や楽しみを独占するような国にしてはならないということでもある。
ここにも述べてあるように備前岡山藩主池田光政は、その側近であった藤樹の弟子、熊沢蕃山を通して、藤樹と親交が深かった当時の名君である。そして、もちろん、藤樹の思想の影響も強く受けていた人物でもある。池田光政は、この藤樹の言葉通りに利益や楽しみが、特権階級である武士だけに偏らないように、中庸を旨として、庶民を大切にして、藩政を施行していったのである。
また、孟子は尽心下篇で「君子は経に反るのみ。経正しければ、則ち庶民興り、庶民興れば斯に邪悪なし。」(君子は常道に立ち返るだけである。この常道が正しく立てられるならば、庶民は奮い立つ。庶民が奮い立って、道が行われるようになれば、邪悪はなくなるのである。)と述べている。常道とは「中和の道」である。この「中和の道」を目指すためには、国をひとつにまとめる必要がある。そのためには、生産や製造、商業の現場にいる庶民の協力が欠かせない。武士だけではどうにもならないのである。むしろ、人口の割合の大部分をしめる庶民の理解が重要である。将に「庶民は国の宝」という発想がなければ、政策は何も進まないのである。
これを現在の政治に当てはめれば、平安な国民生活を目指すためには、バランスのとれた政策が必要であり、それを計画、実行するためには、国論をまとめる必要があり、政治家や官僚だけの一部に偏った発想では、到底まかないきれるものではない。だから、国民の動静をよく見て、意見もしっかり聞いて、国民目線で政策が計画、実行されることが大切であるというようなことである。また、国民目線での政策を計画、実行するためには、それを進めていく政治家や官僚が、ここでいう「中和の道」をよく理解し、実践していかなければならないということでもある。今の多くの政治家や官僚に足りないのは、この「中和」「中庸」の心であるように思えてならない。

 59.財宝は生民のために    
 
夫財宝は、天下の生民を養はんために、天地の生じたまふものなれば、かりそめにも貪り私すべきものにあらず。

   
国の財宝は、国民を養うために、天地自然の道理の活動の中で生じ、賜れたものであるので、かりそめにも、それを貪ったり、私するようなものではない。

国の財産は、この天地自然の中から得られる産物や鉱物、天地自然の道理の中で活動している国民の労力によってつくられ、得られるものであるので、それを私するようなことはあってはならないと述べているのである。また、それは、国民の教育や生活の向上、バランスのとれた国の資源保護、環境整備のために還元、分配されるべきものであるとも述べているのである。天地自然の活動の中で得たものは、またその天地自然の循環の中に戻していくということが無ければ、物事は停滞してしまい、進化も進展も望めないということでもある。
ここには、梁の武帝の話が述べられているが、自分の私意で国が国民から預かっている財産を国民生活を度外視した形で使ってしまうと、それは、そのまま罪として、自分に振り返ってくるということでもある。過去のライブドアも村上ファンドもグッドウィルも今回のSFCG、日本振興銀行の事件も理由は色々あろうけれども、経営に携わる人間の私意が大きく働いて、自分の私利私欲を優先させるところがあったがために、自分自身に振り返ってくるという結果を及ぼすことになったように思われる。
今回も参院選を前に消費税の論議が色々とされているが、増税というのは、国民に負担をかけるということであるので、それに対して、増税を本当にやる必要があるのか、なぜやらねばならないかの国情の説明と、こういう国民のための政策を実行するという明確なものが打ち出されない限り、賛同を国民に得ることはできないように思われる。このことは、本当に真摯に国民と向き合って検討されなければ、事業仕分けで明らかにされているような、また、不必要な公益法人をつくり、不必要な経費を政官は自分たちの私利私欲のために使うのかということになり、益々、国民から不信を抱かれることになるであろう。国を先導する政治家や官僚たちは、そういうことのないように、己を修めて、バラランス感覚を以て、もっと緊張感を以て、この論議をしていくべきであるように思う。

 60.金銀を惜しむ心    

金銀を重宝とするは、我用を達し、難儀をすくはんとなり。しかるにむさぶるものは金銀をおしむ心ふかきによって、我用にもつかはずして、箱に入、蔵におさむ。



   
金銀を重宝とする人は、それを自分の用件を達成し、人の難儀を救うためにそれを使うが、それを貪る人は、金銀を惜しむ心が強いので、自分の用件にも使わず、もちろん人のためなどには全く使わず、ただ、金銀を箱に入れて、蔵に貯えるだけである。

金銀、財産は流用させてこそ、自分の役に立ち、人の役にも立つと藤樹は述べているのである。流用させずに、ただ貯えておくだけでは宝の持ち腐れである。
先日、2008年度の国の財務状況(貸借対照表・企業会計に準じた方式でまとめたもの)が発表されたが、資産が664兆8千億円、負債が982兆2千億円で、317兆4千億円の債務超過であった。負債が前年度(2007年度)に比べ34兆7千億円増えている。「ギリシャは、」などといっておられる状況ではない。もちろん、国全体の預金などの金融資産が1400兆円(有価証券も含めて・50歳以上がその内75%を保持)あるといわれているので(債務は882兆円、但し、社会保障基金や特別会計の内外投融資などの金融資産が約500兆円あるので、差し引くと純債務は380兆円くらいか)、それから考えるともう少し余裕があるように考えられる。そのうちのローン債権が約400兆円弱あるといわれるので、実質金融資産は、1000兆円ということになる。そして、この資産は、経済状況が停滞すれば、するほど先行き不安を増長させ動かなくなる。こういう経済状況の中にあるので、今回の参院選の焦点として、消費税の増税ということが言われるようになってきているのである。
しかし、税金を上げる前に、この国全体の金融資産の流用を盛んにするということが、実は、一番先にやらねばならないことであるように思える。例えば、金融資産1000兆円の1%でも10兆円である。5%なら50兆円、10%なら100兆円である。それだけの経済効果が期待できるのである。藤樹がいうように、金銀を重宝するためには、それを流用する政策を打つことが大切である。そして、それが経済の活性化に繋がっていくのである。新たな魅力ある、収益性が上がるとみられる事業を国策として、民間と一緒になって、積極的に推進するとかは、もちろんのこととして、以前に(大塩中斎のとき)話をした、減価する貨幣、マイナス金利政策を地域や期間を限定して実行するとか、新規投資に対して、将来の社会保障を約束するとか、所得税や相続税を減税して消費を増進させるとか、とにかくこの金融資産を流用させることに知恵を絞ることが必要であるように思う。「我用にもつかはずして、箱に入、蔵におさむ。」というような状況では、お金の正の循環がなされず、それは世の中の何の進展、進化にも役立たないので、最後には、回りまわって、自らがその金融資産を失うということになりかねない。