【西郷南洲遺訓】

 一〜五、六〜十十一〜十五十六〜二十二十一〜二十五二十六〜三十三十一〜三十五三十六〜四十一  

 
一、 廟堂(びょうどう)に立ちて大政を為すは天道を行ふものなれば、些(いささ)かとも私を挟みては済まぬもの也。いかにも心を公平に操り、正道を蹈(ふ)み、廣(ひろ)く賢人を選擧(せんきょ)し、能く其職に任ふる人を擧(あ)げて政柄を執らしむるは、即ち天意也。夫(そ)れゆゑ眞(しん)に賢人と認る以上は、直に我が職を譲る程ならでは叶わぬものぞ。故に何程国家に勲勞(きんろう)有る共、其職を任へぬ人を官職を以て賞するは善からぬことの第一也。官は其人を選びて之を授け、功有る者には俸禄を以て賞し、之を愛し置くものぞと申さるるに付、然らば尚書(書経)仲之誥(ちゅうきのこう)に「徳懋(さか)んなるは官を懋んにし、功懋んなるは賞を懋んにする。」と之れ有り、徳と官と相配し、功と賞と相對するは此の義にて候ひしやと請問せしに、翁欣然(きんぜん)として、其通りぞと申されき。
   
「国家の最高決定機関において、政治を行い、国民を先導していくのは、天の道を行うのと同じであるので、政治を司るに際して、少しでも私利私欲を考えることは厳禁であり、あってはならないことである。だから、天意は、心を公平に持ち、正しい道を行いながら、国民の中から、広く賢人を公募して、選挙して、その中から、それぞれの特性を政治の中で発揮できる人にそれを司らせるということである。」
この冒頭の言葉は、政治に取り組む姿勢、政治を司る人選について書いてあるのであるが、将にそのとおりであると考える。今の多くの政治家が聞けば耳が痛くなるような出だしである。また、選挙する我々も政治家を批判するだけでなく、よくよく考えて一票を投じねばならないということでもある。
「そういう前提に立って、人選をするのであるから、その人を政治家として賢人と認めるのであれば、すぐにでも自分がどんな要職にあろうが、その職を譲るようでなければならない。そうでなければ、政治は停滞し、国民に迷惑をかけることになる。だから、如何に維新のときに勲功があってもその職を責任をもって遂行できないような人物をそのような要職に就けてはならない。そのような人物を要職に留め置くのは、今後の国家のことを考えれば、一番よくないことである。そういうことからも、政治を司るにふさわしい人物には、推挙してそれを実行させ、勲功のあったものに対しては、それにふさわしい俸禄や賞金をもって返し、それぞれの人物にふさわしい職につけ、留め置くのがよい。」
と次に述べている。この後からも違った表現で出てくるが、適材適所の人員配置が重要であり、これがしっかり実行できれば、国家は、安定し、発展するということである。もちろん、国家に限ったことではなく、組織も企業もということになる。そのために様々な人事評価制度を駆使している企業が多いのも事実であるが、適材適所を図るためには、まず、私利私欲を乗り越えて、偏見を捨て、人物を公平に見る目をつくり、コミュニケーションを充分にとることが重要であると考える。人が人を評価するためには、大変ではあろうが、このような心構えが必要である。
「今申されたことは、書経の中にある、徳のある人物は政治を司ることにより国家を大きく発展させ、勲功のある人物は賞せられることにより、益々、勲功を重ね、皆が勲功をなすことを推進していくという言葉にあるように徳と政治を切ってはならないものと並列に考え、勲功と報償を区別するのは、このような意味と考えてよろしいのでしょうか、という質問に対して、西郷先生は、きっぱりとその通りであると答えられた。」
ここで述べてあるように政治家にとって一番重要なものは、徳である。徳のある人物というのは、いつも述べているように「仁義礼智信」を持ったものということである。話は余談になるが、お正月のテレビ番組でもやっていたが、滝澤馬琴の「里見八犬伝」の中に出てくる剣士たちは、それぞれに「仁義礼智信」に加えて「忠孝悌」の玉を持っているのであるが、それが集結することによって、怨みや悪意に満ちた攻撃を排除し、安定した、平和な国が構築されるというくだりには、実に興味深いものを覚える。


