大塩中斎(平八郎)について

(平成20年1月〜6月)  
 
天保8年(1983年)2月19日、早朝。世に言う「大塩平八郎の乱」が起こった。天保7年には、天候不順のため、全国各地で百姓一揆、打ちこわしが続発、9月には奥羽飢饉で10万人の死者が出た。所謂、天保の大飢饉である。大阪町奉行所は米の他所への積み出しの制限を図っていたが、幕府の命令により、民衆に回すべき米を江戸に送り、翌天保8年には、米不足による餓死者が続出して、悪疫が流行した。大塩中斎はこのとき、自分の家財や書籍を売り払って、民衆の救済に力を尽くしたが、何の解決策も示さない町奉行や幕府、特に、こういう事態に関わらず米相場で利益を得ようとする豪商に対して、堪忍ならず挙兵という強攻策に打って出るのである。その内容については、「檄文」に示されている通りである。
大塩中斎の家系は代々大阪天満の与力であった。町奉行所でいえば、奉行の補佐役である。父母を早く亡くしたので、祖父、大塩政之丞のもとで養育された。14歳のとき、奉行所に与力見習として初出仕して、26歳で大阪東町奉行所与力となる。その間、佐分利流槍術、中島流砲術を学んでいる。与力としての中斎の活躍は目覚しく、特に民衆を苦境に追い込む詐欺事件や贈収賄事件には、断固として、厳罰を処している。「致良知」という言葉をその人生の旨とした中斎ならではの対処ということがいえるのかもしれない。
与力見習となって出仕した中斎の見た奉行所の現実は、小役人ばかりで、出世や金、自分のことばかりを中心におく者が多く、法律書も自分の権威をひけらかすための道具として利用する者が多くを占めていた。また、当時の儒学者は訓詁や詩文などの上辺の学問に傾倒し、実生活に役立たないものばかりを講じていた。そういう中、実学を求めて、独学を進めている中で出会ったのが呂新吾の「伸吟語」という著書であった。これに痛く感動した中斎は、その根源の思想である「陽明学」を知るのである。そして、中江藤樹、熊沢蕃山、三輪執斎の日本における陽明学の学統から、知己を得て、王陽明の主著の研究を始めるのである。そして、33歳のときに私塾「洗心洞」を立ち上げることになる。このときから、自分の学問ばかりでなく、教育ということに力を入れ始めることになった。そして、38歳のとき、実質のない虚名ばかりがあがる世の中にあって、聖賢の道を極めたいと考え、奉行所を辞職するのである。そして45歳で自刃するまで、市井の儒学者として勉学し、講義し、執筆するという生活に没頭するのである。この学究生活の中で、頼山陽、古賀洞庵、春日潜庵などとも親しく接することになり、一層、学問を深めることになる。

   
さて、今回は、中斎蜂起のときの檄文からスタートして、その思想に入るということで、話を進めていきたいと思う。

大塩中斎(平八郎)の挙兵については、後年、是非論が色々と取沙汰されてきた。それは、ここで色々議論するのはやめにしようと思う。時代は変わって現在、飢饉は起きないまでも、益々広がる格差、官僚の贈収賄事件、民意を吸収できない官僚体制、大局を見ることのできない政治家、利益のためにはどんなことでもする企業経営者などを見るにつけ、大塩中斎と同じような気持ちを持つ者は多いのではなかろうか。大塩中斎の挙兵は、大阪の北浜を中心に大火で民家も多く消失させる結果になったが、それに対する民衆の遺恨はあまりなかったと聞く。それは、中斎の挙兵は、民意を反映させたものであったからであろうと考える。大塩中斎が没して30年後、幕政は終焉を迎える。この義挙は、一般に倒幕運動への影響は与えていないという見解が多いように聞くが、私は、そうでないと考える。昨年の「啓発録」の時も述べたが、200年以上続いた幕藩体制のほころびがこの頃には、多く目に付くようになっていたのであろうと考える。中斎は、元々、家系も含めて、幕藩体制側の人間である。その多く目に付くようになった、ほころびの修正を求めて、いくら建白してもかなわないということもあり、その諫言のためにも自らが挙兵したということが言えるのではなかろうか。もちろん、民衆救済ということが主眼であったであろうが、そういう意味もその中に多く包含されているように思う。それは、そのまま、時代のずれは少しあっても幕末の志士たちの行動に多くの影響を与えたように考える。将に孟子の言う「自ら反して縮くんば、百万人と雖も吾ゆかん」の心境である。
沖永良部島に幽閉されていたとき、西郷南洲は中斎の著書「洗心洞箚記」と出会うことになる。それは、同じく流刑でその島にいた川口雪蓬から与えられたものである。南洲はその後も自分の蔵書として大切に取り扱っていたと聞く。南洲没後、西郷家を訪れた頭山満は、留守番をしていた雪蓬に南洲が大切にしていた本を借りたいと申し出たところ、「洗心洞箚記」を渡されたと聞く。
今回は、大塩中斎(竹内弘行・角田達朗 共著、明徳出版社)を参考資料として、「良知の学」を実践した彼の思想にふれることにより、彼の生き方を学ぶと同時に我々の中にある「良知」を再認識して、それを如何に世の中に活かすことができるのかということを主題において、話を進めていきたいと思う。

 四海困窮す    
 
「天より下され候 村々小前のものに至る迄へ」檄文が印刷されて納められていた袋の上に書かれた文章である。この檄文には、中斎が書いたというよりも、自分を仲介として、天から下されたものであるので、この天の本意を村々の全百姓へいきわたらせよ。という、天命思想が背景にある。そこには、儒学者、陽明学の信奉者としての天命思想とは別に、この義挙に出るのは、天命であるので、支配階層を越えたところからの指令であり、支配階層の堕落を天が裁くのであり、中斎自身がが裁くのではないという、退任したとはいえ、体制側にいた自分が体制を壊すのではないという配慮も含まれているようにみえる。それは、後にある「東照神君にも鰥寡孤独に於いて尤もあわれみを加ふるべくは、是れ仁政の基仰せ置かれ候。」という、江戸幕府を開闢した神君家康公の本来の意思に戻るべきであるというようなところにも表れている。だから、この義挙は体制を壊すというよりは、体制を元に戻すという意味合いが強かったのであろう。この義挙は、格差が広がり、富の集中がされている世の中への警鐘と多くの餓死者を出している民衆の救済を実行したいという「良知の学」の信奉者ならではの行動を示したものであるように考える。もちろん、中斎は死生を超越した感覚を持っているので、自分の一命に変えても諫言をしたいという覚悟は充分にできていたものと思う。
太平の世の中が続く中での平和ボケで武士としての役目を取り違えた者が賄賂などを堂々ともらっている現状と分不相応なものが支配階級になり、私利私欲を満たすために民衆に対して規定以上の穀物や金銭の醵出を促している現状の中で民衆の困窮はだんだん酷くなっている。直接、民衆の力になってやるべき階級の者どもが、そういう状態であるので、民衆はどこにもその窮状を訴えることもできずにいる。その民衆の恨みは、天に達し、様々な天災を起こし、とうとう飢饉という事態に陥ってしまった。そういう状態になっても、支配階級の人たちは気付かず、まだ、民衆を悩ます政策を続けている。天から深く誡めよと謂われているのに何故気付かないのであろうか。この上は、天に変わって、諫言すべく、行動を起こすしかない。というようなことが、中斎の挙兵の真意であることが、ここでは述べられている。そして、その根源にあるのは「万物一体の仁」という思想である。
中国宋代の儒学者、程明道を基とするこの思想は、明代に至って、王陽明の思想の一角を為すようになる。王陽明は「良知」というものは、天子から庶民に至るまで、その大小はあろうが皆が持っているものであると唱えている(もっと言えば、この世に生息するすべての生物も)。だから「良知」という観点からすれば、人間はみな平等なのである。その平等である人間は、皆、それぞれに役割が与えられる。或る者は統治者に、或る者は百姓に、また、或る者は商人にと。

   
そして、その役割を果たしていく中で、皆が一体となって、喜びも悲しみも共有していくというのが「万物一体の仁」の思想である。だから、困窮している民衆をみれば、同じ人間として、その苦しみを吾が苦しみとしてとらえて、それに対処していくのが道理であるということになる。しかし、現実は、前述のように、中斎の目からすれば、全く反対であったのである。
現在、格差社会が広がっているといわれる中で、「ネットカフェ難民」とか「孤独死」とか言われることが多く取り上げられるようになった。一方、サブプライムローン破綻などによる証券市場から商品市場への資金のシフトが進み、物価の上昇がおさえられない状況になってきている。また、国内市場の不振による、株などの投資資金の国外市場への流出も止まらなくなってきている。このように国体が定まらず、揺れ動く中で、貧困は益々貧困に、富貴は形を変えて、益々富貴に、というような構図が作られてきているように思われる。もちろん、後進国の貧困とは比べものにならないではあろうが、格差の拡大はおさえられない状況になってきているのが、今のわが国であるように感じる。中斎の存命した江戸末期と現在は、形は変わっているが、似たような状況にあったように思う。ここで、お堅い道徳論を説くわけではないが、今のうちに「弱者救済」ということではなく「弱者自立」の政策を強く打ち出していく必要があるのではないかと考えるのである。これから始まる高齢化社会、人口減少による労働力不足を補うために、それぞれに合った役割を果たしてもらうために、職業訓練や安価な住居の確保などの措置をなるべく多くするような政策が必要ではなかろうか。人材を海外に依存するのも必要であるが、もっと、国内での人材の育成、活用ということに本腰を入れることが今後欠かせないものになるように思われる。その方が、国体もしっかりしたものになり、国力もつく、そうすると事業も発展し、国外へ流出した資金も戻り、海外へ依存するよりも相対的にコストもかからないものになるのではないかと考える。
話をもとに戻そう。この項の最後に大阪の金持ち、豪商たちの現状を省みない贅沢な暮らしを述べていると同時に、それを取り締まっている奉行や諸役人たちは、その権力を振りかざして、金持ちや豪商から甘い汁を吸い取り、困窮している民衆には目もくれず、米相場に投資し、一喜一憂していると述べてある。このことと、あるファンドに投資して、そこそこの利益を得ていた官界の頭目と上場企業の経営者の顔がダブって見えるのは私だけであろうか。中斎はこういう人たちを「禄盗にて、決して天道聖人の御心に叶ひ難く、御赦しなき事に候。」禄盗人に他ならず、決して天道聖人の御心に叶うはずもなく、赦しまじきことである。と言っている。世の中の指導的立場にある人は、「禄盗人」にならないように気を付けてもらいたいものである。

