佐藤一斎について

(平成21年1月〜6月)  
     

佐藤一斎は、江戸時代末期の儒学者(朱子学・陽明学)で昌平坂学問所の教授であり、学長であるということは、皆さんもよくご存知の通りです。一斎は安永元年(西暦1772年)に現在の日本橋浜町に生まれています。出身は現在の岐阜県にある、親藩大名である岩村藩3万石で、父親は藩老として、治績のあった人物であります。日本橋浜町にこの岩村藩の下屋敷がありましたので一斎はそこで生まれたことになります。また、一斎と切っても切れない人物として、日本に於ける朱子学の宗家である林家の八代林述斎がおりますが、彼は、この岩村藩の藩主松平乗薀(まつだいらのりもり)の第三子であります。藩主と藩老の家柄ですので、幼い時から交流があった竹馬の友でもあります。また、一斎はこの林家の塾長も勤めております。岩村藩という小藩から、このように幕末を代表する儒学者が二人も輩出されたということは、全く稀有なことであります。
一斎は19歳の時、四世松平乗保公の近侍として出仕しましたが、翌年、大阪の儒学者中井竹山に従学するために士籍を脱しております。学問に志す決意をしたのが、このころということになりましょうか。更に、22歳の時に林家の門に入り、七代林簡順に学びます。そして、そのまま邸内に住まい、八代述斎にも従学し、そのまま、邸内に残ります。33歳の時、独立するために林家の隣地に「愛日楼」を新築し、そこで教学に励むようになります。ここで、吉村秋陽、佐久間象山、山田方谷、大橋訥庵などの幕末を代表する思想家を育てることになります。また、この頃、水戸の徳川斉昭公とも親交を深め、水戸の藩校である弘道館の「弘道館記」の草稿にも協力をしております。そして、70歳で昌平坂学問所の教授となります。
一斎の学問の特徴は、宋学の祖である周連渓、程明道を道学の祖として、朱子学と陽明学とを区別することなく、平等に取り扱っているところにあります。晩年、王陽明の「知良知」の説を重んずべきと捉えているところから、「陽朱陰王」(表面、朱子学で内面は陽明学)ではないかと思われているようでありますが、この「言誌録」をはじめとする一斎の著作を見る限りに於いては、朱子学と陽明学の長所を見て、我がものにしようとしている姿勢を垣間見ることができ、その中から、佐藤一斎の道学、「一斎学」というようなものを確立していったように思えます。だから、儒学者のみならず、幕末の多くの政治家や識者に影響を与えることができたのであろうと考えます。
この長年の学究生活を経て、一斎が自分の思想の集大成として、著したのが今回勉強する「言誌四録」です。「言誌録」42歳から52歳、「言誌後録」57歳から66歳、「言誌晩録」67歳から78歳、「言誌?録」80歳から83歳と、42歳から82歳に至るまで約41年間、4巻全章で1133章に及ぶこの筆録は不朽の名著として、後世に伝わっております。
今回は「シリーズ陽明学 佐藤一斎」(明徳出版社・山崎道夫著)を参考書として、江戸末期の大学者、佐藤一斎の思想を前述の「言誌四録」もとにして、学んでいきたいと存じます。皆さんの人生のいい指針になるものと思います。

1. 発憤は志学のもと

憤の一字は、これ進学の機関なり。舜(しゅん)何人ぞや、予何人ぞやとは、方にこれ憤なり。

何かに刺激され、奮い立つ思いは、人が学問を進めていくためには、もっとも重要な原動力である。顔回(孔子の愛弟子)は「聖人の舜も自分も同じ人間である。大志を以て、何事にも励むなら、何事も達成できないものはない」と言って、自分を励ました。これこそがまさに憤、奮い立つ思いである。

ここにも書いてあるが論語に「憤せずんば啓せず。?(ひ)せずんば発せず」という言葉がある。自分で主体的に考え、それでも解決策が見出せないで、苦しんでいるような状況でないと教えることをしない。つまり、そこまで、本当に突き詰めないと学問が自分自身の身に付かないということである。孔子の弟子を教導する方法はすべてこのようである。確かに人に与えられたものを自分のものとしないで、行動しても何の達成感も満足感も得られないものである。そして、それは自分の身に付くことなく、自分の気力や意志力、所謂、人間力を高めるために何の蓄積もできないことになる。そういう人間が多くなれば、誰かに何かを言われなければ動けないという指示待ち人間を増産することになる。残念ながら、日本に於ける戦後教育は、ここにも書いてあるが、啓発主義でなく、注入主義で教育されてきている人が多いので、どうしても指示待ち人間が多いということがいえるのではなかろうか。これからの日本の教育改革の基点はここにあるように思える。つまり、啓発主義的教育で主体性ある人間を多く生み出していくことであるように思える。
私は、自分の仕事の中では常にこの啓発主義を旨として、やってきている。特に事業再生などについては、この手法をとらないと、折角、債務が軽減され、事業の財務面での見通しをつけることはできても、事業推進のための根本である社員力がつかないため、そう時を経ずして、また、危機に陥るという傾向が強いようである。

2. 学問はまず立志から

学は立志より要なるは莫(な)し。而して立志もまたこれを強(し)ふるにあらず。ただ本心の好む所に従ふのみ。

学問を実行するには、何を目標にするかという、志を立てるということが何よりも増して大切である。また、これは、他人から強制されて行なうものではなく、自分の意志から発動されるものでなくてはならない。だから、ただ自分が本心から好きで、世の中にいい影響を与えることのできる事に向かって、しっかりと目標を立てることである。

先般、勉強した橋本左内の「啓発録」にもあったが、立志ということの大切さを述べているのである。誰に言われるでもなく、自分でこれをやりたい、これで以て世の中に貢献したいということに対して、志を立てるべきであると一斎は述べているのである。そういうものを目標として、ずっと持ち続けることができれば、必ず成功するということでもある。たとえば、職業でプロ野球選手になりたい、社長になりたい、医者になりたい、弁護士になりたいと思って、その職業に就けたということが、立志の完結ではないのである。その職業を通じて、世の中にどう貢献できるかということが大切であるということである。むしろ、職業は手段であって、世の中にどう貢献できるかということを目標に持つことのほうが重要であると説いているようでもある。そして、そういう考えで成功している人たちは、職種や職業の壁を越えて、世の中の人々に多くのいい影響や感動を与えているようでもある。残念なのは、多くの人に感動やいい影響を一番よく与えなければならないのに、手段を得ることが目標になっている、今の日本の多くの政治家の志の低さである。真摯に自分は政治家として、世の中にどう貢献できるかという目標を立てることができないのであれば、政治家を辞めることが世のため、人のためである。

5.先ず身辺の小事から

真に大志ある者は、克く小物を勤む。真に遠慮ある者は、細事を忽(ゆるがせ)にせず。

真に大きな志をいだく人物は、どんな小さな事柄にも気配りをして、よく勤め、真に将来に備える人物は、どんな些細なことにも細心の注意を図り、粗末にあつかわない。

「着眼大局、着手小局」という言葉があるが、そのような意味である。何事も細事をおろそかにすると足元をすくわれるということでもある。一つの物事を成就させるためには、細かい気配りをして進めていかないと途中で挫折したり、判断をあやまったりするということである。
企業で業績不振になるところは、この細かい気配りができていないことが多い。その細かい気配りがないが故に顧客が離れていくのであるが、それを周りの環境や時代の流れのせいにして、評論家のようなことを言っている従業員が多くなると、その企業は業績が低迷し、それでも気付かずにいれば、倒産するということになる。何事も自分のこととして真摯に受け入れることのできる経営者や従業員がいれば、逆に業績の不振を乗り越えることができる。業績が不振な企業は、細かい所の掃除がおろそかになっていたり、基本的な服装や挨拶が乱れたりしているものでもある。そして、顧客は、そういうことに非常に敏感である。つまり、細事を会社内部の人間がおろそかにすると、顧客の方から、離れていくということである。しかも何も言わずに。細事を粗末にしてはならない。

6.薪水の運搬もまた学問

緊(きび)しくこの志を立てて以てこれを求むるは、薪を運び水を運ぶと雖も、またこれ学の在る所なり。況(いわん)や書を読み理を窮むるをや。志の立たざるは、終日読書に従事するとも、またただこれ閑事のみ。故に学を為(おさ)むるは、志を立つるより、尚(とうと)きは莫し。

しっかりした志を立てて、目標を求めるならば、薪を運んだり、水を運んだりする単純な作業の中にも、学問があり、心理を自得することができる。ましてや聖賢の書を読み、物事の道理を押し窮める学問をするにおいては、尚更のことである。しかし、志が立たずに、一日を聖賢の書を読むことに費やしたとしても、それはただの暇つぶしにすぎない。だから、学問をおさめるためには、何をおいても先ず志を立てるということが重要である。

余説に、広瀬淡窓の私塾「桂林荘」のことが述べてある。ここでは、全国から集まった学友たちが、薪を拾い、水を汲み、炊事をしたりして、その日常生活の中に学んだことが書いてあるが、将に本当の学問というものは、そういう実生活の中にあるものであるように思う。もちろん、志を立てて、遠隔地から集まった若者たちであったから、その学びは、尚更、自分たちの身に付いたことであろう。本当の学び、学問というものは、こういう環境の中で培っていくことが重要であるように思う。ただ、人の体験談を聞いたり、読書したりしているだけでは、学問は、本当に自分の身にはつかないように思う。一緒に生活する、生活の中で起こる様々事に対応する、そういう中でこそ学問は生きてくるものでもあろう。王陽明の説くところの「事上磨錬」こそが、学問を自得するための手段であるように思う。

8.難苦の中に学べ

山獄に登り、川海を渉り、数十百里を走り、時ありてか露宿して寝(い)ねず、時ありてか餓ゑて食はず、寒(こご)ゆれども衣(き)ず。此れは是れ多少実際の学問なり。かの徒爾(とじ)に明窓浄几(めいそうじょうき)、香を焚き書を読むがごときは、恐らく力を得るの処少なからん。

険しい高い山に登ったり、あるいは、川や海を渡ったりして、数十百里の遠方まで旅行をする際に、時にして野宿をして眠れなかったり、また、時にして餓えて食べ物にこと欠いたり、凍えても着るものもないということがあろうが、そういう中に実際の活きた学問があるものである。ただ、いたずらに、明るい窓のもとで、きれいな机に向かって、香を焚いて、書物を読むというようなことだけでは、おそらく本当の学力は身につかない。

実際の活きた学問(実学)を習得するためには、環境のいい所で、ただ椅子に座って、机に向かって勉強するだけでは駄目であるということである。外に飛び出して、天地自然の理に交わりながら、その難苦の中で、活路を見出していって始めて、実学を習得できると言っているのである。そういうことからすると、近年の子供たちは、実学をつけずらい環境の中にいるということがいえるのではなかろうか。そういう環境からは、人間力のある、次世代を引っ張っていくリーダーに成り得るような人材は輩出しにくいように思われる。だから、今後、もっと、子どもたちに多くの体験をさせる環境作りを推進していくことが必要であるように思われる。そうでないと、創造性や主体性をもって、物事に取り組む姿勢が欠如してしまい、誰かにいわれないとやらない、物事の成否を他人の責任にするという気運が高まり、進化、進展できない世の中を作ってしまうように思える。
最近自分の仕事上で感じることは、業績が低迷している企業は、この創造性や主体性を失っているところが多いということである。要するに社員自ら問題を解決しようと努力することもなく、問題の解決が出来ないことを会社や経営者に向けて、責任転嫁だけをやっているような状態である。そうであれば、辞めればいいのであるが、それもしない、こういう困った社員が多いのが業績が低迷している企業の現実である。こういう企業の業績を向上させるためには、人間として元々持っている、創造性や主体性を目覚めさせるための環境作りをしていくことである。そのためには、そこにいる、一人ひとりの社員と向き合うことである。そして、目的や目標を明確にしてやることである。また、重要な問題の解決をリーダーが身を挺して推進することである。

10.忠告は懇切に

善を責むるは朋友の道なり。ただ須(すべか)らく懇到切至にして以てこれを告ぐべし。然らずして、徒(いたずら)に口舌に資(よ)りて、以て責善の名を博(と)るならば、渠(かれ)、以て徳と為さず、却って以て仇と為す。益なきなり。

善をなすことをお互いに求め合うのが、友人同士としてのなすべき道である。そういうときの友人への忠告は、懇切丁寧にするべきである。そうではなくて、ただ口先だけで忠告し、友人をいさめたという形式だけの美名を勝ち得るだけでは、友人はその忠告を有難いと思わないばかりか、却って、こちらを仇と思うであろう。そのような忠告は、まったくの無益である。

