呻吟語について

(平成23年7月〜11月)  

「呻吟語」の作者は呂坤(呂新吾)である。呂坤は、明代の世宗の時代1536年に生まれ、1616年に83歳で没している。旧来のものに染まった汚れた自分を新たなものにしようと決意して「新吾」という名前は付けたようである。幼い頃は、秀才といわれる部類ではなかったようであるが、学問の仕方としては、訓古注釈を一切捨てて、黙坐澄心して経典の主旨を体認する方法を採った。そして、この方法で経典の主旨を理解して、それを成し遂げるまではやめなかったという。そういう、学習方法を採ったので、書物は自分のもののようになり、一度目を通せばすべてが理解でき、一度理解したものは長い間わすれることがなかったといわれている。15歳のとき、五経や史書に精通した。「夜気鈔」「招良心」「省心記」などを著わし、躬行を主とする学問に勤めた。20歳のとき邑学に入り、26歳にして郷試に合格、36歳のとき会試に合格して進士となった。そして、39歳のとき現山西省の襄坦の知県になった。問題の多い地域であったが、厳格で公明な処置をした。また、新法を作って懲役で民衆が苦しむことがないようにしたり、学校を建てて、経術を講義したりもした。その結果、呂坤の政治が民衆に通じ、互いに和するようになった。次の年、今度は大同の知県に任命された。大同県は貧しい地域であったが、民衆を慈しみ、善良な人材を養成し、土豪などの横暴を押さえつけた。このことにより、呂坤の政治上の声望は益々挙がった。43歳のとき、呂坤の人品を高く評価していた王家屏という人物に推挙されて中央の吏部主事に昇進した。昔からのしきたりの中で、裁判官になったものは、黙って上官に服従して、軽々しく可否を論ずる者はいなかったのであるが、呂坤は上官に少しも恐れ憚ることなしに論じた。呂坤という人は、生涯、権力におもねらなかった。その後尚書部になり、京卿に転じたが、呂坤を嫌う者に追われて、山東の済南道の参政になった。このとき呂坤は「学ぶ者、通籍(仕官)して以来、往くとして義を行うの日にあらざるなし。何ぞ必ずしも京堂のみならんや」と述べた。何処にいっても正義を行い、その仕官する場所が都だけであろうかと言って単身任地に赴いたのである。呂坤は、どこにあってもその正義を貫いたのである。山東では、米の価格を公平にしたり、租税の取立てを延期したりして、生活で苦しんでいる民衆を救済した。また、福祉施設を作り、老人や不具者の病気の対策を講じたり、奸民の悪を暴いたりもした。その2年後55歳のときに山西按察使に昇進、その後、陜西右布政使に昇進、巡撫山西儉都御使にと累進した。また、57歳で都察院左儉都御使協理院事に抜擢され、次の年は刑部右侍郎さらに刑部左侍郎(法務次官)に昇進した。その間、朝鮮の議、所謂、豊臣秀吉の朝鮮出兵事件などにも関与した。このころ、災異が次々と起こり、国家の安危を憂えた呂坤は上疏数千言(皇帝への諫言)を草した。62歳のときである。このことが発端となり、呂坤への誹謗中傷が起こり、結局、自ら病気を理由に休職して家居した。その内容については、この著書の冒頭に書いてあるので読んでいただきたい。そして、結果官職をやめることになった。呂坤は致仕すること40年、その間、自ら倹約に勤め、他に収入の取れる事業など一切せず、ただ、日々弟子たちと講学して已まないという生活を続けた。弟子の中には千里も離れた遠いところから来ている者もいた。呂坤の下に学ぶ者たちは、その地名を採って沙隨夫子と呼ばれたという。呂坤の晩年の講学の著書は現在でも多く残っているようであるが、それ以上の著作があったようである。呂坤は臨終に際して、「反輓歌」(はんばんか)を書いて、世間では人が死ぬのを悲しんで輓歌を歌うものであるが、自分は吾が命に復して、吾が根に帰るのであって、どうして死を悲しむのであろうと、その序で述べている。また、墓誌銘には家礼に従って葬儀は質素にすること、自分の書を売ってはならない、風水、陰陽、僧、道家の言を一切用いてはならないなどと書いている。呂坤らしい墓誌銘である。
さて、今回勉強する「呻吟語」は、呂坤の思想を表した代表的な著作である。その題の意味について、呂坤は次のように述べている。
「呻吟は病声なり。呻吟語は病む時の疾痛の語なり。病中の疾痛はただ病者のみ知る。他人とともに道(い)ひ難し。また、ただ病む時のみ覚ゆ。すでに愈ゆればたちまちまた忘るるなり。」
呻吟とは病気の時のうめき声である。この苦しみは病気になった者が病気の時のみに味合うもので、治ればすぐ忘れるものであるというような意味である。それを肉体的な病気だけでなく、精神的な疾痛、つまり、人生上、社会、政治上の苦悩を記録して、その解決をはかる方法を30年に亘って記録したのが「呻吟語」である。この本の巻頭にある自序を書き出したのは1593年呂坤58歳の時であり、83歳で没するまで25年間あり、その間に増補、修改、削除等が行われた。本来は4巻本あったと予測されているが、それが「呻吟語摘」の2巻本となり、後の補に係る部分にあたる69条を含む518条本と増補を含む6巻本の1769条本とに分かれ、この6巻本の補に係る69条と新たに「呂語集粋」からの111条を加えた1976条本が今日の本である。(今回の教本は底本である九州大学所蔵の「呻吟語」(6巻本)を中心として、補に係る部分から2条を加えて、180条が妙出されている。)
わが国においては、順受の会でも勉強した大塩中斎が佐藤一斎に宛てた書簡で「天祐によりて舶来の寧陵の呻吟語を購ふを得たり。これまた呂子の病中の言なり。熟読玩味するに、道はそこにあらずや・・・・・・寧陵の淵源するところを究め、すなわちそのまた姚江より来たれるを知る」と述べて、呂坤の思想の淵源は王陽明から来ているとしている。そのために異同はあろうが、呂坤は陽明の流れにあるとされている。確かに呂坤は当時の陽明学者に対しては厳しく批判をしているが、王陽明自身に対しては敬愛の念を持っていたようである。
さて、今回はこの「呻吟語」(明徳出版社・疋田啓佑著)を教本として、勉強をしていきたいと思う。ちなみに疋田先生は、岡田先生との師弟関係もある方である。
「呻吟語」は、人生の中で様々なことで常に苦悶、顛倒している我々にとって、身の処し方を色々と教えてくれる良書であるということがいえる。私自身も皆さんも常に問題をかかえて生きているように思う。その問題に対応するための多くの解決策をこの本を学ぶことにより、実生活に活かしていくことができればと考える次第である。

呻吟語・序

呻吟は病声なり。呻吟語は病む時の疾痛の語なり。病中の疾痛は、ただ病者のみ知る。他人の与(ため)に道(い)ひ難し。また、ただ病むの時のみ覚ゆ。すでに愈ゆればたちまちまた忘るるなり。

呻吟とは病気の時の声である。呻吟語は病気をした時の疾痛の言葉である。病気の中の疾痛は病気になった者だけが知っているのである。他人の為には言い難いことである。また、ただ病んでいる時だけ覚えているものであり、治ってしまえば、すぐに忘れてしまうのである。

とまず述べている。呻吟語とは病気をした者のうめき声であり、それから発せられる言葉であり、病気をしている者にしかわからない言葉である。と述べているのである。また、病気が治癒すれば、サッサと忘れるものであるとも言っているのである。ここでいう病者とは精神的に病んでいる者ということでもある。


予小子生まれて昏弱にして善く病む。病む時呻吟すればすなはち苦しむ所を志(しる)して以てみずから恨んで曰く、疾を慎まばまた病むなからん、と。すでにして慎まず、またまた病む。すなわちまたこれを志す。蓋し世の病備(つぶさ)に経、志すにたふべからず。一病数々(しばしば)経、竟(つい)に懲るるあたわず。語に曰く、三たび肱を折りて良医と成る、と。予はすなはち九たび臂を折たり。沈痼年年、呻吟すること猶ほ昨のごとし。嗟嗟、多く病みて完身なく、久しく病みて完気なし。予は奄奄(えんえん)として視息して人なるかな。三十年来、志す所の呻吟語、およそ若干巻、携へて以てみずから薬とす。

わたしは小さい時から愚かで弱い体質であったのでよく病気になった。病気の時、呻吟してそのたびごとに苦しんだ点を記録してみずから後悔しては、「病気について慎重にしたならば、二度と病気になることはないだろう。」と言ってきた。しかし、実際はそうしても慎まないでいる。そのためにまた病気になり、そのたびにまたこれを記録してきた。思うに世の中の病気をすべて経験して、それらを記録することはできないのである。また、ある病気にしばしば罹っても、結局は懲りるなどということはできないのである。昔の書物(左伝)に、「三度肱を折ってはじめて良医となる。」と言っている。ところがわたしは九度も臂を折ったのである。そして長患いを何年もして、呻吟してきたことも昨日のようである。ああ、私は息絶え絶えなりながらも、視たり息したりしてよく生きているものである。三十年来、記録していた呻吟の言葉が若干巻となったので、いつも携えてそれを自分の薬としている。

と次に述べている。病気になるたびに、病気について慎重になろうと思うのであるが、病気が治ってしまうとまた慎重さを忘れてしまい、また、同じことを繰り返す。そこで、自分を慎み、修めるために、その都度、記録をしてきた。それがいつしか若干の記録書となったので、これを身近において、自分を戒める薬としているといっているのである。皆さんもご存知の通り、私もこの「順受の会」で講話したことを書面に残しているが、何かある度に読み返して、自分の言ったことに自分が教わっている。善いことは言っているが、なかなか実践できないでいるということが実感である。実生活の中で、こういう思想を活かすには、常に自分の身近に良書もしくは自分の呻吟の言葉をおいて、何回も何回も読み返すということが重要であるように思う。