 もはや堪忍なし難く    
 
前述のような世情を見るにつれ、中斎の心の中には、これを打破する手法はないものかということが、いつもあったように思う。この世に生を受けた人間は、役割の違いはあろうとも、同じ人間であり、それぞれの役割に応じて、禄は分配されてしかるべきなのに、禄は支配者階級に流れるばかりである。そういう、状況の中、下層の者は益々貧困に陥って明日の飯も食えない者も多くいる。この現実を上層部の者は、身を削ってでも解決しようと思わないのか。という、「致良知」「万物一体の仁」をその学の基軸とする中斎の叫びが聞こえてきそうである。そして、この堪忍し難き状況のなかで今や職を引いた自分としてできることは、自分も家族も賭して、実力行使にでて、下民を苦しめている役人やそういう恩恵に服して、驕り高ぶっている商人や金持ちを誅殺するしかないという結論に達したのである。そして、そこで得た戦利品は皆に分け与えるから、この義挙が始まったと聞いたら、駆けつけて来なさいと言っているのである。更に、これは決して略奪ではなく、周の武王が殷の紂王を討ったあと、紂王の倉から金銀米粟を貧困で苦しんでいた下民に分け与えたことと同じであるということを付け加えているのである。その中には、あくまでもこの義挙は、ただ自分たちの苦しみだけから、何の大義ももたずにやる一揆や国家転覆のための蜂起の企てではないという中斎の存念が表れているように思う。そして、今回の義挙の大義として次のようなことが述べられている。
「必ず一揆蜂起の企てとは違ひ、追々年貢諸役に至る迄軽くいたし、却て中興神武帝ご政道の通り、寛仁大度の取り扱ひにいたし遣り、年来、驕奢淫逸の風俗を一洗相改め、質素に立ち戻り、四海万民いつ迄も天恩を有り難く存じ、父母妻子を養はれ、生前の地獄を救ひ、死後の極楽成仏を眼前に見せ遣りし、尭舜、天照皇大神の時代に復しがたくとも、中興の気象に恢復とて立ち戻り申すべく候。」この義挙は一揆や蜂起の企てとは絶対に違う。つまり、目前の救済のみならず、徐々に年貢や諸役までも軽くして、国家の中興の祖、徳川家康公のご政道の通りに、寛容と仁愛を旨とした度量の広い政策を行い、これまでの驕奢や淫逸の風俗を洗い流し改めて、本来の質素倹約に立ち返り、この世の人すべてが、いつまでも天地自然から得る恩恵を有り難く思い、父母妻子をつつがなく養うことができ、生前の地獄へ落ちるのを救い、死後に極楽へいけるのがわかるような世の中にすることが目的である。尭瞬の理想の社会や、天照大神の時代まで立ち返るのは難しいとしても神君家康公の頃の状態に回復するまでには戻したいものである。と定義付けているのである。中斎は天下が平定され、家康が征夷大将軍になり、江戸幕府を開いたときの初心(武家社会の本来の姿)に戻すことが、この状況を打破するための最善の策であるとしているのである。だから、決して、国家転覆を狙っているものではなく、今の世の人道の堕落を是正するための行動であると言っているのである。そうであれば、他の方法はなかったものかと考えるが、封建体制の時代の中では、先生とはいえ私塾の一介の浪人が、上層部に建白するにも道がなく、たとえ道ありとも時間がかかり、しかも、困窮する民衆を目の前にし、早急に救済する必要があるという時代背景の中でこれしかないと思い至ったのであるように思える。
   
そして、このことをきっかけとして、万民にある良知に直接、働きかけて、それを発揮させることができるならば、それを引き金として、心ある者共が集結して、世の中を改善していくリーダーシップをとっていけるのではないかという期待もしていたのかもしれない。もちろん、このことが成就しようがしまいが、自分が責任を取るということは、あたりまえのように中斎の心の中にはあったに違いない。
NHKの大河ドラマ「篤姫」の2話で調所広郷が、幕府に密貿易や贋金作りを暴露され、薩摩藩の藩名や主君島津斉興の君名を汚さぬよう、藩の財政改革のいい部分も悪い部分もすべてを背負って服毒自殺する場面があったが、自分の使命、役割を達成するための覚悟と責任は武家社会にあっては表裏一体のものであったことを表していることを物語っている。
一般に中斎のこの行動については、性急過ぎる、計画性のないものであるという風に映っているようであるが、中斎が自分の使命を自覚したときから、すでに覚悟と責任をとるということは、できていたように思える。一見、意を異にする二つの出来事であるが、この覚悟と責任を貫いた人間のやってきたことは、将来に大きな影響を及ぼすようになる。調所広郷の改革は、幕末の薩摩藩の財政を支え、豊かな蓄財は、幕末から明治維新への改革の資金として、大いに役立ったであろうし、中斎の行動は、幕藩体制の歪みや弱さを露呈させ、本人の意念とは別に幕藩体制改革や幕藩体制崩壊への道筋をつけたことになったのではあるまいか。振り返って、今の世の中は、自分の役割や使命のことについては、うるさく言うが、それを実行するための覚悟や責任については、うやむやにしている人が多いのではあるまいか。
話を元に戻そう。次には、この檄文の広報についての説明がしてある。「此の書付け、村々へ一々しらせ度く候へども、数多の事につき、最寄りの人家多く候大村の神殿え貼り付け置き候間、大阪より廻しこれ有り番人どもにしられざる様に心懸け、早々村々へ相触れ申すべく候。万一番人ども眼付け、大阪四ケ所の奸人どもへ注進いたし候様子に候はば、遠慮なく面々申し合ひ、番人を残らず打ち殺し申すべく候。」本当は、この書付の内容を村々に仔細に知らせたいと思うけれども、数が多いので、大きな人口の多い村の神殿に貼り付けておく。その間大阪から巡回する番所役人に見つからないように気を付け、早々に村々に知らせよ。万が一番所役人が見つけて、大阪の四ケ所の奸悪な役人に注進しそうな気配があれば、遠慮なくお互いに申し合わせて、番所役人を残らず撃ち殺してもかまわない。と述べている。この情報が漏れそうであれば、番所役人を殺してもかまわないといっているのである。情報漏えいが、この義挙の成否を担っているということを強烈にアピールしたものであると思える。そして、更に地頭や村方にある年貢などに関する諸記録や帳簿類は破って焼き捨てておくようにと言っている。記録を消滅させることによって、新制度が実行される際に軽減された年貢で再スタートするのに好都合であるというように考えたのであろう。そして、改めて、この行動は、謀反ではなく、天が悪を誅する、つまり、天誅であると言っているのである。

以上が檄文についての解説である。さて、ここから、この義挙に至った中斎の思想について勉強していこう。

 1. 孔孟学    
 
まず、大塩平八郎の哲学、思想について、話を進めていきたいと考える。冒頭に「先生の学、之を陽明学と謂ふか。」という弟子からの質問が出てくる。それに対しては否定する。また、程子、朱子の学かという問いも、毛亨、鄭玄、價公彦、孔穎達などの経書の字句や文意の注釈を主流とする学かという問いも、伊藤仁斎、東涯親子の古学か、荻生徂徠の学かといういずれの問いも否定している。そこで改めて弟子が「然れば則ち先生の敵従する所、将た何の学ぞや。」そうであれば、先生の信奉している学問は、何というのであるのでしょうか。と質問を繰り返すと、中斎は、おもむろに「我が学は只だ仁を求むるに在るのみ。故に学に名無し。強ひて之に名ずけて孔孟学と曰ふ。」自分の学問はただ「仁」ということを追求するものであるので、特別に名を付けることにはしていない。あえて名をつけるとすれば、孔孟学と言える。と答えているのである。中斎に限らず、江戸時代の学者や識者たちは、儒学を基本として様々な東洋思想を受け入れている。そして、それを自分の内部に蓄積して、涵養し、自分の哲学や思想として、身に付けてきたということが言えるのではないだろうか。特に幕末になって、仏教や道教、兵家や法家の思想は当然として、国学や蘭学などの思想も取り入れて、「新日本学」というようなものが形成されていったように思える。そして、それが尊皇攘夷から尊王倒幕、尊王開国という流れに繋がっていったのであろう。だから、よく幕末の志士たちをあの人は陽明学者だと規定する人がいるが、それは、少し違うような気がする。陽明学の影響が強かった人というような表現が正しいのではなかろうか。ここで少し、岡田武彦先生のことにふれようと思う。晩年、岡田先生がよく言われていたのは「西郷さんや吉田松陰は、陽明学者だったのですかね。」ということであった。岡田先生自身も陽明学に関する研究者としては、日本の第一人者であったのであるが、最初に大きく影響を受けたのは、先生の師である楠本正継先生の先祖、幕末の平戸藩の藩儒である楠本端山の思想である。楠本端山は、江戸時代の最高学府である昌平坂学問所でも学んだが、崎門派(山崎闇斎の朱子学の学派)の影響を強く受けている学者である。だから、当然、岡田先生の学問は、一概にすべて陽明学一色ではないのである。もちろん、兵家や法家の思想、禅や道教も深く探求され、若い頃には西洋思想にも傾倒されていらしたようである。また、音楽や書画、詩歌なども嗜まれ、文化的な側面を多く持っておられた。そして、山あり、谷ありの人生を過ごされている。岡田先生の学問は、晩年には「岡田学」という様相を呈していたということが言える。ご自身の著作「簡素の精神」(致知出版社)などを読めば、そのことがよくわかる。また、晩年、機会あるたびに直接、フランクに話を聞かせて頂いていた私には、尚更、そのことがよくわかるのである。大塩中斎も陽明学を信奉し、王陽明を尊敬し、強い影響を受けていたのではあるが、自分の学んだ様々な哲学や思想を交えて、そして、様々な原体験をしていく中で「大塩学」というものを確立させていったのであるように思う。
話を元に戻そう。次に弟子から「其の説如何。」それはどういう学問なのでしょうか。と聞かれている。それに対して中斎は、「私の学問は「大学」「中庸」「論語」「孟子」を習得するものであり、「六経」を習得するものである。」と冒頭でいっている。

   
六経というのは、「詩経」「書経」「易経」「春秋」「礼記」に加えて「孝経」という意味である。また、これは、いずれも孔子、孟子の手により、大成されたものである。だから、孔孟学というのであると弟子に説明しているのである。そして、弟子からのそれぞれの質問に対して、四氏の学問は、孔孟学の字句や文意を解釈するだけのものであり、程子、朱子の学はその精密な内容の解明やそれに連なる人間の本性についての奥義を解明するものであり、王陽明の学は、程子や朱子の学問の中心になるものを簡単明瞭に示したものであるといっている。そして、伊藤仁斎や荻生徂徠の学問については、亜流のものであるとして、否定的である。そして、孔孟学の真髄は「仁」というものの追求に他ならないとしているのである。
しかし、「仁」の追求にいきなり着手しようとしても困難であるので、つぎのように進めていくのがよいであろうと述べているのである。「故に或は其の訓詁注疏を読みて其の影響を求め、或は其の敬に居り理を窮むるの工夫に因りて以て其の精微を探り、其の底蘊を窮め、或は良知を致して以て其の易簡の要を探る。」四氏のように経書の字句や文意の注釈を読んでその手がかりを求めたり、朱子や程子のように「敬」を保って、理を窮める工夫をして、精微な内容や根底にある奥義を探求したり、陽明先生のように良知を致すことによって、中心にあるものを簡単明瞭に探り出すことである。要は、それぞれの学問の主軸になるものを把握し、それを活かすことにより、孔孟学は明確になっていくのであるといっているのである。そして、更に「仁」の追求は孔孟学にとって非常に重要のなものであるが、その中心にあるのは「孝」であるといっているのである。孔子は、仁について、それは「忠」であり、「恕」であり、「孝」であると説いているのであるが、その中でも中心にあるのは「孝」であると言っている。また、孟子も先王である尭や舜の行った道は孝や弟であると言っている。だから、中斎は孔孟学の主宰者として「孝」をその思想の中心とするとしたのであろうと考える。それは「故に我が学は「孝」の一字を以て四書六経の理義を貫く。」というところにあらわれている。「仁」を追求し、その中心にある「孝」を実行することが大塩中斎のいう孔孟学なのである。
この中に出てくる「孝経」については、ここに述べてあるように孔子が弟子の曾子に至徳(最高の徳)を得るための道を説いたものだとされている。中国宋の時代に朱子が官学を制定したときは、四書五経を学ぶことが官吏登用への道の中心となったのであるが、江戸時代にこの朱子学が官学になった時に、わが国では、それに加えて「孝経」を大切にしたので、ここでは、四書六経と表現されているのである。最近は、私も含めて、親孝行ということから縁遠くなっている人が多いと思うが、江戸時代の人は、特に学者や識者は、親孝行を一番大切なことだと考えて実行していたのであろう。それは、この章の最期に中斎が「嗚呼、其の所生を忝めてべん然として儒を以て自ら冒す者、則ち孔孟の罪人に非ずして何ぞや。と」親を辱めて、恥知らずにしゃあしゃあと儒者の名を騙る者は、孔子や孟子に対して罪を犯すのではなくて何であろうか。と述べているところでもわかる。「親孝行したいときには親は無し」という言葉があるが、親孝行どころかいつまでも親に帰属して、なかなか自立できない人が多くなっている現実を見るにつけ、人間にとって当たり前の道理が社会的にも経済的にも、ちゃんとできる世の中にするのが急務であるようにも思う。