世の中には、いいと思って、忠告しても、それを誤解され、逆に恨まれるということはよくあることである。そういうふうになるのは、言葉が足りなかったり、心の底から、思いやりを以て接していなかったりする場合が多いように思う。ようするに、知ったかぶりをして、上辺だけ、口先だけの忠告をしているからである。そういう風に忠告されると人間はカチンときて、反発したくなるものである。それは、会社の上司、部下の対応についても同じことがいえる。いうことだけ言って、自分は、勝手でちゃらんぽらんな仕事をしている上司から、色々言われても、言うことを聞くどころか、逆にあなた自身は何をしているのだと思われるだけである。そして、あの上司に何を言われても、上辺だけ諂っていればいいと思うようになり、仕事がなにも前に進まなくなるということになる。松下幸之助は、どんな小さな工場にも顔を出し、従業員と充分に対話をして、従業員ひとりひとりの名前を覚えていたといわれるが、上司部下の関係、経営の根幹というのは、そういうところにあるように思える。
人に話をして、自分の本意を理解してもらうということは、非常に難しいことではあるが、それができなければ、人間関係も事業も進展しない。その解決策として、前述の松下幸之助のような対応を続けていくことが必要になる。そうすると信頼感も生まれ、連帯感も生まれ、事業の業績も上がっていくものであるように思う。今、日本は従業員の雇用問題で大きく揺れているが、会社側と従業員の対話がもっと必要であるように思う。そういう意味では、終身雇用型の雇用体系は、このような時代だからこそもう一度見直される必要があるように思える。会社が苦しいのなら、自分の給与は削ってくれてもいいというような、経営者側と従業員側の関係ができるならば、企業は末永く継続していくことができるように思える。グローバルスタンダードが叫ばれた時代の反動は、雇用問題として、世界各地で表面化してきた。世界で何百万、何千万という人の雇用が喪失する中で、全産業を根本から見直し、わが国の独自の雇用体系を創出するときが、今将にきているように思える。

11.慎みの心邪心を断つ

敬は能く妄念を截断(せつだん)す。昔人云ふ、敬は百邪に勝つと。百邪の来る、必ず妄念ありてこれが先導を為す。

敬、つまり心身を慎み、安定させることができれば、みだらな心や迷いの心を断ち切ることができる。昔の人(程明道)は、「慎みの心は、どんな邪悪にも勝つ」と言った。色々な邪悪が身を襲うときは、必ず、慎みのない、みだらな心が先導しているものである。

敬とは、慎むことである。何事に対しても慎み深ければ、自分の中に色々なものを内蔵することができるので、心が安定してくる。その逆に常に出しゃばっていると、自分の中に内蔵されることなく、ほとんどのものが外へ発散され、心はいつもカラッポになるので、いつも迷い、心が不安定になってくる。心が安定していれば、色々なものがよく見えるが、心が不安定であれば、見えるものまで見えなくなる。また、心がいっぱいであると邪心が入り込む隙間もないが、心がカラッポであると邪心が隙間からすっと入りやすくなる。つまり、心を慎みでいっぱいにしておくと邪心の入り込む隙間がなくなるということである。だから、ここに述べてあるように程明道は「敬は百邪に勝つ」と言っているのである。また、ここにも記されているが、敬は誠になるための工夫でもある。だから、敬を実行することによって、必然的に誠になるということでもある。
私が敬愛して已まない岡田武彦先生は、本当に慎み深い方であった。普通に会話をしているときでも、お酒を飲みながら懇談しているときでも、人の話によく耳を傾けられ、一人の人間として、どんな時でも、どんな人にも対応されていた。おそらく、晩年の岡田先生には、百邪が入り込む隙間などなかったように思える。将にその姿は、誠そのものであった。だから、多くの人が集まり、その人柄にふれて、皆が幸せを感じていたのであろうと感じる。出しゃばりは人を幸せにはしないが、慎みは人を幸せにする力をもっているように思える。幸せを感じられる世の中を構築するためには、慎み深いリーダーを多く輩出することが必要であるように思われる。

13.書を読むには ―孟子三言

読書の法は、当に孟子の三言を師とすべし。曰く「意を以て志を逆(むか)ふ」、曰く「尽(ことごと)くは書を信ぜず」、曰く「人を知り、世を論ず」と。

読書の方法は、当に孟子の言われた三つの言葉にその要点が述べられている。まず「自分の意念で、その作者の意念や精神をとらえる」ということである。次に「書物に書かれていることのすべてを信じてはいけない」ということである。最後に「その作者の人間性と、当時の社会状況を議論して明らかにする」ということである。

ここで一斎が述べているのは、経書の読み方であるが、これは、一般の書物を読むときにも大いに通ずるものがある。つまり、表現されている文字や語句に捉われずに、自分の考えを以て、作者の人間性やその作品が書かれた時代背景を鑑み、主体的に判断する読み方をするということである。近年、成功物語や金融関係の本が、多く出版されている。そして、そこには、こうすれば成功する、こうすれば金儲けができるというノウハウが紹介されている。その本を読み、その本に書かれているように実践すれば、全員が成功し、金儲けできるはずであるが、事はそう簡単にいかないものである。それは、その作者であるから、その過程の中で成功をおさめ、その方法で金儲けを出来たのであって、自分がそれに倣ったからといって、成功し、金儲けをするとはかぎらないからである。つまり、成功や金儲けというのは、その作者の持っている人間性や経験、また、経験をベースにした洞察力など、その作者の人間力に帰するものが多いからである。自分はその作者と一緒にはなれないのである。だから、そういう本を読むときには、作者の意図をよく理解して、自分に置き換えて、できること、できないことを判断して、それからの自分の生き方や行動の参考にするという読み方が必要になるのである。

14.学問は一生のもの ―孔子の志―

この学は吾人一生の負担なり。当に斃(すた)れて後已(や)むべし。道は固(もと)より窮まりなく、尭舜の上にも善尽くることなし。孔子は志学より七十に至るまで、十年毎に自からその進む所あるを覚え、孜々(しし)として自分から彊(つと)め、老の将に至らんとするを知らざりき。仮(も)しそれをして耄(ぼう)を踰(こ)え期に至らしむれば、すなはちその神明不測なること、想うに如何なるべきや。凡(およ)そ孔子を学ぶ者は、宜しく孔子の志を以て志と為すべし。

この学(道義道徳の学)は我々が一生涯に亘って学び、実践していくものである。だから「死して後已む」の覚悟で学び、実践していくべきである。道義道徳の道は、元来、これで終わりということはない。善の上にまた善がある如くである。聖天子、尭や舜の行なった善政の至極をもってしても、尽きることがないのが道義道徳の道である。孔子は十有五の志学の年から七十に至るまで、十年ごとに自ずから学の進境があることを知り、自ずから努め励み、自分自身、歳をとるのを忘れるほどであった。仮に孔子を百歳に至るまで長生きさせたとするならば、その崇高な知徳は、はかり知ることができない進境をみせたことになったであろう。そこで孔子の学(道義道徳の学・儒学)を学ぶからには、この学問に対する尽きることのない孔子の志を以て、それを学ぶ自分自身の志となすべきである。

この章については、西郷南洲の「手抄言誌録」の中にも記されている。西郷南洲は、この佐藤一斎の「言誌四録」から101章(4年前、勉強した西郷南洲遺訓の中に掲載されている)を書き抜き、常に携帯していたようである。南洲もまた、人間、一生勉強であるということに同感していたのであろう。西郷南洲は佐藤一斎と面識はないが、おそらく、幕末の儒学者、水戸の藤田東湖を通して、その思想や人柄を知ることになったように思える。)
学問は「斃れて後已む」、死ぬまで続けるものであるということである。特にこの道義道徳の学(孔子の学)は、これで終わりということはなく、その人が死んでも、続けられていくもの、つまり、この人間の世界が存在する限り、継続されていく不朽の学問であるということでもある。人間社会というものは、様々な人間が絡み合ってできているので、なかなか自分の思い通りにはいかないものである。何事についても、たとえば、10人の賛同者がいれば、それと同じ数の反対者がいるものである。欲や野心から、人を簡単に裏切る者もいれば、律儀に自分の誠意を通す者もいる。だから、必然的に様々な見解や意見が生まれ、それにつれて、様々な誤解や迷いが生じることになるのである。そういう中にあって、判断材料とすべきものが、この道義道徳の学であるように思う。人間社会の様々な問題を解決してくれる、様々な知恵や知識の宝庫である。自分が迷ったときに、冷静に、客観的に、様々なことを示してくれる教師でもある。そういうことからしても、人間にとって、肌身から離すことのできない学問である。だから、一生学ばねばならない学問であるということができるのではなかろうか。最近の人たちは、こういうものを学ばないので、日常の悩みやストレスの中に埋没していってしまっているように思う。今のこの迷いの多い、大変な世の中を刷新し、いい方向に導き出していくためには、当に、個人の欲や野心を越えた見解に立つ、この道義道徳の学を推進していくことが必要であるように思えてならない。

17.自分を欺き棄てるな

君子は自から慊(こころよ)くし、小人は自から欺く。君子は自ら彊(つと)め、小人は自から棄つ。上達と下達とは、一の自に落在す。

君子(立派な人)は悪を去り、善を求めることによって、自分を満足させ、小人(徳のない人)は、自分を欺き、悪い所をおおい隠して、いい所を表面に出そうとする。また、君子は悪を去り、善を求めることに励んでやまないが、小人は孟子の述べている「自暴自棄」という言葉通りに、君子に反して、悪を去り、善を求めることもなく、自分の良心を欺き、自分で自分を棄ててしまうことになる。つまり、上達して、人間が立派に完成するということと、堕落して、どうしようもない人間になるということの違いは、ただ「自」の一字、つまり、自分の本分に忠実に行動しているか否かの相違に帰着する。

自分のベクトルをどちらの方向に向けるかで、人生は大きく変わっていくものである。常に悪を去り、善を求め、自分を満足させ、人を満足させることに、ベクトルを向け、精進する者には、天理は手助けし、人生をいい方向へと導くものである。それとは反対に表向きは善人顔をして、心のうちには、常に企みや憎しみをもち、影でこそこそと悪事を働く者は、天理に背くので、益々、人生が悪い方向へスパイラルしていく。前者は、様々な困難に陥っても、必ず、周囲や環境に助けられ、乗り越えることができる。後者は、その時々の困難を乗り越えようと策略を図るので、次の困難が訪れたときには、それ以上の策略を図ることになり(つまり、悪事に悪事を重ねるということ)、益々、自分がわからなくなり、その策略の中に埋没してしまい、疲れ果てて、破綻するということになる。少し前のIT長者たちが、破綻したのもそういう経過を辿っているということがいえる。要するに、一端は栄華を極めるが、長期間もたないということである。また、社会的に何の好影響を与えることもないものである。
私のよく知る、一代である事業に成功し、豊富な資金を公私共に持つことが出来た企業経営者が、数年前、こそっと私に「お金は、充分にあり、事業も順調で、何でもできないことはないが、いつも、空虚感が残る」と言っていたが、この空虚感こそが、ここで言うように心が満足していない状態、つまり、人生に快さを感じることができない状態であるように思う。この人が悪事を働いていたということではないのであるが、急成長するには、自分が知ろうが知るまいが、気付こうが気付くまいが、必ず、どこかに、誰かに迷惑をかけているところがあるものであり、それが空虚感に繋がっているのであろう。そして、この空虚感は、自己満足をできる趣味や娯楽に没頭しても決して晴れるものではなく、天理に則して生きるという人生に切り替えたときに初めて晴れるものであるように思う。そうでなければ、この空虚感は、いつまで経っても残るものであるようにも思う。満足のいく人生を歩むということは、決して大金持ちや大事業家になるということではなく、天地自然の道理に基いて、行動していくことに尽きるのではなかろうか。

18.九思と三省をわが身に

孔子の九思、曾子の三省、時ある時はこれを以て省察し、事なき時はこれを以て存養し、以て静坐の工夫と為すべし。

孔子はわが身を省みるのに九思を用い、曾子は、わが身を毎日、三省を用いて省みていたといわれるが、我々も、何か事ある時には、この九思、三省を用いて省察し、事なき日にも、この九思、三省を用いて心身を養い、また、静坐をする時の心のよりどころとして、この九思、三省を用いるのがよい。

