【西郷南洲遺訓】

 一〜五、六〜十、十一〜十五十六〜二十二十一〜二十五二十六〜三十三十一〜三十五三十六〜四十一  

 
六、 人材を採用するに、君子小人の辨酷(べんこく)に過ぐる時は、却って害を引起すもの也。其故は、開闢(かいびゃく)以来世上一般十に七八は小人なれば、能く小人の情を察し、其長所を取り之を小職に用ひ、其の才藝(さいげい)を盡(つく)さしむる也。東湖先生申されしは「小人程才藝有りて用便なれば、用ひざればならぬもの也。去りとて長官に居(す)ゑ重職を授くれば、必ず邦家を覆(くつがえ)すものゆゑ、決して上には立てられぬものぞ」と也。
   
「人材を採用するに当たっては、君子(徳のある立派な人)であるか、小人(徳のない普通の人)であるかにこだわって、論議がすぎ、偏った人選をすることは、却ってよくない人事になりがちである。その理由は、人間の歴史が始まって以来、世の中の人たちの中の十人のうちに七、八人は小人ということがいえるからである。選びすぎると採用するものがいなくなる。だから、小人であってもよくその人の性格や人間性を観察して、その善い所をとり、それに合った職に就け、その人の持った能力を充分に発揮させることである。」
確かに人徳のある人は、少なく、また、そういう人ばかりであっても世の中はうまく回っていかないというのは現実である。所謂、適材適所ということである。そのためには、客観的にその人の人間性や性格を把握して、それに合った職に就け、その人の長所を伸ばせる環境をつくるということが重要になる。個人的な都合で職位、職責に見合った人材配置をせずに多くの損失を被ったという事例は多い。人事を行う時は、虚心坦懐、私利私欲なく行うことが重要である。
「藤田東湖先生が言われるには{小人のほうが色々な技術、才能があるものが多いので使いやすいので、その技術や才能に応じて登用することが大切である。しかし、長官などの重職にすえると、必ず、国家を覆すようなことになるので、長官などの重職には、決してつけてはならないものである。}ということである。」
藤田東湖は、水戸学の大家であり、朱子学者である。西郷南洲は、江戸遊学の折、東湖に大きな影響を受けている。東湖の言葉にあるように小人を重職に就けてしまうと、その肩書きにものを言わせて、自分の都合に合わせてやりたい放題のことをしてしまうからである。それは、企業においてもいえることであり、ここをあやまれば、大きな損失を出すのは、自明の理である。しかし、現実を見てみると、国も企業も同じような失敗を常に繰り返しているように思える。

 
七、 事大小と無く、正道を蹈み至誠を推し、一事の詐謀を用ふ可からず。人多くは事の指支(さしつか)ゆる時に臨み、作略を用て一旦その指支を通せば、跡は時宜(じぎ)次第工夫の出来る様に思へ共、作略の煩ひ屹度(きっと)生じ、事必ず敗るるものぞ。正道を以て之を行えば、目前には迂遠なる様なれ共、先きに行けば成功は早きもの也。
   
「物事を成就させるためには、物事の大小に関係なく、正しい道を踏み進み、誠実に物事を推し進めて、少しの詐取や謀略も用いてはならない。大抵の人は、問題が起き、物事がうまく進まなくなったときには、その問題だけを解決するために策略を用いて、一端その問題の解決を無理やり進め、後は、なんとか、凌いでいけるように思うけれども、最終的には、策略を用いて無理やり進めたことが発火点となり、物事を進めることができなくなり、必ず失敗することになるものである。物事を進め、成就させるには、正しい道を踏み進み、誠実な行動でこれを推し進めるのが、目前には問題が山積してなかなか前に進めないように思えるけれど、結果的には、早く成功を勝ち得ることになるものである。」
正道を踏み、至誠の念を持って行動するということは、西郷南洲の姿勢そのものである。こういう強い姿勢があったればこそ、明治維新の大業をなし終えたのであろうと思う。現在は、目標や目的を達成するためには手段を選ばないというやり方が当たり前のように言われているが、その結果、中身のない物事が多く生まれているようにおもえてならない。政治にしろ事業にしろ、王道を進んでこそいい結果が得られるものである。

 
八、 廣く各國の制度を採り開明に進まんとならば、先ず我國の本体を居ゑ風教を張り、然して後徐(しず)かに彼の長所を斟酌(たいしゃく)するものぞ。否(しか)らずして猥(みだ)りに彼れに倣(なら)ひなば、國體は衰頽(すいたい)し、風教は萎靡(いび)して匡救(きょうきゅう)す可からず、終に彼の制を受くるに至らんとす。
   
「多くの諸外国の先進的な諸制度を国内に取り込み、文明を進展させることを実行するのであれば、先ず、我が国家の本体を基本におき、風俗の教化を行い、国家の基盤を作り、その上で、徐々に諸外国の諸制度の中からよいものを選択して取り入れるべきである。そうしないで、何でもかんでもそれを是として、追随し、それに見習うということであれば、国家の本体は、衰退し、風俗の教化については、萎縮して、麻痺状態に陥り、停滞することになり、そうなると、我国は基盤から崩れ救いがたい状況に陥るころになり、最後には、諸外国に制圧されることになるであろうと考える。」
明治維新は、日本国の大きな変革の時代であった。開国から文明開化へとめまぐるしく世の中の流れが変わっていったことは、言うべくもないことであるが、そのような中、これまで培った、日本人としてのナショナリテイを失ってはならないということを西郷南洲はいっているのである。これは、海外の知識人と話せばよくわかることであるが、自分の国の歴史、国民性、思想、哲学などについて語れなければ軽蔑されるということがある。国家というのは、実はそういうものの塊なのである。お金持ちの国だとか貧乏な国だとかは、関係ないことである。そういう塊があるからこそ存在できるものでもある。そういう塊が多く集まって世界が形成されているのである。そういう国家の本体がないのであれば、企業と一緒でM&Aされるしかないのである。さて、現在は明治維新に類するくらいの大変革の時だとよく言われている。そういう時期にあって、日本の政治は、国体の根本にたって本当に行われているのかと考えると口では改革、改革と叫んで入るが実際は、本質のところに何のメスも入れていないように思える。それどころか、一面では、自ら手を下して、自らの利益のために属国化を推進している輩が、国家の首脳部にもいるように思える。また、風俗の教化についても軽佻浮薄になりすぎているように思える。それが、様々な不可解な事件を起こしていることは、周知の事実である。西郷南洲のこの言葉は、今の日本の国体に警鐘を鳴らしていると思うのは、私だけであろうはずはない。