 2. 明体適用    
 
明体適用とは、形而上の真理を探究し、物事の本質を明確にして、実社会の実践に応用するというような意味である。宋代以降の所謂、新儒学は、これを(体と用を)不可分なこととしている。つまり、本質の明確化(体)と実社会での実践(用)は、人間社会の道理として、一つのものに包含されるということである。だから、ここで、中斎は天地自然の道理と人間としての道理は同一のものであると言っているのである。「春は物を生じ、秋は物を成し、冬は物を蔵し、夏は物を長ず。」この四季の循環は天徳そのものであり、人間として生きていくのに必要欠くべからざるものであるので、当然、それに順ずるのが人間としての生き方であるとも言っているのである。
このところ、中国からの輸入食品に関する問題が大きく取り上げられている。食糧のほとんどを海外から輸入している日本のこれからの行く末に危機感を呈しているものとして、この問題には真摯に対応していかなければならないのではないだろうか。中斎のいう天徳を軽視して、安いものを海外からどんどん受け入れればよいという考え方が、間違いであったということを真摯に受け止め、いち早く対応策を打ち出していかねばならないであろう。カロリーベースの自給率40%弱、穀物の自給率にいたっては20%弱という有様では、有事のときにどう対応していこうと考えているのかわからない。もちろん、備蓄という手段を講じてはいるが、新興国の発展に伴って、日本の食糧の買い負けが続いている現状を見るにつけ、底をつくかもしれないという不安は、ぬぐいされるものでもない。また、このところの世界的な気候不順による作物の減産は、それに尚更、拍車をかけてくるように思える。「食」がなければ、人間は生きていくことができない、そしてその根本はまさしく天から与えられた天徳そのものである。わが国においては、四季の循環の中で、作物を培いながら、その得たもので、自分の食を満たし、近隣の人たちの食を満たすという所謂、「身土不二」「地産池消」という言葉があるが、過去には、それが実行されてきたのである。これがわが国の食文化の根本であるかのように思われる。今は、この根本を再確認して、現在にあった形で「食」の自給への道を進めていくことが重要であるように思われる。

   
明体適用とはまさしくこういうことを言っているのである。そして、このような政策を進めて行く中で、天地自然の摂理を知るので、それに伴って、生命の大切さを知り、生きるための知恵を授かり、人間としての道理も理解するようになっていくように思える。食の改革は教育改革にも繋がるのである。中斎のいう「学なるものは、天徳を学ぶなり。道を明らかにするとは、天道を明らかにするなり。」である。
中斎はさらに言う。「是の故に学を論じ道を明らかにして、而も其の用無き者は、乃ち天と背き、天と背けば則ち一偏に陥る。」学問を論じて、道を明らかにしながら、それを実践に応用できない者は、天に背くことになるのである。天に背けば、偏見に陥ってしまうことになる。所謂、「天人合一」の思想をここでは垣間見ることができる。天地自然の恩恵を受けながら、天地自然の理に背いていると、その恩恵を忘れてしまい、利己欲が強くなり、世の中を動かしているのは自分だというような錯覚や偏見に陥ってしまう。そうすると、世の中に道理が通らなくなり、殺伐とした様相になっていく。そして、改めなければ、それは、破壊へと繋がっていく。だから、天である人は天に順応しながら生きて、それぞれの使命を果たしていくべきであり、それが人間としての道理に合った生き方である。と、中斎は言っているのである。
中斎が影響を受けた中国明代の儒学者、呂新吾は「呻吟語」の中で、天地自然の理に即した政治について次のように述べている。「故に聖人の民を治むるは水を治むるが如く、下きに就かざらしむ能わず、能くこれを分かちて泛溢せざらしむるのみ。これを?して決せざらしむるは、尭瞬と雖も能わず。」聖人が人民を治めるのは、水を治めるようなやり方で行う。自然に低いところへ流れるようにしむけたり、流れを分断して、氾濫が起こらないように処置するのである。堤防を築いて、これを決壊させないようにもたせるのは、尭舜のような聖人でも不可能なことである。という意味である。天徳に順応して無理なく、対応していくということが政治や政策を実行する上で重要であるといっているのである。今、わが国に必要なのは、無理を通さず、道理を尊重する政治や政策なのではあるまいか。

 3. 志を立てる    
 
この章は中斎の志についての見解である。「人は七尺の躯にして、而も天地万物の理を具ふ。」人はほんの七尺の体ではあるが、その中には天地万物の理を具えている。天を大宇宙とすれば、人は小宇宙であるというような意味になろうか。そういう、ものであるから、「志を立つれば則ち道張りて行はる。志を失へば則ち其の道とじて亡ぶ。」志を立てることが出来れば、その道理が開かれていき、自らの使命を全うすることが出来るが、志を失えば、その道理が閉ざされて滅びてしまい、自らの使命を全うすることができない。と言っているのである。そして更に「亡びしむる所以の者は、富貴貧賤にして、行はれしむる所以の者は学問力行なり。」志を滅ぼさせるものは、財産や地位の有無に執着することであり、志を行わせるものは学問と実践である。と言っている。つまり、前述のように天徳を学び、道を明らかにし、それを実践することが志を遂げるためには必要であると言っているのである。決して、財産や地位を得ることを目的にしてはいけないと言っているのである。前々回勉強した橋本左内は「志を立つ」の章の中で「志を立つる近道は、経書又は歴史の中にて、吾が心に大いに感徹致し候処を書抜き・・・・。」志を立てるためには、四書五経や歴史書の中で自分の心に深く感銘を受けたところを書き抜き・・・。といい。更に「志既に立ち候時は、学を勉むる事なければ、志弥弥ふとく逞しく成らずして、動もすれば聡明は前時より減じ、道徳は初めの心に愧ずるように成り行くものにて候。」志が立った後でも、学問に励むことを怠ると、志が一層逞しくならずに、ともすると、かえって以前の聡明さや道徳心が減少して、失われていくものであるので、注意しなければならない。と言っているのである。中斎と同様に表現は少し違うが、天理を経書の中に求め、天徳を学び、道を明らかにし、それを実践し続けることが重要であると言っているのである。もっと言えば、中斎にしても左内にしても志を立てる目的は、聖人に成らんとすることなのである。王陽明は立志については、その目的は聖人に成らんとすることであり、それを成し遂げるためには「天理を存して、人欲を去る。」ことだと言っている。ここで王陽明のいう人欲とは、地位欲、名誉欲、金銭欲などの個人の私利私欲を指す。換言すれば、天理や天徳を得るためには、私利私欲を去るということが必要であるということを言っているのである。
   
そして、続けて中斎は「人と禽と此に於いてか岐れ、賢と愚と此に於いて判る。」人間と禽獣との別れ目がここにあり、賢者か、愚者かということも志を果たすために、天徳を得るための学問と実践の積み重ねをしているかどうかで判断できるものである。と言っている。そういうことから考えると、現在の大きな教育の流れは、天徳を得るための学問というよりは、個人の私利私欲を得るために、いい学校の入り、いい会社に入るためにするという傾向が強いのではなかろうか。こういう教育からは、世の中のため、人のために貢献するという人材は育てにくいものである。また、学問を私利私欲の達成のための手段とするので、能力はあっても目標達成度が低く、それに応ずるモチベーションも低くなるので、それを大きく広げることをできなくしているようにも思える。近年の日本人の学力の低下は、ここで言う志を立てることの重要さを教育できていないことに原因があるように思える。学力の低下を是正するために、これから教育制度が変更になるが、学問とは、国のため、社会のため、家族のため、世の中の道理を明確にするためにするのだという志をその中に明確に示してもらいたいものである。そのためには、それを実行するための現場を指揮する者の重要性を考えると、教育者としての資質の是非の認定制度や教育者への啓蒙や指導が欠かせないものになると思われる。つまり、教育に関わる者すべてが、常に怠る事無く、学問と実践を積み重ねていかねばならないということである。
次に中斎は「年寿は馳するが如し。各々能く努力せよ。」人の寿命はあっという間に去っていく。だから、それぞれ、時間を大切に努力することを忘れてはならない。と言っている。前述の通り、時間の過ぎるのは早いので、寸暇を惜しんで学問と実践の積み重ねをしていかねばならないと言っているのである。このことはその後にあるように「諸を前哲に質して、而して前哲も亦た爾云うなり。」ここに述べてある前哲とは、朱子であり、王陽明のことを言っているのであるが、彼らもそう説いていると言っているのである。特に朱子の詩(七言絶句)「偶成」は、この著書にも述べてあるようにそのことをよく表している。参考までに記しておく。

少年老い易く 学成り難し
一寸の光陰  軽んずべからず
未だ覚めず  池塘春草の夢
階前の梧葉  已に秋声 

 5.要を知る    
 
「之を潤ほすに風雨を以てす。故に品物は其の潤沢に資りて生長す。然れども人は壁を徹し屋を去り、露座露寝すれば、則ち必ず之が為に傷はれ、而も病みて死せざる者鮮し。」天は、この世の万物を潤すのに風雨を施す。それゆえに、万物はその潤いを得ることにより生まれ育つ。しかしながら、たとえば人が住まいの壁を撤収し、屋根を取り払って、雨ざらし、日ざらしの生活をすれば、必ず風雨に健康を冒され、多くは病気になり、死ぬことになるであろう。と中斎はこの章の冒頭で述べている。そして、次にこれは読書をする姿勢にも繋がると言っているのである。その理由については、次に「書は固より道に入るの具なり。然れども要を知らずして泛観博覧すれば、則ち徳壊れて悪殖ゆ。」書物は固より、道義道徳を習得するためのツールである。しかしながら、要点をわきまえずに濫読、博覧ばかりしていると、徳が損なわれて悪の心が増殖してくる。と、述べている。つまり、人間は、天地自然の理の中でその恩恵を受けて生きてはいるが、自分の生活の基盤である家をちゃんと構えなければ、雨ざらし、日ざらしの生活をしていたのでは、遠からず心身ともに病んでしまい、死ぬということになる。それと同じで書物を読むにもちゃんとした学ぶための心構えができていなければ、その内容の要点や良し悪しの理解もできないまま、書物に表現されている言葉に流されてしまい主体性を涵養するどころか、むしろ悪影響を及ぼすことになる。と、中斎は言っているのである。中斎の学問の姿勢については、この章の余説に書いてあるように「心性の理を明らかにし、天人の義を知ること」であり、「学は多端なりと雖も、要は心の一字に帰するのみ」なのである。つまり、道理を明らかにし、道義を世の中に推し進めることである。その当時広まっていた、一字一句の語義をめぐって論争する訓詁考証を重視する学風を中斎は知識偏重主義として批判し、軽蔑していたこともあり、この章は自身の学問の姿勢を明らかにしたものであるということも言える。
   
さて、現在、我々は、書物からだけでなく、あらゆるものから、雨あられの如くの情報や知識を得ることができる。しかし、それは、前述のように、何の心構えもなければ、風雨にさらされている状態である。風雨にさらされていると気付く人はまだいいのであるが、気付かずにいる人はただ右往左往するだけである。そして、結果、そういう人は、自分の都合のいい情報や知識に傾倒することが多い。いい事であろうが、悪い事であろうが自分の私利私欲に走ってしまう。そのまま、続けていけば、破滅するか、死ぬかしかないのに、それに没頭してしまう。そして、行き着くところまでいって、初めて、自分の非に気がつくのである。そういう人格を作りやすい環境の中に我々は暮らしているのである。先日、2件の地方の企業から会計事務所を通して、事業再生の相談を受けた。どちらとも、もう已に手遅れに近い状態にあるのに、抜本的な処置がなにもできていないのである。話を聞いてみると、色々な情報を多方面から入手しているのであるが、自分がこれからのその事業をどのようにしていくのか、それに対して自分はどう行動するのかという心のスタンスが出来ていないがために都合のいいことを言う周りの人間や債権者に振り回されてきているのである。末期的状況にある経営者はこういう人が多いのが現実である。いつもながら、もう少し早く相談してもらえればと思うのであるが、将に行き着くところまでいかないと気がつかないという代表的な例ではなかろうか。また、現在頻発している親殺しや子殺し、夫殺しや妻殺し、誘拐殺人や猟奇的殺人、ほとんどの事件がその人の都合で周りを巻き込んでいる事件が多い。ここに述べてある「吁、亦た己を敗り世を乱さん。」結局は自分を駄目にし、世の中に混乱を引き起こすことになる。の通りである。もっと言えば、誰もがそういう事件を起こしかねない、また、事件に巻き込まれる可能性が強い世の中なのである。そういうことからしても中斎の言う、天理を学び、天徳を得、道理を明らかにして、それを実践していくという主体性ある自己実現のための学問は現在のような社会にこそ必要欠くべからざるものであるように思う。