孔子の九思については、ここにも述べられている。「孔子の曰く、君子に九思あり。視るには明を思ひ、聴くには聡を思ひ、色には温を思ひ、貌には恭を思ひ、言には忠を思ひ、事には敬を思ひ、疑わしきには問いを思ひ、忿りには難を思ひ、得るを見ては義を思ふ」。つまり、見るときにははっきり見たいと思い、聞くときには細かく聞きたいと思い、顔つきは、いつも穏やかでありたいと思い、姿はいつも恭しくありたいと思い、言葉には誠実でありたいと思い、物事に対しては慎ましくありたいと思い、疑わしいことには、問うということを思い、怒りには、あとにくる難儀を思い、得を目の前にしたときには道義を思う。ということである。また、曾子の三省についてもここに述べられている。「吾日に吾が身を三省す。人のために謀りて忠ならざるか。朋友と交わりて信ならざるか。伝わりしを習はざるか」。つまり、人の為に考えてあげて、真心からできていなかったのではなかろうか。友達と交際して誠実でなかったのではなかろうか。よくおさらいもしないことを受け売りで人に教えたのではなかろうか。ということである。
一斎は日々この九思、三省を以て、充分に反省し、自分自身の身に察し考えて、本心を失うことなく、本性である善を養いなさいと言っているのである。つまり、中身のある、社会にいい影響を与える学問を為すために必要な省察と存養、それを得るための道しるべとして、この九思と三省を用いなさいと言っているのである。大変なことではあるが、いい人生を送るためには、我々も、この九思と三省を用いる必要があるように思う。

21.師と友と環境の中に

子を易へて教ふるは、固(もと)より然り。余謂(おも)へらく、三つの択ぶべきものあり。師択ぶべし。友択ぶべし。地択ぶべしと。

孟子が公孫丑の問いに答えて述べた言葉の中に、古人はお互いに子供を交換して、教育をしたということが出ているが、全くそのとおりであると思う。自分が思うには、それに加えて、教育の問題として、三つの択ぶべきものがあると思う。一つ目は教師を択ぶこと。二つ目は友を択ぶこと。三つ目は教育の環境を択ぶことである。

古人は、お互いに子供を交換して教育をしたということについては、この余説にもでているが、もう少し詳しく解説をすることにしよう。孟子の離婁上編には「公孫丑曰く、君子の子を教へざるは何ぞや。孟子曰く勢ひ行なはれざればなり。教ふる者は必ず正を以てす。正を以てして行なはざれば、之を継ぐに怒を以てす。之を継ぐに怒を以てすれば、則ち反って夷(そこ)なふ。夫子我を教ふるに正を以てするも、夫子未だ正を出なはざるなり、則ち是れ父子相夷ふなり。父子相夷へば則ち悪し。古者は子を易へて之を教ふ。父子の閧ヘ善を責めず。善を責むれば則ち離る。離るれば則ち不祥焉(ここ)より大なるはなし。」とある。意味は、{公孫丑が孟子にたずねた。「昔から、君子は自分の手で直接は、自分の子供を教育しないということですが、どういうわけでありましょうか。」孟子は答えられた。「それは、自然の道理として、うまくいかないことが多いからである。なぜなれば、教える方は、必ず正しい道理を行なうように厳しく教えるものであるが、もし教えた通りにうまくいかないと、ついつい腹を立て叱ってしまうことになる。そうなると、元来、自分の子供をよくしようと思って始めたことが、反対に子供に対する愛情を損ねる結果になってしまう。また、子供の方でも「お父さんは自分を教えるのに正しい道を厳しく説いているが、自分は正しい道を行なっていないではないか。」と考えるようになる。こうなったら、それこそ、親子がお互いに愛情を損ねてしまうことになるものである。親子間で愛情を損なってしまうということは、甚だよろしくない。そこで、昔の君子は自分の子供を他人の子供ととりかえて教育したのである。親子の間では、善を無理にすすめあうべきものではない。善を無理にすすめると、親子の情が離反してしまう。親子間の情が離反するのは、それこそ人生これ以上の不祥なことはない。」}ということである。
親子というものは家庭内で愛情を育み合って生活をしていくものである。つまり「父子の親」、親愛の情がなければ、家庭生活がうまくいかないということである。それを師弟関係に置き換えることには無理があると言っているのである。また、自分の子供を教育するとなると、ついつい主観的になってしまって大きな期待をしたり、反対にあきらめたりしてしまい、その子の本当の能力や主体性を伸ばすことは難しいが、逆に他人が教育すると、客観的にみることができるので、その子の能力や主体性を伸ばすことができるということでもある。教育は、やはり、専門性を持った第三者がやるに越したことはないように思う。それに加えて一斎は、教師をえらぶこと、友達をえらぶこと、教育の環境をえらぶことという三つの条件を付け加えているのである。皆さんもそう思われるであろうが、自分を省みてみても、確かに、いい師との出会いは自分の生涯までをも左右することが多い。また、本当の親友は、自分がどんな状況におかれていても、様々な形で手助けをしてくれ、いい生きた知恵を授けてくれるものである。そして、やはり、周りの環境というものは、非常に大切なものであるように思う。ここにも、述べてあるが、「孟母三遷」は、有名な逸話である。孟子を勉強させ、君子にしようと思い、孟子の母が、住居を三回変えたという逸話である。それは、墓場の近くにいたときには、葬式ごっこばかりしていたので、市場の近くに居を構えたが、今度は商売ごっこばかりするので、最後に学校の近くに居を構えた。そうしたら、勉学に一所懸命励むようになったという話である。つまり、環境は、その人を変え、その人を育むということである。

24.学は一生のもの

少(わか)くして学べば、すなはち壮にして為すことあり。壮にして学べば、すなはち老い衰へず。老いて学べば、すなはち死して朽ちず。

若い時に学問に励んでおけば、壮年になってから有意義な事業が出来るようになる。壮年の時に学問に励めば、年をとっても気力が衰えることはない。老いても尚、学問に励めば、見識が一層高くなり、社会への貢献もできるので、死んでもその名が朽ちるということはない。

一生勉強であると言っているのである。近年の社会情勢はといえば、皆さんもひしひしと身に感じておられるように、金融危機を引き金として、世界中が景気の低迷にあえいでいる。まさに金融資本主義の崩壊をうかがわせるような状況である。アメリカ政府は、まるで砂漠に水をさすように、シティ・グループやAIGに資金を投入している。また、消費者が大激減している自動車業界にも、援助を考えているようである。GMなどは、破産という選択もあり得ると考えているようであるが、そうなれば、また、何十万人という雇用が喪失する。日本が体験した、あの失われた10年はなんであったのであろうか。こうなることは、見えていたはずである。昨年の初めまで数年続いた好景気の中で、誰かがババをひくであろうということは、多く人が気付いていたはずである。しかし、それが自分だとは誰も思わなかったのであろう。赤信号皆でわたれば怖くない方式で、マネーゲームに走り、金融賭博を奨励し、前例や人間としての行き方をちゃんと学ばなかった結果である。そして、この修復には相当な時間がかかるように思える。アメリカではオバマ政権が誕生し、全世界の人々の期待を背負っているが、この難局は、誰をもってしても、なかなか変えられるものではない。今こそ、資本主義の原点や世の中の道理や道徳について、学びなおさなければならない時であるように思う。一斎がこの章で述べているように、世の中の道理を大きくはずさないためには、常に自分にふりかかる物事を省察し、それを基に学問に、一生励むことである。そういう意味では、政局にだけ眼が向いている政治家では、何も解決することができない。政治家自身が、もっと真剣にこれからの社会構造をどうして行くかの勉強をし、国民に方向を指し示さなければならない。更に、時代は常に動いているものであるので、それに応じて、臨機応変に政策を提案し続けなければならないのが政治家の使命でもある。一生勉強と考えて、行動できないのであれば、政治家として役割は果たせない。そういう政治家がいるならば、国益にも反するので、即刻、辞めるべきであると考える。もちろん、我々にも、変化、変動する世の中に対応していくためには、学問は欠かせないものであろう。

26.武技を観るのもわが心で

余好みて武技を演ずるを観る。これを観るに目を以てせずして心を以てす。必ず先ず呼吸を収めて、以て渠(かれ)の呼吸を邀(むか)へ、勝敗を問はずして、その順逆を視るに、甚だ適なり。これもまたこれ学なり。

私は、武道の試合を観るのが好きである。観るときは、眼では観ずに、心で観る。観るときには必ず、先ず自分の呼吸を平静に保ち、演技をしている者の呼吸に合わせる。勝敗は問題にせずに、その演技者の呼吸や心の動きが順正であるか、或は順正でないかをとらえて、勝敗を当てはめてみると、順正である者が勝利を得ている。このような見かたもまた一つの学問になる。

試合に際して、順正さを保てるということは、実は、日頃の鍛錬をよくしているということに繋がる。また、順正さを保つことができれば、相手の動きも良く見えるということでもある。例えば、高段位の者が、その武術を始めて、そんな月日が経っていない者と対したとき、相手の動きが良く見えるのと一緒である。私も武術をやっていたわけであるが、やはり常日頃の練習量の多さが、その人間の強さを作るように思える。もちろん、時として、才能のある者が、彗星の如く現れることもあるが、そういう人物も追われる立場になると、人一倍の練習をしなくてはならなくなる。皆さんもご存知の方もいらっしゃるであろうが、私が学生時代にやっていた武術の先輩である猪狩元秀という人は、学生時代から、練習の虫であったと聞く。大学で練習し、本部道場で練習し、自宅で練習しということを毎日続けていたようである。そして、大学3年のときに頭角を現し、それと同時に中量級の全日本のチャンピオンになった。大学4年のころは、試合に出ると、相手を圧倒していた。私の一つ上の先輩が、対戦したが、向かい合った瞬間に勝てないと思ったといっていた。今思えば、その戦うときの姿は、将に順正そのものであったような気がする。卒業後は、キックボクシングに転向して、ムエタイの本場タイで、ムエタイのチャンピオンを破ったりもしていた。その後、K1草創期のチーフ・レフリーなどもしていたが、今は、学生時代にやっていた日本拳法の道に戻り、日本拳法協会の最高師範として、後進の指導を行ないながら、銀座でパブを経営している。今も時々お会いするが、性格は順正そのままである。武道も学問と同様、弛まぬ努力の積み重ねが、いい結果をもたらすものである。

27.まことの善悪とは

凡(およ)そ事には真の是非あり、仮りの是非あり。仮りの是非とは、通俗の可否する所を謂(い)ふ。年少未だ学ばざるに、先ず仮りの是非を了すれば後に?(およ)んで真の是非を得んと欲するも、また入り易からず。いはゆる先入の主と為りて、如何ともすべからざるのみ。

すべての世の中の物事には、本当の善悪と仮りの善悪とがある。仮の善悪とは、世間一般の人々が通説に倣って善いとか悪いとか言うもので、これは必ずしも本当の善悪とはいえない。年が若く、まだ充分な学問も身についていない時に、仮の善悪を信じてしまうと、後年になって、真の善悪の理を窮めたいと思っても、たやすく知ることはできなくなる。これは、所謂、世俗でいわれている「先入観」つまり、先に耳に入ってきたことがその人の考え方の主体になるということで、どうしようもなくなるので気を付けなければならない。

確かに、我々は、この先入観に支配されることが多い。また、悪意のある第三者から、ある人物に対しての中傷を聞いたりすると、よくその人物を知らないのに観念的に、やはりそうなんだと思い込んでしまうことも多々ある。そして、そういうことは、後になって、数多くの体験を積み重ねたり、その人物を良く知ることにより、誤解であったということをわかる場合が多いものである。学問もその通りであり、多くの体験を通して、初めて、自分の身に付くものである。だから、生半可な知識で物事を判断したりしてはいけないということである。ここにも述べてあるが、孔子の言うように「学びて思はざれば則ち罔く。思いて学ばざれば則ち殆し。」(学問をして、自分で考えることをしなければ、はっきりわからないし、どんなに考えても学問をしなければ、あやふやな理解しかできない。)ということでもある。私も仕事柄、人事に携わることがあるが、常に注意しているのは、その人物を偏見や先入観で見ないということである。そのためには、その人物の長所をなるべく見るようにして、その職種や職責に適しているかどうかを判断するようにしている。その人物の長所と職種、職責が合えば、短所は抑えられるものである。また、短所を抑えながら、指導していくというのが、上司や経営者の役割であるように思う。それと、もうひとつ、企業の統治上やコンプライアンス上大きな問題があるならば別であるが、人を切るというよりは、むしろ人を活かすという観点に立って裁断をするということである。もっと言えば、人を活かすという判断の中には、その企業の活性化を図り、精鋭化を促進するという意味合いが強くあるので、それに対応することができない人物は自然とその組織や会社を去るということである。つまり、企業や組織は、時代の流れの中で、方針や目標とそれを実行するのに必要な人物像を明確に打ち出すということができれば、どんな時代にも対応することのできる強い体質を作り上げていくことができるということである。
今の経済状況は、将に風雲急を告げている。企業は生き残りをかけて、しばらくは戦い続けなければならない。そのような状況下を乗り越えていくためには、目標を達成するために、どんな仕事もこなすことができる社員をなるべく数多く作り出して、彼らの協力を得て、一丸となって目標達成を目指して、それに集中させていくことができるかにかかっているように思う。そして、それを実行するためには、将に生半可な知識では、到底対応することができない、ここで言う、真の是非を理解している者でなければできないことである。