 
九、 忠孝仁愛教化の道は政事の大本にして、萬世に亙(わた)り宇宙に彌(わた)り易ふ可からざるの要道也。道は天地自然の物なれば、西洋と雖も決して別無し。
   
「国や社会、会社に真心をを持って使えることや両親への孝行、人に対して思いやりや愛情を持って接する心を教導、教化していくことが、政治の本来の目的であって、このことは、時代がどう変わろうとも永遠に変わらないものであり、果てしなき天地の続く世界のどこにあっても変わらない必要不可欠の道である。この道は、天地自然の理の下にあるので、西洋だからといって何の変わりもないものである。」
国や企業に対する忠誠、両親に対する孝行、人に対する仁愛、これが政治の根本であると西郷南洲は説いている。そして、これは、天地自然の中に生きる者として当然、東洋、西洋の差なく実行しなければならないことであるとも言っている。更に、この宇宙は、そういう流れの中に組成されているのだともいっているように思える。このことは、王陽明が、「抜本塞源論」の中で述べている理想社会の実現としての「父子の親・君臣の義・夫婦の別・長幼の序・朋友の信」の実行に相通ずるものがある。また、このことは、西郷南洲が「万世に亘り」といっているように古代からまったく変わらない国家の統治をするための哲学であり、心理である。現在の日本を見てみると、忠誠とか仁愛とかいうものから逆にどんどん離れていっているように思えてならない。また、現在は忠誠とか仁愛とかを曲解している向きも多いようである。特に忠誠については、読んで字の如く、真心と誠実さを持つということであり、それに基付いて行動するということである。国や企業に問題があれば、真心と誠実さを持って諫言するということでもあり、ただ命令に盲従するという意味ではない。


十、人智を開發(かいはつ)するとは、愛國忠孝の心を開くなり。國に盡し家に勤むるの道明かならば、百般の事業は從て進歩す可し。或ひは耳目を開發せんとて、電信を懸け、鐵道(てつどう)を敷き、蒸氣(じょうき)仕掛けの器械を造立し、人の耳目を聳動(しょうどう)すれ共、何に故電信鐵道の無くては叶わぬぞ缺(か)くべからざるものぞと云ふ處に目を注がず、猥りに外國を仰ぎ、奢侈(しゃし)の風を長じ、財用を浪費せば、國力疲弊し、人心浮薄に流れ、結局日本身代限りの外有る間敷也。


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「人の潜在的に持っている力を発揮させるには、国を愛する心、忠孝の心を動議付けて、開花させることである。国や企業のために尽くし、家族のために勤労するという道が人にとって、一番大切なものであるということが明確になれば、どんな事業もそれに従って、進歩、進展していくことになる。維新になり世の中が変わったということを喧伝するために耳で聞く、目で見せるというところから始めるのがわかりやすいと考えて、電信を導入し、鉄道を敷き、蒸気機関を使っての機械を製造して、国民を驚かせる。そのような現象で維新をアピールしても、国民にとって、どうして、電信や鉄道や機械がなくてはならないものかという本質のところに目を注がず、外国の盛大さばかりに目がいって、それを実行するうえでの本当の利害得失の論議に踏み入らない。また、家の構造、構築から玩具にいたるまですべてを舶来のものがよいものと仰ぎ、贅沢な生活の風潮を蔓延させ、財産を浪費すれば、国力は当然のことながら疲弊して、人心は、軽佻浮薄に流れ、結局、わが国、日本は破産せざるを得なくなるであろう。」
政治を行うも人心を教導するにも重要なことは、忠孝仁愛の精神であるということを述べている。今回の選挙で勝利を得るために「改革はやめない」を旗印にマスコミをうまく利用し、各選挙区に刺客と呼ばれる実があるかないか不明な、ただ有名ではある対立候補を立て、短期間で候補者の公募を行い戦った小泉内閣は、確かに国民からの耳目を集め、最終的には大勝を果たしたわけであるが、西郷南洲が言っているこの言葉にあるように本当に国家の利害得失を考えてやったのであろうかと考えると、疑問を持たざるを得ない。また、アメリカの金融システムが最高のものだとして、グローバルスタンダードなどと称し、日本の金融基盤の本質を省みることなく、急速に導入したことなどを考えても厳しく言えばスタンドプレーに他ならない。靖国問題にしてもそうである。この9月で退陣することになってはいるが、最近の国会答弁を聞いていると、責任は自分にはないということと開き直りの言葉しかなく、この人の行ってきたことには、今後のわが国の政策に多くの禍根を残してしまうように思えてならない。次を期待するまでもなく我々は、主体性を持って、忠孝仁愛の精神を実行していく必要があるのではあるまいか。


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