 6.太虚は世界の根本である    
 
「水は孰か之を流れむるや。石は孰か之を堅からしむるや。山は孰か之を峙たしむるや。海は孰か之を潮せしむるや。雲雨は孰か之を翕張せしむるや、日月は孰か之を往来せしむるや。視れども見えず、聴けども聞こえず、一言以て之を蔽えば、太虚の徳なり。」水は誰がこれを流させるのか。石は誰がこれを堅くするのか。山は誰がこれをそびえたたせるのか。海は誰がこれを満ち引きさせるのか。雲や雨は誰がこれを離合集散させるのか。太陽と月は誰がこれを往来させるのか。じっと見ても見えず、耳を澄まして聴いても聞こえない。しかし、これを一言で言い尽くすとするならば、太虚の徳である。と述べている。天地自然の中で絶え間なく行われている様々な現象は、誰かの手を借りたり、誰かが意図的に動かしているものではなく太虚の徳であるといっているのである。太虚とは天のことであり、宇宙のことである。ここにも書いてあるが、太虚の概念については、中国宋代の儒学者、張横渠の「正蒙」に述べてある。横渠はその中で太虚は気の本体であると言っている。気というのは我々が存在するこの宇宙のエネルギーであり、万物を生成させる根源というような意味である。この気が世の中にある万物を形作っているという見解である。そういう意味からすれば、そこにある一つ一つの細胞を形作る原子が気であるということもできるように思う。つまり、マクロな宇宙という世界とミクロな原子という世界は相通ずるものがあるということである。これは将に儒学でいうところの天人合一の思想につながっていくのである。また、そのことは、中斎もこの後に「方寸の虚」という言葉でのべているが人間はそのものが小宇宙であるということでもある。
皆さんもよくご存知の中国古来の武術「太極拳」の根底にある気功はこの気の働きを活性化させる手法といわれている。宇宙エネルギーを自分の身体の中にとらまえ、細胞を活性化することにより、元気になり、やる気を増進させることに繋げていくのである。「座禅」や「瞑想」、儒学の「静坐」、それの進んだ形での岡田武彦先生の唱える「兀坐」、これはいずれも前述のような宇宙エネルギーを自分の中に蓄積して、細胞を活性化させる手法ということが言える。是非、皆さんもこのような宇宙エネルギーを蓄えて、隅々までの細胞を活性化させ、小宇宙である自分を感得できる時間を作られるべきであろうと思う。ここに岩崎さんがおられるが、岩崎さんが教えておられる「正心調息法」も大変有効な手法であるように思う。話をもとに戻そう。

   
次に天地自然の中で起こる現象に対比して、人間社会の中にある現象についても太虚の徳ではないかと述べてある。「善は孰か之を息せしむるや。悪は孰か之を消せしむるや。忠は孰か之を勧めしむるや、邪は孰か之を懲らしむるや。父子は孰か之を親愛せしむるや。上下は孰か之を泰和せしむるや。此れ亦た太虚の徳の致す所か。」善は誰がこれを発育させるのであろうか。悪は誰が之を消滅させるのであろうか。忠義は誰がこれを勧めさせるのであろうか。邪まなこと、之を誰が懲らしめるのであろうか。父と子は誰が之を親愛させるのであろうか。上下関係は誰がこれを調和させるのであろうか。これもまた、太虚の徳がそうさせるのであろうか。この文章では中斎は人間社会にある現象も太虚の徳であると言いたいのであるが、断言はしていない。それは、人間としての修養をする中で、理解できてくるものであるというようなことを含んで表現しているように思える。自分の弟子たちに対して、実社会の中で色々な体験を積んで結論を出しなさいと問いかけているのでもあろう。中斎自身の哲学の中では、それは太虚の徳であるという結論は、ある程度導き出されているのであるように思う。というか、前述の天人合一の思想から言えば、天地自然の現象であろうが、人間社会の現象であろうが、この世に存在するすべてのものは太虚の徳の恩恵を受けているものであるということになる。
現在、人類にとって最大の課題は地球環境の正常化ということであるように思う。それは、人類の滅亡に関わる問題でもあるからである。自国や自分の利得のためだけに邁進して、太虚の徳、天徳を無視あるいは軽視して行動してきた結果が今、環境問題として現れてきているわけである。それならば、この問題の解決は、太虚の徳、天徳を重視し、それに則した形で行わなければならないように思う。もちろん現実としてのCO2の削減であるとか具体的な目標の設定もさることながら、前述した宇宙エネルギーを利用促進する(現在も太陽熱発電とか風力発電とか色々な試みはされているが)形での社会構造への変革ということが重要であるように思う。そして、そのためには、中斎がこの章で述べているように、それを促進していく実体である我々人類の道徳的倫理観を根付かせていかねばならないように思う。そうすれば、天地自然の現象も人間社会の現象も太虚の徳を得ることにより、呼応できるようになり、住みやすい社会を実現できるからである。

 10、方寸の虚と太虚    
 
「方寸の虚は、太虚と刻も通ぜざるべからざるなり。如し隔たりて通ぜされば、則ち生人に非ざるなり。」心臓の空間と太虚は一刻たりとも通じないということがあってはならない。もし双方の間に隔たりができて通じなくなれば、生きている人間とはいえないのである。と述べている。そして、その理由として次に「何となれば、今物を以て口中を塞げば、即ち方寸の虚は閉ざされて呼吸は絶え、忽ち死人と為らん。」なぜなら、今もし物で口の中をふさいだら、そのまま心臓の空間は閉ざされて、呼吸が絶えて、忽ち、死人になるであろう。と述べている。方寸の虚とは、ここにも述べてあるように心臓の空間であるが、「心の本体」という意味でもある。心臓に心があるという概念は、古代中国人が考えたことで、そこに精神活動の中枢があると考えられていたのである。いまの学説からいくと特に心療内科的な発想からいくと心は脳にあるということになるので、精神活動の中枢も脳にあるということになる。そのあたりの見解の相違はあるが、方寸の虚という本来の意味は「心の本体」であり、「精神活動の中枢」を指すものであるということが言える。単なる臓器としての心臓とは違うのである。つまり、広大な宇宙と人間の「心の本体」は、絶え間なく繋がりあい、通じ合っているということである。前述もしたが、太虚は大宇宙であり、方寸の虚は小宇宙であるということが言えるのではなかろうか。確かに人間は空気がなければ生きていけない、水がなければ生きていけない、食がなければ生きていけないということを考えると絶え間なく天からの、宇宙からの恩恵をうけているのである。 それは、そのまま宇宙の一部として人間が存在しているという証明であるように思える。そして、個々の人間の身体にも宇宙と感応、呼応していくために宇宙と同じような働きを内包しているということも言える。
私は、朝、晩と「瞑想」をもう20数年続けているが、それを実行しているときに雑念が次から次へと出てくる。その雑念は、払おうと思えば思うほど、どんどん出てくる。先日、久しぶりに音楽家の柴田治夫先生と栃木県の佐野で会った話の中に、友人が「座禅」を始めたが、雑念がどんどん出てくるのでどうしたものかというようなことを手紙に書いてよこしたという話があった。

   
私は、雑念が出るのは当たり前のことなので、それを自然に受け止めて、自分の中に取り込んで、それに捉われずに続けられるのがいいという旨をお伝えしてみられたらと、アドバイスをした。「座禅」をするとか「瞑想」をするとかいうと、すぐにも無念無想の世界に入れると思っている人が多いようであるが、わたしのように20数年続けていても、雑念が皆無ということは一度としてない。そういう中でスコーンと「想念の源」にたどり着けるときがある。それはずっとは続かないが、その時に宇宙にコンタクトできたような感覚になる。これが無念無想の世界なのであろう。また、瞑想を始めると徐々に人間の実体としての身体の感覚というか、皮膚感覚がなくなり、まわりの空気と一体になったような感覚になる。そういうことでも宇宙との一体感を感知できるように思う。次に出てくる「方寸の虚は、太虚と刻も通ぜざるべからざるなり。」の世界を感知することが出来るということである。
この章の最後に「故に方寸の虚は、刻も太虚に通ぜざるべからざるなり。是れ他無し、太虚は即ち心の本体なるを以ての故なり。亦た何ぞ疑はんや。」そうであるから、心臓の空間は、太虚と片時も通い合っていなくてはならないのである。これは他でもない、太虚は心の本体であるからである。何の疑いもあろうはずもない。と述べている。天、宇宙と人間の心の本体は同じものであると言い切っているのである。
中斎の思想はこの太虚説から始まって「万物一体の仁」「致良知」と連なっていくのであるが、この太虚説の宇宙観、自然観がその根本にあるように思われる。もちろん、その当時の儒学者には、中斎のような宇宙観、自然観を持っていたものもいたではあろうが、中斎は突出しているように思う。それが、中斎のカリスマ性を増進させたのかもしれない。「人は宇宙そのものである。」「人は宇宙を内包している。」といえば、気宇壮大な気持ちになれ、なんでもやれそうな気分になるものでもある。この細々とした、些細なことに敏感になりすぎて、人の揚げ足をとったり、切れたりする現代の世情にあって、中斎の唱える宇宙観や自然観は、胆力をつけ、大局的に物事をとらえるという意味からしても大切なことであるように思える。

 12.人は天である    
 
「口耳の虚より五臓方寸の虚に至るまで、皆な是れ太虚の虚なり。而して太虚の虚は、尽く五臓方寸の虚に萃る。」口や耳の空間から五臓を貫き、最後の心臓の空間に至るまで、これは、すべて太虚の空間である。そして、この太虚の霊妙な力はすべてが心臓の空間に集まっている。と述べている。中斎は、人間の身体の隅々まで、天の、宇宙のエネルギーが行渡っているということを言いたいのであろう。そして、その中心は、「心の本体」「精神活動の中枢」であるところの心臓の空間にあると言っているのである。そして次に「便ち是れ仁義礼智の家する所なり。其の家する所の仁義礼智は、即ち太虚に循環する所の春夏秋冬なるのみ。是れに由りて之を観れば、即ち仁義礼智は、春夏秋冬と異なりて而も同じ。」だから、つまり、心の本体である心臓の空間には天が意図する仁義礼智が宿っているのである。そして、その心臓の空間に宿っている仁義礼智は天地自然の中に循環している春夏秋冬に他ならないのである。こういったことから考えるならば、仁義礼智は、春夏秋冬と異なっているようで実は同じものなのである。と述べている。つまり、太虚と方寸の虚が同一であるならば、天から人に与えられた仁義礼智と天に循環する春夏秋冬は言葉は違っても、実は同じものであ、呼応し合うものであると中斎は言っているのである。心の本体にある仁義礼智を働かすことにより、春夏秋冬という現象面での働きが現れてくるということになろうか。そういう意味では、心の本体にある仁義礼智がうまく働かなくなっている現在、春夏秋冬の四季の移ろいも不明瞭になってきているのではないかということが言えるのではなかろうか。つまり、現在の大きな問題の一つである環境問題は、人間の心の本体にある仁義礼智を働かせれば解決できるということになろう。環境問題の解決には、前述もしたが、道徳的倫理観が必要不可欠なものであるように思う。