29.今のひと時を大切に

心は現在なるを要す。事、未だ来らざれば邀(むか)ふべからず。事、已に往けば追ふべからず。纔(わずか)に追ひ纔に邀ふれば、便(すなわち)ちこれ放心なり。

今の此の時を大切にして心を動かしてはならない。物事がまだ現れないのに、先々のことを案じてはならない。また、物事が、すでに過ぎ去ってしまっているのにくよくよしてはならない。ほんの僅かでも未来や過去に心が捉われてしまったら、それは孟子のいう「放心」ということであり、本心を失ったことになる。

過去も未来も含めて、現在があるということである。今日は明日になれば昨日になり、明日は明日になれば今日になる。年月や時間というものは、そういう連続である。だから、毎日毎日を充実させて生きるということが大切であるということである。また、過去に学び、体験したことが今の自分を作っており、その今の自分の努力が未来の自分を作っていくのであるから、大切にしなければならないのは、今の自分であるということになる。今日を大切に出来ないものには、過去も未来もないということでもある。また、今日を充実させて生きる、今日現れた問題は、今日の内に解決して、いつまでも腹の内に置いておかないという人生をおくれば、確かに過去も未来に対しても憂えることがなくなり、心が安定してくるものでもある。
先日、テレビを見ていたら「落日燃ゆ」をやっていた。主人公は戦前、戦中を通して、首相、外相をやった「広田弘毅」という人物である。城山三郎の原作によるものであるが、この原作には、よくこの「広田弘毅」の人柄が描かれているように思える。広田弘毅は、福岡の生まれである。修猷館から一高、東大へと進み、卒業後、外務省勤務という経歴の持ち主であるが中学時代、福岡にいるときは、玄洋社で柔道や漢学を学んでおり、頭山満との関係も深いものがあったようである。上京してからも頭山満に色々と人物の紹介を受けているようである。また、頭山満が亡くなった時の葬儀委員長も彼が務めている。このことが後になって、東京裁判で問題になるのであるが、広田は玄洋社の頭山満にはお世話になっているが、玄洋社の社員ではなかったようである。郷土の先輩、後輩としての付き合いであったようである。その東京裁判で、文官であり、戦争を防ぐように努力していた彼がA級先般として処刑されるのであるから、如何に東京裁判というものが、戦勝国によって、偏見に満ちて主導されていたものであるかをうかがい知ることが出来る。その外相、首相時代から東京裁判、判決処刑に至るまでの「広田弘毅」の生き方は、ここに述べてある、過去や未来に捉われずに今日という日を常に大切にということをそのまま体現しているように思える。「物来順応」という変わらぬ姿勢を貫いたその人生を見ると、常に、どんなことが起きても心を失うことはなかったようにも思える。今は、同じ福岡出身の麻生太郎という人物が、この大変な世の中に首相という要職を担っているわけであるが、比べるべくもないことであるが、党利党略や自己保身に走り心を失わず、どうすれば、この国家が安定し、良くなっていくものかを毎日毎日、真剣に考えてもらいたいものである。そういえば、麻生太郎は、広田弘毅と外務省同期の吉田茂の孫である。今は、吉田茂の孫ということではなく、郷土の先輩である広田弘毅に見習ってもらいたいものである。

37.雲霧を掃って白日を仰ぐ心

人心の霊なるは、太陽のごとし。然るに、但だ克・伐・怨・欲の雲霧四塞(うんむしそく)すれば、この霊烏(いず)くにか在る。故に、誠意の工夫は、雲霧を掃ひ白日を仰ぐより先なるは莫し。凡そ学を為むるの要は、これよりして基(もとい)を起す。故に曰く、「誠は物の終始なり」と。

人の心の霊妙な不思議な力は、太陽が光り輝いているようなものである。しかし、その霊妙な人の心も克(勝ちたがる)、伐(自慢したがる)、怨(怒り恨む)、欲(欲が強い)の雲霧のような四者の悪徳に塞がれた時には、どこかに影を潜めてしまう。そういう場合は、誠意の工夫をもって、その雲霧(四者の悪徳)を掃い除き、光り輝く太陽のような心の霊妙な力を取り戻し、仰ぎ見るようにすることが肝要である。すべての学問を修めていく条件は、ここから始まるのである。であるから、子思は中庸の中で「誠は物の終始なり」(すべて誠が物事の始めであり、終わりである)、つまり、誠がなければ物事は成り立たないと述べているのである。誠は世の中のすべてに貫通するので、誠がなければ、この世の中も成り立たないと言っているのである。

克・伐・怨・欲については、ここにも述べてあるが論語の憲問編に原憲と孔子の問答がある。「克・伐・怨・欲、行なわれざる、以て仁と為すべし。子曰く、以て難しと為すべし。仁は則ち吾れ知らざるなり。」(原憲が言った、「勝気や自慢や恨みや欲深さがおさえられれば、仁と言えましょうね。」孔子は言われた、「それは、本当に難しいことだといえようが、それが仁となるとわたしにはわからないね。」)一斎は、この四者を人間の迷いの心ととらえているようである。孔子も原憲に言っているように、その四者を取り除くことは大変難しいことであると。しかし、このなかなか取り除くことの困難な四者を取り除くことができて初めて人の霊妙な力を存分に発揮することができるのだと一斎は述べているのである。そして、その四者を取り除く工夫として、「誠」(誠意・誠実)が必要であると言っているのである。誠は中庸に述べられているように、天の道であり、人の道である。誠が実行されれば、天地自然の道理は、それに沿って働くので、この四者を自然に取り除いてくれるということでもある。
最近私は、特にこの「誠」の大切さを強く感じるようになっている。色々な困難な物事が起こっても、誠実さを以て対応すれば、時間はかかっても、物事は解決をみるということである。もっといえば、物事の解決が難しいのは、誠実さが欠けているからであるということでもある。勝気に奔ると勝てないものである。自慢が強すぎると真実が見えなくなるものである。恨みが強いと人間不信になりやすいものである。欲深いと多くの友をなくすことになるものである。これは、誠実さという尺度をもたないから、そうなるのであるように思う。誠実さという尺度をもっていれば、勝気に奔ることはないので、自然に勝利し、自慢をすることはないので、常に真実を客観的に見ることができ、恨みを持ち得ないので、人間関係を深めることが出来る。また、私欲など持たないので、友が多く集まってくる。だから、物事が解決しやすくなるのである。
また、誠実さという観点から人を見るとその人がどういう人物であるかということがよくわかる。表面を飾り、中身のない人、口は達者だが、実行の伴わない人、地位や金銭を盾に傲慢に振舞う人、知識の豊富さを盾に人を小馬鹿にする人など、中身を見透かすことが容易にできる。また、誠実さという尺度を持っていれば、自分が前述のような行動を起したときもすぐ改めることができる。上っ面だけを良くしてないか、口先だけで行動をしてないのではないか、自分の地位や財力で人に無理を強いていないか、知識をひけらかすことで人をきずつけてはいないかなどを常に省察し、それを改善し、行動できるようになると考える。このように「誠」(誠実・誠意)を発揮できれば、どの様な事にも対応することができるということである。誠実に生きるということは、人間にとって、非常に大切なことであり、そう生きれば、周りが自然と色々と援助してくれるということでもある。
「至誠は神の如し」将にその通りである。

42・己に厳しく人には優しく

自ら責むるに厳なる者は、人を責むるもまた厳なり。人を恕するに寛なる者は、自ら恕するもまた寛なり。皆な一偏たるを免れず。君子はすなはち「躬(み)自ら厚うして、薄く人を責む」。

自分の過ちを責めることに厳格な者は、他人の過ちに対しても厳格さを以て対応する。他人の過ちに対して寛容な者は、自分の過ちに対しても寛容である。これはどちらとも厳格さ、寛容さについて、偏った考えであるということは免れない。そこで君子は、自分を責めることに関しては厳格で、他人を責めることに関しては寛容である。

一番よくないのは「自分を恕する」に寛であり、「他人を責むる」に厳であるということになるが、意外とこういう人が多いのも人の世の常である。こういう人物は、上司へはへつらいいい所を見せようとし、部下には、厳しく、色々な事を押し付けるものである。上司から見ると、一見仕事が出来、有能そうに見えるが、部下の一所懸命に仕事して得た手柄を自分のものとし、上司へ報告しているケースが多い。上司がよく人を見極めることができる人間でなければ、組織が硬直してしまい、本当に有能な部下を失ってしまうということになりかねない。また、自分にも他人にも厳格な者には、最初の内は部下も従うが、それがずっと続くと窮屈になり、離れていったり、厳格さが強すぎると逆に部下から恨まれたりするものでもある。また、自分にも他人にも寛容な者には、部下は、その居心地の良さに従うが、危機感を失い、自分を成長させることもなしに、ただ流されていくことになる。このことは、業績が低迷する原因でもある。厳格すぎてもいけないし、寛容すぎてもいけない。一番いいのは「自分を責むる」に厳であり、「他人を恕する」に寛であるというバランス感覚を持った人ということになる。つまり、自分に厳格であり、人には寛容であるということがリーダーとしての最良の条件ということになろうか。
儒学の求める所は「修己治人」であるということは、これまでも何回も述べさせていただいたと思う。それは、「修身」のために「正心」「誠意」「致知」「格物」という流れで自分を厳しく律し、追求していくという姿勢があって初めて、「斉家」「治国」「平天下」という、外をバランスよく統治して、安定した平和な世の中を組成するための能力がついてくるということを言っているのであるが、この「自分を責むるに厳」「人を恕するに寛」ということは、将にそのことを述べているのであろうと考える。

48.着眼は高く

着眼高ければ、すなはち理を見ること?(わ)かれず。

物事に対する着眼点を高くもてば、その物事の要点を掌握できるので、どのような問題が起きても、迷うことなく決断処置することができる。

「着眼大局、着手小局」という言葉があるが、物事は大局的に、着眼は高くして見ることが必要であり、その物事を実行するときは、できるものから手をつけるべきであるという意味である。大局的に着眼点を高くして物事を見るだけで実行がなければ、足元を掬われるし、目先のできることだけを実行していれば、そのことだけに流されてしまう。人間どんな難事に遭遇しても、一つに偏ることなく「着眼大局、着手小局」ということを忘れてはならないということである。特に現在のような、経済的に大変な世の中にあっては、この「着眼大局」を忘れることが多い。何とか今を良くしたいという思いに流れがちになる。つまり、目先のことに流されがちになる。
このたび、政府が15兆4千億円という、これまでに類をみない補正予算案を提出したが、その中身をみると、ただ、お金を大盤振る舞いしているとしか思えない。今後の世の中をこういう形で構築して、これまでの借金はこうして返済していくのだという仕組みが見えてこないのである。本年度の国債発行による借金は40兆円になる見込みである。税金収入を46兆円と見ているようであるが、全企業の9割方が減収減益の状況の中で果たして、本当にそれだけの税金収入が期待できるのであろうか。ひょっとすると、本年度の国家予算は、借金が収入を上回るということにもなりかねない状況である。しかも、この大きな借金を返済するのは、我々の子孫である。麻生総理は、多くの識者から、多くの見解を聞いているようであるが、なにか活かされているのであろうか。国民のためだといいながら、ただ、政局という小局なことだけを優先しているのではないか。と、思われてならない。また、経済の成長性だけを考えたこういう経済対策で、本当に問題の解決ができるのであろうか。限りなき成長などというものはありようもない。それを続けるとするならば、益々借金の積み重ねをしなくてはならなくなる。そして、その負担は紛れもなく、我々、一般庶民のものとなるのである。そして、また、今回のような同じ事を繰り返すわけである。真剣に抜本的な解決策を見出さなければ、こういう悲劇は常に起こり、泣きをみるのは、常に我々、一般庶民ということになる。こういう政策は、金持ちを益々金持ちにさせはするが、世の中の進化、進展に寄与することはないように思われる。政治家、官僚たちよもっと民意を考えて、しっかりした対策をたてよと言いたい。
西郷南洲もこの一斎の言葉を手抄の中に書いている。ここにも述べてあるが、幕末から明治維新にかけての南洲の行動は、常に着眼を高く以て行なわれていたように思える。だから、その事に対する判断力たるや人に抜きん出ていたように思う。こういう変革の時代には、この南洲のような人物が必要であるように思う。では、着眼点を高くし、物事を大局的に見るために必要な人間としての要素は何であろうか。もちろん、常日頃の勉強や訓練は当然のこととして、やはり、物事に動じない「胆力」であるように思える。南洲の逸話に次のようなことがある。少年時代、郷中教育を受けていた学舎の中で「試胆会」(胆試し・薩摩でいう「へさし」)があった。桶一杯に水を入れたものを担がされての夜中の城山登山である。多くの者が、途中で断念したり、水を多くこぼしたりして帰ってくる中で、ただ南洲だけが、水もこぼさず帰ってきたというのである。そして、担いでいた桶を置くと同時に「ああ、ひったまげた。」(ああ、びっくりした。)といったというのである。ひとつの任務を遂行するためには、何事にも動じずに進んで行き、やり遂げたあとに自分の本来の人間性を臆面もなく出す。西郷南洲の人格、人生をそのまま表したような出来事である。こういう、物事に動じない、大いなる「胆力」を持った人間が登場しなければ、世の中は変わっていかないように思う。