司農大夫劉景沢、心を摂(おさ)め、平生呻吟する所なし。予甚だこれを愛す。頃(ちかご)ろ事を鴈門(がんもん)に共にし、各々苦しむ所を談ず。予、呻吟語を出して景沢に示す。景沢曰く、「吾もまた呻吟する所あれども、しかも未だこれを志さざるなり。吾人の病は、大都(おおむね)相同じ。子すでにこれを志せり。蓋ぞ以て人に公にせざる。蓋し三益あり。病を医する者は、子供の呻吟するを見て、将に死せんとするの病を起こさん。病を同じくする者は、子の呻吟するを見て、各々有つ病を医せん。未だ病まざる者は、子の呻吟するを見て、未だ然らざるの病を慎まん。これ子、一身を以て懲るることを天下に示して、寿(いのちなが)くする所の者衆(おお)きなり。たとひ子愈えずとも、よく以て人を愈やさば、すでに多ならずや」と。余矍然(かくぜん)として曰く、「病語は狂なり、またその狂なる者を以て、人の聞聴を惑はすは、可ならんや」と。よりてその狂にして未だ甚だしからざる者を択びてこれを存す。

司農大夫の劉景沢は、心を修め性を養い、平生から呻吟するようなことのない人である。私は非常に彼を敬愛している。最近共に山西省に仕事で赴任し、そこで各々苦しんだところを話し合った。私は「呻吟語」を出して景沢に示したところ、彼が言うに「私もまた呻吟することがあったけれども、まだ、それらを記録はしていない。吾々の病気は大体同じである。そして、君はすでにそれらを記録している。どうしてそれを公刊して人々に示さないのか。考えてみると、そうすることには三つの利点がある。まず、病気を治癒する者が君の呻吟したところを見て、今にも死にそうな病気から立ち直ることができるだろうし、また、同じ病気をした者は、君の呻吟したところを見て、各自の病気を治すであろう。そして、まだ病気に罹っていない者は、君の呻吟したところを見て、まだ、罹っていない病気に対して慎重になるであろう。これは、君が身を以て懲りたことを天下に示し、それによって長寿する者が多くなるのである。たとい君が治らなくても、それで人を治すことができたなら、その利点は多いではないか。」と。私は驚いて言った「病気の時の言葉は狂いじみている。この狂いじみたもので人の耳を惑わすことはよくないだろう。」と。そういうことで、それらの狂いじみたもの中から、まだそれほどひどくないものを残した。

と述べている。
劉景沢という人は、呂新吾の官僚仲間の中でも、彼が最も信頼し、敬愛した人物であったのであろう。そういう人物からの意見を聞いて、「呻吟語」を公刊したということである。確かに、人生の中に苦悩(つまり呻吟するところ)は多い。その苦悩を解決してくれる一助となるのが、先達の体験や思想からくる言葉であることも確かである。将にこの「順受の会」はそういう勉強をしている。だから、ただ、話を聞くだけではなく、それを実生活で実践しなければならない。また、時代がどう変化しても、人間の苦悩というものは根本的にはそう変わらないものでもある。だから、時代は繰り返されるのであろう。今回の東日本大震災にしても然りであるが、同じようなことが歴史をひも解けばあったのである。こういうことを最小限度の被害で悔い止めるためには、我々はもっと先達の意見や思想を聞く機会を持つ必要があるのではなかろうか。情報化社会に生きる我々は、目先の情報には敏感であるが、過去の真実には鈍感であるように思う。だからこそ、もっと、過去の真実に目を向ける必要があるように思う。


嗚呼、子が視息して尚ほ存しめば、当に三年の艾(よもぎ)を求め、この余生を健やかにすべし。何ぞあへて沈痼を以てみずから棄てんや。景沢、景沢、それ尚(こいねが)はくは予を医せんかな。 万暦癸巳三月、抱独居士寧陵の呂坤書す。

ああ、私を目で見、鼻で息をして人として生きながらえさせてくれるならば、孟子のあの三年も乾かした良く効く艾を求めて、余生を健康に暮らしたいものだ。どうして長患いということで自分を諦めようか。景沢師、景沢師よ、願わくば、私を治してくれないか。  万暦21年3月、抱独居士、寧陵の呂坤書す。

と述べている。「三年の艾」については、孟子離婁上に次のように述べてある。


今の王たらんと欲する者は、猶七年の病に三年の艾を求むるがごときなり。苟(いやしく)も蓄えざらしめば、身を終うるまでも得られざらん。苟も仁に志さずんば、身を終うるまで憂辱して、以て死亡に陥らん。詩に、其れ何ぞ能く淑(よ)からん、載(すなわ)ち胥及(あいとも)に溺ると云えるは、此れを謂うなり。

今、天下の王者になりたがって諸侯たちは、ふだんは暴政を行っているくせに、俄かに仁政を行おうとする。まるで七年越しの長患いに急に考えついて三年も乾した艾を探し求めるようなもの。時がおくれて急には間に合わない。さりとて、おそまきながら今からでも蓄えようとしなければ、一生かかっても艾は手に入らず、病は治りはしない。それと同じ事、王者となろうとしても、彼らが今からもし仁政に志さなければ、王者どころか一生憂き目や辱めを受けて、ついには身は殺され国は滅びるという破目に陥るであろう。詩経に「今の君臣のふるまいは、どうしてそれで善かろうか。たがいに手を取り合って水中(禍)に溺れるようなものだ」とあるのは、このことをいったものである。

根本的な政策や理念は変わらない(あるいは、政策や理念さえはっきりしない)のに、取って付けたような政策を国民のためだといって実行しようとする。まるで、現在の政治の状況を述べているようである。何事もちゃんとした政策を行うには、その準備のための時間が必要であるということである(また、気付いたなら、まだ、遅くはないので、今すぐ準備を始めるべきであると言うことでもある)。また、そういうことをせずに、場当たり的な政策を続けていくと、国民も巻き込んで大変な事態に陥るということでもある。更に、根本的な政策や理念に直接手を入れて、忍耐強く、それを変革していかなければ、何も変わらないということでもある。
呂新吾は、「三年の艾」のような特効薬は、すぐ手に入れられるものではないが、そのための準備は今からでもすべきであり、この「呻吟語」がそれを促進させるための一助にでもなればと言っているように思える。
人間というものは、確かに長患いをしながら、一生を送っていくものなのかもしれない。特効薬はなかなか手に入らないにしても、この「呻吟語」のような良薬を補填しながら、忍耐強く健康を維持していくことは重要であるように思う。ひょっとすると、それが結果一番の特効薬なのかもしれない。


巻之一内篇{性命}44P

正命とは、正理を完却し、初気を全却し、未だかつて我を以てこれを害せざれば、桎梏して死すといえども、その正命たるを害せず。もし、初気鑿喪(さくそう)し、正理完からずば、たとひ正寝に終わりを告ぐとも、恐らくは正命にあらざらん。

正しく生命を全うすることは、正しい道理を全くし、生まれたときに与えられた正しい気を全くし、自我欲で以て、それらを害わないことであり、そうできたならば、罪を受けて死んだとしても、正命を害ったことにはならない。もし初気を名利の欲望で失って、正理が完全でなかったならば、たとい表座敷で死ぬことになっても、それは多分正命ではないであろう。

と述べている。
安政の大獄で刑死した吉田松陰も橋本左内も呂新吾のこの言葉の通りであるように思う。ここで述べてある「桎梏して死す」ということについては、何回も説明しているが、孟子尽心上ある次の言葉(この順受の会の命名の本の言葉でもある)から来ている。


孟子曰く、命にあらざることなきも、其の正を順受すべし。是の故に命を知る者は、巌牆の下に立たず。其の道を尽くして死する者は、正命なり。桎梏して死する者は正命にあらざるなし。

孟子がいわれた「人間の生命の長短や幸不幸は、すべて天命でないものはない。正しく天命を素直に受け入れる心構えが必要である。だから、天命を心得た人は、今にも落ちそうな岩石や崩れかかった石塀の下などには、不慮の死を招くことがあるので、決して立たないものである。人間としてなすべき正しい道に力を尽くして死ぬのは正しい天命なのである。罪を犯して手かせ足かせをかけられて獄死するのは、正しい天命ではないのである。」

孟子は獄死するのは、天命を全うしたことにならないと言っているのに対して、呂新吾は正しい道理を尽くし、正しい気を尽くし、私欲で以てそれを害さないならば、獄死したとしても天命を全うしたことになると言っているのである。孟子も決して、獄死する人がすべてそうであると述べているとは思わないが、呂新吾は天命について、そういう理解をしているのである。刑罰というのは、その時の体制とか、その時の支配者層の判断で決められるものであるので、それは、天命というより、人命(人を介しての命令)と言うことがいえるのではなかろうか。官僚生活を長くしていた呂新吾にとって、そのあたりのことは、日常の課題(冤罪の問題とか)としてあったのではなかろうか。前述した吉田松陰も橋本左内もその時の体制の判断により、罪を科せられて獄死したということが言えよう。いい悪いは別にして、それもまた天命といえば、天命といえるのかもしれないが。


45Pに移る。
徳性は収斂沈着なるを以て第一となす。収斂沈着の中、また精明平易なるを以て第一となす。大段(おおよそ)収斂沈着なる人は、含糊ならんことを怕れ、深険ならんことを怕る。浅浮子は、光明洞達すといへども、徳を蓄ふるの器にあらざるなり。

徳性は、心が深く引き締まり、落ち着いていることが第一に重要なことである。また、この性質の内、特に精明で平易であることが第一である。一般的に見て、心が強く引き締まり落ち着いている人は、曖昧ではっきりしないようなことに気をかけ、心が深刻で険しいようになることを心配するのである。心が浅薄で浮ついている人は、いくら才気があふれて深いところまで洞察できても、徳を養い蓄える器量のある人ではないのである。

呂新吾は収斂沈着こそが人間の徳性を養い蓄えるための第一の要素であると述べているのである。また、これが根本になければ、いくら才能を発揮して、世の中で名を成し、富を成しても、人間として一番大切な徳性を養い蓄えることはできないともしているのである。徳性なき名声や富は時を経ずして、瓦解するものであるということである。このことを今の民主党政権に当てはめてみればよくわかることであるが、収斂沈着の士は果たして何人いるのであろうか。浅浮子は数多くいるようであるが。政権を執ったと同時に名声やそれに追随する富を得ることにより、それに拘泥し、権力を得たことにより、それを自己流に解釈し、国民生活とかけ離れた多くの政策を実行し、今回の大震災による危機に際しては、役に立たない多くの対策会議をつくり、結果、特に原発のことなどに関しては、やたら解決を長引かすことになり、挙句の果て、党首である首相はその地位に執着して、大震災復興の政策の成立を理由に長くその地位に居ようとするなど。収斂沈着ということとは、大きくかけ離れている。もちろん、自民党が政権を維持していても、たいした違いはなかったかもしれないが。要するに今の政治家の多くにここで呂新吾のいう徳性が欠けているのである。だから、そういう指導者層に追随していると、この国は瓦解の危険にさらされることになるのである。我々国民はよくよくこのことを認識せねばならない。