   
この中斎の仁義礼智と春夏秋冬を一致させる考え方は、ここにも述べてあるが、朱子の考え方に影響を受けたものであるように思える。「仁は固より仁の本体なり。義は則ち仁の断制なり。礼は則ち仁の節文なり。智は則ち仁の分別なり。正に春の生気、四時に貫徹するが如し。春は則ち生の生なり。夏は則ち生の長なり。秋は則ち生の成なり。冬は則ち生の蔵なり。」仁は固より仁の本体である。義は仁を実行するための決断や政策を意図するものであり、礼は仁を実行するための礼儀礼節を勧めるものであり、智は仁を実行するための分別を明確にするものである。このように仁が他のすべてに一貫してあるように、四季は、春の生気が他に一貫してあるのである。春は生気そのものであり、夏はその生気を成長させる時期であり、秋はその生気を成就させる時期であり、冬はその生気を蓄えておく時期である。と朱子は述べている。
「故に昔人曰く「人は天なり、天は人なり」と。夫子の謂は所る「天何をか言わんや、四時行われ、百物生ず、天何をか言わんや」とは、是れ天を以て人徳を言えるなり。」だから、昔の識者は「人は天であり、天は人である」と言ったのである。孔子が「天は何か言うであろうか否何も言いはしない。四季はめぐり、万物は生ずるが、天は何も言いはしない。」と言われたのは、天の運行を以て、人徳の本来の姿を説かれたのである。と述べてある。つまり、天徳と人徳は呼応するものであるので、天地自然の道理は、人間社会の道理でもあり、人間社会の道理は天地自然の道理でもあると中斎は言っているのである。人間の社会生活が、天地自然の道理をはずれたら、破滅するしかなくなるとも言っているのである。だから、「人は天なり、天は人なり」なのである。

 15、人は万物と一体である    
 
「躯殻の外の虚は、便ち是れ天なり。天とは吾が心なり。心は万有を葆含すること、是に於て悟るべし。」肉体の外の空間は、すべて天そのものである。また、天は吾が心でもある。だから、心は天と同じように万物を包含する広大無辺なものであるということは、そういうことからわかる。と、述べている。つまり、本来、人の心は天と同じような許容量を持っているということである。だから、万物を包含できるとも言っているのである。万物を包含できるということは万物と一体になれるということでもある。
「故に血気有る者、草木、瓦石に至るまで、其の死を視、其の?折を視、其の毀壊を視れば、則ち吾が心を感じ傷ましむ。本と心中の物たるを以ての故なり。」だから、人間は当然として動物、草や木や瓦や石に至るまで、死んだり、折れたり、壊れたりするのを見れば、吾が心が痛感し、悲しむことになるのである。それはもともと心の中に万物が包含されているものであるからである。と述べている。心は万物を包含しているのであるから、万物に情愛を持つのは、人間として当然の事であると中斎は言っているのである。
このところ、無差別殺人や無理心中が大きな話題となっている。土浦での8人の無差別殺傷事件、岡山の駅ホームから突き落とし殺人事件、文京区の一家無理心中など、万物どころか、同じ人間に対しての情愛も無いのではないかという事件が立て続けに起こっている。すべて、自分勝手な動機である。どうして、こんなことになるのかについては中斎は次に述べている。「若し先ず慾有りて心を塞げば、則ち心は虚に非ず。虚に非ざれば、則ち頑然たる一小物にして天の体に非ざるなり。便ち骨肉と既に分隔し了る。」もし、私欲が心をふさいでしまっていれば、心は虚(つまり、天)でなくなり、虚でなければ、心といっても頑固で融通のきかない、一かけらの物体に過ぎず、万物を包含し、広大無辺であるはずの天の本体の働きを失ってしまう。これでは、肉親との間でさえ分け隔てができることになる。つまり、私利私欲、自分の身勝手な欲求が原因で、本来、万物を包含でき、広大無辺であるべき心が塞がれてしまって、本来の機能を発揮できなくなっていると言っているのである。そうなると、肉親にさえも心を開かないということでもある。前述の3つの事件についても同じことが言えそうである。
しかし、なぜ、そう簡単に自分勝手にしかも何も考えることなく行動ができるのであろうか。それは、もちろん、本人の問題もあろうが、今の社会情勢に帰するものが多いように思える。つまり、私利私欲が蔓延している社会だからである。原因は我々自身が作っているのである。人間、生活をするためには、いくらかの収入は必要である。自分が働いた分だけの収益は取ってしかるべきであろう。しかし、この資本主義経済は、本当に平等に収益の分配がされているのかと考えるといささか疑問である。また、グローバル・スタンダードという見解が、世の中に蔓延しているが、この考え方が、世の中に与えている弊害を大きく感じるのは、わたしだけであろうか。世の中にいる投資家といわれる人たちは、自分の収益の拡大の為に10%以上の高利回りの収益を確実に獲得できる事業に国や地域をまたいで、大金を投資する。そして、それは、実業とは別に投資家に大きな利益をもたらす。しかし、一方、実働しているその事業に関わる従業員たちは、その事業の収益の拡大のために、やれ人件費の圧縮、やれリストラなどと憂き目に遭わされる。このことからしても、持てるものは益々持つようになり、持たざるものは益々持てなくなるという構造が急速に広がっているように思える。個人格差、地域間格差、世代間格差など、このまま行くと、最終的には、一部の持てる者と大多数の持たざる者の本格的な格差社会が形成されることになろう。そういう時代背景の中で自分の収益を得るためには、他人のことなど考えることなく、何をやってもいいというような社会風潮ができてきているように思えてならない。

   
前述の3つの事件、特に最初の2つの事件に関しては、自分さえ良ければ、他人やその人に関わる多くの人のことなどは関係ないという姿勢が証言などから垣間見える。これが社会的な風潮であるとするならば、こういった事件はあとを絶たないだろう。こういう時代だからこそ、中斎の言う、人間としての心の本体を見直し、万物を包含し、広大無辺な万物一体の心を取り戻すことが重要であるように思う。そして、また、その実行のためには、この資本主義社会の行き詰まりを解決するための新たな枠組みが必要になってきているように思える。
最近、「エンデの遺言」(ドイツの作家・「ネバーエンデイングストーリー」や「モモ」の作家・シュタイナー哲学の研究家でもあるミュハエル・エンデの取材記録・NHKでも放映)というNHK出版社の本を見たが、この万物一体の理念に合った経済の枠組みはないものかと、常日頃考えていた私は、その中にあるシルビオ・ゲゼルというドイツの事業家でもあり、思想家でもある人物の理論に非常に興味を引かれた。経済の発展は、お金を集めることではなく、それを何回も循環させることにより拡大するものであるという発想から、マイナス金利の必要性を理論付けているのである。物はどんな物も最後には消費されて、消化されていくのにお金(特に紙幣)だけが消費され、消化されないというのは、自然の原則に反するのではないか(これを自然的経済秩序という。ここで中斎が述べているように天地自然の道理と人間の社会生活の道理は同一であるのだからという観点からしても、そう言えるのではなかろうか。)と考えたゲゼルは、お金を動かさなければ、お金の価値が減っていくという考え方を構築していくのである。お金の価値が減っていけば、当然、貯め込むことなく、早く使おうとする。例えば、使わなければ1ヶ月に1%の金利を自分が支払わなければならないとなると、早く使うという行動を取ることになるだろう。そうすると、月に1回しか使わない金を何回も使うということになる。その結果、お金の循環が加速され、景気も拡大し、景況もよくなるということになる。日本にあるといわれる1500兆円の貯蓄もマイナス金利という側面から考えると使うようになるのではなかろうか。このゲゼルの理論は、世界の様々なところで地域通貨や交換リングという形で応用されて、それなりの成果をあげているようである。もちろん、すべてをそれで仰臥するということではなく、現在の金融システムが行き詰まりを見せているときに、現システムを競争のシステムとするならば、それを補完する共生のシステムとして、利用することは必要であるように思える。特にこのシステムは、地域の活性化のために非常に役立つように思える。国から与えられる財源をあてにしないで、自ら変わり、自立するための手段として有効に思える。考えてみると、山田方谷の藩政改革も藩札という地域通貨を利用することにより、なされたものである。このことについては是非、前述の著書(あるいはシルビオ・ゲゼルの著書)を読んでいただけたらと思う。この共生の金融システムは、より平等に収益を分配できるので、万物一体の心を持てる社会の構築が出来やすいように思える。
「何ぞ況んや其の他をや。之に名ずくるに小人を以てすること、亦た理ならずや。」私欲が心を塞いでしまっていて、どうして万物と一体になることができようか。そういう者を小人とよぶのは、道理ではないか。と述べている。万物一体の心、人間の本来の心を持つためには、私利私欲を捨てなければならないと、ここで改めて、中斎は言っているのである。「万物一体論」は宋代の儒学者、程明道や明代の王陽明が述べている。そのことについては、何年か前に勉強した王陽明の「抜本塞源論」をもう一度読み返してもらえれば理解していただけると思う。(持っていなければ、コピーして差し上げる)

 19.聖人は太虚と一体である。    
 
「聖人は即ち言ふ有るの太虚にして、太虚は即ち言はざるの聖人なり。」聖人はつまり物言う太虚であり、太虚はつまり物言わぬ聖人である。と、述べている。余説にこの中斎の言葉の典拠として書いてあるが、前述の論語の「天何をか言はんや。四時行はれ、百物生ず。天何をか言はんや。」の朱子の注釈として「四時行はれ、百物生ずるは、天理の発見流行の実に非ざるは莫く、言うを待たずして見るべし。聖人の一動一静、妙道精義の発に非ざるは莫く、亦た天なるのみ。」という言葉がある。朱子は、四季の変遷の中で万物が生じるのは、天地自然の道理が発動している実体であって、何も言われなくても見ることができる。また、聖人の一動一静は人間社会の道理を行うことを分かり易く定義して、発言し、行動しているのであって、これもまた、天地自然の理なのである。と述べているのである。つまり、聖人と太虚(天、宇宙)は一体なのであるという意味である。もっと言えば、人間の本来の心(天地自然の道理に則した心)を発揮させるために私利私欲を去れば、太虚(天、宇宙)と一体になることが出来るので、誰にでも聖人になれる素養があるということでもある。中斎はそのために聖人を学び、聖人になろうとするのが学問の本旨であり、究極の命題であると言っているのである。また、これは、朱子の注釈からもわかるように、中国宋代以降の新儒学(朱子学や陽明学)の目標でもある。
振り返って、現在、この儒学、新儒学の発祥の地である中国は、どうなのであろうか。北京オリンピックを機としてのチベット自治区に始まった国内の混乱は、海外へも飛び火している。今までにこのような、厳重な警備を要する聖火リレーがあったであろうか。これが、聖火リレーといえるのであろうか。国益を守るために排他的な報道をして、国民感情を逆なでし、その騒乱の収拾を出来ないような体制を見ると、本当に統一された国家といえるのであろうかと、大変多くの疑問を持つ。
   