50.せいては事の仕損じ

急迫は事を敗(やぶ)る。寧耐(ねいたい)は事を成す。

何事も急いだり、あわてたりしてやろうとすると失敗するものである。何事も落ち着いて、あわてずに、熟慮して、忍耐強くやると成功するものである。

一斎は「性急すぎるは失敗する。忍耐強いは成功する。」とも言っている。仕事でもそうであるが、急ぎの仕事というものは、必ず、後に問題を残すことが多い。また、急ぎの仕事というのは、その場しのぎが多いので、その繰り返しで、反ってコストが高くつくものでもある。また、事業でも、そうであるが、数年前まで、IT長者といわれていた人たちは、今はほとんど姿を見なくなっている。あれだけ、物件を買い捲っていた不動産開発業者は、ほとんどが法的処理の真っ最中である。更に急ぎ買い捲っていた物件の質は悪く、充分な計画がなされていないために、商品にならない中途半端な物件が多いようである。それは、不良債権の山を築き、混迷する経済を益々、混迷させてしまう。今回の国家予算の過分な借金も回り回って一部がそういう処理に向けられるのである。それは、我々、国民の借金でもあり、将来世代に亘っての借金である。このように、利という機を見るのに敏な人間が、その機を逃すまいと、急いで行なったことは、必ず、後に禍根を残すことになる。ここにも述べてあるが「速かならんことを欲すればすなはち達せず。小利を見れば、すなはち大事成らず。」である。急ぐということは、つまり、小利を得るための行動ということもできるであろう。
私の仕事の中でも成就するものは、時間がかかるものである。少ない体験ではあるが、やはり、最低6ヶ月から1年はかかる。色んな、表面上いい話はいっぱい来るが、そういう話は、ほとんどが通り過ぎていく。前までは資金力があれば、いい話を自分のものにして、もっと、色々なことができると考えていたが、最近は、資金力がないから、ちゃんとした仕事を時間をかけてやれるのだなと思っている。逆に資金力があれば、余分なものに投資して、前述のような企業のようにならないともかぎらない。仕事を成就させるためには、資金力のあるなしではなく、その人の人間力のあるなしが大切であるように思う。何事もあわてず、熟慮して、忍耐強くやり続けるということがその要点であるように思う。

58.才徳をひらめかすな

晦(かい)に処(お)る者は能く顕を見、顕に処る者は晦を見ず。

暗い所にいる者は、明るい所をよく見ることができるが、明るい所にいる者は、暗い所をよくみることができない。つまり、自分の中に才徳を充分に積み重ねている者は、暫次にその功徳が世の中に明らかにされてくるが、世の中に才徳をひけらかしている者は、暫次にその功徳は失われていく。

昭和の碩学、安岡正篤は、「無名有力」「有名無力」(伊勢の水谷師は、「無名有徳」「有名無徳」といっている。)ということを言っている。無名であるが、自分の中に陰徳を積んでいるものは、自分の時間がもて、じっくりと自分自身を磨き上げることができるので、人間力を身に付けることができるが、有名で、あちこち飛び回っているものは、自分を磨いたり、陰徳を積む時間を持てないので、人間力に欠けるものが多いということである。陰徳を積むことの大切さを例えて言ったものであるが、一斎のこの言葉と通ずるものがある。確かに、自分を有利に持っていこうとして、昨日知ったような知識や言葉を使って、自分を飾ることがうまい人は、その時は、光っているように思えるが、人間としての中身がないと、その時、その場を過ぎれば、色あせてくるものである。それとは逆に、才能や充分な学識を持っていても、それを外にひけらかさない、色々な状況に応じて、こんこんと湧く泉のように、色々な方策が打ち出せる、そういう人は事あるごとに光輝くことができるものであり、生涯光輝いていけるものである。また、死して後もその名を残すことができる。
また、ここで述べているように、いつも光が当たっているところにいるものは、その光が当たっているということが当たり前なので、それを当然と受け止めてしまう。今、政治家の世襲制についての問題が取沙汰されているが、この問題の根本は、世襲制が悪いということではなく、光が当たっていないところもちゃんと見れる人物なのかということが問題なのである。往々にして、2代目、3代目というのは、生まれながらにそういう環境にいるので、その地点から物事を判断する傾向が強い。だから、なかなか民意をとらえることが出来ないように思える。民意をとらえることができなければ、政治は成り立たない。だから、日本の政治は、いつまで経っても成熟しないのである。やはり、ここは、政治家の資質を真剣に見直す時期にきているように思える。そうでなければ、いつまで経っても、将来世代につけを残す政策しか打てないように思う。

60.一斎から語る一日の生活

鶏鳴いて起き、人定(じんてい)にして宴息す。門内粛然として書声室に満つ。道は妻子に行はれ、恩は臧獲(ぞうかく)に及ぶ。家に酒気なく、廩(りん)に余栗(よぞく)あり。豊かにして奢に至らず、倹にして稟に至らず。俯仰愧(ふぎょう は)ずるなく、ただ清白を守る。各々その分あり。かくのごときもまた足る。

鶏が時を告げて鳴くと起床して、午後十時には就床する。門を入ると、門内は、いつもきちんと整理整頓されており、読書の声が部屋いっぱいに満ちている。人倫の道は、妻子の間にも行われ、恩沢は下男下女に至るまでよくゆきわたっている。家の中では、酒気をおびて、騒ぐものもなく、米蔵には、穀物が余裕をもって、貯えられている。物は豊かで生活には事足りるが、贅沢にはならない。倹約してはいるが、物惜しみはしない。孟子の言葉にあるように仰いで天に恥じることなく、俯して地に恥じることもない。ただ、清廉潔白を守っている。人にはそれぞれ分度、分限というものがある。人としてこのように生きることができるならば、足れりとする。

ここにも述べてあるが、これは、一斎が林家の塾長をしている頃の暮らしぶりであるように思う。人定というのは、午後10時のことであり、鶏鳴いてというのは、午前3時から4時のころであるように思われる。昔から、人間が本当にゆっくり就寝できるのは、この時間だといわれてもいる。この時間に寝れば、睡眠時間は短くとも本当に心身ともにやすめることができるようである。私もそうであるが、現実には、なかなか、この時間には、寝むれないものである。酒を飲んでいるか、テレビをみているか、とにかく、0時の時報を聞くまでは、なぜか、いつも起きているように思う。そういう意味では、現代人は、なかなか健康になれないのかもしれない。そういえば、私の85歳になる父も、早朝に漁に出かけるので、夜9時から10時ごろに寝て、朝3時から4時ごろに起床していたが、持病はあるが、今でも健康に暮らしているのは、そのあたりのことが関係しているのかもしれない。様々な現代病の根源は、他にも色々な要因はあるであろうが、一斎のような規則正しい生活ができていないことに起因しているものが多いように思える。
それにしても、この章の文面を読んでいると、一斎の一日の暮らしぶりが目に見えるように浮かんでくる。何とすがすがしい、粛然とした生活であろうか。例えば、一斎の家を訪ねたとしよう。門を入ると庭には、箒がかけられており、塵ひとつ落ちていない。その向こうの家の中からは、弟子たちの素読の声が聞こえてくる。玄関に立つと、奥方が迎えに現れ、丁重に迎え入れられる。下足は下男たちが大切に収納してくれ、台所では下女たちが、てきぱきと食事の支度をしている。しばらくして、現れた子供たちは、行儀よく正座して挨拶をする。塾生の指導を終えた一斎が現れて、用向きを聞き入る。折角だから夕餉でもといわれる言葉に誘われて、食事をともにすることになる。出てきた夕食は、バランスのとれた一汁三菜、1合のお調子をちびりちびりやりながら、一斎と世事についての話をする。時間の経つのも忘れて話をしていたが、時刻を聞くと午後8時、そろそろ帰宅する旨を伝える。無理に引き止めることもなく、一斎自ら見送りに玄関にたつ。いつの間にか奥方も玄関に現れて、その時には、已に下男により下足が準備されている。いい話を聞いたことに満足感にしたりながら、深々と頭を下げて帰路につく。一斎も奥方も下男も深々と頭を下げて見送る。そして、見送った後に一斎は、書斎に入り、静座して今日一日を省察して、書物を読む。そして、午後10時、床に就く。午前3時起床した一斎は、静座して、気を整えてから、寝床を出て、顔を洗い、口をすすぎ、身支度をして、書斎に入り、また、静座して、聖賢の書を読む。今日一日のはじまりである。将に「俯仰愧ずるなく、ただ清白を守る」生活である。

68.心の霊光に照らして

一燈を提(さ)げて暗夜を行く。暗夜を憂ふること勿れ。ただ一燈を頼め。

一はりの提灯があれば、暗い夜道も困ることはない。だから、暗い夜道だからといって、憂慮することはない。ただ、その一はりの提灯を頼れ。人生もそのような心の霊光(良知)をたよりに進んでいけば、憂慮することなどは何もない。

確かに人生というものは、見えているようで見えないものである。人生が見えているという人がいるとするならば、それは、自分の人生というよりは、他人の敷いたレールの上をただ、走っているに過ぎないように思う。一見、見えているようで、実は何も見えていないのが人生である。何の指針を示すものもなく人生を送っていれば、色々な問題にぶつかりやすく、何か困難にぶつかったときは、何の対応策も考えられないので、すぐに挫折してしまうことになる。そういうことからしても、人生は将に暗夜を歩いているようであるといっても過言ではないのである。暗夜を灯を持たずに歩いていては(例えば、街灯もない田舎道を歩いていたとしよう)、方向を見失うし、物や人にぶつかってしまう可能性が高くなる。灯をもっていれば、方向もわかるし、物や人にぶつかる心配もない。それと同じで人生にも一灯が必要である。その一灯さえ持っていれば、自分の進む道も見えてくるし、様々な問題や障害があってもそれを乗り越えることができるということである。その一灯とは、心の霊光であると一斎はいっているのである。心の霊光とは、ここでも述べてあるように、王陽明のいう「良知」(慮らずして知る所のもの)である。つまり、生まれながらにして持っている物事の道理を理解する力、言い換えれば「良心」、キリスト教的にいえば「内なる神」、仏教的に言えば「仏性」である。これさえ発揮できれば、何の憂慮もなく人生を送ることができると一斎はいっているのである。

79.毀誉得失は人の迷い

毀誉得喪は、真にこれ人生の雲霧なり。人をして昏迷せしむ。この雲霧を一掃すればすなはち天青く日白し。

誹られたり、誉められたり、地位とか利益とかを得たり、失ったりすることは、人生における雲や霧のようなもので、これほどあてにならないものはない。しかし人は常にこの雲霧のような毀誉得失に振り回され、迷っている。人の心からこの雲霧のような毀誉得失を一掃できれば、人の心も快晴の空に太陽を仰ぐようになり、人の世も一点のくもりも無い、明るい世の中になろう。

人間はよくこの毀誉得失に心をなやませる。また、このことに非常に敏感である。人に誹られるのは、自分に非があり、人に誉められるのは、自分に是があるからである。地位や利益を得るのは、自分の努力であり、地位や利益を失うのは、自分の怠惰である。このように毀誉得失は、自分に起因するものであり、本当はわかりやすいものであるのであるが、それに人が迷うのは、私欲が強いからである。ここで述べている雲霧というのは、将に人の私利私欲ということがいえよう。それを取り払ってしまえば、誹られようが、誉められようが、地位や利益を得ようが、失おうが、自分のこととして、淡々とその事実を受け止めることができるし、その時に応じて、対応策を打てるものである。つまり、ここでも述べてあるように、常にカラッと晴れた青空のような、心持ちでいられるものである。
王陽明は、このことを「去人欲、存天理」(人欲を去り、天理を存す)といっている。ここで言う人欲とは私利私欲のことである。つまり、私利私欲を去って、天地自然の道理に身を存することが、自分の良知を働かせることになり、それに伴って、この毀誉得失という雲霧を一掃することになると言っているのである。未だに世界の経済情勢は昏迷を続けているが、こういう、昏迷する世の中にしたのは、将に人の私利私欲であったということがいえるのではあるまいか。利益が利益を生む、金利が金利を生むというありえもしない、実体経済とはかけ離れた自分の私利私欲を満たすために投資、投機された資金が、雲霧のように世界中を覆い、それを見かねて天地自然の道理が働き、一筋の光をさして、これから、その雲霧を一掃しようとしているのが、現在の情勢のように思う。今後、どういう過程で一掃されていくのかは、各国々や各地域の思索があるので、これということはいえないが、それを実行していくについては、是非、私利私欲の無い、物事の道理をよくわきまえた、良知を充分に発揮することのできる人物を任命してもらいたいものである。そうでなければ、また、すぐに雲霧が現れて、一掃するにもなかなか進まない、一掃するのに時間ばかりがかかるということになるからである。
この世の中の節目にあって、これからの指導者像を考えると、ここで述べてあるような「天青く日白い」心を持った人物が必要であるように思う。つまり、毀誉得失に捉われない行動をできる、これまでの指導者とはまったく質の変わった、そういう人物が次の世代を背負っていってもらいたいものである。