46Pに移る。
真機・真味は涵蓄せんことを要す。点破すること休(な)かれ。その妙は窮まりなく、言もて喩(さと)すべからず。聖人の言ふなき所以なり。一たび口頬(こうきょう)を犯せば、窮年にも説き尽くさず。また離披澆漓(りはぎょうり)にして、一些の咀嚼の処なし。

真実の妙機や真実の妙味というものは、心の中に深く蓄え込む必要がある。一つ一つ調べて説き明かし尽くしてはいけない。その妙味というものは窮まりないものであり、言葉でもって説明し教えることのできないものである。孔子が言葉で教えることをやめた理由はそのためである。もし、一たび口を開いて説明しようものなら、一生かかっても説きつくすことはできないし、また、意味がバラバラに離れて連携のないものになり、また、その言葉の持つ味わいが薄くなってしまい、ほんの少しもその意味を深く味わうようなところがなくなってしまうのである。

真実の物事が起こるきっかけや真実の物事の味わいは、理論立て、理屈立てて説明できるものではない。それは心の中に深く刻み込み、蓄え込むものであると呂新吾は述べているのである。ここにある「聖人の言ふなき所以なり。」については、論語・陽貨第十七に次のように述べてある。


子曰く、予れ言うこと無からんと欲す。子貢曰く、子如し言わずんば、則ち小子何をか述べん。子曰く、天何をか言うや。四時行われ、百物生ず。天何をか言うや。

孔子は「私はもう何も言うまいと思う。」といわれた。子貢が「先生がもし何も言わなければ、私ども門人は何を受け伝えましょう。どうか話していただきたく存じます。」というと、孔子がいわれた、「天は何を言うであろうか。何も言わなくても四季はめぐっているし、万物も成長している。天は何か言うだろうか。何も言わなくても教えはある。言葉だけを頼りにしてはいけない。」

孔子は真実の教えは天地自然の道理の中にあると言っているかのように思える。
先日、あるところで、久し振りに会った後輩と話しをしているときに「意識が物事を作っている」と言う話になり、色々と意識についての説明をしていると彼がそれでは「意識」というものは何処からきているのかと質問してきた。意識というものは、自分自身の心から発しているものであり、心は天地自然道理と繋がっているので、天地自然の道理の中に備わっているものであるというと、それを詳しく言葉や文章で説明することができるかと言う。そうでないと納得できないようなのである。もちろん、論を尽くせば色々な見解が出てくるのであろうが、しかし、それは、結論ではない。もっと言えば、この窮まりのないものに対して、論を尽くせば、尽くすほど支離滅裂になってしまうようにも思える。呂新吾のいうように真実の物事の発動するキッカケや真実の物事の味わいは、いちいち説き明かせるものではないように思えた。逆に、説き明かそうと思えば、違った結論を出してしまって、間違った道に踏み込んでしまう恐れもある(新興宗教などで間違った見解がなされたりするのはこのあたりから来ているように思う)。だから、おそらく、それは自分で自覚し、体認して自分の心の中に深く蓄えておき、必要に応じて発動させていくべきものであるように思える。やはり、真実は自分の中にしかないのであろう。


47Pに移る。
性分は虧欠(きけん)せしむべからず。故にその数を取るや常に多し。曰く理を窮む、曰く性を尽くす、曰く天に達す、曰く神に入る、曰く広大を致し高明を極む。情欲は贏余(えいよ)せしむべからず。故にその数を取るや常に少なし。曰く言を謹む、曰く行いを慎む、曰く己を約にす、曰く心を清くす、曰く飲食を節し嗜欲を寡くす。

生まれつきの性分というものは、欠けたり、足りないような状態にしてはならない。そういうことで、性分を欠けないようにする方法は、常にそれらを多くするように推し進めることである。それらを多く推し進めるようにするためには何をするかというと、一つ、理を窮めること、一つ、人間の本性を極めること、一つ、天の徳に達すること、一つ、広大さ高明さを究めることである。それに対して情欲は余りがあるような状態にしてはならない。したがって、その方法も常に少なく、己の欲望を少なく抑えるようにすることである。その少なく抑えるということというのは、一つ、言葉を慎重にすること、一つ、行動を慎重にすること、一つ、自分につき倹約し控えめにすること、一つ、心を清くすること、一つ、飲食に節度を保ち、嗜欲を少なくすることである。

呂新吾は、生まれつきの天から授かった人間としての本性は、どんどん積極的に進化させていく必要があるが、情欲は、反対に少ないほうが良いと述べているのである。人間としての本性を積極的に進化させても、情欲を抑えることができなければ何もならないということでもある。表層で聖人君子的な言葉を吐き、行動をしているように見えても、真相が情欲にまみれているのでは本来の人間としての進化、進展は望まれないということでもある。
情欲の深さについては、本当に反省させられることが多い。情欲が深いと自分だけでなく他の周りの人も巻き込んで不幸にしてしまう傾向が強い。情欲にかられると、周りが見えなくなり、自分がその渦中にあることさえ忘れてしまい、どんどん深みに突き進んでいく傾向も強い。
だから、常に事の外に立って、自分を見つめ直す姿勢が必要である。そのためには、人間の本性を積極的に、より以上に進化、進展させていく必要がある。人間修行にここまでという限界はないのである。情欲にかられていると思ったら、情欲を少なくする努力をすると同時に人間修行をそれまで以上に実践していくことである。具体的には、呂新吾は、@理を窮める。(物事の道理を理解する)A性を尽くす。(本性を理解する)B天に達す。(天徳を理解する)C神に入る。(無我の境地に入る)D広大を致し高明を極める。(徳性を尊び、学問を修めて、広大さや高明さを理解する)という修行をしろと、ここで述べている。


49Pに移る。
深沈厚重なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質。

人間の資質からいうと、心が深く落ち着いて慎重であり、かつどっしりとしているということが第一の資質であり、小さいことにこだわらずさっぱりして勇気があって強いことが第二の資質であり、頭脳明晰で弁舌さわやかなことが第三の資質である。

呂新吾は深沈厚重が第一の資質であるとしている。前述でも説明した収斂沈着や別に述べている安重深沈も同じ意味である。心が深く、落ち着いていて、尚且つ慎重で、どっしりとして安定感があるというのは、実はなかなか外からは読みきれないものでもある。しかし、こういう資質がなければ何事にも対応できないように思える。特に今のような激動の時代には一番必要な資質であるように思える。最近の人は、聡明才弁は、表に見えやすいので、そのような人が世の中にとって必要な人というように思っている傾向が強いようであるが(特に弁護士出身の政治家が多いことなどから見ても)、果たしてどうであろうか。もちろん、聡明才弁を否定するものではないが、(聡明才弁で深沈厚重な人もいるであろうから)やはり、今の世の中に一番必要な人物の資質は深沈厚重さであるように思う。
先日、今の菅首相について「菅首相の何処が悪くて、ああいう批判を受けるのですかね。」という質問を受けた。その時は私心が強すぎるとか、徳望がないとか、色々と述べたが、将にここで言う、聡明才弁ではあるが、深沈厚重ではないということに尽きるのではなかろうか。8月27日の日経朝刊の菅首相の退陣表明の記事に次のようなことが書かれていた。

「与えられた厳しい環境の下でやるべきことはやった。一定の達成感を感じている。」首相は26日夜、首相官邸での退陣記者会見で1年3ヶ月の政権運営を振り返った。首相は「3月11日の東日本大震災、福島第一原子力発電所事故に遭遇した首相であることは、歴史の中で消えることはない。」と述べ、首相として未曾有の大災害、大事故に立ち会ったことに胸を張った。この日のために側近の阿久津幸彦内閣府政務官は菅首相の成果を記す29ページの資料を作成した。首相はそれをもとに雇用重視の新成長戦略や第二次世界大戦の激戦地、硫黄島からの遺骨を収集したことなどを挙げて自画自賛した。首相は「賛否両論ある課題にあえて取り組んだ。」とも主張した。消費税率引き上げを含む社会保障と税の一体改革、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉への参加問題、電力の原子力依存からの脱却・・・・・、内容はともかく十分な準備もなく打ち出し、困難に直面するとぶれた。どれも実現への道筋がついたとは言い難い。

深沈厚重であれば、大変な時期の政権運営であっても、もっと成果は挙がっていたように思える。菅首相には外へ向けてのパフォーマンスではなく、もう少し自分の中の人間力を鍛える修行をしてもらいたかったように思う。


次にかなり飛ばすが61P「存心」に移る。
静の一字は、十二時離れ了らず。一刻もわずかに離るればすなわち乱れ了る。門は尽日開闔(かいへい)すれども枢(とぼそ)は常に静かなり。妍?(けんし)は尽日往来すれども鏡は常に静かなり。人は尽日応酬すれども心は常に静かなり。ただ静なり。故によく動を張主し得。もし動を逐(お)ひて去けば、事に応ずること定めて分暁ならず。すなわちこれ睡る時もこの念静ならざれば、箇の夢児(ゆめ)をなすもまた胡乱なり。

静という一字は、一日中心から離れてはならないものである。ほんの一刻でも離れたなら、その時すぐに乱れてしまうのである。例えば、門は一日中開閉するけれども、その扉の軸は常に静かであり、美女や醜女が一日中鏡の前に顔を写しに往来するけれども、鏡は常に静かであるようなものであり、人も一日中人と応対していても心は常に静かであるようなものである。ただ、静そのものなのである。そのような静の状態になるときに、動を主宰することができるのである。もし、動を追い出して静を得ようとするなら、色々な事に対応するに際して、必ずはっきりとしないであろう。なぜならば、眠るときも動を追い出そうとする思いがあっては、静かに眠れないし、夢をみるにも心が動いて胡乱なものになるからである。