また、四川大地震の海外からの人的協力の受け入れについても、判断が遅すぎるように思える。少し前よりは、まだ、ずっとましだが、何かまだ、他国民を真から受け入れない隠蔽体質が残っているように思う。この情報化社会の中で、そのようなことが通用するまでも無いということは、わかっていそうであるが、何がそれをさせるのか大きな問題を未だに抱え込んでいるようにしか見えない。ようやく、日本の救助隊に続いて、他国の救助隊も受け入れたようであるが、遅きに失したようにも思える。国民の命の尊さを指導者は、もっと真剣に考えるべきであると感じる。もちろん、国土も広く、多民族の国家であるので、集約するのは大変であろうと考えるが、武力を持っての弾圧をすることや自国ですべてのことを解決しようとするだけが能ではないように思える。また、経済の大幅な発展に伴う、急速な格差の進行は、一部の権益者の私利私欲を満たし、より一層、それを拡大させているようにも思える。世界に冠たる中国という国家を作り上げるためには、元々、自国の大先輩である多くの聖人のことを学びそれを実践するということが必要なことではなかろうか。要するに、国家として、聖人の道を学ぶ儒学や新儒学をもう一度見直し、教育の指針とすべきではないかと思うのである。
今まで述べたことは、わが国もそういえることでもあるが、日本、韓国、中国というアジアを代表する国が、天人合一思想を源とする儒教という共通の価値観の中で交流していくということが、アジア全体、ひいては世界の進化、進展、更に平和に向けて、大きな影響を及ぼすことは間違いないように思える。もちろん、肌の色は同じでも、3国それぞれに風土や歴史観の違いから、民族性の違いや物事の価値観の捉え方の違いは当然あろうが、それを乗り越えて、共同していくためには、儒教的価値観を共有することが必要であるように思える。先日、川嶋孝周氏と久し振りにお会いしたが、彼も、陽明学的、易学的価値観で日中韓が連携することが、世界の平和、進化、進展の為に必要であると言っていた。また、一部、政治家にもそう指導しているとの事であった。

21・聖人と善悪    
 
或るひと曰く、「子の説のごとくんば、則ち悪人の刑に罹るも亦た聖人の心を刑する者なるか」と。曰く「然り。是れ即ち吾が心の悪を去るの道なり。然り而して悲しまざるを得ざるなり。豈に亦た歓喜すべけんや」と。曰く、「善人の賞に遇ふも亦た聖人の心を賞する者なるか」と。曰く、「然り。是れ即ち吾が心の善を存するの道なり。然り而して喜ばざるを得ざるなり。豈に亦た?嫉すべけんや。只だ人の善を?嫉し、人の悪を歓喜する者は、吾が心を以て我が心と為す。乃ち一小人にして、而して聖人の太虚の心に非ざるなり」と。」ある人が私に質問した。「あなたの御説の通りであれば、悪人が刑に処せられるのも、聖人の心そのものを刑することなのでしょうか」と。私は答えて「その通りです。これはつまり聖人が自分の心の悪を除去するための方法に他ならないのです。しかしながら、悲しまずにはいられないことです。決して歓喜することではありません。」といった。また、その同じ人が続けて質問した。「善人が褒賞されるのもまた、聖人の心そのものを賞することなのでしょうか」と。私は答えて「その通りです。これはつまり、聖人が自分の心の善を保つための方法に他ならないのです。しかしながら、喜ばずにはいられないことであります。決して嫉ましいことではありません。ただ、人の善を嫉んだり、人の悪に歓喜したりする者に限って、わがままに自分の心を自分だけの物であると思い込んでいるのです。これでは、一介の小人にであって、聖人の太虚そのもののような心では有りません」と言った。と述べてある。つまり、聖人は人の心を吾が心と思い一緒になって、いい事に対しては大いに喜び、それを促進させ、悪い事に対しては嘆き悲しみ、それを無くするように努めるが、小人は人がいい事をして、それを賞せられれば、嫉み、陰口をたたき、人が悪いことをして罰せられれば、ほら見たことかと、喜ぶというように、利己心を強く作用させ、吾が心と人の心とに区別をつけるので相互理解ということが進まないということである。相互理解が進まないところには、対立しか生まれないということになる。
今の所謂「ねじれ国会」の様は、この小人の行動と同じ事を国会議員がしているということになろうか。国民の代表として、国をリードしていかねばならない人たちが、こういう小人の政治をし続けることは、国家にとって何の益にもならない。こういうことが続くのであれば、益々、世の中が混乱するので、解散総選挙でいち早く国民に信を問うべきであると考える。
「然らば則ち心なるものは、善悪混ずるか」と。曰く、「心の体は太虚なり。太虚は一霊明のみ。何の善悪混ずることか之れ有らん。然れども気の往来消長は、則ち過不及無きを得ざるなり。

   
只だその過不及、便ち是れ?気の由りて生ずる所なり。而も未だ嘗て太虚の霊明を損するは能はざるなり。子試みに眼を仰ぎて天を看よ。則ち疑ひも亦たおのずから解けん。爰ぞ吾が弁を待たんや」と。」。「そういうことであれば、心なるものには、善と悪とが混在しているのでしょうか。」と問われた。それに対して「心の本体は聖人の心と同様、太虚そのものです。太虚は一つの霊明なものにほかなりません。善悪が混在するなどはありえません。しかしながら、気の往来消長の運動には過ぎたり、及ばなかったりがつきものです。そして、その過不及が、乱れた悪い気を生じさせたりするところとなります。とは言っても、これまでに、太虚が、たとえ乱れた悪い気が生じたとしても、その霊明さを損なうなどということはありませんでした。あなたも、試みにその目で、天を仰ぎ見てごらんなさい。あなたのお疑いもおのずから解けることでしょう。わたしが、あれこれ申すまでもありますまい。」と言った。と述べてある。心の本体つまり本性は、太虚であり、一つの霊明であるので、そのものは善であるという性善説の見解がここには述べられている。そして、それを覆う気に時として乱れが生じるので、悪という概念が生じるのであると言っているのである。これは、孟子を祖として、朱子から流れる新儒学の「性善説」の系統からくる考え方である。ここにも述べてあるが、これについて、朱子は聖人には、気が乱れ、悪念が生じることは無いと説くが、王陽明は聖人であっても気の乱れが生じることはあるので悪念が生じることもある、しかし、聖人は、「熱い石に雪をおけば、パッと解けて、消えてなくなる」ような、自浄作用を持っているので悪を行うことは無いとしている。中斎のこの見解は、王陽明に近いものであるということが言えよう。王陽明はこのおのずから善念を発揮させることにより悪念を去る、この作用のことを「良知」の働きであるとしているのである。要は、自分の元来持てる素晴らしい善良なる力を発揮させることが重要であり、それを発揮させることにより、世の中が平穏になり、進化、進展に繋がるといっているのである。そこには、自分の長所を大いに伸ばし、高めていくことが重要であり、それを継続させることにより、短所や悪弊はおのずから無くなっていくものであるという長所伸張型の見解がある。教育もこういう見解で実行していくべきではないかと考える。
この章の最後に「子試みに眼を仰ぎて天を看よ。則ち疑ひも亦たおのずから解けん。」と述べているが、これは、天に雲がかかっている、気の乱れた状態であっても、その本にある天の青さは恒に一定に失われずにあることがわかるであろう。それと同じで心の霊明も気が乱れて悪念に覆われることはあってもその根本は善であるということを理解できるであろうというような意味である。いずれも、人間の本性は善であるという「性善説」の見解がそこにはある。

 23・なぜ太虚に帰るべきなのか    
 
「心、太虚に帰して然る後、実理始めて存す。太虚に帰せざれば、則ち実理没し了りて物と異ならず。夫れ人にして物と異ならざるは、恥ずべきの甚だしきものなり。世を挙げて之を恥じざれば、則ち其の霊、将た何くに在らんや。」心が太虚に立ち返って、一緒(同一)になることで、ようやく真実の道理(天地自然の道理であり、人間社会の道理)が保持されることになる。心が元々、立ち返るべき太虚に返らずに、心と太虚が別々になれば、真実の道理が保持されず、埋没してしまうことになり、それは、人ではなく、ただの自己変革できない物と変わりがない。そもそも、人でありながら物と変わりがないというのは、大いに恥ずべきことである。世を挙げて、これを恥じないとするならば、人々の心の霊明さは、いったい、どこに行ってしまうのであろうか。と述べている。人の心の本体は太虚であるということは、これまでのところで述べてきた通りである。その、元々同一になるべき太虚に心が戻ろうとしなければ、人は、自己変革するという精神的活動が出来なくなるので、ただのその辺に転んでいる石や瓦礫と一緒である。と、言っているのである。つまり、心を太虚に立ち返らす力の無いものは自己変革ができないので、生きていても死んでいるのと同じであると中斎は言っているのである。「脱皮できない蛇は死ぬ」のである。自己変革できなければ、文化や文明の創造、進化や進展に寄与することもできないということになる。
最近、この自己変革できない人が多くなったような気がする。最近、仕事上で知り合った経営者にそのような人がいた。その方は、高度成長期からバブル期にかけては、色々な事業を起こし、かなりの資産も形成していた。しかし、時代が変わり、いまのような混迷の時代になるにつれ、資産は剥奪され、残った少しの事業で生計を立てている。その少しの事業の一つが立ち行かなくなり、それを援助する形で他のまだ健全にやっている事業にも協力してもらえる企業やスポンサーはないかと相談を受けたのである。私はある企業にその話を持っていったところ、立ち行かなくなった事業には興味は無いが、健全にやっている事業には興味があるので、援助してもいいということになった。そこで、両者を介しての話し合いになった。
   
その時、その経営者が言うには、立ち行かなくなった事業の再建を手伝ってもらうことが最優先であるということを前提としてでないと、健全な事業への援助は必要ないということであった。立ち行かなくなった事業をそこで辞めて、健全な事業に力を入れて、それに援助を仰ぐという発想はないのである。おそらく、これまでも、そういう発想で対応して、回りにいいように資産の売却、事業の売却をされてしまったのであろう。自己変革を出来ないままに、ただ、時代に流されて、ここまできたのであろう。
自分自身を生かそうとするがゆえに大切なものまで失ってしまって、最後には、自分自身まで失ってしまうということになるのではなかろうか。そして、こういう人に限って、最後には、自分で処理できずに第三者(弁護士など)を立てて、丸投げするということになる。その後、その経営者の方とお会いしたが、やはり、残ったすべての事業の処理に関して、代理人(弁護士)を立てたようである。おそらく、ご本人には、きれいさっぱり、何も残らなくなるであろう。もちろん、自分を支えてきた従業員に対しても何の責任もとらないのであろう。時の勢いに乗って、短期間で事業を拡大してきた経営者、事業家には、こういう人が多い。経営をしてきたというよりは、時勢に乗って、ただ事業をしてきたということであろうから、そこには、何の自己変革も必要ないのである。事業を起こし、本当に将来に亘って、その事業を残す、人材を残すということを考えれば、自分を生かすというよりは、まず人を生かし、引いては自分を生かすという発想がなければならない。そうしなければ、本当の意味での企業文化も形成されないのである。そのためには、ここでいう、自己変革をし続けるということが必要になるのである。その根底にあるのは、ここで述べているように「心を太虚に帰す」ということである。そして、万物一体の念を発動させ、共存する中で、自分の役割を明確にして、社会を、企業を、進化、進展させるために主体性を持って行動するということである。そして、「心を太虚に帰す」方法として、次に「人欲を去り天理を存す」、「意必固我を絶つ」ということが述べられているのである。(意必固我については、南洲遺訓や孟子のところで勉強したので、それを参照していただければと思う。)

 24.人欲を去り天理を存す    
 
「心太虚に帰するは、他に非ず、人欲を去り天理を存すれば、乃ち太虚なり。」心が太虚に立ち返るということは、他でもない、心にある人欲(私利私欲)を除去して、天理を保つことである。また、それこそが太虚なのである。と述べている。つまり、自分の私利私欲を克服して、天地自然の道理=人間社会の道理を保全することが、そのまま、太虚に帰する、仏教的に言えば、帰依するということであるというような意味合いである。この言葉は、ここにも述べられているが、「礼記」の楽記篇に述べられている「人の物に化するは、天理を滅ぼして人欲を窮むればなり。」という一説を後年、王陽明が「人欲を去りて天理を存す」と簡潔に表現したものからの出典である。いつも申し上げるように人欲というのは、私利私欲であり、公利公欲ではないということである。公利公欲とは、自分が得するためにだけの意念や行動ではなく、民衆が得するために尽くして、その結果、自分が得する場合にはそれを受け止め、得しなくてもそれを恨んだりしないということになろうか。確かに、そういう境地に皆がなれば、素晴らしい世の中が形成されることになると思われるが、世の中は、なかなか、そういうわけにはいかない。中斎に影響を与えた呂新吾も「呻吟語」の中で「実心、民のためにすれども、一念我を徳とするの心雑じふれば、便ちこれ偽なり。」心から人々のためと思って尽くしていても、自分に対する感謝を期待する気持ちが、少しでも混じっていれば、それは偽りである。と述べて、なかなか、人欲を去る境地になれない自分を卑下している。呂新吾でさえそうであるのだから、凡人の我々は言うに及ばずではある。しかし、そうはいっても、少なくとも、世の中の指導的立場にいる人間は、「人欲を去りて天理を存する」努力を常日頃する必要があるように思う。
   