80.武技の妙処を儒道に

世の武技を為す者、妙処必ずこれを禅理に帰して、これを我が儒に求むるを知らず。試みに思へ、郷党の一篇、聖人の俯仰進退、一動一静、節に中(あた)らざるなきを。すなはちこれ天来絶妙の処、文武真二致なし。

世の中の武術を訓練している者が、武技の妙所については、必ず仏教の禅理に適うものだとしてしまって、それを我が儒学の上に求めることを知らないのは間違いである。試しに考えてみればよい。「論語」郷党編に見える孔子の行動、一挙一動、その立ち居振る舞いは、すべてに宜しきを得て節度に中らないものはない。すなわち、これは、天から得た絶妙の行動で、孔子のこの妙所は、剣の極意と一致するといってもいい。文武分かれずである。

「論語」の郷党編には、孔子の立ち居振る舞いが、場所や周りの状況に合わせて、自然に周りを乱すことなく行われていたかについて述べられている。最初の郷党編の書き出しには、「孔子、郷党に於いて、恂恂如(じゅんじゅんじょ)たり。言うこと能(あた)はざる者に似たり。其の宗廟、朝廷に在(いま)すや、便便として言い、唯だ謹(つつ)しめり。」(孔子は郷里では恭順な様子で、ものを言えない人のようにしていたが、宗廟や朝廷においては、すらすらと話をされながらも慎重であられた。)「朝にして下大夫と言へば、侃侃(かんかん)如たり。上大夫と言えばァァ(ぎんぎん)如たり。君在せば??(しゅくせき)如たり、與與(よよ)如たり。」(朝廷で下級の大夫と話されるときはなごやかであり、上級の大夫と話されるときは慎み深くされた。主君がお出ましのときは恭しくされたが、また、のびやかでもあられた。)と述べられているが、その場、状況に応じて臨機応変に日常的に自然に対応している様子がうかがえる。武道も相手の出方に合わせて、変幻自在に対応していかねばならないので、孔子の行動と武道とは、相通ずるものがあると一斎は述べているのである。だから、武術の妙所は禅理だけでなく、儒学にも通じると言っているのである。将に文武両道が武士の求めるものであったわけである。
私も武道を経験したものとして感じるのは、唯だ、武術だけの修練をしても本当に強くなれないということである。必ず限界が来る。本当に強くなるというのは人間的にも強くなるということである。要するに武術を通じて心を強くすることが、武道の求めるものであるということである。そのためには、学問や思想、哲学を勉強するということが欠かせないものでもある。仕事でもそうであるが、いい給料をもらえたとか、いい地位につけたとかが、仕事の目的ではないのである。仕事の目的は、自分の仕事を通じて、社会にどう貢献できたかということである。もっと言えば、その貢献度に応じて、報酬や地位は確保されていくものでもある。そうでなければ、何かが間違っているのである。そして、それは自分に起因するものが多いものである。仕事の目的を達成するためには、金儲けの有無や自分の地位の昇降に一喜一憂するのではなく、自分の哲学を持ち、それを身に付けるために、弛まず、学問に励むことである。そしてそれは、上っ面の知識を得るための学問ではなく、深い知恵を得るための学問でなければならない。「文武不岐」、我々が学んでいる儒学を中心とした東洋思想は、間違いなくそれを体現させてくれるものである。

93.心に老少なし

身に老少あれども、心に老少なし。気に老少あれども、理には老少なし。須(すべか)らく能(よ)く老少なきの心を執(と)りて、以て老少なきの理を体すべし。

人の身体に老いと若いの区別はあるが、心には、老いと若いの区別はない。気力には、老いと若いの区別はあるが、物事の道理の探求には、老いも若いもない。年をとっても、この道義心を維持して、老いることのない物事の道理の探求を行い、物事の道理を自ら体得すべきである。

ここにも記されているように、この言葉は「言誌?録」に述べられている。「余、今年、齢八?(はつちつ)に躋(のぼ)るも、耳目太(はなは)だ衰ふるには至らず。何ぞそれ幸ひなるや。一息の存するあらば、学は廃すべきに匪(あら)ず。単記して編を成す。よびて?録と曰ふ。」老いても益々盛んである一斎の姿がこの?録のはじめの言葉でわかる。将に、老いても尚、道義の心を維持して、物事の道理の探求に勤しんでいたということであろう。人間年をとってくると確かに体力は落ちてくるものである。それは、必然的なものであり、身体の老いというものからは逃げられないものである。しかし、それとは逆に物事に対する認識の深さは、益々磨かれていくものである。むしろ若いときよりも、心は強くなっていくものである。もちろん、それは、学問をし続けていなければそうはならない。ただ、老いるままに、学問に手付かずでは、心も身体も老いていく一方である。
一斎は老いても尚学問を続けることを老学と言っている。それについては95に述べてある。「任重きものは身なり。途の遠きものは年なり。重任を任じて遠途に輸(いた)す。老学尤も宜しく老力を励ますべし。」(仁という重い荷物を背負っているのは自分の身体であり、この重い荷物を背負って遠い道を歳月を重ねて達するのが人生の目的である。だから、重い責任を背負って、遠い道をたどることによって、人生の目的を達成しなければならない。そのために、老いてからの学問には、老いた身に尚一層鞭打っていかねばならないのである。)一斎にとって学問とは、一生のものである。だから、一斎は、老いたからといって、学問をいい加減にしてはならない、むしろ、若い頃よりも励まなければならない、そうでなければ、自分の人生の目的を達成できないと言っているのである。ここにある「任重きものは身なり。途の遠きものは年なり。」という言葉は、論語の泰伯編の言葉からきたものである。「曾子の曰く、士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し。仁以て己が任と為す、亦た重からずや。死して後已む、亦た遠からずや。」(曾子が言われた、士人はおおらかで強くなければならない。任務は重くて道は遠い。仁を自らの任務とする、なんと重いじゃないか。死ぬまで已めない、なんと遠いじゃないか。)。学問というものは、「死して後已む」ものであると言っているのである。確かに、仁の探求、物事の道理の探求は、一生かけても結論はでないものであるように思う。
歳はとっても、心は常に若々しくありたいものである。そして、そのことが、後進の指導にも大きな役割を果たす。学問には終わりはない。

102.歴史の流れを今に

古往の歴史は、これ現世界にして、今来の世界は、これ活歴史なり。

過ぎ去った歴史的事実は、現代社会にも通じる基礎的事実である。現在の社会の事実も、活きた歴史の事実として、また、未来へも通ずる。

過去の事例に学ぶことが現在の動向を良い方向に導き、現在の動向を良くすることが将来の進展に繋がるということである。現在があるから、過去と未来が存在するのであって、過去も未来もひっくるめて現在があるということでもある。例えば、経済でいえば、この金融危機に対応するためには、あの日本が経験した「失われた10年」をちゃんと学習し、そうならないように世界をいい方向へ導いていかねばならないということである。そうすれば、それがまた歴史的事実として残り、将来同じような状況になったときに手本となり、いい方向へ導くということである。現在をよりよくするためには、過去の有効な事例に学び、それを実践していくことが必要で、それがまた将来への進展にも繋がるということでもある。過去、現在、未来というのは、切り離されているものではなく、常に連続して、同時に存在しているものであるということがいえようか。だから、今、現在を一所懸命に生きていくことが大切なのである。
「論語」の為政編の中に「子の曰く、故きを温めて新しきを知る、以て師と為るべし。」(孔子がいわれた、「過去の様々な君子の行いに習熟することができれば、今後世の中がどう変化していくのかが手に取るようにわかる。そういうことができれば、人の上に立つ指導者(人の師)になることができる。」)という言葉がある。確かに、過去、現在、未来を方眼することができれば、人をいい方向へ導くことはできる。そして、その要点は、過去の君子の善行に習うことであるといっているのである。過去の様々な君子の善行に習熟するということは、将に古典を学ぶということでもある。私たちもこうして順受之会で東洋の古典を学んでいるわけであるが、今、私たちがいる現在社会にピタリとあてはまる事例の多いことには、驚かされる。いつも申し上げているが、数多く出ているノウハウ本を読むよりは、古典の勉強をするほうが物事に臨機応変に対応するという意味でも、如何に現在の社会生活に役に立つかということをこのところ益々、実感させられる出来事が多いのも事実である。私自身もこれまでこの順受之会で十数年に亘って、講義をしてきているが、当初よりもずっと思想が深まってきているように思える。また、人間であるから、失敗はするが、その度合いが少なくなってきているようにも思える。更に、仕事という現実的な世界の中でも東洋思想は有効であるという実感も益々大きくなってきている。

108.朱子・王子はわが心の学

濂洛(れんらく)の復古の学は、実に孔孟の宗と為す。これを承くる者、紫陽、金谿(きんけい)及び張・呂なり。異同ありと雖も、而(しか)もその実は皆な純全たる道学にして、決して俗儒の流にはあらず。元においては、すなはち静修、魯斎、明にはすなはち崇仁、河東、余姚(よよう)、増城、これその選なり。また各々異ありと雖も、皆な一代の賢儒にして、その濂洛に遡迴(そかい)するは、すなはち一なり。上下千載、落落としてただこの数君子あるのみ。吾取りてこれを尚友し、心において楽しむ。凡て弐百伍拾伍条。

北宋時代の濂渓の周濂渓や洛陽の程明道、程伊川兄弟の儒学の教えのすばらしさに、儒学を再び興隆させようとした偉業は、実に孔子や孟子の道統を得て、これを後世に伝えたものであるということが言える。これを受け継いだ者は、南宋時代に入って、紫陽の朱晦庵や金谿の陸象山及び張南軒、呂祖謙などである。後世に程朱学、陸王学などと呼ばれる異同はあるとしても、その内容は純然たる道学であって、決して俗儒といわれるような流派ではない。元の時代に入っては、劉静修と許魯斎がおり、明の時代になると崇仁の呉康斎や河東の薛敬軒、余姚の王陽明や増城の湛甘泉などがおり、その道学の代表である。これなど、それぞれ学派からすれば、程朱学(朱子学)、陸王学(陽明学)の相違はあるけれども、いずれもその時代におけるすぐれた儒学者である。そして、その道統を遡ってみれば、周子や二程子に帰することは皆同じである。この上下千年の間に、このような君子たる学者が数人しかいないということは、さびしいかぎりである。私は、これらの君子たる学者をわが人生の友とすることを心の中で楽しんでいる。(最後の弐百伍拾伍条は、「言誌後録」255条の結びの言葉という意味である。)

一斎の学術観について述べられている。中国、北宋時代に確立の芽をみた新儒学は、その道統をたどれば、孔子、孟子から流れる儒学の教えの正当なものであり、その流れが、南宋の時代、元の時代、明の時代へと受け継がれていっているのであって、朱子学、陽明学という学派の相違はあっても、すべてが北宋時代の周子、二程子に帰着し、それは、そのまま、孔子、孟子へ帰着すると一斎は、言っているのである。朱子学とか陽明学とかに捉われない、誠に公平な学術観であるように思える。
儒学の流れからいうと、孔子の教えが、孟子を経て、時代の変遷とともに深化し、純化され、北宋の時代に周子や二程子の手により新儒学が確立の芽を見るに至ったのである。そして、それを南宋の時代の朱子が官学として確立させ、朱子学が体系付けられ、明の時代に王陽明が現れ、それを人間生活に直結する心の学問と位置付け、陽明学を確立させたのである。つまり、こういう流れからしても、すべてが、孔子や孟子の教えに帰順するということは理解いただけると思う。前々回学んだ大塩中斎も自分の学は「孔孟学」であるといっていたが、一斎もまた、自分の学は「孔孟学」であると言っているかのようである。
この次の章に周濂渓(周子)の主静説について述べてある。「周子の主静とは、心、本体を守るを謂ふ。図説の自註に「無欲なるが故に静なり」と。」(周子の言う「静を主とする」という説は、心の本体である天理を守ることにあった。また、大極図説の自註の中で「無欲なるが故に静なり」といっているのは、主静であれば無欲であるということを言っているのである。と。)「静を主とする」ということは、平静な心を常に保つということを意味する。そして、この「主静説」が、新儒学の思想の原点でもある。平静な心を保つことができれば、無欲になれるということでもある。この新儒学の祖ともいえる周子がそう述べているのに、朱子学が正当だとか、陽明学が正当だとか、朱子学のここが悪いとか陽明学のここが不明瞭だとかの論争をすること自体(それは、それぞれの学派の優位に立とうとする私利私欲から発せられているので)がおかしいのではないか。平静な心を以て、無欲の境地に入り、その両者の良いところを執り、学問に、実生活に活かしていくことこそが大切なことなのではないかと一斎は言っているのである。