呂新吾は「静」を重視していることについてはこれまでも述べてきたとおりである。世の中が如何に動こうとも、変わろうとも「静」という軸は常に動かず、変わらないということである。だから、「静」を主宰としておれば、如何なる課題にもぶれることなく対応できるとしているのである。逆に「動」を主宰と考えると、考えが散漫となり、一定せず、物事に対して、いつもぶれてばかりいることになるということである。何か事が起こると、そのことに動揺し、そのことを追いかけるが故に周りが見えなくなるということはよくあることである。これは、動を主宰として生きているから、そうなるのであろう。そう考えると、現在は、動を主宰として生きている人が多いのではなかろうか。一見、教養もあり、冷静であり、温厚に見える人でも、一転、自分の得失に関することになると、また、追い詰められると、周りに与える悪影響などのことは関係なしに、自分の思うがまま、感情の赴くままに、それまでとは別人のような行動を起こす人がいる。これなどは、一見「静」を主宰として生きているようであるが、実は「動」を主宰として生きている人ということになろうか。また、様々な難関が押し寄せてきても、いつもと変わらぬ状態(平静な状態)でおれる人は「静」を主宰として生きていることを体現している人ということがいえよう。
この変動の時代、物事に動じず、心を強くするためにも、現在を生きている我々は、いつも申し上げているように、もっと「静」の時間を作ることに配慮すべきであるように思う。「静中動在り」である。


62Pに移る。
意念を把りて沈潜し得て下さば、何の理か得べからざらん。志気を把りて奮発し得て起こさば、何の事か做すべからざらん。今の学ぶ者は、箇の浮躁の心を将(も)って理を観、箇の委靡の心を将って事に臨み、ただ模糊として一生を過ごし了る。

心を静かに深く安定させ得たならば、どうして理が得られないことがあろう。また、志気を奮発させ得たならば、どうして事が成し就げられないことがあろう。ところで今の学問をする者たちは、何事にも浮ついた落ち着きのない心で物事の理を観、また、なえしなびたような弱りきった心で物事に臨んで対処しようとしている。そして、ただぼんやりとして一生を過ごしてしまっている。これでは何事も成し得ない。

呂新吾の学問の仕方についての見解である。「箇の浮躁の心を将(も)って理を観、箇の萎靡の心を将って事に臨み、ただ模糊として一生を過ごし了る。」とは、耳の痛い言葉である。こういう態度では、学問も何事も成し得ることはできないということである。学ぶのであれば、徹底して、真摯に、学ぶ姿勢がなければならないし、そういう姿勢がなければ、心を静かに深く安定させることもできないし、志気を奮発させることもできないということである。また、徹底して学ぶ姿勢が作れないような学問は学ぶ必要が無いということにもなろうか。
先日、都下のある図書館でデスクに座って本を読んでいると、周りは受験生だらけであった。彼らは一心不乱に勉強に打ち込んでいる。その姿は、真摯であり、集中もしている。目標があるので、志気を奮発させられ、真摯に勉強し、集中できるのであろうと思う。しかし、大学受験という目標を取り払えば、彼らはこんなに勉強するのであろうかという疑問も同時にもった。志気を奮発させて、大いに受験勉強をするということ自体には反対はしないが、いや、中途半端な勉強をするものよりはずっと素晴らしいと思うが、彼らは、その目標を達成しても尚且つ、このように真摯に勉強するのであろうかと思うのである。勉強をしているというよりは、させられているように見えるのである。そもそも勉強、学問は、主体的に行うのがその根本であると思うが、(もちろん中には主体的にしている者もいるのであろうが)いまひとつ、そういう情熱が伝わってこないのである。それは、表層の知識を主体として勉強しているからではなかろうかと思える。もちろん、知識を学ぶということは悪いことではない。何事も知らないよりは知っているほうが善い。しかし、学問する、勉強するということの目的は、ここで呂新吾が述べているように、理(物事の道理、人間の道理、引いては天地自然の道理)を理解するところにあるのである。もちろん、目の前にある受験ということに対して、勉強するということを否定しているわけではなく、その先にある学問の目的を達成するための一過性のものであるということを理解して、もう少し余裕をもって勉強していくことが大切であるように思えるのである。受験勉強を目的化しないで欲しいと思うのである。理を求める、理解することを学問の目的にすれば、苗しなびた心で勉強をする、学問をするということはなくなるように思える。もちろん、私たちも心しなければならないことである。


65Pに移る。
三十年の心力を用ふれども、一箇の偽の字を除き得ず。或るひと曰く「君は儘(きわ)めて実を尚ぶ」と。余曰く「いはゆる偽とは豈に必ずしも言行の間のみにあらんや。実心(まごころ)、民のためにすれども、一念、我を徳とするの心を雑ふるは、すなはちこれ偽なり。実心善をなせども、一念、知られんことを求むるの心雑ふるは、すなはちこれ偽なり。道理上該(まさ)に做すべきこと十分なるに、ただ一毫を争ひて未だ満足せざるは、すなはちこれ偽なり。義に向ふに汲汲たれども、わずかに二三の心あるは、すなはちこれ偽なり。白昼になす所みな善なれども、しかも夢寐(むび)に非僻の干(おか)すあるは、すなはちこれ偽なり。心中には九分あるに、外面は做し得て恰も十分なるに象(に)たるは、すなはちこれ偽なり。これ独り覚るの偽なり。余はみな、去るあたはず。漸く防閑を潰(ついや)して、悪を言行の間に延ばさんことを恐るるのみ

三十年の間、心力を用いて努めたけれども、一箇の偽の字を除くことができなかった。或る人が「君は非常に真実を尊重している」と言ったので、私は次のように答えた。「世に言うところの偽とは必ずしも言行のことについてのみ言っているのではない。つまり、真実の心で民のために何かしても、ほんの一念でも自分がしてやったという気持ち、すなわち自分の恩徳に民が感謝するのを期待するような心がまじっているなら、これは偽である。真実の心から善行をなしても、ほんの一念に、他人に知られたいという欲求の心がまじっているなら、これは偽である。道理の上からしなければならないことを十分したことに、ほんの少しの事について他人と争って満足しないのは、これも偽である。正義に向かう心が汲汲としていても、ほんのわずかの二三の自我心があれば、これも偽である。真昼の間にすることはみな善であるけれども、それでいて寝て夢を見ている中で道にそむいた行為で心を犯すことがあれば、これも偽である。心の中では九分通りしか成してないのに、外面はいかにも十分にしているようにしているのも偽である。これは他人にはわからない、自分だけが知っている偽である。私はこのような偽を除き去ることができない。それでも少しずつでもこの偽を防ぎとどめている心が崩れて、悪が言行の間に蔓延していくのを恐れているだけである」と。

人のためにしても、その心の根底にしてあげたなどという気持ちが少しでもあればそれは偽りであり、善行をして、それを知られたいという気持ちが少しでもあれば、それは偽りであり、道理上なすべきことをやっていても、ほんの些細なことで他人と争い、満足できないようであれば、それは偽りである。また、正義に向かう心が汲汲としていても、そこにほんの少しでも自我心があれば、それは偽りであり、日中は常に善行をしていても寝て夢の中で道に外れたことをしたら、それは偽りである。更に心の中では九分通りしかできてないのに、外面では十分にできているように振舞うのも偽りである。厳しい指摘である。呂新吾の厳格さがあらわれているような言葉である。呂新吾の言葉からすると我々(いや、少なくとも私)は偽りの人生を送っているように思える。深く反省せなばなるまい。しかし、呂新吾のいうように、ほんの少しの心にある禍の兆しが、大きな事件を起こすことに繋がるということは、将にその通りであるように思える。
今回の英国での若者の暴動も、政府の財政再建を主体とした政策による貧富の格差が広がったことに対する不満や大学を卒業してもなかなか就職できない現実、リストラによる失業率の高さなど、そういうことを常日頃不満に思っていた人たちが、黒人青年を警官が射殺した事件をきっかけにSNSやフェースブックを媒介として、集合し、暴動を起こしたということであるが、このことは、心にある小さな禍の兆し(押し殺していた小さな偽り)が、暴発したということであるように思える。(一揆とか打ち壊しとかいうような事件に近いのではないかと思う。)おそらく、この人たちの日常は、特別な悪でもなく、普通にまじめに仕事をしていた人たちであるように思える。しかし、暴発してしまうとその行動はすさまじい。また、最近報道される事件の多くが、普段はまじめでちゃんとしているのに「何故あの人があんなことを」という傾向が強いように感じる。日常の言行には見えない、心の中の小さな偽りは、実は大きな禍の本なのである。だから、呂新吾が言うように「漸く防閑を潰して、悪を言行の間に延ばさんことを恐るるのみ」である。心を強くして、この小さな偽りを防ぎ留めておく必要があるのである。もっといえば、偽りの無い心を持つための修行をする必要があるということでもある。将に王陽明のいう知行合一であり、致良知である。次に移る。

盗はただこれ人を欺く。この心、一毫の人を欺き、一事の人を欺き、一語の人を欺くあれば、人は知らずと雖も、すなはち未だ発覚せざるの盗なり。言はかくのごとくにして行ひこれを欺くは、これ行ひは言の盗なるなり。心はかくのごとくにして口にこれを欺くは、これ口は心の盗なるなり。わずかに一箇の真実の心を発し、にはかに一の偽妄の心を発するは、これ心は心の盗なるなり。諺に云く「心を瞞(あざむ)き、己を昧(くら)ます」と。味はひあるかな、そのこれを言ふこと。世を欺き名を盗むはその過ち大なり。心を瞞き、己を昧ますは、その過ち深し。

盗みとはただ人を欺くことである。この心がほんの少し人を欺き、ほんの一事人を欺き、ほんの一語人を欺くようなことがあれば、他人はそれを知らなくても、それはまだ発覚してない盗みである。言葉はこのように言っていながら、行いがそれに伴わずに言葉を欺く時、この行いは言葉の盗となるのである。心がこのようであっても、口が心を欺く時、この口は心の盗となるのである。ほんの僅か一つの真実の心を発して、すぐに一つの偽妄の心を発する時、この心は心の盗となるのである。諺に「良心にそむいて自らを欺く」と言っている。この言葉はこの点を述べていて、味わいのある言葉だな。この世の中を欺いて名誉を盗むのは、その過ちは大であり、良心にそむいて自分を欺くことは、その過ちは深いのである。

人を欺くということは、少しであっても、一事であっても、一語であっても、それはすべて「盗み」であるといっているのである。人を欺くことが心に発した時に、それが外に現れなくても、「盗み」であると呂新吾は述べているのである。人を欺くということは、自分自身の心(意念)を欺くということにもなる。これまで何回か説明したが、自分を欺くことについて「大学」には次のように述べてある。