 
二、 賢人百官を總(す)べ、政權一途に帰し、一格の國體定制無ければ、縱令(たとい)人材を登用し、言路を開き、衆説を容(い)るる共、取捨方向無く、事業雑駁(じぎょうざっぱく)にして成功有るべからず。作日出でし命令の、今日忽(たちま)ち引き易ふると云様なるも、皆統轄する所一ならずして、施政の方針一定せざるの致す所也。
   
「多くの賢人や実務家を揃えても、国民のための政治を行うことに一途に邁進し、そのための確たる国家構築の理念や目的などの国体の定制が無ければ、政治にいくら国民の声を反映させるとか色々な発展的な論理をとりあげても、正しい選択ができずに、すべてが中途半端に終わってしまって、何事も達成できないということになりかねないであろう。」
といっている。つまり、確固たる国家構築のためには、何が先かといえば、人材の登用をする以前に理念や目的それを達成させるための組織や制度が明確に規定されていることが重要であるということである。企業でもそうであるが、企業理念が不明瞭なところは、いい人材を登用しても活用できないし、いい人材が集まらないということになろうか。何事もそのことの本質、根幹を基本に進めていかなければ成就しないということでもある。本質や根幹を観ないで物事を進めると一時は成就したように見えるが、そう時間を置かずに崩壊するものであるということにもなる。このところ話題になっている建築物の耐震偽造問題などは、その代表例ともいえよう。
「昨日、充分に協議して決定して実行しようとした命令を今日になってすぐ変更する様では、国家統括のための定制が定まってないということであり、施政の方針も定まっていないということでもある。」
物事を施行するに際して、それに関わっている人たちで充分に検討し、決定し、実行したことを途中で周りの中傷や讒言でコロッと変えてしまうようなリーダーシップのとり方では、誰もついていかないし、そのことは必ず成就しないということでもある。こういうことは、企業社会において、少なくなくあることであるが、そのリーダーの私利私欲に端を発することが多いようである。欲が多すぎるとイザというときの判断を見失うものである。


 
三、 政の大體(だいたい)は、文を興し、武を振ひ、農を勵(はげ)ますの三つに在り。其他百般の事務は皆此の三つの物を助くるの具也。此の三つの物の中に於て、時に從(したが)ひ勢に因り、施行先後の順序は有れど、此の三つの物を後にして他を先にするは更に無し。
   
「政治の根幹を成すものは、多くの国民に学問を振興させ、多くの人材を輩出し、富国強兵を振興し、国防を固め、農業や産業を奨励して蓄財を高めることである。その他百般の色々な事務や庶務はこの三つの政治の根幹を行う上での補完をするものである。」
このことは、現在でもその通りであるべきだと考える。しかしながら、現実は、学問は人材を輩出させるものというよりは、個人の利益を伸張させる知育に重点を置き、国防については、間違った自由思想、平等思想で愛国心を薄め、内部留保しておくべき食糧はそのほとんどを海外に頼り、市場経済、グローバリゼーションの名の下に事業での蓄積を金融や証券という益々本体が不明瞭になるものに投資する。もちろん、時代の流れに適応することは必要であるが、行き過ぎているのが現在であるように考える。こういう理念のない政治のやり方では、国力がつくどころか、国家そのものが機能しなくなっていくのは明らかである。我々は、こういう状況にあるということをちゃんと認識して、国体の根幹にあるものを自覚し、その是正のために、これまで以上に多くの行動を起こす必要があるように思われる。
「この政治の根幹になる三つのことは、もちろん、時代の流れやその時の情勢によって、順序が入れ替わるということもあろうが、この三つのことを後回しにして、他のことを先行させるということはあってはならないことである。」
学制、学習内容、教員育成や国防、国力の増強、食糧問題、金融政策などの根幹の解決に何の明確な指針のないままに枝葉末節の行政改革や民営化の推進をしたところで何の国家的意義があるのか、冷静に考えてみる必要があるのではないだろうか。


 
四、 萬民の上に位する者、己を愼(つつし)み、品行を正しくし、驕奢(きょうしゃ)を戒め、節儉(けんやく)を勉め、職事に勤勞して人民の標準となり、下民其の勤勞を気の毒に思ふ様ならでは、政令は行なはれ難し。然るに草創の始に立ちながら、家屋を飾り、衣服を文(かざ)り、美妾を抱へ、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられ間敷也(まじきなり)。今と成りては、戊辰の義戰(ぎせん)も偏に私を営みたる姿に成り行き、天下に對(たい)し戰死者に對して面目無きぞとて、頻(しき)りに涙を催されける。
   