111.朱陸の学の流れ

朱・陸は同じく伊・洛を宗とすれども、見解は稍々(やや)異なれり。二子並(とも)に賢儒と称せらるること、蜀・朔の洛と各党を為せるがごときにはあらず。朱子嘗て曰く「南渡以来、著実の工夫を理会する者は、惟(た)だ某と子静との二人のみ」と。陸子もまた謂ふ。「建安に朱元晦なく、青田に陸子静なし」と。蓋しその互ひに相許すことかくのごとし。当時門人もまた両家に相通ずる者ありて、各々師説を持して相争ふことを為さず。明儒に至るも、白沙・篁?・余姚・増城のごとき、並に両家を兼ね取る。我が邦の惺窩藤公もまたかくのごとし。

朱子と陸象山の学は同じく程明道、程伊川、二子の学から出ているが(陸子は明道の影響が強く、朱子は伊川の影響が強い)、その見解はやや異なるところがある。朱子と陸子の二子は共にすぐれた学者であると称賛され、その両者の論争はあの蘇東坡の蜀党や劉摯の朔党が、明道の洛党と論争したようなものとは違っていた。朱子はかつて「宋の高宗が浙江省の臨安に遷都して以来(南宋となって以来)、着実に学問研究の方法を理解している者は、ただ、自分と陸子静だけである」と言った。陸子もまた「建安にはもう朱子のような人物はいないし、青田にはもう陸子静はおらない」と言った。思うに、朱子と陸子が認め合っていたのは、このようであった。当時の門人たちもまた、朱子と陸子両家の学問に通じ、それぞれが師の説を固持して論争をするようなことはなかった。明の時代になってからも、優れた学者である、白沙の陳献章、篁?の程敏政、余姚の王陽明、増城の湛甘泉などの儒学者は、ともに朱陸両家の説を兼ね合わせてとっている。わが国の儒学の開祖である藤原惺窩公もまた同じであった。

朱子学の祖である朱子と後の陽明学の成立に大きな影響を与えた陸象山は、見解は少し異なるところがあったが、お互いを認め合っていたということである。二人とも周濂渓、程明道、伊川兄弟に端を発する北宋の新儒学を引きついで、学問を進化させているということである。そういうことからしても、朱子学だ、陽明学だなどと論争せずに、両方の良い点を取り入れて、学問はするべきであると一斎は述べているのである。また、わが国の朱子学の中興の祖ともいえる藤原惺窩も、朱陸の両学を学んでいたようである。それについては、次の章に述べてあるので、読んでいただければと思う。藤原惺窩は、江戸時代の官学に朱子学を登用した林羅山の師匠である。江戸時代の官学は朱子学を中心としたものであったが、もとを正せば、このような朱子学だとか陽明学だとかに偏重しない学問がその発祥の背景にあったということが、一斎が官学である朱子学ばかりを研究したのではなくて、陽明学の研究にも取り組むことができた大きな要因の一つであるように思う。
何年か前にある会合で、ある大学教授が、江戸幕府が終焉を迎えたのは、朱子学がその要因であったというようなことを言っていたので、その先生に失礼とは思ったが、私が「先生それは、朱子学をちゃんと勉強、認識されての発言でしょうか。」というようなことを言った思い出がある。日本の朱子学というのは、その発祥からすれば、ここに述べられているように、朱陸両学を認識してのものであるので、朱子学が、陽明学がということがそういう結果をみる要因になったなどと論じることは、少し違うような気がする。時代の変遷と共に、必要性があり、あるときは朱子学が台頭し、また、あるときは陽明学が台頭するというようなものであって、それが要因で江戸幕府が倒れたなどということはないように思う。朱子学、陽明学というのが対立して存在するのではなくて、並立して存在しているというのが、日本の儒学の特徴であるようにも思える。そういえば、昔、岡田先生が「西郷南洲や吉田松陰は、陽明学者だったのですかね。」と言われたことがあったが、確かに陽明学には大きく影響は受けたのであろうが、陽明学者ではないように思う。佐藤一斎も朱子学と陽明学は並立して、常に存在しているということをこの章とその後の章で述べているのである。

116.四書の編次は自然の妙

四書の編次には自然の妙あり。大学は春のごとし。次第に発生す。論語は夏のごとし。万物繁茂す。孟子は秋のごとし。実功、外に著はる。中庸は冬のごとし。生気、内に蓄ふ。

四書が編述されたされた順序を見ると、天地自然の妙味がある。「大学」は春のようである。万物を成長させるようであり、それは「仁」といえる。「論語」は夏のようである。万物が繁茂するようであり、それは「礼」といえる。「孟子」は秋のようである。実を結ぶようであり、それは「義」といえる。「中庸」は冬のようである。万物を収蔵するようであり、それは「智」といえる。

ここにも述べられているように、儒学では、「仁義礼智」や易経の乾卦の彖辞の「元亨利貞」(がんこうりてい)をそれぞれ、春は仁であり、元であり、夏は礼であり、亨であり、秋は義であり、利であり、冬は智であり、貞であるとしている。それと同じように四書も考えることができると一斎はのべているのである。「大学」は前に勉強したように、「明明徳」「親民」「止至善」の三綱領を説き、それを実行するために「格物」「致知」「誠意」「正心」「修身」「斉家」「治国」「平天下」の八条目を説く。それは、人を成長させる根源のことを述べているのであるから、万物が成長する春としたのである。「論語」は、成長した人が、様々な体験の中で、色々な対応策を講じて、人としての生き方を学ぶことを述べたものである。それは、天理の秩序、人倫の秩序を説いたものであるので、万物が繁茂する夏としたのである。「孟子」は言わずとしれた「義」をそのまま説いている書であるので、秋としたのである。「中庸」は、その第一章に述べられているように「隠れたるより見(あら)わるるは莫く、微かなるより顕わるるは莫し。故に君子はその独を慎しむなり。」ということがその大意を表現している。つまり、どのような物事に対しても対応できるように「独りを慎む」常に自分に人としての道理を内蔵することが大切であるということから、収蔵の意を受けて、冬としたのである。また、一斎はおそらく、四書を学習する順序として「大学」「論語」「孟子」「中庸」の流れが良いのではないかと考えていたのではなかろうか。
このように天地自然の道理と人間の道理は関連が深いものである。というよりも、常に同時に並行して存在するものであるように思う。天地自然の道理に反するということは、人間の道理にも反するということがいえよう。天地自然の道理に則して生きるということが、人としての生きる道であるということは、今、NHKの大河ドラマで放映されている「天地人」ではないが、「天の時」をわきまえ、「地の利」を知り、「人の和」を図って生きることが大切であるということになろうか。東洋思想的にいえば、「天の時」は「易」に、「地の利」は「風水」や「奇門遁甲」に、人の和は「四書」に習えということになるであろう。今、映画「レッド・クリフ」が好評に上映されているが、あの中国の三国時代の宰相、諸葛亮孔明は、それを体現したような人物であったように思う。もちろん、その頃には、四書というものはなかったのではあるが、「論語」や「孟子」、「春秋」や「易経」「礼記」は存在していたし、更に「孫子」「呉子」は当然のこととして、「韓非子」なども深く学んでいたように思える。「天地人」のバランスをとって、豊かな人生を送るためにも、東洋思想というものは、学んで価値のあるものである。

122.山水は見る人の心に

仰いで山を観れば、厚重にして遷らず。俯して水を見れば、汪洋(おうよう)として極りなし。仰いで山を観れば、春秋に変化し、俯して水を見れば、昼夜に流注す。仰いで山を観れば、雲を吐き煙を呑み、俯して水を見れば、波を揚げ瀾(らん)を起す。仰いで山を観れば、巍(ぎ)としてその頂を隆(たか)くし、俯して水を見れば、遠くその源を疏(ひ)く。山水無心、人を以て心と為す。一俯一仰、教にあらざるは莫し。

仰いで山をみれば、どっしりとして動かない。俯して川の流れをみれば、広々として限りがない。仰いで山をみれば、春秋で変化し、俯して川の流れをみれば、昼となく夜となく絶え間なく流れ注いでいる。仰いで山をみれば、雲が現れ、霞がかかっている。俯して川の流れをみれば、さざ波や荒波が立っている。仰いで山をみれば、頂が高くそびえたっており、俯して川の流れをみれば、遠く水源から流れが来ている。仰いで観る山、俯して見る川、共に無心である。それを見る人の心も山や川の心と同様に無心である。あるいは俯し、あるいは仰いで、そのすべてにわれわれは教えられる。

天地自然の中に存在する山や川と、人間は、一体であるということを自覚することから、学問は始められる必要があると一斎が言っているように思える。そういう、自然の摂理を知らずして、学問に入ってしまうと、天地自然の道理の中で生きているという人間としての自覚が生まれないままに、つまり、人間としての道理を自覚できないままに、学問に入ってしまうので、人間としての根幹を形作れないままに、知識の波に飲み込まれることになり、知識偏重の中身のない人間形成しかできなくなるということも言える。知識偏重の人間としての道理を理解できない人間を世の中に多く排出するということになれば、世の中に大きな混乱が起きることは必定である。また、今、そういう事件が頻発しているという状況も考えると教育のあり方を抜本的に改革するということが、必要な時であるように思える。
教育ということを考えるときに、特に現代のように、情報も知識もすぐ手に入るという時代に、それに伴い物事を体験するということが気薄な時代に、物事を身を以て体験するという教育が如何に必要であるかということでもある。特に、自然の中で、生きるための知恵を授かることは、人間としての人間力や生命力を養うのに必要欠くべからざるものであるように思う。私の年頃の人たちの幼い頃は、特に地方であれば、泥んこ遊びをしたり、昆虫採集をしたり、山に登ったり、川や海で泳いだりして、自然と触れ合いながら、その体験の中で、色々と生きるということを学んできたように思う。現代は地方であってもなかなかそういう体験が出来なくなってきているようである。そうであれば、尚更、そういう体験教育が、今後の教育カリキュラムの中に必要欠くべからざるものであるように思う。特に幼少の頃にその体験教育はなされるべきであるようにも思う。
今、仕事の関係でよく行っている箱根の旅館は、部屋から外を見ると山が真正面にあり、下には川が流れている。聞こえてくる音は、風の音と川の流れの音と鳥の声である。その情景を見ながら、自然の様々な音を聞いて、静かに座っていると、何時間でもそこに居れそうである。「山水無心、人を以て心と為す。」山や川や周りの自然との一体感を味わえる場所である。

125.野の花は野に

草木は固(もと)より山野の物なり。山野に在れば、すなはちその所を得て、人の灌漑(かんがい)を煩はさず。会々(たまたま)奇花異草のその間に生ずるあれば、すなはち花匠かしょう)抜き取りて、以て盆翫(ぼんがん)と為して、これを王侯に晋(すす)む。第(ただ)花匠においては幸ひたれども、花卉(かき)はすなはち不孝たり。人事もまた或はこれに類す。

草木は元来山野の自然の中に生ずるものである。山野にそのままあれば、自然に生命を得て、人から水をかけられて育つ必要もなく、自然に成長するものである。ところが、たまたま珍しい花や草がその辺りに生まれると、忽ち植木師に抜き取られて、盆栽などに仕立てられて、高位にある人々に献上されて愛玩用になってしまう。これは、盆栽を献上する植木師にとっては幸いであるが、自然の中に生きる花や草にとってはこの上なく不幸なことである。人間社会でも、これと似通ったようなことがある。