所謂、その意を誠にすとは、自ら欺く母(な)きなり。悪臭を悪むが如く、好色を好むが如くする、此れを自ら謙(こころよく)すと謂う。故に君子は必ずその独を慎むなり。

「自分の意念を誠実にする」というのは、自分で自分をごまかさないことである。たとえば、誰もが臭い匂いを嫌うように、悪いことは素直に悪いとして追放し、美しい色を愛するように善いことは素直に善いとして追求するのだ。そのようにすることが我とわが心を満ち足りたものにすることになる。そこで、君子は必ず内なる己自身の意念を慎んで修めるのである。

つまり、自分自身の意念を誠実にすることに努めていれば、「盗み」は無くなるということになろうか。意念を誠実にするためには、王陽明の言う「良知を致す」(道義心、良心を発揮させる)ということが必要になる。そうすれば、自ずから、人を欺き、自分を欺く心は起きないということになる。
呂新吾はまた、この小さな「盗み」が大きな「盗み」に繋がっていくということも述べている。それは、世を欺き、名を盗む(自分の名誉を得るために世の中を欺く)ことになるということである。こういうことは、残念ながら、現在では、よく見かける行為である。そして、そういう人物が世の中をリードしていくことになれば、賄賂が横行し、多くの人民が犠牲になり、世の中を混乱に陥れ、やがては国家が崩壊することに繋がっていくということが危惧されるのである。だから、「盗み」の心、人を欺く心、自分を欺く心が芽生えたら、すぐに摘み取っていく必要があるとも述べているように思える。我々も常日頃から、本音で話ができる関係を築きたいものである。


69Pに移る。
 
悪を悪むこと太(はなは)だ厳しきは、すなはち是れ一の悪なり。善を楽しむこと甚だ亟(すみや)かなるは、すなはち是れ一の善なり。

他人の悪を憎むのが極度に厳しいのは、これも一つの悪である。つまり、悪を憎むのは当然としても、あまりにも追求が厳しすぎるよりは、そこに逃れる余地を残しておくことが人情として必要であろう。他人の善を喜ぶについては、それの行き過ぎはありえない、いくら速やかでも結構であり、これも一つの善である。

儒学や東洋思想の原点である陰陽思想からいえば、陰陽、善悪、正邪入り混じっているのが天理であり、人間の本性である。つまり、完全な悪という人間は存在しないということである。そういう人間の罪を問うのに、徹底して追い詰めてしまえば、逃げ道をふさぐことになり、その人間の改心への道を閉ざしてしまうことになる。つまり、悪を徹底して追及しすぎると更生せず、また、同じような悪事をはたらくことになりかねないということである。「罪を咎めて、人を咎めず」ということになろうか。また、罪を犯して、刑を受け、罪を償って出所して、改心して新しく生きていこうとする者に対して、いつまでも過去の罪を犯したことについて、世間が指差すようであれば、自暴自棄になり、また、同じような罪を犯して刑を受けるということにもなりかねない。近年、再犯率が高いといわれるのも、そんなところに原因があるのではあるまいか。東日本大震災以降、「絆」とか「人と人のつながり」「相互補助」とかいう言葉を聞く機会が多くなったが、そういう社会を構築していくことが、余分な悪を生じさせないことに繋がっていくようにも思える。
また、呂新吾は、他人の善行に対しては喜びをあらわすことについては、行き過ぎということはないと述べている。善を喜ぶことによって、また、新たな善があらわれ、それを評価することによって、また、新たな善が形成される。つまり、善循環していくということである。それが、本当にできれば、悪の入る隙間もなくなるということである。悪の入る余地をなくするために常日頃から善行を徹底させる、良知を発揮させるということである。それは、そのまま「相互補助」の社会を実現させるということにも繋がることになる。多善寡悪の世の中を構築することが、呂新吾の理想であったように思える。


次に移る。

「佳果を便溺(べんにょう)に投じ、濯ひてこれを献ぜば、食はんか」と。曰く「食はず」と。「見ずしてこれを食はば病まんか」と。曰く「病まず」と。「山を隔てて指してこれを罵(どな)らば、聞かんか」と。曰く「聞かず」と。「面に対して指してこれを罵らば、怒らんか」と。曰く「怒らん」と。曰く「これ見聞の障なり。それよく見てしかも食ひ、聞きてしかも怒らざらしめば、黒海に入り白刃を踏むと雖も可なり。これ心を錬る者の当に知るべき所なり」と。

「美味しい果物を糞尿の中に投げ込み、それを洗って差し出したならば食べるだろうか」というと、「食べない」という。「投げ込んだのを見ないでこれを食べたならば、病気になるだろうか」というと「病気にはならない」という。「山を隔てて、離れたところから指さして怒鳴ったならば、聞くだろうか」というと「聞かないだろう」という。「それなら顔面に対して指さしてこれを怒鳴ったならば怒るだろうか」というと「怒るであろう」
という。そこで言った「これは目で見、耳で聞くことによって起こる心の障礙である。目で見て、それでもよく食べ、耳でよく聞いて、それでも怒らないようにさせたならば、暗い闇の海に入り、白く光る鋭い刃を踏むような勇気のいることさえも可能である。このことは心を鍛錬する人が知らねばならないところである。

現実に見聞する事象だけにとらわれてはいけないということである。その真相にまで踏み込んで判断することが必要であるということである。現実に見聞される事象の中には、必ず、それに到るまでの経緯があり、現実に見聞されることとは違った事象が隠されているということである。そして、その表相、真相の事象をすべて把握して、中正を保って行動を起こしなさいということである。将に流されない、揺れない心をつくる修行をしなければならないということにもなる。つまり、物事を判断するには「中庸」が必要であると呂新吾は述べているのである。この文章の中にある「白刃を踏む」については、「中庸」に次のような文章がある。


子曰く「天下国家も均しくすべきなり。爵禄も辞すべきなり。白刃も踏むべきなり。中庸は能くすべからざるなり」と。

孔子が言われた「天下国家をうまく治めるのは難事ではあるが、それでさえ公平に治めることはできる。高い爵位や厚い俸禄を断るのも難事ではあるがそれでさえ辞退することはできる。白刃を踏み破って敵陣を攻めるのも難事ではあるが、それでさえ踏み破ることはできる。だが、中庸を選び取って実際に守り続けるのは、なかなかできないことだ。

中庸を選び取って、守り続けることができるならば、天下を公平に治めることができるし、高位、高禄の申し出があっても意に沿わないときはいつでも断ることができるし、白刃を踏み破って、敵陣を攻めることもできるということである。中庸を実行できれば、どんな難事も乗り越えることができるということである。また、「中庸」の意味については、次のように述べてある。


子曰く「舜は其れ大知なるか。舜は問うことを好み、而して邇言を察することを好み、悪を隠して善を揚げ、その両端を執りて、その中を民に用う。それ斯を以て舜と為すか」と。

孔子はいわれた「舜はいかにも大知者だね。舜はただの物知りではなくて、好んで人にものをたずね、その上身の回りのつまらないことまでよくよく吟味して、その悪いところを抑えて、善いところをあらわし広め、物事の両端をとらえて、その中ほどを人民の間に適用した。まあ、こういう大知者としてのすばらしさによって舜(充実)とよばれたのであろう」と。

表相、真相のことをよく把握して、その悪いところを抑えて、善いところを押し広めて、物事の両極端をとらえて、中ほどを推奨して実践するということが「中庸」であると述べているのである。「中庸」とはこれまでも何回も述べているが、一線上の一点ではなく、包容性と融通性を具えた構造的なものである。
我々も目の前に現れる事象だけにとらわれることなく、その真相にも踏み込み、包括的にその事象を見て、「中庸」を以て実践していくということが必要であるように思う。そうしなければ、間違った判断をしてしまうことにもなりかねない。


次に移る。

豆を種うればその苗は必ず豆なり。瓜を種うればその苗は必ず瓜なり。未だ存する所かくのごとくにして、しかも発する所かくのごとくならざるものあらず。心はもと人欲にして、しかも事は天理ならんことを欲し、心はもと邪曲にして、しかも言は正直ならんことを欲するは、それ将(は)たよくせんや。ここを以て、君子はその存する所を慎む。存する所是なれば、種種みな是なり。存する所非なれば、種種みな非なり。未だ分毫も爽ふものあらず。

豆を植えると、その苗は必ず豆を実らせる。瓜を植えると、その苗は必ず瓜を実につける。この世に存在するのがこのようであって、しかも発生するところがこのようでないものはないのである。心というものは本来は人間の欲望の表れであって、それでいてやる事は天理に合うことを欲している。心は本来よこしまでねじけているのに、それなのに言葉は正直であろうと欲するのは、果たしてできることであろうか。このようなことから君子は自分の心の中に持っているものについて慎むのである。心に持つものが正しければ、他の種々のことも正しくなり、心に持つものが正しくなければ、他の色々なことも間違いになる。これについて、未だかつてほんの少しも違っている人はいないのである。

豆を植えれば、豆ができるのは、天理である。しかし、豆を植えたのに他のものが萌芽し、結実していかないかと期待する人が多いのも事実であり、これは人欲である。例えば、毎日毎日仕事もせずに、偶然の収入がないかと期待するようなものである。毎日毎日の努力が結実するのが仕事である。原因があって結果が得られるのである。原因のない結果はないし、いい原因があれば、いい結果をえられるのである。つまり、原因と結果は表裏一体の関係なのである。そして、いい原因を作るためには、常に心を存養して、慎み、心を正しくすることであると呂新吾は述べているのである。心を正す(正心)については、大学に次のようにある。


所謂、身を脩むるはその心を正すにありとは、身に分?(ふんち)するところ有るときは、則ちその正を得ず、恐懼するところ有るときは、則ちその正を得ず、好楽するところ有るときは、則ちその正を得ず、憂患するところ有るときは、則ちその正を得ず。心焉(ここ)に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず、此れを、身を脩むるはその心を正すに在り、と謂う。