「国民の上に立って政治を司る者は、まず、自分の行動を慎み、常日頃の品行を正しくし、驕ったり、贅沢をすることを戒め、節約、倹約に勉め、自分の職に一所懸命に励み、国民の標準となるように努力し、国民の勤労をよく理解し、その大変さに心を配るようでなければならない。そうでなければ、政治は順調に進まない。」
この中に表現されているものは、リーダーとしての姿勢、人格である。ここまでして、人は始めて動くものであるということである。明治維新という大改革を成し遂げるために多くの人を動かしてきた西郷南洲の言葉であるので充分に納得がいく。ここまでできる人は、現在は、ほんの一握りしかいないように思えるが、厳しい定義ではあるが公職に就く人、指導をする立場にある人にとっての重要な指針であることは間違いない。
「政治を司る者はそうでなくてはならないのに、しかも新政が、今、始まったばかりであるにも拘らず、立派な住まいを作り、豪勢な家具を置き、着るものに贅沢をし、着飾り、妾を何人も抱え、自分の蓄財のことだけを考えているようでは、何のための維新であったのか、維新の功業と胸を張っていえるのか、恥ずかしい限りである。そういうことからすると今となっては、戊辰戦争の大義ある戦いもただ自分たちが上に立ち、贅沢をし、優雅な生活をするためにしたというように思われるようになり、国家、国民に対して、また、その戦いの中で尊い命を投げ捨てた人たちに対して、本当に面目なく、恥じ入るものであると申されて、しきりに涙を流された。」
幕府を倒し、天下の耳目を集めるようになると、周りがいいも悪いもあがめるようになり、天下を取ったかのように勘違いして、自分の権限を利用して、豪勢奢侈をし尽くすということは、よくあることであったろう。それに対して西郷南洲は反省と怒りを覚えているのである。この言葉の中には、維新は、まだ成就されていない、これから国家の基盤確立のために尚一層の努力が必要な段階でこのざまでは、新たな時代の構築ができるどころか、覆されてしまう危険性もあるのでは、という危機感もあったように思える。この翌年から西郷南洲は、外遊組の留守居役、政治の責任者として、再度、中央へ復帰することになる。この西郷南洲在官の明治4年から明治6年の間に明治における重要な改革はほとんどなされたということはあまり知られてはいないが事実である。



五、 或る時「幾歴辛酸志始堅。丈夫玉砕愧甎全。一家遺事人知否。不爲児孫買美田。」との七絶を示されて、若(も)し此の言に違ひなば、西郷は言行反したるとて見限られよと申されける。


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「また、或る時、{幾たびか辛酸を歴(へ)て、志始めて堅し。丈夫は玉砕するも甎全(せんぜん)を愧(は)ず。一家の遺事、人知るや否や。児孫の為に美田を買わず。}(色々な苦難を乗り越えて、始めて、志というものは堅固なものになっていくものである。また、立派な志を持った人間は、志を達成するためには、玉となってその達成のために行動し、志半ばで倒れることがあっても覚悟ができているものであり、志もなく、ただ、生きながらえるというようなことに恥じ入るものである。私の家に伝わる家訓を人が知ってるかどうかわからないが、子々孫々のために無駄な財産や資産を残すことはしないということである。)という自作の七言絶句を示されて、もし、私がこの言葉に反するようなことをしたならば、西郷は、言行が不一致ではないかと判断されて、見限られよといわれた。」
この漢詩は、西郷南洲の代表的なものとして、今でもよく詩吟などで吟じられている。こういう、潔い生き方については、賛否両論あるであろう。しかし、ここで我々が教訓として得られるものは、人生には苦難が多くあることが当たり前で、それを避けずに人生を歩いていったものだけが、目的を達成できるものであるということと、自分が蓄えた私財は、あとを継ぐ者にとって、人間関係などでいい結果を出さない場合が多いので、また、自力で生き抜くという、人間の主体性を確立するためには、かえって邪魔になるので残さないほうがいいということである。特に財産を残したことによる骨肉の争いは、多く見聞され、それで多くの人が迷惑を被るのであれば、使い切るのがいいということがいえる。


六〜十