生物は、生まれた環境の中で、自然に無理なく育てるほうがよいと言っているのである。また、人間もその類であるので、無理な成長を促すことなく、その環境に応じて、育てることが大切であるとも言っているのである。仕事でもそうであるが、無理に結論を急ごうとすれば、必ず多くの問題を抱えることになる。よしんば、そこで成功したとしても、後で必ず、そのしっぺ返しを受けることになる。また、結論を急いだが故に、普通にやっていたときよりも時間を多くとられてしまって、その結果うまくいかなくなることが多いものでもある。人間関係でも仕事でも周りの状況に合わせながら、調和をとりながら、徐々に進行させるほうが、結果的にはよい成果を得られるように思う。
ここにも述べてあるが、孟子の公孫丑上編の中に、順受之会でも勉強したが、次のような文章がある。「宋人に其の苗の長ぜざるを閔(うれ)えて、之を?(ひ)く者有り。芒然として帰り、其の人に謂いて曰く「今日病(つか)れたり。予苗を助けて長ぜしめたり」と。其の子は趨(はし)り往きて之を見れば、苗は則ち槁(か)れたり。天下の苗を助けて長ぜしめる者は寡し。以て益無しと為して之を舎(す)つる者は、苗を耘(くさぎ)らざる者なり。之を助けて長ぜしめる者は、苗を?(ぬ)く者なり。徒に益無きのみに非ず、而も又之を害するなり。」(宋の国の人に、自分の植えた苗が成長しないのに気を病んで、苗の芯を引っ張った人があった。疲れて果てて家に帰り、家人に向かって「今日は大変疲れた。わしは苗の成長を助けてやってきた」という。それを聞いた子供が大急ぎで走って畑に行ってみると、苗はみな枯れていたという。実際には、世の中には、このように苗の成長を助けようとして芯を引き伸ばしている者は結構いるものだ。浩然の気を養うことなどは無駄なこととして、捨てて顧みない者は、畑の苗の周りの雑草を抜かないようなものだ。また、浩然の気を身に付けようとして、急いで無理に助長する者は、苗の芯を引っ張るのと同じなのである。これらは、ただ益がないだけでなく、よけいに事態をわるくするものでもある。)人を育てる、子供を育てるということは、このように助長するような育て方ではいけない。その人の心開かせ、その気持ちを語らせ、それを偏見なしに、素直に正しく受け止めることが肝要である。つまり、勇気を与え、長所を伸ばすということである。

127.貴賤貧富の中に

人生貴賤あり、貧富あり、また各々その苦楽あり。必ずしも富貴は楽しくして、貧賤は苦しと謂わず。蓋(けだ)しその苦処よりこれを言へば、何れか苦しからざる莫からん。その楽処よりこれを言えば、何れか楽しからざる莫からん。然れどもこの苦楽もまた猶ほ外に在るものなり。昔賢(王陽明)曰く、「楽は心の本体なり」と。この楽は苦楽の楽を離れず、また苦楽の楽に墜(お)ちず。蓋しその苦楽に処りて、而も苦楽を超え、その遭う所に安んじて、而も外慕なし。これ真の楽なるのみ。中庸にいはゆる「君子はその位に素して行ひ、その外を願はず。入るとして自得せざるなし」とはこれなり。

人生には、貴賤もあり、貧富もある。また、それぞれに苦楽があるものである。必ずしも富貴の人が楽しく、貧賤の人が苦しいというわけではない。思うにその苦しいところから見れば、すべてが苦しいものであり、楽しいところから見れば、すべてが楽しいものであるということが言える。しかしながら、この苦楽は外の物とのかかわりの中から生まれるものであり、心の外からくるものである。王陽明は、「楽しみの本体は心にある」と言われた。この心の本体の楽しみは、通常の世間的に言う苦楽の楽から離れるものでもないし、また苦楽の楽に落とし込まれるものでもない。思うに、心の本体の楽しみは、世間的に言うような苦楽、その中に居りながら、その苦楽にとらわれず。自分が現に遭遇している運命や境遇を素直に認め、そこに安住して、外界の心を奪うものにとらわれない。これが真の楽しみである。中庸に、「君子は、現在の自分の位や境遇にしたがって、行うべきことを行って、それ以外のことはしようと思わない。君子はどんな状況や境遇にあっても、それを自分のものとして、心に順じた生活をすることができる」とあるのは、このことを言うのである。

地位が高く、お金持ちだから楽しく、賎しい身分で、貧乏だから苦しいということはない。それぞれに、楽しみや苦しみがあるのが世の中の道理である。そして、世間一般にいう、楽しい、苦しいというのは、すべて、外からやってくるものであるので、そんなものに躍らされたり、とらわれたりせずに自分自身で心を磨いて、自得して、いかなることにも対応できるようにしていこうと一斎は述べているのである。苦しいときもそれを当たり前に受け止める。決してなんとか楽しようとしない。また、楽を求めて、無理をしない。楽しいときにもそれはありがたいと受け止めて、苦しいことを避けようなどとは決して思わない。また、苦を排除しようと無理をしない。苦と楽は実は表裏一体をなすものであって、自分の心掛け、心構え次第でいかようにもなるということでもある。苦のなかにも楽があり、楽のなかにも苦がある人生とは将にそういうものである。
ここにも述べてあるが、中庸の四章に次のような言葉がある。{君子はその位に素して行なひ、その外を願わず。富貴に素しては富貴に行ひ、貧賤に素しては貧賤に行ひ、夷狄(いてき)に素しては夷狄に行ひ、患難に素しては患難に行なふ。君子は入るとして自得せざることなし。上位に在りては下を陵(しの)がず、下位に在りては上を援(ひ)かず、己を正しくして人に求めざれば、則ち怨みなし。上は天を怨みず、下は人を尤(とが)めず。故に君子は易に居りて以て命を俟(ま)ち、小人は険を行ひて以て幸を徼(もと)む。子曰く、「射は君子に似たること有り。諸れを正鵠に失すれば、反って諸れをその身に求む」と。}(君子は現在の自分の位や境遇にしたがって、行うべきことを行って、それ以外、それからはみ出たことはしようと思わない。富貴の境遇にあるときは、富貴に対応してそれにふさわしく行い、貧賤の境遇にあるときは、貧賤に対応してそれにふさわしく行う。未開の僻地にいるときは、その未開の地に対応してそれにふさわしく行い、困難な状況、立場にあるときには、その困難に対応してそれにふさわしく行う。君子はどんな境遇になろうと、その状況にふさわしく、自分の道を守り続けていく。高い位にあるときは、下の人を押さえつけたりせず、低い位にあるときは、高い位の人にとりいったりせず、ただ、自分を正しくして、他人に求めることもしなければ、心に恨みを持つこともない。つまりは、上は天を怨むこともなく、下は他人を咎めることもないのである。そこで君子は自分の境遇に適応するだけで、はみ出たことを求めないので、無理のない安らかな境地におり、運命の成り行きを待つのであるが、小人は今の境遇を良くしようと無理にはみ出て、冒険をして、まぐれ当たりを求めるのである。孔子は言われた「弓の儀礼は、この君子のあり方に似たところがある。それは、的をはずして失敗すると、自分で反省してその原因を他に求めず、自分自身に求めるというところである」と。)このように君子の心をもって、様々な事象に対応していくことが、苦楽にとらわれない、物事に流されない自分自身をつくることに繋がるように思う。

131.身の労苦は心の安楽

身労して、心逸する者は、貧賤なり。心苦しみて身楽しむ者は、富貴なり。天よりこれを見れば、両(ふた)つながら得失なし。

身体を使って、苦労をするが、心は伸びやかであるのは貧賤の人である。体は楽をしているが、心は苦しんでいるのは、富貴の人である。貧賤だ、富貴だといっても、一方は身を労して、心は安逸、一方は心を労して、身は安逸ということであり、天からこれを見るとどちらにも得失などというものはない。

肉体労働をして、汗をかいて、仕事の終わった後に来る、あの爽快感は、確かに身や心の垢をさっと流してくれるようである。その日、一日の達成感を覚える。贅沢は出来ないが、そのあとで飲むビールの味は、また、格別のものである。生きてて良かったと思わせるひと時である。それとは逆に、自分の労力は使わないが、金にも、地位にも恵まれている人は、生活での心配はないが、対人関係や家族関係、組織調整や資産相続、事業継承など多くの問題をかかえることになる。いつも、問題をかかえながら、心が晴れないままに毎日を過ごしている。身は労するが、心は安逸、心は労するが、身は安逸、どちらが幸せかというと、どちらともいえない。むしろ、人間的は、貧賤にあるほうが幸せなのかもしれない。将に「天よりこれを見れば、両つながら得失なし。」である。貧乏で地位の低い人も、お金持ちで地位の高い人も、人生の幸福感という観点から見ると一緒であると一斎は言っているのである。
私の知人の中には、地位も金もあるオーナー経営者が何人かいるが、金銭的には不自由はしていないが、精神的に満足できていない人が大多数である。もちろん、金銭的にも、精神的にも満足できている人もいるのであろうが、なかなか、そのような人物には出会わない。2.3年前、あるオーナー経営者が私にこういったことがある。「毎月、億単位の金は使おうと思えば、個人的に使えるし、更に自分が欲しいと思うものは、すべて買うこともできる。しかし、心が満たされない、何でだろうか。」と。その時は「何億もの金銭を自由に使えるということには、一切興味がないし、それで心の満足ができるとも思えない。事業とか、金儲けとかを除外視して、何か世の中に自分が貢献できるようなことに、自分の身を置いたらどうだろうか。」と私は答えた。その時の私の答えは間違いではないとは思うが、そういう人物が本気で世の中に貢献することに身を置くことができるかどうかは疑問である。また、物欲を消化すればするほど、次から次へと欲が増してくるので、心の方は益々、満たされなくなるようにも思う。それより、自分が不遇だったり、貧賤だったりした頃に立ち返って、今の自分を見つめ直すということが必要なように思える。自分の歴史を省察してみるということである。そうすると、意外と貧賤だった頃のほうが良かったと思えるようなことも多いのではなかろうか。つまり、貧賤だろうが、富貴だろうが、心の満足という視点からいえば、さしたる得失はないということである。それに気付くことができれば、心を満足させる方法も自然と自ら修得できるようになると考える。更にそれができれば、世の中に貢献できることに身を置くことも自然にできるようになるように思える。また、心を満たすためには、静の時間を多く作るということも必要である。

132.艱難の中から安逸が

人は皆な往年の既に去るを忘れて、次年の未だ来たらざるを図り、前日の已に過ぐるを舎(す)てて、後日の将に至らんとするを慮る。ここを以て百事苟且(こうしょ)、終日齷齪(あくさく)して以て老死に至る。嘆ずべきなり。故に人は宜しく尚早の時に困苦あり艱難あるを回顧して、以て安逸なるを知るべし。是れ之を自ずから本分を知ると謂ふ。

人は皆、過ぎ去ったことはほとんど忘れてしまって、目先の翌年のことばかりをどうするかを心配している。また、以前どうであったかは忘れて、今後どうであるかを心配する。だから何事もかりそめになり、毎日毎日齷齪して、目の前のことに捉われて、心に何のゆとりもないままに、遂には、年をとって死んでしまうのだ。何と嘆かわしいことか。だから、人として、若い頃、苦しんだり、困難に出会ったりしたことを思い出してみて、今、安逸でいられる自分のことを誠にありがたいことだと知るということが大切である。これが自分自身の本分を知るということある。

今、安逸に生活していても、苦労した時のことを忘れずにいることが大切であり、それが、本分を知るということに繋がると一斎はいっているのである。本分とは、所謂、天命であり、自分のなすべき務めである。現在の人たちは、多くが安定や安心を求めるが、そういうものを求めるが故に、様々無理なことをするので、逆に安定や安心から離れていってしまうという傾向が強いように感じる。今、安定している自分がいるのであれば、自分が苦労したときのことを忘れずに行動することが、実は、引いては、その後の安定にも繋がるということである。もっと言えば、苦労したことのない人、苦労を避けてすまそうとする人は、人間的成長を得ることができないし、自分の本分を知らないままに、年老いてしまうということである。一斎も余説にあるように「凡そ学は順調にて力を得る事少なく、逆境にて力を得る事多し。我を切磋砥砺(せっさしれい)するの功最もこの処にあり。」という言葉を「白鹿洞書院掲示訳」の中で述べているが、困難な状態のときこそ、学問は本当に身につくということを言っているのである。
私も十数年前に、事業に挫折して、大変な思いをしていたころに、土日には、近くの図書館にいって、儒学を中心とした東洋思想の本を熟読、勉強していた。もちろん、以前より、儒学や陽明学については、興味もあり、そこそこ、知識としては持っていたのであるが、自分の身に本当についてはいなかった。今考えれば、その当時は、そういう学問をしているという表面的な自負心に捉われて、わかったようなふりをしていたに過ぎなかったのである。しかし、その後、この生活も大変だったこの時期に独学で学んだ儒学を中心とした東洋思想は、自分の肚の中にどんどん入ってきて、自分のものになっていったように思う。そして、岡田先生との出会いがあり、益々、その深さを知り、なんと十数年も「順受之会」を続けているのである。自分のメゲそうになる心を強力に援助してくれた、この心の学問を色々な人に話をすることで、その人を元気付け、救うことができればという、何か自分の天命に似たようなものを感じて、「順受之会」はスタートさせたといっても過言ではない。このように私自身の体験からもわかるように、困難なときこそ、本当の学問は身に付き、自分の本分さえわからせてくれるということが言えるのではなかろうか。また、このことは、自分の今の仕事にも大いに活かされている。