わが身をよく修めるには、まず自分の心を正すことだ、というのは、わが身に腹の立つことがあると身の正常を保つことはできず、恐れおののくことがあると身の正しさを保つことはできず、楽しい好きごころがあると身の正しさを保つことはできず、悲しい心配事があると身の正しさを保つことはできない。つまり、心が動揺すると身は修まらないということである。心がしっかりと落ち着いていないと、何かを視てもはっきりとは見えず、何かを聴いてもはっきりとは聞こえず、何かを食べてもその味がわからない。これでは身の修めようがないわけである。わが身を修めるには、まず自分の心を正すことだ」というのは、こういうことである。

心を正すということは、腹の立つことがあっても、恐れおののくことがあっても、好楽にふけっていても、悲しい心配事があっても「不正を正して正に帰着させる」心を失わないということである。その結果、心を動揺させることなく、平常心を保つことができるようになるのである。
さて、先般、野田首相の所信表明演説の中で話題になった言葉が「正心誠意」である。マスコミは(特にTVは)、この言葉は勝海舟の「氷川情話」にのべられている言葉だと報道していたが、賢明な皆さんならおわかりのように、「大学」の中に述べられている言葉を勝海舟が引用したものである。私はいつも思うのであるが、日本のマスコミ、特にTVは、表相の言葉については、敏感であるが、真相の言葉については、ちゃんと説明しないことが多いように思う。それは多くの誤解を生み、間違った風潮をつくる原因にもなる。また、極論すると国民を愚民化することにもなりかねない。我々は、そういう情報化社会にいきているのであるから、言葉一つをとってもちゃんと理解できる教養を身に付ける必要があるように思える。
野田首相がどういう考えで「正心誠意」と述べたのはかは別として、この「正心誠意」(不正を正して、正に帰着させ、自分の意念を誠実にすること)をちゃんと実行していけるのであれば、今度の政府には期待できそうであるが、どうであろうか。しかし、近年の首相の中で「正心誠意」などという言葉を所信表明演説の中で使った人はいなかったので、少し期待はしてみたいものである。


70Pに移る。

天地万物の理は、静に出でて静に入る。人心の理は静に発して静に帰る。静は万理の?籥(たくやく)、万化の枢紐(すうちゅう)なり。動中に発出し来れば、天則とすなはち相似ず。故に暴肆(ぼうし)の人と雖も、平旦には、みな良心あるは、静に発すればなり。過ちて後にはみな悔心あるは、静に帰ればなり。

天地万物の理というものは、静から出、静に入っていくのである。人心の理も静に発して静に帰っていくのである。つまり、静こそは万物の生まれ出る「ふいご」のようであり、また、すべての変化の重要点である。それで動中に発出してくるときは、天の法則と似ていないのである。それ故に手荒に暴力を振るい、勝手気ままにする人でも、夜明けにはみな良心があるのは、静に発するからである。また過誤をなした後にみな後悔する心があるのは、静に帰るからである。

天地万物の理は静から出発し、動に転じ、また静に帰っていくものであり、これこそが天則でもある。また、その静こそが万物が生まれ出る「ふいご」の役割をするところであり、万物が変化する起点とするところであると呂新吾は述べているのである。人間の心も天理も「静に発して、静に帰着する」のである。人間は静なる母なる大地から生まれ、また、静なる自然の大地へ戻っていくのである。何回も話をしていると思うが、だからこそ、動の時間に振り回されている人が多い現在、静の時間を持つということが重要になるわけである。動中に変化を求めても、静に戻ることをしないでいると、ただ、動中に流されてしまうだけである。そういう日常の中では流されない、揺れない心をつくることはできないのである。だから、静の時間を日常の中につくるということが必要である。毎日、静坐したり、瞑想したり、座禅を組んだり、読経をしたり、(もちろん、何も考えずにただぼうっとすることもいい)そういう静の時間に集中することが大切である。そして、それが、次の日の活力へと繋がるのである。静から動、そして、また静へ、この循環とその中でバランスをとっていくことが重要である。忙しければ忙しいほど必要になる。また、静の時間を大切にする人のほうが、効率的に仕事を進めているように思える。皆さんも自分の一日を省みてみて、静の時間を自分の生活リズムの中に取り入れていくということを実行されてみれば、如何であろうか。


次に移る。

童心はもつともこれ人となるの一の大病なり。ただ童心を脱し了れば、すなはちこれ大人・君子なり。或るひとこれを問ふ。曰く「およそ炎熱の念、驕矜(きょうきょう)の念、華美の念、速やかならんと欲するの念、浮薄の念、声名の念はみな童心なり」と。

童心は一人前の人間になる時に乗り越えなければならない、最も大きな病である。ただ、この童心を脱してしまうと、すなわち、大人、君子となるのである。或る人がこのことについて質問した。それで答えて言った。「一般に夏の暑さのように燃えるような強い欲望、驕り高ぶる気持ち、華美を尽くそうという思い、すぐにそうしたいという気持ち、軽薄な考え、名誉、名声に対する欲望などの思いは、みな童心から生まれるのである」と。

我々、一般人から考えると、呂新吾のいう童心を乗り越えることは、非常に難しく思える。おとなになってもなかなか童心から抜けきれないというのが実感である。あれが欲しい、これが欲しいという人欲からはなかなか去ることができない、自分だから成し得たんだとして、人の前で驕り高ぶる心をなかなか去ることができない、華やかで美しく外見を飾り人目をひきたいという気持ちを去ることができない、後先のことを考えずに自分に利益がありそうであれば、すぐに飛びつくという気持ちをなかなか去ることができない、名誉、名声を求め、多くの人に知られたいという欲望からはなかなかさることができない。これは、すべてが人欲からくるものである。王陽明がいうように「去人欲、存天理」(人欲を去り、天理を存する)という努力、修行をすることが必要であるということである。そして、それができれば、大人、君子ひいては聖人にもなれるということである。橋本左内は前に勉強した「啓発録」のなかで、童心、左内のいうところの稚心について、次のように述べている。


稚心とは、をさな心と云う事にて、俗にいふわらびしきことなり。菓菜の類のいまだ熟せざるをも稚といふ。稚とはすべて水くさき処ありて、物の熟して旨き味のなきを申すなり。何によらず、稚といふことを離れぬ間は、物の成り揚がる事なきなり。

稚心とは、おさな心、すなわち子供じみた心のことである。果物や野菜が、まだ熟していないものを稚というように、物が熟して美味になる前、まだどこか水くさい味がする状態をいうのである。どんなものでも、稚といわれる間は完成に至ることができない。

左内は子供じみた心(稚心・童心)を去ることができなければ、何事も完成することはできないと述べているのである。そして、


幼童の間は強いて責むるに足らねども、十三四にも成り、学問に志し候上にて、この心毛ほどにても残り是れ有る時は、何事も上達致さず、とても天下の大豪傑と成る事は叶わぬ
物にて候。

幼い子供の内は強いて責めるほどのこともないが、十三四歳に成長し、自ら学問に志す年齢になって、この心がほんの少しでも残っていたら、何をしても決して上達せず、将来天下第一等の大人物になることはできない。

と述べている。十三、四歳、つまり、元服のころまでにこの稚心を去ることができなければ、どんなことも真から上達することはできない。また、将来、大人・君子になることもできないと言っているのである。そして、更に、


稚心の害ある訳は、稚心除かぬ時は士気は振るわぬものにて、いつまでも腰抜け士になり居り候ものにて、候。故に余稚心を去るをもって、士の道に入る始めと存じ候なり。

稚心を取り除かぬ間は、武士としての気概も起こらず、いつまでも腰抜け士でいなければならない。そのため、わたしは、立派な武士の仲間入りをするために、第一番に稚心を去らねばならぬと考える。

と述べているのである。そういう意味では腰抜け士が多いのが現代ということになるのではなかろうか。自分の置かれた立場も何も考えずに、放射線を擦り付ける動作をしたり、自分の好き嫌いで、唐突にタバコの増税を言明したりするような大臣がいる内閣(今回に限らず、これまでの内閣でも色々あったが)では、腰抜けサムライの集団ということになりはしないだろうか。遅すぎるかもしれないが、少なくとも政治の中枢にいる人たちには呂新吾、橋本左内に習って、稚心、童心を去ってもらいたいものである。


余は甚だ万籟の声なく、肅然たる一室の趣を愛す。或るひと曰く「すなはち大いに寂滅なるなからんや」と。曰く「無辺の風月おのずからあり」と。

わたしは、すべての物音がなく、がらんとした物寂しい部屋の趣が好きである。或る人が「それなら大いに仏教の寂滅という境地ではないですか」と言ったので、わたしは「この、ような静虚の中には、心の持ち方によっては広大無辺の境地に清風明月がひとりでに存在するようになる」と答えた。

物音が無く、がらんとした空間に、呂新吾は、小宇宙を見ているのであろう。仏教のような煩悩を逸脱し、生死の憂いを絶った境地としての寂滅ということではなく、そこには何も無くてがらんとしているのであるが、広大無辺の宇宙が広がり、清風名月が存在しており、日々躍動している情景が浮かぶのであろう。
私は仕事柄、山間部にある旅館によくいくのであるが、ひとりで、そういう旅館に宿泊していると、周りから聞こえてくる音は、自然がかもし出す音以外には何も聞こえず、物静かで、静虚そのものであるが、その部屋、空間には、何も存在していないということではなく、天の気や地の気が充満しているように思うことが常である。また、窓から外の山や渓谷や川の清流をみていると、それらと一体になって、いつまでも、そこにじっと座っていたいと思うことがある。このような静虚だけれど、実は躍動してやまない自然との一体感をあじあうためには、呂新吾の言うように「万籟の声なく、肅然たる一室」が最適であるように思う。
また、佐藤一斎は「言誌後録」の中で「山水無心、人を以て心と為す」と述べて、仰いで観る山、俯して見る水はいずれも無心であり、見ている人間の心が、山の心であり、水の心であるとしている。自然と人間とは元々一緒であり、一体なのであるということである。先日も恒例の「伊勢身塾」で「瀧原の宮」に行ってきたが、常に静虚で精霊なこの場所は、自然との一体感をあじわえる日本でも有数な場所であるように思う。内宮、外宮のように人も多くなく、本当に静虚そのものであるので、尚更、そのように感じるのかもしれない。静虚そのものであるのであるが、確かに、そこには自然が躍動しているのである。また、気が充満しているのを体認することができる。こういう場所に一年に一度くらいは、身を置いてみるのも必要であるように思う。