ここに、ある社長がいた。会社の業績が低迷し、外部からの力も借りて、色々な手段講じるが、なかなか、業績があがらない。事業再生継続のために色々な私的、法的な手段を考え、実行しようとするがこれも業績の低迷が著しく、うまくいかない。本人は、そのことを認識しながらも、自ら率先して行動しようとしないばかりか、終いには、自分のことは棚に上げて、こうなった原因を従業員や外部の援助者のせいにする。将に私利私欲のみで行動する、自己変革のできない経営者である。現在、中小企業の経営が一段と厳しくなり、極限に追い詰められている経営者が多い。そういう中、前述のような経営者ばかりではないが、そういう経営者が多いのもまた事実である。経営者は、大小に関係なく、その企業の最高指導者である。その最高指導者が、やらなければならないのは、まず、従業員と一緒になって、今後のことを考えるということではなかろうか。要するに経営の実態を明らかにして、従業員に協力を仰ぐということである。つまり、私利私欲ではなく、公利公欲で行動するということである。企業の業績の悪化の原因は、社会状況もあるが、マンネリ化、発想の固着、挑戦的意欲の減退など、ほとんどの場合が、その企業内部の体制や人材に起因するものが多いものである。そこで、業績向上を図るためには、新しい価値観を加えて、その阻害要因を除去するという作業が必要になるが、この新しい価値観というのは、もともと、その企業内部に潜在的に培われているものが多いものである。そういう、潜在的に培われている力(潜在力)を引き出し、それを発揮させるということが、経営者の使命でもあるのである(企業力をつけるということ)。そのためには、繰り返しになるが、従業員と一体となって、実態を客観視しながら(これが重要である)、解決策を図るということが、企業を継続、進展させるための一番の要点である。そして、時流や道理を見極めながら、経営努力を積み重ねていくのである。将に「人欲を去りて天理を存する」ということである。

 27.良知を致す    
 
「陽明先生訓ふる所の良知を致すの実功を積むに非ざれば、則ち横渠先生の謂は所る太虚の地位に至るべからず。故に心太虚に帰せんことを欲する者は、宜しく良知を致すべし。良知を致さずして太虚を語る者は、必ず釈老の学に陥らん。恐れざるべけんや。」王陽明先生がご教示された「良知を致す」という実践での修養を積むということでなければ、張横渠先生が謂われた「太虚」の境地に至ることはできない。だから、心を太虚に立ち返らそうと欲する者は、良知を致すのが宜しい。良知を致さないで太虚を語る者は、必ず、老荘思想や仏教思想に陥ることになるであろう。恐るべきことではないか。と述べている。良知というのは、孟子が説く「慮らずして知るところのもの」(尽心篇にある)である。王陽明は、これを「大学」の「致知」、(道義的判断をする)からとって、善を善と知る、悪を悪と知る人間に自然に備わった力を発揮させるという意味で「致良知」(良知を致す)と説いたのである。いつも申し上げるように良知とは、世の中の人が誰でも持っている、誰にも教えられること無く身に付けている、道義心、道徳心であり、良心のことをいうのであるが、もっと言えばキリスト教でいう「内なる神」、仏教でいえば「仏性」というような存在である。「内なる神」といえば、「内なる宇宙」「内なる天」ということになるので、そのまま、同じ宇宙であり、天である太虚に繋がるということになる。但し、ただ、太虚と言ってしまえば、人間の実生活とはかかわりの無い、老荘思想や仏教でいう、超越した宇宙観になってしまうので、張横渠のいう儒学的思想観から唱える太虚とは異なる。だから、張横渠のいう「太虚」、つまり、「太虚に帰す」ということを本当に理解するためには、王陽明の唱える、人間誰でもが、潜在的に持っている良知という「内なる神」「内なる宇宙」を自覚し、発揮させるということが必要であると、ここでは、言っているのである。中斎の中では「太虚に帰す」と「良知を致す」は、同義語なのである。

   
良知という人間誰でもが備えている潜在力を発揮し、善を実践し、悪を除去するならば、天理は自然保たれ、人欲は自然淘汰される。つまり、良知を致せば、「人欲を去り天理を存する」ことが当たり前のようにできるということでもある。
明末の儒学者(陽明学者)劉念台は王陽明の良知説について「先生は孟子没後、訓詁詞章の学によって絶えた聖学を継承し、それをわが心中に反求することによって、人が生まれつきに備えている知覚に道があることを知って、これを良知とし、それより人が専ら力を用いて工夫せねばならぬところを示してこれを致良知といった。良知は知であるが、聞見に限定されるものではなく、致良知は行いであるが、一事に滞るものではない。知も行も、心も物も、動も静も、体も用も、工夫も本体も、下も上も、良知がなければ、これらは一とならないとして、世の学者の支離に陥り明知を失い、外華を務めて根本を失う弊を救うた。」(岡田武彦全集13・劉念台文集より)と述べている。つまり、王陽明の唱える良知説、つまり、人間が生まれつき持っている良知、そして、それを世の中に発揮させる致良知という発想は、世の中のすべてのものに繋がり、それを包含できる思想である。そして、その思想は、内実の無い、表面だけを繕う学者たちを、学問の本質を失わないように教導してくれている。と言っているのである。劉念台も、良知は、万物に繋がって、無限に繋がっているという宇宙観を知覚しているように思える。後年、劉念台は、この良知説の「大学」とのかかわりを批判する立場をとるが、良知説に根本的な異論を唱えているものではない。

 30.不動心    
 
「心太虚に帰せずんば、必ず動く。何となれば則ち形有るものは、雲を凌ぐの喬獄、底無きの大海と雖も、必ず地震に動揺すればなり。而して地震は太虚を動かず能はず。故に心太虚に帰して、始めて不動を語るべきのみ。」心が太虚に帰していないと、必ず心が動揺する。なぜなれば、形あるものは、雲を凌ぐほどの高い山でも、底がないほどに深く大きな海であっても、地震にあえば必ず揺れ動くからである。しかし、地震は、太虚を動かすことはできない。そういうことからして、心が太虚に帰してから、初めて、不動の心を語ることができるのである。と述べている。確かに、今回の四川大地震を始めとする世界各地で起こっている地震という自然災害は、山を動かし、地崩れや崖崩れを引き起こし、海を動かし津波を引き起こす。それと同じでその地上に住む我々人類は、常に、心を動揺させながら、様々な不安の中で生きている。「不動心」と簡単に言うが、なかなか、その境地になれないのも、また、現実である。そこで、中斎は「揺れない心」「流されない心」、不動心をつくるために必要なことは、「太虚に帰する」ことであると言っているのである。確かに、天、宇宙は、地上でどんな災難があろうとも、動揺することなく、いつもと変わらず、運行している。その境地に達するためには、自分の中にある自然に備わった方寸の虚を通して、太虚に戻ることであると言っているのである。前述したように「太虚に帰する」ためには、「良知を致す」工夫をすることが必要になるので、「良知を致す」ことが、不動心をつくるためには不可欠なものになるということになる。常日頃、自分の中にある良知、良心、つまり「内なる神」の善のパワーを発揮させることにより、物事に動揺しない、不動の心を形成することが出来るということになろうか。

   
呂新吾は「呻吟語」の中で心を乱さないためには「静」が「動」主宰にならなければならないとして、次のように述べている。「天地万物の理は、静に出でて静に入る。人心の理は、静に発し静に帰る。静は万理の?籥、万化の枢紐なり。動中に発出し来たれば、天則と便ち相似ず。故に暴肆の人と雖も、平旦には皆良心あるは、静に発すればなり。過ちて後に皆悔心あるは、静に帰ればなり。」天地万物の理は、静から出て静に帰る。人心の理も静に発して静に帰る。静こそがもろもろの理が収まっている、ふいご、のようなもの、もろもろの変化を司る中心である。動から発出してくるものは、天の法則とは相容れない。だから、どのような乱暴者でも清涼な気の充満している夜明けには、皆良心を持っているものである。それは、静の状態から発してくるものである。また、過ちを犯した後、誰もが、それを悔いる心情になるのは、静の状態に帰っていくからである。」と、述べている。心を乱さないためには、天の法則に相従うことのできる、静の状態を保つことが、必要であると言っているのである。静の状態は、太虚に帰したときの状態と同じであるように思う。また、良心、良知が発揮できるのは静の状態にあるときであるとも言っているのである。儒学で言う「静坐」の大切さを説いているようでもある。このことから、心を安定させ、不動の心を作るためには、毎日、「静坐」をする習慣をつくる、ということも有効であるように思う。

 33.逆境に処す    
 
「天地の道は一順一逆のみ。順境の如きは、則ち心虚に帰せざると雖も、亦た善く応ず。而して逆境に至れば、則ち心虚に帰する者に非ざれば、之に応ずるに足らざるなり。姑く論語の首章を以て言えば、則ち学習と朋来るとは即ち順境なり。故に猶ほ易し。而して人知らずして慍みざるは即ち逆境なり。故に難し。然り而して虚心の君子に処すれば、則ち猶ほ順境と異なる無し。其の他は此を以て類知すべきなり。」世の中が移り変わる原理は、順境と逆境の循環である。順境であれば、心が虚(太虚)に帰していない者でも何事にもよく対応することができる。しかし、逆境になれば、心が虚(太虚)に帰している者でなければ、何事にも充分に対応することができない。論語の最初の章をもって説明すれば、「学んで常に反復する」(学びて時に之を習ふ)とか「朋友が遠方からやってくる」(朋有り遠方より来る)とかというのは順境であり、だから、まだ対応もしやすい。しかし、「人が理解してくれなくても不満に思わない」(人知らずして慍みず)というのは逆境であり、対応が困難である。しかしながら、虚心(太虚に帰している心)の君子がこの逆境に対応すれば、順境と何ら変わらない。これ以外の状況についても、これをもって、類推することができる。と、述べている。逆境に対応するために必要なことは、太虚に帰することであり、引いては良知を致すことであると言っているのである。もっと言えば、逆境を当たり前のように受け止めることができる人間力を構築するためには、虚心坦懐に物事に対応していくことが必要であるということになろうか。

ところで、質問タイムです。ここにおられる皆さんは、今、順境ですか、逆境ですか。あるいは、どちらでもないですか。

   
私の経験からいくと、人間は、順境の中にも逆境があり、逆境の中にも順境があるというような人生を送っているように思える。例えば、仕事は忙しく順調なのだが、なかなか収入に結びつかない。反対に収入は、充分にあるのだが、仕事は暇でなかなか前に進まないというようなことがよくある。要するに順境であろうが、逆境であろうが、常に心が揺れている状態である。だから、逆境、順境と思う以前に心を安定させるということが必要であるということである。もっと言うと、順境も逆境もその人の心の中に包含されるものであり、実は、順境も逆境も自分の心の中にある意念でどのようにでも捉えることができる(つまり、心即理である)ということである。だから、中斎は、逆境に処するためには、心を太虚に帰することが重要であるとしているのであろう。また、逆境に焦点を当てて、この章では述べているのであって、順境、逆境に拘わらず「虚心」が大切であると言うことを説いているのでもあろう。順境であっても順境と思わない、逆境であっても逆境と思わないバランスのとれた中庸の心を保つことが重要であり、そのためには「太虚に帰す」「良知を致す」ことが大切であるということである。