天下国家の存亡、身の生死は、ただ敬怠の両字に係る。敬すればすなはち慎む。慎めばすなはち百務脩まり挙がる。怠ればすなはち苟くもす。苟くもすればすなはち万事?(やぶ)れ頽(くず)る。天子より以て庶人に至るまでかくのごとくならざるなし。これ千古の聖賢の兢兢たる所にして、亡人の必ず由る所なり。

天下国家の存亡や身の生死は、ただ敬と怠の二字にのみ関係がある。敬すれば、つまり慎むことになり、慎むとそれによって、すべての務めはうまく修まり、よく行われるようになる。怠れば一時の間に合わせをしなければならなくなり、一時しのぎの間に合わせをしていると、すべての事が破れ壊れてしまう。天子から庶民にいたるまで、このような結果に至らないものはないであろう。このことから大昔の聖人、賢者が戒め慎んでいるところであって、滅亡した人々は必ず怠ることによっているのである。

何事にも慎むことが大切であると呂新吾は述べているのである。確かに何事も怠ると、その怠ったことを取り戻すために間に合わせの行動をとらなければならなくなる。しかし、このようなことばかりしていると、そう時間の経たないうちに、そのことが表面化してしまい、取り返しのつかないことになることが多い。だから、備えが必要になるのである。そして、備える心をつくるためには、慎む心が必要となることになる。
怠るということは、天地自然の道理である、やむことのない循環を停滞させてしまうことになるので、もとに戻すのに怠った時間の十倍も百倍もの時間がかかってしまうのである。どんな分野でも一流といわれる人たちは、怠ることをしないで、常に学習や訓練を続けている。一流たる所以はこの継続というところにあるように思える。どんな分野でも、どんな仕事でも一流になるためには、このやむことのない努力を継続させることが必要であり、それが実行できれば、誰でも一流になれるということでもある。「中庸」には以下のような文章がある。


博くこれを学び、審らかにこれを問い、慎みてこれを思い、明らかにこれを弁じ、篤くこれを行う。学ばざることあれば、これを学びて能くせざれば措かざるなり。問わざることあれば、これを問いて知らざれば措かざるなり。思わざることあれば、これを思いて得ざれば措かざるなり。弁ぜざることあれば、これを弁じて明らかならざれば措かざるなり。行わざることあれば、これを行いて篤からざれば措かざるなり。人一たびしてこれを能くすれば、己はこれを百たびす。人十たびしてこれを能くすれば、己はこれを千たびす。果たして此の道を能くすれば、愚なりと雖も必ず明らかに、柔なりと雖も必ず強からん。

何事でも広く学んで知識をひろめ、詳しく綿密に質問し、慎重にわが身について考え、明確に分析して判断し、ていねいに行き届いた実行をする。それが誠を実現しようとつとめる人のすることである。まだ学んでいないことがあれば、それを学んで充分になるまでは決してやめない。まだ質問していないことがあれば、それを問い正してよく理解するまでは決してやめない。まだ、よく考えていないことがあれば、それを思索してよく納得するまで決してやめない。まだ分析していないことがあれば、それを分析して明確になるまで決してやめない。まだ実行していないことがあれば、それを実行して充分に行き届くまで決してやめない。他人が一の力でできるとしたら、自分はそれに百倍の力をそそぎ、他人が十の力でできるとしたら、自分は千の力を出す。もし、本当にそうしたやり方ができたなら、たとい愚かな者でも必ず賢明になり、たとい軟弱な者でも必ずしっかりした強者になるであろう。

ここで言う誠を実現する人というのは、つまり、慎むという心を知っている人ということにもなろうか。何事でもそのことを解明できるまでは決してあきらめないという姿勢が大切であるということである。そして、そういう姿勢が慎ましさを形成していくということでもある。
人間、慎ましさを忘れると、必ず失敗するということもいえる。最近、そういう事象としては、一番わかりやすいのが、閣僚になった時の政治家たちの失言である。慎むということを常に心がけていない人、訓練していない人は、組織の長になった時に、無意識に自我が出てしまい、言ってはならないことまで、言ってしまうのである。もちろん、重箱の隅をつつくようなジャーナリズムやマスコミの報道のやり方もよろしくないが、そういうものに対する備えもないのである。これは、そのまま実務を行う時にも繋がるものであるので、こういう人物には、組織の長としての仕事は任せられないように思う。


一箇の己を公にし人を公にする心を充たせば、すなはちこれ胡越も一家なり。一箇のみずから私し、みずから利する心に任ずれば、すなはちこれ父子も仇讐なり。天下の興亡、国家の治乱、万姓の死生、ただ這箇の些子を争う。

一箇の己を私心なく公正にし、その上他人まで公正にする心を充実させていけば、胡人や越人のように遠く隔たった人でも同じ家の人間のように親しくなる。ところが一箇の自分から公平を欠いて利己をなし、そして、利己的な心にまかせてしまうと、父子の間も仇讐の関係となる。世の中の興亡や国家の治乱、また人民の死生も、ただこれらのささいなことを争うことより起こっているのである。

私心、私利私欲が強いと争いを招くということである。私の周りにも、親からの遺産相続で兄弟がもめている人たちが多い。遺産の多い少ないにかかわらず、自分の取り分を求めて、兄弟喧嘩が始まるのである。こうなるとなかなか収拾がつかなくなる。あるいは、裁判になったりする場合もある。このように、私利私欲を前面に出すと近親者である兄弟でも仇敵になり、骨肉の争いをすることになる。戦争もまた、自国の利権獲得、自国の名誉挽回など、その国の私的な感情から起こる場合が多い。そして、そういう戦争は必ず泥沼化し、解決できないままに終わってしまい将来に禍根を残すことになる。このような状況が繰り返されるのが現実の世界ではあろう。本当に公正で公平な世界を構築するということは難しいことである。しかし、常に公正で公平な社会や国家を築くという目標を持っていなければ、いつまで経っても平和で安心できる社会や国家を構築することはできない。王陽明は、公正で公平な平穏で調和の取れた社会の理想郷は中国古代の社会にあり、それは、「万物一体の仁」を格とした協調と共存の社会であると「抜本塞源論」の中で述べている。また、そういう社会は、それぞれが自分の役割(天命)を持って、その役割を果たすために一生涯を尽し、それぞれの役割を果たす中で他人と一心同体になり、他人をうらやんだりしない、思いやりや人とのつながり、絆を大切にするする社会であるとしている。そして、最後にそういう社会を構築するためには、この「抜本塞源論」を読んで賛同し、啓発された人たちと一緒になって江河を決するが若く、ふせぐことができない勢いを以て興起する必要があると述べている。この混沌とした時代を変革させるために、今、我々もそれぞれの立場で興起する必要があるのではなかろうか。


沈静は緘黙(かんもく)の謂いにあらざるなり。意淵涵にして態間正なる、これを真の沈静と謂ふ。終日言語し、或は千軍万馬の中に相攻撃し、或は稠人広衆(ちょうじんこうしゅう)の中に繁劇に応ずと雖も、その沈静たるを害せず。神定まるが故なり。一たび飛揚動擾(ひようどうじょう)するの意あれば、端坐すること終日、寂として一語なしと雖も、しかも色貌おのずから浮かび、或は意飛揚動擾せずと雖も、しかも昏昏として睡らんと欲するは、みな沈静と謂うを得ず。真の沈静なる底(もの)は、おのずからこれ惺愡?(せいそう)にして、一段の全副の精神を包みて裏にあり。

沈静というものは口を閉ざして黙っているという意味ではないのである。心が深く落ち着いて物事を包容し、態度がゆったりとして正しいこと、これが真の沈静といえるのである。一日中話をし、或は千軍万馬の中で攻撃しあい、また、あるときはたくさんの人々の集まりの中に居て非常に忙しく仕事をしていても、かれらの沈静であることを阻害はしないのである、というのは精神が定まっているからである。一度飛びあがり動き乱れるような気持ちがあるなら、たとい終日端坐して、寂として一語も発しなくても、それでも顔つきや態度がひとりでに浮ついたり、また或は気持ちが飛び上がったり動き乱れなくても、昏昏と眠ろうとするのは、みな沈静であるということはできない。真の沈静というものは、自然に目が覚め、心がはっきりとして悟るようなものであって、ありったけの精神を内に包んでいるのである。

心が深く落ちついていて、物事をすべて包容し、態度はゆったりとしているが、行動を起こすとすべてが正道にぴたりと止まることを本当の沈静というと呂新吾は述べているのである。また、そういう人物は、一日中話をしていても、戦いの中にあっても、仕事で多忙な日々をおくっていても、常に沈静であるということである。
確かに沈着冷静な人物は、急ぐことがあってもあわてることなく、驚くことがあっても怯むことなく、着々と物事を進めていくものである。また、こういうような人物を見ると、もちろん天賦の資質もあるのであろうが、たいていの場合、人生の紆余曲折の中で、多くの体験や経験を積み重ねてきている人が多いものである。そして、そういう人物は、場数を踏み、一つ一つの物事をいい方向に結論付けていく能力、つまり、物事を正に帰着させていく能力を身に付けているようにも思える。このようでない人物が表向きいくら静坐に努め、静寂にして、一日中一言も発しないということをやっても、体験や経験がなく、物事を正に帰着させるという心構えもないので、結果、本当の意味での沈着冷静にはなれないということでもある。
皆さんの人生の中でも、突然予期しないことが起きたり、思いもしなかったことで中傷されたり、物事を断念せざるを得ないことが起きたりというようなことは少なくないのではなかろうか。こういうときこそ、冷静沈着に行動することが、必要なのではなかろうか。その時の状況をすべて把握し、深呼吸をして心を深く落ち着かせて判断し、判断したら、時に応じて行動を起こすというようなことになろうか。
今回の東日本大震災のときの状況を福島の浜通りの篤農家の方に聞いた話に次のようなことがあった。トラクターで農作業をしている時に、トラクターが大きく揺れるので、あたりを見ると田んぼが大きく波を打っている。これは地震だ、しかも相当大きな地震だとわかったその方は、トラクターで逃げようかと一瞬思ったのだそうだが、近くの道路を見ると、車での避難者で道路が渋滞しつつあったので、おそらく、この後、津波が押し寄せてくると思いトラクターを捨てて、近くの高台にある道路に駆け上っていったそうなのである。そして、ほぼ、その道路のところまで上りきろうとした時に、気になって、後ろを見たところ、渋滞になっていた車が津波によって、まるで発泡スチロールの箱が流されるように、どんどん、沖へ流されていったというのである。この方の沈着冷静な対応が功を賞して、命が助かったのである。85Pに移る。


人の子の親に事(つか)ふるや、心に事ふるを上となす。身に事ふるはこれに次ぐ。最も下なるは、身に事へてしかもその心を恤(うれ)へず。またその下なるは、これに事ふるに文をもってし、しかもその身を恤へず。

人の子が親につかえるについては、親の心につかえるのを上とする。親の身につかえるのはこれに次、最も下なのは親の身につかえていながら、相手の心をいたわり心配しないことである。それよりももっと悪いのはつかえるのにうわべだけでつかえて、その身のことを心配したり、いたわらないことである。

親につかえるのに一番大切なのは、親の心につかえることであるということである。子を思う親の心というものは、複雑なものである。例えば、自分の子が事件に巻き込まれたとしよう。もちろん、子の身の安全を第一に考えるのが第一であるが、このことで他人に迷惑をかけていないか、このことで世間から白い目でみられるのではないか、このことで刑を受けるのではないか、このことで生涯、身体や心に傷を残すのではないかなどと表面上は平静にしていても普通の親なら誰でも心の中でそう思うものである。親につかえる第一はこのような憂いを親にもたさないということである。つまり、事件に巻き込まれるようなことをしないということが第一であるが、なかなかそうはいかないので、事件に巻き込まれても不正を正して正に帰着させることを実行するということである。そして、その成り行きを事後、親に隠し事なく明確に伝えるということである。確かにこのことは、いつもそば近く親につかえているよりも大切なことであるように思われる。また、親を引き取って、一緒に生活はしているが、ほとんどをデイケアやショートステイを利用して、親とのコミュニケーションをとる時間などほとんどなく、自分は自分の好きなことをやっているという人が結構いると聞くが、これなどは、親の身につかえているとはいえないのではないだろうか。こういう時代だからこそ親子関係をもう一度見直す必要があるように思う。


88Pに移る。
  
友道は極めて関係あり。故に君父と並べ列して五となす。人生の徳業成就するには、朋友を少(か)き得ず。君は法を以て行いて我を治むる者なり。父は恩を以て行ひて善を責めざる者なり。兄弟は怡怡(いい)たり、切偲を以て愛を傷(そこな)はんことを欲せず。婦人は内事を主(つかさ)どり、相追随して過ちを規(ただ)すを得ず。子はあへて争ふと雖も、ついに避くべきの嫌あり。厳師に対するに至りては、すなはち矜持収斂し、しかして過ち見るべきなし。家庭にありては、すなはち狎昵親習(こうじつしんしゅう)して正言入らず。ただそれ朋友は、朝夕相与にし、すでに師の進見すること時あるがごとくならず、情礼嫌なく、また父子兄弟の言語するに忌むあるがごとくならず、一聴虧(か)くればすなはち友これを責め、一業廃すればすなはち友これを責め、美なるはすなはち相与に奨勧し、非なるはすなはち相与に匡救し、日に更り月に変じ、互いに感じ交々(こもごも)摩し、駸駸然(しんしんぜん)として、その労しかつ難きを覚えずして、君子の域に入る。これ朋友は四倫の頼る所なり。嗟夫(ああ)、この道の亡ぶること久し。言語嬉?(げんごきせつ)し、樽俎嫗煦(そんそうく)し、事の善悪を論ずるなく、我に順ふ者を以て厚交となし、人の姦賢を論ずるなく、我を敬する者を以て君子となし、足を躡(ふ)み耳に附けば、みずから知心と謂ひ、膝を接し肩を拍てば、濫りに刎頚(ふんけい)を許し、大家同じく小人に陥りてしかも知らず。哀しむべきなるのみ。この故に物相反する者は相成し、見相左(たが)ふ者は相益す。孔子友を取るに、直・諒・多聞と曰ふ。この三友はみな我と相附会せざる者なり。故に益と曰ふ。この故に三友を得るは難し。よく人の三友となるは更に難し。天地の間に天南地北・縉紳草奔(しんしんそうほん)を論ぜず、一の好友を得、道同じく志合ふは、また人生の一の大快なり。

朋友の道というのは人間の道に極めて深い関係があるのである。それで君主が臣下に対し、また、父親が子に対する関係と並べて五倫の一つとしている。つまり、人生の徳業を成し遂げるには、朋友を欠くことはできないのである。君主は法律で以て政治を行って我々を統治する者であり、父親は恩愛を以て子に対し、善を行えと責め立てない者である。兄弟は仲良く和らぎ順いあい、ねんごろに善を行うことを励まし合って、愛することをそこなうようなことをしないようにするのである。婦人は一家の神を祭ることを司り、その際お互いに追随して過ちを正すことはできないし、子供は強いて争ったとしても結局はどうしても避けなければならない嫌なことがあるのである。厳格な師に対するに至っては、自分に対して我意を抑え慎み、心を引き締めて、そうして過ちの特に見るべきものはしないようにする。家の内に在っては馴れ親しんで厳しさを欠き、道理にかなった正しい言葉が取り入れられない。ただ友人だけは朝夕相ともに励み、先生のところへ行ってお目通りすることが、前もって決まった時があってなされるようなこともなく、そこには心情と礼儀についていやなことはない。また、父と子、兄弟の間で言葉を交わす中に、忌み嫌うものがあるようなこともなく、一つの徳が欠けるようなことがあると、すぐさま友はこれを責め、一つの仕事を廃したなら、またすぐさまこれを責め立てる。そして、美しい良いものはお互いに奨め励ましあい、間違いの時はお互いに正し、救い、日月の遷り変わりの中でお互いに感じあい、切磋琢磨し、絶え間なく進歩して、その苦労したことやその上難儀したことを気付かないうちに君子の域まで入っていく。このように朋友というものは四倫(君臣・父子・兄弟・夫婦)が頼りとするところである。ああ、この朋友の道がすたれ亡びて今や久しい。言葉は遊び半分に戯れなれなれしく乱され、宴会では暖かく情をかけているかのように適当にあしらわれ、事の善悪をきっぱり論ずる者はいないし、自分に調子を合わせる者を真心をこめた交際だとし、他人の姦邪や賢明なことを論ずることもなく、足をそっと踏んで注意をしたり、耳に口をつけてこそこそ語る人を自分の心を知る人だと言い、膝を接して話をし、肩をたたくような間柄をやたらと刎頚の交わりの友と認める。その結果誰も彼が小人に陥っているのに自分では気がつかないでいる。哀しむべきことである。こういう理由で物事の相反する者が互いに成就し、意見が相違する者が互いに利益を分かち合う。孔子は友人を選ぶについて、直言して憚らない人、誠実で表裏のない人、博く古今の知識に通じた多識の人を友とすると言っているが、この三種類の友人は、みなわたしと一致しない人々である。それ故却ってわたしに益する人とも言えるし、そういうことからこの三友を得ることは難しいのである。また人の三友となることはもっと困難である。天地の間において、天が南であれば地は北だとか、官位の高い人と官に仕えない庶民だとかについては論じないで、それよりも一人の好き友を得て、その友が道を同じくして志が合致するのが、それこそ人生の一つの大きな快事である。

呂新吾の朋友論である。本当の友人は、君臣や父子や兄弟や夫婦の交わりだけでは解決できない日常の問題に対して、お互いに切磋琢磨しながら、適切に解決策を提示してくれるということである。もちろん社会を円滑にするためには、家族や会社、地域の交わりや付き合いも大切である。だから、所謂、五倫「父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信」のバランスのとれた社会の構築が重要であるが、その中でも「朋友の信」信頼できる本当の友人を得ることが特に大切であり、あとの四倫が頼りにするところでもあると、述べているのである。要するに気の置けない友人をつくることで色々なことを建前でなく、本音で語り合え、付き合えるので、その中で色々なことが解決されるということである。
果たして、自分の周りに親友いや真友といえる人は何人いるであろうか。学校で友だちになった人、仕事上の付き合いで友だちになった人、近所付き合いで友だちになった人、交流会で友だちになった人、色々あるであろうが、果たしてその中に何人の真友がいるであろうか。呂新吾がここで言う、なれなれしい言葉使いをして友人と称するもの、宴会で暖かく情をかけているように見せかけることで友人と称するもの、事の是非、善悪をうやむやにして情をかけているような態度をして友人と称するもの、これは、真友ではない。また、自分に調子を合わせてくれる人、人の姦邪、賢明を論じることもなく、足をそっと踏んで注意をしたり、耳に口をつけてこそこそしゃべる人、膝をつき合わせてしゃべり、肩をたたくような間柄を刎頚の交わりなどと言う人、これも真友とはいえない。自分の周りに真友は本当にいるのであろうか。それでは真友とはどういう人をいうのであろうか。それについては、ここに述べられているように「論語」季氏第十六に孔子の言葉がある。それは次の通りである。


孔子の曰く、益者三友、損者三友。直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とするは、益なり。便辟を友とし、善柔を友とし、便佞(べんねい)を友とするは損なり。

孔子が言われた。有益な友だちが三種、有害な友だちが三種。正直な人を友だちにし、誠実誠心な人を友だちにし、物知りを友だちにするのは、有益である。体裁ぶったのを友だちにし、うわべだけの諂いものを友だちにし、口だけ達者なのを友だちにするのは、害である。

つまり真友とするには、正直で直言をして憚らない人、誠実で表裏のない人、広く古今に通じた多識の人がいいと述べているのである。そういう人が周りにいれば、おそらく、そういう人は真友足り得るであろう。また、真友足り得る人格を自分でも涵養していくことが必要である。いわんや、自分自身も益友にはなっても害友になってはならない。

今回の呻吟語については、ここで終わるが、まだ、多くの章が残っているので、是非、読んでいただきたいと思う。また、機会があれば、もう一度、残りの章について勉強をしたいとも考えている。
「吾、道を師とすれば、苟くも諸を道に協(かな)へて協ふときは、すなはち千聖万世、?合せざるなし。何となればすなはち道は二つなければなり。」(私は、道そのものを師とするのである。そうすると仮にもこれを道にあわせてかなうときは、千聖万世の後の世にもすべてぴたりと一致するのである。何故なら道というものは二つないからである。)呂新吾は自分の学問の指針として、天地自然の道理、つまり、道そのものを師と考えているのである。我々もこれに習う必要があるように思う。