 35.良知は是非を知る    
 
本当は34の「良知は常に照らす」を解説しようと思ったが、この章のほうが、良知を解説するのにわかりやすいと考え、変更をした。
「或る人、「人の生まるるや直」の義を問ふ。曰く、「良知は孝弟の是にして不孝不弟の非なるを知り、仁義の是にして不仁不義の非なるを知る。是れ即ち聖凡と無く一なり。故に人の生まるるや直なり。而るに人は長ずるに随ひて己に克つ能はず、自ら其の良知を欺きて、之を致すを得ず。故に罔ふ。罔ふれば則ち人に非ざるなり。而も刑戮を免れて以て身を全うして生く。此れ豈に幸民に非ざるか。先王の世に在りては、即ち決して郷の八刑を免るべからず。幸民たらんと欲すと雖も得んや。故に孔子の幸にして免るの嘆き有る所以なるか。」と。」ある人が論語にある「人の生まるるや直。之を罔ひて生くるや、幸いにして免るるなり。(人は生まれた時は真直ぐである。それをねじ曲げても無事生きながらえることができたとすれば、それは運良く免れたのである。)」という章の意味を尋ねた。その問いに私は答えた。「良知は孝弟が是であって、不孝不弟が非であることを自ら知覚させ、仁義が是であって、不仁不義が非であることを自ら知覚させます。このことについては、聖人、凡人の区別は無く、全く同一です。したがって、人は生まれつき真直ぐなのです。しかし、成長するにつれて人は、様々な誘惑や環境の変化の中で私利私欲に勝てなくなり、自分で自分の良知を欺いて、それを発揮することができなくなります。したがって、自分をねじ曲げてしまうことになるのです。自分をねじ曲げてしまったなら、人とはいえません。しかも刑罰を免れて無事に生きながらえるとしたならば、これをどうして運の強い人ということができましょうや、悪運が強い人と言うしかありません。尭、舜、禹、湯王、文王などの先王の時代には、郷の八刑が施行され、それを決して免れることができなかったから、悪運が強いことを願っても無駄でした。したがって、孔子はねじ曲がった心の者が運よく刑罰を免れたことを嘆かれた理由はそこにあるのですよ。」と。と、述べている。良知は、生まれたときから、聖人、凡人に関わらず、すべての人が持っている、是を是、非を非と自覚させる働きであるが、成人するにつれて、周りの環境や自分の利益や欲にかられて、自らその働きを停滞させてしまうものである。だから、自分の都合のいいように、悪いことをしても「ばれなければいい」というように悪事を繰り返してしまう。こういうことばかりやっているから、世の中は、なかなか良くならないというような意味になろうか。
自分の今ある状況を周りの人のせいばかりにし、世の中を恨み、その報復として自分の悪意のおもむくままに良知を見失って、何の咎も無い人を殺傷するという事件が、つい先日起こった。そして、日曜日の白日の歩行者天国で、この大惨事は起こり、死者7名、重軽傷者10名を出すという結果になった。

   
この事件の犯人は、子供の頃は、優秀で、高校もその地方では名門の進学校に進んだという。しかし、その後、この高校で挫折し、大学への進学で挫折し、就職で挫折し、職場で挫折しと、多くの挫折を繰り返してきたようである。そして、その挫折の暗雲が青空のような良知を覆い隠してしまい、良知の働きを停滞させてしまったということになろう。そして、いつか、たまり溜まった怨念を吹き出すように、人への殺傷を繰り返していったということになろうか。茨城の事件でもそうであるが、彼らにとっては、殺傷の対象は誰でもよかったのである。自分の欲求を満足させるためには、どんなことでもしてしまうのである。そして、自分の今ある状況をすべて世の中の責任にしているのである。自分をこのようにしてしまったのは、実は挫折を受け入れられない自分自身なのであるが、それを自覚できないのである。そして、このような事件を起こしやすい社会を生み出しているのも政治家や官僚など社会のリーダーシップとる方々がねじれ現象を起こしている一般社会に対する自覚の無さである。皆さんもそうであろうが、私もこれまで挫折を何回と無く繰り返してきた、しかし、それほどの悪事をしなくてすんで、生きていけているのは、良知の働きが機能しているからであり、それを自覚しているからように思える。良知には、熱い石に雪をのせるとパッと溶けるように、挫折をパッと溶かしてしまう力があるのである。上から下まで、皆が良知を自覚し、その働きを活性化させることができれば、このような事件は、解消されていくのではあるまいか。今後、何か挫折に会ったときには、もともと我々の中にある良知を自覚することから始められるのが良いように思う。
この章の最後のところに「先王の世に在りては、則ち決して郷の八刑を免るるべからず。幸民たらんと欲すと雖も得んや。」とあるが、この郷の八刑とは、ここにも述べられているが、いずれも人道に違うことに刑を処したということである。法というのは、その時代の背景や統治者の考え方によって変遷して行き、条文に条文を重ねるというようにかなり複雑でわかりにくいものになっていくものである。だからこそ、法を司る者は、中庸で人道的でなくてはならないように思う。そうでなければ、多くの冤罪をつくりだしかねないからである。それこそ、「刑戮を免れて以て身を全うして生く」人を多く生み出すことになる。さて、予定では来年の5月から、裁判員制度がスタートすることになるようであるが、本当に「人が人を裁く」という重大さを自覚し、中庸で人道的立場を行使できる一般の人が何人いるのであろうか。また、罪状や量刑を多数決で決めるようになるようであるが、冤罪を多く出しはしないか心配である。しかも、判決を決める話し合いの内容は一生涯、誰にも話してはならず、話すと刑罰に処せられるようである。裁判員制度を導入するよりは、現行の裁判制度の見直しを図るほうが先のように思えるがどうであろうか。

 42.知と行との連続性    
 
或る人、「之を知る者は之を好む者に如かず」の章の義を問ふ。曰く「人、赤子の心を失はざれば、即ち良知純粋清明なり。故に孝弟仁義の道を知了して以て之を好み、之を好みて之を行ひ、之を行ひて以て之を楽しむ。総べて一斉に了し、嘗て等級有るに非ざるなり。之を飲食に譬ふるに、之を知れば即ち食ひ、食へば即ち嗜み、嗜めば即ち飽く。亦た何の等級か之れ有らん。然り而して学ぶ者は大抵赤子の心を失へり。故に之を知る者のごとしと雖も、真に其の知を致す能はず、故に之を好まず。何ぞ況んや之を楽しむに至るをや。終に飲食と同じからざるなり。故に夫子は知と好と楽とを分別して言ふ。是れ蓋し人の知行合一の本体に復らざるを慨嘆するなり」と。ある人が「論語」の「之を知る者は之を好む者に如かず。之を好む者は之を楽しむ者に如かず」(知っているということは好むということに及ばない。好むということは楽しむということに及ばない)という章の意味を尋ねた。私はそれに答えて言った。「人が生まれたままの純粋な心(赤ちゃんの心)を失わなければ、良知は純粋清明です。したがって、孝弟仁義の道をよく知って、これを好み。これを好んで、これを行い。これを行って、これを楽しむというように、すべてが一度に完了し、決して段階的に分かれるものではないのです。これを飲食のようなことに例えると、食べ物を知れば食べ、食べれば嗜み、嗜めば満足する。また、何の段階がここにあるのでしょうか。しかしながら、学問をする者は、大抵の者がこの純粋な生まれたままの心(赤ちゃんの心)を失っています。したがって、孝弟仁義の道を知っているようであっても、その知を実践することができず、ゆえに孝弟仁義の道を好むこともないのです。まして、孝弟仁義を楽しむまでに至るということができましょうか。結局、飲食と同じようにはいかないのです。だから、孔子はあえて知ること、好むこと、楽しむことを区別して言われたのです。これはつまり、大抵の人が知行合一という本体に戻らないことを慨嘆されたからなのです。」と。と、中斎は述べている。
王陽明は「知ることは行うことの始めであり、行うことは知ることの終わりである」と言って、認識と実践は不可分なものであると述べている。中斎の述べているこの章は、この陽明の「知行合一」の概念をもとに、「論語」の知、好、楽の章を説明しているものである。王陽明が、この「知行合一」ということを大悟したのは、流刑に処せられ、竜場という未開の地で困難な生活をしているときである。教育されていない異民族が暮らす土地であり、住まいは洞窟という最悪の環境の中で、それまでの外敵との戦いというよりは、自分自身との戦いを日々しなければならない状況にあった。そんな中、この現況を嘆いていても仕方が無い、この状況を招いたのは、ここに至った経緯の良し、悪しは別にして、自分自身にあるということに気付いたと思われる。だから、その回答を外に求めても何もならない、自分自身の心の中に求めなければならないという考えに至ったのであろう。このことから、世の中に存在する、あらゆる現象や物事は、人間の心中の意念で作られているものであり、外に実相としてある現象や物事をいくら探求しても回答を得られるものではないという「心即理」の境地に達したのであろう。

   
だから、自分の心中の意念が、そのまま外に実相、行動として表現されるのであると悟った。したがって、そういうことから、意念と行動は切ってもきれない関係で、意念は行動の中に含まれており、意念は行動することで実証されるものであり、双方は不可分なものであるという「知行合一」の思想を確立したのであるように思う。この章で「知行合一」の例えとして、飲食のことを中斎は説明しているが、王陽明も同じくこの本にもあるが飲食を例に出して「豈に口に入るを待たずして、已に先ず食味の美悪を知る者有らんや。」(どうして、食べ物を口に入れることなく、食味がいいとか、悪いとかを解かる者がいようか。)と述べている。最近は統計上から、口に入れなくても糖度とか、食味とかを計れる機械が発達しているが、これは、あくまでも統計値、標準値が基準になっており、食べて、おいしく感じるかは、また、別なものであるかのように思える。やはり、おいしいとか、まずいとかは、個人差もあるし、その時の体調や環境にもよって違うので、口に入れなければわからないものである。しかし、最近は口に入れなくてもわかったような顔をしている人が多くなっているように感じる。そして、そういう口上上手の人のほうが、したり顔をして世の中に君臨している傾向が強い。こういうことが、世の中を乱すのである。知識は実践されなければ、実体とならない。実体を知識だけをこねくり回して、論理展開しても何の解決もできない。今、世の中に必要なことは、課題を実践し、実体を作り上げる人間力である。つまり、「知行合一」の人格を持った人が望まれる時代である。
大塩中斎の思想について、今回は述べてきたが、これですべてを語りつくすものではない。是非、他の章も読んでいただきたい。そこには、現代にも繋がる、様々な身の処し方について述べてある。ここのところ、また、景況が悪化してきている。特に、昨年来の金融機関の不動産投資の過大化(日本では、バブルの時代を越える投資額)と、それに並行してのサブプライムローンの破綻による証券市場への不信感が、資金の流れを変え、資金の停滞を招いている。資金の流れは、証券市場から商品市場へと向かい、原油高や食品などの原材料の高騰を誘い、資金の停滞は、銀行の企業への貸し渋りを促進している。そういう中大変になっている企業も多くなっており、中堅、中小企業の倒産や破綻は益々増大している。この勉強会にいらしている方も、また、その関係の方にも中小企業の経営者は、多くいらっしゃると思う。そういう中、企業が危機に面したときにどう対応していくべきかに悩んでいらっしゃる方も多いと考える。それについての一つの答えとして、この本の「31.水に落ちて溺れず」の章は参考になるように思える。人間、溺れようとするときには、溺れまいとして、手足をばたばたさせたり、わめいたりするものであるが、それでは、益々、溺れることになる。そうではなく、天理に任せて、静かにしていれば、自然、人体は浮き、浮けば、ゆっくりでも岸に辿り着けるものである。つまり、危機に面したときは、天地自然の道理に従い、中斎のいう「太虚に帰す」ことである。また、そういう対応するためには、常日頃、良知を発揮することを怠らないことである。